昨日は38歳で生涯を終えなければならなかったTさんの葬儀が行われた。よく晴れてはいたが風が刺すように冷たい寒い日だった。
かなりの疲労感を覚え、あまりよく眠れないままに、佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』を読み続けた。公事宿(訴訟人が泊まる宿)である恵比寿屋の主人喜兵衛は、彼のもとに越後の田舎から出てきた金公事(金銭をめぐる民事訴訟)で訴えられた男の手伝いをすることになり、その訴訟が金銭をだまし取るために巧妙に仕組まれたものであることを明白にしていく。越後の田舎から出てきた男の兄が巧妙な罠にはめられており、その背後には、喜兵衛の営む「旅人宿」と敵対する「百姓宿」の主人の陰謀があったり、公事(訴訟)によって金銭をかすめ取っていく「公事師」の巧妙な策略があったりしたのである。
歴史・時代小説の中で、こうした民事裁判の事例が詳細に取り扱われるのは極めて稀なことであろうが、作者の佐藤雅美は、当時の公事(訴訟)の取り扱いや方法、法令などを丹念に調べ(文庫版の巻末にあげられている参考文献だけでも相当なものである)、それに従った形で物語を展開していきながら、この訴訟の黒幕であった「百姓宿」の主人が、実は、喜兵衛の妻をめぐる恋仇であったことの恨みと嫉妬をもっていたり、彼の妻がその「百姓宿」の主人と不貞を働いたことがあったりすることが次第に分かっていき、喜兵衛の複雑な思いが記されていく。喜兵衛の妻は、病に倒れており、彼女の不貞を種に金だけで動く厚顔の不良御家人から金銭を脅し取られたりしている。
喜兵衛には一男一女の子どもがいるが、いずれも親の意に反して家を出ており、長男は錠前職人となっているし、長女はヤクザな男と所帯をもっている。喜兵衛の家族は崩壊している。そして、喜兵衛には深川に世話をしている女がおり、その間に一男を設けていて、彼はその女性のところでだけ安らぎを覚えている。こういう主人公の人物像には、当然、「深み」が必要とされるが、佐藤雅美はそれを見事に、無理なく描き出している。
この作品の中に、この複雑に仕組まれた公事の真相を見事に裁いていく名与力が登場する。この与力の丁寧な調査と眼力によって事件の真相が八割ほど明らかになっていくが、彼もまた町奉行の移動によって役を離れさせられた元の内与力(町奉行付き与力)によって冤罪の過ちを犯させられそうになるが、喜兵衛の機転と推理によって事なきを得、さらに真相を暴いていく。与力という仕事に従事しなければならない人間の苦悩も描き出されている。非創造的な仕事には、いつも仕事そのものによる喜びが少ない。名与力は聡明なだけに、そのことを深く感じていくのである。
そして、陰謀をたくらんだ「百姓宿」の主人は家財没収となり、喜兵衛はその家族や彼の使用人たちのために没収された宿を買い取ることになっていくが、その心境は複雑で、最後は、次のように記されている。
「六十六部は滅罪の功徳を得るため諸国の寺社を巡礼して歩くのだという。
喜兵衛は六十六部に自分の姿を重ねてみた。」(文庫版 401ページ)
この終わり方も、また、味のある終わり方ではないだろうか。人は様々なことを背負って生きているのだから、その重荷を暗示するこうした表現で、主人公の生身の姿が見事に結実していると言えるであろう。
綿密な考察と展開、錯綜している人物たちの姿が丹念につづられた読みごたえのある秀作で、直木賞受賞作品であることをうなずくことができる作品である。
2010年1月15日金曜日
2010年1月12日火曜日
佐藤雅美『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1)
寒い朝になった。雨の予報が出ているがまだ降ってはいない。こういう天気の時の雨は、もし降れば絹のような細くて冷たい雨だろう。山沿いでは雪になるかもしれない。
昨夜、これまで佐藤雅美のいくつかの作品を乱読してきていたので、この作家の良さをもう少し知りたいと思って、彼が1993年に直木賞を受賞した作品である『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)を少し丁寧に読み始めた。
この作品は馬喰町(ばくろうちょう)の通称「旅人宿」と呼ばれる公事宿(奉行所での訴訟のために宿泊する宿)の主人である恵比寿屋の喜兵衛を主人公として、江戸時代における訴訟事件を取り扱った作品で、決してきれい事では済まない生身の人間としての登場人物たちが描かれている秀作である。
佐藤雅美は、これまでも見てきたように時代や社会に対する歴史考証がかなり厳密で、この作品では、それが物語に展開の中で見事に生かされており、人間に対する見方も、市井に生なましく生きる人間を重んじる視点をもっており、この作品は、さらに、文章の構成もかなり推敲が重ねられたと思われる箇所が随所にあって、物語の構造も、一つのことが全体に繋がっていくような構成の中で登場人物たちの姿が掘り下げられていく構造をもっている。
まず、最初の書き出しからして、
「障子ごしに日が斜めにさしこみ、部屋がぱっと明るくなった。
日の傾きかげんから察するに、そろそろ七つ(午後四時)になろうかという、客引きに表に出なければならない頃あいだ。
喜兵衛は下駄をつっかけて表にでた」(文庫版 9ページ)
となっており、この書き出しによって、季節が秋で、喜兵衛という人物が夕暮れ時に客引きをしなければならない仕事をしていることが分かるし、鳥瞰的な視点ではなく、ひとりの人間の目を通しての視点で物語が進行していくことを伺わせるものとなっている。
こういう書き出しは、物語の視点がきちんと定まっていないと出来ない書き出しであり、作者の力量が無理のない相当なものであることを伺わせるものである。
