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2014年3月13日木曜日

高田郁『花散らしの雨 みをつくし料理帖』

 昨日は春の陽気だったが、今日は朝から雨模様で次第に風雨共に強くなってきた。朝からT大学に出かけていたが、帰りは傘を斜めにさして歩くような状態になった。春の嵐で、この嵐の後に一気に春めくかもしれないとも思う。

 さて、高田郁『花散らしの雨 みをつくし料理帖』(2009年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を、前作『八朔の雪』に続いて読んでみた。最初の感想は、前作よりもずいぶんと文章にしろ、構成にしろ、あるいは描写にしろ、優れているという思いだった。『みをつくし料理帖』は長いシリーズものになっているが、本作あたりから、このシリーズが、単なる成功譚を少し越えたものになっているところが感じられた。

 主人公「澪」は、災害で両親を亡くした天涯孤独の身であるが、大阪一の料理屋で育てられて料理の腕を磨いていたが、その料理屋も火事で焼け、江戸に出てきて、彼女を育ててくれた料理屋の主人は心労のためになくなるが、女将を母とも慕い、やがて、ふとしたきっかけで、「つる屋」という蕎麦屋で働くことになり、料理の腕を発揮していくことになる。だが、その「つる屋」も、一流料理店「登龍楼」の板長の妬みのために火事で失ってしまう。「澪」は、どこまでも苦労の多い運命に翻弄されて生きる女性であるが、しかし、明るく、健気に、そしてできることを一所懸命にしていこうとする女性である。

 本作は、九段坂の下で再建された「つる屋」に店主の種市を助けるために下足番として雇うことになった「ふき」という少女の登場から始まっていく。「ふき」は、両親を亡くし、前の奉公先の煮売り屋が潰れて、路頭に迷う寸前で、口入れ屋を通して雇うことになった十三歳の少女だが、骨惜しみせずによく働く女の子だった。「澪」は、「ふき」の境遇に自分の境遇を重ね合わせて、「ふき」のことを可愛がっていく。

 季節は春で、「澪」は、どこにでも芽吹いている蓬や雪の下を使った天ぷらを考案し、これが評判をとっていく。ところが、「登龍楼」でも同じ料理が出されているという。次に「三つ葉」を使った料理も工夫する。だが、これも「登龍楼」で出されているという。「つる屋」の客となった戯作者の清右衛門が「澪」の料理や「つる屋」にそれを手厳しく指摘する。「ふき」の下足番の仕事ぶりが「登龍楼」のものと同じであるところから、「澪」は、「ふき」のことを口入れ屋に聞きに行く。

 「ふき」は、煮売り屋で働く料理人の娘で、その煮売り屋は繁盛し、日本橋に店をかまえるまでになったが、人に騙されて莫大な借金を背負わされ、それを返そうと無理を重ねて「ふき」の父親が亡くなり、母親までもが一年もたたないうちに亡くなって、幼い弟と二人残され、父親の借金を返済するまで日本橋の店に奉公することになっていたことがわかっていく。その日本橋の店は「登龍楼」だった。その板長が、弟が奉公できる年齢になったので、「ふき」を「つる屋」に出すように頼まれたのだという。

 だが、「澪」は、そのことを心にしまうことにする。自分も大阪で料理屋の女将だった「芳」に愛情をかけてもらって生きることができた。血の繋がりがなくても「幼子を見守り、愛情をかけてくれる存在があれば、きっと生きていける」(57ページ)と、「ふき」に愛情深く接することを決める。「芳」もそれを察知して、「ふき」が「澪」の料理を「登龍楼」に密告していることを伏せて、「澪」が考えた料理は誰でもが思いつくものだから、料理の内容と味で勝負するのが本道であると説くのである。「澪」は、天ぷらに使う油をこれまでの胡麻油から菜種油に変えることを思いつく。「芳」は「ふき」のために前掛けを作ってやったりする。「澪」は蕗ご飯を作ることにする。そして、その手伝いを「ふき」に頼みながら、「蕗には無駄なところがひとつもないのよ。とても偉い野菜だわ」(69ページ)と語ったりする。

 「ふき」は、そうした「澪」や「芳」、「つる屋」の人々の温かさに触れ、「登龍楼」の板長の所に行って、これ以上は「澪」の料理を教えられないと言い切る。板長は「ふき」を殴りつけるが、「澪」はその場に駆けつけ、「登龍楼」の主人と真っ向から対決する。「登龍楼」の主の采女宗馬は、奉公人がしたことだからと板長を辞めさせて、「澪」の言い分を閉じさせる。「ふき」の弟の「健坊」はそのまま「登龍楼」で借金返済のために奉公することになり、「澪」は「ふき」を連れて「つる屋」に戻る。

