2010年11月30日火曜日

出久根達郎『猫の似づら絵師』

 「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」と歌ったのは中原中也だったが、今日も黄色い銀杏の葉が舞い落ちてあたりを埋め尽くしている。昨夜遅く、市の清掃車が道路の落ち葉を舞いあげていた。ありのままが好きなわたしとしては、あまり落ち葉を掃除してほしくないと思いながら清掃車が行き過ぎるまで眺めていた。気分は中也の「悲しみ」とは縁遠いものだったが。

 その深夜、出久根達郎『猫の似づら絵師』(1998年 文藝春秋社)を江戸浮世噺を読むようにして読み終えた。これは先に読んだ『猫にマタタビの旅』の前作に当たるもので、面白おかしい洒落っ気のある軽妙な語り口の中にも何とも言えない味わいのある作品だった。

 貸本屋の写本作りをしていた銀太郎と丹三郎という青年(共に二十六歳)が、勤め先の貸本屋が主の博奕好きのために経営が悪化して首となり、途方に暮れているところに、南八丁堀の金時長屋という貧乏長屋に住む男に声をかけられ、彼の両隣の家に住むことになり、この三人があの手この手で世すぎをしていく姿が描かれていく。二人に声をかけた男は、「名前なんかどうでもいい」というので、風呂嫌いで垢にまみれているところから「垢餓鬼源蔵」という名を忠臣蔵の四十七士の赤垣源蔵の名をもじってつけたもので、源蔵はどうしたことかうどんに凝っており、四六時中うどんをこねて、試作品をふたりに食べさせるという変わり者である。

 しかし、この源蔵は知恵豊かで、元は武家のようでもあり、その実、東州斎写楽を匂わせるものだが、銀太郎には猫の似顔絵を書く商売を思いつき、丹三郎には貧乏神売りの商売を思いついて、二人はこの商売を始めることにしたのである。なかなかこの商売はうまくいかないが、それぞれの商売にまつわる事件に関わり、特に、猫に関連した事件に関わることになるのである。猫の似顔絵描きの最初の商売は、好色な鰹節問屋の若旦那に囲われていた猫好きの娘「きの」が、若旦那の足が遠のき、好色家であることを知って、何とかこれに仕返しをしようと「探し猫」の広目(広告)を依頼するものである。鰹節問屋だから猫が来ると困るが、市中から「探し猫」を見つけたといって猫を連れてくるものが後を絶たないという事態に陥る。そういう話が第一話で展開される。この「きの」が、どうしたことかその後、源蔵のところに転がり込んで、四人の暮らしとなっていくのである。

 その他、猫寺と呼ばれている寺の奇妙な猫の絵馬から、その寺の若い住職が阿片の密売をしていることがわかったり(第二話「猫にマタタビ初春に竹」)、猫の絵を餌にして男から儲けようと一攫千金を企んだ吉原の遊女が、結局、だまされる話(第三話「招き猫だが福にあらず」)や、江戸城米倉の鼠退治に使う猫を飼っている家の男と書院の鼠退治の青大将(蛇)の餌となる鼠を飼っている家の娘の恋のとりもちをしたりする話(第四話 窮鼠猫を好む))、盲目の娘が飼っている黒猫が行くへ不明となり、見つかったが、それは違う黒猫で、金貸しの座頭が飼っている猫であり、その金貸しを恨みに思っている薬種屋がその猫の爪にトリカブト(猛毒)を塗っていたことが分かっていく話(第五話「闇夜に鴉猫」)、猫を押しつけて餌を押し売りする地回り(やくざ)の話(第六話「虎の威を借る猫」)などが、人情味豊かに面白おかしく語られている。

 作者の「あとがき」によれば、猫の似づら絵師や貧乏神売りという商売は実際にあった商売らしく、物語はやがて銀太郎が猫の似づら絵で、丹三郎が貧乏神の絵で、そして源蔵がうどんで大きな権力と闘うことになり、幕府転覆に繋がっていくそうだが、これも洒落だろうと思うほど、洒落っ気に飛んだ物語である。しかし、軽妙さにリアリティーがあって、ただの軽妙ではなく、貧乏ではあるが洒落で粋な江戸市民の姿を通して時代を見据えようとする姿勢がある。

 主人公たちはすこぶるつきの善人で、大望などはとても描かないが、善人が善意で生きることができる世界がここにあって、何とも言えない味があるのである。「洒落で生きているのだ」というのも悪くないどころか素敵であるに違いないということを思わせる作品である。こういう作品を読むと、「人生ケセラセラ」という気がしないでもない。

2010年11月29日月曜日

杉本章子『その日 信太郎人情始末帖』

 昨日、シクラメンの小さな鉢植えを一鉢買った。紅色に白の筋が入った花びらの柔らかさもそうなのだが、何よりもその丸い葉の鶯色に和みがある。そして、今日は洗濯日和で、朝から寝具を干し、シーツを洗い、掃除をしていた。このところ少し予定が立て混ではいるのだが、ゆっくりとこなしていければと思っている。

 昨夕、杉本章子『その日 信太郎人情始末帖』(2007年 文藝春秋社)を読み始め、興が乗って結局最後まで読んでしまった。これは、このシリーズの6作目で、2002年に中山義秀文学賞の受賞作品となった第1作の『おすず 信太郎人情始末帖』以外は、シリーズの順番ごとに読んでいるので、呉服太物問屋の大店の総領息子が、許嫁がありつつも吉原の引手茶屋の女将「おぬい」と恋仲となり、勘当され、芝居小屋の大札(経理)の手伝いをしながら、様々なことがらに関わり、その中を自分の恋を貫き、やがて父親の死を迎えて勘当が解けるという物語の展開の次第を順に追っていることになる。

 このシリーズの作品には、いくつもの世界が無理なく組み込まれていて、大きくは主人公が芝居小屋と関係していることから江戸の芝居の世界、役者や戯作者、また芝居小屋の運営に携わる世界と、太物問屋の世界、つまり商人の世界の2つであるが、勘当された信太郎が裏店の貧乏長屋に住んでいることから描き出される江戸庶民の世界、芝居の笛方として働いていた御家人の次男坊との関わりから下級武士の世界、その恋人が芸者であることから芸者の世界、そして、信太郎が惚れている「おぬい」が吉原の引手茶屋の女将であることから吉原遊女の世界、また、信太郎の幼なじみが岡っ引きであることからの市中で起こる様々な事件、そうした世界が巧みに描かれているのである。もちろん、恋愛や親子、嫁姑の問題なども主たる大きな筋立てとなっている。それらが実に人情豊かに描き出されるのである。

 本作では、勘当を解かれ亡き父親の後を継いで太物問屋の後を継いだ信太郎が商人として生きていく姿を中心に、「おぬい」を嫁として迎えていくことにまつわる様々な誤解が氷解していく過程が描かれているが、芝居小屋の火事の際に大札(「おぬい」の叔父)を助け出そうとして失明してしまった信太郎の手足となるためにすべてを捨てて女中奉公となった「おぬい」と、彼女を受け入れない信太郎の母「おさだ」との関係、乗っ取りを企む商売上の裏切りと信頼の姿が描かれている。「おぬい」の決断によって丁稚奉公に出された連れ子の「千代太」の成長していく姿もひと味もふた味もある。

 この作品の最も優れていると思えるところは、人をその丸ごと受け入れていくことの難しさと大切さが丹念に描き出されているところで、社会的な身分の問題や人の欲、様々な思惑が渦巻く中を、周囲に細かい配慮をしながらもひたすらお互いの思いを大切にしてきた信太郎と「おぬい」の姿が頂点に達する婚礼の日の描写は、人を受け入れて生きていくことの素晴らしさに満ちている。情の細やかさは作者ならではのものだろうと思う。

 「その日」というのは、安政の大地震(1855年11月11日・・旧暦10月2日)が起こった日ということで、その日の登場人物たちの安否がひとりひとり、それぞれの人物に合わせて描き出されるのもいい。「おぬい」が営んでいた引手茶屋を預かる老夫婦が共に死んでいく姿も胸を打つ。安政の大地震はマグニチュード7ぐらいの大地震で、これで江戸市中はほとんど崩壊し、死者4000人以上を出したもので、各地で悲惨な状態が展開された。

 何と言っても、この作品で描かれる人物たちは、「生きて、そこで生活している」人たちとして作品の中で動いている。そのリアリティーがしっかりしているので、「情」も生きる。

 ひとつ欲を言えば、安政の大地震のころから世情の不安定さも増し、やがて安政の大獄(1858-1859年)なども起こっており、その10年後には徳川幕府も滅びたわけだし、そうした世情の不安定さは人間の生き方にも大きな変化をもたらし、経済状況も大きく変わったはずで、その影響を太物問屋の主として生きる主人公がどのように受けていたのかという歴史のリアリティーも織り込まれると良いと思ったりもする。しかし、それは小説としては望外の望みだろう。

 ともあれ、この作品は読んで嬉しくなる作品である。とかく注文をつけたがる社会の中で、「何も足さず、何も引かず」人を受容することができる人間の素晴らしさがここにはある。

2010年11月27日土曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 いじん幽霊』

 朝からよく晴れ渡った蒼空が広がっている。紅葉見物には絶好の日和だろうと思いつつも、仕事が少し立て込んでいるので、通常と変わらぬ土曜日になった。

 木曜日の夜から金曜日にかけて、高橋克彦『完四郎広目手控 いじん幽霊』(2003年 集英社)を作者の想像力の豊かさと物語作りの妙を感じながら読んだ。これは、このシリーズの3作目で、前に4作目の『文明怪化』を読んでいたので、物語の展開としては遡る形になったのだが、改めて、慧眼というか明察というか、名探偵ぶりを発揮する主人公の香冶完四郎と、主人公の卓越した推理を導く名脇役としての仮名垣魯文との兼ね合いが、幕末の激動する横浜を舞台に展開されるあたりが面白いと思った。

 仮名垣魯文は、もちろん実在の人物(1824-1894年)だが、少しひょうきんで現実主義的で、作家としての意地もあるという本書の人物像は作者の創作だろう。それにしても、挿入してある当時の写実絵(今回はマスプロ美術館所蔵)から全く新しい事件や物語を創作として展開させる作者の手法は驚嘆に値する。本書で取り扱われる時代が、新撰組による池田屋事件(1864年)や佐久間象山暗殺事件(同年)の年であり、1859年に開港されたばかりの横浜は、外国人居留地によって西洋化が進み始め、1862年の生麦事件(現鶴見区生麦・・イギリス人が薩摩藩士によって殺される)をはじめとして、攘夷思想を持つ武士たちの襲撃が繰り返され、特殊な状況下に置かれていた。