こういうことを思いながら読んでいると、突然、Tさんの訃報の連絡が御主人から入った。まだ38歳の若さで、急性心不全ということだが、何とも痛ましい。人は限りある生命を生きている以上、その終わりも迎えなければならないし、それぞれの命には「時」があるのだが、人の生の終わりは、人知では計りしれないとつくづく思う。昨年のクリスマスに少し長く個人的な話を伺っていて、状態の回復を祈念していたが、突然の死の訪れに愕然とした。人はただ祈ることしかできない。地から取り去られたが、天に一人が加えられたのだ。祈ることができることを信じよう。
昨夜、これまで佐藤雅美のいくつかの作品を乱読してきていたので、この作家の良さをもう少し知りたいと思って、彼が1993年に直木賞を受賞した作品である『恵比寿屋喜兵衛手控え』(1993年 講談社 1996年 講談社文庫)を少し丁寧に読み始めた。
この作品は馬喰町(ばくろうちょう)の通称「旅人宿」と呼ばれる公事宿(奉行所での訴訟のために宿泊する宿)の主人である恵比寿屋の喜兵衛を主人公として、江戸時代における訴訟事件を取り扱った作品で、決してきれい事では済まない生身の人間としての登場人物たちが描かれている秀作である。
佐藤雅美は、これまでも見てきたように時代や社会に対する歴史考証がかなり厳密で、この作品では、それが物語に展開の中で見事に生かされており、人間に対する見方も、市井に生なましく生きる人間を重んじる視点をもっており、この作品は、さらに、文章の構成もかなり推敲が重ねられたと思われる箇所が随所にあって、物語の構造も、一つのことが全体に繋がっていくような構成の中で登場人物たちの姿が掘り下げられていく構造をもっている。
まず、最初の書き出しからして、
「障子ごしに日が斜めにさしこみ、部屋がぱっと明るくなった。
日の傾きかげんから察するに、そろそろ七つ(午後四時)になろうかという、客引きに表に出なければならない頃あいだ。
喜兵衛は下駄をつっかけて表にでた」(文庫版 9ページ)
となっており、この書き出しによって、季節が秋で、喜兵衛という人物が夕暮れ時に客引きをしなければならない仕事をしていることが分かるし、鳥瞰的な視点ではなく、ひとりの人間の目を通しての視点で物語が進行していくことを伺わせるものとなっている。
こういう書き出しは、物語の視点がきちんと定まっていないと出来ない書き出しであり、作者の力量が無理のない相当なものであることを伺わせるものである。
こういうことを思いながら読んでいると、突然、Tさんの訃報の連絡が御主人から入った。まだ38歳の若さで、急性心不全ということだが、何とも痛ましい。人は限りある生命を生きている以上、その終わりも迎えなければならないし、それぞれの命には「時」があるのだが、人の生の終わりは、人知では計りしれないとつくづく思う。昨年のクリスマスに少し長く個人的な話を伺っていて、状態の回復を祈念していたが、突然の死の訪れに愕然とした。人はただ祈ることしかできない。地から取り去られたが、天に一人が加えられたのだ。祈ることができることを信じよう。
2010年1月11日月曜日
佐藤雅美『半次捕物控 泣く子と小三郎』
今にも雨か雪が降り出しそうな空が広がっている。昨夜、夕食を食べてすぐから12時間余りも眠ってしまった。途中何度かトイレに起きたほかは、いくつかの脈絡のない夢を見ていたので、眠りは浅かったのだろう。月曜日は「家事の日」と決めてはいたが、8時ごろ起き出して、何もせずにぼんやり過ごしていた。冬眠の季節は、時々こういうのがあるなぁ。
一昨日の夜と昨日の夕方、佐藤雅美『半次捕物控 泣く子と小三郎』(2006年 講談社)を読んだ。これはこのシリーズの5作目で、8日(金)に記したシリーズの3作目『命みょうが 半次捕物控』(2002年 講談社との間には4作目『疑惑』があるが、3作目に登場した蟋蟀小三郎が、主人公半次の妻の働きによって国表である越前丸岡藩に無事に帰された後、再び、江戸勤めとなって江戸に帰って来たところから物語が始まっており、彼と半次の遠慮のない絶妙なやりとりからすれば、3作目の続きとも言える作品となっている。
ただ、表題からして、前々作は『命みょうが 半次捕物控』であったものが、この作品は『半次捕物控 泣く子と小三郎』になっており、より主人公の半次の捕物帳が詳しくなって、一つ一つの事件が詳細に描かれ、蟋蟀小三郎も味のある脇役ぶりにとどめられている。
その代わりに、蟋蟀小三郎が世話をしてくれと半次のもとに連れてきた小坊主の素性が、物語を追うに従って次第に明らかにされていくという線が一本通されていく構成がとられていて、この辺りはさすがに巧みと言わなければならないだろう。
この小坊主は、本名が久保恒次郎といい、対馬藩のお家騒動にからんで、敗北した父親が遠島となり、母親が死んでいることが分かる。恒次郎は半次の家に厄介になりながらその家の幼い養女とも仲良くなり、手習所にも通い、秀才と誉れが高くなり学問にはげんでいく。半次は、そうした恒次郎を温かく見守っていく。この恒次郎という少年もきちんとしたけじめと矜持をもった少年で、無遠慮な蟋蟀小三郎に対しても小気味よく対応する少年である。
本作品には全部で八話が収録されているが、いずれも半次の推理がさえていく話であり、贋作をめぐっての町奉行を巻き込んだ騒動を描いた「第一話 御奉行の十露盤」から蟋蟀小三郎が惚れて一緒暮らすことになった「ちよ」という武家の後家の「仇打ち」をめぐっての元夫の置かれた状況や同僚の手当の二重搾取の事件を取り扱った「第八話 ちよ女の仇」まで、事件の顛末と謎ときが見事に展開されている。この作品は、作者の脂が乗り切った作品のひとつではないだろうか。
