2010年12月17日金曜日

山本一力『梅咲きぬ』

 昨日は九州でも雪が降ったらしい。今日も晴れた冬空だが、冷気が忍び込んでくるような寒さがある。昔はこうした寒気の襲来を「冬将軍の到来」と呼んでいたような気がする。わたしは、その「冬将軍」を「ジェネラル・サビンコフ」と名づけていた。周囲の人たちから「?」と言われたりしたが、「さび~」という言葉がよく使われていて、寒気団はロシアから来るので、ロシア風の名前にしたのである。昨日と今日の寒さは、そのことを思い出させた。

 昨夜は、昨年買ったテーブル式のコタツに入って、山本一力『梅咲きぬ』(2004年 潮出版)を一気に読んだ。ことさら優れて文学的な表現があるわけではないが、文章のテンポが良くて、物語の展開の仕方に絶妙な速度感があるので、「読み進ませる」のである。だからといって、これまで読んできた彼の作品と比べ、作品の深みがことさらあるというわけではなく、むしろ、手慣れた内容であるだろうと思った。おそらく、『だいこん』や『菜種晴れ』などに並ぶ花などの植物の名を使った頑張って成功していく女性の姿を描いた一連のものの一つとして位置づけられるだろうと思う。

 『梅咲きぬ』は、『だいこん』(2005年)や『菜種晴れ』(2008年)よりも前に書かれており、2000年の『損料屋喜八郎始末控え』や2001年の『あかね空』の中でも重要な役割を果たす女性として登場してきた深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の姿を描き出したものである。ちなみに、秀弥という器量の大きな老舗料理屋の女将は、彼の他の作品でも度々登場している。

 深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将は、代々「秀弥」という名前を襲名している(こういう設定で山本一力の作品に登場する「秀弥」に齟齬が起きないように工夫されているのである)が、『梅咲きぬ』で描かれるのは、その四代目秀弥のずば抜けた見識と器量を持つ成長の姿と、それを通して母である三代目秀弥の姿である。

 時代は寛延(1748-1750年)から宝暦(1751-1763年)、明和(1764-1771年)、安永(1772-1780年)、天明(1781-1788年)、そして寛政(1789-1800)とめまぐるしく元号が変わっていった時代で、江戸幕府は世情の不安を押さえるために、縁起を担いで改元していったから、そこからもこの年代がいかに世情不安定の中に置かれていたかが分かる。幕府の政策もめまぐるしく変わった。

 そういう時代に、深川の老舗料理屋「江戸屋」のひとり娘として生まれた玉枝は、いつも背筋をしゃんとのばし、思いやりのある細かな配慮をしながらもだれもが認めるような大きな器と物事を見極めていく力で大胆な決断と英断をしていく母の三代目秀弥から、老舗料理屋の女将としての厳しい、しかし愛情ある躾をされて成長していく。玉枝の父親は玉枝が一歳の時に病気でなくなっていたが、玉枝は、その母に応えるだけの資質を持っていたし、その母を敬慕していた。

 玉枝が六歳になった時から上方から出てきた踊りの師匠のもとでの踊りの稽古が始まり、この踊りの師匠がまた彼女に厳しい躾を施していくのである。踊りの師匠とその夫も、人格的で思いやりのある才人で、躾は厳しかったが、玉枝の資質を見抜き、それ以後生涯に渡って玉枝を支えていくようになっていく。

 いくつかのエピソードが描かれていくが、周囲を思いやる心と気配り、そして礼儀、物事や人間を見抜いていく力、事柄を受け入れていく器量と決断力を母親から受け継ぎ、その資質を開花しながら玉枝は成長し、子どもながらに江戸屋の危機を救う知恵を発揮し、十五歳で、若年ながら老舗料理屋の若女将になっていく。

 描かれるエピソードはそれぞれに山場があるし、展開も丁寧なので、玉枝の成長ぶりがよくわかる。そして、その年に敬慕してやまなかった三代目秀弥である母親が病で急逝し、彼女は第四代秀弥となるのである。そして、若年ながら彼女の店の切り回しは群を抜いて、誰からも老舗料理屋の女将として認められるようになっていく。こういう女性の姿は、後に書かれた『菜種晴れ』でも描かれているが、ここでは料理屋としての才覚が細かく描写されている。

 この玉枝の恋も描き出される。相手は、彼女がまだ子どもであった時に、彼女の振る舞いの立派さに心を打たれたある藩の武士であった。彼もまた、物事の道理をわきまえ、心の大きな男であった。だが、料理屋の女将と藩士が結ばれることはない。二人は、契ることは決してなかったが、お互いの思いを寄せつつ、双方共に結婚話にも見向きもしなかった。しかし、藩士が国元に帰らなければならなくなり分かれてしまう。玉枝の恋はそういう忍びやかな悲恋であった。ずば抜けた器量の大きさをもつ才覚のある女性には、そうした悲恋が似合う、と作者は思っているのだろうし、またそれは男女を問わずそうかもしれない。しかし、それは理想的すぎる気がしないでもない。

 この物語でも、深川の富岡八幡宮の祭りが重要な背景として取り扱われ、書き出しもその祭りのことであり終わりも祭りのことで終わっているし、互いに助けあう深川の人情気質というのが理想的に描かれている。老舗料理屋の「江戸屋」の女将が代々にわたって富岡八幡宮の氏子総代であるという設定であるから、その祭りの関わり方で人間の器量の大きさを示すために描き出されるのだが、この祭りの描写は作者の他の作品でも度々登場し、時代や状況の設定も寛政の改革で打ち出された武家の借金棒引き策である「棄損令」を挟んだものであるのはおなじみのもので、いくつかの作品を読んでいると少し興ざめしないでもない。

 物語としては大変面白い。一気に読ませるものもある。ただ、人間を「器量」というもので計ろうとする傾向があることが、この作者の作品についていつも気になることの一つとしてある。それは、わたしが「器量なし」だからかも知れないが、人間をいたずらに美化してしまうことになるような気がするのである。作品の中の多くの登場人物が美化されている。いや、美化され過ぎすぎていると思えてしまう。人とは、五体に欲を内蔵し、もっと利にさといし、弱く脆いものではないだろうかと、ここでも思う。

