2010年2月16日火曜日

平岩弓枝『新・御宿かわせみ』

 どうも今週は金曜日までひどく気温の低い日が続くらしい。今日もどんよりとした寒空が広がっている。

 今朝は広島のMさんからラ・トゥールの『大工の聖ヨセフ』の部分を模写した葉書が届けられた。ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652年)は、確か小さなパン屋の息子として生まれたが、フランスのルイ13世から「国王付画家」の称号などをもらった人で、『いかさま師』などの風俗画を生き生きと描いたものと、聖書に題材を取った『悔い改めるマグダラのマリア』や『聖トマス』、『大工の聖ヨセフ』などの作品があったと思う。

  『いかさま師』では、カードゲームをする人たちの真中に描かれた女性の狡猾そうな眼が人間の狡さをよく象徴していて特徴的で、他方、聖書に題材を取ったものは、ほとんどの背景が暗闇でその中で光を放つたいまつやろうそくに照らし出された人物によって深い精神性が表わされていたように記憶していた。確か、『聖トマス』は、国立西洋美術館が所蔵していたと思う。

 記憶を確かにするために調べてみたら、『大工の聖ヨセフ』は1640年ごろの作品で、現在ルーブル美術館が所蔵しているらしい。送ってくださった模写は、大工仕事をするヨセフの手元を子どものイエスがろうそくで灯りを燈している部分で、光のぬくもりがよく表わされていた。

 「光」を大切にしたレンブラント(1606-1669年)も同時代の人であり、改めて、17世紀のヨーロッパは人間の精神性が深められた時代だったのかもしれないと思ったりした。この頃の哲学者として著名なのはデカルト(1596-1650年)であり、その少し後の時代にはスピノザ(1632-1677年)がいて、真に多彩な時代だったような気がする。スピノザは、その哲学は別にしても好きな哲学者のひとりではある。ともあれ、Mさんにはいつも何かの精神性を与えられて感謝している。

 ところで、昨日は図書館に行くことができなかったので所有している書物の中で平岩弓枝『新・御宿かわせみ』(2008年 文藝春秋社)を書架から取り出して再読した。これは昨夏に福岡の実家に行った際に実家の隣にある本屋に姪の子どもである優美ちゃんの手を引いて行って買い求めたものである。飛行機の搭乗チケットの半券が栞かわりに挟まれていた。そして再読して、改めて、物語の展開のうまさに脱帽した次第である。

 『御宿かわせみ』シリーズは、幕末にかかる頃の時代背景の中で、与力の次男「神林東吾」と「かわせみ」という宿の女主人「るい」、そして、東吾の友人であり同心である「畝源三郎」を中心に様々な事件を解決していくというシリーズで、描き出されるどの人物もとても魅力的で、全巻を読んでいたが、新たにそれらの主人公たちの子どもたちを中心にして「明治編」とも呼ぶべきものが書き始められて、楽しみに読み続けているシリーズのひとつである。

 前シリーズの主要な人物であった「神林東吾」は、榎本武揚の依頼で江戸から函館に向かう幕府軍艦「美加保丸」に乗り込むが、銚子沖で台風にあい、「美加保丸」は破船沈没して行方不明となっている。東吾の妻であり「かわせみ」の女主人「るい」と愛娘の「千春」は東吾が生きていると堅く信じて待ち続けている。「千春」は母の「るい」に代わって「かわせみ」を切り盛りするようになっている。

 一方、神林東吾の母方の父であり幕府の御典医であった麻生家は維新の混乱の中で何者かに襲われて一家皆殺しにあい、外出していて生き残った新進気鋭でさっぱりした気質をもつ麻生宗太郎と娘の花世は、宗太郎が元南町奉行所与力で東吾の兄である神林通之進の住む家の隣で医院を開設し、天真爛漫で鋭さをもつが情にも厚い花世が「かわせみ」に下宿しながら築地居留地にあるA6番女学校に通いながらその居留地にあるイギリス人医師バーンズの手伝いをする境遇になっている。花世は、やがてA6番女学校の教師となる。ちなみにA6番女学校は現在の女子学院に繋がっている。

