2010年5月27日木曜日

鳥羽亮『剣客春秋 女剣士ふたり』

 昨日の午後から降り出した雨は上がったが、曇ったり陽が差したりの日になった。気にかかっていることはたくさんあるし、しなければならないことも山積みしているが、昨日、今日と、比較的いつものゆっくりとした時の流れを過ごしている。午後から難民センターを支援している方と会うことになっている。こういう活動は、できる限り支えたい。

 昨日、鳥羽亮『剣客春秋 女剣士ふたり』(2003年 幻冬舎)を読んだ。作者の鳥羽亮については、求道者としての宮本武蔵を描いた吉川英治とは異なって、比較的実像に近い勝つことに徹した兵法者としての宮本武蔵を『覇剣 武蔵と柳生兵庫之介』で描いたことは知っており、作者自身が剣道三段で、作品の中でも、荒唐無稽の殺陣ではなく、間合いの取り方や剣さばきなどが現実的に描かれていることは知っていた。作品も多数で、百冊を越えているようだ。1946年の生まれで、教員生活をしながら文筆活動を始められたらしい。

 しかし、わたし自身、歴史・時代小説が好きだとは言え、また、剣道や合気道といった武術にも多少の心得があるが、あまり戦いや兵法といった類に関心がなく、藤沢周平の「秘剣シリーズ」や池波正太郎の「剣客商売シリーズ」も、そこに「人間」が描かれているのである種の感動を覚えて読んだが、鳥羽亮については、「剣術物」というイメージがあって、なかなか手にしなかった。

 だが、本書の奥付に「人情時代小説」という謳い文句があり、読んでみて、これは「娯楽時代小説」としては傑作の部類に入る作品だと思った。この『剣客春秋』はシリーズ化されていて、既に10作品が書かれているが、本書は、その2作目である。

 物語の中心は、神田で剣術道場を開いている千坂藤兵衛と剣術の稽古に夢中になっている娘の里美、そして、その道場で剣術を習うことになった柳橋の料理屋のひとり息子で北町奉行の妾腹の子でもある彦四郎である。彦四郎は、やくざ者に襲われているのを里美に助けられ、道場に通うようになったのだが、彦四郎と里美はお互いに思いを寄せている。父親の藤兵衛は、そんな二人を見守りながら、剣術家としての日々を過ごしている。

 そこに、本書では、三河の浜島藩の内紛で父親を殺された幼い姉弟が訪ねてくる。彼らの父親がかつての藤兵衛の弟子であり、その仇打ちの助力を願いにきたのである。相手は相当の手練で、剣の使い手であり、藩内紛の一方の刺客として父親を殺したのである。上段から左手で剣を振りおろし首をはねるという独特の業をもっている。

 藤兵衛、里美、彦四郎は、幼い姉弟のけなげな姿にうたれて、二人を助けることにするが、藤兵衛は、浜島藩の内紛には関わらないようにしていこうとする。幼い姉弟は、藤兵衛のもとで歯を食いしばりながら剣を学び、藤兵衛らの助けによって本懐を遂げることになる。藤兵衛と仇との戦いの場面も圧巻である。また、浜島藩の内情を知り、これに関わらずに幼い姉弟を助けていくという藤兵衛の姿にも、自立した人間の自由と強さがある。

 本書には、里美と彦四郎の恋心の展開もあり、藤兵衛と下働きの「おくま」という日常の会話の中に、それぞれの人柄の温かみもあり、弟子で奉行所の同心やその手下となって働く人間のまっすぐさもあり、物語全体が柔らかい。なるほど、そういう意味では「人情時代小説」であるが、相当の力量をもつ作家の作品だと思った。少なくともこのシリーズは読み続けてみたい。

 宮本武蔵でふと思い出したのだが、以前、熊本に住んでいた時に晩年の武蔵がこもった金峰山というところによく行ったことがある。夏目漱石の『草枕』の山道でもある。その頃の同僚であったK氏が横浜の東洋英和女学院大学に転勤したという知らせを今日受け取ったので、なんとなく懐かしくて熊本のことを思い出した。熊本を去る時は嫌な思いもしたが、一番良い時を過ごしたのかもしれない。金峰山は良い思い出に包まれている。

2010年5月25日火曜日

白石一郎『生きのびる 横浜異人街事件帖』

 昨日一日中降り続いた雨が上がって初夏の日差しが眩しいくらいに差している。洗濯日和と思って早朝からシーツなどを洗濯した。仕事もたまっているし、日用品や食糧なども買い出しに行かなければならない。日常を送るというのはそういうことだろう。

 時代や世の中がどんなに激しく動いても、状況が変化しても、環境が劣悪になっても、したたかに生きる人の姿というものがある。昨夜、白石一郎『生きのびる 横浜異人街事件帖』(2004年 文藝春秋社)を読みながら、そんなことを思ったりした。

 これは、先に読んだ『横浜異人街事件帖』(2000年 文藝春秋社)の続編で、外国人居留区ができた開港時の横浜を舞台にした物語である。主に、江戸の南町奉行所同心だったが、悪徳商人を「強請った」ためにお役御免になり、開港したばかりの横浜へやってきて荷揚げ人足の差配をしている衣笠卯之助と、元の同僚で横浜の治安をあずかる神奈川奉行所の与力になって派遣されてきた塩田正五郎の二人が、異文化と接し始めた開港地横浜で起こる事件の探索をするというものである。しかし、事件の展開以上に、「人間の暮らし」という視点で物語が展開されていて、それがこの作品を優れたものにしている。