2010年12月15日水曜日

米村圭伍『風流冷飯伝』

 よく晴れていたが気温が低く、黄昏時から雲が広がって冷え冷えとしてきた。明日からはまた寒さが一段と厳しくなるという予報が出ている。葉の落ちた木々の梢も震えている。

 だが、米村圭伍『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)を、その軽妙で奇想天外な着想を楽しみつつ読んだ。本のカバーの裏に記された作者の略歴によれば、作者は1956年横須賀生まれで、1997年に『安政の遠足異聞』で菊池寛ドラマ賞佳作に入選され、1999年に本書で小説新潮長編新人賞を受賞して、本格的な作家活動を始められたようで、「圭伍」という作家名は佳作ばかり五回入選されたことによるらしい。

 この作者のことについては全く無知であったが、わたしがこの本を手に取ったのは、その題名の面白さに惹かれたからで、「冷飯伝」とあるから居場所のない武家の次男か三男の「冷や飯喰い」の境遇にあった誰かの生涯を描いたものかと思ったら、そうではなく、作者が創作したと思える四国の風見藩という小藩を舞台にした少し風変わりな「冷や飯喰いたち」を中心にした小説で、語り口も軽妙なら物語の展開も軽妙で、しかしながら時代や社会に対する風刺も洒落ている、いわゆる「気楽に楽しめる小説」だった。

 物語の中心になるのは、目立つ桜色の羽織を着込んだ吉原の幇間(たいこもち-宴の座を楽しく取り持つ者-)「一八」と、彼が風見藩で知り合った武家の次男の飛旗数馬で、幇間である一八と物事に拘泥せずにのんびりとして心優しい純粋な数馬の絶妙な掛け合いの中で物語が進んで行く。幇間が主人公なのだから、その語り口は洒落に富んでいるのだが、歴史的な知識や文学的な知識も洒落の中にきちんと収められている。

 ともあれ、一八は、幇間ではあるが、老中田沼意次から風見藩を探索するように命じられた隠密の手先として風見藩にやってきて、そこで「見る」ことが趣味だという風変わりでのんびりしている飛旗数馬と知り合うのである。そして、この数馬を通して、他の「冷や飯喰い(武家の次男や三男)」と知り合っていく。数馬の無欲ぶりも群を抜いているし、数馬の双子の兄や兄嫁も特色があるが、そこで知り合った「冷や飯喰い」たちは、皆、一風変わっている。

 お互いがもっている手製の将棋盤と駒を持ち寄って数馬の家で将棋を指している男たち、真っ黒になって毎日魚釣りばかりしている男、身体が大きいので身の置き所がないと思って、自分の物を整理し、ついには自分自身まで整理しようと考えている男、そういう武家の次男や三男が数馬の友人として日々を暇つぶしの穀潰しとして過ごしているのである。

 その風見藩自体に風変わりな慣習や規則がある。まず、城そのものが二層半という中途半端な天守閣をもち、開けた湊(港)の方ではなく南の山側を向いており、武家町も南にあって、通常なら武家が出入りする大手門はその武家町の方にあるのだが、風見藩では大手門は町人町の方に、搦手門(裏門)が武家町の方にあるという門が逆になった造りになっている。そして、男は城を左回りに、女は右回りに廻るように定められているという。つまり、武士はもし右隣に行こうと思うなら城を左回りに一周しなければならないのである。

 さらに、武家の長男は囲碁将棋が禁じられ、武士が対面を隠すために頬かむりなどをして顔を隠してはならない、などの武家の規則が設けられているのである。それらは風見藩の先々代の藩主が定めたものだという。

 その風変わりな風見藩で吉原の幇間を装いながら隠密の手先として一八が探索するのは、藩で一番将棋の強い者とその腕前の程度という、真に人をくった内容だが、それが実は、老中田沼意次が企む藩の取り潰し計画と関係しているという大事へと繋がっていく。

 藩主が帰国して、突然、藩の将棋所を作ると言い出す。将棋はそれまで禁じられていたので藩をあげての大騒動となる。その騒動で一八は、二年前に江戸で流行った流行歌に謎があることに気づき、城の改築を賭けた将軍家治との将棋の勝負が行われることを突きとめていく。田沼意次は、その勝負に勝っても負けても藩を取り潰す腹らしい。

 物語の後半では、展開が一気に進んで行くように構成されている。藩では、将軍との将棋の試合をする人物を選抜する試合が行われ、将棋道を極めようとした人物が慢心から敗れ、将棋とは縁のないと思われていた美貌の青年が勝利する。彼は藩内の武家の娘たちから道を歩くたびに黄色い声をかけられていた青年である。彼の家には難解な詰め将棋の問題である『将棋無双』があり、将棋の才能があった姉が青年に教えていたのである。青年は江戸に出て藩の代表として将軍家治との試合に出る。勝っても負けても藩が窮地に陥ると一八と数馬から知らされた青年は、勝ちも負けもしない「千手詰め」で試合に臨む。そして、事情を察した将軍家治が、「封じ手」をして試合を無期の延期とし、田沼意次の企みは頓挫する。

 一件が落着して、一八は江戸に帰ろうとするが、数馬から藩には秘密の文書があると聞かされ、その文書の探索を命じられて再び風見藩に戻っていくところで終わる。

 こうした物語の発想そのものが奇想天外で滑稽極まりないが、風見藩の姿について、「どうにかやりくりをしてゆくために皆がほんの少しずつ我慢する。それでこの藩はうまくのんびりゆったり成り立っているのでしょう。いえ、もしかしたら・・・ただ我慢しているだけではなく、遊び心で我慢を楽しんでいるのかも知れません」(253ページ)と記すあたり、なかなかどうして、無理難題を押しつける権力に対する庶民の抵抗の姿を描き出すものである。