 この時に、広目屋(瓦版・新聞広告業)を手伝っていた香冶完四郎と仮名垣魯文が横浜に赴いて、そこで起こっている事件を大事に至らないように解決していく。香冶完四郎は新しい情報手段としての新聞を出すことを考えており、その関連でも、後に新聞記者ともなった岸田吟香(1833-1905年)や福地源一郎(1841-1906)も登場する。岸田吟香は、本書でも登場するジョゼフ・ヒコ(1837-1897年・・本名浜田彦蔵で、13歳の時江戸に向かう途中の船が難破し、漂流して米国商船に助けられ、米国に帰化し、帰国後通訳として活躍、その後横浜で貿易商館を開く)と共に、1864年に英字新聞を翻訳した日本で最初の新聞『海外新聞』を発行している。本書では、仮名垣魯文とどちらが優れた記事を書くか競争する物語として展開され、その記事の裏にある事件を香冶完四郎が見抜いていく物語が展開されてもいる(第十話 筆合戦)。

 こうした歴史的な背景が見事に織り込まれて、当時の横浜の居留地の人々の暮らしや状況を基に、牛肉と阿片の絡む事件(第一話 夜明け横浜)、攘夷派が画策した外国人相手の遊女屋での自殺事件(第二話 ふるあめりかに)、流行始めたヌード写真に関連した事件(第三話 夜の写真師)、幽霊屋敷と噂されることで人が近寄ることを避けた外国人性病患者の施療所の出来事(第四話 娘広目屋・・ここで完四郎に恋をするフランス娘のジェシカ・アルヌールが登場する)、イギリスが清国人(中国人)をつかって画策した阿片の密輸事件(第五話 いこくことば)、天狗党(1864年に水戸藩の尊王攘夷派が筑波山で挙兵した)の名を借りて横浜襲撃を企む事件(第六話 横浜天狗)、気球を使って火の雨を降らせ、人心を惑わしつつも気球を武器として売り込もうとする事件(第七話 火の雨)、フランスの将校が仕組んだ痴情事件(第八話 遠眼鏡)、両国に異人の幽霊が出ることを仕掛けて、生糸の貿易で利を得ようとした商人の事件(第九話 いじん幽霊)、先述した第十話、これまで香冶完四郎の名推理によって事件が公にならずに煮え湯を飲まされてきたイギリスが仕掛けた虎を使っての完四郎暗殺事件(第十一話 虎穴)、そして、横浜どんたく(祭り)を利用してフランス人との娘の結婚に反対する清国人商人が起こす事件(第十二話 横浜どんたく)といった物語が展開されている。

 例によって、複雑に政治や経済、国際情勢が入り組んだものであれ、人間の心情が入り組んだものであれ、事件はあまりにも簡単に解決していくのだが、それによって主人公の香冶完四郎の名推理がさえていくわけだし、状況についての分析も(もちろん、歴史的状況は明白なのだが、明察として展開されている)、何とか事件を国際紛争にまでしないようにすることや罰される者を作らないことも、本作で描かれる主人公の姿として浮かび上がって来るし、ずば抜けた才能を持ちながら、恋にも金儲けにも執着せず、「世に出るつもりはない。・・・こうして生きていられるだけでありがたい。・・・」(164-165ページ)と言い切って、「ただの広目屋」であろうとする人物像は、理想的すぎるとはいっても、味のあるものとなっている。

 本書の末尾で、主人公がアメリカ行きを考えることになっていて、次作が維新後にアメリカからの帰国後の物語になっているのも、なかなか面白い構成だと思う。個人的に、この頃から「新しい社会機構をもつ日本」という国が形作られてきて、多くのいびつな構造を生んでいくことを考えることがあって、どこがどういびつになってしまったのかを探ってきたので、こういう物語の展開は物語としてなかなかのものだと思っている。もちろんわたしの個人的な関心は作者の意図とは無関係であるが。

2010年11月25日木曜日

諸田玲子『美女いくさ』

 昨日はよく晴れていたのだが、今日は、時おり陽が差すくらいで薄く雲が覆っている。気温が低くなってきていて初冬の感がある。

 二日ほどかけて諸田怜子『美女いくさ』(2008年 中央公論社)を味わい深く読んだ。諸田怜子の作品をなんだか久しぶりに手に取ったような気がしたが、この作品もなかなかの傑作だった。これは織田信長の妹で絶世の美人と謳われた「お市の方」の娘で、後に二代将軍徳川秀忠の妻となり、三代将軍家光の母ともなった「お江(小督-おごう-、江与-えよ-とも呼ばれるが、本作では小督、後に崇源院-そうげんいんーと呼ばれる)の生涯を記した歴史小説で、2007年4月から2008年2月まで読売新聞夕刊に連載されたものをまとめたものでさる。

 「お江」については、独自の解釈をした永井路子『乱紋』(1974年 文藝春秋社)が先に出されており、最近では、「お江」の姉の「初」を主人公にした畑裕子『花々の系譜 浅井三姉妹物語』(2009年 サンライズ出版)が出されたり、来年のNHK大河ドラマで田淵久美子原作・脚本で『江~姫たちの戦国~』が放映される予定があったりするが、諸田怜子『美女いくさ』は一読に値する作品だと思っている。

 戦国時代随一の美女といわれた「お江(小督)」の母「お市の方」自身が、まことに戦乱に翻弄された生涯を生きており、織田信長の妹として、浅井長政に嫁がされ、そこで、茶々(淀)、初、江の三姉妹を儲けるが、姉川の闘い(1570年)で兄の信長から夫の浅井長政が殺され(自害)、三姉妹と共に兄の織田信包(のぶかね)に庇護された。しかし、やがて、信長亡き後、秀吉によって柴田勝家に嫁がされ、その柴田勝家も秀吉と争い敗れて、「お市の方」は勝家と共に自害している。享年37歳だったといわれている。

 浅井家三姉妹といわれる「お市」の娘たちは、いずれも母の美貌を受け継いだ美女であったが、戦乱に翻弄され続け、長女の「茶々」は、豊臣秀吉の側室となり、秀頼を生むが、「お江」の義父となった徳川家康によって大阪の役(1615年)で大阪城落城の際に秀頼と共に自害している。次女の「初」は秀吉のはからいで近江の京極高次と結婚し、やがて「お江」と秀忠の四女「初姫」などを養女として育てている。

 三姉妹の末妹「お江(小督)」は、最初、豊臣秀吉の命によって伊勢の佐治一成(母は信長の妹「お犬」と結婚させられ(従って、夫の佐治一成は従兄)るが、秀吉の命によって離婚させられ、豊臣秀勝と結婚させられる。しかし、豊臣秀勝が秀吉の大陸制覇の野望の最中に病死したため、次に徳川家との関係を深めようとした秀吉によって徳川秀忠と結婚させられた。

 「お江(小督)」は、叔父であった織田信長の剛胆さや母の「お市」の誇り高い性格を引き継ぎ、大胆であるが、物事に動ぜずに出来事を平然と受け止めていくようなところがあったと言われているが、この数奇な運命を生き抜いて、徳川将軍の母となっていく姿を、『美女いくさ』は、女性の心情を織り交ぜながら見事に描き出している。

 浅井三姉妹は、昨日の味方が今日の敵となる戦国の非情な世界を生きなければならなかっただけに仲の良い姉妹だったと言われるが、両親を殺され、殺した相手に嫁がされ、姉妹同士が敵味方に分かれなければならない状態の中を生きなければならなかった。本書は、その運命の変転の中を女として生きる喜びや悲しみ、その細やかな心情とそれぞれに誇りをもって生きる姿が描き出される優れた作品だと思う。文章も展開も作者の円熟味を感じさせてくれる。秀吉や家康をはじめとするそれぞれの人物の描き方もいい。

 人はただ、己に置かれた状況の中を、それを受け止めながら生きる以外に術がない。何らかの作為をもつ者は、その作為によってまた滅びていく。作為に人の幸せはない。「お江(小督)」の生涯を思うと、そんな思いが彷彿してくる。本書の終わりに「煩悩こそ女子の戦」という言葉が出てくるが(443ページ)、まさに煩悩こそ人の命に違いない。天から才を与えられた者は苦もまた与えられるから、煩悩も強くなる。だが煩悩こそ命だと、わたしは思う。

 しかし、この時代の人間関係は、政略結婚や養子縁組などがあって、本当に複雑であるが、表面は滅びていっても信長から徳川家光に至る血筋が「江(小督)」によって面々と受け継がれていたことを思うと、なんだか不思議な気がしないでもない。

 このところ朝鮮半島が焦臭くなって、なんだかマルクスの予言が当たってきたかも知れないと思ったりするが、世界構造のいびつさが露呈する中で、その影響を受けていながらも、大所高所から世界や社会を論じても意味のないことで、「今夜は寒いからお鍋にしよう」という日々の暮らしを自分なりに過ごしていくことを改めて心がけようと思ったりもする。それにしてもナショナリズムほどつまらないものはない。

2010年11月22日月曜日

芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 猫の匂いのする侍』

 このところ2~3日おきに天気が変わり、今日は雨模様の空が広がって寒くなっている。だんだん寒さが身に染むようになってきた。

 少し根を詰めなければならない仕事があって、これを書くことが出来なかったが、ようやく一段落ついて、先週の水曜日以来、芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 猫の匂いのする侍』(2009年 双葉文庫)を読んでいたので、記すことにした。

 この作家の作品は初めて読むのだが、文庫本カバーによれば、1953年東京生まれで、早稲田を出た後、出版社勤務を経て作家活動に入られたようで、本作はこのシリーズの2作目とのこと。このシリーズの他にも、いくつかのシリーズがあるようで、多くは書き下ろし作品のようである。

 書名の「おいらか」というのは、「おっとりした」という意味であることが本書の28頁にも述べられているが、本書は、あまり細かいことにこだわらないおっとりした性格を持つ侍が、浪人となり、貧乏長屋に住んで、自分が背負っている運命と闘いながら、明晰な頭脳と剣の腕を発揮して、自分と関係する者たちの間で起こる事件を解決していくというもので、大筋から言えば、この手の時代小説は、たとえば最近のもので言えば、佐伯泰英の『居眠り磐音 江戸双紙』のシリーズなど、実にたくさん出ている。

 浪人ものでいえば、藤沢周平の『用心棒日月妙』などの作品が展開も設定されている人物も、それこそ「妙」があって、もっとも味わいも深く、読み応えがあると思うが、最近のものには、その設定にひとつの類型のようなものがあるような気がする。

1)主人公は、理由があって浪人しており、裏店などの貧乏長屋に住んで、日々の生活にあくせくしなければならないが、あまり自分の境遇や生活にこだわらない鷹揚でおっとりした性格をしている。思いやりもあり、人情も深く、正義感もある。人に好かれ、慕われる。

2)美男だが容貌や容姿にもこだわらず、頭脳も明晰で剣の腕がたったり才能が豊かだったりするし、武士としての矜持ももっているが、普段はそういうところを見せることもなく、町人や長屋に住む住人とも気さくな関係を持っている。