 第一話「ヨコハマの窃盗団」は、卯之助を慕って「小鳥屋」を営む「おゆみ」の店に小鳥を売りに来るようになった百姓の子「平太」が、家の貧しさのために異国に売られることになってしまったというところから物語が始まる。童謡の『赤い靴』を思わせるが、たくさんの子どもたちが売られ、子買いが行われていたのは事実で、「平太」はけなげに自らの運命に耐えようとする。人は自らの運命に耐えるしか術がないが、「平太」のけなげな姿が描かれ、それがよけいに悲しみを誘う。女の子は男の子よりも2~3割高く売られた。

 そこへ、卯之助の剣術道場の仲間で火盗改めをしていた正義感の強い立花源吾が横浜の治安維持のために神奈川奉行所に赴任してきて、博打、強盗、強請り、阿片、人身売買をしていた南京人(中国人)の一団と対決することになる。しかし、血気にはやった立花源吾は罠にはめられ殺されてしまう。

 そこで、第二話「上海放浪」で、衣笠卯之助と塩田正五郎は、神奈川奉行の命によって立花源吾を殺した犯人を追って上海に向かうことになる。国交も頼りになる者もなく、彼らと通詞の三人は、当時の上海の街を彷徨ことになり、罠にはめられたりするが、偶然、第一作で卯之助が助けたピーター・グレイと出会うことができ、彼の助けで犯人が「遊船」と呼ばれる売春船にいることが苦労の末に分かる。

 第三話「遊船」と第四話「逃げろ、平太」で、犯人の「遊船」を探し出した衣笠卯之助がその売春船に乗り込んで犯人と対決し、その時に、人身売買で売られていた「平太」が「遊船」の下働きとして働かされていることを知り、彼を助けることになるという展開となる。こうして彼らは無事に目的を果たし、平太を連れて帰国の途に就く。

 第五話「アラビアの占師」は、横浜で占いをしているアラビアの女と彼女を使って宝石詐欺を働く男が「おゆみ」の小鳥屋へフクロウを買いにきたことが縁で、アラビアの男のひどい仕打ちから逃げ出してきたアラビア女性を救い出すという話で、この中で、卯之助に思いを寄せる「おゆみ」が「あなたの好きな男は人と争って剣で死ぬか、銃で撃たれて死ぬでしょう。その男を守るためにガーネットの宝石をもつように」と言われて、大枚をはたいてガーネットを買う話が出てくる。そして、無事にアラビア女性を逃がした後で、そのことを知った卯之助が「ありがとよ」と「おゆみ」に言って、「占いなんぞは信じねえが、おめえの気持だけはよくわかったよ。あんまり無茶はしねえことにすらあ」と言う場面が描かれる。すると間髪をいれずに、「おゆみ」の店で働くことになった平太が「あてにならねえって!」といって笑いだす。こういう場面は、本当に光る。

 第六話「生きのびる」は、第二次長州征伐が起こって、そこに駆り出された御徒歩士のひとりが、幕軍内の理不尽な仕打ちから逃れて、甥の塩田正五郎を頼ってきたのを卯之助が助ける話で、甥は「人は生きのびるために生きている」と言うが、フランス人船乗りと南京人の人足との喧嘩の仲裁に入り、撃たれて殺されてしまう。正五郎と卯之助と「おゆみ」は、静かに亡骸を見送る。

 第七話「情けねえ」は、鳥羽伏見の戦い(1868年1月3-5日)で敗れた徳川慶喜が、幕府軍を置き去りにしたまま大阪城から夜陰に紛れて逃げ出し、官軍が江戸に迫ってきたことで、奉行所与力としての塩田正五郎は江戸城にこもるために江戸に帰ると言いだす。卯之助も、元同心として正五郎と共に江戸に行くという。しかし、横浜は駐留している各国が自衛手段を講じ、神奈川奉行所もその働きをすることとなり、そのうちに江戸城の無血開城となって機を逃す。

 当時の横浜は、幕府が転覆しようが戦争が起ころうが、一種の治外法権地として、変わらずにその日常の中にある。官軍も横浜には手を出すことができない。第一作で登場したオランダ人のハンカラさんがホテルの料理長として戻ってきたり、フランス人の船長に乱暴されそうになった「おゆみ」を助けたりする日常が続く。そして、江戸城が無血開城された後、横浜の治安が官軍の手によって行われることになったことを機に、塩田正五郎は、上野の彰義隊には加わらないと言いながら家族のいる江戸へ帰り、卯之助は、子どもができた「おゆみ」と横浜に残ることになる。

 ここでも、江戸に行くだろうと察した「おゆみ」が、「あなたが江戸へ行くなら、わたしも行きます。あなたが死ぬなら、わたしも死にます」と言う。こういう気持ちで生きている人間が不幸になるわけはなく、卯之助と、そして下働きの平太と、横浜に留まって日常を送っていく最後が光っている。