 この作品は、面白いの一言に尽きるが、そこには人間味が溢れる面白さがある。読後の爽快感と期待感もある。こうした洒落た滑稽本は最近では珍しいと思う。

 今夕、中学生のSちゃんが来たので、数学の絶対値というものの考え方を話したりした。絶対値という考え方は、極めて西欧的な感覚から生まれてきた考え方だから、「絶対」なるものを想定してこなかった日本人の日常的な感覚で理解することが難しいだろうとは思う。中学生も、今は、本当に大変だ。Sちゃんはヴァイオリンの演奏もし、今度、発表会でモーツアルトのヴァイオリンソナタ5番を弾くといって、その練習もしている。いつか聴く機会もあるだろう。

2010年12月13日月曜日

宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』

 冷たい凍るような絹雨が降る月曜日になった。山沿いは雪かも知れない。
 土曜日の夜と日曜日の午後にかけて宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』(1991年 新人物往来社 1995年 新潮文庫)をしみじみと読んだ。

 これは、1992年の吉川英治文学新人賞の受賞作品で、連作の形を取った短編集でもあるが、彼女の感性の豊かさとそれを表現する表現力の絶妙さ、物語を構成する構成力と展開の巧みさがよく現れている作品だと思った。

 かつて、1999年に彼女が『理由』で直木賞を受賞した際に、井上ひさしが「驚くべき力業に何度でも最敬礼する」と讃辞を寄せたことがあるが、『本所深川ふしぎ草紙』は、「力業」というよりも作家としての情感溢れる資質の豊かさが開花している作品だと思う。

 江戸の深川に「本所七不思議」と呼ばれるような現象があった。両国橋の北の小さな堀留に生える芦(葦)の葉が、どうしたことか片側だけにしかないこと(片葉の芦)、夜道を独り歩きしていると、提灯が浮くようにして後をついてくること(送り提灯)、夕暮れ過ぎに本所の錦糸堀あたりを魚を抱えた釣り人が通りかかると、どこからともなく「置いてけ」と声が呼びかけられ、家に戻ると魚を入れていた魚籠が空っぽになっていること(置いてけ堀)、松浦豊後守の上屋敷の椎の木が、秋の落ち葉の季節になっても一枚の葉も落とさないこと(落ち葉なしの椎)、夜中にふと目を覚ますと、どこからともなくお囃子が聞こえてきて、翌朝調べてみてもどこにもそんなお囃子をしている所などないこと(馬鹿囃子)、ある屋敷で人が眠っていると、突然天上から大きな足が降りてきて、「洗え、洗え」と命令し、それをきれいに洗ってあげれば福が来るし、いい加減に洗うと災いが起こること(足洗い屋敷)、そして最後が、ある蕎麦屋の掛け行灯の火が、油も足さないのにいつも同じように燃えていて、消えたところを誰も見たことがないこと(消えずの行灯)の七つである。

 作者はこの「本所七不思議」の絵を錦糸町駅前の人形焼き屋の包み紙で見て着想したそうであるが、それを、「本当に深い意味で人を助けること」を行っていた父親とそれが理解できないでいた娘、その娘の気まぐれで食事を恵まれ、その娘に思いを寄せることで忍耐してきた男、自立できるように助けられた兄妹の思い、それらを「片葉」として描き出したり(「第一話 片葉の芦」)、自分のことを心底心配してくれた男の思いを誤解していた娘の心情として描き出したり(「第二話 送り提灯」)、一つのことを罪の意識で受け取る者と、それを自分への励ましとして受け取る者の姿として描き出したりする(「第三話 置いてけ堀」)。

 あるいはまた、第四話「落ち葉なしの椎」では、「七不思議」は、罪を犯して島送りになり帰ってきた父親と、幸せをつかもうとする娘の関係として心情豊かに描き出され、第五話「馬鹿囃子」では、「あんたのまずい顔が嫌いだ」と言われ女に捨てられて「顔切り魔」になった男と、婚約が整っていたのに相手の男が他の女を好きになり、「きれいとは思えない」と言われて捨てられ気を狂わせてしまった女の姿として描き出されている。

 貧しい家に生まれ、宿場で人の足を洗って成長してきた女が、汚い足を洗い続ける夢を見るたびに、貧乏が恐ろしくなり、金が欲しくなって、その美貌と色艶で商家の主を殺して財を奪う女になっていったという第六話「足洗い屋敷」、結婚するなら真面目で優しい働き者の男だと決めていた娘が、子を失って狂った妻のために「偽の子」になることを依頼されていく中で、夫婦の微妙な関係を知っていく第七話「消えずの行灯」も、どこかやるせなくて切ない人の心のひだとして描かれているのである。

 人間に対する視点や物語の展開も絶妙なものがあるが、本書でも、その表現の豊かさには脱帽するところが多々ある。

 まず、第一話「片葉の芦」の書き出しは、「近江屋藤兵衛が死んだ」というものであるが、何の情景描写もないこの独自の書き出しは、それによってここで描き出される物語に急激に引きづり込まれる力を持っている。A.カミユの『異邦人』の書き出しも「昨日、ママンが死んだ」という衝撃的な書き出しだが、それを彷彿させる。そして、最後は、
「『片葉の芦』
 お園がぽつりとつぶやいた。
 『不思議ねぇ。どうしてかしら』
 二人のうちの一人の心にしか残されていなかった思い出を表すように、片側だけに葉をつける-
 『わからねぇからいいのかもしれねぇよ』
 彦次はそう言いながら、ひょいと手を伸ばし、芦の葉を一本、ぽつりと折った」(文庫版 46ページ)
で終わる。折られた芦の葉のように余韻が残る終わり方であり、「片葉の思い」を持ち続けた男女二人の行く末を想像させて終わるのである。

  第二話「送り提灯」では、その初めの部分で、八歳で煙草問屋に奉公に出なければならなかった「おりん」が、飯炊きをする場面が描かれ、「おりんは毎朝、小さな胸が破れそうなほどに火吹き竹をふかなくてはならない」(文庫版 49ページ)と記されて、この少女が懸命に働き続けたことがこの一文だけで伝わってくる。この「おりん」が、煙草問屋のお嬢さんの言いつけで夜中に回向院まで行かなければならなくなり、暗闇の中を歩き出す姿が、「勝手口を出ると、木枯らしが吹きつけてきた。夜の木枯らしには歯があった。おりんは身体を縮めた。左手に下げた提灯の火の色も縮まった。・・・町並みを包んでいる闇は、手を触れれば重く感じられそうなほどに濃い。味わえば、きっと苦いに違いない」と描き出される。こういう感性と言葉の使い方には舌を巻く。

