2014年2月6日木曜日

浅黄斑『火蛾の舞 無茶の勘兵衛日月禄2』(2)

 火曜日(4日)には雪が舞い、節分を機に春めいていた天気から一転してすこぶる寒い日々が続いている。ある方がこれを称して「ジェットコースター天気」と言われていたが、なるほど、と思う。寒いと心も体も縮こまる。

 さて、浅黄斑『火蛾(かが)の舞 無茶の勘兵衛日月録2』(2006年 二見文庫)の続きであるが、図らずも大和郡山藩の内紛に巻き込まれた形になった「無茶の勘兵衛」こと落合勘兵衛は、日高信義の依頼で、本多政長の毒殺者として送り込まれていると思われる医者の片岡道因とその息子の動向を探ることにする。

 この日高信義という老人もなかなか味のある人物で、彼らが打ち合わせ場所として使っている料亭「和田平」の女将の「小夜」は、実は日高信義の娘で、日高信義の妾腹の子であった「小夜」が、母を亡くして彼を頼ってきたので、「小夜」のために料亭をもたせているという酸いも甘いも噛み分ける人物である。勘兵衛は「和田平」で出される初めてのうまい料理に驚いたりする。「小夜」は料亭の女将としても一流の腕をもっていた。

 ある日、勘兵衛が片岡道因の後をつけてみると、道因は、俳諧師の高橋幽山という人物の家に出入りし、俳諧の集まりを利用して、暗殺を命じた深津内蔵助と連絡を取っているようだとわかり、その幽山のもとで俳句を習っている「かぶき者」(派手な衣装をして人目を引く者)の竹下侃憲(ただのり)という少年と出会い、様子を探ることにする。

 竹下侃憲はまだ14歳の少年ながら、一風変わった「かぶき者」で、小料理屋に出入りしたり酒を飲んだりするが、彼は、実在の人物で、後の松尾芭蕉の弟子の其角(きかく)で、高橋幽山の所には松尾芭蕉も集まっていた。

 他方、勘兵衛を人物と見込んでいる越前大野藩の江戸留守居役である松田与左衞門は、勘兵衛のために役宅を用意し、しかも、若党(書生のように仕える青年)と下男も用意して、さらに勘兵衛が動きやすいように取りはからったという。勘兵衛の若党となったのは、松田与左衞門の用人をしている新高陣八の次男で、16歳になる新高八次郎である。勘兵衛はこの新高八次郎と越前大野に残している弟の藤次郎が同じ年であることから、不思議な縁を感じたりするし、下男の長助は、松田与左衞門の所で長く働いていた人物で、世知に長けて機転が利く人物であった。

 勘兵衛は、役宅は役宅として、これまでと変わらずに菓子屋の「高砂屋」の二階に居候として暮らすことにし、若党の新高八次郎を片岡道因が出入りしている俳諧師の高橋幽山のところに俳句を習いに来たという名目で送り込むことにする。

 そうしているうちに、大和郡山藩の藩主である本多政長の参勤交代による国帰りの日が近づく。そして、突然、政長が帰国の途中の熱海でしばらく湯治したいと言い出すのである。政長は幼少の頃から押し込め同然に育ったこともあって、性格がひどくねじれ、我が儘で、藩主のこうした気まぐれは家臣をあわてさせるが、やむを得ないことになるし、熱海は、老中酒井忠清と対立する稲葉正則の所領で、稲葉正則としては政長に同情的であったことからも、これを許可したのである。そして、これが暗殺者たちに隙を与えていくことになる。

 それはさて置いて、ある夜、勘兵衛は「和田平」からの帰りに、二人の男が五人のヤクザ風の男たちに襲われているのに出くわし、その二人の男を助ける。その時、助けたのが「千束屋」という「割元」(人材派遣の口入れ屋・・江戸では桂庵とも呼ばれた)を営む千束屋政次郎で、もう一人は、剣術道場の同門である武士で、千束屋が用心棒として雇っていた人物であった。千束屋は百人近くの寄子(人足)を抱えるかなり力のある人物であったし、勘兵衛が居候している「高砂屋」で食事の世話をしてくれる娘を世話していたこともあり、勘兵衛は千束屋と親しくなる。

 この千束屋には、16歳になる「おしず」という美しい娘がおり、若い勘兵衛が少し心を動かされたりする。千束屋は勘兵衛の人物と剣の腕に惚れ込み、自分の用心棒になってくれないかと依頼する。幕府の政策で日雇い人夫を束ねる日雇座ができ、高額の礼銭をとるようになった日雇座支配が、対抗する千束屋の命を狙っているというのである。しかし、主家から密命を受けている勘兵衛はその申し出を断るが、千束屋との交情は続けることにする。この千束屋が勘兵衛の手足となって大きな働きをしていくようになるのである。

