2014年5月2日金曜日

熊谷達也『邂逅の森』(1)

 今年は4月末から5月のはじめに都内での会議が続いたので、いつの間にか皐月になっていたという感がある。自然を楽しめない日常には問題があるなあ、と怒涛のように過ぎ去った4月を振り返って思ったりする。まだ、生活に身体がなじまないところがある。スローに生きることを素晴らしいと思っている自分が、どだい時間的に無理がある仕事量をしているのが原因だろう。しかし、碧空のさわやかな五月、大きく背伸びをして、また始めますか。

 閑話休題。随分前に作詞家のМ氏からいただいていて、気になっていた熊谷達也『邂逅の森』(2004年 文藝春秋、2006年 文春文庫)をようやく読み終えた。この作品は、2004年に山本周五郎賞と直木賞を受賞した作品で、山岳民族の流れを汲む秋田のマタギ(狩猟生活者)を主人公にした長編である。厳しい自然と人間、そこで営まれる人間の姿、自然への畏敬を持ちながら、時にそれと対峙し、時にそれに包まれる人間の姿が主人公の人生を通して描かれる。時代は、日露戦争前後の、まさに近代化に向かう過渡的時代である。

 狩猟によって生計を立てる秋田の寒村に生まれた主人公の松橋富治は、先祖の代から伝わるマタギとして厳しい山の掟にしたがって一人前になっていく。山の掟は、自然や動物への畏敬、自然が与えてくれる恵みの賜物への深い感謝、そしてともすれば命を失うことになる危険から身を守るためのもので、それらはマタギとして暮らす人々の謙遜な生き方を映すものである。彼らは「山の神」によって自分たちの生活と人生が支えられていることをよく知り、それだけに畏怖の情も深く持っていた。生きとし生けるものの命の営み、それが山での生活であった。彼らが狩る主たる動物は、アオアシと呼ばれるニホンカモシカと熊であった。特に熊は、「熊の胆」と呼ばれる貴重な漢方薬であり、大きな現金収入の道となっていた。本書では、その熊との対決が圧巻である。

 松橋富治は、そうしたマタギとしての生活の中で一人前の鉄砲撃ちになっていく。その彼が25歳の時、地主のひとり娘「文枝」と恋仲になる。だが、本来は小作人である富治と地主のひとり娘との仲は許されざる恋であった。そして文枝が妊娠してしまったことで二人の仲が発覚した。文枝には婿になる許嫁があったといい、その許嫁が文枝のお腹の子を自分の子として育ててくれると言っているということで、二人の仲は無理やり裂かれ、富治は村を追い出されることになる。富治は文枝との駆け落ちを試みるが、それも失敗し、阿仁の銅鉱山で鉱夫として働かなければならなくなる。

 富治の人生は一変した。だが、マタギとして修練を積んできていた富治は銅鉱山でも次第に重きを置かれるようになり、やがて鉱山で働いていた大柄の小太郎という人物から「兄貴」として慕われるようになっていく。それは、小太郎が鉱山仕事の傍らで行っていた熊撃ちで、富治がマタギとしての優れた技量を発揮したからで、富治は次第に鉱山仕事ではなく、再びマタギとして生きていく道を探っていくようになる。彼のマタギとしての血が彼をマタギに呼び戻したと言ってもいい。

 そして、富治は鉱山を辞め、再びマタギとしての生活を、自分を慕ってくれている小太郎の村で始めることにする。その小太郎には、家の事情で娼婦に売られて出戻っている「イク」という姉がいた。「イク」は男好きで、ほとんどの村の男を誘っては関係を持っていたし、時折、町に出て娼婦として働いて金を稼いではまた帰ってくるという生活をしている女性だった。彼女は、いわば、その村の「厄介者」であった。富治が小太郎の家にしばらく逗留している間に、彼女と小太郎が、実は男女の関係にあることもわかっていく。小太郎と「イク」の間には、姉弟とはいっても血のつながりがなかったのである。こういう状況の中で、富治は村の長たちから、「イク」を嫁にもらうなら村への定住を認めるという条件を付けられ、「イク」をよく知るようになり、かつての恋人であった文枝の想いは抱いていたが、「イク」に結婚を申し込んで、その村で「イク」と所帯を持って、マタギとしての定住生活を始めるのである。

 富治と所帯を持った「イク」は、まるで別人のように変わった。それまでの男漁りはピタリとやみ、富治の女房としての務めを立派に果たすようになった。ある意味で、それまでの彼女が境遇に翻弄された者であったのであり、それが「イク」の本来の姿だったと言えるかもしれない。彼女は、富治との間に娘をもうけ、その娘を立派に育てた。彼女は亭主によくつくす働き者の女房になったのである。そして、富治とよく話し合った末に、その娘を嫁に出すまで、きちんと育てたのである。こうして、マタギとしての富治の17年の年月が平穏に過ぎ、富治はマタギの頭としての生活を営み続けた。やがて第一次世界大戦が勃発すると、西欧での毛皮の需要も増え、日本軍のシベリア出兵によっても毛皮の需要が伸びたりしたが、次第に主要な獲物であったアオアシ(ニホンカモシカ)の数が減り、昭和9年(1934年)にニホンカモシカが全面禁猟となったりして、次第にマタギの生活も追い詰められていくようになる。

 そんな折、突然に、かつての恋人の文枝から「会いたい」という手紙が届く。富治は「イク」に内緒で「文枝」に会いに行く。そして、「文枝」を抱こうとし、「文枝」も進んで躰を開くが、突如不能に陥ってしまう。「文枝」には、ある計算があったのだが、失敗した結果になったのである。その「文枝」の話によれば、息子が家出をし、その息子を探しに来たということであった。その息子は、「文枝」と富治との間にできた子で、自分の父親が誰かを知り、今の父親から邪険にされたことで、実の父親である富治のところに来たのではないかと、「文枝」は思っていたのである。

 「文枝」の夫になった医者は、地主であった「文枝」の父親が亡くなった後、女遊びを始め、「文枝」や息子に辛く当たるようになっていた。そして、父子の決定的な対立が起こって、「文枝」の息子が家を出たのである。

 物語はそこから富治と「イク」の夫婦の深くて豊か、そして堅い絆へと進んでいき、それから「山の神」と思われる熊との対決の深みへと展開されるが、そのくだりがおそらく本書の佳境であり主題ともなっていくので、それについては次回に記すことにしよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