3)主人公を理解し、彼を助ける者がいる。それが同じ長屋に住む浪人であったり、町人であったり、また元の上司であったり、あるいは美しい女性であったりするが、いずれも主人公を「ひとかどの人物」として認めている。彼が住む貧乏長屋には、太めで世話好きの女性がいて、日常生活を助けたりする。

4)自分の運命を背負い、それが元の藩の藩政を巡る権力争いであったり、世継ぎ問題であったり、金を巡る争いであったりするが、彼が浪人とならなければならなかった理由がそこにあり、物語が展開していくにしたがって、その理由が明らかにされたり、自分の背負っている宿命がはっきりしたりしていく。

5)主人公を慕う美貌の女性がいる。主人公もその女性に思いを寄せるが、その関係を深めていくことがなかなか出来ない。しかし、最後には思いが通じていく。

6)辻斬りや誘拐、強盗といったいくつかの事件に関わりを持って、これを解決していくと共に、主人公が背負っている宿命を解明していくことが物語の大筋となっている。

 その他にも、いくつかの類型の特徴を挙げることが出来るが、そうした類型をもつ作品の出来不出来は、作家の表現力や時代や社会の理解力、あるいは人間に対する洞察力次第であろう。情景描写ひとつとってみても、その作家の力量が現れている。

 本書も、だいたいこうした類型の下で書かれており、「おいらか」と渾名されている滝沢俊作という主人公が、理由もわからないままに藩から追い出されて浪人となり、同じ長屋に住み用心棒などをして暮らしている浪人生活の長い荒垣助左衛門と共に、ふとしたことで関わった飾り職人の誘拐・監禁事件を解決したり(第一章「朝の光」)、辻斬り事件の犯人を捜して対決したり(第二章「隻眼の犬」)、子どもの誘拐事件(第三章「かどわかし」)、旗本のつまらない競争心から生まれた剣術試合(第四章「猫の匂いのする侍」)、そして、仇討ち事件(第五章「小侍の仇討ち」)などを解決しながら、理由もわからないままに元の藩から命を狙われ続けるという展開になっている。

 類型的にはそうであるが、しかし、本書は展開や描き方が比較的丁寧で、物語としての妙もあり、この類の作品としては面白く読める作品になっている。事柄に対する時には「おいらか」ぶりがあまり発揮されず、たとえば自分の命が狙われる時や剣での立ち会いでも、「まあ、斬られてもいいか」とはなかなか思えずに、真剣に立ち向かおうとするが、それはまあやむを得ないことだろう。「おいらか」といってもそんなときはそこまでいかないだろうから。

 娯楽時代小説としては、最近の流行を取り入れたものではあるとはいえ、面白いし、深淵な文学作品でもなければ、ましてや思想や信条を綴ったものでもないのだから、面白ければそれでいい。この作家の、このシリーズをはじめとして他の作品も読んでみたいと思っている。

2010年11月17日水曜日

山本一力『損料屋喜八郎始末控え』

 昨夕から降り続いた雨も、今は何とか治まっているが、今にも泣き出しそうな重い雲に覆われ、気温も低く、どこかわびしい冬を感じさせる世界が広がっている。

 だが、山本一力『損料屋喜八郎始末控え』(2000年 文藝春秋社 2003年文春文庫)を、掛け値なしに味わい深い作品だと思いつつ読み終えて、日常の煩雑さがどこかに吹き飛んでいくような思いがした。

 以前、この続編である『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』の方を先に読んで、どことなく物足りなさを感じたのだが、この第一作は、作者の単行本第一作目の作品ということもあって、完成度の高い優れた作品だと思った。

 主人公の喜八郎は極貧の浪人の子であったが、剣道場で一緒であった北町奉行所蔵米方上席与力の秋山久蔵にその人柄と才能を見込まれて一代限りの同心として勤めていた。蔵米方というのは、米の石高で俸給をもらっていた旗本や御家人などの武士の俸給米の仲買人であった札差しを監督する役人であった。武家は少ない俸給でやりくりしなければならないから、いきおい不足分を1~2年先の俸給を担保にして札差しから高利で金を借りたために、札差しの多くは金融業が主となり、莫大な金額を扱い、江戸経済の中心となっていった。だから、蔵米方は、いわば江戸経済を取り締まるものでもあったのである。

 札差しは、1723年(享保8年)に109名が株仲間を願い出て株(営業権)組織を結成し、1764-1788年のいわゆる田沼時代と呼ばれるころには全盛で、贅を尽くした遊びをしたりして力を誇り、株(営業権)は売買されて千両にもなったといわれている。この物語の時代である寛政年間には、株仲間は少し減少して96組で、棄損令などで大打撃を被むり、株も500両前後に下がったが、江戸の大金持ちであったことは間違いない。もちろん札差しの全員というわけではないが。寛政の改革(1787-1793年)のひとつとして旗本・御家人の生活救済のために1789年に出された棄損令は、札差しからの借財を帳消しにするものであったが、江戸の経済を一気に冷やすものとなったといわれ、貸し渋った札差しのために旗本・御家人の生活はいっそう窮乏するものになったと言われている。本書では、そうした棄損令にまつわる出来事が背景となっている。

 本書の主人公である喜八郎は上役の秋山久蔵の信頼を得ていたが、米相場に手を出した上司の詰め腹を切らされる形で奉行所を辞めざるを得なかった。しかし、札差しのひとりであった初代の米屋政八が彼の人柄を見込み、頼りにならない二代目を影から支えるために、表向きは損料屋(今のレンタルショップ)を開かせ、いわば後見人として用いることにしたのである。喜八郎は、何事にも動じない胆力と明晰な頭脳をもって、札差し業界の影で行われる巨利を貪るための画策を見抜いて、初代亡き後の米屋を窮地から救い、初代の米屋政八から依頼されたことを果たしていくのである。

 物語は、深川の富岡八幡宮の祭りの前日に、傲慢で、湯水のように金を使うひとりの札差しである笠倉屋の遊びの場面から始まり、ここで、やがて喜八郎の恋人となる料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の毅然とした気っぷの良い姿や喜八郎とので出会が語られていく。この笠倉屋は、やがて自ら身を滅ぼしていくことになるが、その没落過程が一本の筋ともなっている。その構成も見事である。

 そして、二代目米屋政八が、自らの才覚のなさと器量のなさから、店をたたむと言い始め、そこから喜八郎の活躍が始まり、米屋を買い叩こうとした強欲な札差しである伊勢屋との知力を尽くした駆け引きが始まっていくのである。喜八郎は、自分を信頼してくれていた上司であった秋山久蔵や深川の仲間たちの助力を得て、米屋の窮地を救っていく。若い喜八郎が、強欲なやり手の札差しである伊勢屋と胆力に満ちた毅然とした姿で渡り合う光景は爽快さがある。

 この伊勢屋が、いわば宿敵のような存在で、米屋を買い叩きそびれた意趣返しもこめて、米屋を詐欺に嵌めて窮地に追いやろうとしたり、伊勢屋の手代が自分の使い込みを隠そうとして「秀弥」が経営する料理屋の板前を罠に嵌めたり、棄損令によって窮地に追いやられた笠倉屋が贋金作りを画策し、それで渡世人に嵌められていったりして自滅していく出来事が本書の大まかな筋書きである。

 それらが、棄損令という大きな混乱を招いた社会的出来事を背景にして、実に丁寧に展開されている。そして、それらを乗り切っていく喜八郎という存在も味わい深いものになっていくし、喜八郎と秀弥の恋の進展も緩やかだがしっかり心情をつかみながら展開されている。

 また、ひとつひとつの場面も実に細やかに描かれ、たとえば、第三話「いわし祝言」で、罠に嵌められた江戸屋の板前の窮地を救った後で、板前と料理屋の奥女中との船着場での祝言の様子が描かれるが、板前の郷里の兄弟たちがたくさんの魚を持ち込み、長屋の女房連中が料理し、いわしの丸焼きの煙の中で、ひと組の夫婦を祝う思いが満ちている光景は、その前後の顛末と合わせて見事に美しく盛り上がるものとなっている。また、第四話「吹かずとも」で、棄損令を発案してかえって経済的窮地を招いてしまった責任を取ろうとする秋山久蔵が町奉行に辞任の願いを出すことを察知した町奉行が、駕籠脇で「一切、聞く耳は持たぬぞ」と言って、多くの人々の非難の眼を承知しながらも、彼を支える場面があったり、祭り御輿に全力を注ぐ人間の姿があったり、それらが言外の思いやりに満ちた行為として描かれるのは、懸命に生きる人間を描く姿として見事というほかない。

 ひとつひとつの場面が詳細に至まで丁寧で、しっかり展開され、それでいて物語としての醍醐味もあって、読ませる作品のひとつと言えるだろう。山本一力の作品をまだ多くは読んでいないが、これまで読んだものの中では、『だいこん』とこの作品が最も気に入った作品である。

 それにしても、江戸時代の改革を顧みながら、現在の日本政府の政策を見て、行き当たりばったりの政策は、いずれは窮乏を生むと思ったりもする。

 今日は雨が降ったり止んだりして冷えている。こんな日は鍋が美味しいのだろうが、昨日鳥鍋にしたので、別のものを作ろう。冷蔵庫にお肉の買い置きがあったかも知れない。明日、天気が回復してくれればいいが。

2010年11月15日月曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 文明怪化』

 朝方は晴れ間も見えていたが、午後から曇り始め、雨が落ちてきそうな気配になっている。昨日、あまり気乗りのしない会議で小田原まで出かけ、途中の渋滞で少々疲れを覚えていたのだが、帰宅してテレビで世界女子バレーを見て、32年ぶりで日本のチームがメダルを取るという試合で、長い試合日程の中でもうほとんどジャンプする力も残っていないのに、気力だけで試合をしているような選手の姿に感動した。勝負の勝敗ではなく、そういう姿が好きで、全試合を観ていた。

 それから夕食を作り、食べながら、行儀が悪いと思いつつも独りの気楽さで、高橋克彦『完四郎広目手控 文明怪化』(2007年 集英社)を読んだ。

 これは『完四郎広目手控』(1998年 集英社)から始まるシリーズ物の4作目であるが、前に読んだ『おこう紅絵暦』と同様、前作を読まないと登場人物の相関図がわかりにくいのが難点で、このシリーズの前3作は読んでいないので、突然、ある人物が登場してきたときには、これは誰でどういう関係なのだろうと思ったりもする。だが、巻末にある出版社の広告で、これが幕末の安政年間から続く物語で、頭脳明晰で剣の腕もたつ香冶完四郎(こうや かんしろう)という旗本の次男坊が、持ち前の明晰な頭脳で居候している広目屋(広告代理店)を手伝いながら、戯作者の仮名垣魯文(かながきろぶん)らと共に難事件を解決していくという、時代探偵小説とでもいうべき作品であることがわかる。もちろん、幕末から明治維新にかけての激動した時代の推移や、幕末から明治維新にかけて活躍した実在の人物も登場し、ある種の文明批評もきちんと盛り込まれているだろうことは想像がつく。