 また、別れることになった正五郎と卯之助の最後の会話で、「三百年も続いた江戸の旦那でさえ、あっという間に江戸から追い払われて消えちまった。確かなものなんて、この世にはねえということがよくわかったよ」(306ページ)と語りあい、「こうなってみると、子供ぐらいしかおれ達のような男にとって、確かなものはねえんじゃないかという気がするんだ」と正五郎が言って、「いわれてみれば、そんなものかもしれねえな」と卯之助が答えるくだりが、作者の真骨頂ではないかとも思う。

 人は、したたかに、そしてしなやかに生きていく。そして、愛し、愛される者があればそれでいい。歴史も、政治も経済も、そして社会構造も、世界が抱える問題も矛盾も、課題も、あるいは科学技術や知識、能力も、それはそれで大きな課題や問題ではあるが、「そんなもの」よりも、「愛し、愛される者」があれば、それでいい。ただ、わたしの場合、対幻想の「対」が身近にないので、それが難しい。

2010年5月23日日曜日

鈴木英治『父子十手捕物日記 情けの背中』

 朝から雨が降り出した。ふだんなら柔らかな雨と言えるかもしれないが、水しぶきを上げて疾走する車の騒音がかなり喧しい。ここでは静かな日々は望むべくもないが、こんな日はぼんやりと雨を眺めながら、喪失感と諦念を抱え込んで、モーツアルトを聞きながら、カントやパスカルやキルケゴールのことなど、実人生にあまり幸福感を感じなかった人々について考えたい。

 「先週はどうでしたか」
 「あまりいいことはありませんでした。だいたいいいことはないですね」
 という会話が耳に飛び込んできた。

 それでも、友人の息子のT君が七月に婚約するという。人生の伴侶を得ることは本当に素晴らしい。共に生きてくれる人がいるということほど素晴らしいことはない。齢を重ねて独りでいるとそのことの大事さがつくづくとわかる。大いに祝福したい。

 昨日、用事で小平まで行くのに渋滞で往復5時間もかかってしまい疲れ果てていたのだが、昨夜、鈴木英治『父子十手捕物日記 情けの背中』(2008年 徳間文庫)を読んだ。これは奉行所の名同心と言われた御牧丈右衛門(みまき たけえもん)と、その後を継いで優れた明察力をもつ息子の文之介(ふみのすけ)が江戸市中に起こる事件を解決していくシリーズで、巻末につけられている「著作リスト」によれば、本書が刊行される前に既にこのシリーズだけでも10作が出されている。

 鈴木英治という作者は、奥付によれば、1960年に沼津で生まれ、1999年に『駿府に吹く風(改題 『義元謀殺』)で角川春樹小説賞特別賞を受賞して作家としてデビューされ、以後、多くの歴史・時代小説のシリーズ物を書かれているようだ。

 わたしはこの人の作品はこれが初めて読む作品であるが、少なくともこの作品は、歴史的考察の実証はともかくとして、捕物帳ものとしては、主人公である同心親子の姿やそれぞれの恋模様などもあって、娯楽小説として面白いと思った。

 主な登場人物は、名同心として知られる御牧丈右衛門と、彼が信頼を寄せる彼の上司で盟友でもある与力の桑木又兵衛、丈右衛門の後妻となるお知佳、父の後を継いだ文之介と彼の友人であり大きな助けとなる下働きの勇七、文之介が思いを寄せる幼馴染みで味噌問屋の大店の娘のお春、そして本書では極悪非道な悪人で、悪計を働かせて御牧親子を狙っている嘉三郎などであり、本書では、その嘉三郎の悪計で、お春の味噌問屋の味噌に毒味噌を混入して死人を出したために捕縛されたお春の父の救出のために親子が奔走し、ついに嘉三郎を捕えるというものである。

 この中で、自分の家の味噌から死人が出、父親が捕縛されたことから、娘のお春がひとりで嘉三郎の行くへを探すために家を出てしまい、文之介は案じるが、そのためにも嘉三郎を探すことに奔走する。個人的に、もしわたしだったら、惚れたお春を最初に探し出すことに奔走するだろうと思うが、彼は元凶の嘉三郎の足取りを探し、捕縛へと向かう。こういう発想の相違もあるなぁ、と思いながら読むことができた。

 それに、作者はどうやら食べ物に関心が強いらしく、江戸時代の京都の名物産品を記した『京洛名品綱目』なども小道具として登場する。そして、文体はとても簡素である。文章やそれが描く情景、心情といったものよりも物語の展開に重点が置かれているが、日常の何でもない会話が記されていたりもする。この作品が「書き下ろし」であるので、そういう推敲がなされない点が少し残念な気もするが、シリーズ物としては面白いだろう。

 今日は午後から巣鴨に行く用事もあったのだが、図書館に本を返却しなければならないので、勝手にやめにした。日曜日は図書館の開館が5時までだから、少し急いでこれを記した。

 さてさて、傘をさして出かけるとするか。

2010年5月22日土曜日

宮部みゆき『かまいたち』

 暑さを感じるほどの日々が続いた。気の重い日々の中で、つくづく孤独を感じたりもしたが、アメリカのテレビドラマシリーズの「Dr. House(ハウス)」のラストシーンで、自ら招いたことであるとはいえ真意が理解されずに、彼が信頼したすべてのスタッフが彼のもとを去り、「自分は平気だ」と言いつつも、独り、新しく購入したギターを抱えている場面を、ふと思い起こしたりした。

