2012年9月10日月曜日

乙川優三郎『五年の梅』


 まだまだ暑い日々が続いていて、「天よ、もういいのではないか」と言いたくなるが、天の下、地の上で生きるのが人間であるから、今しばらくの忍耐が必要なのだろう。ようやくにしていつものペースの戻りつつあるから、山積みしている仕事を片づけていこう。

 先日、図書館から乙川優三郎『五年の梅』(2000年 新潮社)を借りてきていたので、昨夜はこれを読んでいた。この作者についてわたしは全くの無知であったが、1953年生まれで、山本周五郎賞や直木賞を受賞されて、かなり良質の作品を書いておられることがわかった。本書は、2001年にその山本周五郎賞を受賞した作品で、手始めにこれを読んでみた次第である。

 本書は、「後瀬の花」、「行き道」、「小田原鰹」、「蟹」、「五年の梅」の五編からなる短編集で、いずれも男と女の愛情の姿を描いたものであるが、最初の「後瀬の花」、「行き道」、「小田原鰹」は適わぬ男女の腐れ縁のような関係が描かれ、後の「蟹」と「五年の梅」は、年月を経て深まっていく男女の関係を描いたものである。

 第一話「後瀬の花」は、商家の手代であった矢之吉が小料理屋の女中である「おふじ」に入れあげ、商家の金を盗んで駆け落ちするが、追っ手が迫ってきていると思い、二人とも崖から落ちて死んでしまい、その死んだあとで、「こんなはずではなかった」とお互いに愚痴を言い合ったり、人生を捨ててしまったことを後悔したりしながら、やがて道端の卯の花を見ながらほのかに心を通いあわせて行くようになるというもので、女のために人生を捨てることになった男のうじうじした後悔やどうしようもない男についていくことになった女の心情が描き出され、そして、ほのかな心の通いあいを感じていくというものである。話の展開は陰湿で、雨の中で死んだ二人がそれぞれの人生を話し合うという設定はその陰湿さに拍車をかけるようになり、最後に小さな卯の花が咲いていることが救いにつながっていくというものである。

 第二話「行く道」も、女の情念が展開されていくもので、小間物屋を営む「おさい」は夫の多兵衛が中風で寝たっきりとなり、息子もまだ一人前ではないために一人で店を切り盛りしている。

 「おさい」は十六歳の時に父親をなくして深川で女中奉公をしていた時に小間物売りの多兵衛と知り合い、やがて多兵衛は店を構えるまでになったが、「おさい」が労咳をやんだ時に、近寄ろうともせず、水の一杯も汲んでくれなかった。そのときから夫婦のあいだは冷え切り、彼女の労咳は治るが、今度は多兵衛が中風で寝たっきりになり、「おさい」は多兵衛に近寄ろうともせずに冷たくあしらうようになっていたのである。

 そういう中で、幼馴染で同じ小間物屋をしている清太郎が「おさい」に声をかけるようになる。清太郎は子どもの頃に「おさい」と夫婦になりたかったといい、清太郎の妻が派手好みで店の金を湯水のように使い、実家を鼻にかける傲岸な女であることがよく知られており、次第に清太郎と「おさい」は「焼けぼっくりに火がつきそうになる」のである。

 そして、清太郎といよいよ出会い茶屋(今のラブホテルのようなもの)で会うために「おさい」は家を出る。ところが途中で身投げをする娘と会い、それを止めることで、出会い茶屋に向かう自分の足も止めて家に帰るのである。

 人はそれぞれに悲しみや不幸を抱えて生きているが、その悲しみや不幸を嘆くことでさらに不幸になる。どこかで、生きることの辛さや悲しみを嘆くことを止める。そのことで、たとえ不幸や悲しみを抱えたままでもまた新しい歩みが始まるのだから、「嘆きを止める」ことから始める。そんなことを考えながらこの作品を読んでいた。作品そのものにそういう力はない気もするが。

 第三話「小田原鰹」は、どうしようもない亭主のもとを逃げ出したが、そのどうしようもない亭主に毎年初鰹を送る女の話で、人に寄りかかることだけて生きている男が、それによって少しずつ生活の仕方を変えていく話でもある。

 第四話「蟹」は、なかなかの作品で、家や保身のために嫁がされては離縁されてきた女が、最後に嫁いだ貧しい武士の飾らない深い愛情に触れていく話で、昔、ヤケになって情交を結んでしまった男たちから脅されたりするが、飾らない無骨な夫と蟹を食べる幸いを感じ始めた女のために、夫がすべてを知りつつも脅してきた男たちと対決して女を守ろうとしていることを知っていく話である。この話は本書の中では温かい。

 第四話「五年の梅」は、友人のために藩主に諫言をいい、それによって蟄居を命じられた豪胆な武士が、その友人の妹が不幸になっていることを知り、彼女のために立ち上がっていく話で、彼と友人の妹はお互いに想いを寄せる間柄であったが、藩主に諌言することを決意した彼は彼女と分かれて、切腹覚悟で大胆な諫言をし、蟄居を命じられる。

 友人の妹は、彼に想いを寄せながらも、金貸しをして吝い武家に嫁に行き、娘を儲けるが娘は盲目であった。婚家は娘を目医者に見せることもしないし、金、金のけちな生活をし、彼女はひとり苦労をしていく。

 そのことを知った彼は、ひとりで荒地を耕すことで金を作り、彼女の娘を目医者に見せようと働き始め、やがて、彼女の離縁話が進められて、ようやく、共に梅の花を見ることができるような関係になっていくというもので、長い年月を経て、お互いに苦労しながらも、結ばれていく男女の姿が軽妙な筆運びで語られていくのである。主人公がみみずや虫を食べる奇人ぶりが描かれたりするが、物語全体は、寒空に枝を伸ばして咲く梅の姿そのものである。

 この作者の作品を初めて読んだわけだが、どちらかと言えば良質な文学作品とでもよべるような作風で、「へえ、こういう作家もいたのか」と改めて思い、この作者の直木賞受賞作品である『生きる』というのを読んでみようと思っている。

 それにしても、まだまだ暑い。こう暑い日が続くと秋が短いような気がしている。今年の秋は例年の倍くらいすることがあるがどうなるだろう。まあ、「ぼちぼち」の信条は変わらないだろうが。

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