2010年10月30日土曜日

千野隆司『雪しぐれ 南町同心早瀬惣十郎捕物控』

 台風が接近してきて、雨が降り続けている。今夕から夜にかけてこちらに最も接近し、上陸するかも知れないとの予報が出ているが、今のところあまり強い風はない。

 昨日の千野隆司『鬼心 南町同心早瀬惣十郎捕物控』に引き続き、シリーズの第4作目である『雪しぐれ 南町同心早瀬惣十郎捕物控』(2007年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を読んだ。これも前作と同様、バザーか何かで購入していたものだが、発行年を見ると、前作から2年後にこの作品が出ているので、書き下ろしとはいえ、時間をかけて書かれたものに違いない。

 この作品では、巧妙に仕組まれた強盗籠城事件が取り扱われている。善右衛門という主人が一代で築き上げた京橋の薬種屋「蓬莱屋(ほうらいや)」が夕暮れ時に押し込んできた強盗に襲われた。犯人たちは、店の奉公人や客たちを縛り上げ、人質にして立てこもった。周囲を捕り方が囲み、南町奉行所同心の早瀬惣十郎も駆り出される。雪が降りしきる寒い夜だった。膠着状態が続く。犯人たちの意図がよくわからない。寒さに震えながらも早瀬惣十郎は事件の背景を探ろうとする。

 早瀬惣十郎と琴江夫婦が養子にしようと思っている乱暴者でどうしようもない八歳の末三郎も、子ども同士の喧嘩で「蓬莱屋」に逃げ込んで、事件に巻き込まれ人質となっていることがわかる。琴江も案じて事件の現場に駆けつけてくる。

 みぞれ交じりの雪が降る寒い中で、膠着状態は長く続く。捕り方たちも疲れてくるし、奉行所のだらしなさを責める市中の非難の声も上がってくる。惣十郎は人質の救出を第一に考え、犯人と交渉し、病気の者と子どもの解放を要求する。そこで、ようやく犯人たちは末三郎を解放する。解放された末三郎は案じていた琴江にしがみつき、惣十郎は琴江と末三郎の繋がりが深まったことを知ったりもする。

 そして、解放された末三郎は、意外にもしっかりと冷静に中の様子を伝え、そのことから惣十郎は、さらに事件の背景や犯人たちの狙いの探索を進めていく。強盗籠城が単なる金目当てではないと次第に確信していくのである。

 やがて、外面をおもんばかり、業を煮やした町奉行は強行突入を指示し、強行突入をして、それが功を奏して人質が助け出される。だが、犯人たちはひとりもいない。誰が犯人かわからないように巧妙に人質にまぎれているのである。吟味(取り調べ)が続くが、犯人が誰かは全くわからない。

 金も取られておらず、人質も殺されたり傷つけられたりした者はひとりもいない。事件後は落ち着いていく。「蓬莱屋」の主人の善右衛門と奉行が図って事件は一件落着したものとなる。だが、早瀬惣十郎はどこかにひっかかりを感じて、探索をひとつひとつ進めていく。そして意外な犯人の像が浮かび上がって来る。

 事件の29年前、「蓬莱屋」が店を始めたころ、深川中島町の両替商が強盗に襲われ、大金を奪われて主人が殺され、主人一家が離散した事件があった。事件の犯人は捕まっていない。その後、母親と幼い男の子ふたりはさんざん苦労し、母親が病で亡くなった後は、子どもたちは家々をたらい回しにされて苦労していく。その子どもたちが成長し、自分たちの家を襲って苦労の元を作った強盗殺人犯人を突きとめ、これに復讐しようとしたのである。

 その犯人が、実は、善人の仮面をかぶった「蓬莱屋」の主人、善右衛門だったのであり、「蓬莱屋」に押し込んだ強盗は、その証拠の品を探し出そうとしたのである。彼らは証拠の品を手に入れ、善右衛門と密かに交渉を始める。だが、昔の悪事がばれることを恐れた善右衛門は彼らを殺そうとする。しかし、事件の真相を知った早瀬惣十郎が駆けつけ、すべてを明らかにする。

 巧妙に仕組まれた人質籠城事件の犯人たちの知恵、奉行所という組織の一員として働かなければならないやるせなさを抱えながらも、その事件の背景にひとつひとつ丁寧に薄皮をはぐようにして肉薄し、やがて真相を明らかにしていく惣十郎の歩み、犯人たちの積み重ねられた恨み、善人の仮面をかぶる人間、親子の情、そうした事柄が見事に展開されていく。どうしようもないと思っていた末三郎も、「子どもは育て方次第です」といって愛情を注ぐ琴江の姿とこの事件をきっかけにして変わり、成長していく。惣十郎と琴江の夫婦の絆も次第に深まっていく。

 序章として、29年前の強盗殺人事件の顛末が記されているのも、心憎い演出で、作品としてよく構成されていると感じさせるものがあるし、早瀬惣十郎と琴江、末三郎の家族がこの後どうなっていくのかもシリーズの骨として魅力的である。人質籠城事件を起こした犯人たちの苦労も、安っぽいお涙ちょうだい式でないのがいい。作者の力量は相当なもので、読んでいて飽きが来ない。面白いシリーズだと思う。

2010年10月29日金曜日

千野隆司『鬼心 南町同心早瀬惣十郎捕物控』

 今日もどんよりと曇って、肌寒い。台風が九州沖に接近し、もしかしたら関東地方を直撃するかも知れないと予報が出ている。先の雨で被害を受けた奄美の人たちは、また台風の接近で踏んだり蹴ったりでたまらないだろうと思う。九州南部もそうだが、自然災害が毎年のように続くので経済的に豊かになる時がない。ただ、その分、自然の恵みも大きいが、貨幣経済社会では生活が苦しくなる。

 千野隆司『鬼心 南町同心早瀬惣十郎捕物控』(2005年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を大変面白く読んだ。以前、この作者の作品で『札差市三郎の女房』というのを優れた作品だと思って読んでいたし、書棚を見るとこの作品をバザーか何かで購入していたのに気づき、さっそく読んで見たのである。

 これはシリーズ化されていて、本作品は第3作目だそうだが、書き下ろしとは思えないくらい丁寧に物語が展開されていて、奇をてらうこともない平易な文章で、物語も人物もじっくりとにじむように綴られている。最近多く出されている書き下ろしの時代小説の中では完成度の高い作品だと思った。

 主人公の早瀬惣十郎は、南町奉行所の同心で、この作品では妻の琴江と結婚して9年目になるが、子どもはいない。元々、妻の琴江は既に他の者との結婚が決まっていたのを、惣十郎が惚れて奪うようにして結婚したのだから夫婦仲は決して悪くはないし、生涯連れ添う女は他にはいないと思ってはいるが、忙しさにかまけているうちに、いつの間にか夫婦の間に溝のようなものができてしまっている。

 そして、それを打開するためにも、また子どもができないためにも、養子をもらうことを決めるが、琴江が養子として選んだのは、惣十郎の又従兄弟の三男の末三郎で、八歳になるが貧相で、顔は猿のようだし、少しも落ち着きがなく、食い意地が張って、意地悪で、弱い者いじめも平気でし、強く出ると泣き叫んで我を通すような、どうしようもない子どもだった。琴江は「子どもは育て方次第です」と言い張るが、惣十郎は手を焼いている。

 こうした主人公の家庭を背景としながら、市中に起こった事件の探索を、ひとつひとつ積み重ねるようにして物語が展開されるのだが、『鬼心』は、巧妙な誘拐事件を取り扱ったものである。

 日本橋に本店のある小間物屋に長く勤めていた市之助という男が、本店の娘と結婚し、暖簾分けされて深川に小間物屋を開いていた。だが、あまり才のない市之助は、焦って商売に穴を開け、借金をこしらえていた。妻となった娘のお光は、派手好きで、性悪で、市之助と結婚する前も遊びくれて、誰の子かわからぬ子を妊娠し、市之助はいわば外聞をつくろうためにていよく押しつけられた結婚だった。そして、結婚してもその行状は変わらず、親元から金をもらいながら派手に遊んでいた。市之助は相変わらず奉公人としてしか見られていなかった。

 そこで、借金の穴埋めのために、市之助は、市中の剣の腕のたつ冷徹な浪人、鑿(のみ)を使って人を殺す破落戸(ごろつき)、本店の小間物屋に恨みを抱く男に依頼し、妻の誘拐事件を企んで、自分を馬鹿にする本店から金を脅し取ろうと計画する。

 雪の降る夜、誘拐は決行される。だが、その現場を岡っ引きに見られ、腕の立つ浪人はこれを一刀のもとに斬り殺す。その現場をまた見たお光の顔見知りの身重の「おあき」に見られる。「おあき」は身重であったが、お光が拐かされることを知り、後をつけて助け出そうとする。だが、「おあき」も発見され、監禁される。

 早瀬惣十郎は岡っ引き殺しの犯人を追おうとするが、手がかりが何もない。いろいろと調べてみても何も浮かんでこない。そうしているうちに、身重の妻が帰ってこないと心配する亭主が現れる。事件に繋がりがないように見えるが、惣十郎はかすかな繋がりの匂いをかぐ。

 そして、誘拐の金の受け渡しのさい、最初の計画とは違って、自分で何でもできると傲慢に思っていたお光の父親が剣の使い手である剣道場主をつれて受け渡しの現場に行く。道場主も相当な剣の遣い手であったが、犯人の冷徹な浪人に斬り殺される。だが、その時、犯人が印籠を落としてしまう。

 惣十郎は、その印籠から手探りのようにして持ち主を捜し出すが、事件全体の姿はまだ見えてこない。そして、あれこれと探索の結果、ようやく、小間物屋の娘が誘拐されたのではないかと推察する。小間物屋の本店の主でお光の父親も、二度目の金の受け渡しの時に殺されてしまう。その殺しの現場に残る足跡を辿り、誘拐されたお光と「おあき」が監禁されている武家屋敷跡に行き、犯人と対決するのである。

 事件の粗筋はそんなものだが、ここには周囲に馬鹿にされ認めてもらえないが自意識だけは強い小心者の市之助と、親元から離れられずに我が儘な限りを尽くし、自分のことしか考えられないお光と言う夫婦、身重で出産を控え(監禁された場所で出産する)、亭主をどこまでも信じようとする「おあき」と「おあき」の身をひたすら案じる亭主、そして惣十郎と琴江という三組の夫婦の姿が描かれている。また、娘の我が儘を何とも思わない傲慢な父親とそれを当たり前のように思う娘、手を焼く養子の末三郎を暖かく包もうとする琴江の親子関係、金を巡って仲間割れを起こす犯人たち、そういう人間模様が織りなされている。

 巻末の、
 「『あいつが望むなら、もうしばらく末三郎との三人で過ごしてみるか』
  惣十郎は胸の中で呟いてみた。
  おあきは、自分が助けに行くことを必ず待っている。仁助はそう信じていた。惣十郎も、琴江を信じてみようと思ったのである」(248ページ)
 という言葉が、この物語の核をよく示している。

 事柄の顛末が、無理なく丁寧に展開され、それぞれの人間模様が真っ直ぐ描き出されている所がいいし、あれこれと枝葉がなくて、一つの事件が一冊で取り扱われるのもいい。中編の優れたところも持ち合わせている時代小説で、読ませるものがある。

