2014年4月25日金曜日

内田康夫『地の日 天の海』

 よく晴れて、新緑が鮮やかに映える碧空が広がっている。風邪の咳がなかなか抜けないでいるが、風薫る季節になりつつある。来週は、月曜日から木曜日まで東京で会議で、木曜日の最終便で帰宅して、金曜の早朝から仕事という過密な日程が続く。その代わりに数十年ぶりで五月の連休を迎えられることになる。温泉にでも行こうかと思ったりもする。

 それはさておき、先日、内田康夫『地の日 天の海』(2008年 角川書店)を、推理小説を主眼とする作者にしては珍しい歴史時代小説だと思い、よく知られている『太閤記』に資料を取りつつも独自の歴史解釈が推理されている点が作者らしいといえば作者らしいと思いつつ読んだ。作者は、江戸初期に徳川家康の政策顧問として、文字通り江戸幕府の礎を築いた「天海」(1536?-1643年)の姿を中心にして戦国史を捉え直したいという意図があったのかもしれない。しかし、「随風」と名乗った若き日の「天海」をほんの少し描くだけで、ほとんどが戦国史の再解釈に費やされ、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉といった人物をめぐる人物たちとその行動の背景を探る筆運びになっている。また、「天海」の実像が歴史的にはっきりしている江戸初期の家康との関係は最後に少し触れられるだけで、「天海」を描くものとしては、未完に終わっている気がしないでもない。

 しかし、実際、「天海」が戦国時代を生き抜いて大僧正という高僧の身分で家康の側近となったことは紛れもないことではあるが、「天海」の出自も、「随風」と名乗った若いころのことにしても、ほとんど不明で、謎の多い人物であることに変わりがないから、後は作者の想像力に頼るしかなく、その点では、例えば、「天海」が会津芦名家の重臣の舟木家に生まれつつも足利将軍のご落胤で、最後の足利将軍となった足利義昭の腹違いの兄弟という説を巧みに取り入れたり、明智光秀との交流などを取り入れたりして、伝承を巧みに活かしていると言える。

 本作では、その他にも仮説として、豊臣秀吉が商人(諸国を歩いて針を売る商人)の出であったがゆえに、合理性に富んだ思考力を持っていたとか、光秀の妹が信長の側室であったがゆえに信長が光秀を重用した(もちろん、光秀自身の才覚を信長は認めていたが)とか、本能寺の変の背後には、足利義昭の画策があったといったような説が巧みに取り入れられている。

 もちろん、いくつかの通説、たとえば、若いころの信長の「うつけ」ぶりが計算の上での行動であったとか、「天下布武」がそれまでの日本の国体を全く変えるようなものであったとか、反信長勢力が足利義昭の画策であり、光秀もその画策に踊らされたとか、あるいは秀吉の行動などにまつわる通説などが取り入れられているし、史的事実もきちんと踏まえられている。

また、「随風(天海)」が純粋に戦を嫌い、殺戮を嫌うがゆえに僧となり、その苦悩を背負っていたという姿も描かれている。戦の参謀でもある陣僧としての「天海」の姿は、きわめて純化されたものになっている。「天海」が学僧としても人格的にも優れた人物であったことが前提となって本書が展開され、こうした事柄は、歴史の検証としては少し物足りなさを感じるのだが、読み物としては面白く読める。

それにしても改めて、織田信長という人間は、それまでの日本社会の根底を覆すような極めて特異な人間であったと思う。光秀にしろ、秀吉にしろ、そして家康にしろ、信長の周りを回る衛星のように映り、作者が用いる「日輪」という言葉が指す人物が時代とともに変わってはいくが、ある意味では信長の影響下での変化といえなくもない。

「天海」は怪僧として描かれることも多いのだが、本書では、高尚な精神を持ち、学問を究め、人格者としても多くの人々から尊敬を受けていたことが記されている。信長、秀吉、家康という三代にわたる覇者たちの姿を彼との関わりの中で描くことで、当時の人々の思想傾向などを浮き彫りにしようという姿勢があって、それが本書の根幹になっている。

歴史小説の中でも、戦国武将物はどちらかといえばあまり好きではないが、それでも本書は面白く読めた。

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