 最近は、この秋に予定していた「カフカ論」の話を、急遽、6月にすることにしたので、「カフカ論」に取り組んでいるが、F.カフカという人は、父親との確執があったとはいえ、あるいはまた、病を抱えたとはいえ、作品の深みとは別に、けっこう恋多き人であり、それなりに幸せだったのかもしれないと思ったりもする。もちろん、彼の人間の捉え方には非常に深いものがあるし、それが人間の苦悩から出てきているのだから、彼の精神の深みは相当なものだったが。

 仕事の往復の飛行機の中で、宮部みゆき『かまいたち』(1992年 新人物往来社)を読んだ。これは、作者の初期の頃の短・中編から表題作の「かまいたち」、「師走の客」、「迷い鳩」、「騒ぐ刀」の四編を集めたもので、珍しく作者自身の「あとがき」があり、それによれば、1986-1989年の作品のようである。

 このうちの最後の2編「迷い鳩」と「騒ぐ刀」は、後に『霊験お初捕物控』のシリーズとして昇華されたものの最初の頃の作品で、根岸肥前守の『耳嚢』から採られた題材が、「お初」という、人の怨恨の見えないものが見えるという力をもつ娘を主人公に、自由に、そして物語豊かに展開されているものである。

 第1編「かまいたち」は、江戸市中を恐怖に陥れた「かまいたち」という異名をとる辻斬り事件に関連し、町医者の娘が試行錯誤を繰り返しながら真相を探っていくというもので、大岡越前守の「耳」として下働きする男を犯人だと思いこんだり、その男に魅かれていったりして、これが初期の作品であるとすれば、作者の並外れた物語作者としての技量がいかんなく発揮されている。事件の真相に迫っていく人々の心情の中心が「思いやり」であるのも素晴らしい。また、眼光鋭いやり手の同心が事件の黒幕であったり、凡庸に見える同心が「切れ者」であったりするのもよく、作者の構成力は相当なものだと思わせられる。

 第2編「師走の客」は、本作品集の中では最も短いものだが、千住でまじめに働く小さな旅籠を巧妙な方法で騙していたが、結局は大損をすることになる男の話を中心にして、つつましやかに生きる人々のささやかな希望と人の良さが、結局は救いとなる話である。

 第3編と第4編については前述した通りだが、「迷い鳩」はろうそく問屋の主人が次第にやせ細り、その主人の世話をする女中が殺される事件に遭遇した「お初」が自分の能力に気づき、周囲の次第にそれを認めざるを得なくなっていく中で、岡っ引きをしている兄の六蔵と植木屋になっている次兄の直次が、お初がいう通りに事件を解決していく話で、ここではお初と根岸肥前守との出会出会いが描かれ、連作の序章としては膨らんだ内容をもっている。

 「騒ぐ刀」は、『耳嚢』の中の話を元に、夜中に騒ぎだす刀の処理を頼まれたことから、その刀のもつ因縁で、もう一つのついになっている狂刀による殺人の真相を「お初」、六蔵、直次の兄弟が暴いていく話である。人物の設定が実にしっかりしているから、展開に味が深まるし、人間の欲と怨念の凄まじさも良く表わされている。

 前述したように、これらは『霊験お初捕物控』として続編が、お初が思いを寄せる青年など、また違った人物が登場して味のある物語として展開されている。

 これらの宮部みゆきの作品は、人間のおぞましさや悲しさが取り上げられているし、深められているが、かといって「暗さ」はない。それは、彼女が設定する中心人物たちが実に爽やかな人間たちだからだろう。文章も軽快でいい。彼女は取り扱うジャンルが広いが、少なくとも歴史・時代小説は、どれも味のある面白さが全編に漂っているし、人間の理解もかなりのものがあるように思われてならない。平岩弓枝に似ていると少し思ったりもする。

 2~3日留守をすると仕事もたまるし、仕事の電話もお構いなしにかかってくる。しかし、一応の予定が終わったので、気分は別にしても、来週は少し日常が取り戻せるだろう。いつものように気を抜いて時の流れを感じたい。

2010年5月17日月曜日

白石一郎『横浜異人街事件帖』

 晴れて爽やかな風が吹いている。日中は汗ばむほどで、ようやく初夏の香りがしはじめた。早朝から掃除や洗濯などの家事をして、午後は急用で銀座まで出かけ、仕事がたまっていたのですぐに帰り、銀座でコーヒーの一杯でも飲んでくれば良かったかな、と少し思ったりした。

 土曜日の夜から白石一郎『横浜異人街事件帖』(2000年 文藝春秋社)を読んでいた。独特の味のある、そして優れた幕末期の横浜で起こった物語で、幕末を描いた通常の視点とは異なり、開港後まもなくして横浜に住み始めた人々の視点から歴史が眺められている。

 アメリカのペリーが浦賀に来航した、いわゆる黒船騒動が1853年で、日米修好通商条約によって横浜が開港されたのが1859年、薩摩藩士によってイギリス人が殺された生麦事件が1862年で、本書にはこの生麦事件が登場している(第三話「わるい名前」)ので、本書が記されている年代は、その前後の外国人居留地ができ、商店が並び始め、繁栄の兆しが見え始めたころの出来事である。昨年、横浜開港150年ということで、「横浜開港資料館」にいって、そこの学芸員の方にお世話になったこともあり、この当時の横浜についての記憶が新しくなっていることも幸いして、面白く読んだ。

