2010年2月23日火曜日

白石一郎『おんな舟 十時半睡事件帖』(2)

 これまでの寒さが嘘のように気温が上がり、晴れて、早春ののどかさが少し感じられるような日差しが暖かい。こんな日はのんびりと外を歩くのが一番だろう。歩いて30分くらいのところの鶴見川上流に植えられている何本かの梅の木も花を咲かせている。

 昨日、白石一郎『おんな舟 十時半睡事件帖』を爽快な気分で読み終わった。この作品の良いところは、無理に勧善懲悪で事件が解決されず、主人公の十時半睡が、いわゆる「大人の判断」をするところである。

 第五話「駆落ち者」は、十時半睡の伝馬船に赤ん坊が捨てられ、乳母として雇った女が実はその赤ん坊の実の母親であり、母親は福岡(黒田)藩の藩士の嫁であったが、夫と婚家のひどい仕打ちに耐えかねて幼馴染と駆け落ちし、江戸に来たが、人足をしていた夫が事故で働けなくなり、赤ん坊を、かつて福岡で著名であった十時半睡の船に捨てたのである。赤ん坊は今の夫の子ではなく、前夫の福岡藩士の子である。半睡は「女敵討ち(妻を奪われた武士が妻と男を殺す)」というのがあることを母親に話し、今の夫と赤ん坊とで暮らしていくようにと赤ん坊を母親に返す。

 第六話「おんな宿」は、共同生活をしている家出娘たちが、「助っ人」と呼んでいる男たちと「愛人契約」を結んで生活をしているという、まことに「愛人クラブ」とか「援助交際」とかをする現代の若い女性たちの生態を反映したような話である。そのうちの一人が、半睡が贔屓にしている小料理屋の女将の知り合いで、そのつてで、ひとりは小料理屋に雇われ、もうひとりが半睡の屋敷の下働きに雇われ、その実態を知っていくという話である。娘たちと「助っ人」との間のごたごたも起こる。だが、娘たちは極めてドライに割り切っている。半睡の家で働く女も、気心もよく素直でよく働くが、「助っ人」をもちたいと思っている。そして、事柄が明るみに出て娘たちは姿を消す。

 半睡は言う。
 「およねという娘(家出娘)、そなたに似てなかなか良い娘であった。仕合わせになってくれればよいがのう」・・・「むりじゃろうな」(文庫版 227ページ)

 第七話「叩きのめせ」は、町屋に住んでもあまり面白いことがないという半睡に、屋根船で江戸湾に出て釣りをすることを勧めた家臣が準備した船宿が、急死した旧友の後妻で、後妻は旧友から金をもらって弟と二人でその船宿を営んでいるという。しかし、実はその後妻と弟は姉弟ではなく情人関係であることを知り、旧友の死にもそのことが影を落としていたことを知る。

 半睡はその出来事を明るみに出すことについて、それを追求しても「失うものはあっても、得るものは何もない。鈴木甚太夫殿(旧友)は世間に笑われ、甚三郎殿(旧友の息子)も鈴木家の面目を失う」(文庫版 259ページ)といい、「放っとこう」と言う。一方で、迷い込んだ猫を飼うことになったことで、猫がいたずらをするという理由で幕府の御家人が半睡の家を強請る。その御家人が強請りに来た時、小石を懐紙に入れてつかませ、戻ってきたところを木刀で叩きのめせ、と待ちかまえる。

 この第七話では、事柄の結果を充分に予測して、「人を生かす」ことを第一義に考えて合理的な判断を下す半睡の人柄がよく表わされている。

 第七話の後半で、そろそろ福岡に戻ろうかと思っているところが描かれているので、舞台がまた福岡に戻るのかもしれないが、このシリーズの作品は、なかなか含蓄があって面白い。本のカバーに「珠玉の連作時代小説」という宣伝文句が書かれていたが、本当にそうだと思った。

 昨夕、訪ねて来てくれた中学生のSちゃんに数学の二次方程式の話をしたが、二次方程式には必ず解があるように、この作品は「解」のある作品である。そして、「解」があるということは、すっきりとして嬉しいことに違いない。今週は少し予定が詰まっていたので、こういう爽快な小説を読むのはとてもいい。

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