2014年5月17日土曜日

吉川英治『万花地獄』

 このところ天気と気温が目まぐるしく変わり日々が続き、今日は曇天の少し肌寒い朝を迎えた。熊本での生活にまだ少し身体が慣れないところがあって、日常の業務に追われる日々になっているが、少しずつ気候にも環境にも親しんでいくだろうと楽観的に思っている。ただ、こちらでの市立図書館の蔵書の種類が全く異なって、なるほど、地方によって蔵書の種類が異なるのかと、改めて思った。司書の人たちの好みの違いかもしれない。

 そんなことを思いながら、吉川英治『万花地獄』(吉川英治全集4 1983年 講談社)を図書館から借りてきて、古典的な冒険活劇潭として面白く読んだ。この作品は、1927年(昭和2年)1月から1929年(昭和4年)4月まで雑誌『キング』に連載されたもので、90年近くも前に執筆されたものであるが、活劇時代小説として、今なお色褪せないストーリーの展開とテンポをもっていると思う。もちろん、登場人物は、善は善、悪は悪という類型的なものだし、思想的には勧善懲悪という大衆時代小説の典型的なものではあるが、活劇潭としては、埋蔵されている甲府金(武田信玄が密かに埋蔵していたとされる莫大な金の延べ棒)の在処を巡る闘いが甲州御代崎一万石の乗っ取りを企む者との闘いとして展開され、舞台が甲州御代崎と江戸という二つの舞台での交互の展開となって、波瀾万丈の面白さがある。

 物語は、悪と欲の権化であるような御代崎藩(作者の創作であろう)の家老司馬大学によって、藩主の駒木大内記(だいないき)が不治の病者とされて藩政が私物化されている状態から始まる。司馬大学は、藩主の駒木大内記に毒を飲ませて失明させ、ものを言うこともできない廃人同様の状態にされてしまっていたのである。さらに彼は、大内記の娘の光江と、陣屋内に埋蔵されていると言われる莫大な甲府金を我がものにしようと企んでいた。埋蔵金は、「万花多宝塔」にある。それがわかったが、さらに「多宝塔」の中の秘庫を開くのに鍵が必要で、その鍵の在処を知っているのが光江であった。大学は色と欲の権化なのである。

 他方、それを阻もうと、元駒木家の家臣で剣の遣い手である小枝角太郎(さえだ かくたろう)と、かつて光江に仕えていた奥女中の「お妻」が生命を賭して司馬大学との闘いを展開していくのである。小枝角太郎と「お妻」は恋仲であった。それに「お妻」の兄で、将軍家御用達将棋の駒作りのための木材を探す飛車兵衛が助成し、さらに廃人同様になって幽閉されている駒木大内記の病を癒すために医者の幸安と弟子の少年荘八が加わる。作者は少年の描き方が巧みで、荘八は明朗闊達な少年で、吹き矢をよく遣い、すばしっこいところがあって、小枝角太郎やお妻の危機を何度も救ったりもする。

 また、角太郎が使う愛刀の国重を研ぎに出したことから、御代崎の名人研師の研八とその娘の「お吟」が事件に関わり、司馬大学の悪政に業を煮やしていた研八と「お吟」の運命を変えていく。研八は司馬大学に殺され、「お吟」も捕われ人になったりする。さらに、「お吟」も角太郎に惚れ、「お妻」のと微妙な関係を生じたりもする。角太郎にしろ、光江にしろ、あるいは「お妻」や「お吟」にしろ、すべて美男美女である。

 司馬大学の方にも凄腕の浪人の久米段之進とその毒婦の「お兼」などがついたり、縁戚として老中の水野山城守が登場して政治的な駆け引きが行われたりして、欲でつながった人間関係が出来上がっていく。

 それらに加えて、美少年とも思われる美貌の持ち主で柔術の達人で、山窩(山の民)の一党と共に強盗団を率いる花又三日之助という不思議な人物が登場し、あるときは司馬大学に、又ある時は小枝角太郎に加担したりする。彼もまた、埋蔵されている甲府金を狙っているように見えるが、実はそこには深い事情があり、本書の中では重要な役割を果たしていく人物となっている。

 物語は司馬大学の奸計によって主人公たちが陥る危機の連続で、危機一髪のところで思わぬ助けが入ることで展開されていき、最後の「万花多宝塔」の内部での死闘で決着がつく。現代の優れた時代小説のように人間が掘り下げられて描かれることは少ないが、ストーリーの展開の妙があり、エンターテイメント性は抜群である。ここでは詳細は記さないが、あらゆるところで善が忍従を強いられ、悪が勝利を収めそうであるがそうはならないという山場がいくつも作られている。よくもこれだけのことを思いつき、味のある小道具でリアリティを出したと着想の素晴らしさに感嘆する。

 この頃、吉川英治は作家として多いに売れた時代で、物語り手として脂がのった時代であった。だが、家庭的には妻の「やす」との間にひびが入りはじめ、「やす」のヒステリー症状が昂じていった頃であった。それだけにまた、作品の執筆にのめり込む度合いも高かったのかもしれない。筆運びが自由奔放で、思う存分に書いたという印象が随所に見られ、それだけでも愉しめる作品である。

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