2014年6月13日金曜日

清水義範『会津春秋』(2)

 梅雨の晴れ間となったが、蒸し暑い。でも、なかなか乾かなかった洗濯物がこれで一気に乾いてくれるだろう。だが、早いもので、こちらではもう紫陽花の季節が終わろうとしている。コブシの花が甘い香りを漂わせて清楚な装いを見せてくれている。今年はエルニーニョ現象が起こる気配があるとかで、梅雨が長引くかもしれない。ある人に誘われて夜の散歩に出ることにしているが、雨が降り続くと散歩もお休みになり、大いに残念な気がする。だが雨の風情も、大きな被害が出なければ、いいものである。

 さて、清水義範『会津春秋』(2012年 集英社文庫)の続きであるが、鳥羽伏見の戦いで敗れ、大阪からやっとのことで江戸に帰った会津藩士の秋月新之助は、会津藩江戸屋敷で商人に身をやつして江戸の様子を探っていた橋口八郎太と出会う。八郎太は、敵味方に分かれた藩どうしであるが友情は別だと言い切って新之助に会いに来たのである。そして、新政府軍と幕府軍の交戦は避けられず、会津が新政府軍と交戦するとき、相手が薩摩なのか長州なのかで事情が変わってくる。長州は積年の恨みを会津に抱いていると言う。新之助はそのことを心に留めていく。

 やがて、江戸の会津藩士はすべて会津に帰り、秋月新之助も六年ぶりで自分の家に帰る。彼には「お栄」という妻と二人の子どもがいた。「お栄」は、新之助が惚れた「お咲」が安政の大地震で死んだあとで娶った妻であるが、利発で、自分はどんなことがあっても子どもたちのために生きのびようと思っていると語る。それを聞いて、新之助は、自分も精一杯生きようと努力すると語り合ったりする。

 他方、江戸にいる橋口八郎太は、勝麟太郎(海舟)の家に出入りするようになっていた。江戸惑乱作戦のために西郷隆盛から命じられて江戸で騒ぎを起こした者たちが庄内藩兵を主力とする幕府兵に捕縛され、幕府の軍事取扱役となっていた勝海舟に預けられていたのを探るために出かけて行った時に勝海舟と出会い、その魅力に引き込まれていったのである。勝海舟は山岡鉄舟を西郷隆盛のところに使いにやる手助けを橋口八郎太に頼み、こうして山岡鉄舟が西郷に会って、江戸城引き渡しのための勝海舟と西郷隆盛の会談を整えるのである。こうして江戸城は無血開城されることになった。

 だが、その年、慶応4年は9月から明治元年となるが、会津は戦火に包まれていく。会津は奥羽越列藩同盟を結んで新政府軍に対抗するが、列藩同盟の諸国が次々と敗れていく中で、ついに新政府軍に取り囲まれて単独での戦火の火ぶたが切られることになる。会津戦争は、会津の人々にとって過酷で悲惨な結末となる。会津鶴ヶ城に籠城した人々はよく戦ったが、ついに白旗を掲げ、藩主の容保親子は謹慎となり、城内の会津藩士は米沢藩の預かりとなった。その時、秋月新之助と橋口八郎太は、互いに生きていることを確認したが、友は勝者と敗者に分かれる宿命にあったのである。

 翌年、明治2年(1869年)、多くの旧会津藩士は東京に送られ過酷を究める捕虜生活を強いられるが、6月に版籍奉還が行われたが、陸奥南部藩の一角に三万石を与えられて斗南藩の再興をゆるされる。だが、斗南藩での生活も過酷を究めた。ほとんどが激寒地での開拓に従事したが、作物はほとんど採れなかった。秋月新之助も家族を連れて斗南藩の開拓民としての生活を始めていく。しかし、絶えず耐え難い空腹に襲われ、寒さに震えなければならなかった。そして、翌年の7月に廃藩置県が発布されるに及んで、秋月新之助は家族を連れて東京に出ることを決心する。

 だが、東京で新しい生活の手段のあてがあるわけではなかった。会津に残していた自宅を処分した金もすぐに底をついてきた。幸い、「お栄」の裁縫の腕が買われ、越後屋呉服店(後の三越)からの仕事の依頼を受けるようになっていく。しかし、それでも家族四人が細々と食べるのに精いっぱいで、長男の教育にまで手が回らない状態だった。秋月新之助が習得していたオランダ語はもはや役に立たず、「お咲」の兄が営む私塾を訪ねてみても、英語が必要な時代になったと言われた。しかし、その私塾に息子の教育だけは頼むことができた。こうして日々を過ごしているうちに、秋月新之助は、偶然、陸軍大尉となっている橋口八郎太と出会うのである。そして、橋口の勧めで邏卒(巡査)の職に就くことができ、こうして秋月新之助は新しくできた警察の邏卒として働いていく。橋口との交流も再開される。東京は日ごとに代わり、世の中の流れも堰を切ったように変わっていった。だが、秋月新之助と橋口八郎太との友情は変わらずにもたれていた。

 しかし、明治6年(1873年)、西郷隆盛が突然政界から身を引いて鹿児島に帰ってしまった。表面的には征韓論争に敗れた形だった。西郷に心酔していた橋口八郎太も西郷に従って鹿児島に帰って行った。そして、西南戦争が勃発した。国内最後の内戦ともいえる。明治政府は総力を結集して西郷を潰しにかかり、警視庁の邏卒も西南戦争に駆り出されて、秋月新之助も田原坂の戦いに駆り出される。そして、その戦の前日、秋月新之助は薩摩兵として戦っている橋口八郎太と会い、最後の別れをする。新之助は銃弾に倒れた八郎太の遺体を発見する。こうして、彼らの地上の友情は終わったが、新之助は、あいつの分も生きようと思って帰京していくのである。

 作者は「あとがき」の中で、「(会津史という悲惨な歴史の中で、さらりと、しかも逞しく生きていく主人公)そんな、ぼんやりした主人公を書くことができて、こういう会津史もあってもいいだろう」(本書378ページ)と記しているが、幕末史を全般的になぞって、その中で主人公を生き生きと活かし、しかも、敵同士の友情を描いており、史的資料の裏付けもしっかりしているだけになかなかの作品になっている。文章も、切れがあって読みやすい。ただ、日本史の書物を読むようなところもあり、これで情景描写がもう少しあるということはないが、幕末の激動を追うだけでも大変な分量になるのだから、やむを得ないことかもしれないと思う。

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