2010年2月2日火曜日

北原亞以子『埋もれ火』(1)

 昨日の午後から降り始めた雨が夕方には雪に変わった。牡丹雪が見る間に積り、今朝は一面の雪景色となった。「何年振りだろう、こういう景色を見るのは」と思いながら遅くまで雪が降りしきっているのを眺めていた。雪の降る夜はとても静かだ。今は、家屋で温められた雪が時折どさりと音を立てて堕ちている。

 昨夜、降り積もる雪を眺めながら北原亞以子『埋もれ火』(1999年 文藝春秋社)の最初の二編だけを読んだ。これは、1996年から1999年までに「オール読物」で発表された九編の作品を収録した短編集だが、最初の二編は、今では誰でもが知っている坂本竜馬の妻「お龍」と、彼が江戸で修業をした時の千葉道場の娘で竜馬と結婚したかもしれないと言われている「佐那」の、竜馬なき後の維新後の二人の姿を描いたものである。

 いずれも、通常の器には入りきれない坂本竜馬という比類のない男を愛し、そのためにその影を引きずって生きなければならない女性の姿を描き出した秀作である。

 「お龍」は、維新後に坂本竜馬とは全く反対に日々の暮らしに細やかな配慮をする小商人と再婚する。しかし、酒に明け暮れ、西郷隆盛や竜馬が創った「海援隊」の隊士であり外務大臣になった陸奥宗光をはじめとする竜馬を慕っていた人々に金を借りまくり、すさんだ生活をしている。「竜馬以上の男はいない。」彼女はいつもそう思い続けている。

 再婚した相手は、そんな「お龍」をよくわかり、こまごまとした生活の中で彼女を支えていく。「お龍」の「やるせなさ」と、彼女が再婚相手に坂本竜馬とは全く反対の男を選んだ気持ちがにじみ出ている。

 薩長同盟を成し遂げ、大政奉還という日本の大転換をもたらした坂本竜馬の暗殺については、いまでも謎が多いと、わたしは思っている。彼が提示した「船中八策」は維新後の日本社会の骨格ともなったのだから、だれもが、もし竜馬が生きていたら、と願うが、明治政府の政権を取った人たちにすれば「煙たい存在」であったことは間違いないだろう。特に、戦争を嫌った竜馬は、江戸幕府討幕をどうしてもしなければならないと考えていた人たちにとっては「邪魔な存在」であったに違いない。

 第一篇「お龍」は、そうした竜馬暗殺の謎に触れながらも、「竜馬の妻」であった「お龍」の「その後」の姿を描いているのである。

 第二編「枯野」は、坂本竜馬の許嫁であると思って生涯を送った千葉道場の娘「千葉佐那(子)」のその後の姿を描いたもので、彼女もまた「竜馬以上の男はいない」と思って生きている女性である。「千葉佐那子」は、維新後、華族女学校(学習院女子部)の舎監をしていたが、華族女学校の校長の陰湿さもあってそこを辞め、作品の中では、荒川堤の下の四軒長屋で「鍼灸師」として生計を立てている。

 彼女の所にも、坂本竜馬の影響を受けた人々が訪ねてくる。板垣退助と共に自由民権運動に携わった人物もやってくる。「佐那子」は竜馬と結ばれることはなかったが、婚約のしるしとしての竜馬の紋つきの小袖を宝物のようにしてもっている。そして、竜馬との最後の夜に、自分の逡巡から竜馬の部屋に行くことがでずに、竜馬とついに結ばれなかったことを後悔もする。彼女は竜馬を追うことができなかった。そして、竜馬との糸が切れた。竜馬なきあと25年、彼女はずっとひとりぼっちで暮らしてきた。竜馬への思いを抱きながら。「娘に男ほどの度量があり、捨身になれる勇気があったなら、お龍などという女に竜馬を奪われることはなかったかもしれぬ」(65ページ)と、作者は言う。

 竜馬の「船中八策」の影響を受け、板垣退助の自由民権運動に携わって財産を使い果たし、佐那子のもとへ「お灸」の治療のために訪れた夫婦の姿がそれに重なる。妻は夫のために身を売ろうとしていたのである。この夫婦の夫、小田切謙明が、後に、佐那子なき後、無縁仏になろうとしていたところに彼女の遺骨を自分の墓所に引き取っているので、その佐那子と小田切夫妻の出会いの出来事が佐那子の心情と重ねて描き出されていく。甲府にある小田切家の墓所の佐那子の墓石には「坂本竜馬室(妻)」と刻まれている。

 実際のところ、佐那子と竜馬の関係は決してあいまいなものではなく、土佐の坂本家でも許嫁として認められていたと思われるので、千葉佐那子が、ひとり淋しくではあるが、自分の運命を享受して、竜馬の妻として生涯を全うしていった姿には、当時の武家の凛とした妻の姿もあるのである。

 いずれにしても、「これは」と思える男を愛し、その男があまりにも大きすぎたためにその影を引きずらなければならない女性の心情が、この二編の作品にはあふれている。しかし、「これは」と思える男と出会い、彼を愛することができたのだから、その人生ははるかに重く深い人生だったに違いない。現代(いま)は、ちまちました人間は多いが、「これは」と思えるような人間がほとんどいないのだから。

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