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2013年8月14日水曜日

白石一郎『銭の城』

 文字通りの記録的な「酷暑」が続いている。もう脳みその半分以上が溶けてしまったのではないかと思えるほどの暑さの連続であるが、そろそろピークを超えて欲しい。気象庁の予報では、まだしばらくは続くらしいが。

 この暑さの中で、白石一郎『銭の城』(1983年 講談社文庫)を爽快な気分で読み終わった。本書には、表題作の他に『さいころ武士道』という、これも爽快に読める作品が収められている。

 『銭の城』は、戦国末期、豊後(大分)の大友家、肥前(佐賀)の龍造寺家、薩摩の島津家が九州の覇を巡って争っていた時代に、壱岐の百姓の息子が、子どもの頃に見た博多の豪商島井次郎右衛門の姿に憧れ、当時は蔑視されていた商人になることを決断し、博多に出てきて、持ち前の才覚を発揮して博多でも有数の卸商人となっていく姿を描いた成功物語であるが、よくあるような「成功者のいやらしさ」がどこにもなくて、実に爽やかに描かれているし、そこで発揮される商人としての才覚にも面白いものがある。主人公の商人としての才覚が人間としての才覚ともなっているからである。

 壱岐の水飲み百姓の子であった右近は、母親と妹たちとで貧しい暮らしをしていたが、自ら進んで読み書き算盤を学んでいくような子であり、豪胆で、一本筋の通ったような子どもだった。父親は、当時海賊として玄界灘を暴れていた松浦党の水夫として徴用され、朝鮮か明(中国)で死亡したと伝えられていた。彼は一家の暮らしを守りながら生活をしていた。

 だが、彼の豪胆さに目をつけた松浦党から海賊に徴用されそうになり、島抜けをして博多にでる。彼は、当時は「言をもって他人を欺き、謀(はかりごと)をもって人目を抜く者」として蔑まれていた商人になるつもりであった。代官や供侍を恐懼させるような博多の豪商であった島井次郎右衛門の姿を見て、自分も島井次郎右衛門のような人間になりたいと願ったのである。

 ところが、商売のいろはも知らず、博多の市で、もってきた壱岐するめを売ろうとして市場荒らしとして殺されかける。だが、そこに市場監督の島井徳太夫(次郎右衛門の息子で後の豪商島井宗室)がやってきて命を助けられる。右近は、命は助かったが途方に暮れ、さらに博多の無頼の子どもたちの集団である「博多わらべ」に襲われる。だが、持ち前の胆力を発揮して「博多わらべ」の一団に加わる。彼らは博多を支配して滅んだ大内家の家臣の子どもたちなどを含む浮浪児の集団で、強盗やかっぱらい、売春などありとあらゆることをして混乱した社会の中で生き延びた子どもたちだった。

 だが、強盗に入った先で捕縛された一人が殺され、博多わらべたちに動揺が走る。そのときに、仲間同士が結束を固めて互いに助け合っている姿に気づいていた右近は、彼らの「結束した仲間意識」を用いて、これを善用できればと考え、まともに協力して働くことを提案し、博多の町を支配していた町会所に出かけ、町会所の年行司の豪商の神屋紹策とかけあって町会所の人夫として雇って欲しいと申し出るのである。

 右近はそのために博多の町政に関することを自分の足で調べ、社会状況を考え、町に必要なことを調べていた。こうした右近の熱意と物事を見る目、物怖じせずにまっすぐに進んでいく力で、博多わらべをまとめ、交渉に成功して、こうして博多わらべの仕事を始めるのである。彼と出会った豪商の神屋紹策もそんな彼がいたく気に入り、援助の手を差し伸べていく。また、読み書きもできない博多わらべの浮浪児たちに読み書き算盤を習わせていくのである。博多わらべの頭領だった牡丹も右近に想いを寄せていくようになる。

 博多わらべの仕事は順調に伸びていき、そのころ危険なためにあまり取られていなかった陸上輸送の道を開き、勢力を伸ばしていた佐賀の龍造寺家にまで足を伸ばすようになったりしていた。龍造寺家の鍋島直茂に出会ったりする。こうして彼は「わらべ屋」を創設していくのである。だが、決して順調に進んだわけではない。知り合った鍋島直茂の要請に応えて敵対する龍造寺家に鉄砲や武器を売ったということで大友家の役人に捕縛され、拷問を受けて死にかけたりするし、彼が商売と人生の拠点とした博多の町そのものか戦火で灰燼に帰してしまうのである。

 博多は、元々、周防地方(山口一帯)を支配していた大内義隆の配下にあったのだが、家臣の陶晴賢に殺され(陶晴賢は毛利元就によって滅ぼされた)たあとは、豊後の大友宗麟の領地となっていた。だが、戦国末期になると大友家で内乱が起こり、それに肥前の龍造寺家、中国地方一帯を支配するようになった毛利家の介入によって、戦闘地帯となり、灰燼に帰したのである。

 右近は、博多での戦火を避けて唐津に避難していた神屋紹策の下に身を寄せ、そこで海上貿易や商売の様々なことを学び、やがて、博多の町を興すために博多に帰る。焼け野原となった博多の町で彼がとった再興策が奇抜であった。まず、彼は唯一焼け残ったが荒れ果てていた櫛田神社を修復し、それを中心にした「博多山笠」を復興させることで人々の思いを集め、門前市場を開催させて成功してくのである。こうして彼は博多でも有数の卸問屋となり、やがて海上貿易に船出していくのである。

 もちろん、この作品には右近の恋も描かれていくが、それもまた面白い展開になっている。成功物語なのだが、描写や語り口に爽やかな楽天性が漲っているから、読後感がすばらしい。

 『さいころ武士道』は、福岡藩黒田家の大身の旗本の次男坊だが、剣の腕も学問もあり、藩主の小姓として仕えていた小池半次郎が、博打好きが高じて城中でサイコロ博打をし、それが発覚して長崎に左遷され、そこで元禄の腐敗した幕府に一石を投じていくという人生をかけた大博打を打っていく物語である。

ここには、長崎警護を命じられて長崎に駐屯していた福岡藩の藩士たちの姿や権力を利用して長崎の唐蘭貿易を利用して私腹を肥やそうとした傲慢な商人、貧しい暮らしを強いられてきた人間の金への執着、徳川綱吉の「生類憐れみの令」で父親を失った娘が旅芸子として登場するなど、登場人物たちが多彩で、その中での主人公の恋なども描かれ、まるで博打を打つように真っ直ぐに進んでいく主人公の姿が、その楽天性と共にテンポ良く描かれている。

これを読みながら、話の展開は全く異なっているが藤沢周平の『用心棒日月妙』の主人公である青江又八郎を思い起こしたりした。本作の主人公の小池半次郎もなかなか魅力的で、この作品の続編が書かれてもよかったのに、と思ったりする。

白石一郎の作品は、これまでも『海狼伝』や大友宗麟を描いた『火炎城』、『十時半睡』のシリーズ、明治初期の横浜を描いた『横浜異人街事件帖』などを読んでいたが、本書はまた一味違った作品で、彼の力量と性格がよく表れた作品と言えるような気がする。