 この辺りは、まことに人の出会というものを感じるものになっており、勘兵衛のもとにはなかなかの人物たちが自然に集まってくるようになるのである。今の時代では、人の恩義を感じて礼を尽くしていくような人にめったに出会うことはないが、「情けは人の為ならず」なのである。

 他方、落合勘兵衛と意を通じている大和郡山藩の別所小十郎は、勘兵衛から依頼された山路亥之助の行くへを探していて、彼が柴任三左衛門のもとで剣術の稽古をつけてもらっていることを突きとめ、勘兵衛はさっそく柴任三左衞門の所を訪ねる。柴任三左衞門は、優れた剣客で、宮本武蔵の二天一流を継ぐ三代目で、元は肥後熊本藩士だったが、加藤家が改易となり、浪人し、江戸に出てきて道場を開き、やがて福岡藩に召し抱えられたがすぐに辞めて、本多家に四百石で招聘された人物で、一流の剣客らしく、山路亥之助の剣は、「あそこまでの剣でしかない」と語る。山路亥之助は一足違いでそこを出ていた。この柴任三左衞門と落合勘兵衛が二十年後に再会するという一文が添えられて、本書が長大な構想をもつ作品であることを伺わせる。

 また、落合勘兵衛の友であった塩川七之丞が越前大野から江戸遊学に出てきて、林鵞峰の「弘文院」(後の昌平坂学問所)に入門をゆるされたという。落合勘兵衛と友人の伊波利三は塩川七之丞に会いに出かけて、旧交を温める。そこで藩主の嫡男の近習をしている伊波利三から、嫡男の直明の素行がひどく、気に入らない家臣は手討ちにするし、女狂いも激しくなっていると聞く。しかし、「君、君足らずとも、臣、臣たらざるべからず」である。伊波利三の苦悩はそこにあった。七之丞は勘兵衛が想いを寄せていた「園枝」の兄で、「園枝」に手紙を書いてくれと勘兵衛に頼む。勘兵衛は自分の恋は秘していたが、そうしようと思ったりする。

 そうしているうちに、千束屋が、山路亥之助が江戸市中で腕の立つ浪人を集めていると聞き込んできて、山路亥之助が暗殺者として参勤交代途中の本多政長を襲うことに気づいていく。弓を使う者や鉄炮を使う山猟師も雇っているという。その探索が詳細に展開されていくが、勘兵衛はその考えを大和郡山藩の日高信義に話し、江戸家老の都筑惣左衞門と会って、その襲撃を防ぐ善後策がとられるようになる。

 勘兵衛の主筋である松田与左衞門から、山路亥之助もまた、哀れな人間であるといわれ、勘兵衛は、亥之助の父が藩内抗争に敗れて、その劣勢を挽回するために、これまで敵であった家老に近づき、あげくの果てに、私利私欲に走ったその家老の走狗となって果てたことに思い至る。亥之助は、なんとか自分の家の再興ができないかと焦っているだけであると思い至っていく。

 しかし、暗殺集団を率いて山路亥之助は熱海で本多政長を待ち受ける。だが、その計画は既に発覚し、一味は未遂で小田原藩士に捕縛される。だが、亥之助はいち早くそれを察して逃げ去る。そして、事柄を公にできないことから八方を丸く収める策がとられ、何も知らずに亥之助に雇われていた一味も放免される。そして、勘兵衛は、事態の調書作成のために、老中の稲葉正則に会う。この時に作成された調書が、後の幕政に思いがけない影響を及ぼすことになる、という後の展開を示す一文がここでも記されている。

 だが、大和郡山藩を乗っ取る画策をしている本多政利とその家老の深津内蔵助の野望は終わってはおらず、勘兵衛と日高老人の交流は続くし、そればかりではなく、大和郡山藩の家老の都筑惣左衞門は、勘兵衛を譲り受けたいと松田与左衞門に申し入れるのである。

 もちろん、勘兵衛はその申し入れを断る。だが、都筑惣左衞門は勘兵衛がだめなら、その弟の藤次郎を、と願い出て、勘兵衛はそれを承知していく。藤次郎と「園枝」に手紙を書かねば、と思うところで、本作が終わる。

 本作で描かれる勘兵衛は、とても二十歳前後の青年とは思えない成熟した姿で、青年らしさが時折描かれるものの、やはり無理があるのかもしれないと思ったりもするが、展開と描写が丁寧で登場人物も多彩になってきた。ひどい人間になった藩主の嫡男の直明との折り合いなども今後の見所となるだろう。

 この作品には、いろいろな作品の要素を感じるが、主人公は、やはり、藤沢周平の『用心棒日月妙』の主人公「青江又八郎」を思わせるものがある。そして、それと同じように面白い。

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