2014年6月23日月曜日

三谷幸喜『清州会議』

 梅雨の重い曇り空が広がっている。こんな日はどことなく気分もすっきりせず、「ブルー・マンディー」の感がある。先週は週末に休みを取ることができなかったので、疲れも溜まっているのかもしれない。今日は早めに帰って、ゆっくりお風呂に入ろうかと思ったりもする。

 先日、映画で抱腹絶倒の面白さを見せたという三谷幸喜『清州会議』(2012年 幻冬舎 2013年 幻冬舎文庫)を楽しく読んだ。

 清州会議そのものは、天正10年(1582年)に尾張の清州城で織田家の後継者と遺領の配分を決めるために織田家の宿老(重臣)たちによって開かれた会議で、この会議によって、織田信長を討った明智光秀を山崎の戦で破った羽柴秀吉(豊臣秀吉)が後の天下取りへと台頭していく道を開いたと言える。

 本書は、その清州会議に集まった柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興、それに信長の後継者候補となって争った信長の次男の信雄、三男の信孝(神戸家に養子に入っていたので神戸信孝)、そして、信長の妹で絶世の美女と言われた「お市の方」や秀吉の妻の「寧々」、関東に出陣していたために会議に参加できなかった滝川一益、あるいはまた秀吉の軍師としての黒田官兵衛などが、それぞれにデファオルメされ、独白を語るという形で物語が展開されている。

 しかも、その独白も「現代語訳」という形で、現代の話し言葉を採用することで滑稽味を増すセリフとして記されており、それぞれの人物像によって言葉使いが変わり、会議に臨む本心が露吐されるという姿がとられて、微妙な心理の揺れが面白く描き出されている。

 会議は、信長の家臣団の中でも筆頭であった柴田勝家が、わずか10日の間に主君の仇を討って台頭してきた羽柴秀吉を抑え込むためのものでもあり、資質的に信長の後継としてふさわしいと思われた三男の信孝を推挙し、それに対抗するために羽柴秀吉が、最初は次男の信雄を推挙していたが、あまりに愚かで、最後に、信長が家督を既に長男の信忠に譲っていたことと、その信忠が本能寺の変で死んだことにより、信忠の子である三歳になる三法師(秀信)が継ぐのが正統であることを主張し、結局、その長子相続の筋目を通すことに賛同した丹羽長秀の寝返り(丹羽秀長は柴田勝家の盟友だった)などによって、結局、羽柴秀吉の主張が通る形で決着する。

 本書では、そこに「お市の方」の思惑なども絡まり、「お市の方」は、やがて柴田勝家に嫁ぐことになるが、そこに秀吉の色恋も絡んで、人物像が膨らませてある。また、何もかも承知の上で黒田官兵衛が助言をしたリする展開にもなっている。

 清州会議は織田家の後継者を決めるだけでなく、信長や明智光秀の遺領の配分を巡っても協議が行われるが、そこでも、相手の思惑を取り入れたようで、結局は天下を手中にしようとする秀吉の巧みな策略の勝利となっていく。

 歴史的には、柴田勝家と羽柴秀吉(豊臣秀吉)は、その年の終わり(1582年末)に「賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)」で争うことになり、翌1583年に秀吉の勝利となって、柴田勝家と妻となった「お市の方」は自害に追い込まれる。

 いずれにしても、清州会議というものをこれほど巧みな心理劇として描いたのは作者が初めてではないかと思う。もともと三谷幸喜は面白い脚本を書く人だったが、小説として、それを独白(モノローグ)の展開として描くところに着目点と技法のうまさを感じる。楽しめた作品であった。

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