一昨日の夜と昨日の夕方、佐藤雅美『半次捕物控 泣く子と小三郎』(2006年 講談社)を読んだ。これはこのシリーズの5作目で、8日(金)に記したシリーズの3作目『命みょうが 半次捕物控』(2002年 講談社との間には4作目『疑惑』があるが、3作目に登場した蟋蟀小三郎が、主人公半次の妻の働きによって国表である越前丸岡藩に無事に帰された後、再び、江戸勤めとなって江戸に帰って来たところから物語が始まっており、彼と半次の遠慮のない絶妙なやりとりからすれば、3作目の続きとも言える作品となっている。
ただ、表題からして、前々作は『命みょうが 半次捕物控』であったものが、この作品は『半次捕物控 泣く子と小三郎』になっており、より主人公の半次の捕物帳が詳しくなって、一つ一つの事件が詳細に描かれ、蟋蟀小三郎も味のある脇役ぶりにとどめられている。
その代わりに、蟋蟀小三郎が世話をしてくれと半次のもとに連れてきた小坊主の素性が、物語を追うに従って次第に明らかにされていくという線が一本通されていく構成がとられていて、この辺りはさすがに巧みと言わなければならないだろう。
この小坊主は、本名が久保恒次郎といい、対馬藩のお家騒動にからんで、敗北した父親が遠島となり、母親が死んでいることが分かる。恒次郎は半次の家に厄介になりながらその家の幼い養女とも仲良くなり、手習所にも通い、秀才と誉れが高くなり学問にはげんでいく。半次は、そうした恒次郎を温かく見守っていく。この恒次郎という少年もきちんとしたけじめと矜持をもった少年で、無遠慮な蟋蟀小三郎に対しても小気味よく対応する少年である。
本作品には全部で八話が収録されているが、いずれも半次の推理がさえていく話であり、贋作をめぐっての町奉行を巻き込んだ騒動を描いた「第一話 御奉行の十露盤」から蟋蟀小三郎が惚れて一緒暮らすことになった「ちよ」という武家の後家の「仇打ち」をめぐっての元夫の置かれた状況や同僚の手当の二重搾取の事件を取り扱った「第八話 ちよ女の仇」まで、事件の顛末と謎ときが見事に展開されている。この作品は、作者の脂が乗り切った作品のひとつではないだろうか。
2010年1月8日金曜日
佐藤雅美『命みょうが 半次捕物控』
今日もこちらはよく晴れている。寒いことは寒いが、晴れているとなんだか温かそうな気がしてくるから、人の感覚というのは不思議なものだと思ったりする。水仙が顔を出しそうな気配がする。
昨夜、佐藤雅美『命みょうが 半次捕物控』(2002年 講談社 2005年 講談社文庫)を抱腹絶倒とまではいかないけれども、楽しく読んだ。
この作品は江戸中期の岡っ引き「半次」を主人公とする捕物帳もので、佐藤雅美が、いわゆる歴史経済小説というような『大君の通貨』や『薩摩藩経済官僚』、『主殿の税』といった作品の後で挑戦した時代小説の第一弾のシリーズ「半次捕物控」の第三作目の作品である。
このシリーズの第一作目は、些細な盗難事件(雪駄の盗難)から大きな陰謀へと繋がっていった『影帳』で、第二作目は、江戸町奉行の密命を受けて主人公が備前岡山まで行く『揚羽の蝶』であり、第二作目は、昨年バザーで手に入れているが、いずれもまだ読んではいない。
書物の名前から明白に推量されるように、このシリーズは、岡本綺堂(1872-1939)の名作『半七捕物帳』を意識したものだろうが、岡本綺堂の「半七」が「弱気を助け、強きをくじく」正義派の人間だったのに対し、佐藤雅美の「半次」は、犯罪を揉み消しにすること(引合)や付け届け(厳密に現代で言うなら贈収賄だろう)で糊塗を稼ぐ生身の人間であり、場合によっては奉行所の命令で真実を闇に葬ることもあし、恰好よく立ち回りもしない。自らかつては犯罪に手を染めたこともある、と言う。
佐藤雅美の時代や社会に対する考証は、やはり確かなもので、このシリーズでもそれがいかんなく発揮され、細かなこともしっかりとした裏付けがされている。
『命みょうが』は、茅場町の薬師堂の縁日で若い娘の尻をさわった嫌疑で捕えられた田舎侍の身柄を預かることになった半次が、この汚らしい恰好をしているが剣の腕が桁外れている田舎侍の素性を探っていく中で、やがては彼の背景に越前丸岡有馬家の家督相続に絡む争いがあることを突き止めていくことが一本の線として貫かれ、その中にそれぞれが一話完結の形で、銅物屋(かなものや)の主人が殺された事件(「博多の帯」)、土左衛門(水死人)の入れ歯から事件の真相が暴かれていく事件(「斬り落とされた腕」)、江戸市中の御留場(鳥の捕獲の禁止区域)で鳥の捕獲をしていた旗本を脅したことで遠島になり、島抜け(脱走)してきた脅迫犯が絡んだ事件(「関東のツレション」)、大名家の家臣の商家への脅しや太物屋(木綿問屋)の江戸支配人が殺された事件(「命みょうが」)、常磐津(小唄)の「名弘メ」(襲名披露)を利用して悪銭を稼ごうとしたヤクザが殺された事件(「用人山川頼母の陰謀」)、御数寄屋坊主(城中における茶の接待をする坊主)による詐欺事件に絡んで、事の顛末が芝居になってしまった事件(「朧月夜血塗骨董(おぼるづきよちぬりのなまくび)」)、などが描かれている。
これらの事件そのものは、あっけないほどの幕切れで、もう少し事件が込み入った方が面白いかとも思ったが、これらの事件に半次が引き取った田舎侍「蟋蟀小三郎(こおろぎ こさぶろう)」が小気味がいいほど関係していて、平然と半次の女房や常磐津の師匠を口説いたり、詐欺を働いた茶坊主を逆に脅して大金を巻き上げたり、事件の犯人ではないかと疑われる中で半次の家に平然と出入りしたり、寄食することをなんとも思わなかったり、度胸が据わって腕も知恵もある魅力的な浪人として登場し、彼が抱えるもとの主家の御家騒動の実態が暴かれていく大筋へと繋がっていくのである。
半次もなかなか味のある魅力的な岡っ引きであるなら、蟋蟀小三郎も魅力的な人物であり、これらの両者が絡み合って事件が解決していく姿がずっと描き出されている。半次は、岡っ引きという仕事が強請やたかりめいたことをしなければ成り立たないことを自覚しているし、蟋蟀小三郎も、独りよがりな御家騒動にからんで平然と嘘もつくし、人を斬ることにも抵抗がない。人には嫉妬心もあり、恨みもあり、意地もある。そして、人が生きる上でお金が必要なことも作者は赤裸々に描き出すし、結末に至る伏線もたくさん張られていて、読んでいて嫌味がない。