2013年7月24日水曜日

白石一郎『庖丁ざむらい 十時半睡事件帖』

 昨日は、お昼まではうだるような蒸し暑さだったのだが、夕方近くになって突然の激しい雨に見舞われて、ちょうど大学から帰宅する途中で、渋谷駅でしばらく稲光と激しい雨足を眺めたりしていた。まさに「滝つせと降る」だった。

 そして、今日は、まるで梅雨が戻ったようなジメジメした天気になっている。雨の予報もあるので、降り出しそうでもある。湿度が高いとなかなか疲れも取れない。

 先日、久しぶりで図書館を訪れた際、白石一郎『十時半睡事件帖』シリーズの中の一冊である『庖丁さむらい 十時半睡事件帖』(1982年 青樹社 1987年 講談社文庫)があるのを見つけて、借りてきて読んだ。このシリーズを読んだのはもうずいぶん前だが、と思って、このブログを調べてみたら、シリーズの最後である6作目の『おんな舟』(1997年 講談社 2000年 講談社文庫)が2010年2月、5作目の『出世長屋』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)が2010年3月末に読んでおり、福岡藩の老武士である十時半睡を主人公にしたこのシリーズを読むのは3年ぶりということになる。

 十時半睡の本名は「一右衛門」だが、八十石の馬廻り組という中級武士の生まれながら、知恵と人情に富んで藩の奉行職を歴任した後に隠居して、「半分眠って暮らす」ということで自ら「半睡」と名乗っているのである。彼は、一旦は隠居したが、藩の目付制度(警察制度)の変革によって、十人の目付を抱える総目付として再び出仕させられ、気ままに出仕ても良いというゆるしをもらって時折登城していくような生活をしているのである。人望は高く、彼に対する信頼も大きい人物として描かれる。

 前に読んだ『出世長屋』と『おんな舟』は、この半睡を中心にして描かれ、特に江戸藩邸の総目付として江戸に行くくだりや江戸での出来事が記されているのだが、本作の『庖丁ざむらい』は、おそらくこのシリーズの1作目で、半睡は出来事の相談役や推移を見守る者という役割で登場し、十一篇の短編で綴られるのは、むしろ、福岡藩の下級武士たちの姿である。時代は寛政から享和にかけて(1789―1803年頃)で、藩の体制が固まり、武士の生き方も武から官へと変わった時代である。

 本書には、刀の鍔(つば)を収集することにうつつを抜かし、結局は古道具屋に手玉に取られるような武士の姿を描いた「第一話 鴫と蛤は漁師がとる」、武士階級の中でも最下層の足軽に対して非道なことをして恨みを買うことになる「第二話 虫けらの怨」、料理にだけ情熱を燃やし、左遷されても新しい料理が覚えられると喜ぶ新人類のような武士の姿を描いた「第三話 庖丁ざむらい」、片方は真面目、もう片方は酒を飲んで乱暴をするという互いに反目する二人の侍が玄界島の警固の仕事で一緒になり、ついに激突してしまうという「第四話 玄界島」、指物大工仕事に熱中し、妻が弟と不義を働いたのもかかわらず、それを認めて自ら身を引き、指物大工の職人となる侍を描いた「第五話 鉋ざむらい」、武士になりたいと憧れて中間となった男か、武家の意地の愚かな争いの中で、意地で生きる武士の愚かさを知っていく「第六話 さむらい志願」、博打にうつつを抜かし、富くじにあたって一時は博打をやめるが、どうしても博打をやめることができない博打好きの武士を描いた「第七話 丁半ざむらい」、藩の馬術指南役同士の愚かな争いを描いた「第八話 水馬の若武者」、金のありがたみを知り、執着するようになった男と、その従兄弟で反対に金を湯水のように使う男の姿を描いた「第九話 合わせて一つ」、従順な理想の妻になるように教育された女性と彼女を妻にした男の間に起こる齟齬を描いた「第十話 人形妻」、そして、息子の教育に情熱を燃やすが、その息子はただ与えられたものを鸚鵡返しにしていくように育ってしまった姿を描いた「第十一話 人まね鳥」が収められている。

 ここで描かれるのは、言ってみればどこにでもいて、どこにでも起こるような事柄であり、下級武士の生態であると同時に、生活している人間の生態でもある。そして、それらに対して、十時半睡の「大人の対応」が記されていくのである。「大人の対応」というのは、無理のない自然な対応ということで、これは、いわば、いい意味での「大人の知恵」である。それは老齢になって初めてわかるものかもしれない。

 物語の構成が上手くて、それぞれに読ませる短編となっており、作者はおそらく、最初はこうした作品のスタイルで続けようと思われていたのかもしれない。しかし、次第に十時半睡その人に関わることが触れられるようになって、人物像がはっきりしていくようになっている。もちろん、このシリーズの後半の方ががぜん面白い。

 なお、本書の内容とは全く無関係だが、文庫本の方には石井富士弥という人の解説が収められている。しかし、これはどうにも「提灯記事」のような感じがしていただけないものだった。

2010年5月25日火曜日

白石一郎『生きのびる 横浜異人街事件帖』

 昨日一日中降り続いた雨が上がって初夏の日差しが眩しいくらいに差している。洗濯日和と思って早朝からシーツなどを洗濯した。仕事もたまっているし、日用品や食糧なども買い出しに行かなければならない。日常を送るというのはそういうことだろう。

 時代や世の中がどんなに激しく動いても、状況が変化しても、環境が劣悪になっても、したたかに生きる人の姿というものがある。昨夜、白石一郎『生きのびる 横浜異人街事件帖』(2004年 文藝春秋社)を読みながら、そんなことを思ったりした。

 これは、先に読んだ『横浜異人街事件帖』(2000年 文藝春秋社)の続編で、外国人居留区ができた開港時の横浜を舞台にした物語である。主に、江戸の南町奉行所同心だったが、悪徳商人を「強請った」ためにお役御免になり、開港したばかりの横浜へやってきて荷揚げ人足の差配をしている衣笠卯之助と、元の同僚で横浜の治安をあずかる神奈川奉行所の与力になって派遣されてきた塩田正五郎の二人が、異文化と接し始めた開港地横浜で起こる事件の探索をするというものである。しかし、事件の展開以上に、「人間の暮らし」という視点で物語が展開されていて、それがこの作品を優れたものにしている。

 第一話「ヨコハマの窃盗団」は、卯之助を慕って「小鳥屋」を営む「おゆみ」の店に小鳥を売りに来るようになった百姓の子「平太」が、家の貧しさのために異国に売られることになってしまったというところから物語が始まる。童謡の『赤い靴』を思わせるが、たくさんの子どもたちが売られ、子買いが行われていたのは事実で、「平太」はけなげに自らの運命に耐えようとする。人は自らの運命に耐えるしか術がないが、「平太」のけなげな姿が描かれ、それがよけいに悲しみを誘う。女の子は男の子よりも2~3割高く売られた。