 本書は短編連作で、「岡っ引き」、「ハンカラさん」、「わるい名前」、「南京さん」、「とんでもヤンキー」、「阿片窟」、「エゲレスお丹」の7編からなり、元南町奉行所の同心で、人助けのために悪商人に「強請り、たかり」をした罪でお役御免となり、開港したばかりの横浜へやってきて荷揚げ人足の差配をしている衣笠卯之助が中心となって、その当時の横浜で暮らす人々の姿が描き出されていく。

 この主人公の衣笠卯之助の登場の仕方は、極めてありふれている。暴れ馬が失踪して踏み殺しそうになった母娘を柔術の心得のある卯之助が助けるというもので、これはどうかな、と個人的に思ったが、元同僚で横浜の治安をあずかる神奈川奉行所の与力の塩田正五郎が隠密廻り同心になってほしいと依頼してきて、それを断り、岡っ引きとして働くことになるという舞台設定がされ、その際、同心時代に面倒を見てきた娘が彼を慕って横浜に来ており、その娘に「小鳥屋(KOTORIYA)」を出させてやりたいためにその仕事を引き受けるというあたりで、主人公の人間味が良く表わされて、引き込まれるように読んでしまった。

 収められている7編は、どれも味わいのある作品であるが、第2話「ハンカラさん」は、オランダの貧しい漁師の四男が苦労して育ち、船のコック見習いとして日本にやってきて、横浜でホテルの料理見習いとして働き、料理長からは「ぐすだ、のろまだ」と罵られるが、弱いくせに争いに仲裁に入ったり、攘夷をとなえる浪人の刃からイギリス人を守ったりするが、結局、ホテルをくびになり、「KOTORIYA(小鳥屋)」に愛鳥の九官鳥を残して、上海かマカオに向けてまた船出していくという話である。

 外国人居留地に住んだ商人たちではなく、そこで働く下働きの人間の姿が、このようにして描き出される。同じように失意の人間の姿を描いたのは、第七話「エゲレスお丹」で、生糸商人の妾として横浜に住んだ女が、生糸商人が亡くなった後、イギリス商人と暮らすようになり、攘夷の嵐が吹き荒れる中を平然とイギリス婦人の格好をし、苦労した日本を去って、ただただ「異国(イギリス)」へ行くことだけを望みとしていたが、病で死んでしまうのである。

 衣笠卯之助は、攘夷や天誅を叫んで闇雲に異国人を殺していた浪人から彼女を助けたことがあり、彼女の望みがかなうことを願うが、それは適わない。

 また、第三話「わるい名前」は、生麦事件を起こした薩摩藩が「犯人」として解答してきた書状に知りされていた名前と同じ名前の男が、脱藩浪人の「みえ」から、自分が犯人だと言い張るが、衣笠卯之助も与力の塩田正五郎もそれが嘘だと見抜き、また、神奈川奉行もそれを見抜いていくという話で、人間のもつ「みえ」のつまらなさが余すところなく描かれている。

 第四話「南京さん」、第五話「とんでもヤンキー」、第六話「阿片窟」は、当時横浜に住んでいた「南京さん」と呼ばれる中国人、「ヤンキー」と呼ばれる楽天家で気の良いアメリカ人、そして、画策されていた阿片による儲け話などが描かれ、開港当時の横浜ではさもありなん、と思われる事件が、「人を大事にする」主人公の衣笠卯三郎の立場で解決されていく。

 これらは、一味違った幕末の庶民史である。そこに生きている人間の側から歴史をみるという視点は、この作者の優れているところだと、つくづく思う。読みながら、歴史にはこういう視点が必要だと思い続けた。もちろん、文章も切れが良いし、展開も見事である。こういう作品は本当にいい。続編があるらしいので、ぜひ読んでみたい。

 明日から、ちょっと厄介な仕事が始まる。世をすねて、人を軽蔑し、しかも小さな権力をもって振り回す人間とも会わなければならない。気の重いことである。

2010年5月15日土曜日

岩井三四二『浪々を選びて候』

 晴れてはいるが気温が上がらずに肌寒い。昨日、仙台の理事会から帰宅して、今日は早朝からたまった仕事を片付けていた。日々がこうして去来するのをぼんやり感じている。

 先日、図書館で書名に魅かれて借りてきていた岩井三四二『浪々を選びて候』(2003年 講談社)を面白く読んだ。

 この作者のものも初めて読んだが、奥付によれば、1958年生まれで、96年に作家としてデビューし、いくつかの賞を受賞されているらしいし、史実に基づく歴史小説が主で、おもに南北朝から安土桃山時代の戦国時代が中心で、歴史的に高名な人物ではなく、時代に翻弄され続けた人間の挫折や悲哀、生き残るための必死の姿が描き出され、こういう人物への視座が好感を持てる。

 この『浪々を選びて候』も、やがては織田信長に滅ぼされていく美濃の斎藤家の家臣であった日根野弘就(ひねの ひろなり)の人生を描いたもので、弘就は、自分の思いや考え、戦略が通らずに、斎藤家の滅亡を目の当たりにし、斎藤家の滅亡によって地位も財産も失い、己一つを頼りにしなければならなくなる。彼は、次に屈辱を感じながらも今川家に仕えるが、そこでも主家の堕落を目の当たりにし、結局、今川家も信長に滅ぼされる。彼はそこでも生きのびる。そしてまた浅井家に仕え、見通しの甘さを感じつつも滅びの中にあり、長島の一向衆の中に逃れていくが、それも信長に滅ぼされ、かろうじて生き延びていく。