 シリーズの4作目である本書は、維新前にアメリカに渡った主人公の香冶完四郎が明治になった日本に帰国してくるところから始まっているし、戯作者の仮名垣魯文は著名な作家となり、創刊されたばかりの東京日々新聞にも深く関わっており、本書は、その東京日々新聞の新聞錦絵(事件を絵にしたもの)に描かれた事件の謎を解いていくという趣向で物語が進められている。

 ちなみに、東京日々新聞は、現在の毎日新聞の前身で、1872年(明治5年)に戯作者であった山々亭有人こと粂野伝平(1832-1902年)と貸本屋の番頭であった西田伝助(1839-1910年)、浮世絵師であった歌川芳幾(1833-1904年)が創立したもので、この頃、鉄道が開通したり、東京-大阪間の電信や全国に郵便施設が開設されたりして、通信手段が発展し、現在の読売新聞とスポーツ報知などの前身である郵便報知新聞も同年に創刊されている。本書でも、歌川芳幾と人気を二分した芳年(月岡芳年・・1832-1892年)が郵便報知に挿絵を描く人物として登場する。

 ただ、物語よりも最初に驚いたことであるが、本書で取り扱われている歌川芳幾と芳年の新聞錦絵が著者所蔵となっており、作者に収集癖があるのか、それとも金に飽かせて買い集めたのかはわからないが、これだけの明治初期の新聞錦絵を個人で所蔵し、おそらくはそれをじっくり見ながら本書の主人公よろしく推理を組み立てただろうと思われるその想像力の巧みさに恐れ入った。

 物語は、その新聞錦絵で取り扱われている怪談や幽霊話、残酷な事件などの記事と描かれている絵から想像されることとの違いから、主人公がそれぞれの事件の裏に隠されている真相を明晰な頭脳で暴いていくというもので、それが肉の検査制度の発足や迷信の払拭などといった明治の政策と絡めて展開されている。その着想や発想はとてもおもしろい。罪人を作らないのもいい。

 ただ、主人公の頭脳明晰さを強調するためだろうが、それぞれの事件が主人公によってあっさり謎解かれ、解決されるのに物足りなさがあるような気がするし、以前横浜にいて主人公と知り合い、再び主人公を慕って米国からやってきたジェシカという娘の恋心があまり伝わらない。主人公の朴念仁ぶりが語られているが、恋をする娘の姿はあまり感じられない。彼女の恋心は、アメリカから追ってきたにしては、あまりにあっさりしている気がするのである。

 作者自身が主人公の口を借りて新聞について、「アメリカやイギリスでは、・・・・こんな事件があったというのではなく、なぜこんな事件が生まれたかに主眼を置いている。日本人は目の前のことにしか関心を持たない。せっかち過ぎる。新聞の記事もそうだ。事実はそうに違いないが、それだけ並べて終わりという書き方だ。・・・・」(235ページ)と語っているが、その「なぜ、そんな事件が起こったのか」の掘り下げが、少し物足りない気がするのである。人間の怨恨は深く、またそれを巡る思いを関係も複雑で、金と欲では簡単に片づかないだろうと思うからである。

 たとえば、実際に絵師の芳年は神経症で苦しんだが、本書では、それが前妻の幽霊を見るということで表されたりしている。しかし、実際の神経症はそう単純ではないし、芳年の絵にはどこか狂気のようなものが感じられるので、物語の筋とはあまり関係ないにしても、そのあたりが掘り下げられても良かったのではないかと思ったりもする。

 とは言え、通常の捕物帳のようなものではなく、ある種の探偵小説というようなものであり、新聞錦絵からの奇抜な発想は、間違いなく読んでいて面白い。あまり物事にこだわらずに自由な発想をする主人公の姿もいい。いずれにしろ前3作を読んでいないので、何とも言えないことではあるが。

 今日は嬉しいメールが一通届いたし、夕方からの予定はあるものの気分的には比較的ゆっくりしている。いくつかの仕事を夕方までに片づけて、夜はまた違う本を読むつもりである。

2010年11月13日土曜日

出久根達郎『猫にマタタビの旅』

 薄く曇った肌寒い日になった。黄色くなった銀杏が、時おり差す陽の光に輝いたりするが、全体的に灰色の世界が広がっている。

 木曜日の夜から読み始めていた出久根達郎『猫にマタタビの旅』(2001年 文藝春秋社)を読み終えた。書名からして「マタタビ」と「旅」がかけてあったり、扉に「東西、トーザイ」という口上書きが記してあったりして、気楽に読めるようになっているが、仕事が少し立て込んでいたので読み終えるのに少し時間がたってしまった。この作品には『猫の似づら絵師』という前作があるが、そちらはまだ読んでいない。

 ちなみに「東西、トーザイ」というのは芝居の前口上の呼びかけの言葉で、「ご来場のみなさん」というのを洒落て言ったもので、この前口上が記してあることからわかるように、本書は、全体が洒落とユーモアに満ちたものになっている。

 主な登場人物は、猫の飼い主などに猫の似顔絵を描いて売っている銀太郎と、縁起物として貧乏神の絵を売っている丹三郎というふたりの青年、そして、年齢も正体も不明だが、うどん好きで、始終うどんを打っていて、人生の機知をよく知り、時には窮地を脱する手段を発揮する源蔵の三人である。この源蔵は春画を描いて糊口をしのいでいるが、実は、実際にわずか10ヶ月ほどしか活躍しなかったにもかかわらず独特の役者絵を描いた東洲斎写楽ではないかとの暗示もあったりする。三人はいずれも貧しく、そしてお気楽者である。そして、「なんとかなるさ」という脳天気ぶりが発揮される。

 本書は七編からなる連作集だが、最初の三編、「猫にマタタビの旅」、「禍福は猫の目」、「ぐるっと回って猫屋敷」以外の四編は、三人がうどんの名産地でもあった上州の高崎(現:群馬県高崎市)にうどんを食べに行くという旅物語で、源蔵が描く春画を欲する者がいるというのが旅の目的でもあった。

 最初の三編は、貴重な金目銀目の猫(猫の目が金と銀で、両方が金の目の猫も招福猫として考えられていた)を買いたいという柳橋の芸者置屋の女将の依頼を受けて、銀太郎が甲州街道の多摩に出かけていく話で、宿で盗っ人にあったり、猫の売り主が猫の帰家癖を利用して企んでいた詐欺がばれたりしていく「猫にマタタビの旅」、行徳河岸(現:千葉県市川市南)まで春画を描きにいく源蔵に銀太郎と丹三郎が同行し、そこからさらに木更津まで行って、そこで高価な三毛猫の雄(航海安全、招福として尊重された)が逃げて弁償しなければいけないという少年に会い、同情して三毛猫の雄を探したりしているうちに、実は、その猫の失踪そのものが同情をかって金を儲けるために仕組まれたものであることがわかっていくという「禍福は猫の目」、老い猫を捨てることを依頼された銀太郎が佃島まで猫を捨てに行くことに絡んでの佃島の猫屋敷と老い猫の買い主である女性の離縁話が語られた「ぐるっと回って猫屋敷」である。

 ちなみの、この話の第一話で、銀太郎は、猫を呼び寄せるために持って行ったマタタビを飲んで、発情してしまい、同行した男のような芸者置屋の奉公人「みん」と寝てしまうが、この「みん」が最後の第七話「人も猫も猫かぶり」で銀太郎に夫婦約束を迫る話も出てくる。マタタビは催淫剤でもある。

 第四話からは高崎への旅物語だが、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』よろしく、あちらこちらでてんやわんやの騒動が巻き起こり、三人はそれに巻き込まれていくのである。

 第四話の「鼠の猫じゃらし」は、高崎へ向かう途中の岩鼻(現:群馬県群馬郡岩鼻)で、蚕のネズミよけに貼る猫の絵を描く地主に出会ったり、密かに訳ありの子供を産ませることをしていた神官が生まれた子どもを使って遊女屋を営み、こっそり生んだ母親を脅したりしていた事件に遭遇していく話である。この事件で使い走りをさせられていた庄太郎という若者も三人に同行することになる。

 第五話の「猫なで声でうどん」は、四人が高崎に着いて見ると、源蔵に春画を依頼した者が伊香保温泉に保養に出かけたというので、金儲けの当てがはずれた四人が伊香保までいく話である。ここで千社札を貼ることを生業としている甚六という男と同行することになり、一行は、伊香保の手前の水沢観世音に美味しいうどんを食べさせる店があるというので、そこに出かける。ところが、彼らが入ったうどん屋は、いわばぶったくりのうどん屋で、酒も女も出すという怪しげな鼻つまみのうどん屋だった。

 彼らはすぐにその店を出ることにしたが、料金のことでもめているときに、水沢観世音の住職が通りかかり、彼らは窮地に一生を得る。そして、その店で嫌々働かされていた小冬という女性(小冬は弥山の源氏名で、実名はお春)も彼らと同行することになるのである。

 第六話「猫のひたいで盆踊り」は、源蔵の金主となる春画を欲しがる旦那が伊香保から草津に行ってしまい、全く金がなくなった一行六人が安宿の布団部屋で金策に走る中、宿に併設されている湯治客用の風呂で、貸本屋の金蔵と会い、彼の貸本を写本して金稼ぎを考えた銀太郎と丹三郎であったが、その貸本(春本)の絵に、風呂で見た背中に弁財天の刺青のある女性の姿を描いたところ、その女性の男の子分たちから脅しをかけられていく話である。彼らは女性の気っぷの良さと粋な計らいで窮地を脱していく。

 第七話「人も猫も猫かぶり」は、草津まで行って春画で金を稼いできた源蔵が戻り、伊香保で最上級の旅館に泊まることになった六人が、その旅館で起こる騒動に巻き込まれる話で、第五話で同行することになったお春の素性が明かされ、自分には子種がないから友人と寝て子どもを作ってくれというようなふがいない分かれた亭主が、たまたま一念発起して彼女を探しに来ていたのに出会ったり、逃げていた殺人者(実は怪我させただけで、殺人というのは噂に過ぎなかった)と出会ったり、てんやわんやの騒動の末に一件落着といき、銀太郎は江戸に帰って、第一話の「みん」と祝言をあげることになり、写楽のような役者絵を描いたらいいと勧められるところで落ちがつく。

 読んでいくと、味のある江戸浮世噺のような作品だと、つくづく思う。主人公の三人はすこぶるつきの善人であり、人が良すぎる人間であるが、つまらない妙な正義感が振り回されたりもしないし、てらいも構えもない人々が、そのまま面白く描き出され、人が良すぎていろいろな事件に巻き込まれていくが、それを何とも思わないのもいい。健康的なエロ話がユーモアたっぷりに描かれるのもいい。ただ、真面目な女性が読んで面白いとは思わないかも知れないが。