彼の『物書同心居眠り紋蔵』のシリーズも面白いが、このシリーズも面白い。作者の佐藤雅美の視座については、これまでも折に触れて書いてきたし、彼の立ち位置が非権威主義であるのもいい。
ここまで書いた時、雲が出てきて少し陰って来た。陽のあるうちに、今日は少し歩こう。車のバッテリーがまた上がってしまって、動かないのでちょうどいい。
昨夜、佐藤雅美『命みょうが 半次捕物控』(2002年 講談社 2005年 講談社文庫)を抱腹絶倒とまではいかないけれども、楽しく読んだ。
この作品は江戸中期の岡っ引き「半次」を主人公とする捕物帳もので、佐藤雅美が、いわゆる歴史経済小説というような『大君の通貨』や『薩摩藩経済官僚』、『主殿の税』といった作品の後で挑戦した時代小説の第一弾のシリーズ「半次捕物控」の第三作目の作品である。
このシリーズの第一作目は、些細な盗難事件(雪駄の盗難)から大きな陰謀へと繋がっていった『影帳』で、第二作目は、江戸町奉行の密命を受けて主人公が備前岡山まで行く『揚羽の蝶』であり、第二作目は、昨年バザーで手に入れているが、いずれもまだ読んではいない。
書物の名前から明白に推量されるように、このシリーズは、岡本綺堂(1872-1939)の名作『半七捕物帳』を意識したものだろうが、岡本綺堂の「半七」が「弱気を助け、強きをくじく」正義派の人間だったのに対し、佐藤雅美の「半次」は、犯罪を揉み消しにすること(引合)や付け届け(厳密に現代で言うなら贈収賄だろう)で糊塗を稼ぐ生身の人間であり、場合によっては奉行所の命令で真実を闇に葬ることもあし、恰好よく立ち回りもしない。自らかつては犯罪に手を染めたこともある、と言う。
佐藤雅美の時代や社会に対する考証は、やはり確かなもので、このシリーズでもそれがいかんなく発揮され、細かなこともしっかりとした裏付けがされている。
『命みょうが』は、茅場町の薬師堂の縁日で若い娘の尻をさわった嫌疑で捕えられた田舎侍の身柄を預かることになった半次が、この汚らしい恰好をしているが剣の腕が桁外れている田舎侍の素性を探っていく中で、やがては彼の背景に越前丸岡有馬家の家督相続に絡む争いがあることを突き止めていくことが一本の線として貫かれ、その中にそれぞれが一話完結の形で、銅物屋(かなものや)の主人が殺された事件(「博多の帯」)、土左衛門(水死人)の入れ歯から事件の真相が暴かれていく事件(「斬り落とされた腕」)、江戸市中の御留場(鳥の捕獲の禁止区域)で鳥の捕獲をしていた旗本を脅したことで遠島になり、島抜け(脱走)してきた脅迫犯が絡んだ事件(「関東のツレション」)、大名家の家臣の商家への脅しや太物屋(木綿問屋)の江戸支配人が殺された事件(「命みょうが」)、常磐津(小唄)の「名弘メ」(襲名披露)を利用して悪銭を稼ごうとしたヤクザが殺された事件(「用人山川頼母の陰謀」)、御数寄屋坊主(城中における茶の接待をする坊主)による詐欺事件に絡んで、事の顛末が芝居になってしまった事件(「朧月夜血塗骨董(おぼるづきよちぬりのなまくび)」)、などが描かれている。
これらの事件そのものは、あっけないほどの幕切れで、もう少し事件が込み入った方が面白いかとも思ったが、これらの事件に半次が引き取った田舎侍「蟋蟀小三郎(こおろぎ こさぶろう)」が小気味がいいほど関係していて、平然と半次の女房や常磐津の師匠を口説いたり、詐欺を働いた茶坊主を逆に脅して大金を巻き上げたり、事件の犯人ではないかと疑われる中で半次の家に平然と出入りしたり、寄食することをなんとも思わなかったり、度胸が据わって腕も知恵もある魅力的な浪人として登場し、彼が抱えるもとの主家の御家騒動の実態が暴かれていく大筋へと繋がっていくのである。
半次もなかなか味のある魅力的な岡っ引きであるなら、蟋蟀小三郎も魅力的な人物であり、これらの両者が絡み合って事件が解決していく姿がずっと描き出されている。半次は、岡っ引きという仕事が強請やたかりめいたことをしなければ成り立たないことを自覚しているし、蟋蟀小三郎も、独りよがりな御家騒動にからんで平然と嘘もつくし、人を斬ることにも抵抗がない。人には嫉妬心もあり、恨みもあり、意地もある。そして、人が生きる上でお金が必要なことも作者は赤裸々に描き出すし、結末に至る伏線もたくさん張られていて、読んでいて嫌味がない。
彼の『物書同心居眠り紋蔵』のシリーズも面白いが、このシリーズも面白い。作者の佐藤雅美の視座については、これまでも折に触れて書いてきたし、彼の立ち位置が非権威主義であるのもいい。
ここまで書いた時、雲が出てきて少し陰って来た。陽のあるうちに、今日は少し歩こう。車のバッテリーがまた上がってしまって、動かないのでちょうどいい。
2010年1月7日木曜日
松井今朝子『そろそろ旅に』(3)
このところ厳しい冬型の天気が続き、北日本と日本海側では大荒れの天気になっているが、こちらはずっと青空が見える天気になっている。少し出かけることが多くて、これを記すのも三日ぶりであるが、お正月の間にゆっくり休むことができなかったので、そろそろ疲れを覚え始めている。注意力も散漫になっているのだろう。昨日、里芋の煮つけを作ろうとして、里芋の皮をむく時に指の皮まで剥いてしまった。
松井今朝子『そろそろ旅に』を二日ほど前に読み終えた。この作品の後半は、十返舎一九が大坂の材木商の入婿に入り、武士にも商人にもなりきれずに放蕩のあげくに離縁され、江戸へ出てきて、江戸の出版元である蔦屋重三郎の家に寄宿しながら戯作者となっていき、やがて『東海道中膝栗毛』を書くに至るまでを描き出しているものである。