 運命に翻弄されて生きなければならない幼い姉弟の心情、それに手を差し伸べる「澪」、その姿が九段下の俎橋の上で描かれる。「春の日差しの溢れる中、飯田川をゆっくりと船が行き交っていた」(79ページ)の一文で、第一話「俎橋から―ほろにが蕗ご飯」が閉じられる。余韻の残る閉じられ方だと思う。

 こうして話しが展開され、苦労して作った味醂を商う者との出会(第二話「花散らしの雨―こぼれ梅」)や「澪」が住む長屋の「太一」がはしかを患う話し(第三話「一粒符―なめらか葛饅頭」)、胡瓜にまつわる話し(第四話「銀菊―忍び瓜」)が展開されていく中で、「澪」の幼馴染みで吉原の太夫となっている「あさひ太夫」の病を知って、吉原にまで出かけていったり、「芳」や「太一」の病の手当をしてくれた医者の源斉の縁談話で、相手の娘が、源斎が縁談を断ったのが「澪」のせいだと思って、対抗してくるが、その娘を優しく包んでいくような「澪」の姿が描かれていく。

 そして、「澪」が秘かに想いを寄せている「小松原」がようやく再建した「つる屋」に来てくれて、一緒に花火を見ながら、「私の恋は決して相手に悟られてはならない」という健気な決心をしていくというところで終わる。

 本作には、一話一話に味と深みが増しているように思えるところが随所にある。どこまでも人間を包み込む、そうした姿が登場人物たちのひとつの姿勢として、それぞれに貫かれているようで、作者の作家としての人間を描く姿勢がこれで固まったのではないかと思えた。表題作よりも第一話や第三話の方が作品としての深みを感じられた。

2014年2月13日木曜日

高田郁『八朔の雪 みをつくし料理帖』

 すこぶる寒い。明日は、また雪の予報も出ている。考えてみれば、戦前の日本の方向を大きく変えた2.26事件の時も大雪だったのだから、当然と言えば当然かもしれない。時折、ソチオリンピックの放映を見ているが、「メダル、メダル」と騒ぐのは社会が未成熟の証しかもしれないとも思ったりする。マスコミ、特に民放の放映の仕方に成熟が見られないのは残念な気がする。

 未成熟と言えば、『永遠の0』を書いた百田尚樹氏の最近の言動を見ていると、作品は素晴らしかったが人間性を疑うようなところがあるなあ、と思ったりもする。ある都知事候補の応援をされていたが、わたしは個人的には政治的人間は嫌いである。

 それはさておき、前から少し気になっていたのだが、どこか、ひとりの女性が苦労しながら成功していく成功譚のような気がして読むのに躊躇していた作品があった。しかし、熊本のSさんがいい作品ですよ、と言われていたこともあって、高田郁(たかだ かおる)『八朔の雪 みをつくし料理帖』(2009年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を読んでみた。

 読んでみて、最初の印象は、作品全体の方向性などは、山本一力の『梅咲きぬ』(2004年 潮出版)や『だいこん』(2005年 光文社)、『菜種晴れ』(2008年 中央公論社)などのひとりの女性が苦労しながらも成功していくようなものと同じではあるが、女流作家ならではの細やかさと情話に満ちた作品で、文学性は別にしても、何度も感涙させられるいい作品だということであった。

主人公の「澪」が、決して美人とは言えないような、丸顔の下がり眉、目は鈴のようであるが小さな鼻は上向きで、緊張感のない顔つきをしているが、その心根がとびっきりいい娘であるというのもいい。時折「澪」に大事なことを教える「小松原」という謎めいた武士で、「澪」が秘かに恋心を抱いている人物から、「よお、下がり眉」と言われたりする。この「小松原」という武士は、このシリーズの中で大きな役割を果たしていく人物である。

 「澪」は、漆塗職人の娘として大阪生まれの大阪育ちだが、八歳の時に淀川の水害で、目の前で両親が流されていくのを見たのである。そして、両親をいっぺんに亡くし、天涯孤独の身となって市中をさまよい、空腹でたまらずに屋台の食べ物に手を出してしまい、ひどく折檻されているところを、居合わせた女性に助けられる。彼女を助けた女性は、大阪一の料理屋として名高い「天満一兆庵」の女将の「芳」で、女将としての器量も情の深さもある「芳」によって、そのまま「天満一兆庵」の奉公人として働くことになる。

 小さな子どもが運命に翻弄されて苦労し、心ある人によって助けられていく姿を描写するこの辺りのところで、わたしは何度も本を閉じて天を仰ぐことを繰り返さざるを得なかった。分かっていても感涙する。