2010年11月11日木曜日

宇江佐真理『神田堀八つ下がり 河岸の夕映え』

 今日も抜けるような青空が広がっている。立冬を過ぎているので、季節的には初冬なのだろうが、小春日和と言うのがふさわしい天気である。だが、やはり冬の足音が聞こえないわけではない。朝晩はコートが欲しいくらいに冷え込んでくる。お鍋もおでんも美味しい季節になってきた。

 昨日、宇江佐真理『神田堀八つ下がり 河岸の夕映え』(2003年 徳間書店)を感動しながら読んだ。 これは再読なのだが、改めて、作者が描き出す世界はなんと温かなのだろうと思った。その温かさは、強いてたとえて言えば「梅一輪の温かさ」であり、凍てつく冬の中の小春日和の温かさであり、暗い夜道で生き暮れている時に遠くにぽつんと見える明かりの温かさである。それは決して甘っちょろい温かさではなく、生きることのつらさや悲しさや切なさがにじみ出るような温かさなのである。

 本書は、「どやの嬶(かか)-御厩河岸」、「浮かれ節-竈(へっつい)河岸」、「身は姫じゃ-佐久間河岸」、「百舌-本所・一ツ目河岸」、「愛想づかし-行徳河岸」、「神田堀八つ下がり-浜町河岸」の六編の短編が収められている短編集である。

 江戸時代、江戸は、大川と呼ばれた隅田川やその支流の小名木川などのいくつもの川が流れ、また運搬用などに堀もたくさん作られて、世界有数の水上都市でもあった。そして、それぞれの川や堀には橋が架けられたり、舟の渡しがあったりして、それぞれ河岸と呼ばれて名前がつけられていた。河岸は、人と人との出会いの場であり、また別れの場でもあった。ここに収められている六編は、そのそれぞれの河岸に住む人々の姿をとおして、家族、親子、夫婦、男女や兄弟のそれぞれの愛情の姿が描かれたものである。

 「どやの嬶(かか)」は、火事で父親が死に、焼け出されて浅草の御厩河岸で小さな水菓子屋(くだもの屋)を営むことになった家の娘が、自分の恋愛をとおして、「どやの嬶(かか)」と呼ばれていた大柄で男勝りで人情家である船宿の女将の姿に接しながら、家族や男女の愛情の大切さやその機敏を知っていく話で、「どやの嬶(かか)」と呼ばれた女将は、何人もの捨て子を自分の子どもとして育て、開けっぴろげで、自分の情愛に素直で、娘はその姿に圧倒されながらも、やがては自分の母とその母を慕って親身になって生活を助けてくれた番頭との間も認めていくようになっていくのである。

 「浮かれ節」は、日本橋住吉町の南側の堀の「竈(へっつい・・かまど)河岸」と呼ばれる河岸の近くに住む無役の小普請組(本来は江戸城の修復や土木作業のための役人だが、役職に就くことはなかなか難しく、小普請組といえば貧乏武家をさえ意味した)の御家人である三土路保胤(みどろやすたね)が、唯一の趣味であり特技でもある端唄(江戸の町人たちが好んだ歌謡)と、流行し始めていた都々逸との歌合戦をとおして、妻や娘との絆の中で生きていく姿を描いたものである。

 ここには、貧乏御家人である夫を支える妻や父親の思いを大切にする利発な娘、その娘の父を慕う愛情、なんとかお役につこうと頑張るが適わないふがいない自分への思い、都々逸を大成させた都々逸扇歌(1804-1852年)との歌合戦に敗れても、その粋な計らいを知っていく主人公の姿など、実に多くの要素が巧みに盛り込まれている。

 「身は姫じゃ」は、両親を失い、唯一の身寄りである江戸城大奥の叔母(「常磐」)を頼ってきたが、途中の道中で強盗にあったり、おつきの女中が死んだりして、佐久間河岸と呼ばれる神田の和泉橋の下で浮浪者のような生活をしていた七、八歳の少女を見つけた岡っ引きの家族とその少女の姿を描いたもので、僅かのことを手がかりにして少女の身元を探っていく岡っ引きや親身になって世話をする岡っ引きの家族の姿が描き出されている。

 痩せて汚く臭い少女が、実は高貴な身分の者であったという話でもあるから、物語の骨格には夢問語りのような甘さはあるのだが、少女の身元がわかって引き取られていく場面で、それまであまり自分には馴染んでくれていないのではないかと思っていた少女が、「わらわは、いついつまでも忘れぬ」と言う最後の別れの言葉が光っている(147ページ)。 「いついつまでも」という表現に、その思いがこめられて言葉が光っているのである。

 本当に苦しいときやつらいときに受けた恩は決して忘れない。そういう人間の姿を描くところは、作者らしいと思っている。

 「百舌」は、青森弘前藩の藩校であった稽古館の教官を務め、政争で敗れてわび住まいをしている横川柳平という人間の姿を描いたもので、横川柳平は農家の出身であり、彼が学問の道を行くのに姉の犠牲があった。彼に学問をさせるために自分の恋愛を諦め、借金相手の家に嫁ぐが、たくましく生きている姉、江戸で放浪したあげくに兄を頼ってきた弟、その弟の娘の危機、そういうものが入り交じって、失意のうちながらも兄弟に支えられて生きていく姿が描かれている。

 書名は失念してしまったが、農家の出身で学問を志し、学者となりながらも失墜して無為のうちに老年期を過ごした実在の人物を題材にした長編があったように思うが、作者の目は、そうした人間の生き方よりも温かい兄弟愛に向かっている。人は、特に知識人と呼ばれるような人は、多くの犠牲の上にしか生きることが出来ない。そして、そのことを自ら知っている知識人を「優れた知識人」という。この作品では、おそらくそういうことを主眼に置いているのだろうと思う。

 「愛想づかし」は、男女の別れの姿を描いたものである。苦労ばかりしながら幸せになれない小料理屋で働く女と、家を捨てた廻船問屋の息子、その息子の家の事情が変わって別れ話が進む前後の男女の悲しい綾、別れの修羅場、そういうものが織りなされていく。ここには何とも言えない重い疲労感が漂う。ただ、この話には、男女のお互いの思いがあまり伝わらずに終わっている。作者自身が、この手の男や女はあまり好きになれないのではないかと思ったりもする。

 「神田堀八つ下がり」は、自分のことはあまりかまわず友人や仲間、弟子のことを優先させて爽やかに生きている青年武士のために奔走する薬種屋と町医者の姿をとおして、矜持をもって生きる姿を描いたもので、大店の料理屋を飛びだした料理人が場末の小さな店でも料理人としての矜持をもって生きる姿が重ねられて描き出されている。ただ少し物語で語られる登場人物たちの心がきれいすぎる気がしないでもないし、青年武士が、次男坊とはいえ千五百石の旗本で、千五百石といえば大身の旗本であり、たとえば江戸町奉行所の同心の筆頭クラスでも百石ぐらいであったことからすれば、いくら経費がかかったといっても、作品で描かれるような貧しい暮らしでは決してなかっただろう。

 わたしはこの作者の作品が本当に好きで、しみじみと、時にはなみだをぽろぽろこぼしながら読むことが多いし、作品全体に流れている雰囲気や柔らかさ、温かみがつくづくいいと思っている。ただ、この作品で欲を言えば、描き出される人間の苦労やつらさ、喜びなどがもう少し深く描かれればと思ったりする。短編の限界もあるが、人間も、その人間が抱えている状況も、もう少し複雑で、簡単明快に生きているわけではないのだから。ここで描かれる物語の顛末はうまくまとまりすぎて、きれいな落ちがついているという気がしないでもない。

 さらに欲を言えば、人間は時代と社会の中で、その中を翻弄されるようにして生きているのだから、そうした時代と社会の陰が及ぼす人間への影が、もう少し描き出されたらと思う。いつの時代でも変わらない人間の姿を描くにしても。

 それでもやはり、この作品を含め、宇江佐真理の世界は、なんと柔らかく温かなのだろうとつくづく思う。人の情けが身にしみるとき、あるいはひとりぼっちの孤独を噛みしめなければならないとき、彼女の作品を読むと、つい泣いてしまう。涙もろい人間だとは思うが。なにしろ、世界女子バレーをテレビで見ていても、ひとりの選手がサーブで狙われ続ける中で頑張っている姿を見ただけで泣けて仕方がないくらいだから。

2010年11月9日火曜日

千野隆司『霊岸島捕物控 大川端ふたり舟』

 昨夕、親しい友人たちと行っている研究会で、『車輪の下』などでなじみのある20世紀初頭のH.ヘッセの研究発表があるというので池袋まで出かけ、終了後に談笑しながら食事をした。発表されたのは千葉経済大学短期大学部で比較文学を講じられていたI先生で、もう現役を引退されて久しいのだが、50年前に大学ノートに書かれた論文を拝見などした。食事は気の置けない中年過ぎの男5人なので、今後の研究会のテーマや世間話などを織り交ぜて話ながら、なかなか楽しいものであった。東京女子大学に勤めるE氏は、最近、いろいろなことを面倒に思うようになったと言う。わたしも同じような心境の中にあると、つくづく思う。

 その往復路で、読みさしていた千野隆司『霊岸島捕物控 大川端ふたり舟』(2002年 学習研究社 2006年 学研M文庫)を味わい深く読み終えた。以前、作者の作品について触れたときに、この作者が好きだという方からのコメントを頂いていたこともあって手に取ったのだが、この作品も、物語の顛末が丁寧だし、推理性も抜群で、推理時代小説(捕物帳)として完成度の高い満足できる作品だった。

 物語は、隅田川河口の埋め立て地であった霊岸島(浄土宗の寺であった霊岸寺が建てられたことから名称が取られた)の岡っ引きの娘である十七歳の「お妙」を主人公にして、離別した母親の殺人事件を骨格に、江戸三代火事の一つといわれる文化3年(1806年)の大火を背景として、一緒に暮らす離婚した岡っ引きの父や火事に被災した人々、好きになった男などの間を揺れ動きながら成長していく娘の姿と、思いもかけない犯人像が浮かび上がって来る母親殺しの犯人の探索の過程を通して、夫婦、親子、男女の絆などが描き出されていく。

 この作品の文章も優れていて、前章「夜が響く」で、離婚して材木屋の奥女中として働く「お妙」の母親「おくに」が押し入った盗賊に殺される場面が描かれるのだが、
 「三十半ばをとうに過ぎて、おくにはこれまで幾多のことを諦めてきた。物だけではない。親しい人との絆、そしてそれにまつわる多くの思い。その最後の諦めとなったのが、自らの命だった」(文庫版 10ページ)
という短い文章で、この女性がこれまでどんな人生を歩んできたかがにじみ出ている。