この部分が本書の核となる部分であろうが、十返舎一九は、既に戯作者として著名になっていた山東京伝の影響を受けて、彼を乗り越えようと苦闘する。その姿が、たとえば彼の二度目の妻となった者が山東京伝を敬って恋い慕う者として設定され、山東京伝への悋気(嫉妬)として描かれていたり、そのために十返舎一九が放蕩に奔っていったり、当時の滝沢馬琴や式亭三馬などとの交流や、松平定信(1759-1829年)の「寛政の改革」後の時代背景の中での当時の出版を取り巻く状況などと絡まされている。
この松井今朝子の作品には二つの特徴があるように思われる。
そのひとつは、十返舎一九を取り巻く人々の誰ひとりとして悪意を抱く者がいない、ということである。彼が武家奉公に嫌気がさす直接の引き金となった大坂町奉行(後に江戸町奉行)の小田切直年の家臣で謹厳な鉢屋新六という武士にしても、「鉢屋はまことに忠義者だ」「あれの話は少しも面白うない。されど、決して手放せぬ大事な家来だ」と主の小田切直年に言わしめ、十返舎一九もそのことを十分認めている(154ページ)し、最初の妻となった材木商の娘も、商人にもなれずに放蕩にふける十返舎一九を理解して自由にするために離縁し、彼が当てもないままに江戸に向かう姿を見送ったりしている。
江戸の蔦屋重三郎はもちろん十返舎一九のよき理解者であり、山東京伝も彼を認め、辛口の滝沢馬琴でさえ彼を認める人物として描かれ、二度目の妻となった女性も、彼を支える女性として描かれている。十返舎一九は、こうした理解者に囲まれながら、それでも自らの道を探して彷徨い続けるのであり、ようやく、『浮世道中膝栗毛』や『東海道中膝栗毛』の作風を見出していく姿が示されているのである。
作者の松井今朝子という人は、人間を肯定的にとらえようとする人なのかもしれない。十返舎一九自身が粋で洒落者(オシャレという意味では決してない)だったし、どこかさっぱりとした爽やかさをもった人だったと思われるが、晩年、貧しさで苦闘した姿が反映されていてもいいかもしれないと思った。
しかし、もう一つのこの作品の特徴として、常に彼の周りで、彼の本音をずばりと言ったり、励ましたりする「犬吉」という幻の従者が設定されていることである。「犬吉」は、十返舎一九が子どもの頃に海でおぼれかけた時に、彼を踏みつけることによって助かった幼友だちであり、その海で死んでしまった人間の「影」である。十返舎一九はこの影をずっと引きずっていく。それは、ひとりの人間が浮かび上がっていく時に踏み台にして犠牲にしている者の象徴でもある。
実際、人が生きていくということは、多くの犠牲の上に成り立っている。人の裏には多くの涙が流されている。十返舎一九がそのことをよく自覚している人物として描き出されるのは、作者のそうしたことへの深い自覚の反映であるように思われる。
この作品は、何とはなしに読める作品ではあるが、武士にも商人にもなれずに苦悶する十返舎一九の姿が妙に深く焼きつく作品のような気がする。読んでいる間、ずっと十返舎一九のあり方を考えたりしていた。
今日は「あざみ野」の山内図書館に本を返却しなければならない。『のだめカンタービレ 最終章』の映画も見に行きたいが、「年配者がひとりでその映画を見に行くのも寂しいものだ」と躊躇している。こういうときは「独り」は、本当に困る。結局、DVDになるのを待つしかないのかもしれない。
松井今朝子『そろそろ旅に』を二日ほど前に読み終えた。この作品の後半は、十返舎一九が大坂の材木商の入婿に入り、武士にも商人にもなりきれずに放蕩のあげくに離縁され、江戸へ出てきて、江戸の出版元である蔦屋重三郎の家に寄宿しながら戯作者となっていき、やがて『東海道中膝栗毛』を書くに至るまでを描き出しているものである。
この部分が本書の核となる部分であろうが、十返舎一九は、既に戯作者として著名になっていた山東京伝の影響を受けて、彼を乗り越えようと苦闘する。その姿が、たとえば彼の二度目の妻となった者が山東京伝を敬って恋い慕う者として設定され、山東京伝への悋気(嫉妬)として描かれていたり、そのために十返舎一九が放蕩に奔っていったり、当時の滝沢馬琴や式亭三馬などとの交流や、松平定信(1759-1829年)の「寛政の改革」後の時代背景の中での当時の出版を取り巻く状況などと絡まされている。
この松井今朝子の作品には二つの特徴があるように思われる。
そのひとつは、十返舎一九を取り巻く人々の誰ひとりとして悪意を抱く者がいない、ということである。彼が武家奉公に嫌気がさす直接の引き金となった大坂町奉行(後に江戸町奉行)の小田切直年の家臣で謹厳な鉢屋新六という武士にしても、「鉢屋はまことに忠義者だ」「あれの話は少しも面白うない。されど、決して手放せぬ大事な家来だ」と主の小田切直年に言わしめ、十返舎一九もそのことを十分認めている(154ページ)し、最初の妻となった材木商の娘も、商人にもなれずに放蕩にふける十返舎一九を理解して自由にするために離縁し、彼が当てもないままに江戸に向かう姿を見送ったりしている。
江戸の蔦屋重三郎はもちろん十返舎一九のよき理解者であり、山東京伝も彼を認め、辛口の滝沢馬琴でさえ彼を認める人物として描かれ、二度目の妻となった女性も、彼を支える女性として描かれている。十返舎一九は、こうした理解者に囲まれながら、それでも自らの道を探して彷徨い続けるのであり、ようやく、『浮世道中膝栗毛』や『東海道中膝栗毛』の作風を見出していく姿が示されているのである。
作者の松井今朝子という人は、人間を肯定的にとらえようとする人なのかもしれない。十返舎一九自身が粋で洒落者(オシャレという意味では決してない)だったし、どこかさっぱりとした爽やかさをもった人だったと思われるが、晩年、貧しさで苦闘した姿が反映されていてもいいかもしれないと思った。