 今日は、これから少し出かけなければならない。雨模様で寒いので、早めに帰りたいとは思っている。昨日めいっぱい仕事をしたので、少し時間的に余裕があるから、図書館にも行きたい。夕食にお肉でも買ってきて焼こうかと思っている。

2010年10月28日木曜日

宇江佐真理『雨を見たか 髪結い伊三次捕物余話』

 今の時季にしてはとてつもなく寒い日々になっている。仙台に行っていたが、雪が降るかと思える寒さで、朝の気温は真冬並みの5度以下だった。留守中、横浜も寒かったらしい。今日も、冷たい雨模様で、気温は低い。少し厚手のカーディガンを引っ張り出してきた。

 火曜日の夜、宇江佐真理『雨を見たか 髪結い伊三次捕物余話』(2006年 文藝春秋社)を、機会があって再読してみた。改めて、この作者の文章の軟らかさと人を見る目の温かさをつくづく感じた。

 これは、このシリーズの7作目で、主人公の伊三次と辰巳芸者のお文との間に生まれた伊与太は言葉を覚え始める二歳になり、伊三次が手下として仕える北町奉行所の同心の不破友之進の長子の龍之進は見習い同心として奉行所に出所しており、その後に生まれた龍之進の妹の茜は伊与太よりも少し年上の三~四歳で、きかん気で強情な「つわもの」ぶりを発揮していく。

 その茜が拐かされる(誘拐)事件を扱った第一話「薄氷」は、博打打ちの父親と酒飲みの母親から岡場所(遊郭)に売られることになった十二~三歳の少女が、その両親の悪事に荷担して子どもをさらう話である。拐かされた子どもたちは船で日向まで送られ、そこで売り飛ばされるのである。

 茜が拐かされたことを知り、急を知った伊三次と不破友之進、龍之進は、船着き場に駆けつけて、寸前のところで茜や子どもたちを助ける。そのひとつひとつの場面に、情が溢れている。一方で親に岡場所に売られようとする少女、他方で命をかけて我が子を守ろうとする親、そして、薄幸な少女に対する伊三次の情け、それらが実に見事に描き出されている。その少女は拐かしをする前に通りかかった伊三次に、どうせ岡場所に売られるからわたしを買ってくれと言ってきた少女で、その身の上を知っており、事件後どうなるかもわかっているが、祈るような思いでその少女の行く末を案じるのである。

 この第7作『雨を見たか』は、全体に十五歳の見習い同心不破龍之進を中心にして、見習い同心たちが結束して本所無頼派と名乗る乱暴狼藉を働く若者たちを探索していきなながら成長していく話が展開されており、見習い同心たちは、それぞれに個性豊かな人物たちで、それぞれに個性を発揮していく。

 見習い同心のリーダー格とでもいうべき緑川鉈五郎は、腕も度胸もあるが現実主義的で、どこか割り切った冷めた部分を持ち合わせているし、西尾左内は気弱な所のある学者肌で、例繰方(過去の事件の判例を調べる)の書庫に出入りして、事件を綿密に調べ、事実から推理力を発揮する。古川喜六は、元は商家につとめていたが、人才が見込まれて同心の養子となり、見習いとして出所しているのである。人柄も謙遜で数字にも明るいが、元は無頼派の一員であり、また侍の作法に戸惑ったりする。橋口譲之進は仲間思いの情のある人物で、正義感もある。

 見習い同心としての彼らの日常が描き出されながら、力を合わせて無頼派を追い詰めていくのだが、一方でひたむきに生きる彼らと、他方で無頼派として日常の鬱憤を晴らそうとする青年たちの姿が描かれ、人の生きる姿を考えさせるものとなっている。

 第二話「惜春鳥」では、その本所無頼派がついに押し込み強盗までやってしまい、巧妙に仕組まれたアリバイ工作をどう解き明かすのかが鍵となっていく序章ともなっているが、芸者をしているお文の客となった呉服屋の少し悲哀のある物語も描き出されている。

 呉服屋の佐野屋は、呉服問屋の集まりでお文の客となったが、お文は愚痴や嫌みばかり言う佐野屋に嫌気が差してしまう。佐野屋は三十年も呉服屋の大店に奉公して、ようやく暖簾分け(支店を出す)で独立したが、商売があまりうまくいってなかったのである。だが、親店である呉服屋の大店から仕事を回してもらい、ようやく一息つけるようになり、家族と奉公人のために宴をもつという。お文はその宴に芸者として出かけ、子どもたちが争うようにして卵焼きを食べ、分け合う姿を見、佐野屋の内儀の素朴な姿に胸を熱くするのである。

 宇江佐真理は、苦労して生きなければならない人間を温かく包みこむようにして描く。ほんの些細な日常が気持ちの良い温かさで包まれている。佐野屋の話もそういう話である。

 第三話「おれの話を聞け」は、龍之進の同僚である西尾左内の姉が労咳(肺病)をやみ、婚家から戻って戻ってきていることを知り、龍之進が見舞いに行くと、左内の姉の夫が来て、「おれの話を聞け」と怒鳴りあう夫婦の諍いが始まってしまうのをきっかけにして、それぞれの夫婦の姿が描き出されていく話である。左内の姉にはまだ小さい三人の子どもがいた。そして労咳を病んでいるために夫の両親は、その子たちの世話のためにも、病に倒れた嫁と離縁して、新しい嫁を迎える算段をしているのである。だが、夫は離縁する気はない。左内の姉は、自分はもう無理だから離縁してくれと言う。それで、「おれの話を聞け」と叫んだのである。

 その場に居合わせた龍之進は家に帰り、父親の友之進に「もし母上が病に倒れ、回復の見込みがないとしたら、どうしますか」と尋ねる。友之進は「いなみ(妻)には身を寄せる実家はねぇ。・・・おれが最後まで面倒を見るさ」(126ページ)と当たり前のようにして答える。次に、龍之進は伊三次に「お文さんに、おれの話を聞けと、切羽詰まった声を上げたことがありますか」と尋ねる。すると伊三次は、「わたしは甲斐性なしの男ですから、そんな台詞をほざいたことはありやせんが、うちの奴が・・・わっちはお前の何なんだ、と詰め寄ってきたことがありやす。正直、ぐうの音も出やせんでした」(144ページ)と答える。

 夫婦の姿は様々だ。様々であっていい。ただ、かけがえのない相手だと確信できればいいし、またその確信が欲しい。「おれの話を聞け」、「あっちはお前の何なんだ」という台詞は、そのかけがえのなさを確信しようとする言葉である。相手がかけがえのないものであることを覚えること、それが愛の本質であるに違いない。第三話は、そういうことをそれとなく語るものである。

 第四話「のうぜんかずらの花咲けば」は、見習い同心としての訓練が進んで行く中で、奉行所の岡場所などの私娼窟の手入れで捕縛された娘の話が展開されている。娘は、質の良くない一膳飯屋の女中として十両で父親に売られた。やがては客を取らされることになるだろうと思われる十四、五歳の娘で、龍之進は、手入れの前に娘が稲荷神社の前で何かを一心に祈っている姿を目撃していた。娘は、自分は客を取っていたと言い張る。もしそうなら罰として吉原送りになる。龍之進には娘が客を取っていたとは思われない。なぜ、自ら吉原送りを望むのだろうか。

 牢内で、引退前の老同心が娘にいたずらを仕掛けようとする。例繰方として権威もある同心だった。だが、寸前で宿直をしていた龍之進が気づき、これを阻止する。そして、娘は龍之進に、夜中まで働かされ、朝は暗いうちに起こされて、眠る時間も与えられない、吉原に行ったらもう少し眠れるだろう、そして、吉原にはいとこの姉さんがいて、どうせ売られるならそこに行きたい。姉さんの見世の庭に、「のうぜんかずら」が咲いていて、そりゃあきれいだそうだ、と言う。

 娘は吉原の引き手茶屋の女中奉公として出ることになる。そこが遊女屋でなかったことだけが救いである。龍之進は吉原へも見回りに行くが娘に会うことはなかった。ただ、娘がつとめている引き手茶屋の横手に「のうぜんかずら」が咲いていたと同僚の古川喜六に教えてもらい、その花の名の意味が「高くつるを伸ばし、空いっぱいに咲き誇る」という意味であることを知る。「のうぜんかずら」は猛暑をしのぎ、秋まで咲き続けるたくましさもあるという(189ページ)。娘にぴったりの花だと龍之進は思う。

 第五話「本日の生き方」は、腰を痛めたお文が治療のために骨接ぎ(実は、この骨接ぎの弟子が本所無頼派のひとりであるが、お文は知らない)に行く途中で、亭主が盗っ人の嫌疑をかけられて引っ張られていくのに出会う。お文は、岡っ引きにすがりつく女房をなだめ、ご飯の支度をして亭主を待つようにと声をかける。この世でたったひとりの男と思っている女房の姿に、お文は自分の姿を重ね合わせる。亭主の無罪が証されて大番屋(牢)から解き放たれる場面にも遭遇するが、自身番の前で心配そうに亭主を待つ女房の姿に、かつて自分の亭主である伊三次が殺人の疑いで大番屋に引っ張られたとき、同じように伊三次を待っていた姿を思い起こす。

 それとは別に、辻斬り騒ぎが起こる。見習い同心たちは、どうもその辻斬りが本所無頼派の仕業ではないかと推測をつけ、無頼派の首領格が養子に入った旗本(幕府老中)の家を密かに見張ることにする。案の定、その夜、旗本家から出てきた男が辻斬りを働こうとする。見張りに立っていた不破龍之進と緑川鉈五郎は、その辻斬りを阻止するが、男は仲間(骨接ぎの弟子)を自ら刺して逃げる。町奉行所は旗本には手は出せない。刺された男は死ぬ。だが、事件は明白となる。

 見習い同心たちはお手柄だったが、無断でそのようなことをしたと叱られ反省文を書かせられる。龍之進の反省文の一節、「本日の小生の生き方、上々にあらず、下々にあらず。さりとて平凡にあらず。世の無常を強く感じるのみにて御座候」(235ページ)が表題になっている。

 龍之進は、まだ十五、六の少年だが、普段の彼の言動からして、この一文はなるほどと思う。彼は自分の生き方をとことん探している素朴で素直な、そしてひたむきな少年なのである。

 第六話「雨を見たか」は、「しくじり(失敗)」の話である。逃げた旗本を初めとする無頼派への探索が進んで行く。押し込み強盗も彼らの仕業に違いないが、アリバイが崩せないし、証拠がない。船を使ったようだが、その船の船頭がわからない。そういう中で伊三次が、客を川に突き落としたかどで捕まっている船頭が、押し込み強盗事件の後で急に金遣いが荒くなったのを聞き込んできて、日本橋から深川まで舟に乗ったときに、その舟の船頭から、それとなく押し込み強盗の犯人は伊三次が考えている船頭ではないかという話が持ち込まれる。巧妙に仕組まれたでっち上げ話なのだが、伊三次はそれとしてその話を奉行所にあげる。捕り方が向かうが、しかし、空振りに終わる。

 客を川に突き落とした船頭は押し込み強盗とは無関係で、伊三次は勇み足の「しくじり(失敗)」をした。同心の友之進も、昔、無実の男をひっぱったのではないかという後悔をもっている。

