今日あたりに雪の予報が出ていたが、各地で積雪による甚大な被害が出ているので、降らなくて本当によかった。だが、寒い日々が続いている。春はまだ遠い。「梅一輪のあたたかさ」を感じることができる感性を、こういう時こそ発揮させることができればと思ったりする。
閑話休題。和田はつ子『口中医桂助事件帖 南天うさぎ』(2005年 小学館文庫)を読む。作者は1952年に東京で生まれ、本人の弁によれば、「30代前半の頃に、長女の小学校受験で受けたショックに耐えきれずに書いた『よい子できる子に明日はない』(1986年 三一新書)が橋田壽賀子作のテレビドラマ『お入学』(1987年 NHK)の原作となり、作家としての活動を始めた」ということである。執筆のジャンルは幅広く、サスペンスやホラーなどもある。歴史時代小説は2005年あたりからの執筆である。本書は、シリーズ物の第一作として書き下ろされている。
本書の「口中医」というのは、今でいう歯医者のことで、江戸時代時代中期ごろまでは、口中医(歯医者)にかかることができたのは、大名か豪商くらいではなかったかと思う。江戸中期以降は、主に入れ歯を作製する入れ歯師と呼ばれる人たちが庶民の治療も行うようになった。しかし、治療法は、痛みを和らげるか虫歯を抜くくらいであっただろう。「虫歯」と言われるくらいに歯が悪くなるのは口の中の歯虫によるものと考えられていた。虫歯が酸によるものと判明したのは19世紀の終わり頃である。ただ、歯磨きが有効な予防であることはよく知られ、歯磨き粉もあったし、房楊枝と呼ばれる歯ブラシも広く行き渡っていた。房楊枝は、今でもなかなか優れた歯ブラシではないかと思う。
それはともかく、本書は、長崎で蘭医学を学び、自分の歯科技術と知識で一人でも歯痛に悩む人を助けたいと、庶民のための口中医を初めた藤屋桂助を中心に、彼の幼友達で薬草に造詣が深く、桂助のために薬草畑の世話をする賢さや優しさ、美貌を兼ね備えた「志保」と、腕のいい飾り職人であるが、桂助のために房楊枝を作る剛次の三人が姿勢で起こる事件に歯科医の立場から関わって、これを解決していくというものである。
中心となる藤屋桂助は、江戸でも屈指の大店である呉服屋の長男で、「すらりと背が高く、役者になってもおかしくない男前」で、品位と奥深い知識にみちた二十歳過ぎの青年である。「志保」は、先に挙げたように美貌で、知性も教養もあり、医者の娘である。剛次は、中肉中背であるが、敏捷で気っぷも良い。物語の冒頭で、当時の将軍しか口にしなかったような白牛酪(今で言う練乳のようなもの)を作る話が出てくるが、主人公たちは、金、知、美、情愛を兼ね備えた人物たちなのである。また、剛次は「志保」に秘かに想いを寄せているが、「志保」は桂助に、桂助は「志保」にという緩やかな恋愛の三角関係のようなものがある。
こういう人物の設定というのは、主人公の桂助がいくら庶民のための口中医を目指しているとはいっても、少なくともわたしにとってはあまり魅力的な設定ではない。小説は絵空事であっていいのだが、こういう主人公像は少し絵空事すぎる気がする。房楊枝でさえ満足に買えない貧しい人々が描かれるが、他方では、庶民が見たこともないような白牛酪(練乳)やチーズ、果てはタルト(本文ではタルタ)まで作って食べる主人公たちの姿が描かれ、「一人でも歯痛で悩む人々を助けたい」という主人公の思いが「金持ちの道楽」のように思えたりもする。主人公たちを美男美女で、人格的にも誠実で優れた人物のように設定し、事件も大奥に関わったりするように設定するところに、若干ではあるが、作者の安直さを疑ってしまうような所がないわけではない。
それはともかく、本書は一話完結方式の連作となっているが、本書の構成の素晴らしさは、一話でそれぞれの事件が解決していきながらも、実は全体で大きな謎があり、それが次第に明らかになるという手法がとられているところである。事件は、桂助の薬草畑で若い女性の斬殺死体が発見されるところから始まり、殺された女性が大奥務めで宿下がり(実家に帰省すること)していたことが分かっていく一方で、桂助の実家である大店の呉服屋である「藤屋」が将軍の二人の側女に収めた打ち掛けが何者かによってすり替えられて、将軍の寵愛が深い「初花の方」に収めた「南天うさぎ」模様の打ち掛けの行方が分からなくなって、このままでは「藤屋」が責任を負わされて大奥出入り差し止めを免れなくなっているという事件に続いていく。
桂助たちは、行方が分からなくなっている高価な「南天うさぎ」模様の打ち掛けを探していく。そして、着物のことには無知と言われた剛次が、改めて着物のことを勉強して、江戸の古着屋の元締めの所で、その「南天うさぎ」を見つけるのである。そして、あっさりと「南天うさぎ」を古着屋に持ちこんだ人物が分かり、それが桂助の薬草畑で殺されていた女性の実家の息子で、「南天うさぎ」を大奥から持ちだしたのが殺された女性で、それを画策したのが、大奥内の勢力争いをしていた年寄り(大奥の責任者)の一人であることが判明して、その年寄りは、すべてを認めて自害したという結末を迎える。
結末があまりに簡単に出てきて、拍子抜けする気がするが、これがやがて大奥内での勢力争いの一つの現象に過ぎなかったことが最後の第五話「まむし草」で記されるという構成になっているのである。
本書には五話が収められているが、いずれも「事件帳の謎解き」とは言えないようなもので、結末への展開は粗い気がする。情景の描写や社会背景なども、あまり丁寧には描かれないが、飾り職人の剛次とその家族が描かれるところにはリアリティがある。これから人物像が深められたりはしていくのだろうが、まあ、何も考えずに読むにはいいかもしれないと思っている。
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