しかし、もう一つのこの作品の特徴として、常に彼の周りで、彼の本音をずばりと言ったり、励ましたりする「犬吉」という幻の従者が設定されていることである。「犬吉」は、十返舎一九が子どもの頃に海でおぼれかけた時に、彼を踏みつけることによって助かった幼友だちであり、その海で死んでしまった人間の「影」である。十返舎一九はこの影をずっと引きずっていく。それは、ひとりの人間が浮かび上がっていく時に踏み台にして犠牲にしている者の象徴でもある。
実際、人が生きていくということは、多くの犠牲の上に成り立っている。人の裏には多くの涙が流されている。十返舎一九がそのことをよく自覚している人物として描き出されるのは、作者のそうしたことへの深い自覚の反映であるように思われる。
この作品は、何とはなしに読める作品ではあるが、武士にも商人にもなれずに苦悶する十返舎一九の姿が妙に深く焼きつく作品のような気がする。読んでいる間、ずっと十返舎一九のあり方を考えたりしていた。
今日は「あざみ野」の山内図書館に本を返却しなければならない。『のだめカンタービレ 最終章』の映画も見に行きたいが、「年配者がひとりでその映画を見に行くのも寂しいものだ」と躊躇している。こういうときは「独り」は、本当に困る。結局、DVDになるのを待つしかないのかもしれない。
2010年1月4日月曜日
松井今朝子『そろそろ旅に』(2)
朝はまだら模様の灰色の雲に覆われて、まさに冬の重い空を感じさせたが、午後からは晴れてきた。年末に使った布団を干したり、カバーを洗濯したり、掃除をしたりしていると午後3時になってしまった。
昨夜はK氏宅にお招きを受けて、本当に楽しい時を過ごすことができた。K氏はロシア文学を専攻された後、ある電機会社に勤めておられて、高橋和巳や埴谷雄高、ドストエフスキーなどを愛読されて、わたしと読書傾向が似ているので、話をしていてとても楽しいし、ジャズマンでもある。奥様のUさんは英語を教えられるかたわらヴァイオリニストでもあるし、双子の姉弟のSちゃんとSTくんも、いまどき珍しい好少年少女で、Sちゃんはヴァイオリンが堪能で、中学校でオーケストラをやっており、STくんは囲碁と合気道を学んでいる。昨夜はジャズで演奏されたバッハなども聴かせてもらった。
わたしも囲碁が好きなので、昨夜はさっそく哲志くんと一局囲んだりした。御家族と話をしていると、時間の経つのも忘れるくらい楽しくて、気がつくと10時を廻ってしまっていた。遅くまでご迷惑だったかもしれないが、心底楽しかった。
帰宅して松井今朝子『そろそろ旅に』を読んだが、少し酔っていたのと眠いのとで、あまり進まなかった。ただ、非常に面白いと思ったのは、十返舎一九が次第に浄瑠璃の世界に関心を持ち始めて、武家奉公を止めようとするくだりで、その描き方に作者の文学への思いも反映されているように思えたことである。
「田沼から白河候の治世に移り、岩瀬(武家奉公の同僚で遊び好き)が江戸に去って、小田切家(十返舎一九が務める大阪町奉行)の勤めがだんだん窮屈となるにつれて、与七郎(十返舎一九)はともすれば異国(浄瑠璃の世界)への誘いに心を強く揺さぶられてしまうのである」(146ページ)と、その心情が述べられている。そして、「世の中の手本となるような立派な武士は願い下げだ。商いに手を染めたら、きっと儲けるより損がいくだろう。何がしたいといえば、そこら中をうろうろと歩きまわって、時にぼんやり景色を眺める。行き交う人とののんびり馬鹿話をして、時に気が向けば筆を取る。毎日あくせくと働かずに暮らせて、美しい女房が側にいてくれたらもうそれで何も申し分ない」(148-149ページ)と語られる。
こうした十返舎一九の心情は、彼が格式ばった武家を嫌い、自由人でありたいと願った姿として描き出されるものであろう。作品の中では、彼を家臣にしていた大坂町奉行の小田切直年はこうした十返舎一九の心情をよく理解して、彼のもとを去ることを快くゆるしていく人物として描かれている。
実際のところ、小田切直年は、江戸北町奉行所の名奉行のひとりに数えられ、彼が大坂町奉行だったのは1783-1792年で、一説では十返舎一九の実の父親ではないかとの説もあるが、確証はなく、本作品でもその説は取り入れられていないが、十返舎一九の夢見るような気ままな性格をよく理解する人物であったとは言えるかもしれない。
十返舎一九は、その小田切家のゆるしを得て、やがて大阪の材木商の入婿となるが、かといって材木商としての働きにも熱が入らずに、人形浄瑠璃の作者として『木下陰狭間合戦』の一部を執筆するようになるのである。作者が描く十返舎一九像は、どこまでも才能豊かであるが物事にこだわらずに、洒落て生きていく人間である。
彼が、入婿となった材木商から離縁されていくくだりは、これから読むところである。少し薬局に行ったり買い物をしたりしなければならないので、今日のところはここまでにしておこう。明日から三日間は都内で会議である。
昨夜はK氏宅にお招きを受けて、本当に楽しい時を過ごすことができた。K氏はロシア文学を専攻された後、ある電機会社に勤めておられて、高橋和巳や埴谷雄高、ドストエフスキーなどを愛読されて、わたしと読書傾向が似ているので、話をしていてとても楽しいし、ジャズマンでもある。奥様のUさんは英語を教えられるかたわらヴァイオリニストでもあるし、双子の姉弟のSちゃんとSTくんも、いまどき珍しい好少年少女で、Sちゃんはヴァイオリンが堪能で、中学校でオーケストラをやっており、STくんは囲碁と合気道を学んでいる。昨夜はジャズで演奏されたバッハなども聴かせてもらった。
わたしも囲碁が好きなので、昨夜はさっそく哲志くんと一局囲んだりした。御家族と話をしていると、時間の経つのも忘れるくらい楽しくて、気がつくと10時を廻ってしまっていた。遅くまでご迷惑だったかもしれないが、心底楽しかった。