 それとは別に、無頼派の旗本が養子縁組を解消され、実家からも勘当されるという知らせを奉行がもたらす。勘当されれば身分を失い牢人となるから町奉行所で逮捕できる。見習い同心たちは準備を整え、無頼派の旗本が家から出てくるのを待ち、ついにこれを捕縛する。これで一件落着かと思いきや、勘当されたとはいえ相手は旗本家で、家名に傷がつかないように奉行との間で内々の取引があった。彼らが罰されることはない。龍之進も、そのどうにもならなさの中に置かれるのである。

 朝、伊三次と弟子の九兵衛が龍之進と出会ったとき、伝馬船の船頭たちが「こっちは雨を見たか」と会話しているのを聞く。龍之進が「雨は見ましたよ.心の中で・・・」とつぶやく。それから伊三次も「わたしも雨を見ましたよ」と続ける。

 人は多くの失敗を重ねていく。「雨を見る」ことはいくらでもある。時には土砂降りさえある。そうやって人が生きていく姿を「雨は見たか」は、かすかに、しかし、しかりとした音色で響かせているのである。

 宇江佐真理の作品について書いておこうとすると、どうしても長くなる。作品が多くのことを、決して饒舌ではなく静かに語っているからだろう。そして、描かれる人間の温かさがふんわりと包む。個人的に、このシリーズが平岩弓枝の『御宿かわせみ』のように、二世代に渡るものとなって、龍之進や茜、伊三次の子どもの伊与太の世代にまで続く物語になって欲しいと思っているがどうだろうか。茜という親が手を焼くようなきかん気でやんちゃな子どもは、心底いいなぁと思ったりもする。その茜を周囲の人が手を焼きながらもそのまま大事にしている姿もいい。

2010年10月26日火曜日

出久根達郎『抜け参り薬草旅』

 昨夜、雨が音もなく降ったようだ。昨日洗濯物を取り込むのを忘れていたら、ぐっしょり濡れて洗濯のやり直しという、いつもの「ぼけ」をやってしまった。仕事の関係で午後から仙台まで行かなければならないし、片づけなければならない仕事もあるので、まだ暗い早朝から起き出していた。

 昨夕から夜にかけて出久根達郎『抜け参り薬草旅』(2008年 河出書房新社)を面白いと思いながら一気に読んだ。

 「抜け参り」とは、元々は「生かされている」ことを伊勢神宮に感謝する「おかげ参り」とか「お伊勢参り」と呼ばれ、だいたいにおいて江戸時代に60年周期で起こった伊勢神宮への集団参拝のことで、江戸時代には庶民の移動には厳しい規制があったが、伊勢神宮参詣や大山詣のようなことに関してはほとんどが許される風潮があり、特に伊勢神宮の天照大神が商売繁盛の神とされたことから商家では、子どもや奉公人が「お伊勢参り」をしたいと言い出すと、親や主人はこれを止めてはならないと言われていた。また、無断で出かけていっても、伊勢神宮を参詣したという証拠のお札やお守りを持ち帰れば、お咎めなしの無罪放免とされていた。「抜け参り」は、その無断で伊勢神宮へ参詣することを言う。

 だいたいにおいて、初期には、「講(お金を出し合い、くじで当選者を決めて、当選した者が集まったお金を使うことができる)」を作ったりして本格的に行われ、参詣者は「白衣」を着ていたそうだが、中期になると仕事場から着の身着のままで行ったりして「おかげでさ、するりとさ、抜けたとさ」と囃子ながら歩いたと言われる。無一文で出かけても沿道の人々が助けるべきという風潮があった。無一文で出かけた子どもが大金をもらって帰ってきたという話もある。

 後期の文政から天保にかけての「おかげ参り」では、なぜかひしゃくを持って行き、それを伊勢神宮の外宮北門に置いていくということが流行り、こうしたことが幕末の「ええじゃないか」につながっていく。文政から天保にかけての「おかげ参り」で参詣した者は400万人を越えるというから、これがいかに江戸庶民の間で流行っていたかがわかる。

 伊勢神宮の性質が変わったのは明治になってからで、明治天皇が伊勢神宮に行幸したことから庶民の「お伊勢参り」熱がさめ、伊勢神宮は格式の高い神社になってしまった。

 ちなみに、わたしが住んでいる所は、「お伊勢参り」と同様に江戸時代に江戸の庶民で流行した「大山詣」に使われた「大山街道」の側で、現在の国道246号線が側を走っている。近くの「荏田(えだ)」という所は大山詣のための宿があった所である。

 『抜け参り薬草旅』は、江戸の瀬戸物問屋につとめていた十六歳の少年「洋吉」がその「抜け参り」の旅に出て、箱根近郊で薬草採りをする庄兵衛という人物と出会い、その庄兵衛と一緒に旅をしていくというもので、薬草に詳しく、人知にも経験にも富んだ庄兵衛と共に、特に精力剤や催淫剤(惚れ薬)などを求める人々や事件などに出くわしながら、最後には「おかげ参り」の群衆を利用して幕府転覆を企む由井正雪の子孫である由比家の騒動に巻き込まれながら成長していく話である。

 薬草が生えている所は秘中の秘であるから、特に精力剤ともなる薬草などを巡って、薬草採りの上前をはねようとする人物も出てくるし、ないはずの黄色い朝顔の種を欲する強欲者も出てくる。刺青を覚えた絵師が若い女性の肌を狙って「抜け参り」の女性たちを誘拐する事件も起こる。薬と毒は表裏一体だから、その毒を欲する者もある。「抜け参り」を利用して駆け落ちする者や羽目を外す少女もいる。そういう様々な人間の欲の模様が「薬草旅」の色をなしていき、洋吉は庄兵衛の下で人生経験を重ねていくのである。

 途中で「抜け参り」の旅を同行することになった「とし」という少女との洋吉の淡い恋もある。そして、最後に、静岡清水の府中で、由比の由比家の子孫が企む「おかげ参り」の群衆を利用した暴動に巻き込まれ、旅絵師に身をやつした幕府お庭番(隠密)や庄兵衛の活躍で助け出されていき、洋吉と「とし」は抜け参りの熱を冷まして、落ち着いていくのである。

 物語の展開が細部にわたって無理がないし、庄兵衛の人間観察眼もなかなかのもので、大げさに構えないところがいい。なんといってもこの作品にはユーモアが満ちている。人間の業(ごう)や性(さが)をそのまま受け止めていくユーモアがある。時代小説としては完成度の高い作品だと思う。

 作品とは関係ないが、薬草については、いつかもっときちんと学べたらと思ったりする。何といってもそれは人間の知恵の産物であり、歴史である。以前、中国に行ったときに関係文書がないかと思って探したが、こういうのは実際の植物を見て、手にし、乾燥させたりすり潰したりして自分の手で作らないと身につかないと思っている。子どものころヨモギの葉を血止めに使ったことがあるのを思い出した。しかし「生兵法は怪我の元」であるに違いない。

2010年10月25日月曜日

坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 盗賊かもめ』

 晴れたのは土曜日だけで、昨日は朝から曇り空が垂れ込め、夜は雨になり、少し肌寒い日となり、今日も午後は少し陽が差したりもしたが、朝から雲が垂れ込めていた。雨のひとしずくごとに秋が深まっていくのだろう、街路樹の銀杏も色づき始めている。日曜日のの新聞には紅葉した日光の中禅寺湖の写真が掲載されていた。「日光に行くまではけっこうと言うなかれ」と言われている日光にはいつか行ってみたいと思っている。

 土曜日の夜、早く休みすぎて夜中に目が覚め、坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 盗賊かもめ』(2008年 双葉文庫)を読んだ。坂岡真という作家の作品は初めて読むが、文庫本のカバーの表紙裏によれば、1961年生まれで、大学卒業後に会社勤務をされ、その後作家活動に入られたようで、このシリーズの他に『うっぽぽ同心十手綴り』や『夜鷹人情剣』、『鬼役矢背蔵人介』といったシリーズを書き下ろして書かれているらしい。本作は、このシリーズの11作目とあるので、シリーズ物として息の長い作品の一つだと言えるだろう。

 『照れ降れ長屋風聞帖』は、江戸切り絵図で見れば、江戸の江戸橋北から親爺橋に向かう堀江町3丁目と四丁目の間の道に履物屋と傘屋が並び、通称「照降丁」と呼ばれる横町があり、そこの裏店の長屋で浪人暮らしをしている中年の浅間三左衛門を中心にした物語で、彼と交わりをもち、元会津藩士で剣の修行をしながら浪人となっている若い天童虎之介、正義感の強い八丁堀同心の八尾半四郎といった、いずれも剣の相当な遣い手たちが諸悪と闘っていく物語である。近年、こうした類の作品は、本当にたくさん出されていて、特に、優れた能力を持ちながら貧乏暮らしをしなければならず、普段はそういう能力があることすら見せないが、いざとなったときに力を発揮していくという構造を、いずれもがもっている。

 こういう主人公の姿が、なぜ今の日本の多くのサラリーマンに読まれるのかという社会考察も多く目にすることができるほど、こうした作品が出されているのである。奉行所同心が主人公になった作品もたくさんあり、その多くが、出世と言うところとは無縁のところに置かれていた奉行所の同心の地位が、閉鎖的な色合いを濃くしてきている今の日本社会の反映と言えるかも知れない。

 それはともかく、『照れ降れ長屋風聞帖』の主人公である浅間三左衛門は、小太刀の遣い手であり、知恵も機転も利き、洞察力もあるが、「おまつ」という十分の一屋(結婚仲介業)を営む女性の亭主として養われ、普段は「ぼさぼさの頭髪に無精髭、よれよれの着流しを纏い、暢気そうな顔つき」(27ページ)の痩せ浪人である。彼は家事もこなせば子守もし、およそ侍らしからぬ子持ちの中年男なのである。くたびれた中年の代表選手と言っても良いかも知れず、その意味では、この類の時代小説の一つの類型化された主人公のひとりである。

 『照れ降れ長屋風聞帖 盗賊かもめ』は、表題作の他に「ぼたもち」、「枯露柿」の三話からなる連作短編集だが、物語そのものは、それぞれ中心となって活躍する人物も事件の内容も異なったものとなっている。

 第一話の「盗賊かもめ」は、主人公の浅間三左衛門を師と仰いでいる元会津藩士の青年剣士である天童虎之介が、思いを寄せる裏長屋の隣の娘「おそで」を連れて千駄木の菊人形を見に出かけたときに、子どもの拐かし(誘拐)現場に出くわし、それを未然に防いだことから、子どもの父親である仏具屋の主にいたく感謝され、歓待されるところから始まる。

 仏具屋の主は、町の世話をする町役人もつとめ、将軍が見ることから「天下祭」とも呼ばれていた「神田祭」の世話もしており、天童虎之介一行を観覧席に誘ったりするが、実は、盗っ人の上前をはねる「盗賊かもめ」と呼ばれる人物であり、その蓄えた金を狙って盗賊たちが子どもの誘拐や夜襲などを企んでいたのである。