 日根野弘就は、知も武も優れた人物であったが、滅びの中をさすらっていくのである。そして、滅んでいく人間の姿が彼の目を通して描き出されていく。そこには、乱世であれ平穏な社会であれ、挫折し、生き延びるために手だてを尽くさなければならない人間の悲哀が克明に記される。己一つを頼りにしなければならない人間の挫折と悲しみが、このすぐれた武将を包んでいく。

 そして、最後は、宿敵と思っていた信長に命を助けられ、意に沿わないままに信長に仕えていくことになるが、その信長も本能寺の変で殺され、その時京にいた弘就は、胃痛のために本能寺に行かなかったことによって、また生きのびることになる。滅びの中にあっても、天は彼を見放さずに、彼はかろうじて生きていく。

 日根野弘就が斎藤家の奉行として力をふるっていた時には、信長はまだ尾張の小大名に過ぎず、「うつけ」と言われていた。しかし、信長が隆盛し、巨大化していくに比して、弘就は、中年後に職を失い、適うことのない現実を抱え、一族や家族との葛藤を抱え、かろうじて生き延びる道をたどる。そういう人間の姿が、それぞれの戦の中で描き出されていくのである。

 この作品は、後に『逆ろうて候』と改題され、弘就の全生涯が加筆されて講談社文庫から出されているらしいが、本書だけでも、失い、挫折し、時代の中で翻弄される人間の姿がよく描かれている。

 上昇志向をもつ人間は哀れであるが、本書は日根野弘就が、上昇志向というよりも、生き延びる手段として各地の主家の間を放浪していく姿として描かれているのがいい。望まない生き方を強いられる人間の姿は、わたし自身を含む現代人の姿としても身に迫るものがある。戦国時代の人間にあまり関心はないが、この作者の他の作品も読んでみようと思う。

 あえてゆっくりと「時」を過ごそうと思い続けているので、今日はそれを取り戻したい。来週はまた忙しくなる。やむを得ないとはいえ、どうもこのところ五月は忙しくなっている。

2010年5月12日水曜日

出久根達郎『御書物同心日記』

 昨日、静かに雨が降った。古の人々は今日のような雨を小糠雨と呼んだ。早朝から起き出して、雨の雫が流れ落ちるのをぼんやりと眺めたりしていた。「対立」で始まった20世紀が、その構造を引きずったまま「批判」という姿を変えて人間の精神を蝕んでいるが、「受容」と「共生」へどうしたら向かうことができるだろうか、などと大それたことを考えたりしていた。「正-反-合」の弁証法を駆使したヘーゲルは、やはり間違っていたのかもしれないとも思う。

 深い理由もなしに、何気なく図書館の書架で目についたというだけの理由で借りてきた出久根達郎『御書物同心日記』(1999年 講談社)を読んだ。この作者のことは全然知らなかったが、本の奥付によれば、1944年生まれで、1992年に『本のお口よごしですが』で講談社エッセイ賞を受賞し、1993年に『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞している。中学を卒業して集団就職で上京し、古書店に努め、1973年に独立して杉並で「芳雅堂」という古書店を営む傍ら作家活動を続けておられるらしい。

 そのためだろうが、書物そのものについての関心と含蓄が深く、本書も、「紅葉山文庫」と称される徳川家の蔵書を管理した「御書物奉行」、特にその配下であった「御書物方同心」の姿を描いたものであり、主人公も古書に強い関心をもって、養子となって「御書物方同心」として勤めることになった青年御家人である。

 実は、昨日、上記のところまで書いていた。そして、先週の金曜日に召天されたT夫人の葬儀に向かったので、以下は今日改めてその続きから書くことにする。曇って、すこし肌寒い。

 『御書物同心日記』は、その青年御家人が「御書物方同心」として出仕するところから始まるが、当時の「御書物方同心」がいかに細心の注意を払って「紅葉山文庫」を管理していたのかが詳しく述べられ、秘蔵であるはずの蔵書の写本が流出する事件や嫁探し、そこに務める者の人間関係などが小さな山場として描かれ、特に書物の虫干し作業で苦心していく姿が軽妙な文体で語られている。

 作者自身の「あとがき」で、「書物方同心にとって、最大の行事は、土用の虫干しであった。もしものことがあるとお咎めを受けるので、緊張の連続だったろうが、一方、本好きの同心たちにとって、秘蔵の珍本を拝める機会であり、大いに楽しみであったろう。・・・わくわくと胸をはずませながら、書物を陰干ししただろう。むろん、中には、こんな仕事を苦にする者もいただろう。世襲ゆえ、仕方なくつとめていた者もいたはずだ」(265ページ)と述べられているが、本好きの同心、仕方なくつとめている同心などが、本書の登場人物たちである。

 物語の展開の中で、いくつかの小さな山場はあるが、何か大きな事件が起こるわけでもなく、日常の姿が語られていく。人の生涯の中で、それこそ「映画や小説のような劇的な出来事」が起こることは稀で、むしろ、多くは淡々と日常が織りなされているわけだから、その意味で、作者が「物語の面白さ」への欲求を抑えて、ごく普通の日常を描き出そうとしていることはよくわかる。