帰宅して松井今朝子『そろそろ旅に』を読んだが、少し酔っていたのと眠いのとで、あまり進まなかった。ただ、非常に面白いと思ったのは、十返舎一九が次第に浄瑠璃の世界に関心を持ち始めて、武家奉公を止めようとするくだりで、その描き方に作者の文学への思いも反映されているように思えたことである。
「田沼から白河候の治世に移り、岩瀬(武家奉公の同僚で遊び好き)が江戸に去って、小田切家(十返舎一九が務める大阪町奉行)の勤めがだんだん窮屈となるにつれて、与七郎(十返舎一九)はともすれば異国(浄瑠璃の世界)への誘いに心を強く揺さぶられてしまうのである」(146ページ)と、その心情が述べられている。そして、「世の中の手本となるような立派な武士は願い下げだ。商いに手を染めたら、きっと儲けるより損がいくだろう。何がしたいといえば、そこら中をうろうろと歩きまわって、時にぼんやり景色を眺める。行き交う人とののんびり馬鹿話をして、時に気が向けば筆を取る。毎日あくせくと働かずに暮らせて、美しい女房が側にいてくれたらもうそれで何も申し分ない」(148-149ページ)と語られる。
こうした十返舎一九の心情は、彼が格式ばった武家を嫌い、自由人でありたいと願った姿として描き出されるものであろう。作品の中では、彼を家臣にしていた大坂町奉行の小田切直年はこうした十返舎一九の心情をよく理解して、彼のもとを去ることを快くゆるしていく人物として描かれている。
実際のところ、小田切直年は、江戸北町奉行所の名奉行のひとりに数えられ、彼が大坂町奉行だったのは1783-1792年で、一説では十返舎一九の実の父親ではないかとの説もあるが、確証はなく、本作品でもその説は取り入れられていないが、十返舎一九の夢見るような気ままな性格をよく理解する人物であったとは言えるかもしれない。
十返舎一九は、その小田切家のゆるしを得て、やがて大阪の材木商の入婿となるが、かといって材木商としての働きにも熱が入らずに、人形浄瑠璃の作者として『木下陰狭間合戦』の一部を執筆するようになるのである。作者が描く十返舎一九像は、どこまでも才能豊かであるが物事にこだわらずに、洒落て生きていく人間である。
彼が、入婿となった材木商から離縁されていくくだりは、これから読むところである。少し薬局に行ったり買い物をしたりしなければならないので、今日のところはここまでにしておこう。明日から三日間は都内で会議である。
2010年1月2日土曜日
松井今朝子『そろそろ旅に』(1)
新しい年が冷厳の風と共に始まった。日本海側と西日本は大雪の荒れた天気となったが、こちらはよく晴れて、そのぶんひどく寒くなっている。穏やかだが厳しい年明けである。社会全体もそんな気がする。
個人的には、年末に娘たちが神戸から来てくれたり、大好きな『のだめカンタービレ』のアニメ版全話が大晦日から元旦にかけてBSフジテレビで放映されたり、片づけてしまわなければならない仕事に追われたりして、結構楽しんだが、心のどこかに社会と人々に対する「やりきれなさ」があって、「如何せん」と思い続けてはいる。昨日の午後は、年賀状をくださった方々のひとりひとりを思い浮かべながら、年賀状を出されなくなった人たちはどうされているのだろう、と思ったりしていた。
大晦日から元旦にかけて、松井今朝子『そろそろ旅に』(2008年 講談社)を読んでいる。
松井今朝子という人の作品は初めて読むのだが、書物の奥付によれば、1953年京都府生まれで、歌舞伎の脚色や評論などをし、1997年に『東州しゃらくさし』で作家としてデビューし、2007年に『吉原手引草』で第137回直木賞を受賞した作家らしい。自身のブログもあって、それを読んでみると、三軒茶屋にあるレストランの名前がたくさん出てくるので、もしかしたらこの近くの三軒茶屋に住んでおられるような気もする。
『そろそろ旅に』は、江戸時代後期に文筆活動を展開し、『東海道中膝栗毛』で著名な十返舎一九(1765-1831年)を取り扱った作品で、十返舎一九は、本名重田貞一(しげた さだかつ)、幼名市丸、通称与七、幾五郎などがあり、本書では重田与七郎とされている。
十返舎一九自身がけっこう波乱の生涯を送った人で、武士の子として生まれ、江戸や大坂で武家奉公したが、武士をやめて、大阪では義太夫語りの家に寄食したり、志野流の香道を学んだり、材木商に入り婿したりしているし(この材木商では離縁されている)、江戸では黄表紙本の出版元として著名な蔦屋重三郎の家に寄食したり、地本問屋(現:出版社)の会所(現:組合事務所のような所)に住んだりしている。二度目の結婚も放蕩のために離縁され、三度目の結婚で一女をもうけている。
彼は、年に20部近くになる新作を発表するなど精力的な文筆活動を展開するが、46歳の時に眼病を患い、58歳で中風にかかり、67歳で貧苦のうちに死去している。彼の辞世の句が「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」(この世をば、どりゃあ おいとませんこうと ともについには はい、さようなら)というのは著名で、わたしも自分の論文でこの句を使ったりしたことがある。
松井今朝子『そろそろ旅に』は、この十返舎一九が郷里の駿河(静岡県)から大阪に出て武家奉公するところから物語が始まり、やがて材木商と知り合って志野流の香道を学び、その材木商に入り婿していく姿が描かれていく。
松井今朝子が描く武家としての十返舎一九は、結構「かっこいい」武士として描かれている。彼は、「無辺流槍術」(今は棒術として知られる)の名手であり、あまり身分なども気にせずに気さくで、困った者を見捨てることもできない人情ある人物で、材木商と知り合ったのもその娘の難儀を槍の立ち回りに寄って助けたことに寄るものであり、勤め先の武家でも、物事にこだわることなく振る舞う。
