2010年10月11日月曜日

松井今朝子『家、家にあらず』

 日中は汗ばむくらいの好天に恵まれた秋の一日となった。朝、おそらく近くの学校か幼稚園の運動会の開始を知らせるのだろう花火の音が響いた。土曜日が雨だったので、今日に順延されたのだろうと思う。すべての窓を開け放ち、寝具を干して、掃除をし、ついでに外壁の補修工事で汚れてしまっていた車を洗ったりした。昨日から少しのどの痛みを感じて、その汗でどうやら本格的になったような気もするが、気持ちの良い日だった。

 土曜日の夜から読み始めた松井今朝子『家、家にあらず』(2005年 集英社)を今日の午後、読み終えた。扉に、世阿弥が記した能の演劇論とも言うべき『風姿花伝』の「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす」の言葉が記され、書名がそこから取られていることがわかるし、本文中、とくに物語の佳境に入るところで、物語の展開に沿った形で、能で描かれる物語が字体を変えて挿入され、しかもそれが物語の秘密を解く鍵ともなっている。もちろん、それが能で描かれる物語だろうというのは、能についての知識のないわたしの推測で、作者の創作ではあるだろう。

 物語は、主人公である同心の娘がある大名家の奥勤めの奉公にあがるところから始まる。母が亡くなり、叔母様といわれる人の口利きで、叔母様が勤める大名家に奉公にあがるのである。彼女の叔母様は、その大名家の奥御用の一切を取り仕切る奥御殿御年寄(総責任者)であるが、彼女は「三之間」と呼ばれる下級女中として勤め始めるのである。女ばかりの世界での互いの確執や妬みが渦巻く。

 そうしているうちに、大名家の下屋敷の女中と芝居役者との心中事件が起こったり、殿様の側女(妾)の自死事件が起こったり、奥御殿でお茶を教える女中が殺されるという事件が起こる。先代藩主の側女同士の確執や現藩主の生母の欲、そうしたことが藩主の跡目争いとの関連で起こっていくのである。主人公はそうした騒動の中でもまれ、成長していく。彼女の叔母様は、総責任者としてすべての事件の裏に藩主の生母の欲があることを見抜いて、これと対決していくが、彼女自身にも隠された秘密があった。

 それは、若いころに藩主の生母らと同じように役者遊びをして子をなしていたことである。そのことが暴かれ、藩主跡目争いの密命を帯びた信頼していた部下に殺されるのである。そして、実は、その奥御殿御年寄が役者との間にできた子どもが、同心の子どもとして育てられた主人公だったのである。

 こういう物語の展開によって、「女、三界に家なし」と言われ、育った家は嫁ぐことで自分の家ではなくなり、嫁いだとしても夫に仕え、舅姑にいびられ、老いては子に従うようにして生きていかなければならない女の幸せとはいったいどこにあるのかという重い問いかけが全体を貫いている。もちろん、それはことさら女ばかりではないだろう。男も三界に家(自分の居場所)がないのであり、人の幸せとはどこにあるのかということでもあるだろう。

 すべての事件が片づき、お家騒動も一段落した後で、主人公が宿下がりで父の元に帰った場面が最後に挿入されている。そこで父親(育ての親であることを知っている)から自分の出生のことや育ててくれた母のことを聞き、奥御殿で御年寄として出世してお家騒動で筋を通して死んだ生みの母のことを思いながら、育ててくれた母は幸せな人だったかも知れないと、主人公は思い返す。

 「死んだ母のように文字通り良人に出会えれば、それが一番幸せな一生なのかもしれなかった」(323ページ)
 「(父は)母の顔色がいいのを見て、陽の当たる場所へ出るよう誘った。縁側から母を地面にそっとおろし、肩を貸して庭の真ん中あたりまで歩かせて、ふたりはそこでしばらく静かに佇んでいた.・・・・・寝まき姿の小柄な母が、背の高い父に安心してもたれかかっていた様子がいまも目に浮かぶ。
母は父がいうように不憫なひとではけっしてない。むしろ母ほど幸せな人はいなかった。色とりどりの秋草が咲き乱れ、血のつながらない親子姉弟がひとつになって暮らしたこの家は、まぎれもなく母が作り上げた家だったのだ」(325ページ)

 奥御殿の女の確執やお家騒動のごたごたの最後に描き出されるこの静かな光景が、それまでの騒動が人をなきものにしたり、蹴落としたりする騒動だっただけに、よけいに、人の幸せとは何かを浮かび上がらせる。家(自分の居場所)は自分で作っていくものに他ならない。どういう居場所を作るのかはその人の責任である。そして、争いの中で作り上げていくものが、あまりに淋しすぎるものであることは間違いない。家は慈しみによってしか確かなものとはならないのである。しかし、そのことの哲学的なことはここでは触れないでおこう。これは哲学書ではなく、面白い小説なのだから。

 この作品には作者が得意とする役者の世界も、もちろん登場するし、役者が重要な役割も果たしていくが、やはり何といっても「人の幸せはどこにあるのか」ということをひとりの若い主人公の姿をとおして真正面から取り上げた意欲的な作品だろうと思う。

 なんだか日暮れがずいぶんと早くなったような気がする。こうして秋が深まっていくのだろう。「人、三界に家なし」だが、今夜は静かに眠りたい。

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