2014年4月19日土曜日

野口卓『飛翔 軍鶏侍』(1)

 優しく咲き乱れた桜が散って、季節は、心を穏やかに落ち着かせる葉桜の季節に向かおうとしている。窓から入る風がずいぶんと柔らかになった。しかし、ついに三月末から続いている怒涛のような日々の疲れが出たのか、風邪をひいてしまった。新しく物事を始めるというのは「しんどい」ことではある。

 さて、以前、時代小説として優れた作品だと思っていた野口卓「軍鶏侍」シリーズの三作品めである『飛翔 軍鶏侍』(2012年 祥伝社文庫)を、これも面白く読んだ。

 主人公の岩倉源太夫は、人付合いの煩わしさから早々に隠居し、好きな軍鶏を飼いながら剣術道場でも開いてのんびり暮らすつもりであったが、ふとしたことから藩のお家騒動に巻き込まれ、それまで「軍鶏侍」と揶揄されていた彼の剣名が上がり、人生が一変していくようになっていた。周囲の勧めもあって、若い妻を迎え、42歳で男子をもうけ、それまでの下男の権助と暮らしていた殺伐とした暮らしも一変した。

 彼は、闘鶏からヒントを得た「蹴殺し」という秘剣を編み出した孤高の剣士であったが、夫であり父である家庭人となり、開いた剣術道場で若い藩士たちを育てる教育者となっていくが、凛とした姿勢を崩すことなく、彼の下に集まった弟子たちの成長を見守っていく。弟子たちもまた、それぞれに成長していき、それが成長潭として描かれるだけでなく、問題を抱えながら人間の深みと内実の豊かさに至っていくような姿として展開されていく。前にも記したが、その過去が秘されたままで優れた知恵と生活技術をもつ下男の権助との、時には逆転する主従関係が作品に軽妙さと深みを添えるものとなっている。

 本作の第一話「名札」は、岩倉源太夫が優れた教育者となる葛藤をする物語で、最初に問題児として登場するのは、深井半蔵という青年である。

 岩倉源太夫が藩主のゆるしを得て岩倉道場を開いたとき、ほかの道場から彼の道場に鞍替えする弟子たちがかなりの数に上り、特に大谷道場と原道場の道場主が危機感を抱いて、岩倉源太夫を襲撃したことがあった。源太夫はその襲撃を退け、道場主たちは、園瀬藩の藩内から逐電し、それぞれの道場からかなりの数の門弟が岩倉道場に移って来ていた。だが、それらの多くの者たちは、志が低いこともあり、性格のねじれた者が多く、岩倉道場の厳しい規律と稽古に耐えられずに、やがてかなりの弟子は姿を見せなくなっていた。深井半蔵は、その中で岩倉道場を辞めなかった弟子たちの一人であったし、しかも彼は、源太夫を襲撃した大谷道場では一番弟子であり、源太夫を闇討ちした一人だった。

 源太夫は、それと知りつつ彼の入門をゆるしたが、やはり、彼は道場内ではかなり浮き上がった存在となり、ひねくれて絶えず不満を洩らしていた。弟子の格付けが名札によって示されるが、半蔵は自分の名札の位置が気に入らなかったのである。

 人は、自分のことが高く評価されると嬉しいので、自分の席次が気になる人が多いが、もともとこういうことに拘る人に大した人はおらず、「ひねくれ」は、その拘りから生まれてくる。

 あるとき、深井半蔵は道場で仲間と一緒に酒盛りを始めた。それを咎めた源太夫に対して、道場での飲酒を禁じることは道場訓に記されていないと屁理屈を言い、自分の剣の腕が正しく評価されていないと不平を爆発させた。源太夫は「人は自分を過大に、他人を過小に評価する」(32ページ)と諭し、深井半蔵の席次について証明してみせると語る。源太夫は、半蔵が心の裡に空洞のようなものを抱えていると感じていた。だれかに自分をわかってもらいたいし、認めてもらいたいが、誰にも無視されていると感じて、目立つ行動に出ていたと判断した。少年時代の半蔵は、だから敢えて人の嫌がるようなことばかりし、それがかえって除け者にされるという悪循環に陥り、それが現在まで続いている(34ページ)のだと思う。半蔵は四男で部屋住みの厄介のまま23歳になっていた。