 仏具屋の主の金を狙っていたのは、籐八と呼ばれる盗っ人を頭とする一味で、彼らは神田祭を利用して、将軍上欄で右往左往する江戸城の御金蔵から大胆不敵にも金を盗むことを計画していたのである。そして、そのことを知った天童虎之介や浅間三左衛門、奉行所同心の八尾半四郎らがその企てを粉砕していくというものである。

 第二話の「ぼたもち」は、野菜売りで「変な顔のぼたもち」と呼ばれて馬鹿にされていた娘が商家の主殺しの罪で大番屋(牢)に入れられるところに出くわした同心の八尾半四郎が、その事件の真相をさぐり、権力を持つ目付(武士を取り締まる役人)が多額の借金を商家からしており、その借金を消すために商家の主を謀殺したことを明白にしていく話である。目付は奉行所内与力(奉行の家臣)とも結託し、権力による圧力をかけるが、半四郎は物ともせずに、彼が密かに思いを寄せている隠密の雪乃の助けで真相を明らかにしていく。

 第三話の「枯露柿」は、ふとした誤解で夜鷹(娼婦)の亭主から嫉妬を被り、腹を刺された浅野三左衛門であったが、その夜鷹が何者かに殺されたことを知り、その事件の裏に、将軍お目見えの格をもつ強欲で好色な検校(盲人の高官位者で、金貸し業が公認されていた)がいることを探り出し、その検校と対決していく話である。彼は検校の策略にはまり水井戸に閉じ込められるが、かろうじて脱出し、天童虎之介、八尾半四郎らの助けで検校一味を一網打尽にしていくのである。

 こうした事件の顛末が物語られているのだが、主人公の設定はともかく、わたしには事件の顛末や解決がどうも安易すぎるし、理に適わないところが多すぎる気がしてならなかった。たとえば、第一話「盗賊かもめ」では、江戸城の御金蔵破りが取り扱われるが、描かれている籐八という小悪党では、そのような大きな事件を起こすことは不可能ではないかと思ってしまうのである。また、事件の真相を浅間三左衛門が解いていくのだが、御金蔵破りという巧妙に仕組まれたはずの事件の真相が、そんなに簡単にわかっていいのだろうか、「盗賊かもめ」と呼ばれる仏具屋の主が誘拐されかけた子どもの実父ではなく、ただ演じていただけで、実母が金遣いの荒い派手な女房であるのも、どこかちぐはぐな気がした。

 確かに、歴史上、江戸城の御金蔵は何度か破られているし、神田祭にかこつけてそれが行われたという話も、正確には覚えていないが池波正太郎か誰かの小説にあったように思うが、そこには相当の資金力と人力がいるのであり、御金蔵の鍵番が一味の女の色香で御金蔵の鍵を開けていたというのも安直なような気がした。

 また、第三話の「枯露柿」で主人公の浅間三左衛門が検校の屋敷の水牢に落とされるが、畳の部屋の真下に水牢を作り、これを引き上げるのに滑車を使ったというのは、物理的に考えて荒唐無稽のような気がしたし、助けに来た八尾半四郎が担ぎ込まれた鐘の中に身を隠しているのだが、ひとりの人間を隠すことができるような大きな鐘が半鐘のような高い音を出すことができるとも思われない。また、正義漢が策略にはまって暗い水牢に落とされるという話も、どこかで読んだような気がする。

 読み進むに従い、どこか安価に作られた話のような気がしてしまったのである。文章表現も、江戸切り絵図をなぞっていくようなところがあって、どこかごつごつした感じさえした。言葉が事柄の羅列であれば、言外の言がなくなる。書き下ろしという執筆手段では、推敲はじゅぶんではないだろう。ただ、主人公が仲人仲介業(十分の一屋)を営む女房に養われ、子煩悩で、人がいいという設定は魅力的ではある。

 もちろん、この作品一つでこのシリーズの全部を語ることはできないし、作者についても語ることはできないだろう。
 
 今日、メールを書こうと思っていた熊本のSさんからメールが届いた。嬉しい限りである。

2010年10月23日土曜日

鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒』

 奄美大島の水害のニュースが伝わるが、ここでは、昨日まで垂れ込めていた雲が嘘のように晴れて、気持ちの良い秋空が広がっている。気温はそんなに高くはないが、過ごしやすい.少し苦しめられた咳もだいぶ治まって、それも今日の気分の一つだろう。今朝は比較的ゆっくり起き出して、いつものようにコーヒーを飲み、新聞を読み、シャワーを浴びて、仕事に取りかかった。

 熊本のSさんや久留米のJさんなどに「元気でいますか」とメールを書こうと思っていたのだが、何やかにやで書きそびれてしまった。またの気分の時に、と思っている。

 昨夜、宇宙の果ての小さな惑星でサバイバルをしなければならなくなり、大きな建造物の上まで梯子を恐怖にかられながら昇り降りしているという奇妙な夢を見た。2000年から2001年にかけて書いた『逍遙の人-S.キルケゴール』という小さな文をまとめる作業が昨日終わったので、寝る前に、S.キルケゴールが使った「梯子」を意味する仮名について考えていたからかも知れない。

 その前に、昨夕は鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒』(2003年 双葉文庫)を読んだ。このシリーズは2作目からランダムに読んでいたし、だいたいにおいてシリーズ物の1作目はシリーズの中で最も充実しているものだから、その1作目を読んで見たのだが、改めて1作目を読んで見て、作品の質がほとんど変わらず維持されていることに、まず敬意を表したいと思った。

 これは、世のはぐれ者ばかりが住んでいるので通称「はぐれ長屋」と呼ばれる本所相生町の棟割り長屋に住む中年の傘張牢人である華町源九郎を中心に、居合抜きの大道芸で暮らしを立てている菅井紋太夫、元岡っ引きで還暦を過ぎて隠居し娘夫婦の世話になっている孫六、一流の研ぎ師のもとに弟子入りしたがうまくいかずに出て、包丁やはさみを研いで糊口をしのいでいる茂次、そして第1作では出てこないが砂絵を描いて見せることで日々の暮らしを何とかやりくりしている三太郎の五人が団結して諸悪と闘う物語である(1作目には、まだ三太郎は登場せずに、四人の活躍となっている)。

 今回は、源九郎と紋太夫が無聊をかこって将棋を指しているときに、土左衛門(溺死体)があがったというニュースを茂次が伝えるところから物語が始まる。好奇心旺盛な源九郎たちはその死体を見に行くが、どうやら手ひどく痛めつけられて殺され、川に流されたようである。

 その事件は彼らには無関係の事件であったが、次の日、華町源九郎がその川の側を通ると、ひとりの五~六歳の男の子がそこに佇んでいた。気になって声をかけると、どうやら殺された男と関係があるらしく、しかも「家はない」という。源九郎は仕方なしにその子を自分の長屋に連れてきて面倒を見て、その子の家を探そうとする。だが、探そうとすると二人の武士から襲われることがあった。そこにひとりの女が訪ねてきて、20両の金と共にその子を守って欲しいという手紙を置いて帰る。

 源九郎たち四人は、その子と土左衛門の事件には複雑な事件があることを察して、その子が旗本の妾腹の子で、旗本家のお家騒動に絡んで追ってから見を隠していたことを知る。旗本のお家乗っ取りを企んでいたのは、病弱な主の弟で、好色で強欲な男であった。主の弟は主の妻とも関係し、妾腹の子をなきものにして、五千石の家を乗っ取ろうとしていたのである。

 神道無念流の凄腕の剣客である深尾という侍も、旗本の弟から剣術道場開設の資金を出してもらうということで源九郎たちに敵対してくる。

 華町源九郎たちは知恵を使い、何とか旗本の弟一味をやっつけ、子どもを守ることができたが、華町源九郎は剣客として凄腕の剣客との対決をしなければならなくなる。老いを感じ始めた源九郎には難敵である。だが、彼に対峙した剣客は、愛する妻を病でなくし死に急ぎ、源九郎はようやくその勝負に勝つ。

 このシリーズは、概ねこうした物語の展開がその後開示されていくのである。事件の内容はそれぞれ異なっているが、まず、手ひどい悪があって、その悪行にはぐれ長屋の住人たちが巻き込まれたり、関わったりする。あるいはそういう悪から守って欲しいとの依頼を受ける。だがそこには難敵が登場し、中年の剣客である華町源九郎が剣客としての矜持を発揮していくのである。

 こうした類型があるのだが、長屋に住む庶民の日常がいきいきと描かれ、無理のない流れるような文章で情景と状況が描かれるので、物語として読みやすい。最近は、こういうパターンで描かれる「長屋物」がいろいろな作家の作品で出されているが、酸いも甘いもかみ分けたような中年から老年期の男が中心となって物語が展開される娯楽小説としては面白い。

 鳥羽亮の他の作品でもそうだが、剣の試合を描く際に、彼は「斬気」というものを頂点にして闘いを描く。「斬気」というのは、気が最も高くなった瞬間で、剣道でも他の柔術でも、多くの場合、特に真剣の場合はその気の高まりで勝敗が決まるから、主人公が「斬気」を見極めていく姿は納得できる。

 ただ、勝ち負けというのがあまり好きではないわたしとしては、個人的に、華町源九郎のような主人公には、たとえそれが悪との対決であったとしても、「斬気」も何もなく、のんべんだらりと、あるいはのらりくらりとやってもらうといいように思ったりもする。物語の展開や構成上はそうもいかないだろうが、もうすこし「だらしない」方がいいと思うのである。わたし自身、もう少しだらしなく生きたいと思っているからだろう。

 今日は土曜日で、相変わらず仕事は山積みしているが、天気もいいことだし、のんべんだらりと過ごそうと思っている。

2010年10月20日水曜日

多田容子『やみとり屋』

 今にも泣き出しそうな雲が覆って、少し肌寒さを感じる。風邪が完全に抜けきらず、体力も気力も衰えたような気がするし、この衰えた状態でこのまま生きていくような気弱な思いがふと横切ったりもするが、多分、一時的な感覚だろう。ある論文の関係で、今朝、ふと、大きな網で世界をすくい取ったようなヘーゲルの歴史と状況の卓越した概念把握のことを考えていたら、「こういうふうに物事を考えながら生きていかなければならない人間の不幸とつまらなさ」という言葉が浮かんできて、いったい自分が何をしたいと望んでいるのか、それがわからないところにわたしの不幸があるなぁ、と思ったりもした。

 というのは、ヘーゲルの哲学とは全く無関係なのだが、昨夜、椎名軽穂という人の少女漫画を原作にした『君に届け』というアニメ・テレビドラマを涙をポロポロこぼしながら感動して見て、そこに描かれているひたむきで素直で真っ直ぐな高校生の姿が目に焼きついて、今の歳になっていたく反省させられ、「自分で納得すれば、自己完結も悪くない」と思ったりしたからである。この作品は、最近、実写映画で上映されているらしいが、このような物語に感動を覚えることができるような人たちがたくさんいるということは、素敵なことに違いない。

 アニメ・ドラマは、先にとても好きになった『のだめカンタービレ』と、この『君に届け』の2作しかしらないが、このDVDもぜひ手に入れたいと思っている。

 それはともかく、月曜日の夜から火曜日にかけて、多田容子『やみとり屋』(2001年 講談社)を読んだ。作者について本のカバーの裏に「1971年、香川県生まれの尼崎市育ち、京都大学経済学部在学中から時代小説を書き始め、・・・2000年3月には『柳影』を刊行、若き剣豪小説作家の誕生と注目される」とあり、武術、それもとりわけ柳生新陰流に詳しく、2009年には『新陰流 サムライ仕事術』(マガジンハウス)という異色の実用書を出されているようである。