 こうした豊かな表現が至るところにあって、それが主人公の心情や状況を見事に反映しているから、物語が豊かになっている。

 宮部みゆきは卓越したストーリーテラーとして高い評価を得ているが、表現力も卓越していると思う。なお、この短編集には物語の引き回し役として「回向院の親分」と呼ばれる岡っ引きの「茂七」がどの話にも共通して登場しているが、茂七の事件の裁き方も思いやりの深いものとなっている。この人情溢れる「茂七」を中心にした『初ものがたり』も先に読んでいたとおりである。

2010年12月10日金曜日

千野隆司『霊岸島捕物控 新川河岸迷い酒』

 気温は高くないが、抜けるような冬の蒼空が広がっている。葉の落ちた銀杏の細枝が天を指している。このところ季節の忙しさと合わせて、春から夏にかけて書いた『彷徨える実存-F.カフカ』を掲載する雑誌の校正などに時間を取られていた。これは印刷物として出すのだが、この論文はPDFにしてご希望の方に配信することにした。

 その間、夜に千野隆司『霊岸島捕物控 新川河岸迷い酒』(2003年 学習研究社)を面白く読んだ。これは、多分、先の『大川端ふたり舟』に続くシリーズの2作目だろう。変わらずに濃密で繊細な推理の組み立てがされて、多くのどんでん返しが用意されている。先の『大川端ふたり舟』が、隅田川河口にある霊岸島の岡っ引きの娘「お妙」を中心にして描かれたのに比し、本作はその父親である岡っ引きの五郎蔵の姿を中心に、霊岸島に多くあった酒問屋の乗っ取り事件に関連した話が展開されている。

 物語は五郎蔵の縄張り内で酒臭い小便をかけられて男が殺される事件が連続して起こるところから始められている。その犯人の探索と同時に、五郎蔵は酒問屋同士の仕入れ量にまつわる約定破りの探索を始めていた。江戸幕府は当時の経済の基盤であった米を使う酒造りとその流通には厳密な統制を強いていたが、米価の下落を防ぐために、宝暦4年(1754年)と文化3年(1806年)に「勝手造り令」を出して、酒製造の統制をゆるめた。作品は文化3年の大火の後の「勝手造り令」のことである。

 この「勝手造り令」によって江戸酒問屋の酒の仕入れ量は自由化されたが、酒問屋の株仲間では酒の価格を維持するために厳密な仕入れ量に関する取り決めをしていた。しかし、その約定を破って大量の酒を仕入れて売りさばき莫大な利益を得ることをもくろむ者が出ると五郎蔵は考えていた。そういう問屋を探し出して、脅しをかけて多額の口止め料をいただこうと考えていたのである。

 江戸の岡っ引きの生計については、佐藤雅美の『半次捕物控』のシリーズでも詳細に検証されているが、「引合を抜く」(軽犯罪の罪を見逃すことで、犯罪にかかる費用を軽減するための手数料を得ていくこと)ことや、商家からの袖の下(事件が起こった時にもみ消してもらう)をもらうことが大きな収入源であったのだから、五郎蔵が酒問屋から口止め料を取ろうとしたのは岡っ引きとしては当然のことであり、市中の治安維持と社会生活の円滑化の役割も果たしたことであった。もちろん、よこしまで強欲な「悪の塊」のような岡っ引きも多数存在したが、武家社会の支配の中で町人が生き抜く弁法としてそうした行為が行われていたのである。

 五郎蔵は、その意味では「まともな」岡っ引きであり、正義感も義侠心も強い。娘の「お妙」も正義感も強く人情家であり、他の点では父親の五郎蔵と反目しているが、その点では父親を認めている。だが、殺して酒臭い小便をかける犯人の探索も、約定破りの酒問屋の探索もなかなか進まない。

 五郎蔵が廻る酒問屋のひとつに、彼の幼なじみの「お喜和」がきりもりする「丹波屋」という酒問屋があった。「お喜和」は小さな甘味屋の娘であったが母親がひどい女で、男を作り逃げて、地回り(やくざ)と結託して、借金の形に甘味屋を脅し取ろうと画策したりする女であった。当時、五郎蔵は塩問屋の手代をしていたが、甘味屋に脅しをかける地回りを追い払った。そしてそのことを恨みに思った地回りから狙われ、五郎蔵は地回りを打ちのめした。しかし、そのことで五郎蔵は塩問屋を首になり、その五郎蔵を土地の親分として親しまれていた岡っ引きが手先として使ってくれたのである。

 「お喜和」は五郎蔵に思いを寄せていた。五郎蔵も妹のようにして接していた。五郎蔵と「お喜和」の縁談話がないわけではなかった。だが、五郎蔵は好きな女があり、その女との間に子もでき(その子が「お妙」)、所帯を持った。そして、「お喜和」は、このままいけば落ちるところまで落ちるだろうと言われるほど荒れた。見かねた五郎蔵が意見をしに行った時、「お喜和」は自分の長年の思いを伝え、「一度だけ抱いて。そしたら、まっとうな暮らしに戻るから」(77ページ)と言って、一度だけ関係を持った。五郎蔵と「お喜和」の間には、そういう関係があったのである。

 その後「お喜和」は約束どおりまっとうな暮らしをはじめ、父親の葬儀の際に酒問屋の「丹波屋」から見初められ、後妻となり、主亡き後、弟と丹波屋を盛り上げてきていたのだった。「お喜和」は三十八歳になるが、美貌のきりりとしたいい女であり、色香もある。いろいろな噂もあるが、毅然として酒問屋の女主として見事に店をきりもりしている。知恵も度胸もある。