 そこへ、卯之助の剣術道場の仲間で火盗改めをしていた正義感の強い立花源吾が横浜の治安維持のために神奈川奉行所に赴任してきて、博打、強盗、強請り、阿片、人身売買をしていた南京人(中国人)の一団と対決することになる。しかし、血気にはやった立花源吾は罠にはめられ殺されてしまう。

 そこで、第二話「上海放浪」で、衣笠卯之助と塩田正五郎は、神奈川奉行の命によって立花源吾を殺した犯人を追って上海に向かうことになる。国交も頼りになる者もなく、彼らと通詞の三人は、当時の上海の街を彷徨ことになり、罠にはめられたりするが、偶然、第一作で卯之助が助けたピーター・グレイと出会うことができ、彼の助けで犯人が「遊船」と呼ばれる売春船にいることが苦労の末に分かる。

 第三話「遊船」と第四話「逃げろ、平太」で、犯人の「遊船」を探し出した衣笠卯之助がその売春船に乗り込んで犯人と対決し、その時に、人身売買で売られていた「平太」が「遊船」の下働きとして働かされていることを知り、彼を助けることになるという展開となる。こうして彼らは無事に目的を果たし、平太を連れて帰国の途に就く。

 第五話「アラビアの占師」は、横浜で占いをしているアラビアの女と彼女を使って宝石詐欺を働く男が「おゆみ」の小鳥屋へフクロウを買いにきたことが縁で、アラビアの男のひどい仕打ちから逃げ出してきたアラビア女性を救い出すという話で、この中で、卯之助に思いを寄せる「おゆみ」が「あなたの好きな男は人と争って剣で死ぬか、銃で撃たれて死ぬでしょう。その男を守るためにガーネットの宝石をもつように」と言われて、大枚をはたいてガーネットを買う話が出てくる。そして、無事にアラビア女性を逃がした後で、そのことを知った卯之助が「ありがとよ」と「おゆみ」に言って、「占いなんぞは信じねえが、おめえの気持だけはよくわかったよ。あんまり無茶はしねえことにすらあ」と言う場面が描かれる。すると間髪をいれずに、「おゆみ」の店で働くことになった平太が「あてにならねえって!」といって笑いだす。こういう場面は、本当に光る。

 第六話「生きのびる」は、第二次長州征伐が起こって、そこに駆り出された御徒歩士のひとりが、幕軍内の理不尽な仕打ちから逃れて、甥の塩田正五郎を頼ってきたのを卯之助が助ける話で、甥は「人は生きのびるために生きている」と言うが、フランス人船乗りと南京人の人足との喧嘩の仲裁に入り、撃たれて殺されてしまう。正五郎と卯之助と「おゆみ」は、静かに亡骸を見送る。

 第七話「情けねえ」は、鳥羽伏見の戦い(1868年1月3-5日)で敗れた徳川慶喜が、幕府軍を置き去りにしたまま大阪城から夜陰に紛れて逃げ出し、官軍が江戸に迫ってきたことで、奉行所与力としての塩田正五郎は江戸城にこもるために江戸に帰ると言いだす。卯之助も、元同心として正五郎と共に江戸に行くという。しかし、横浜は駐留している各国が自衛手段を講じ、神奈川奉行所もその働きをすることとなり、そのうちに江戸城の無血開城となって機を逃す。

 当時の横浜は、幕府が転覆しようが戦争が起ころうが、一種の治外法権地として、変わらずにその日常の中にある。官軍も横浜には手を出すことができない。第一作で登場したオランダ人のハンカラさんがホテルの料理長として戻ってきたり、フランス人の船長に乱暴されそうになった「おゆみ」を助けたりする日常が続く。そして、江戸城が無血開城された後、横浜の治安が官軍の手によって行われることになったことを機に、塩田正五郎は、上野の彰義隊には加わらないと言いながら家族のいる江戸へ帰り、卯之助は、子どもができた「おゆみ」と横浜に残ることになる。

 ここでも、江戸に行くだろうと察した「おゆみ」が、「あなたが江戸へ行くなら、わたしも行きます。あなたが死ぬなら、わたしも死にます」と言う。こういう気持ちで生きている人間が不幸になるわけはなく、卯之助と、そして下働きの平太と、横浜に留まって日常を送っていく最後が光っている。

 また、別れることになった正五郎と卯之助の最後の会話で、「三百年も続いた江戸の旦那でさえ、あっという間に江戸から追い払われて消えちまった。確かなものなんて、この世にはねえということがよくわかったよ」(306ページ)と語りあい、「こうなってみると、子供ぐらいしかおれ達のような男にとって、確かなものはねえんじゃないかという気がするんだ」と正五郎が言って、「いわれてみれば、そんなものかもしれねえな」と卯之助が答えるくだりが、作者の真骨頂ではないかとも思う。

 人は、したたかに、そしてしなやかに生きていく。そして、愛し、愛される者があればそれでいい。歴史も、政治も経済も、そして社会構造も、世界が抱える問題も矛盾も、課題も、あるいは科学技術や知識、能力も、それはそれで大きな課題や問題ではあるが、「そんなもの」よりも、「愛し、愛される者」があれば、それでいい。ただ、わたしの場合、対幻想の「対」が身近にないので、それが難しい。

2010年5月17日月曜日

白石一郎『横浜異人街事件帖』

 晴れて爽やかな風が吹いている。日中は汗ばむほどで、ようやく初夏の香りがしはじめた。早朝から掃除や洗濯などの家事をして、午後は急用で銀座まで出かけ、仕事がたまっていたのですぐに帰り、銀座でコーヒーの一杯でも飲んでくれば良かったかな、と少し思ったりした。

 土曜日の夜から白石一郎『横浜異人街事件帖』(2000年 文藝春秋社)を読んでいた。独特の味のある、そして優れた幕末期の横浜で起こった物語で、幕末を描いた通常の視点とは異なり、開港後まもなくして横浜に住み始めた人々の視点から歴史が眺められている。

 アメリカのペリーが浦賀に来航した、いわゆる黒船騒動が1853年で、日米修好通商条約によって横浜が開港されたのが1859年、薩摩藩士によってイギリス人が殺された生麦事件が1862年で、本書にはこの生麦事件が登場している(第三話「わるい名前」)ので、本書が記されている年代は、その前後の外国人居留地ができ、商店が並び始め、繁栄の兆しが見え始めたころの出来事である。昨年、横浜開港150年ということで、「横浜開港資料館」にいって、そこの学芸員の方にお世話になったこともあり、この当時の横浜についての記憶が新しくなっていることも幸いして、面白く読んだ。

 本書は短編連作で、「岡っ引き」、「ハンカラさん」、「わるい名前」、「南京さん」、「とんでもヤンキー」、「阿片窟」、「エゲレスお丹」の7編からなり、元南町奉行所の同心で、人助けのために悪商人に「強請り、たかり」をした罪でお役御免となり、開港したばかりの横浜へやってきて荷揚げ人足の差配をしている衣笠卯之助が中心となって、その当時の横浜で暮らす人々の姿が描き出されていく。