 あるいはまた、第四章「河岸蛍」の書き出しは、
 「前日までの雨が、嘘のように晴れ渡った。空の青が濃く見える。雀の子が、囀(さえず)りながら親雀を追って飛んで行く。近寄っては離れ、じゃれ合っていた。
 子鳥は時おり飛び方を間違えるのか、つっと落ちそうになる。親鳥はそれを見ると、緩やかに旋回した」(文庫版 223ページ)
 という情景描写なのだが、これが単なる情景描写で終わっているのではなく、離婚して外に愛人を囲っている父親とあまりなじめないままに暮らしている主人公が、初めて父親が愛している女性と会ったり、火事で被災した子どもの母親を訪ねたりしながら人生の経験を重ね、母親殺しの犯人の探索の中で母との離婚の真相や父親の真実の姿を知っていき、また父親の自分への愛情を知っていったりしていくという、この章全体で表されている主人公の姿に重ねられているのである。

 母親殺しの真犯人は最後までわからない。怪しいと思われた人物が火盗改めの同心であったり、犯人と思われる者が彼女を助けたり、火事で被災した人々を助け、頼もしいと思われ、主人公が危機に瀕したときも身を挺して助けてくれた者が真犯人であたりするどんでん返しがあり、そしてそこにも、養子として育てられた先が強盗団の首領であるというどうにもならない人間の悲哀がある。

 物語の細部に至るまで「人間」が描かれるのがいいし、霊岸島周辺で生きて動く人の視点で情景が描かれるのもいい。構成も細部までよく考え抜かれた構成になっている。これが出された2002年の時点で作者は中年の男性なのだから、十七歳の少女の心情の細かな揺れを描き出すことが難しいだろうとは思うが、物語の細かな設定と主人公を取り巻く人間模様の巧みさで、人を愛することの切なさと悲しみが生き生きと描かれている。作者の思考と感性の緻密さを感じる。

 今日、気温はそんなに高くないのだが、秋の蒼空が広がっている。日本海側と北海道は天気が荒れると予報が出ていたが、どうなのだろう。横浜はAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の開催があって、会場近くの「みなとみらい駅」では、テロを警戒して自動販売機もゴミ箱も使えない。交通も制限がある。「会議ばかりで何一つ有効な手段が実行されない」のが、小は小さなグループから大は国家組織に至までの現代の組織形態の実体なので、あまり会議の結果などに期待もしていないが、貧しい者でも生きていけるようになるためには、社会全体の価値観が変わる必要があるなあ、と思ったりする。貧しい者ほどお金に価値があると思わざるを得ないような社会は、やはり生き難い社会なのだから。日本の政府が、まずお金ありき、で政策を進めるのは、政治思想の貧困状態だろう。

2010年11月6日土曜日

澤田ふじ子『世間の辻 公事宿事件書留帳』

 気温は決して高くはないが、晴れた秋空が広がっている。紅葉が進み、銀杏の街路樹も色づき始めている。銀杏の葉がひらりはらりと舞い落ちる様は何とも風情がある。銀杏の葉には脂分が多いので、掃除は大変なのだが、それもまた一興だろう。

 昨日、都内での会議のための往復路で、読みさしていた澤田ふじ子『世間の辻 公事宿事件書留帳』(2007年 幻冬舎)を面白く読み終えた。作者の作品は京都を舞台にした作品が多く、もちろん歴史的考証や社会的考察もしっかりしているし、どちらかといえばこの類の作品は、テレビ時代劇の『水戸黄門』に代表されるような勧善懲悪が根本にあるのだが、権勢や権力を笠にして悪を両断していくのではなく、市井に生きる人間の側での納得のいく形で描き出されるので、比較的安心感がある。

 この書物を手に取ったのは、「世間の辻」という書名がなかなか味のある書名だと思ったからで、シリーズの最初から読んでいるわけではない。しかし、さすがに前後を知らなくてもきちんと読めるように構成されている。ちなみに、このシリーズは、2002年に『はんなり菊太郎~京・公事宿事件帳』、2004年に『はんなり菊太郎2~京・公事宿事件帳』、2007年に『新はんなり菊太郎~京・公事宿事件帳』としてNHKでテレビドラマ化され放映されている。ただ、わたしは残念ながら見たことはない。

 ドラマの原作となった『公事宿事件書留帳』のシリーズは、現在まで15冊という長いシリーズになっており、本書はその14番目の作品で、「ほとけの顔」、「世間の辻」、「親子絆騙世噺(おやこのきずなだましのよばなし)」、「因果な井戸」、「町式目九条」、「師走の客」の6話が収められている。

 江戸幕府は京都の二条城(二条城は江戸幕府統治の象徴でもあった)近くに東西奉行所を置いて京の治安を管理していたが、その近辺には奉行所での訴訟のための「公事宿(訴訟のために遠方から来た者を留める宿だが、訴訟手続きや補助、仲介、交渉など弁護士事務所のような働きもした)」が多くあり、本書は、二条城近くの姉小路大宮通りにある「鯉屋」という公事宿で、東町奉行所同心組頭の長男でありながら、妾腹のために家督を弟に譲って浪人となり、居候兼相談役、また用心棒のようなことまでする田村菊太郎という、あまり物事にこだわらないで飄々と生きている人物を主人公にして、公事宿に持ち込まれる事件の顛末を記したものである。

 公事宿「鯉屋」の主人である鯉屋源十郎は、菊太郎を良い相談相手として居候させ、信頼し、「鯉屋」の奉公人たちも菊太郎を尊敬し、菊太郎から俳句を習ったりして、その関係は温かい。菊太郎には「お信」という恋人があって、「お信」は、夫に蒸発され、料理屋で仲居をしていたが、団子屋を開き、ひとり娘の「お清」を育てている。菊太郎とお信の恋の顛末については、おそらく、シリーズの前の方で記されているのだろうと思う。

 江戸でもそうだったが、京都でも奉行所の訴訟事件の大半は金や権利を巡っての民事で、公事宿が取り扱うのも民事事件が大半であるが、時にはそれが刑事事件になっていく場合があり、また、菊太郎が家督を譲っている弟の銕蔵(てつぞう)が東町奉行所同心組頭をしていることもあって、菊太郎は強盗や殺人に絡む刑事事件にも関わっていく。

 第一話「ほとけの顔」は、生糸問屋の大店の主が気の強い女房に嫌気がさして失踪し、六波羅の近くで陶工として働いていたが、死んでしまい、大店の女主は、遺体を引き取ることも葬儀を出すことも気にいらず、意にも沿わないが、見栄と世間体から主の遺体を引き取って葬儀をしたいという依頼を公事宿に持ち込んでくる話である。

 京都は何度も足を運んで好きな町のひとつだが、見栄や世間体が幅を効かせる所でもあり、特に大店の女主ともなればそれだけで生きている人もあって、なるほど、と実感を持ちながら読んだ。菊太郎と鯉屋源十郎が実際に当たってみると、六波羅で人々に慕われながら生きた大店の主の姿が浮かび上がるだけであり、葬儀はこともなく生糸問屋で行われることになっていくのである。

 表題作ともなっている第二話「世間の辻」は、惚け(認知症)が進んだ老いた母親を抱える貧しい石工が、働くことも出来ずに貧にあえぎ、とうとう無住の荒れ寺で母親を殺し、ふらふらと出てきたところに行き会わせた鯉屋の下代(番頭)と奉公人が助け、その母親を殺さなければならなかった顛末が述べられたもので、おそらく、作者の中には現代の介護の問題が意識されていただろうと思われる。

 第三話「親子絆騙世噺(おやこのきずなだましのよばなし)」は、大店の焼き物問屋の跡取り娘が死んで、その跡継ぎ問題が起こったとき、実は、死んだ娘には双子の妹があり、当時の風潮から(双子は畜生腹として嫌われた)生まれてすぐに他家に出されていて、大店の夫婦が、その妹を捜し出して跡継ぎにしたいと鯉屋に相談に来たことの顛末を物語ったものである。

 妹の行くへを探すために、姉妹を生んだ時の産婆を捜し出すが、産婆の息子がぐれた息子で、大金の謝礼を要求してくる。菊太郎と源十郎は、産婆の息子の要求をはねつけ、産婆を説得して、妹のもらわれ先を探し出す。妹は、魚屋の養父母に大切に育てられ、幸せに暮らしており、生みの親の身勝手な要求を断固として断る。菊太郎は,焼き物問屋の夫婦に、道理をわきまえて、やがては行き来が生じて、その妹が産んだ子を跡取りとする方法もあるだろうとさとしていく。

 第四話「因果な井戸」は、博奕と酒好きのために親から譲り受けた昆布屋を廃業させた男が、店の土地を売るためと、隣で豆腐屋を営む繁盛している弟を嫉んで、弟が使っている井戸に死体を投げ込むことを地回りと結託して画策し、偶然、殺されることになっている男と殺そうとする男たちと居酒屋でいあわせた菊太郎が、その計略を暴いていく話である。

 第五話「町式目九条」は、学問所などを私財をはたいて作っていた筆屋の主が亡くなり、情のない養子夫婦の中でひとり残った老女が、養子家族たちだけが紅葉見物に出かけて留守居をさせられていた時に入ってきた泥棒と親しくなり、失踪してしまうという事件の顛末を語ったもので、鯉屋の奉公人たちが泥棒に背負われている老女と偶然出会ったことから、老女の失踪先を案じることになるが、やがて老女の行き先がわかり、養子夫婦の実態が明らかになって、養子夫婦によって閉鎖されていた学問所が「町式目九条」に従って町預かりとなり、再開されることになるというものである。

 町式目というのは、独自の形態をもっている京の町がそれぞれに定めた法律のことで、主にその町の住民が安心して暮らしていくために定められたものであるが、時には京の町々ごとの閉鎖性ともなったりした。しかし、たいていは相互扶助として機能していた。

 第六話「師走の客」は、公事宿である鯉屋の客となった滋賀の彦根で金物屋を営む男の話である。行きずりの奉公人の少女の下駄の緒をすげかえてあげている彼を鯉屋の主源十郎が見て、声をかけ、公事宿を探しているというので連れてきたのである。

 男は、今は金物屋として成功しているが、昔、喧嘩で遠島の刑を受け、その際に言い交わした女性の行くへを探しているという。女性は火事で死んだと聞いているので、その墓に参りたいと願っていたのである。菊太郎と源十郎は、弟で同心組頭の銕蔵(てつぞう)の助けを借りて、彼女が埋葬されている墓を探そうとする。そして、女性と金物屋の間に子どもが出来ていたことを知り、その子どもが今は駄菓子屋の女将として立派にやっていることを知る。