 だが、この「お喜和」が、初春新酒番船で賑わう河岸から誰かに突き落とされる事件が起こる。いつも誰かにつけ狙われている気配もある。酒の仕入れ量の約束破り問屋を探索していた五郎蔵もそれを案じ、いつしかふたりの間に微妙な関係が生じてくる。「お喜和」は再び酒樽をころがされて狙われる事件が起こり、五郎蔵を頼りにするようになる。五郎蔵は、小料理屋を営む「お紋」という女性を生涯共にする女性と決めているが、「お喜和」との間の微妙な関係でも揺れていく。「お紋」は、五郎蔵の子を宿している。

 その「お喜和」の事件の背後には、酒問屋のまとめ役であった「大垣屋」の巧妙に仕組んだ乗っ取りがあったのである。酒の積み出し量から荷揚げ量まで粘り強く丹念に調べていた五郎蔵は、まとめ役でありながら自らの利のために約定破りを企み、巧妙な乗っ取り計画を企む「大垣屋」の正体を暴いていく。「大垣屋」は幕府の勘定吟味役も取り込み、大がかりな仕掛けをしていたのである。

 だが、実はそのこと自体も店を守ろうとする「お喜和」の計算であったことが判明していく。殺した遺体に酒臭い小便をかけていた男もつかまる。先の火事で女房と子どもを失い、酒に逃れていた小心者の職人だった。だが、「丹波屋」の番頭を殺したのは自分ではないと言う。そして、殺した者に酒臭い小便をかけていた酒乱の事件を利用して、裏切った番頭を殺したのが、「お喜和」と共に店を守ろうとしていた弟であったことがわかっていく。

 事件の顛末はだいたい以上のようなことではあるが、展開は丁寧で微細なところにもしっかりとした仕掛けが施されている。きめの細かい丁寧な物語の推移の中で、ひとりの女性が、思う男とは添い遂げられなかったが、それでも結婚した相手との生活を慈しみ、亭主が亡くなった後の店を立派にきりもりし、それを守ろうと懸命になり、様々な噂や風聞の中でも毅然とし、言い寄ってくる様々な男の色欲をうまくかわしながら、生き抜いていく姿がいろいろな場面の中で描き出される。計算もする。画策もする。だが愛する男への思いを胸の底に秘めながら、きっぱりと江戸ところ払いとなって五郎蔵の前を去っていく。その生き方には、どこかすごみすらある。

 こういう女性と、その間で揺れる五郎蔵の姿を、本作は見事に描き出している。この作品の優れたところは、欲や保身をする人間も登場するが、根っからの悪意をもった人間がいないところだろう。犯罪は起こる。事件も起こる。だが、それぞれに犯人には事件を起こしてしまう弱さがあり、それぞれの弱さが描き出されるところである。人はそれぞれの事情の中で罪を犯す。その事情は自分勝手なものに過ぎないが、その自分勝手になってしまう「弱さ」が丹念に描かれるところが、本作を読み応えのあるものにしている。それは、事件を探索する岡っ引きの五郎蔵の姿にも明瞭に描かれるものである。五郎蔵は愛する「お紋」との関係、娘の「お妙」との関係に心底悩んでいく人間である。人間のリアリティーということから言えば、そこにこそリアリティーがあるのだから、その意味で内容が豊かな作品だとおもう。優れたミステリー仕立ての「捕物帳」物であると同時に、人間が描かれるところがいい。

2010年12月6日月曜日

山本一力『菜種晴れ』

 昨夜が遅かったので、今朝はゆっくり起き出して、時間をかけてコーヒーを飲みながら新聞に目を通し、ぼんやりと過ごしてしまった。それからおもむろにベートーベンの交響曲第7番とバッハのピアノ協奏曲第1番をかけながら掃除機をかけ、雑巾で拭き掃除をし、シャワーを浴びて、いくつかのたまった書類や連絡事項をかたづけていた。これで小さな庭か畑でもあればゆっくりした日になるだろうが、車の騒音と家々に囲まれて予定に追われることの多いこの地では望外のことだろう。

 山本一力『菜種晴れ』(2008年 中央公論社)を、ある種の感動とある種の作者の思惑を感じながら読み終えた。感動というのは、房州(千葉県南部)勝山の菜種農家に生まれた主人公の「二三(ふみ)」が五歳の時に愛する家族のもとを離れ、江戸深川の油問屋に養女にやられるくだりが、家族や兄姉の切々とした思いで満たされ、また、愛する家族のもとを離れなければならない「二三」の健気さが、一面に広がる黄緑色の菜種畑の風景の中で克明に描かれ、その姿が深く胸を打つからである。

 物語の半分近くが、その五歳の少女が経験する別離の悲しみで満ちている。菜種農家の次女として生まれ、両親にも兄や姉にも愛され、母親にもきちんとしつけられて無邪気で利発な少女として育った主人公が、大人の思惑で、別離の悲しみと不安で小さな胸をいっぱいにし、それまでとは全く異なる江戸深川の油問屋に養女として旅立ち、その運命の中を健気に生きていこうとする。

 江戸について九日目の朝、油問屋の養父母は「二三」を我が子のように可愛がり、大事にし、高価な雛人形までも用意してくれ、「二三」はその養父母の優しさと愛情を十分に感じるが、ひとり、故郷の勝山にあった大田橋と同じような深川の黒船橋にでかけ、その欄干から小さな小石を落として波紋をじっと見つめる。

 「五歳の二三にも、みふく(養母)のやさしさが伝わってくる。それゆえに、悲しい顔を見せることはできないと思い、嬉しそうな顔をつくった。
 笑っていながら、胸の内には悲しさを募らせた。が、だれにも泣き顔は見せられないのだ。大田橋そっくりの黒船橋でしか、二三は泣くことができなかった。
 三個目の石を川に落とした。
 涙も一緒に落ちた」(120-121ページ)

 五歳のいたいけな少女が橋の上でうずくまり、背中を振るわせながら涙をぽろぽろこぼす。その光景を思い浮かべるだけで、もう胸が張り裂けそうになって涙があとからあとから流れてしまう。