 源太夫は、15歳になる弟子の大村圭二郎と14歳の藤村勇太に半蔵の腕を証明するのに手伝ってもらうことにする。源太夫が大谷道場の大谷馬之介を蹴殺しで倒した時に居合わせた弟子の柏崎数馬と東野才二郎に教えていた鍛錬法を大村圭二郎と藤村勇太は自ら取り入れて密かに稽古を重ねていたからである。その鍛錬法は、相手に向かって小石などを力一杯投げ合って、それを躱す(弟子たちは勝手にそれを投避稽古と呼んでいた)のと、小石の代わりに矢を射かけるのを躱す(矢躱稽古)と暗闇でもものを見る鍛錬(梟猫稽古)である。稽古熱心な大村圭二郎はそれをどん欲に取り入れ、圭二郎を慕う藤村勇太と二人で鍛錬していたのである。源太夫は、妻のみつにお手玉を作ってもらい、それを用いて、23歳の深井半蔵と14歳の藤村勇太を対決させた。その際に、初めに師範代と言えるほどの腕を上げている東野才二郎と大村圭二郎にそれをやらせてみせてから、試合に臨ませた。この辺りが、教育者として作者が主人公を描き出そうとする工夫と言えるだろう。

 結果は歴然としていた。自意識の強い23歳の深井半蔵は、見事に14歳の、しかもひ弱そうに見える藤村勇太に破れたのである。半蔵と酒盛りをしていた仲間たちは姿を消した。やがてほかの弟子たちは誰も彼らのことを気にしなくなっていたが、源太夫は気に病んでいた。

 しかし、やがて、十月近くが過ぎたとき、四人が再び道場を訪ねて来た。その時の彼らは、以前の荒れた気配が消え、静かに詫びを入れた。源太夫は、一目で彼らが立ち直ったことを悟り、稽古をつけてやる。四人はこれまで死にもの狂いで鍛錬に励んでいたことがわかった。彼らは乗り越えたのである。源太夫はそのことがわかって、彼らを温かく受け入れていく。

 第二話「咬ませ」は、軍鶏の鶏合わせから始まる。鶏合わせとは闘鶏のことであるが、現太夫は権助の進言を入れて、「義経」と名付けられた老いた軍鶏と若い軍鶏を戦わせて、若い軍鶏に勝負勘をつけさせようという育成法を取り入れたのである。

 軍鶏の寿命は、通常、1012年と言われ、最盛期は4〜5歳の頃であるが、「義経」は8歳になっていた。「義経」は、非常に高い能力を持つ軍鶏であったが、その衰えは隠しようがない年齢に達していた。

 源太夫は、義経を「咬ませ」として若い鶏と闘わせ、義経は技量豊かに闘う。だが、若くて優秀な若い軍鶏は反撃をしはじめ、源太夫は老いていくことの悲哀を感じて、その闘いを中断させてしまう。だが、権助は「権助めが義経でしたら、たとえ咬ませであろうと、若鶏の稽古台であろうと、闘えるあいだは、闘い続けたいです」(97ページ)と、闘う軍鶏として生まれた軍鶏の思いを語る。そして、それを聞いて源太夫は、自分の思いを反省するのである。

 この短い老いた軍鶏の話が、実は挿話のようにして伏線として張られて、次の第三話「巣立ち」へと繋がる展開になっている。

 第三話「巣立ち」は、源太夫のもとで修業を行い、ついには「若軍鶏」とまで呼ばれるようになった若い大村圭二郎の成長の物語である。それについては長くなるので、次回に記すことにする。


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