 菊太郎と源十郎は親子の名乗りを上げて子どもの心をかき乱すのではなく、物陰からそっと見守っていくことを勧め、金物屋と一緒に彦根へのお土産を買うという名目で、その駄菓子屋に行き、密かな親子の対面を果たす。しかし、金物屋は昔の喧嘩仲間から恨まれて刺されてしまう。だが命には別状はないというところで終わる。

 これらの六話の物語は、それぞれが色彩の異なった別の事件で、それぞれが当時の京都の商人や市井の人々の姿を浮き彫りにして、味わい深いものになっている。主人公の田村菊太郎の鷹揚で何事にもこだわらない、しかし、明敏なところも魅力がある。菊太郎も鯉屋源十郎も悪人を作らない。鯉屋の奉公人たちも気持ちがいい。ただ、それだけに事件の結末があまりにもきれいすぎる気がしないでもない。作者は多作で、問題意識もあって人間と社会のそれぞれの面を取り上げているが、作品の結末は、たいてい、きれいに終わっている。そう思うのは、わたし自身が少しひねくれているからかも知れないと思ったりもする。

 今日はいい天気で、夕方、ぶらぶらと散策にでも出てみようと思っている。

2010年11月4日木曜日

出久根達郎『御留山騒乱』

 天気図を見ると高気圧に覆われて晴れそうだったので、朝から洗濯をし、寝具を干しておこうと思っていたのに、朝のうちは雲が重く垂れ込めていた。でも、西の空に蒼空が見え始めているで大丈夫だろう。

 このブログに、仕事や睡眠時間を案じてくださるコメントが読者の方から寄せられていて嬉しい限りで、もともと乱読の忘備禄のようなものとして書いているものが書物選びの参考になっているというのも望外のことだと感謝している。睡眠時間は確かに短いかも知れないが、無理をしているという思いはなく、ブログは可能な限り続けたい。

 働かないで生活ができるほどの余裕もなく、貧乏暇なしのような暮らしぶりで糊口をしのいでいるわけなのだし、仕事はできることをできるだけするようにしているが、お金には元々縁が薄く、子どものころに母親から「武士は食わねど高楊枝」で、痩我慢をして生きて行くことを教えられたことが染みついているのか、働けば何とかなるという楽天主義なのか、あれば嬉しく、なければ耐えるだけのことと思って暮らしている。

 仕事には評価や成果というものがつきもので、目に見えるほどの成果は上げていないだろうとは思う。成果や評価が高いことにこしたことはないが、ただ、成果にはいろいろな要因があり、良くても悪くても自分ができることをする以外にはなく、批判も甘んじて受ける覚悟があって、他者の評価というものも、それが良くても悪くても、それでどうということはない。自分の人生を成果や評価で計るつもりもさらさらないし、人の生は、いつも未完で終わるし、終わってもいいと思っている。

 それはともかく、昨日は爽やかに晴れた祭日で、忙しいのは結構忙しかったのだが、夕方から夜にかけて時間が空いて、出久根達郎『御留山騒乱』(2009年 実業之日本社)を面白く読んだ。物語は、この作者らしくユーモアに満ちている。

 これは、天保元年(1830年)に伊勢神宮に参詣する「お蔭参り」が流行した年、信濃(長野県)の上田から小諸を経て追分に至る山中の「御留山」で起こった藩の内紛に絡む騒動に巻き込まれた青年僧を引き回し役にして騒動の顛末を物語ったもので、「御留山」というのは、狩猟や立ち入りが禁じられた山のことをいう。

 このあたりは、鎌倉時代から戦国時代にかけて浦野氏という地方豪族が支配していたらしいし、越後(新潟)の上杉家と甲斐(甲府)の武田家の戦場であり、上田は真田幸村でおなじみのところだが、江戸時代には幕府の直轄地や旗本の支配地などが複雑に入り組んで、天保のころに誰の支配地になっていたのかは失念した。しかし、将軍献上のための山茗荷(ヤマミョウガ・・食用のミョウガとは少し異なって、夏の終わりに黒い実をつけ、精力剤としても用いられたらしいが、よく知らない)や松茸、夏の氷などの産地で、特に、冬に作った氷を氷室(ひむろ)に保存し、それを夏に出すことでよく知られていた。

 物語でも、将軍献上用の氷を作り、それを氷室に保存するための山が「御留山」とされ、献上によって上がる権勢と莫大な利益で私腹を肥やすことに絡んでの騒動が記されている。

 物語は、寺の息子で仏門修行に出された秀全という青年僧が、修業先の寺の住職の衆道(男色)癖と寺での生活に嫌気が差し、「お蔭参り」を利用して京に行こうと、修行寺から逃げ出し、浦野(現在は上田市浦野)の宿に着くところから始まる。秀全は読心術を身につけていたが、浦野の宿で、賭場でいかさまを見破った平助という男の仲間として土地の地回りに捕らわれ、監禁されてしまう。平助は、不思議な男で、薬草などにも詳しく度胸も知恵もあるが、実は、藩の将軍献上品を巡る不正を隠密裡に調べる役人であり、土地の地回りが不正に一役買っているのを調べていたのであった。

 監禁された秀全と平助は、地回りの養女となっていた「おまつ」という娘に助けられる。「おまつ」は地回りの養女であったが、山中で暮らしており、嵐と名乗る男といい仲になり、その嵐が行方不明になっていたために、山中を逃げる平助らと同行することにしたのである。嵐という男は、実は平助の同僚で、不正の探索を命じられたが、行くへ不明となり、平助はその嵐を探すために来ていたのであった。

 探し出した嵐は山中で「宝」を発見したと言う。その宝とは、強壮薬である五石散の材料となる黒水石であった。ちなみに、「水石」とは、もともと自然に出来た文様や形で鑑賞に堪える石のことで、黒色がもっともよいとされているが、五石散の材料となるものは、鍾乳石や硫黄、白石英、紫石英、赤石脂(黄土)であり、五石散は、麻薬のような幻覚や興奮を起こすもので、ここで語られている「黒水石」が何なのかはわからない。物語の展開とはあまり関係のないことではあるが。

 その黒水石は立ち入りが禁じられている「御留山」の近くにあるという。その近くの山中で、彼らは山中で人知れず暮らしている「山あがりの衆」という人々と出会う。仲間が御留山の氷室を守る役人に捕まったという。嵐は宝である黒水石を掘り出すためにも彼らの助けを必要としたので、彼らの仲間救出に手助けすることにして、御留山に向かう。

 御留山では、将軍献上のための氷が作られ、氷室が据えられていた。氷の中に入れて氷柱花とする花も栽培され、折り紙も作られていた。ところが、彼らがこの御留山に来たとき、大地震が起こり、氷を作るための湧き水が涸れ、紙細工の娘も氷室を守る役人に捕らえられて行くへがわからなくなるのである。監禁されているという「山あがりの衆」の仲間や行くへ不明の娘の居場所を突きとめるために右往左往する。彼らは氷室の中に捕まったりするが、何とかそこを脱出したりするのである。そして、氷を作る池のそこに大金が隠されていることを知ったりして、献上氷を利用して不正を働いていた氷室の役人の不正が暴かれていく。

 監禁されているという「山あがり衆」の仲間は、実は、嫉妬に駆られて裏切りを働いたのであり、平助や嵐に不正探索を命じた家老自身が、不正の張本人であったりするどんでん返しがある。権勢を巡っての陰謀が隠されていたのである。

 こうした騒動の末に、秀全は、この不正を暴くのに功績があって正式に認められた「山あがり衆」が建立するという寺の住職になっていく。

 物語は、大変面白いし、強壮剤という人間の欲を最もよく表している材料が使われてユーモラスに描かれている。ただ、後半の展開が急ピッチで進められ、その分、登場人物たちが雑多になっているので、ちょっと残念な気がしないでもない。藩の内紛ということや氷室の役人の姿、山あがり衆といったものは、もう少しじっくり人間というものを描く上で掘り下げられ、広げられても良かったのではないかと思ったりもする。

 明日は会議で都内まで出かけなければならない。往復の電車の中で読みさしの本が読み終えられたらいいが、と思っている。

2010年11月2日火曜日

鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 黒衣の刺客』

 久しぶりに朝から晴れ、朝焼けが、葛飾北斎が描いた「東海道五十三次の日本橋」に描かれているような茜色の一筋の線になっているのがまだ開けきれない早朝の東の空に見えた。

 昨夜、鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 黒衣の刺客』(2006年 双葉社 双葉文庫)を読んだ。これはこのシリーズの7作目だが、読み進めていくうちに、これは前に読んだことがあるのではないかと思って読書歴を調べてみたが、まだ読んでいない作品だった。つまり、このシリーズの作品の大まかな構成がほとんど変わらず、世のはぐれ者が住むことから「はぐれ長屋」と呼ばれている貧乏長屋の住人の五人が、老年期に差しかかった華町源九郎という貧乏傘張り牢人だが剣の遣い手を中心に、諸悪と闘い、その相手の中にも相当の剣の遣い手がいて、これと死闘を演じ、事件を解決していくという物語の展開の骨子がどの作品でも展開されていて、錯覚を起こしたというわけである。シリーズ物だから、それでもいいと思っている。

 この作品では、「はぐれ長屋」の住人で、半人前の手間賃稼ぎをしている大工の房吉が何者かに殺され、住人たちがその犯人を探索していく過程で、江戸市中を騒がせている盗賊一味が背景にあって、房吉がその盗賊の一人の顔を見てしまったことから口封じのために殺されたことがわかってくる。

 他方、第2作『袖返し』で華町源九郎と男女の関係になり、お互いに思いを寄せ合っている親子ほども歳の離れた浜乃屋という小料理屋の「お吟」に、大きな料理屋をもたせてやると言い寄ってくる男が現れた。お吟は元掏摸で、父親が殺され、自分の身も狙われているときに華町源九郎に匿われ、助けられて源九郎といい仲になったのであるが、大きな料理屋をもつというのは魅力的な話であった。お吟とその男は浜乃屋で親密な様子を見せる。お吟もまんざらではなさそうである。

 華町源九郎は、歳も離れているし、自分のような貧乏浪人ではお吟を幸せにはできないので、ひとり淋しく、悋気を感じながらも、その判断をお吟に委ねようとするが、お吟に言い寄ってきた古手屋(古着などを扱う店)の主人がどうもおかしいと思い、密かに調べていくうちに、その男が江戸市中を騒がせている盗賊の頭であることを知っていく。大工の房吉もその強盗団のひとりに殺されていたのだった。

 こうして、強盗団との対決を決意するが、強盗団に雇われている剣の遣い手が一筋縄ではいかない。だが、はぐれ長屋の住人たちは、計画を練って、奉行所の捕り方も使って強盗団を捕らえ、房吉の仇も討ち、剣の遣い手とも紙一重の差で勝負に勝って一件は落着する。華町源九郎とお吟との仲も深まる。

 この作品の中では、老年期を迎えた華町源九郎が、若いお吟のことを案じて、ひとり淋しく孤独をかこおうとする場面が光っているように思えた。彼は夜陰をとぼとぼと歩く。老年期の男の悲哀がにじみ出る。この光景が何とも言えない。