 妹が養女に出されることを知った兄が、ひとり、菜の花畑の物見やぐらの上でそぼ降る雨に打たれながら立っている光景、七歳の姉が「お守り」だといって菜の花を手折って差し出す光景、船に乗った「二三」をいつまでも見送り続ける家族、夏に会いに来るといった父が暴風雨のために足を悪くして来られなくなったということを知って手習いの墨を握りしめながらすり続ける五歳の二三の姿、大事にされて幸せに暮らしているように見えても、思わず「おかあちゃん」と胸の中で呟いて涙を流す「二三」、そうした光景が展開され、泣けて泣けてしかたがなかった。

 小さな子どもが、その子なりに自分の運命を健気に生きていく姿に、わたしは感涙を禁じ得ない。宮部みゆき『孤宿の人』を読んだ時もそうだったが、小さな子どもは、いつでもだれでも一所懸命だ。自分の運命や環境に適合しようと懸命に生きている。成長していろいろなことを覚えていくにつれてそれを失っていってしまうが、素直で素朴で健気な子どもは、賢しらな知恵で策略を練ったり画策したり、世の中をうまく泳ぎ渡ろうとしたりする人間とは比べものにならないくらい尊い存在であるに違いない。主人公の「二三」は、そんな五歳の少女である。

 とはいえ、主人公の「二三」は、油問屋の養父母から可愛がられ、周囲の人からも大切にされ、彼女の才能や器量を認める大人たちに囲まれ、また大人たちの心を動かすほどのものをもっている。郷里の母親の教えも周囲の人たちの教えも素直に受け取り、それをしっかり身につけて成長していく。素直で素朴であることは大きな成長のための重要な要素だが、彼女はそれをもっているのである。

 一流の料理人や芸事の師匠、祭りの采配を握る香具師の親分などからも彼女の資質は認められ、養父母もまた人格者として彼女を愛情で包む。「二三」は、愛する家族との別離の悲しみを胸に抱えているとは言え、守られて幸せに暮らしていく。だが、十五歳になった時、江戸深川一帯の大火事で養父母を失い、彼女の油問屋が大火事被害の拡大を招いたということで油問屋の店も取り潰される。そして、若干十五歳ではあるが、彼女は店の蓄えの一切を使って奉公人と火事で焼け出された人たちの救済をし、自らは小さな木賃宿で暮らし始める。

 そうしている内に、彼女のきっぷに惚れた香具師の親分の配慮などで、故郷の母親を呼んで深川で天ぷら屋を始める。母親も喜び、天ぷら屋も軌道に乗り始め、許嫁もできた。しかし、再び不運が彼女を襲う。彼女が許嫁との結婚話で故郷の兄の家に行っている間に、大地震(安政の大地震-1855年)で母親も許嫁も天ぷら屋も失ってしまうのである。そして、地震後に母親と許嫁の安否を尋ねる際に知り合った老婆のところに身を寄せ、そこで菜の花を植えて、菜の花畑を作っていくのである。不運の中を生き抜くそういう姿が、物語の後半で展開されているのである。

 最初に作者の思惑を感じると書いたのは、まず書き出しの「序章」が、最後に三十歳を過ぎて菜の花畑を作っている彼女が一面に咲く黄色い菜の花の花畑の中でこれまでを回想するという設定になっており、それはそれで美しい光景だが、どこか映像化を意識したような書き出しになってしまっているところで、私見を言わせてもらえば、序章はない方がよい気がしたことがひとつである。もう一つは、作者は器量が大きくて優れた人間がどうも好きなようで、主人公が資質豊かで決断力もあり、しかも深い思いやりをもつ人間であると同時に、それを見抜く人間が周囲にたくさんいすぎる気がすることである。

 「人を見抜く」というのは、昔から優れた人間の能力としてひとつの理想像のようにして語られてはいるし、人には確かに器の大きさ小ささがあるが、『バカの壁』を持ち出すまでもなく、人間にはそういう認識能力はほとんどなく、「見抜いている」と思っているのは幻想のようなもので、人の器量というものはそういうところにはない。人の器量の大きさは受容の大きさに他ならない。

 作者の思惑として感じたもう一つのことは、どうも「成功」の基準が、人から立派に思われたり、良いと思われたり、あるいは商売がうまくいったりといった社会的評価にあるようで、そのことを促すような意図が見えるような気がすることである。本作での主人公の「二三」は、火事や地震などで愛する者や財産を失っていくが、最後に行き着いたところは、三千坪もの菜種畑での菜の花の栽培であり、決して失意の内に終わるのではない。

 「序章」に、その菜の花について、三日間続いた暴風雨に耐えた菜の花について「緑色の茎は、土にしっかりと根を張っていた。葉は一枚もちぎれておらず、元気に朝日を浴びている」(4ページ)という描写があり、本作そのものが、その菜の花のように生きたひとりの女性の半生を綴るもので、絶望せずに、悲しみにうちひしがれずに、まっすぐ健気に生きる姿を描いたものに他ならない。それは決して世に言う成功者の姿ではないが、作者のひとつの理想の姿のような気がする。そして、そこにどこか、人から立派に思われることを重点にしているような気がしないでもないので、そのあたりに「作者の思惑」のようなものを感じてしまうのである。

 こうした感想には、作者が極めて現実的な政治や経済に関わっているというわたしの先入観があるのかも知れない。それらの私見はともかく、根をしっかり張って暴風雨に耐えていく菜の花のような女性の姿を描く本作は、一息に読ませるものがあり、大きな感動のある作品であることには間違いない。

2010年12月4日土曜日

坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り 女殺し坂』

 金曜日の朝、かなり激しい集中豪雨があり、強い雨風に打たれて街路樹の銀杏の葉がほとんど落ちてしまった。今日、気温は高くないがよく晴れ渡っている。今夜アイリッシュハープの演奏によるコンサートを聴くことにして準備を進めていたところ、熊本のSさんから心のこもった便りをいただき、「有り難き思い」をしみじみ感じた。