 この主人公の衣笠卯之助の登場の仕方は、極めてありふれている。暴れ馬が失踪して踏み殺しそうになった母娘を柔術の心得のある卯之助が助けるというもので、これはどうかな、と個人的に思ったが、元同僚で横浜の治安をあずかる神奈川奉行所の与力の塩田正五郎が隠密廻り同心になってほしいと依頼してきて、それを断り、岡っ引きとして働くことになるという舞台設定がされ、その際、同心時代に面倒を見てきた娘が彼を慕って横浜に来ており、その娘に「小鳥屋(KOTORIYA)」を出させてやりたいためにその仕事を引き受けるというあたりで、主人公の人間味が良く表わされて、引き込まれるように読んでしまった。

 収められている7編は、どれも味わいのある作品であるが、第2話「ハンカラさん」は、オランダの貧しい漁師の四男が苦労して育ち、船のコック見習いとして日本にやってきて、横浜でホテルの料理見習いとして働き、料理長からは「ぐすだ、のろまだ」と罵られるが、弱いくせに争いに仲裁に入ったり、攘夷をとなえる浪人の刃からイギリス人を守ったりするが、結局、ホテルをくびになり、「KOTORIYA(小鳥屋)」に愛鳥の九官鳥を残して、上海かマカオに向けてまた船出していくという話である。

 外国人居留地に住んだ商人たちではなく、そこで働く下働きの人間の姿が、このようにして描き出される。同じように失意の人間の姿を描いたのは、第七話「エゲレスお丹」で、生糸商人の妾として横浜に住んだ女が、生糸商人が亡くなった後、イギリス商人と暮らすようになり、攘夷の嵐が吹き荒れる中を平然とイギリス婦人の格好をし、苦労した日本を去って、ただただ「異国(イギリス)」へ行くことだけを望みとしていたが、病で死んでしまうのである。

 衣笠卯之助は、攘夷や天誅を叫んで闇雲に異国人を殺していた浪人から彼女を助けたことがあり、彼女の望みがかなうことを願うが、それは適わない。

 また、第三話「わるい名前」は、生麦事件を起こした薩摩藩が「犯人」として解答してきた書状に知りされていた名前と同じ名前の男が、脱藩浪人の「みえ」から、自分が犯人だと言い張るが、衣笠卯之助も与力の塩田正五郎もそれが嘘だと見抜き、また、神奈川奉行もそれを見抜いていくという話で、人間のもつ「みえ」のつまらなさが余すところなく描かれている。

 第四話「南京さん」、第五話「とんでもヤンキー」、第六話「阿片窟」は、当時横浜に住んでいた「南京さん」と呼ばれる中国人、「ヤンキー」と呼ばれる楽天家で気の良いアメリカ人、そして、画策されていた阿片による儲け話などが描かれ、開港当時の横浜ではさもありなん、と思われる事件が、「人を大事にする」主人公の衣笠卯三郎の立場で解決されていく。

 これらは、一味違った幕末の庶民史である。そこに生きている人間の側から歴史をみるという視点は、この作者の優れているところだと、つくづく思う。読みながら、歴史にはこういう視点が必要だと思い続けた。もちろん、文章も切れが良いし、展開も見事である。こういう作品は本当にいい。続編があるらしいので、ぜひ読んでみたい。

 明日から、ちょっと厄介な仕事が始まる。世をすねて、人を軽蔑し、しかも小さな権力をもって振り回す人間とも会わなければならない。気の重いことである。

2010年5月8日土曜日

白石一郎『火炎城』

 連休の間、朝から夜までの会議が4日間も続き、いささか疲れを覚え、掃除や洗濯などの家事もたまっていたが、7日の朝、敬愛していたT夫人の訃報が入り、急いで病院の霊安室まで駆けつけた。まだ、いつもと変わらず眠っておられるような尊顔を拝し、天寿を全うされたのだとつくづく思った。享年91歳だった。T夫人は、あまり物事にこだわらない大らかな性格で、生きることを楽しむことができるモダンなおばあさんだった。葬儀のためのいくつかの手配をし、静かに冥福を祈った。

 夜は、中学生のSちゃんが訪ねて来てくれたので、数学の関数の話などをし、ヴァイオリンの上手な彼女からモーツアルトの「ヴァイオリン協奏曲5番」の話を聞いたりした。

 連休中の会議の往復の電車の中で、白石一郎『火炎城』(1974年 講談社 1978年 講談社文庫)を読んだ。これは、戦国時代のキリシタン大名として知られる大友宗麟(義鎮-よししげ 1530-1587年)の生涯を取り扱ったもので、大友宗麟が大友氏の第21代当主となるところ(父と義母によって異母弟に家督相続の画策が練られる中で、重臣の反乱によって義母と異母弟が殺されるという「二階崩れの変」と呼ばれる事件で、大友氏の家督を相続することになる)から宗麟の死までが物語られている。

 大友宗麟は戦国大名の中でも特異な存在で、戦略家の武将として薩摩の島津家を除く九州のほぼ全域に渡る守護職となるほどの勢力を拡大しながら、一方で手当たり次第に美女を自分のものにしたり、そのために京都に家臣を派遣して美女狩りのようなことをさせ、家臣の妻女にまで手を出したりして酒色に溺れ、それが原因で家臣の反乱を招いたりしたが、他方では、禅に救いを求め(「宗麟」という名は、それによってつけられたもの)、さらには、山口にいたフランシスコ・ザビエルを招いて話を聞き、感銘を受け、やがてキリスト教の洗礼を受けてクリスチャンとなり、キリスト教を保護して、「キリシタン王国」の建設を夢み、伊藤マンショを天正遺欧少年使節団としてローマに派遣したりした。

 彼は二度離婚し、最初の妻は二度目の妻「紋」と結婚するために無理に離婚したのだが、二度目の妻「紋」とは不仲となり争いが絶えず、宗麟がキリスト教に傾倒していくにつれ、妻「紋」が伝来の神仏保護を訴えたりして、夫婦間の争いが宗教を巡る対立ともなって、それが家臣を二分することにまで発展するという事態となっていったりした。そして、キリスト教の洗礼を受けて後は、「ジュリア」という洗礼名をもつ女性を妻として迎えている。彼がキリスト教の洗礼を受けて後は、彼の行状は一変していくが、時代も状況も激変して、大友家は豊臣秀吉の庇護のもとでかろうじて豊後一国の大名となっていく。

 大友宗麟という人は、戦国時代という下剋上の社会の中で不信と権謀が渦巻く時に、自らも戦国武将として生きながらも、常に「何か確かなもの」を求め続けた「求道者」のような人だったような気がする。親も兄弟も、家族も妻も信じられない中で破天荒と言われるほどの酒色に溺れ続けたのも、禅宗に向かったりキリスト教に向かったりしながら、その「確かなもの」を探し続けたように思えてならない。そして、彼がたどりついた地平が罪のゆるしと救いを語るキリスト教信仰の平安であったことも、そうした「求道者」としての大友宗麟の姿を物語っているように思えるのである。