 しかし、そうだとしても、読者として少し物足りなさも感じる。途中で、「なんだかこのまま終わりそうだな」と思っていたら、そのとおりで、私見ではあるが、もう少し人間が深く描かれていて欲しいとも思う。小説に代表される文学は、思想性を深めていくというのでは決してないが、何よりも生きた人間を描くもので、作中に描かれる主人公たちの姿が、もう一つ鮮明に浮かんでこないような気がしたのである。この作品が決して優れていないわけではないが、優れた時代小説は、情景を表わす言葉ひとつにも、ただ単に情景描写に留まらずに、万感の思いが込められている。

 もたれている古書に関する知識や「御書物同心」という職務に関する知識が駆使されて、それが物語の構成要素となっているが、わたしが好む「情の展開」はあまり見られない。もちろん、こうした作風を好む方もおられるだろうし、それはそれで意味のあることだとは思う。この作者の他の作品も読まずに言うことは、もちろん、できないことではあるが。

 今日は、少し疲れを覚えて、頭脳が半分しか機能していないような気もする。こんな日はきっとぼんやり一日を過ごしてしまうだろう。「あれも、これも」とただ思うだけかもしれない。フルートの高音域の音がどうしても鮮明に出せなくなっているので少し練習しよう。いくつかのところに連絡を入れることも忘れないようにしよう。

2010年5月8日土曜日

白石一郎『火炎城』

 連休の間、朝から夜までの会議が4日間も続き、いささか疲れを覚え、掃除や洗濯などの家事もたまっていたが、7日の朝、敬愛していたT夫人の訃報が入り、急いで病院の霊安室まで駆けつけた。まだ、いつもと変わらず眠っておられるような尊顔を拝し、天寿を全うされたのだとつくづく思った。享年91歳だった。T夫人は、あまり物事にこだわらない大らかな性格で、生きることを楽しむことができるモダンなおばあさんだった。葬儀のためのいくつかの手配をし、静かに冥福を祈った。

 夜は、中学生のSちゃんが訪ねて来てくれたので、数学の関数の話などをし、ヴァイオリンの上手な彼女からモーツアルトの「ヴァイオリン協奏曲5番」の話を聞いたりした。

 連休中の会議の往復の電車の中で、白石一郎『火炎城』(1974年 講談社 1978年 講談社文庫)を読んだ。これは、戦国時代のキリシタン大名として知られる大友宗麟(義鎮-よししげ 1530-1587年)の生涯を取り扱ったもので、大友宗麟が大友氏の第21代当主となるところ(父と義母によって異母弟に家督相続の画策が練られる中で、重臣の反乱によって義母と異母弟が殺されるという「二階崩れの変」と呼ばれる事件で、大友氏の家督を相続することになる)から宗麟の死までが物語られている。

 大友宗麟は戦国大名の中でも特異な存在で、戦略家の武将として薩摩の島津家を除く九州のほぼ全域に渡る守護職となるほどの勢力を拡大しながら、一方で手当たり次第に美女を自分のものにしたり、そのために京都に家臣を派遣して美女狩りのようなことをさせ、家臣の妻女にまで手を出したりして酒色に溺れ、それが原因で家臣の反乱を招いたりしたが、他方では、禅に救いを求め(「宗麟」という名は、それによってつけられたもの)、さらには、山口にいたフランシスコ・ザビエルを招いて話を聞き、感銘を受け、やがてキリスト教の洗礼を受けてクリスチャンとなり、キリスト教を保護して、「キリシタン王国」の建設を夢み、伊藤マンショを天正遺欧少年使節団としてローマに派遣したりした。

 彼は二度離婚し、最初の妻は二度目の妻「紋」と結婚するために無理に離婚したのだが、二度目の妻「紋」とは不仲となり争いが絶えず、宗麟がキリスト教に傾倒していくにつれ、妻「紋」が伝来の神仏保護を訴えたりして、夫婦間の争いが宗教を巡る対立ともなって、それが家臣を二分することにまで発展するという事態となっていったりした。そして、キリスト教の洗礼を受けて後は、「ジュリア」という洗礼名をもつ女性を妻として迎えている。彼がキリスト教の洗礼を受けて後は、彼の行状は一変していくが、時代も状況も激変して、大友家は豊臣秀吉の庇護のもとでかろうじて豊後一国の大名となっていく。

 大友宗麟という人は、戦国時代という下剋上の社会の中で不信と権謀が渦巻く時に、自らも戦国武将として生きながらも、常に「何か確かなもの」を求め続けた「求道者」のような人だったような気がする。親も兄弟も、家族も妻も信じられない中で破天荒と言われるほどの酒色に溺れ続けたのも、禅宗に向かったりキリスト教に向かったりしながら、その「確かなもの」を探し続けたように思えてならない。そして、彼がたどりついた地平が罪のゆるしと救いを語るキリスト教信仰の平安であったことも、そうした「求道者」としての大友宗麟の姿を物語っているように思えるのである。

