2012年9月12日水曜日

林望『天網恢々 お噺奉行清談控』


 まだまだ30度を超す暑さが続いている。関東では渇水のために農作物への被害が出ることが心配され始めている。内憂外患の社会状況が続いている。社会全体がどこか浮ついた感じがしているのはわたしだけだろうか。

 それはともかく、林望『天網恢々 お噺奉行清談控』(2011年 光文社)を気楽に読んだ。作者の林望は、1949年生まれで、日本文学者でもあるが、イギリス留学経験を活かしてイギリス人の生活を紹介するエッセイなどで活躍し、今年の5月に日本経済新聞で「節約術」なるものを披露されたりしている(2012年5月30日付)。ただ、彼自身は、極めて恵まれていて、彼の父親は日本の高級官僚や大学学長、財団法人の理事を歴任した著名な未来学者であり、彼自身もケンブリッジに留学したり東京藝術大学助教授(准教授)を経たりして、彼の「節約」はお金がない節約ではなく、お金のある人間が行う「節約」である。質素に生活することは素敵なことだとわたしも思うが。

 その林望の時代小説である本書は、江戸時代の中後期に名奉行として活躍した根岸肥前守鎮衛を主人公にした短編連作で、物語の展開やスタイルは風野真知雄『耳袋秘帖』シリーズに酷似している。ただし、言うまでもないことではあるが、主人公の根岸肥前守鎮衛の人物像は若干異なり、本書で描かれる根岸肥前守鎮衛は、どちらかと言えば池波正太郎が『鬼平犯科帳』で描いた長谷川平蔵の姿に近く、悪も善もひっくるめて通じる清濁併せ呑むような器量の持ち主でありながら、情を持って細やかな配慮と世話をし、それでいて事件の本質を鋭く見抜いていくような慧眼の持ち主である。そして、本書では、下世話な下ネタ話もよくする柔らかさもあるという具合である。

 本書には、それぞれの事件が扱われた「猫眼の男」、「延宝院談綺」、「河童の平六」、「百両の始末」、「飼い殺し」の五話が収められている。取り扱われているそれぞれの事件の内容は比較的単純で、「謎」の解明というほどではなく、展開もストレートで、「読み物」としては流れるように読んでいけるものである。また、人間像が深く掘り下げられているというほどでもなく、それぞれの登場人物たちの姿も平明である。

 どちらかといえば、書き下ろし文庫版のような作品だが、気楽に読むにはいいかもしれないと思いながら読んだ。作者のスタイルとして、あまり物事にこだわらないというものがあるのかもしれない。根岸肥前守鎮衛は、一般に昨今の小説作品で表されるよりもはるかに慎重で思慮深いところがあったと思っているので、そういう人物として描かれることを期待するし、彼の『耳嚢(袋)』をもう少し題材として展開してもいいのではないかと、本作に対しては思った次第である。

 今日は、なぜか細々したことで時間が細切れになってしまった。まあ、こういう日もあるだろう。まとまった思索をする日ではなかったということだろう。それはそれで「よし」ではある。

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