 物語の展開そのものも剣劇の場面も、一つのパターン化されたようなものがあるのだが、こうしたちょっとしたことがこの作品の魅力になっていると思う。

2010年11月1日月曜日

高橋克彦『おこう紅絵暦』

 土曜日に台風が太平洋沿岸をかすめていったが、台風一過とはいかずに、ぐずついた天気が続いている。今日もようやく西の空に蒼空が見え始めているが、朝は幾重にも重なった灰色の雲が重く垂れ込めていた。急速に秋が深まって、もはや初冬の感さえある。

 昨夕、なんだか少し疲れを覚え眠ってしまい、目覚めたときには、見ようと思っていた世界バレーの中継が終わっていた。それから夕食を作り、ビールを飲みながら高橋克彦『おこう紅絵暦』(2003年 文藝春秋社)を読んだ。

 1947年生まれの高橋克彦は、歴史・時代小説の他にも推理小説やホラー小説、SF・伝奇小説などでも多作であり、浮世絵などにも造詣の深い作家であるが、作風に何となくなじめないものがあって手を伸ばしかねていたものがあったのだが、読みたいと思っていた本が図書館で見つけることができずに、今回読んで見ることにした次第である。

 『おこう紅絵暦』には前作『だましゑ歌麿』(1999年文藝春秋社)があって、前作では、風紀を厳しく取り締まり、あらゆる事柄に贅沢を禁止した禁令を断行した寛政の改革(1787-1793年)を行った松平定信が老中、火附盗賊改の長が有名な長谷川平蔵であった時代に、南町奉行の同心で30代半ばの仙波一之進という気骨のある同心を主人公にして、人気絵師であった喜多川歌麿の妻が惨殺された事件を調べ、権力による圧力を受けながらも、知恵を働かせて真相を明らかにしていくというものであった。

 『おこう紅絵暦』は、前作の最後で主人公の仙波一之進に惚れていた柳橋の美貌の芸者「おこう」が晴れて妻となっていたが、その「おこう」の活躍を中心とする短編連作である。

 文学手法の一つに、ある日常をスパッと切って、作者による背景や登場人物の説明などあまりせず、あたかもその日常が続いているようにして物語を展開し、徐々に背景や人物像がわかっていくようにしていく手法があり、それが誰によって試みられたのかはわからないが、現代文学の一つの技法として定着している。『おこう紅絵暦』もそうした手法を用いて書かれているのかと最初は思ったが、どうも違うようで、これは前作の『だましゑ歌麿』を読まないと本作の主人公である「おこう」の背景や人間関係などの前後関係がわからない。わかるのは、頭脳明晰で明察力の鋭い「おこう」が南町奉行所筆頭吟味与力(奉行所では奉行に続く最高位の職務で、奉行に代わって最終的な取り調べをし、時には判決も出す)の妻で、元は柳橋の芸者だが、少女時代は「ばくれん」(少女愚連隊のようなもの)でもあったというくらいである。いくら続編のようなものとはいえ、その点では少し手抜きのような気がしないでもない。

 この作品では、「おこう」が、舅で足腰を痛めて隠居している元同心の仙波左門と相談しながら、持ち込まれる事件や関わりのある事件に鋭い洞察力で名推理を働かせて、巧妙に隠されている真相を明らかにしていくという12編の話が収められており、第一話「願い鈴」は、柳橋で芸者や酔客相手に手摘みの花に占いをつけて売りながら自分を捨てた母親を捜していた薄幸の少女である「お鈴」が殺人の疑いをかけられていることを知った「おこう」が、その事件の真相を解いていくというもので、真相解明後に夫の仙波一之進が薄幸の「お鈴」を仙波家の下働きとして引き取るという話である。

 第二話「神懸かり」は、「おこう」の元先輩の芸者が病で死にかけているところに、行くへの知れなかった息子が帰ってきて親孝行をするが、その息子の背後に押込強盗を企む一味がいて、そのことを見破った「おこう」の名推理力で、強盗一味を捕らえることができ、孝行息子も軽罪ですむことになったという話である。第三話「猫清」は、仙波家に出入りする絵師で、時には探索の手助けもする春朗の知人で彫師をしていた男が自死をする。時に、人気の出てきた役者の中村滝太郎の養父が殺され、滝太郎が養父殺しで嫌疑をかけられる。自死した彫師がかわいがっていた猫のことから、「おこう」は、滝太郎の養父殺しが、役者として人気がでてきて当代一の役者であった松本幸四郎の一族の一員となるように養子話が進んでいた滝太郎に強請をかけていた札付きの養父を、滝太郎のために実の父親であった彫師が殺して自死したことをつきとめていくのである。

 第四話「ばくれん」は、「おこう」の昔の「ばくれん(少女愚連隊のようなもの)」仲間で煙草問屋のおかみさんになっている女に義理の母殺しの嫌疑がかけられていることを知った「おこう」が、その事件の背後に、昔の「ばくれん」どうしの喧嘩を装いながら、悪徳子堕ろしの医者が強請の種にしていた「子堕ろしの証文」を盗み出して、強請の手から仲間を守ろうとしていたことがあることをつきとめるという話である。

 第五話「迷い道」は、老いて気力をなくしかけた舅の左門を気遣って昔の仲間がいる八王子まで遊びに出した時、槍の名手とまで言われた左門の友人が、同心株を返上して物乞いをしている姿を見るところから始まる。左門の友人は、仇討ちの立ち会いをしてくれと左門に頼む。友人はあえて討たれて死ぬ。だが、そこには、武士として最後まで矜持を持ち続けた姿があった。左門はその姿を見て、自分が老いてもなお生きることを考え直していくのである。

 第六話「人喰い」は、仙波家の元の女中の住む長屋で「人喰い」と呼ばれるような陰惨な事件が起こり、元の女中の心労を案じた「おこう」が春朗と共に訪ね、血しぶきの中で焼け焦げた首と片腕だけが残った事件の背後に、盗賊による身代わり殺人があることを突きとめていく話である。

 第七話「退屈連」では、寛政の改革によって風紀を厳しく取り締まられた金持ち連中が「退屈連」と称して狂歌の酒席を設け、そこに絵師として招かれた春朗が、ある大きな料理屋が霊力のある怪しげな山伏を招いて家に社を建立するという話を聞き込んで来る。それが芝居による強盗ではないかと推測して奉行所が捕り方を出そうとする。しかし、「おこう」は、それが「退屈連」の者たちが、町方が出てくるかどうかの賭をした二重の芝居であることを見抜き、さらにその奥に、町方を一緒の集めて手薄になったところを強盗に入るさらに強盗たちによる計画であることを見抜き、無事に強盗を未然に防ぐというものである。

 第八話「熊娘」は、「熊娘」として見せ物小屋で見せ物にされていた「おこう」の幼なじみて、故郷の名主の横暴を訴えようとしていた両親を殺され逃げていた少女を助け出していく話で、助け出された娘の「お由利」は、「おこう」の妹分として仙波家に引き取られることになる。この「お由利」は磨けば美貌で、背丈の高い娘であり、やがて、第五話で生きる意欲をなくしていた舅の左門から槍の手ほどきを受けるようになり、左門の生き甲斐の一つともなっていく。

 第九話「片腕」は、両国橋の橋下に投げ捨てられていた顔が潰され片腕のない死体が発見され、見せ物小屋にいた「お由利」の証言から、それが、奉行所が追っていた二人組の強盗のひとりではないかと考えられ始めていた。しかし、そこに仲間同士の諍いによる巧妙なすり替え殺人があることを「おこう」が見抜いていくのである。この話で、左門から武術を習い始めた「お由利」が見事に強盗たちをうち伏せる場面が付け加えられている。

 第十話「耳打ち」は、人気の出てきた役者の中村滝太郎が、芝居の立役(主役)を演じることになり、忠臣蔵の七段目が演じることになったが、その芝居の一風変わった演出をした作者が殺される事件を扱ったものである。その演出は評判を呼んだが、途中で変えられてしまった。そして、その作者は贔屓があって、見習い作者から、二枚目作者(芝居小屋では、いわば副作者に相当する)になり、さらに上方で立作者(作者の第一人者、映画で言えば監督)になるという。ところが、その作者が上方に向かう途中で殺される。

 芝居の筋が途中で代わったことから「おこう」は、そこに脅迫事件と脅迫された者による殺人を見抜いていくのである.作者が芝居で脅した相手は、顔立ちのいいことや役者との繋がりがあることを餌に若い娘などを引っかけ、盲目で十三歳の娘を引っかけ、殺していたが、それを作者に推測されて芝居の中で殺人の手口を暗示し、脅されていたのである。

 第十一話「一人心中」は、第一話で出てきた「お鈴」の母親が見つかるが、強盗の一味から足抜けしようとして殺されてしまうのである。「お鈴」の母親が残した手紙から、強盗の存在をかぎ取った「おこう」の推理によって、強盗たちが企んでいた押し込み強盗が防がれていく。「おこう」は「お鈴」に「あの人は親ではなかった」と言う。

 第十二話「古傷」は、「おこう」の「ばくれん」時代の最初の男であった秋太郎という男が、巧妙に仕組んだ押し込み強盗の言い逃れを、昔の古傷を思いながら「おこう」が明らかにしていくものである。舅の左門はそのおこうを見て、一之進に「お前には過ぎた女房」という。

 これらの話は、人が気づかないようなほんの些細な手がかりから明晰な「おこう」が謎を解いていく話で、推理小説としては、たとえば、アガサ・クリスティーのミス・マーブルやチェスタトンのブラウン神父のようなものを思わせる。しかし、人間や現象というものへの洞察力ということからすれば、どうだろうか。

 文章も読みやすいし、展開にも無理はない。しかし、物語全体を貫く思想が、どこか平易なヒューマニズムで終わっているような感がないわけではない。薄幸の少女や「熊娘」として見せ物小屋で働かされていた少女が簡単に仙波家で引き取られて安泰な生活を行うことができるようになったり、舅の左門ができすぎた男で「おこう」をいつも「過ぎた嫁」として認めていたり、夫の仙波一之進が大きく「おこう」を包みこむような愛情を見せたり、思いやりを見せたり、それはそれで幸いなことだろうが、人間とその人間が生きる姿へのもう一つ深い掘り下げが物足りないように感じるのである。安価なヒューマニズムというものは、現実には結構やっかいなものである。安直なヒューマニズムというものはどこか安っぽいが、この作品には、そうした薄さのようなものを感じてしまった。

 今日は夕方に用事があるので、日のあるうちに少し外に出ようと思っていたが、あれこれと仕事をしているうちに差し始めた陽が陰ってきた。ちょっと中断して、急いで外出しよう。明日はまた一日、ふう、という感じになるだろうから。