こういう十返舎一九の姿は、「少しかっこう良すぎる」ような気もするが、作者は、すっきりと彼を面白く描きたいと思っているのかもしれない。松井今朝子の他の作品も読んでいないし、この作品もまだ途中だが、この作品の文体に艶はない。もちろん、時代や社会背景についてなどの歴史的考察はきちんとしているが、十返舎一九が優れた能力の持ち主すぎるような気がするのである。
この作品の「エピローグ」に、
「生涯に渡って少なくとも十七回以上の旅をした記録が残る一九は、どこに行ってもその土地にすんなり溶け込めたであろうことが想像に難くない。
若いときから、好奇心の赴くままに、どこへ行こうが、何をしようが、だれと一緒に暮らそうが、そのつどそこに馴染んでいるかに見せながら、時が来れば何もかもさらりと捨てておさらばできた男は、いうなれば永遠の旅人だったのだろう」(477ページ)
とあるので、執着心なく生き抜けた人物として描きたかったのだろうと思われる。
しかし、まだ全体を読了していないので、何とも言えないが、段々と面白くなっていく作品ではある。
それにしても、年明け早々にしなければならない仕事を4年の任期で引き受けてしまっているので、身動きが取れない。友人のT牧師から「温泉にでも行きませんか」と誘われたがどうにもならない。お正月は温泉に限る、とは思うが、雑煮でも作って食べることにしよう。
個人的には、年末に娘たちが神戸から来てくれたり、大好きな『のだめカンタービレ』のアニメ版全話が大晦日から元旦にかけてBSフジテレビで放映されたり、片づけてしまわなければならない仕事に追われたりして、結構楽しんだが、心のどこかに社会と人々に対する「やりきれなさ」があって、「如何せん」と思い続けてはいる。昨日の午後は、年賀状をくださった方々のひとりひとりを思い浮かべながら、年賀状を出されなくなった人たちはどうされているのだろう、と思ったりしていた。
大晦日から元旦にかけて、松井今朝子『そろそろ旅に』(2008年 講談社)を読んでいる。
松井今朝子という人の作品は初めて読むのだが、書物の奥付によれば、1953年京都府生まれで、歌舞伎の脚色や評論などをし、1997年に『東州しゃらくさし』で作家としてデビューし、2007年に『吉原手引草』で第137回直木賞を受賞した作家らしい。自身のブログもあって、それを読んでみると、三軒茶屋にあるレストランの名前がたくさん出てくるので、もしかしたらこの近くの三軒茶屋に住んでおられるような気もする。
『そろそろ旅に』は、江戸時代後期に文筆活動を展開し、『東海道中膝栗毛』で著名な十返舎一九(1765-1831年)を取り扱った作品で、十返舎一九は、本名重田貞一(しげた さだかつ)、幼名市丸、通称与七、幾五郎などがあり、本書では重田与七郎とされている。
十返舎一九自身がけっこう波乱の生涯を送った人で、武士の子として生まれ、江戸や大坂で武家奉公したが、武士をやめて、大阪では義太夫語りの家に寄食したり、志野流の香道を学んだり、材木商に入り婿したりしているし(この材木商では離縁されている)、江戸では黄表紙本の出版元として著名な蔦屋重三郎の家に寄食したり、地本問屋(現:出版社)の会所(現:組合事務所のような所)に住んだりしている。二度目の結婚も放蕩のために離縁され、三度目の結婚で一女をもうけている。
彼は、年に20部近くになる新作を発表するなど精力的な文筆活動を展開するが、46歳の時に眼病を患い、58歳で中風にかかり、67歳で貧苦のうちに死去している。彼の辞世の句が「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」(この世をば、どりゃあ おいとませんこうと ともについには はい、さようなら)というのは著名で、わたしも自分の論文でこの句を使ったりしたことがある。
松井今朝子『そろそろ旅に』は、この十返舎一九が郷里の駿河(静岡県)から大阪に出て武家奉公するところから物語が始まり、やがて材木商と知り合って志野流の香道を学び、その材木商に入り婿していく姿が描かれていく。
松井今朝子が描く武家としての十返舎一九は、結構「かっこいい」武士として描かれている。彼は、「無辺流槍術」(今は棒術として知られる)の名手であり、あまり身分なども気にせずに気さくで、困った者を見捨てることもできない人情ある人物で、材木商と知り合ったのもその娘の難儀を槍の立ち回りに寄って助けたことに寄るものであり、勤め先の武家でも、物事にこだわることなく振る舞う。
こういう十返舎一九の姿は、「少しかっこう良すぎる」ような気もするが、作者は、すっきりと彼を面白く描きたいと思っているのかもしれない。松井今朝子の他の作品も読んでいないし、この作品もまだ途中だが、この作品の文体に艶はない。もちろん、時代や社会背景についてなどの歴史的考察はきちんとしているが、十返舎一九が優れた能力の持ち主すぎるような気がするのである。
この作品の「エピローグ」に、
「生涯に渡って少なくとも十七回以上の旅をした記録が残る一九は、どこに行ってもその土地にすんなり溶け込めたであろうことが想像に難くない。
若いときから、好奇心の赴くままに、どこへ行こうが、何をしようが、だれと一緒に暮らそうが、そのつどそこに馴染んでいるかに見せながら、時が来れば何もかもさらりと捨てておさらばできた男は、いうなれば永遠の旅人だったのだろう」(477ページ)
とあるので、執着心なく生き抜けた人物として描きたかったのだろうと思われる。
しかし、まだ全体を読了していないので、何とも言えないが、段々と面白くなっていく作品ではある。
それにしても、年明け早々にしなければならない仕事を4年の任期で引き受けてしまっているので、身動きが取れない。友人のT牧師から「温泉にでも行きませんか」と誘われたがどうにもならない。お正月は温泉に限る、とは思うが、雑煮でも作って食べることにしよう。
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