 昨夜、あまりよく眠れないままに、坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り 女殺し坂』(2006年 徳間文庫)を一気に読み終えた。巻末の「著作リスト」によれば、この作品はこのシリーズの3作目で、前にこの作者の『照れ降れ長屋風聞帖 盗賊かもめ』(2008年 双葉文庫)というのを1冊だけ読んで、話の展開がどこか簡明すぎる気がしていたのだが、『うぽっぽ同心十手綴り 女殺し坂』は、改行の多い文体はともかく、なかなかどうしてじっくりと展開された内容をもつ作品だった。

 中年を過ぎた南町奉行所の臨時廻り同心である長尾勘兵衛は、「うぽっぽ」と渾名されるほどのんびりした性格であまり役に立ちそうもないし、他の同心のように商家や諸大名からの付け届けもきっぱり断るので奉行所では浮いた存在であるが、人情家で、罪を犯した人間には情けをかける男である。しかし、優れた明察力をもち、剣の腕もたつ。そして、大悪には決然と挑んでいくような男である。この作品の中では「うぽっぽ」という渾名についての説明はないが、「暢気者(のんきもの)」とか「いいかげん」とかいう意味だろう。

 彼のそういう姿を知っているのは、同じように中年過ぎの岡っ引きの銀次と南町奉行である根岸肥前守だけであり、それに長尾勘兵衛のひとり娘「綾乃」に思いを寄せている若い同心の末吉鯉四郎と、勘兵衛の屋敷内で間借りをして金瘡医(外科医)をしている井上仁徳が加わる。岡っ引きの銀次は女房のおしまに湯屋をさせており、勘兵衛はその湯屋を贔屓にしており、末吉鯉四郎は中気を患っている祖母と近所の同心長屋に暮らす好青年で、小野派一刀流の練達者である。医者の仁徳はおおらかにすべてを呑み込んでいく人格者である。そして、この作品の中でも根岸肥前守は、名奉行として長尾勘兵衛の大きな理解者として登場する。

 勘兵衛の妻「靜」は、娘の綾乃が一歳の時に、理由も分からずに失踪しており、その「靜」の行くへが第三話「月のみさき」で事件の重要な鍵を握るものとして展開されている。勘兵衛は未だに靜の面影を引きづり、料理屋の女将「おふう」に思いを寄せたりするが、そのあたりの兼ね合いが微妙で、それが巧みに描き出されたりしている。

 本作の第一話「女殺し坂」は、勘兵衛と親しかった昔の同僚が、勾配が急で牛鳴坂とも女殺し坂とも呼ばれる坂で斬り殺されるという事件に端を発する幕府の奥医師や奉行所年番方与力(筆頭与力)、目薬屋の大店の絡む事件の顛末を記したものである。牛鳴坂(女殺し坂)は麻布にあった。そこで、勘兵の元同僚をはじめ4人の人間が殺された。最初に殺されたのは勘定所組頭をしていた侍で、彼は目薬屋の大店が利権のために奉行所年番方与力を賄賂で取り込み、幕府奥医師のお墨付きをもらうために冥加金(みょうがきん-税金)をごまかしていた事件を探っていて、奥医師が雇っていた腕の立つ武士に殺されたのである。

 侍の妻は、夫の死の真相を探るために目薬屋の大店の下女になったりして、勘兵衛の元同僚に相談しているうち、双方親しくなるが、相手が巨悪のためにどうしようもなくなっていく。そうしている内に、その元同僚が事件の隠蔽のために殺され、彼女も死んでしまう。彼女から掏摸取ったもので目薬屋の大店と元同僚の妻を強請っていた掏摸も殺される。勘兵衛自身も筆頭与力から圧力を開けられたり、命を狙われて武士から斬られ、生命の危機の淵に陥ったりする。

 事件の真相を探り当てた長尾勘兵衛は、相手が幕府の奥医師や上司である奉行所の筆頭与力も絡んでいることもあり、公にしても握りつぶされるし、公にすると元同僚の不倫も明るみに出ることもあって、密かに意を決して、岡っ引きの銀次と共に巨悪の三人を討つ。若い同心の鯉四郎もそれに加わる。こうして事件が終わるのであるが、殺された女は、元同僚の妻が悋気で殺したことが分かる。しかし、勘兵衛はそのことを明るみにせずに、元同僚の妻がこれからも生きていくことを願う。

 この第一話は、やむを得ない罪はこれを許していくが、同心の身分では手が出せないような欲が絡んだりする巨悪には決然と対峙してこれを討っていく主人公の姿が描き出されるのだが、事件の内容に手が込んでいて、しかも、男女をはじめとする様々な人間模様が事件の経過にあわせて丁寧に描き出されているので面白い。死ぬより生きる方がつらいという視点も一貫して、しかもそれが静かに語られるのがいい。

 第二話「濡れぼとけ」は、加賀前田家の氷奉行(加賀前田家では毎年夏に将軍に氷を献上していた)が罠に嵌められて切腹させられ、その仇を討つために娘が罠を実行した中間を殺した事件をきっかけに、罠を仕組んだ現氷奉行の企みを暴いていく話で、物語の発端が、医者の井上仁徳が献上氷のお下がりをもらってくるという主人公の身内の話から始まるのがいい。仇を討つ娘に荷担したのは、美人局でしくじって失職した元同心で、その失職した元同心の離散した妻と娘が、探索の過程で加賀藩と関係のある大店の後妻となっていることが分かり再会させるところもいい。彼が氷で仏像を彫る姿も物語の妙となっている。

 仇を討つ娘の姿が、最初は色仕掛けで中間を惑わす女の姿であるが、後には十六歳の凛として(なまえも「りん」)仇に立ち向かう姿となり、それがあまりにも異なっている気もしないでもないが、事件の探索の展開は丁寧で、ここでも外様の大藩の氷奉行を相手にするのだから、奉行所の公務として事件を明るみに出すことができずに、単身乗り込んで罠に嵌めた現氷奉行を罰していく。そして、ここでも長尾勘兵衛は娘にも元同僚にも縄をかけることをしない。人が生きていくためには罪のゆるしが必要で、罪ゆされた者は、ゆるされたことの重荷を背負わなければならないのだから、そのことが結末で示されるこういう展開は、わたし好みの展開である。