 そういう作者の著作傾向からすれば、『やみとり屋』は作者の作品群の中でも異色の作品だろう。愚将軍としても名高い五代将軍徳川綱吉の時代の「生類憐れみの令」が施行された時代に、向島の森でひそかに鳥料理を食べさせる「やみとり屋」を営む潮春之介と吉本万七郎という二人の男を中心に、その店に集う様々な人々の姿を描いたもので、巻末にわざわざ吉本の芸人であるダウンタウンのトークや作品を参考にしたと断られているように、時代小説では珍しく会話、それも大阪弁の会話が中心となり、しかも、主人公の一人称の形式で物語が進められている。

 主人公の「俺」である潮春之助は、複雑な出生で、上方の醤油商の潮屋で育てられ、成長し、百両の金を盗んで家を出て江戸に出てきて、「言部流」という話術を極めた男であり、もうひとりの春之助の相方としての万七郎は、かなりの武術の腕をもつ元侍で、義兄を殺し、敵持ちとして江戸に出てきて春之助と出会い、一緒に「やみとり屋」を始めることになったのである。

 禁令の鳥を食そうとして集まってくるのだから、ここに集まってくるのはいろいろな思惑を抱いている人間たちであり、やがて「やみとり屋」は幕府転覆を企む集まりとして探りを入れられるようになり、そのうち、万七郎を敵とする武士も現れたり、虎の衣を切る目付に出世の道具としてつけ狙われ、これと対決しなければならなくなったり、幕府隠密が登場したりして、てんやわんやの騒動となる。

 そういう騒動を春之介と万七郎の「しゃべり」で切り抜けようとするのである。もちろん、春之助、万七郎のそれぞれの恋も絡んでいる。

 ただ、題材や物語の展開からすれば、あまり意味のない「しゃべり」が先行して、どこかまとまりがないような構成が気にならないことはない。あえて作者がそれを意図しているのかも知れないが、あまりにも盛りだくさんな具蕎麦を煮込みすぎた醤油味で食べさせられているような気がしてしまった。物語そのものは後半に行くに従って引き込まれていく展開をもっているだけに、「しゃべり」ということに重点が置かれ過ぎているような気がするし、「しゃべり」に意味をもたせようとするところに無理があるのかも知れないと思ったりもする。「しゃべり」は「しゃべくり」で、本来、何の意味もないような、他愛もないもので、軽く受け流されることを目的としたものに過ぎない。一つの小説作品として見れば、作者の思い入れが強すぎるような気がするのである。

 もちろん、これだけで作者云々と言えるわけではない。他の作品では違った面もあるだろう。ただ、わたし自身、武術をしないわけではないが、今のわたしにとってはどうも「勝負」を描く剣豪小説というのは触手が動きにくい。この作品の中で描かれる「立ち会い」は本物だとは思っているが。

2010年10月18日月曜日

宮部みゆき『初ものがたり』

 薄雲が秋の陽光を遮っているような、陽がさしかけては曇る日だったが、気温が高からず低からずで、気持ちの良い月曜日となった。風邪は治りかけているのだが、まだ少し咳が残り、テッシュもたくさん使うし、身体的には爽快とは行かない。それでも、まあ、日常は変わりなく流れていく。

 土曜の夜から日曜日の夜にかけて、宮部みゆき『初ものがたり』(1995年 PHP研究所)を絶妙な文章表現に感心しながら読んだ。まず、松下幸之助氏が設立したPHP研究所がこうした文芸書を出版していたことをあまり知らなかったので、出版元を見て、へぇ、と思ったりしたが、ハードカバー二段組み228ページの本の体裁は、持ち運びには便利でよかった。

 本書は、本所深川一帯を縄張りとする五十五歳になる中年の岡っ引き「茂七」のミステリー仕立ての捕物帳もので、取り扱われる事件も、巧妙に仕組まれたアリバイ崩し(「お勢殺し」)や浮浪の子どもたちが毒殺される事件(「白魚の目」)の狂気、武家や商人に「畜生腹」と嫌われた双子にまつわる事件(「鰹千両」)、兄弟殺しにまつわる人間の哀れな嫉妬心(太郎柿次郎柿))、お店の婿となった小心な手代の元の恋人の失踪事件(「凍った月」)、大地主が訪ねてきた妾腹の子を「恥」として監禁する事件など、人間の心情の綾が生み出す悲しさを伝えるもので、ミステリーとしてもなかなか凝ったものがある。

 また、全編に流れる「茂七」の思いやりの心情と彼の手下たちの個性、そして屋台の稲荷寿司屋を出す謎の人物や、後半に登場する「霊感少年」への対応など、連作の繋がりがしっかり構成されている。

 物語の内容も面白いが、それ以上に、個人的に、宮部みゆきらしい優れて豊かな表現が随所にあって、それが本当に気に入っている。

 たとえば、狂気のような残虐性をもつ美貌の大店の娘によって引き起こされた浮浪の子どもたちの毒殺事件を取り扱った「白魚の目」では、「二月の末、江戸の町に春の大雪が降った。冬のあいだ、ことのほか雪の多い年のことだったので、誰もそれほど驚かず、また珍しがりもしなかったが、そこここで咲く梅の花にとっては迷惑なことだった」(47ページ)という書き出しがあり、「春の大雪が梅の花にとっては迷惑なことだ」という表現は普通ではできない表現だと感じ入った。

 そして、「手の甲を空に向けて雪片を受け止め、茂七はひょいと思った。降り始めの雪は、雪の子供なのかもしれねぇ。子供ってのは、どこへ行くにも黙って行くってことがねぇから。やーいとか、わーいとか騒ぎながら降り落ちてくる。そうして、あとからゆっくりと大人の雪が追いついてくるーー」と続いて、その豊かな感性のままに、本所深川に増えてきた浮浪の子どもたちの問題へと続いていく。

 やがて、五人の浮浪の子どもが、小さなお稲荷さんの中で、石見銀山(毒)が仕込まれた稲荷寿司を食べて死ぬ。茂七が駆けつけてきたときに、ひとりの子どもにまだ息があった場面が描かれる。

 「『坊ずがんばれ、今お医者の先生がくるからな』
 抱き支えてそう話しかけてやる。子供はそれが聞こえたのか聞こえないのか、口を開いて何か言おうとする。耳をくっつけると、息を吸ったり吐いたりする音にまぎれて、ほんのかすかな声を聞き取ることができた。
 『・・・ごめんしてね、ごめんしてね』
 そう言っていた。
 おそらく、食い物を盗んでつかまりそうになったり、ここにたむろしているところを大人に叱り飛ばされたりするたびに、この子はそう言ってきたのだろう。向かってくる大人を見るたびに、そう言ってきたのだろう。
 目の奥が熱くなりそうなのをこらえて、茂七は静かにその子をゆすってやった。
 『心配するな、誰も怒りゃしねえ。今先生が診てくださるからな』
 子供の目が閉じた。もうゆすぶっても返事をしてくれなかった。口元に耳をつけてみる。息が絶えていた」(56-57ページ)

 「この子らは、きっと仲よく助けあって暮らしていたのだろう。もしも、先に帰ってきた者が、あるいは力の強い者が、よりたくさんの稲荷寿司を食べるというようなことだったら、食べ損ねた子供は命を拾ったはずだ。だが、彼らはそうではなかった。いくつだったか定かではないが、皿の大きさからしてそうたくさんはなかったであろう稲荷寿司を、仲よくわけあって、みんなで揃って食べたのだ。だから、ひとりも残らなかった」(58-59ページ)

 こういう情景が描き出せる作者に、わたしは深く敬服する。作者の情景描写の豊かさは、まだ他にも多くある。

 「凍る月」の書き出しの部分では、「回向院の茂七は、長火鉢の前に腰を据え、ぼんやりと煙草をふかしながら、屋根の上や窓の外で風が鳴る音を聞いていた。こうしていても、凍るように冷たい外気のなかを、風神が大きな竹箒に乗って飛び来り、葉が落ちきって丸裸になった木立の枝をざあざあと鳴らしたり、道行く人たちの頭の上をかすめて首を縮めさせたりしては、また勢いよく空へと駆け昇っていくのが目に見えるような気がしてくる」(147ページ)というのも、木枯らしが吹き荒れている様を見事に表現したものだと思う。「凍る月」は、その木枯らしのような冷たい損得勘定で生きる人間の姿を描いたものである。

 この物語の事件の推理そのものにも凝ったものがあるのだが、こうした情景の描写や表現に作品の豊かさを感じさせてくれるのが、宮部みゆきの作品ではないかと思う。そして、こういう豊かさがやがて『孤宿の人』という名作につながっていったのだと思う。

2010年10月15日金曜日

千野隆司『札差市三郎の女房』

 午前中覆っていた雲が薄れ、少し陽が差したりするようになってきた。そんなに重い風邪ではないのだが、なかなか治らずに、昨夜買い物に出たときに雲の上を歩いているような頼りない感じがしたり、今朝もあまりすっきりしない気分を感じ続けたりしていた。寝ているわけにもいかず、次第にたまってきている仕事を少しでも片付けようと思って、朝からパソコンの前に座り続けている。

 昨夜、うつらうつらしながらや夜中に目が覚めたときなどに、千野隆司『札差市三郎の女房』(2000年 角川春樹事務所 2004年 時代小説文庫)を、これはなかなかの傑作だと思いながら読んだ。

 百二十俵蔵前取りで無役の小普請組の貧乏御家人の娘として生まれた主人公の綾乃は、借金のために五千石の旗本板東志摩守の側室となるが、ある雪の夜に、残虐な虐待趣味をもつ板東のもとを逃れ、板東家の者から追われ、斬られる。しかし、偶然通りかかった札差の市三郎と手代によって助けられ、市三郎の家に匿われて傷の手当てを受けるところから物語が始まる。

 綾乃の父は貧しくても清廉潔白な武士で、中西一刀流の剣士でもあり、娘に剣の手ほどきを教えたりしていたが、亡くなってしまい、母も、借金までして看病したがいけなくなり、家を継いだ弟も、ある旗本の息子との喧嘩で惨殺され、家は取り潰されて、綾乃は天涯孤独の身であった。

 札差の市三郎によって助けられた綾乃は、行く当てもなく、彼の好意でしばらく市三郎の家で暮らすことにする。だが、粘着質でしつこい板東志摩守は、どこまでも綾乃を追いかけ、ついに彼女が札差の家にいることに気づいてしまう。そこから、大身で権力を持つ旗本と市井の金融業者である札差の市三郎との闘いが始まる。