 もちろん、彼がキリスト教信仰に入った理由には、純粋にそれだけではなく、当時の社会状況や経済状況もあるだろうし(貿易や戦力としての鉄砲・火薬の獲得)、優れた南蛮文化の導入や、病院(おそらく日本で最初の総合病院を宗麟は宣教師とともに設立している)や孤児院などの社会福祉という視点も領内の統治上の重要な役割を果たしているだろうが、宗麟というひとりの人間としての生涯を思うと、彼が「何か確かなもの」を求め続けた人だったように思われてならない。もっとも、彼に洗礼を授けたフランシスコ・カブラルという宣教師のキリスト教理解は、私見ではあるが、ひどいものだった。

 白石一郎『火炎城』は、そうした大友宗麟の姿を丁寧に描きながら、その苦悩の姿を描き出している。宗麟が自分の内的必然からキリスト教の洗礼を受けることによって、周囲の軋轢と大友家の衰退を招くことになるが、「脳乱」とまで言われた破天荒な人生を歩んだ宗麟が抱えた苦悩が、ここでは見事に物語られている。そして、作者はその姿を、人物にのめり込んでではなく、冷静に、客観的に叙述することによって描き出していく。それゆえ、宗麟の最後の姿を伝える次の一文は、波乱から平安に向かった姿として光っている。

 作者は、宗麟の生涯を閉じるにあたって次のように書く。

 「宗麟の死は、孤独であった。その時、側にいたのはお孝(三度目の妻で、ジュリア)のみで、そのお孝が、いつにないまどろみからふと眼ざめたとき、宗麟はすでにつめたくなっていた。
 五月二十三日の夕刻である。」(文庫版 486ページ)

2010年4月10日土曜日

白石一郎『海狼伝』

 桜も散り始め、日中は春の温かさがようやく感じられるころになった。今週は5日(月曜日)の午後に九州の久留米在住のK氏が危篤の状態になられたとの連絡が急遽はいって、6日の朝、久留米まで出かけなければならなかった。90歳を越えておられたK氏は、若い頃に結核を患われたりして苦労されたが、従業員500名以上を抱えるいくつかのホテルと結婚式場、祭儀場を経営され、謙遜で、質素で、ロダンの彫刻を愛し、久留米市の文化や教育の分野でも助力を惜しまれず、真に比類のない生涯を送られた方であった。

 久留米の聖マリア病院の病室で最後の面会をすることができたが、昨日(9日)、召天された。死を迎えることは、人にとって最後の大仕事だとつくづく思う。今は静かに冥福を祈ろう。

 九州までの往復と滞在中に白石一郎『海狼伝』(1987年 文藝春秋社 1990年 文春文庫)を読んだ。こちらは若々しくエネルギーに満ちた人物を描いた長編作品で、直木賞受賞作品でもあるが、こういう生き生きとした人物を中心にした作品を書くには相当な情熱とその持続が必要で、いったい作者が何歳ごろの作品だろうと思って調べたら、1931年生まれだから、56歳の時の作品だと知り、改めて驚愕した。

 これは、いわゆる戦国時代の末期に活躍した村上水軍で志を高く持って南蛮貿易へと船出していく青年のロマンを描いた冒険小説である。

 九州の壱岐・対馬を中心に活動した松浦党(海賊・倭寇)の末裔として生まれた主人公は、朝鮮から帰国して海賊をする「将軍」の下で働くことになり、その海賊働きの最中に瀬戸内海の村上海賊衆に捕えられ、瀬戸内海まで連行されることになる。しかし、不明となっていた主人公の父が、実は、村上水軍の将であったことがわかり、商才に富んだ村上水軍の一族に預けられ、明国(中国)人で奴隷であった男との友情も深めながら、自分の道を定めていくのである。

 彼が恋した女性が、厳島で毛利元就に敗れた陶晴賢(すえはるかた)の子であったり、織田信長と一向衆(石山本願寺)との争いに村上水軍として加担したり、瀬戸内海をめぐる緊迫した状況の中で、大貿易を試みる商才に富んだ青年、明国人で奴隷であった武力に富んだ青年との友情などが、実に綿密な当時の海賊や村上水軍への史的考察の下で展開され、海のかなたに勇躍していこうとする青年の姿が生き生きと描き出されていく。それはまさに、爽快な冒険譚である。視点も歴史を大上段に見るのでなく、そこで生きている人間の側から描かれる。それも本当にいい。

 こうしたロマンを描いた小説を久しぶりで読んだ気がする。気の重い状態の中で、他方では青年のロマンを描いた作品を読む。これもまた、ひとつの過ごし方かもしれないと思ったりする。

2010年3月29日月曜日

白石一郎『出世長屋 十時半睡事件帖』

 三月も末というのに、本当に寒い。昨日からまた冬に逆戻りしたような天気が続いている。こういう天気が続くと、なんとなく体調も狂って「意欲」というものがなくなるから、人間というものがいかに身の回りの環境に左右させられて生きているのかがよくわかる。前の道路を行き交う人が傘をさし始めているので雨が降り出したのだろう。雨粒はまだ見えないが。

 白石一郎『出世長屋 十時半睡事件帖』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)を大変面白く読んだ。これはこのシリーズの五作目で、福岡藩(黒田藩)の「十時半睡」が、隠居後さらに請われて江戸藩邸の総目付(今でいえば警察・検察長官)として赤坂溜池近くの福岡藩(黒田藩)中屋敷に居を構えていく前後を、物語った作品である。

 前に、このシリーズの『おんな舟』というのを読んだときにも記したが、主人公の「十時半睡(ととき はんすい)」は、本名「一右衛門」といい、「半分眠って暮らす」という洒落からみずから「半睡」と号して、福岡藩黒田家の八十石御馬廻組の家に生まれ、知恵と人情に富み、藩内の奉行職を歴任したのち、六十二歳で引退した老武士である。

 彼は、本人が望めば千石以上の家録(収入)を得ることができたはずだが、六百石以上の加増は頑として否み続け、しかも引退する際は、役職手当を返上して二百石として、それを息子に譲った。引退して一年後には愛妻をなくし、その時に、藩の目付制度(警察制度)の改革の必要性から再び総目付として再出仕を命じられた。しかし、表沙汰にはならなかったが、息子の不祥事(恋愛事件)で自ら突如として職を辞し、再び隠居としての生活を始めることになったのである。

 彼はそのことについては何も語らず、囲碁将棋、魚釣りや山歩きなどの生活を楽しもうとするが、どうにも手持無沙汰の日々を送ることになる。本作では、無聊を囲っている十時半睡が、なまった体を建てなおそうと昔通った剣道場へ足を運ぶところから始まっている。

 この主人公の十時半睡が、上流階級の武士たちが通った道場ではなく下流の武士たちが通った道場に通い、しかも、彼の得意技が実践的な脛払いという業であるのも、主人公の人柄をよく表わしている。