 第三話「月のみさき」は、罪をゆるしていく人情家である長尾勘兵衛の甘さを逆に憎み、昔彼に助けられたことのある男が強盗となって江戸に戻ってきた話で、この男は勘兵衛の妻「靜」が記憶を失って放浪していたのを広島で助け、それと知りつつ、強盗の手引きとして使ってきており、江戸で彼女を囮にして悪徳商人と手を組んで強盗を画策するのである。記憶を失った「靜」の姿が克明に描かれていく。

 最後は、男の企みを見破った勘兵衛によって強盗は阻止され、罪なき者を殺した男は勘兵衛によって討たれるが、「靜」は帰ってこずに、遊女にひろわれて、その後の彼女の転落が暗示されているところで終わる。味のある終わり方だと思う。

 この作品は、作者によってよく考えられた作品だと思う。描かれる人物像も多彩で、事件の顛末も丁寧である。もちろん、作品としてのいくつかのことを残念に思ったりするところもあるが、シリーズ物としてはちょっと読んで見たいと思う作品だった。

 夕方になってずいぶんと冷え込んできた。外出にはコートが必要かも知れない。そろそろ冬支度の三種の神器であるコート、マフラー、手袋がいるだろう。

2010年12月2日木曜日

澤田ふじ子『はぐれの刺客』

 師走の風が吹くようになった。どんよりと曇った空から雨が落ちそうである。考えることがいくつかあって、昨夕は、久留米のSさんが送ってくださった田主丸の富有柿を食べながらぼんやりと時を過ごしていた。柿は、お腹が冷えるのが難点だが、ビタミンが豊富で、ビタミンが欠乏しがちな生活では重宝している。それから読みさしていた澤田ふじ子『はぐれの刺客』(1999年 徳間書店)を読み終えた。

 岐阜の大垣藩の藩士の次男として生まれた主人公の甘利新蔵は、剣の腕は藩随一であるが、どこか鬱屈したところがあるということで道場主から疎んじられ、かといって養子の口もない部屋住み(居候・冷や飯食い)の身をもてあまし、根は正直で、気さくで、人の良いところをもちながらも屈折した気もちで日々を過ごしていた。

 彼は友人の妹「五十鈴」に思いを寄せ、「五十鈴」も彼を慕っていたが、部屋住みの身のために結婚もできず、そのうち「五十鈴」の両親から彼の境遇故に疎んじられるようになり、やがて「五十鈴」は藩の普請奉行の息子で彼の友人でもあった中井三郎助と結婚するという。彼は二人を祝すが、どことない怒りを覚え続けた夜、城下で起こった強盗事件で強盗を怒りにまかせて斬り殺す。そして、強盗を殺してほめられるどころか、その殺し方があまりにも残忍ということで蟄居(幽閉)を命じられてしまう。忍耐の尾を切らしてしまった彼は、藩を出藩し、浪々の身となり、各地を放浪するようになる。

 他方、甘利新蔵に思いを寄せていたが周囲の圧力に負けて中井三郎助と結婚した「五十鈴」は、それなりに自らの幸せをつかもうとし、三郎助との間にひとり娘をもうけていたが、夫の三郎助が藩主に召されて江戸に行くことになる。そして、その間に、彼女に懸想した義父の中井九右衛門によって好色の餌食にされてしまう。中井九右衛門は、外では厳格な普請奉行であったが、「五十鈴」を手籠めにし、もてあそんだのである。「五十鈴」はそのことで自ら縊死してしまう。

 浪々の旅を続けていた甘利新蔵は、やがて自分が殺し、出藩の原因ともなった強盗団の一員に見つけられてしまう。強盗団は仕返しの機会をうかがうために彼を用心棒として雇って囲い込もうとする。甘利新蔵は、彼らの意図を見破るが、雇われているうちに、その強盗団が普通の強盗団とは異なり、実は藩の不正を暴こうとした強盗団の首領の父親を罠に嵌めた悪徳商人を懲らしめるための強盗団であったりしたことを知り、お互いに信頼を寄せ合うようになっていく。彼が大垣城下で殺した一味の娘も、はじめは新蔵を仇としていたが、やがて思いを寄せるようになっていく。

 そういう中で、甘利新蔵は、幸せに暮らしているとばかり思っていた「五十鈴」の不幸を知る。彼は周囲に迷惑が及ばないように配慮をしながら、時期を待って「五十鈴」を不幸に陥れた中井九右衛門の首をはねる。だれも、なぜ彼が中井九右衛門の首をはねたのかの真相は知らない。彼もまた「五十鈴」の夫であり友人でもあった三郎助のために口を閉ざす。

 だが、三郎助は仇討ちをしなければならない。そして、天明の京の大火の時、甘利新蔵は自ら仇を討たれるようにして死んでいくのである。

 恵まれた才をもちながら、否、才をもつが故に、出口のないままに不運を生きなければならない人間が、報われないままではあるが自らの思いを徹させていく姿が、ここに描き出されている。もちろん、その結末は不幸である。だが、それで良かったのだろうと読了後に思った。

 作者は「あとがき」の中で、「この『はぐれの刺客』は、武芸は達者だが、徹底して不幸にみまわれ、はぐれ者の烙印を押された一人の若い武士が、どう生きどう死んだかを追って描いた。今の社会でも同じだが、かつての社会は、いまよりもっと公平ではなかった。主人公に似た人物を探せば、以外とわたしたちの身の廻りにも、多くいることに気づかされる」(282-283ページ)と記されているが、襲い来る不運と不幸の中でも自分の思いを通すことができる主人公のような人は少ないだけに、小説としての味があるように思えるのである。藩からの召し抱えの話を断るところなど、なかなかどうして矜持に生きる武士の姿そのものである。

 物語の展開は細部に至るまでストーリーテラーとしての作者ならではの展開だと思う。細かなことが生きているので、気さくだが鬱屈している主人公の姿がよくわかる。わたしはこの作者の作品をあまり多く読んではいないが、紡ぎ出される展開は驚嘆に値すると思っている。

 ぼちぼち雨が降るかも知れない。その前に出かける用意をして出かけることにする。いつものことだが、いざ出かけるとなると、都内まで、なんとなく億劫な気がする。