 「澪」は奉公人として女衆(客を案内したり料理を運んだりする仕事)の仕事をしていたが、ある時に、天性の味覚を「天満一兆庵」の主人の嘉兵衛に見込まれ、板場に入って料理人としての修行を始める。女が板場に入ることは嫌われ、料理人とは認められない世界で、「澪」は嘉兵衛によって仕込まれていく。だが、禍福はあざなえる縄の如しで、その「天満一兆庵」が火事で焼けてしまうのである。

 そこで、嘉兵衛の息子の佐兵衛が江戸で支店を出していることを頼って、嘉兵衛と芳、そして天涯孤独である「澪」は江戸に出てきたのである。ところが、その佐兵衛は身を持ち崩して行くへ不明で、江戸店はなく、やむを得ずに神田御台所町の裏店で細々と暮らすことになったのである。「天満一兆庵」の再建を夢見ていた嘉兵衛は、その心労が重なって、その夢を「澪」に託して死んでしまい、今は、18歳になる「澪」と48歳の芳の二人暮らしである。芳もまた心労が重なって病気がちであり、「澪」は、その芳を助けて、煮売り酒場の洗い場などで働いて、細々とした暮らしが続いていた。

 そして、ある時、その長屋の近くにある祟りがあるから「おばけ稲荷」と呼ばれる稲荷が草ぼうぼうの荒れ果てたものとなっているのを、「澪」は、誰に言われたわけではないが、独りで黙々ときれいにしていくのである。その姿を見ていた種市という老人が「澪」を自分が営む蕎麦屋で働かないかと勧める。

 種市は、17歳で亡くなった「つる」という自分の娘を「澪」の姿に重ねて、「澪」に温かく接していく。「澪」は種市の「つる屋」で「澪」に料理を作らせたりする。だが、「澪」の作る料理は上方風の味つけで、客に喜ばれなかったりする。しかし、種市は「澪」が料理のために使う材料が無駄になっても、「澪」を温かく見守っているし、その店に時折やってくる「小松原」という侍も「澪」の料理を「面白い」といって励ましたりする。そして、種市が腰を痛めて動けなくなってしまい、店を任されていくようになる。

 こうして「澪」は、料理で苦労しながらも蕎麦の出汁で使った鰹節を使った「ぴりから鰹田麩」というのを作り、それが評判になっていくし、テングサから直接作る「ひんやり心太」や「とろとろ茶碗蒸し」というのを考案したりして評判をとっていくが、江戸料理番付の大関といわれる一流料理屋の「登龍楼」の妬みを買っていく。

 「登龍楼」は、「澪」が作る料理で評判になった「つる屋」を潰すために、嫌がらせをしたり、あげくには付火をして焼失させたりする。「つる屋」が焼失して、失意のどん底から、芳や同じ長屋の夫婦である大工の伊佐三と妻のおりょうなどからの励ましを受けて、焼け跡で「ほっこり酒粕汁」というのを作って売り出したりして、再起を図っていく。

 本作には、その他に、芳が倒れたときに助けた御典医の息子の永田源斉という好青年医師が登場し、「澪」に食が医であることを教えたり、「澪」を影から応援したりするし、五歳の時に火事で両親を亡くし、大工の伊佐三とおりょうの夫婦に引き取られて育てられるが、火事のショックで言葉を話せなくなっている太一という子どもが登場したり、おりょうが太一の心底可愛がっている姿が描かれたりする。

 また、吉原一の美貌をもつと謳われる花魁で、「幻の花魁」と言われる「あさひ太夫」のことが記される。「あさひ太夫」に会うことがなかなかできず、「あさひ太夫」と枕をかわせば大成功すると信じられているのである。そして、この「あさひ太夫」が、実は、「澪」の幼友だちの「野江」で、「野江」は舶来品を扱う淡路屋の末娘で、子どもの頃から美貌の持ち主であると同時に、利発ではっきりと物言いをし、「澪」のことを案じる大の仲良しだったのである。子どもの頃に天下取りの相である「旭日昇天」の相があると占い師に言われたりした。だが、あの淀川の水害で、彼女の運命も変わってしまったのである。

 そして、自分であることを告げずに、「つる屋」が付け火で焼失し、失意のどん底にあった「澪」に、黙って100両もの大金を出し、「澪」が再び料理への情熱を取り戻すきっかけを与えるのである。その時に、「澪」は、「あさひ太夫」が「野江」であることに気づく。

 そのうちに種市も正気を取り戻して、店の再建をしようとするところで本作は終わる。巻末には本作で出てくる料理のレシピが付録として付けられている。

 これは、心根がまっすぐな人たちの物語である。それだけに、真実に生きようとすればするほど苦労をする。だが、それを温かみで包む物語であると言っていい。わたしは、どちらかと言えば単純な成功譚はあまり好きではないが、この作品は良い作品だと思っている。