 そうしているうちに福岡藩の江戸藩邸で様々な不祥事や事件が頻発したことから、江戸藩邸の目付制度を変えることとなり、再び、半睡に白羽の矢が立って、彼は江戸藩邸総目付として江戸へ向かうことになるのである。その際、彼が通う道場の師範代をしている好青年の兄が江戸藩邸で事件に巻き込まれて自死・改易となったことから、その青年を自分で引き取り、彼だけを連れていくことにしたのである。

 江戸藩邸でも、勤番侍に雇われて妹を救うために盗みをした娘を救うために、その娘を下働きとして雇ったりする。江戸藩邸での目付制度改革でも、何らかの際に秀でているわけではないが、「意欲」をもつ青年たちを採用していくのである。そして、制度が整うと、あとはすべてを任せていくという姿勢を取る。

 こういうところに、どこまでも人間を温かく包んで生かそうとする主人公の姿勢がよく現れている。この姿勢は、第六話「目には青葉」で佐賀藩との争いごとになりそうな武士の面目をかけた事件での決着のつけ方にもよく現れている。互いの意地が張りあって大事件になろうとすることを「生かす」という視点で切り抜けていくのである。

 彼は六十五歳であり、もちろん、老いということも感じている。それにまつわる旧友の事件も起こる。十時半睡は、できることとできないことを明瞭にし、できることの中で物事を冷徹に見て判断を下すが、その眼が温かい。秀才であるが、それだけに迷う青年も出てくる。彼は己の才を頼む傲岸な青年には手を貸さない。そういうところが、人生を知ってよく老いた主人公の姿として描かれる。

 主人公は老いてますます好奇心旺盛で、それが彼を生かしている。自らを律することを知り、質実剛健で、しかも柔らかい柔軟性をもつ。こういう主人公の設定には、本当に喝采を送りたい。

 時代小説の中でも、福岡藩(黒田藩)の老目付という異色の設定で、しかも「人を生かす」という豊かなテーマを、決して重々しくではなく、生きた人間の姿として描かれているのがとてもいい。言うまでもないことであるが、時代考証はしっかりして、当時(多分寛政~享和年間-1789-1803年頃と思われるが)の生活もよく反映されている。

 今日はあまりに寒くて掃除をする気もなく、いくつかの書類を片づけたり、今度の日曜日がイースターなので、ギリシャ語聖書をひも解いたりした。何とはなしに日がくれそうな気配がある。

2010年3月27日土曜日

白石一郎『江戸の海』(2)

 三日間降り続いた冷たい雨が上がった。気温はまだ低いのだが、朝のうち、陽光がきらきらと屋根瓦に反射し、周囲の空気をほんの少し温めてくれているような気配に包まれていた。

 白石一郎『江戸の海』の残りの七話を読んで、よくまとまった優れた短編であると改めておもう。第四話「海の御神輿」は、江戸の御船手組同心に養子に来た質実剛健な青年が、まるで御神輿のように飾り立てられた将軍家の船と、それを拝むようにしている幕府の御船手組たちの姿に無意味さを感じていくというもので、実際に将軍家の船が動かされた時に、そのバランスの悪さから何の役にも立たないものであることがわかっていくのである。

 ここには飾り立てられた権威や世人が祀り上げているものが、実は空虚なものであり何の意味もないものであることが「将軍家の御船」に象徴されて、素朴な田舎者であるだけにそれが見えていくのである。人が欲しがっている権威というものは、いつも「裸の王様」である。

 第五話「勤番ざむらい」は、参勤交代で江戸へ出てきた西国の小藩の実直な勤番侍が、町見物の途中で掏り事件と遭遇し、そこで知り合った日本橋の大店の呉服屋とその娘に饗応され、それにのめり込むうちに藩邸の門限破りをすることとなり、罰を受けて国元に帰っていくという話で、夢のような時を過ごしても、夢からさめれば厳しい現実が待っているわけで、「勤番侍」と呼ばれた田舎者の「浦島太郎物語」でもある。しかし、ここには一人で寂しく暮らさなければならない人間の悲哀もあって、それが見事に描き出されている。

 第六話「夕凪義」は、瀬戸内海の伯方島で、ある程度成功して暮らしていた二人の男が、ひとりは勝ち気でやり手の女房、もうひとりは口やかましい母親と女房の板挟みで、どうにも鬱陶しくなって、夕凪が立つのを眺めているうちに島を脱げ出すことを思い立ち、二人してすべてを捨てて島を脱け出すという話で、出で行かれた女や家族たちはそれぞれにしっかりと生き、出ていった方もそれなりに生活をしていることが分かるというものであるが、何とはなしに自分が生きていることの意味や実感がつかめないものと、そんなことはお構いなしにしっかりと生活をしていく者とが描かれて、なるほど「人生の夕凪ぎ」の時に起こる人の心情と姿だと思わせるものである。

 第七話「悪党たちの海」は、長崎で抜け荷害買いなどをして私腹を肥やし好き放題のことをしている悪党たちと知り合った小心者の小悪党が、その悪党たちの生活にあこがれながらも、真正直に生きている若者を騙して殺し、その妻を自分のものにしようとしたが、ついに発覚して捕えられ処刑される話で、大本の悪党たちは何くわぬ顔でそのまま悪を重ねていくのである。小悪はすぐに滅びるが、本当の悪はなかなかしぶとい。本当の悪はうまく立ち回っていく。それは現代でも同じだろう。

 第八話「人呼びの丘」は豊臣(羽柴)秀吉側についた美作の三沢家とこれを攻める毛利家の戦いに題材をとったもので、生きのびるためには策略をめぐらさなければならない小大名の家老が命をかけて策をめぐらし、それを知っていた嫡方にいる義理の弟も、それを承知で、自らの命を賭してあえて騙されていくという話である。ここには、腹に肝を据えて平然と生きていく武士の姿が描かれて、それが余韻として強く残る。この作品には毛利家の武将小早川隆景がなかなかの人物として描かれ、次の第九話「海の一夜陣」でも、同じように描かれているので、作者は小早川隆景に対して好印象をもっているのだろうと思われる。小早川隆景は、後にさんざん苦労を重ねるが、人間としては優しさをもった武将であったに違いない。

 第九話「海の一夜陣」は、広島の厳島(宮島)を舞台に毛利元就と陶晴賢(すえはるかた)の間で行われた厳島合戦として知られる毛利元就の知略を用いた奇襲戦を題材に、陶晴賢側にいたひとりの青年武士(毛利元就に父親を殺されたという設定)の目を通しての合戦の姿を描いたものである。この時代の武将がいかに権謀術策を用いて相手をだましていたは、よく周知されていることであり、その中でひたすら父の仇を討つことをまっすぐ目指していた青年は、やがて小早川隆景によって「狂人」として命を救われるが、ただひとり、厳島から陸に向かって泳ぎだすところで、話が終わる。その終わり方も短編として余韻をもったものとなっている。

 第十話「トトカカ舟」は、福岡の志摩半島の東岸にある小さな漁村で、海女として一家を建てなおしていく女が鮑のたくさんいる好漁場を見つけ、そこでついに海に潜ったまま行くへ不明になるという民話伝承的な話である。「トトカカ」とは「父母」のことで、夫婦で海女漁をすることを意味している。ひとり残された夫が、女房の稼いだ金で建てた広い家でぽつねんと寂しく座っている姿が悲哀を誘う。