 綾乃は自分自身の境遇が札差からの借金によるものであることから、札差という仕事になじめないが、次第にきちんとした商いをする市三郎の姿を知っていくようになる。市三郎もまた綾乃に亡くなった妻の面影を見いだしていく。市三郎は、貧しい少女を影ながら助けたりする心優しい男で、商売においては毅然と筋を通していく誠実な男である。だが、板東家の執拗な嫌がらせが始まり、板東家がしくんだ強盗によって市三郎の家の者が手傷を負ったりして、次第に市三郎は窮地に追いやられていく。そのため綾乃は市三郎の家を出るが、板東の嫌がらせは続いていく。それを知った綾乃は、その板東と闘うために再び札差の家に戻り、二人で不屈の闘いをするのである。こうして、綾乃は市三郎の女房となるのである。

 寛政の改革によって出された「棄損令」によって多大な被害を被っていった江戸の金融業である札差と貧乏御家人として生きなければならなかった下級武士の姿が交差し、権勢を笠に着る人間やそれになびく人間、策略に走る人間、そして、非力ながらもそれに立ち向かう人間、傲慢で弱い者や小さな者を虐げる人間と心優しい人間、武士と町人、そうした姿がひとりひとりの生きた人物像として託されて描き出されているので、小さな、たとえば飲んだくれの父親を持ち脚気の祖母の面倒を見ながら小銭稼ぎをしなければならない十歳の少女「おさき」の姿など涙を誘う。

 そして、闘いの渦中にあるとはいえ、ただ自分の道を誠実に歩み続けようとする市三郎の周囲は、いつも平穏な空気が漂っている。彼は、信頼し、落ち着いて、穏やかなのである。そういう姿がにじみ出るように描かれるので、おそらく作者の理想的な人間像のひとつではあろうが無理がない。

 札差の姿を描いた作品は多くあるし、傲慢で強欲は人間との闘いを描いた作品も山のようにあるが、ひとりの女性、それも狭間で揺れる女性の姿をとおして金融業である札差を見、人間としての闘いを見た時代小説の作品の完成度から言えば、完成度の高い作品であることは間違いない。

 この作者の作品を読むのはこれが初めてだが、なかなかの作品だと思い、文庫本のカバーを見たら、現役の中学校の教員をしながら作品を書かれ、1990年の第12回小説推理新人賞を『夜の道行』で受賞し、第二の藤沢周平と賞賛されたそうで、なるほど、と思った。作品数が少ないが、少し探して読んでみようと思っている。

2010年10月14日木曜日

山本一力『あかね空』

 どんよりとした曇り空が垂れ込めている。月曜日に引いた風邪が本格化し、2日ばかり伏せていた。伏せていたといっても、仕事もあるし、会議もあるので養生というのではなく、気怠さを覚える身体で過ごしていたというだけではある。

 山本一力の『だいこん』を読んだあたりで、この作家の2002年度直木賞受賞作である『あかね空』(2001年 文藝春秋社)をじっくり読んでみようと思って読み始めたら、以前に読んでいたことを思い出し、再読の形になった。

 『あかね空』は、貧農の家で生まれ、「穀潰し」として京都の豆腐屋に奉公に出された「永吉」という男が、給金を貯めて江戸に出てきて、深川で豆腐屋をはじめて苦労を重ね、それが軌道に乗っていくまでの親子二代にわたる豆腐屋の成功物語である。しかし、ここには夫婦の問題、父と子、母と娘などの親子の問題、兄弟の問題、周囲の温かい助けが起こってくる状況などが、それぞれの人間の姿で描き出されるので、単なる成功物語ではない。

 「永吉」が作る京風の豆腐は、江戸では受け入れられない。しかし、永吉は心をこめて自分の豆腐を作り続ける。そういう永吉に、やがて彼の妻となる同じ長屋の「おふみ」が手助けをし、本来は商売敵である豆腐のぼて振り(行商)や、同じ豆腐屋をしている老夫妻が影から手助けをし、永代寺に豆腐を収める道が開かれていく。豆腐屋の老夫妻は、若いころに4歳のになる自分の子どもを誘拐され、永吉に我が子の姿を見る思いがしていたのである。その誘拐された子どもも、成長して地回りの親分となり、後で重要な役割を果たしていく筋書きが組まれている。

 だが、彼のことを妬み、彼の店を潰そうとする人間も出てくる。同業の平田屋庄六という豆腐屋があの手この手を使って永吉が営む「京や」を潰そうとし、乗っ取りを企む。
 やがて永吉とおふみとの間に子どもが生まれるが、ふとしたことでその子を傷つけやけどを負わせてしまう。母親のおふみは必死になって看病し、その子栄太郎を大事にすることを願かけて誓う。だが、店も忙しいし、次の子が生まれ、栄太郎にかまってやれなくなった時に、彼女の父親が事故で死んでしまう。その次の娘が生まれた時には彼女の母親が大八車に轢かれて死んでしまうという不幸に見舞われ、彼女は、三人の子どものうち栄太郎一人だけを特別に可愛がる意固地な母親になっていく。

 父親の永吉は、そんな女房を見て、反対に次男と娘を可愛がる。こうして家族がばらばらになっていく。やがて成長した栄太郎は、永吉の「京や」の乗っ取りを企む平田屋庄六の企みで、女と博奕で身を持ち崩していき、「京や」を守る次男と娘との間で確執が耐えなくなる。

 やがて永吉も呆気なく死に、おふみも死ぬ。そのおふみの葬儀のことでも、兄弟妹がもめ、わだかまりができる。そして、葬儀が終わった夜に、「京や」の乗っ取りを企む平田屋庄六が、むかし栄太郎がした借金の証文を手に乗り込んでくる。だが、そこで地回りの親分となっているかつての老夫婦の子どもが、見事に平田屋庄六の上をいく方法で、この一家を助けていくのである。

 地回りの親分となっている傳蔵が最後に言う。「うちらを相手に、銭やら知恵やら力比べをするのは、よした方がいいぜ。堅気衆がおれたちに勝てるたったひとつの道は、身内が固まることよ。崩れるときは、かならず内側から崩れるもんだ。身内のなかが脆けりゃあ、ひとたまりもないぜ」(363ぺーじ)

 こうして一件が落着して、「京や」を継いだ次男の悟郎と彼の妻の「すみ」が八幡宮にお参りしたとき、「八幡様にお参りしたとき、同じことをお願いできる夫婦でいような」と語りかける場面で、物語の幕が閉じられる。

 話の中で、これは成功物語であるから、できすぎと思われるところが多々あるが、人の機敏に触れていく展開がなされて、そういう意味では、こういう「助け」が起こると本当にいいだろうな、と思わせるものになっている。もちろん、現実には、こういう「助け」はほとんど起こらない。

 考えてみるまでもなく、山本一力という作家の作品には、『だいこん』を初めてとしてのこういう成功物語を骨子に据えた物語の展開が多いような気がする。もちろん、それらはただの成功物語ではないが、小説が夢やロマンを表すものでもあるとすれば、こういう一代記のようなものも悪くはない。それが小料理屋であったり豆腐屋であったりするというのもいい。人はそれぞれの場所でそれぞれの仕方で自分の居場所を作らなければならないのだから。

 今日も少し微熱が続いているような気がする。このところ毎年風邪に悩まされるようになってしまった。体力、気力共に衰え始めているのだろう。ただ、微熱のままで一日を過ごすというのも、不快ではあるが悪いことではない。

 このブログを立ち上げてから一年の歳月が過ぎたことに、ふと気づいた。

2010年10月11日月曜日

松井今朝子『家、家にあらず』

 日中は汗ばむくらいの好天に恵まれた秋の一日となった。朝、おそらく近くの学校か幼稚園の運動会の開始を知らせるのだろう花火の音が響いた。土曜日が雨だったので、今日に順延されたのだろうと思う。すべての窓を開け放ち、寝具を干して、掃除をし、ついでに外壁の補修工事で汚れてしまっていた車を洗ったりした。昨日から少しのどの痛みを感じて、その汗でどうやら本格的になったような気もするが、気持ちの良い日だった。

 土曜日の夜から読み始めた松井今朝子『家、家にあらず』(2005年 集英社)を今日の午後、読み終えた。扉に、世阿弥が記した能の演劇論とも言うべき『風姿花伝』の「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす」の言葉が記され、書名がそこから取られていることがわかるし、本文中、とくに物語の佳境に入るところで、物語の展開に沿った形で、能で描かれる物語が字体を変えて挿入され、しかもそれが物語の秘密を解く鍵ともなっている。もちろん、それが能で描かれる物語だろうというのは、能についての知識のないわたしの推測で、作者の創作ではあるだろう。

 物語は、主人公である同心の娘がある大名家の奥勤めの奉公にあがるところから始まる。母が亡くなり、叔母様といわれる人の口利きで、叔母様が勤める大名家に奉公にあがるのである。彼女の叔母様は、その大名家の奥御用の一切を取り仕切る奥御殿御年寄(総責任者)であるが、彼女は「三之間」と呼ばれる下級女中として勤め始めるのである。女ばかりの世界での互いの確執や妬みが渦巻く。

 そうしているうちに、大名家の下屋敷の女中と芝居役者との心中事件が起こったり、殿様の側女(妾)の自死事件が起こったり、奥御殿でお茶を教える女中が殺されるという事件が起こる。先代藩主の側女同士の確執や現藩主の生母の欲、そうしたことが藩主の跡目争いとの関連で起こっていくのである。主人公はそうした騒動の中でもまれ、成長していく。彼女の叔母様は、総責任者としてすべての事件の裏に藩主の生母の欲があることを見抜いて、これと対決していくが、彼女自身にも隠された秘密があった。

 それは、若いころに藩主の生母らと同じように役者遊びをして子をなしていたことである。そのことが暴かれ、藩主跡目争いの密命を帯びた信頼していた部下に殺されるのである。そして、実は、その奥御殿御年寄が役者との間にできた子どもが、同心の子どもとして育てられた主人公だったのである。

 こういう物語の展開によって、「女、三界に家なし」と言われ、育った家は嫁ぐことで自分の家ではなくなり、嫁いだとしても夫に仕え、舅姑にいびられ、老いては子に従うようにして生きていかなければならない女の幸せとはいったいどこにあるのかという重い問いかけが全体を貫いている。もちろん、それはことさら女ばかりではないだろう。男も三界に家(自分の居場所)がないのであり、人の幸せとはどこにあるのかということでもあるだろう。

 すべての事件が片づき、お家騒動も一段落した後で、主人公が宿下がりで父の元に帰った場面が最後に挿入されている。そこで父親(育ての親であることを知っている)から自分の出生のことや育ててくれた母のことを聞き、奥御殿で御年寄として出世してお家騒動で筋を通して死んだ生みの母のことを思いながら、育ててくれた母は幸せな人だったかも知れないと、主人公は思い返す。

 「死んだ母のように文字通り良人に出会えれば、それが一番幸せな一生なのかもしれなかった」(323ページ)
 「(父は)母の顔色がいいのを見て、陽の当たる場所へ出るよう誘った。縁側から母を地面にそっとおろし、肩を貸して庭の真ん中あたりまで歩かせて、ふたりはそこでしばらく静かに佇んでいた.・・・・・寝まき姿の小柄な母が、背の高い父に安心してもたれかかっていた様子がいまも目に浮かぶ。
母は父がいうように不憫なひとではけっしてない。むしろ母ほど幸せな人はいなかった。色とりどりの秋草が咲き乱れ、血のつながらない親子姉弟がひとつになって暮らしたこの家は、まぎれもなく母が作り上げた家だったのだ」(325ページ)