 もちろん、彼がキリスト教信仰に入った理由には、純粋にそれだけではなく、当時の社会状況や経済状況もあるだろうし(貿易や戦力としての鉄砲・火薬の獲得)、優れた南蛮文化の導入や、病院(おそらく日本で最初の総合病院を宗麟は宣教師とともに設立している)や孤児院などの社会福祉という視点も領内の統治上の重要な役割を果たしているだろうが、宗麟というひとりの人間としての生涯を思うと、彼が「何か確かなもの」を求め続けた人だったように思われてならない。もっとも、彼に洗礼を授けたフランシスコ・カブラルという宣教師のキリスト教理解は、私見ではあるが、ひどいものだった。

 白石一郎『火炎城』は、そうした大友宗麟の姿を丁寧に描きながら、その苦悩の姿を描き出している。宗麟が自分の内的必然からキリスト教の洗礼を受けることによって、周囲の軋轢と大友家の衰退を招くことになるが、「脳乱」とまで言われた破天荒な人生を歩んだ宗麟が抱えた苦悩が、ここでは見事に物語られている。そして、作者はその姿を、人物にのめり込んでではなく、冷静に、客観的に叙述することによって描き出していく。それゆえ、宗麟の最後の姿を伝える次の一文は、波乱から平安に向かった姿として光っている。

 作者は、宗麟の生涯を閉じるにあたって次のように書く。

 「宗麟の死は、孤独であった。その時、側にいたのはお孝(三度目の妻で、ジュリア)のみで、そのお孝が、いつにないまどろみからふと眼ざめたとき、宗麟はすでにつめたくなっていた。
 五月二十三日の夕刻である。」(文庫版 486ページ)

2010年5月2日日曜日

宮部みゆき『震える岩 霊験お初捕物控』

 連休が始まって良い天気が続いている。どこかに出かけるには最適だろう。とは言え、毎年のことではあるが、五月の連休は朝から夜までの会議がずっと続いて、都内の会議場との往復の「しんどい」日々ではあるが。

 金曜日(30日)に「日本モーツアルト協会」というところのI氏が訪ねてくださって、今年、この協会が主催する演奏会の案内を下さった。上野の東京文化会館で数回の演奏会がもたれるとのことであるが、スケジュールの都合がつくかどうか。

 金曜日の夜と土曜日の夜にかけて、宮部みゆき『震える岩 霊験お初捕物控』(1993年 新人物往来社)を面白く読んだ。これは、以前に読んだ『天狗風 霊験お初捕物控(二)』の前作に当たるもので、都合よく図書館の書棚に並んでいたので、借りてきた次第である。

 読み終えて、改めてこの作者の想像力の豊かさに脱帽した。これは、江戸中・後期に南町奉行として活躍した根岸肥前守鎮衛(1735-1815年)の有名な『耳嚢(江戸市中の事件や奇談を聞き集めたもの)』のいくつかから題材を採り(本文中でも『耳嚢』巻の六「奇石鳴動の事」について記されている)、そこに記されている奇石が鳴り動いたのが、忠臣蔵で有名な浅野内匠守が切腹させられた田村家であることから赤穂浪士の討ち入り事件の忠臣蔵で知られる物語とは異なった視点の展開と、播州赤穂市の浅野家の菩提寺である花岳寺にある「義士出立の図」で後ろ向きに描かれている義士のひとりを登場させ、そこに主人公「お初」の姿や「右京之介」の姿を、人間の情念や怨念と絡ませて展開しているものである。

 「お初」は、捨子であったが、拾われた夫婦によって家族同様にして育てられた。しかし、お初の養父母は火事に会い、幼いお初だけが不思議に助かる。そして、養父母の子であって、義理人情に厚い兄の六蔵夫婦によって、妹として成長した明朗で少し気の強い娘で、人の見えないものを見、聞こえないものを聞く不思議な能力を持っている。その能力を買われて、南町奉行であった根岸肥前守の手助けをしている。

 そのお初が根岸肥前守から見習与力として働いている古沢右京之介の世話を頼まれるところから物語が始まっていく。古沢右京之介は、「赤鬼」と呼ばれている武骨な吟味与力の息子であるが、父親と全く異なって、丸眼鏡をかけた頼りなげな男であり、父親の後を継いで与力の職を継がなければならないが、本人は、算学(数学)の道に進みたいと密かに願っていて、父親との間の葛藤も抱えている。彼は剣の腕前はないが、頭脳は明晰であり、飄々として、お初の不思議な能力も、それとして認め、お互いに協力し合って事件の真相を暴いていくのである。

 事件の核心は、人間の怨念であり、その怨念によって子どもが殺されていく。その怨念は、徳川綱吉の「生類憐みの令」で改易され、世に受け入れられないことで歪んでしまった侍の魂にほかならない。お初と右京之介、そしてお初の兄の六蔵は、その怨念に彼らの温かい「情」で対峙していく。

 その物語の展開の仕方が、実に巧みで、お初と右京之介の間に芽生える恋心や自分の道を歩もうとする右京之介の決断などが横糸として織り込まれているので、物語が次へ次へと展開していく。物語作者としての技量がよく表わされ、時代と社会の歴史的考証も巧みに取り入れられている。

 宮部みゆきの作品は、まだ、時代小説を数冊読んだだけであるが、まことに「うまい」作家だとつくづく思う。

 昨夜一時間ほどしか眠らなかったので、今日は、本当に「しんどい」。外は晴天で、外出にはもってこいなのだが、明日からこれを書く時間が取れないだろうから、これを記して、ちょっとひと眠りすることにした。