 これらの短編の中には、いくつかの現代が抱えている問題がさりげなく掘り下げられて描かれている。そうした視点が、これらの短編をいっそう豊かな味のあるものに仕上げていることを感じることができる。問題を直接的に思想として取り上げるのではなく、人間の物語として描き出すところに文学(小説)の優れたところがあるが、これらの短編にはそうした文学としての優れたところがよく現れている。作者が好む海洋物というのは、わたし自身、あまりなじみがあるわけではなく、どちらかといえば、市井の中で、大した冒険や事件もない日々を悲しみやあきらめを抱えながら、しかし、自分の心情に正直に生きている人間を描いたものの方が好きだが、彼の作品には、時代小説がもつ良さがいかんなく発揮されているように思われるのである。

2010年3月25日木曜日

白石一郎『江戸の海』(1)

 昨日から冷たい雨が降り続いている。春分が過ぎたとはいえ、今日あたりは季節が逆戻りしているような気さえする。桜の便りも聞こえてくるが、街路樹の下に植えられているパンジーが小さく震えている。

 白石一郎『江戸の海』(1992年 文藝春秋社 1995年 文春文庫)を読んでいるが、このところ集中して読むことができずに、読書量がかなり減退しているので、まだ初めの三話「江戸の海」、「島火事」、「十人義士」しか読んでいない。これは全部で十話からなる短編集で、これらは武骨で優しいと思われる作者の視点がいかんなく発揮された優れた短編集だと思う。

 短編として本当によくまとまっており、第一話「江戸の海」は、子どもを事故で失った罪悪感と寂寞感を埋めるために釣りに明け暮れる指物大工と、日々の生活に窮しながらお役をもらうために尻を叩かれている貧乏御家人と、自分の生んだ子どもを次々と本妻に取り上げられた妾とが、江戸湾の釣りで知り合い、嵐にあって漂流したりして、やがて釣り仲間となった妾が貧乏御家人の上司の妾であることから、その働きでお役をもらうが、もう自分の竿には江戸湾の魚はかからないのではないかと思う話である。

 ここには、それぞれの自分の人生を背負いながらも、釣りというひとつの人間の自由さを象徴する行為によって、その自由をじんわりと描き出しているものがある。

 第二話「島火事」は、瀬戸内海の小島で島火事に遭遇した船に娘が逃れて来て、船頭がその娘をどうするかの判断を迫られていく話で、娘は他の船乗りに騙されて気が触れていたことがわかっていくというものである。運命という船に翻弄されながら生きなければならない人間の悲哀と、船頭の真正直な姿が見事に描き出されている。

 第三話「十人義士」は、元禄14年(1702年)に実際に起こった長崎町年寄筆頭の高木家と肥前佐賀鍋島藩の重臣深堀家との争いを題材に、「武士の一分」を果たした深堀家の姿を中間の姿を通して描いたもので、争いがほんの些細なことから、そしてそれをめぐる狂気とも言うべき人間の高揚感から拡大していく様をよく描き出したものである。

 第二次世界大戦で、人間の狂気が吹き荒れてどうにもならなくなった過程を、わたしたちはよく知っている。集団の心理というのは、真に恐ろしいもので、集団の中では、初めに個人が意図したこととは異なった行動原理が働く。この作品は、そうした集団の行動原理を見事についた作品である。

 わたし自身は、作者の白石一郎という人がどんな人なのか知るところが少ないが、文学手法も表現も、大変優れていて、前に読んだ『十時半睡事件帖』もよかったが、この短編集も本当に良い作品だと思う。彼は、司馬遼太郎や藤沢周平とも異なった独自の視点があり、いわゆる歴史上の偉業を遂げた人物などには関心がなく、ひたすら歴史に埋もれ陽が当たらない人間や、何の評価も得られずに無念のうちに死を迎えながらも自分の本分を果たしていった人間を描き出している。

 こういう作者の姿勢は、実際それを貫くことが難しいのだが、どの作品にも一貫しているように思えて、いまのわたしが「かくあるべし」と思っていることと重なり、琴線に触れてくる。続きは今夜にでも読もう。

2010年2月23日火曜日

白石一郎『おんな舟 十時半睡事件帖』(2)

 これまでの寒さが嘘のように気温が上がり、晴れて、早春ののどかさが少し感じられるような日差しが暖かい。こんな日はのんびりと外を歩くのが一番だろう。歩いて30分くらいのところの鶴見川上流に植えられている何本かの梅の木も花を咲かせている。

 昨日、白石一郎『おんな舟 十時半睡事件帖』を爽快な気分で読み終わった。この作品の良いところは、無理に勧善懲悪で事件が解決されず、主人公の十時半睡が、いわゆる「大人の判断」をするところである。

 第五話「駆落ち者」は、十時半睡の伝馬船に赤ん坊が捨てられ、乳母として雇った女が実はその赤ん坊の実の母親であり、母親は福岡(黒田)藩の藩士の嫁であったが、夫と婚家のひどい仕打ちに耐えかねて幼馴染と駆け落ちし、江戸に来たが、人足をしていた夫が事故で働けなくなり、赤ん坊を、かつて福岡で著名であった十時半睡の船に捨てたのである。赤ん坊は今の夫の子ではなく、前夫の福岡藩士の子である。半睡は「女敵討ち(妻を奪われた武士が妻と男を殺す)」というのがあることを母親に話し、今の夫と赤ん坊とで暮らしていくようにと赤ん坊を母親に返す。

 第六話「おんな宿」は、共同生活をしている家出娘たちが、「助っ人」と呼んでいる男たちと「愛人契約」を結んで生活をしているという、まことに「愛人クラブ」とか「援助交際」とかをする現代の若い女性たちの生態を反映したような話である。そのうちの一人が、半睡が贔屓にしている小料理屋の女将の知り合いで、そのつてで、ひとりは小料理屋に雇われ、もうひとりが半睡の屋敷の下働きに雇われ、その実態を知っていくという話である。娘たちと「助っ人」との間のごたごたも起こる。だが、娘たちは極めてドライに割り切っている。半睡の家で働く女も、気心もよく素直でよく働くが、「助っ人」をもちたいと思っている。そして、事柄が明るみに出て娘たちは姿を消す。

 半睡は言う。
 「およねという娘(家出娘)、そなたに似てなかなか良い娘であった。仕合わせになってくれればよいがのう」・・・「むりじゃろうな」(文庫版 227ページ)

 第七話「叩きのめせ」は、町屋に住んでもあまり面白いことがないという半睡に、屋根船で江戸湾に出て釣りをすることを勧めた家臣が準備した船宿が、急死した旧友の後妻で、後妻は旧友から金をもらって弟と二人でその船宿を営んでいるという。しかし、実はその後妻と弟は姉弟ではなく情人関係であることを知り、旧友の死にもそのことが影を落としていたことを知る。