 奥御殿の女の確執やお家騒動のごたごたの最後に描き出されるこの静かな光景が、それまでの騒動が人をなきものにしたり、蹴落としたりする騒動だっただけに、よけいに、人の幸せとは何かを浮かび上がらせる。家(自分の居場所)は自分で作っていくものに他ならない。どういう居場所を作るのかはその人の責任である。そして、争いの中で作り上げていくものが、あまりに淋しすぎるものであることは間違いない。家は慈しみによってしか確かなものとはならないのである。しかし、そのことの哲学的なことはここでは触れないでおこう。これは哲学書ではなく、面白い小説なのだから。

 この作品には作者が得意とする役者の世界も、もちろん登場するし、役者が重要な役割も果たしていくが、やはり何といっても「人の幸せはどこにあるのか」ということをひとりの若い主人公の姿をとおして真正面から取り上げた意欲的な作品だろうと思う。

 なんだか日暮れがずいぶんと早くなったような気がする。こうして秋が深まっていくのだろう。「人、三界に家なし」だが、今夜は静かに眠りたい。

2010年10月8日金曜日

半村良『獄門首』

 よく晴れた爽やかな秋空が広がり、彼岸花の鮮やかな赤が目に映る。こういう秋空の日は、怠惰の虫が騒いで、何もかにも放り出してどこかに出かけたくなる。9月から始まった外壁の補修工事も今日で終わるとのことで、櫓に覆われた生活も終わって、窓からの視界が広がるのは何とも嬉しいことである。

 昨夜、半村良『獄門首』(2002年 光文社)を読んだ。これは1995年12月から1997年3月まで『小説宝石』(光文社)に掲載された作品を2002年3月に半村良が亡くなった後の9月に未完のままにまとめて出されたもので、いわば半村良の遺作とも言える作品であり、巻末に、これも先日亡くなった清水義範の「解説」が掲載されている。清水義範の企業小説というか組織悪を描いた小説は何冊か以前に面白く読んだことがある。

 わたしが半村良の時代小説を読むのは、これで二冊目に過ぎないが、その解説の中で、「『小説の話であって、文学の話じゃないぞ。文学なんてもんには関わる気はねえからな』半村さんはよくそんなことを言った」(371ページ)という半村良との交流の一こまが記されていて、半村良の気骨のようなものが感じられ、なんとなく嬉しくなった。

 『獄門首』は、八代将軍吉宗の時代に、街道筋で盗みを働く、いわゆる道中師の夫婦に生まれた余助という子どもが、幼い頃から両親の強盗殺人の手助けをするように育てられ、その両親が名古屋で起こった強盗殺人者の上前をはねるようなことをして殺され、孤児となり、寺で育てられるが坊主にはならずに、町道場で棒術の鍛錬をし、師範代も打ち負かすようになるが、やがてその町道場からも出て、幕府に恨みを抱く旧北条一氏の生き残りである小机衆の仲間となって、幕府転覆を企む強盗集団の指導的役割を果たしていくようになる物語である。

 物語は、吉宗が幕府の資金として秘蔵していた金銀を徳太郎と名を変えた余助が見事に盗み出し、火盗改めとして進喜太郎が登場して来るところで中断されている。火盗改めは、厚生施設としての寄せ場などを作った長谷川平蔵が池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』で有名だが、進喜太郎も実在の人物で、詳細はよく知らないが、彼が火盗改めの長官になったのは享保10年(1725年)で、時の南町奉行は大岡忠相である。もちろん、この小説でも大岡忠相が登場する。

 余助は、生まれながらに両親の盗みの手伝いを見事に果たす利発な子で、手先も器用であり、人々の受けも良く、どこにいっても、何をしても成功していくが、心底には恐ろしいほどのニヒリズムを内包している。まだ四歳(現代で言えば三歳前だろう)に過ぎないのに、両親の強盗殺人を平然と受け止めていく姿を描いた第一章の終わりに、「そういう育ち方をしたからには、末は親同然の盗っ人で、もしかすると大盗賊の名をうたわれる者になるかも知れないのだ。しかし、盗賊になって名をあげても、末は三尺高い木の上で錆び槍に貫かれ、獄門首を世間の目に曝すことにもなりかねない」(34ページ)とある。

 本書は、その余助が「獄門首」に向かって生きていく姿を描いたものだろうし、『獄門首』という書名からもそういう結末を想像させるものがある。しかし、わたしは個人的に、ニヒリズムを内包する余助が、幕府への恨みをもつ旧北条氏の流れをもつ小机衆をうまく使いながら極悪非道ぶりを発揮していくが、進喜太郎との知恵勝負にも勝って、うまく縛吏の手を逃れる姿を想像する。彼が、縛吏の手は逃れるが、獄門首にかけられるのと同じような無情を感じて朽ち果てるといった結末を思い浮かべる。

 余助は、状況によって自分の名前を変え、器用に役割を果たしていく。幼い頃は「余計者」の余助と盗み働きをして生きている両親に命名されるが、孤児となった寺では利発で手先の器用な正念、棒術の道場では傲慢な師範代を打ち負かす腕前の利八、そして小机衆の営む隠れ娼家では女主人に性戯を仕込まれ、女主人を負かすほどの性戯の達人ともいうべき巳之助、江戸の盗っ人仲間では徳太郎である。彼は何にでもなれる才能を持ち、どこでも生きていけるが、何にでもなれるということは、何者でもないということでもある。彼が内包するニヒリズムと同様、彼は自分というもののない人間である。だから、獄門首という名を残す人間よりも、何者でもない無の人間として朽ち果てるのがふさわしいような気がするのである。

 物語は変化の状況が一変していくにつれ、余助の名前が変わり、それぞれの状況で山場が作られて展開の妙が見事に感じられるようになっている。さあこれから、で終わる未完ではあるが、十分に読み応えがある。通常にいわれるような善人というものが、孤児となった余助を引き取って育てる寺の坊主以外にだれも出てこないのもいい。人間の「欲」の行き着く果ては、性と金だろうが、それを巧みに操っていく姿は、むしろ小気味よさを感じさせるものとして描き出されている。なるほどこれは「小説」であると思ったりもする。

2010年10月5日火曜日

火坂雅志『骨董屋征次郎手控』

 今日は薄く雲が覆ってはいるが、気持ちの良い秋の好日になった。朝からギリシャ語聖書の『使徒言行録』を読んでいて、そこに描かれる情景を思い浮かべたりしていた。昨夕、中学生のSちゃんが来てくれたので、すこしややこしい数学の図形の問題を一緒に考えながら、学問的な基本姿勢としての「観察」と「分析」について話をしたりした。「観察」し、「分析」し、それを「再統合」することは何にでも当てはまる。問題は「観察眼」を養うところから始まるだろう。

 「観察」と言えば、それは芸術の世界にも当てはまるが、書画骨董の世界はまさに観察眼の世界だろう。わたし自身は書画骨董の世界とは終生無縁であるだろうが、昨夜、火坂雅志『骨董屋征次郞手控』(2001年 実業之日本社)を面白く読んだ。

 火坂雅志という作家は、1956年生まれの現役の作家で、昨年(2009年)、上杉家の名将と言われた直江兼続を描いたNHKのテレビドラマで人気を博した『天地人』の原作者でもある。テレビドラマの方は、オープニングも映像もすばらしくきれいで、俳優も名演だったが、脚本の史実性には少し問題もあり、面白みを増すために現代風にアレンジしたものだった。直江兼続は、上杉家が越後から会津に減封されたり、子どもが次々と亡くなったりして、晩年は少し寂しかったのだが、卓越した人間であったと思っている。戦国武将はどうも、という気がするが、わたしは好きな人間のひとりである。

 『骨董屋征次郞手控』は、金沢の前田家に御買物役(主に藩主の衣服や、調度品、茶器、書画骨董などを売り買いし、管理する役目)を勤めていた父親が、宋代の名筆家として知られる圓悟克勤(えんごこくぐん)の掛け軸の贋作を巧妙な手口でつかまされて、責任を取って自死し、家が取り潰され、幕末の時代の嵐が吹く京都で「遊壺堂」という骨董屋を開いている征次郎の活躍を描いたものである。

 10編からなる連作集だが、いくつかのミステリー仕立てのような仕掛けが施されて、最後の山場を迎えるように組まれているので、一冊の長編としても読むことができる。

 書画骨董というものは、いずれも人間の欲の手垢にまみれた「いわく」つきのものである。作者自身も「あとがき」で「骨董はたんなるモノデハナク、ヒトとモノのあわいに存在しているのではないか」と書いているが、それが売買される時には、売買する人間の「いわく」が渦巻く。『骨董屋征次郎手控』は、その「いわく」を巡っての物語である。

 ある時、征次郎の遊壺堂に、豊臣秀吉に献上されたこともある茶入れの名器の「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」が持ち込まれる。征次郎はしばらくそれを預かったが、持ち主の女性に返して欲しいと言われてもっていったところを牢人に襲われて奪われてしまう。そして、「楢柴肩衝」は京の骨董品売買の闇市に売りに出されるのである。征次郎は、その闇市のメンバーでもある。

 征次郎は、それがなぜ闇市に出たのかを探るうちに、自分を襲った牢人がそれを持ち込んだ女性の愛人であり、牢人はそれを古寺から盗んだが、池田屋騒動に会い、臆病風に吹かれて捨て鉢になっていたことがわかってくる。そして、「楢柴肩衝」は地回りの博徒に渡っていることを知った征次郎は、博徒と掛け合ってそれを取り戻す。それが最初の「楢柴」である。

 第二編「流れ圓悟」は、紀州の白浜に買い出しにでた征次郎が、偶然、父親に贋作をつかませて死に至らせた猪熊玉堂という男を見つけ、猪熊玉堂が白浜でも同じように贋作によって一儲け企んでいたことを阻止するという話で、この猪熊玉堂とは以後も因縁の対決となっていく。

 第三編「女肌」は、征次郎が先斗町の売れっ子芸者「小染」と知り合う話で、「小染」は、実は江戸で父親が「影青」と呼ばれる宋代の青白磁の瓜形水注(みずさし)の贋作を作って落ちぶれてしまったことから、京都の骨董屋にある父が作った贋作を盗んでいたのである。贋作とはいえ、なかなかの品物で、小染の父が精魂を傾けて作ったものだからと、小染の盗みを不問にしていく。こうして、小染は征次郎に惚れ、二人はいい仲になっていくのである。

 第四編「海揚がり」は、征次郎が骨董屋として長い間夢見ていた海からの古船の引き上げに着手して、見事に失敗する話で、征次郎はそのために大きな借金を作ることになる。ここには、骨董で見を持ち崩してしまった人間の姿も描かれ、金欲ではないが美欲に取り憑かれていく骨董の世界の恐ろしさも描かれている。骨董がそうした「欲」の狭間にあることが物語として見事に描かれている。

 第五編「屏風からくり」は、征次郎の幼友達の堀平内が金沢藩の御買物役として京都に来たのに偶然会い、彼の依頼で、岩佐又兵衛が描いた「豊国祭礼図屏風」の出物を調べていくうちに、征次郎の宿敵とも言うべき猪熊玉堂が同じように贋作による詐欺を企んでいることがわかり買い入れを阻止し、猪熊玉堂と対決しようとする。しかし、猪熊玉堂に金で雇われた新撰組の隊士が出てきて、これと争ううちに、習い覚えていた柔術で新撰組の隊士を殺してしまう。新撰組に追われる身となった征次郎は、京都の店をたたんで、かつての骨董屋で骨董の学びを共にした友人のいる長崎へ行くことになるのである。

