2010年2月12日金曜日

山本一力『深川駕籠』

 雨が夜更けすぎには雪に変わるかもしれないとの予報が出ていたが、しんしんと冷え込むだけで雪にはならなかった。今朝も寒さが厳しい。だが、この寒さもあとひと月もないだろう。梅の便りも聞こえている。

 昨日、図書館から借りてきている山本一力『深川駕籠』(2002年 祥伝社)を手にとって読み始めた。奥付によれば、作者は1948年生まれで、2002年に『あかね空』で直木賞を受賞した作家で、市井の人々を描いた文体にも定評があり、『深川駕籠』も、よく練られた文体で、粋で男儀のある「駕籠かき」の姿を描いたものだが、どうも、男儀を競ったり、意地を通したりする展開は、今のわたしにはつまらなく思えて仕方がない。

 主人公は元火消しの纏(まとい)持ちという男儀を示す花形だったのだが、雷に打たれて屋根に上るのが怖くなり、火消しを辞め、同じように力士くずれと「駕籠かき」となって江戸市中を走り回り、行きがかりでさびれた町の町おこしのためにもほかの「駕籠かき」とトライアスロンに似た競技をすることで賭けを起こし、それを邪魔する同心たちのいやがらせなどの中で、意地と男儀でそれを成し遂げていくというもので、主人公も駕籠かきの相方も深い友情があり、また周囲の人たちの彼らを認めた温かみのある姿が描かれている。

 だが、物語を支える根本が「競争」であり、「勝負」であり、とうとう初めの二話だけを読んで、途中でやめてしまった。「男儀」とか「意地」というものも、何の魅力もない。今まで手にした書物を読了しないということはほとんどなかったのだが、「限られた時間の中で限られた書物しか読めない」と思うと、気乗りのしない書物を読み続ける気力がなくなって、自分で自分に驚いたりした。

 ただ、この作者のほかの書物は、以前何冊か読んでいて、この作者の思想というのが決してそういうものだけではないと思うので、これは、たぶん「食あたり」のようなものかもしれない。

 図書館からもう一冊、諸田玲子『末世炎上』(2005年 講談社)を借りてきているので、今夜はこれを読み始めよう。

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