 神林東吾の友人で共に数々の事件を解決していた元南町奉行所同心の「畝源三郎」は、麻生家の事件を調べている途中で何者かによって銃撃されて非業の死を遂げ、その子「畝源太郎」はひとり畝家に残ってそれらの事件を調べている。東吾の子ではあるが神林通之進の養子となっている神林麻太郎や千春、麻生花世とは深い友情で結ばれており、探偵稼業をしながら司法を学んでいく。

 神林麻太郎は、自分の実の父が東吾であるとは知らないが、東吾によく似て行動力も好奇心も旺盛で、さっぱりした気性と鋭い思索をもち、殺された麻生家の息子の代わりにイギリスに留学して医学を学び、築地居留地のバーンズ医師のもとに下宿して、新進気鋭の医者として働きながら畝源太郎を手伝っていく。それは、父の神林東吾と畝源三郎との関係を彷彿させるものである。

 明治編の物語は、その神林麻太郎がイギリス留学から帰国するところから始まるが、神林麻太郎、畝源太郎、神林千春、麻生花世、そして「るい」や麻生宗太郎、神林通之進、かつての畝源三郎の下働きをしていた蕎麦屋の長助、「かわせみ」の人たち、バーンズ医師やその家族など多彩な、そしてそれぞれ特徴のある人物たちによって物語が織りなされていく。維新後という変化の激しい時代を背景として、変わっていく世相の中でそれらの人々がどのように生きていくかということも大きなテーマとなっている。

 最初の事件は、バーンズ診療所の患者である貿易商のスミス家で高価なダイヤの指輪が紛失し、疑いをかけられた中国人の下女を助けるために花世が畝源太郎と神林麻太郎に助力を求めているうちに、もう一人のイギリス人下女が殺され、その事件の真相を暴いていくというのもで、第二話「蝶丸屋降りん」は、本妻の子と妾の子がいた「蝶丸屋」という大店で、妾の子が死んだ事件の謎を麻太郎の新しい医学の知識などを用いて解決していく話である。

 そして、第三話「桜十字の紋章」は、明治政府がとった「神仏分離令」などによって起こった混乱に乗じて宗教の名を借りて老人を殺して財産を巻き上げていた擬似宗教集団の事件を解決して行くというもので、ここでは聡明で冷静な神林通之進も大活躍をする。第四話「花世の縁談」は、縁談が起こっても見向きもしないで我が道を行っている花世が親しくしているローランドという若い医者が処方した薬を飲んでいた患者が毒物中毒にかかった事件で、それはかつてその患者を診ていた医者が知識を誤ったものであることを突きとめていくものである。いずれも、政治も知識も、何もかにもが中途半端な状態が続いた明治期に、確かな知識と目をもって事柄にあたっていく麻太郎や花世、畝源太郎によって事件の真相が明らかになり、それを「るい」や神林通之進らが助けていく展開である。

 第五話「江利香という女」は、「かわせみ」に止まっていた絵師夫婦の「江利香」という女が殺された。その事件を調べてみると、実は、江利香の妹と弟が借金のかたに女衒(ぜげん-女を売買する者)に捕らわれそうになったのを助けるために夫婦を装い、彼女が奔走していたことが分かり、源太郎と麻太郎がその妹と弟を助けだしていくという話である。

 そして、最後の「天が泣く」は、長い間苦労して麻生家の事件と畝源三郎の死の真相を探っていた花世、源太郎、麻太郎たちが、それぞれの持ち味を生かして、ついに事柄の真相を暴きだしていく話である。ここには、当時の青山にあった牧場などが細かな背景として置かれている。あえて詳細は記さないが、「天が泣く」というのは、真に見事な表題で、それぞれの青年たちがその悲劇を乗り越えて、ここからまた新しく出発して行く。

 『御宿かわせみ』も『新・御宿かわせみ』も、この作品の優れて感動的なところは、それぞれに登場する主人公たちとそれらをめぐる人々が深い信頼と情で結ばれているところである。そして、それが温かい。文章に一つ一つが洗練されて、その温かみが伝わる。俵万智さんの歌を借りていえば、「寒いねと語りかければ 寒いねと こたえる人のいるあたたかさ」の「温かさ」があるのである。それが確かな時代と社会背景への視点の中で生き生きと描かれているのである。読んでいて本当に嬉しくなる。

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