 第六編「胡弓の女」は、その長崎で「らしゃめん」と呼ばれる西洋人の囲い妻である「お絹」という女から大量の古九谷の大皿の買い入れを依頼される。それは、陶工だったお絹の昔の恋人が古九谷の魅力に取り憑かれて各地から盗み集めた物だった。人生に疲れたお絹はその恋人の古九谷を売り払って自分の人生を終わりにしたいと思っていたのである。征次郎はお絹の自害を止めるが、ここから物語は一気に古九谷を巡っての話となる。

 古九谷は、江戸初期のころに僅かな間だけ作成されたもので、以前、金沢に行った時に皿を何枚も見たが、有田(伊万里)の「赤」と古九谷の「青緑」ぐらいしか知らない素人のわたしには古九谷と今の九谷焼との区別はなかなかつかなかった。どちらかと言えば、磁器よりも陶器のほうが好きだ。

 第七編「彦馬の写真」は、その古九谷を巡っての話のはじめで、長崎で偶然に幼友達の坪平内と会い、骨董の望遠鏡のレンズのことで知り合った上野彦馬(この人は、長崎で日本最初の写真館を作った人で、坂本龍馬や高杉晋作らの写真を撮った人として著名である)のところで一緒に写真を撮ったりするが、坪平内は薩摩藩士と交流を持ち不可思議な行動をとっており、やがて何ものかに斬り殺される。その坪平内の役宅から新しい古九谷の皿が出てきたのである。平内の死がこれと関係あるのではないかと察した征次郎は、平内の願いである彼の写真をもって金沢へと向かうのである。

 この中で、坪平内と薩摩藩士が交わす会話の中に「のくち」という言葉が出てくる。この言葉の意味は後に明らかにされるように仕掛けられているのである。

 第八編「翡翠峡」は、金沢で坪平内の妻とあった征次郎が、偶然にも叔父の岩下瀬兵衛と出会い、叔父の元で寄宿して坪平内の死の真相を探ろうとする話で、金沢藩士の次男として生まれた叔父が貧乏しながらも自由気ままに生き、金沢の山奥で釣りに行った時に翡翠を発見し、翡翠の見事な細工物をこしらえているが、翡翠の細工師として生きるのではなく、貧しくとも気ままな武士としての生き方をしている姿が描かれている。道楽は道楽だから面白い、と言い切る叔父には愛する者もいるが、なかなか踏ん切れないでいる。しかし、そういう叔父が征次郎の働きで、武士を止めて愛する者と暮らす道を選んでいくのである。

 第九編「黒壁山」は、征次郎が新しい古九谷の秘密を探ろうと坪平内の妻を再度訪ねたところ、妻が何者かに殺されていた現場に行き会わせるところから始まる。現場にいた征次郎は、自分が疑われることを恐れ、捕縛の手を逃れるが、そこで彼を捕縛の手から助けたのは、彼の宿敵とも言うべき猪熊玉堂であった。玉堂は、実は、幕府のスパイであったのである。その玉堂から秘密は「黒壁山の奥の院」にあると聞かされ、征次郎は秘境ともいうべき黒壁山に向かう。

 その黒壁山で、金沢藩が勤王倒幕の軍資金を作るために、薩摩藩と結託して密貿易のための古九谷を新しく密かに製造していたことがわかる。金沢藩と薩摩藩は、実は昔から薩摩の貿易する薬の売買で繋がりがあり、金沢藩は、若い勤王派の藩主がお家騒動の末に藩主の後を継いで、一気に藩全体が勤王倒幕に傾いた藩であった。長州などでは藩主はお飾りのようなものであったが、勤王派と佐幕派による藩政の争奪合戦は、幕末期ではどこの藩でも起こったことである。

 しかし、古九谷の密造の手段はひどく、秘密を守るために金沢藩は関係した絵師や陶工の皆殺しを計画していたのである。もちろん、この部分は作者の創作であるが、征次郎はその秘密を知り、捕縛されて山牢に閉じ込められる。ここで前に出た「のくち」が九谷焼を示す文字をばらした隠語であったことが明らかにされたりする。こういうのは心憎い演出である。

 第十編「隠れ窯」は、山牢に閉じ込められた征次郎が、叔父の機転で助け出され、友人の平内夫妻が金沢藩の政争で殺されたことなどもあって、九谷焼の密造に関係した絵師や陶工が皆殺しにされることを知って、叔父と協力して彼らを助け出す活劇で、猪熊玉堂のことも含めて、事件の真相がすべて明らかになるのである。

 それからしばらくして大政奉還が起こり、世の中がひっくり返る。もはや新撰組を恐れる必要もない征次郎は京都に戻り、金を工面して、以前のように「遊壺堂」を再会し、政治がどうなろうと世の中がどうなろうと、自分の生き方としての骨董屋を始めていき、小染との結婚なども迷いながら過ごしていくのである。

 以上がここで描かれる物語の概略だが、なかなか味のある作品で、これには続編も出されているから、そちらも読んでみようと思っている。ただ、語り口調が現代口調であるのは少し気になるのだが、文章はよく推敲されていて、うまいなぁ、と思う表現も多々ある。

2010年10月4日月曜日

山手樹一郞『浪人若殿』

 昨日の日曜日は、午前中、爽やかに晴れた好日だったが、今朝は細かな雨がしとしとと降っている。外壁の補修工事が雨のために延びて、いまだに櫓に覆われたままで、ここは結構交通量もあって雨の日は車の騒音が激しいが、疲れを覚えているのか、今日は虚脱感を感じている。掃除や洗濯の家事も山積みしているのだが、雨のせいにして何もしないでいる。雨が降る風情をぼんやり眺めるのはとても好きだ。モーツアルトのヴァイオリン協奏曲5番をかけて、コーヒーを飲んでいた。

 土曜日(2日)の夜に、山手樹一郞『浪人若殿』(1978年 春陽堂書店 文庫 山手樹一郞長編時代小説全集45)を気楽に読んだ。この人の作品は、テレビドラマで著名な『桃太郎侍』や『遠山の金さん』でもおなじみで、善悪がはっきりしていて、そのように読むことができるように書かれており、事柄の顛末が明快に進んで行くので、面白さの点では群を抜いている。

 この人の作品は、以前にもだいぶ読んだ記憶があるのだが、文庫本の巻末にこの出版元から出されている『山手樹一郞長編時代小説全集』には別巻を入れて全84冊、『山手樹一郞短編時代小説全集』が全12巻あって、改めてその執筆量の多さに敬服した。物語の構成や展開、そして文章表現にどこか洗練されたものを感じていたのだが、きちんと整えられた表現でこれだけの執筆をするのは並大抵のことではない。

 この人の作品には、多くの場合、時代考証や社会背景、地理的考証の表現がほとんどない。だからといってそれがきちんと為されていないわけではなく、それがきちんと踏まえられた上で、どこまでも読者の側にたって、物語を読んでいく上でのそうしたことへの煩わしさを避けるために、いちいちそうしたことを表さないだけで、普通の読者へのサービス精神に溢れているのである。徹底して読み手の側にたった作家と言えるような気がする。

 その意味で、善はより善として、悪はより悪として描き出され、本書でも、主人公の香取礼三郎は、浜松藩5万石の藩主の別腹の弟で、品位をもったおっとりとした美貌の青年であり、機知に富み、剣の腕も立つ人物であり、彼を助ける江戸の岡っ引きの娘お吟は、義侠心のあるちゃきちゃきの江戸っ子気質をもつ美女である。やがて彼の妻となる兄嫁のお京も、誰もが彼女を狙う美貌の持ち主で、江戸幕府老中の娘として育ち、礼三郎の兄の元に嫁いだが、酒乱で狼藉を働く夫を避けて貞節を守っていた女性であり、事件をきっかけに礼三郎に命を助けられ、礼三郎を恋し、その恋一筋に生きていく女性である。

 善側の礼三郎の人間は、どれも、善であり、お吟の父親も、お吟を慕う手下も、お京の父親の老中松平伊賀守も、国家老の息子も、出入りの商人も、それぞれにそれぞれの立場で思いやりと愛情の深い人間として描き出されている。

 他方、悪の方は、浜松藩の乗っ取りを企む江戸家老、その意を受けて藩主を毒殺する家老、江戸家老の用人や江戸藩邸の用人、また、悪計に乗せられる藩主の血筋をもつ礼三郎の甥、江戸家老の娘など、色と欲の塊のような人間として描かれる。彼らの藩乗っ取りの計略は、極めて粗略で乱暴なものであるが、それを力で押し通そうとするところに、その悪が倍化されている。

 物語は、藩の乗っ取りを企む江戸家老の企みに乗せられて酒乱で手当たり次第に女を手籠めにするようになった藩主に、弟の礼三郎が意見をし、逆鱗に触れた礼三郎を藩主が上意討ちにする命令を出して、礼三郎が浪人となって江戸に出てくるというところから始まる。

 こういう筋立ても単純明快で、やがて、江戸家老の計略は着々と進み、江戸家老が跡目相続の権利を持つ礼三郎をなきものにしようとするのである。礼三郎は藩主の跡目など未練もなく、浪人として爽やかに生きようとするが、江戸家老一派の執拗な策略の火の粉を払わざるを得なくなり、兄嫁の命が狙われていることなどの悪行に立ち向かわざるを得なくなるのである。

 もちろん、物語は主人公たちの危機という山場をいくつか迎えていくが、ハッピーエンドで終わる。強欲に対する無欲、色情に対しての一筋の恋、人をただの道具として使い、人を人とも思わないことに対しての人の思いやりと愛情や義侠心、そうした対照が明白で、最後は善が勝利するというものである。

 ただ、面白いと思っているのは、善側の人間として描かれる人物像で、男であれば、1)何事にも捕らわれない自由でおっとりとしている、2)知恵と機知に富み、明察力がある、3)腕も立つ、4)愛情や思いやりが豊かである、5)無欲で爽やか、6)美男などが挙げられ、女であれば、1)素直で、自分に正直である、2)自分の気持ちを真っ直ぐに伝えることができる、3)知恵も愛情もある、4)一筋である、5)美貌の持ち主、といったことが挙げられるだろう。おそらく、これは作者の理想であるが、作者が生きた1899-1978年までの間の、ことに戦後の日本の一般的な理想像でもあっただろう。

 こうし見ると、最近の人々が描く理想像は、男にしろ女にしろ、もう少しどろどろしているので、むしろ山手樹一郞が描いた悪役に近くなっているのかも知れないと思ったりもする。「慎み」というのが薄くなっているのは事実である。山手樹一郞の作品は、もちろん、ただ面白いのだが、細かに人間像を見ていくと以外に深いものがあるのではないだろうか。もちろん、それは思想云々という話ではない。

 この秋は予定がけっこう詰まってはいるが、それだけに仕事の意欲は何となくわかないなぁ、と思っている。まあ、のんびりやっていこう。