 半睡はその出来事を明るみに出すことについて、それを追求しても「失うものはあっても、得るものは何もない。鈴木甚太夫殿(旧友)は世間に笑われ、甚三郎殿(旧友の息子)も鈴木家の面目を失う」(文庫版 259ページ)といい、「放っとこう」と言う。一方で、迷い込んだ猫を飼うことになったことで、猫がいたずらをするという理由で幕府の御家人が半睡の家を強請る。その御家人が強請りに来た時、小石を懐紙に入れてつかませ、戻ってきたところを木刀で叩きのめせ、と待ちかまえる。

 この第七話では、事柄の結果を充分に予測して、「人を生かす」ことを第一義に考えて合理的な判断を下す半睡の人柄がよく表わされている。

 第七話の後半で、そろそろ福岡に戻ろうかと思っているところが描かれているので、舞台がまた福岡に戻るのかもしれないが、このシリーズの作品は、なかなか含蓄があって面白い。本のカバーに「珠玉の連作時代小説」という宣伝文句が書かれていたが、本当にそうだと思った。

 昨夕、訪ねて来てくれた中学生のSちゃんに数学の二次方程式の話をしたが、二次方程式には必ず解があるように、この作品は「解」のある作品である。そして、「解」があるということは、すっきりとして嬉しいことに違いない。今週は少し予定が詰まっていたので、こういう爽快な小説を読むのはとてもいい。

2010年2月22日月曜日

白石一郎『おんな舟 十時半睡事件帖』(1)

 気温が少し上がって晴れ間が見える。昨日、洗濯をしたまま干すのを忘れて都内での会議に出たので、今朝はもう一度洗い直して干したり、いくぶん溜っている疲れもあって、少しゆっくりとコーヒーを入れて早春が感じられ始めている景色を眺めたりしていた。

 19日(金)に記した六道慧『径に由らず』の表題となっている言葉は、『論語』の中の「行くに径に由らず」という言葉から取られたものであることが、237ページに記してあり、「近道や抜け道を行かず、正々堂々と本道を行く」の意であることが記されて、主人公の姿を現すものとなっているが、作品の中での主人公のその描写はともかく、妙にこの言葉が記憶に残った。そして、孔子は「宇宙(天)の大きさと広がりを人間に体現させようとしたのかもしれない」などと思ったりした。『論語』は、儒教的解釈は別にして、人に天の大きさを示してくれる書物のような気がする。

 昨日(21日)の午後行われた都内での会議の往復の電車の中で、白石一郎『おんな舟 十時半睡事件帖』(1997年 講談社 2000年 講談社文庫)を読み始めた。

 奥付によれば、作者の白石一郎は、1931年生まれで、主として海を舞台にした作品を書き、1987年『海狼伝』で直木賞、1992年『戦鬼たちの海』で柴田錬三郎賞、1999年『怒涛のごとく』で吉川英治文学賞などを受賞した作家としての輝かしい実績をもつ人らしい。そして時代小説としての『十時半睡事件帖』もテレビドラマ化されて放映されたようだ。この『おんな舟』も、このシリーズの六作目となっている。

 残念ながら、わたしはこの人の作品にこれまで一度も触れることがなかったし、この作者についても無知であったが、このシリーズの主な舞台が、わたしの郷里でもある福岡と江戸で、主人公の十時半睡(ととき はんすい)は黒田藩(福岡)の総目付(今でいえば検察庁長官)であり、「半分眠って暮らす」という「半睡」という名前が、なんとなく「半眼で生きよう」と思ってきたわたしに面白く感じられて、図書館で目について借りてきた次第である。

 主人公の十時半睡の本名は十時一右衛門で、黒田藩の寺社奉行、郡奉行、勘定奉行、町奉行を歴任した切れ者であるが、出世欲もなく、妻と死別して齢六十を過ぎて隠居の身で、自ら「半分眠って暮らす」という意味で「半睡」と号していた。黒田藩が、彼の進言を入れて「十人目付」という警察・検察制度を敷いた際、適任者がいないために彼がそれを取りまとめる総目付として再任され、様々な事件に「人を生かす」という視座の「大岡裁き」並みの名判断をしていくのである。

 半睡は総目付という重職についているが、目付部屋へは月に二三度しか行かずに、気ままに過ごすことを信条とし、尊大さも堅苦しさもなく、江戸藩邸では、堅苦しい藩邸を避けて気楽な町屋に住んだりするが、持ちこまれる相談事も多く、難事件や珍事件に関わっていくのである。この『おんな舟』で半睡は深川の小名木川に面した所に藩邸から移り住むくだりが描かれているので、前作までの舞台は主として福岡であろう。

 半睡が福岡から江戸に出てくる事情は本作では触れられていないが、福岡で総目付として働いていた半睡は、謹厳実直そのものであった息子が女性関係で不始末を仕出かしたために責任を取って総目付を辞めていたが、江戸藩邸で起こった刃傷沙汰のために江戸藩邸でも十人目付の制度を採用することとなり、筆頭家老に強引に説得されて、江戸の総目付として就任したのである。半睡は、自分に厳しく人にやさしい。

 第一話「突っ風」は、福岡藩主に災厄の兆候があるから厄除けの加持祈祷をさせてくれと申し出た修験者が藩主の生母を使って申し出たため、事柄が政治的判断を必要とすることになり、判断がつきかねた藩の重役たちの依頼で、半睡がそれを解決していくという話である。半睡は盲信に対して客観的・合理的精神をもっている。

 第二話「御船騒動」は、福岡から江戸に向かった藩主の御用船と毛利家の御用船が海難事故を起こし、その責任を問われる事件で、半睡は、その両者も責任を問われることなく済むように事件を処置して行くのである。ここには、「人を生かす」という半睡の見事な姿勢が貫かれている。そのために、負担しなければならないものを負担するという見事な覚悟がこの難題を解決してくことへと繋がっていることが描き出される。

 第三話「小名木川」では、藩主の江戸詰(参勤交代)で江戸へやって来た勤番の若い藩士が無聊を慰めるために行っていた赤坂溜池での釣りに乗じて、彼をたぶらかして江戸藩邸での強盗を計画していた盗人たちが捕えられるという事件で、半睡が風紀の乱れを感じてこれを引き締めるという顛末が描かれている。

 表題作ともなっている第四話「おんな川」は、赤坂溜池近くの中屋敷から深川の小名木川沿いに転居した半睡が、伝馬船を作って藩邸への往復を行おうとして、同じように小名木川を猪牙舟(ちょっきぶね)で自宅と黒江町の小料理屋を往復する女将と知り合い、この女将の奇抜な行動を知らされていく話で、やがて半睡はこの女将の経営する小料理屋を贔屓にするようになっていく。

 昨日はここまでしか読むことができなかったが、面白いシリーズに出会ったと思っている。また、現在は福岡市としてひとつになっているが、わたしの感覚でも、福岡と博多は違うし、歴史的にも、そして街の気風も異なっている。そこには軋轢もある。そのあたりも、前の作品では明瞭に記されているだろうから楽しみである。福岡城(舞鶴城)のある大濠公園の近辺は、本当に懐かしい。