今日もまだ暑い陽射しが照りつけている。夜ともなれば虫たちの演奏会が始まっているが、日中はうんざりする暑さである。昨日から、なんとはなしに仕事をする気になれず、こんな調子ではまた「すべきこと」が山積みしていくなあ、と思いながら、依頼されている原稿の下調べなどをぼちぼちしていた。
そんな中で、葉室麟『散り椿』(2012年 角川書店)を深い感動をもって読み終わった。作者の作品群の中では、『いのちなりけり』(2008年 文藝春秋社)や『花や散るらん』(2009年 文藝春秋社)、あるいは直木賞受賞作品である『蜩の記』(2011年 祥伝社)という人の想いの深さを透き通るような文体で描き出した作品群のひとつだと言えるだろう。これらの作品は涙なしには読めない大きな感動を与えてくれる。読んでいる途中で、不覚にも涙がポロポロこぼれていくような作品で、『散り椿』は、特に人が人を想う姿を激動していく状況の中で描き出したものである。本書については、内容が豊かだから少し詳しく記しておきたいと思っている。
本書は、十八年前に藩(扇野藩という架空の藩)の上司の不正を訴えたが認められずに藩を追われ、各地を転々としたあげくに京都の地蔵院の庫裡に住むようになった瓜生新兵衛の、苦労をかけた愛する妻が亡くなるところから始まる。地蔵院は加藤清正が豊臣秀吉に贈り、その秀吉が寄進した「五色八重散椿」があり、別名「椿寺」とも言われるから、物語の最初の地として設定されているのだろう。作者はこういうところにさりげない細やかさを見せる。二人は、その地蔵院の庫裡でひっそりと暮らしていた。
だが、病を得た新兵衛の妻の「篠」は、「あなたにお願いしたいことがあります」と新兵衛に語り、故郷の扇野藩に戻るように最後の頼みをして、ひっそりと息を引き取っていく。妻の最後の頼みは新兵衛にとっては、ある意味で過酷なことではあったが、新兵衛は「わしはそなたに苦労ばかりさせて、一度もよい思いをさせたことがなかった。そなたの頼みを果たせたら、褒めてくれるか」と言う。彼の妻は、涙をにじませた目で、「お褒めいたしますとも」と答える(11ページ)。
この「褒めてくれるか」、「お褒めいたしますとも」で、新兵衛はその後のすべての人生を歩み出す。世間的に成功することでもなければ、周囲から良い評価を得るためでもない。只々、愛する者から褒められることだけ、愛する者から認められることだけ、それだけで新兵衛は自分にとっては辛い道を平然と歩んでいくのである。こうして、瓜生新兵衛は、妻亡き後、妻の願いを入れて扇野藩に帰る。
時、あたかも扇野藩では藩主の交代を巡る藩内抗争が勃発していた。藩主の側用人を勤め、藩の重責を担おうとする榊原采女と家老の権力の座を死守しようとする石田玄蕃が藩主の後継を巡る争いを展開していたのである。扇野藩の藩主である千賀谷親家は五十歳を過ぎたばかりだが病弱で、隠居をし、嫡男の二十五歳になる政家が来春に初めての国入りをしようとしていた時だった。
扇野藩に帰郷した瓜生新兵衛は妻の妹である里美の家に寄留する。里美の夫の坂下源之進は、一年前に突然自害してこの世を去っていた。勘定方(経理)をしていた源之進は、家老の石田玄蕃に呼び出されて、玄蕃に使途不明金を糾弾されて、無実だと主張したが、突如別室に退き、そこで腹を切ったのである。坂下家は百八十石だったが、源之進が責任を取ったということで、九十石に減封され、息子の藤吾が家督を継いでいた。
坂下藤吾は、まだ二十歳前後の若者であるが、失った家禄を取り戻すためにひたすら出世を望む青年で、馬廻り役を務める篠原三右衛門の娘である「美鈴」との縁談がまとまっていた。藩の出世頭である側用人の榊原采女に憧れてもいた。彼は殖産方(地場産業を管理する役)で、国境を見回っている途中で偶然に瓜生新兵衛と会い、新兵衛が襲い来る暴れ馬を制御する現場に立ち会っていた。その新兵衛が自分の家を訪ねてきたとき、藩を放逐された貧乏浪人が家にいてもらっては自分の出世に響くと考える。だが、母親の里美はなぜか新兵衛を温かく迎える。
坂下藤吾は、義父となる篠原三右衛門から、かつて瓜生新兵衛や榊原采女、そして藤吾の父親の源之進と篠原三右衛門が同じ一刀流の道場で「四天王」とまで呼ばれて、仲の良い交わりをしていたことを聞く。だが、瓜生新兵衛が不正を訴えたのが榊原采女の父親で、新兵衛が放逐された後にその不正が明らかになったが、何者かに殺されてしまったこと、新兵衛が密かに榊原采女の父親を斬ったのではないかという噂があることなどを聞く。そしてまた、新兵衛の妻となった「篠」の父親は、榊原采女と坂下源之進を気に入り、いずれは采女と「篠」、源之進と里美が夫婦になるだろうと考えられていたことなども聞くのである。
藤吾は、藩の中での実力者である榊原采女と瓜生新兵衛の関わりを知り、自分の出世や立場からますます新兵衛のことを疎んじるようになるが、新兵衛はただ亡き妻の願いを叶えることだけに集中して変わらず堂々と寄留しているし、母親の里美も新兵衛を深く尊敬しているように見えるのである。
こうした人物の設定は、まことに絶妙で、父親が何者かに殺され、その父親の不正によって二百石から八十石に減封された榊原采女も、坂下藤吾と同じように懸命に失地の回復に努め、自分の力で側用人として藩内で実力を振るうまでに至った人物であることなどが示されていくし、それによって、出世をし、世間的に力を持つことの是非が、貧乏浪人となって、ただ愛する者のためだけに生きている瓜生新兵衛の姿と対比されていくのである。里美の存在は、世間的にどうであれ、新兵衛の真価を知る者がいるということを示すものであり、その存在自体が心を温かくしてくれる。そうした設定が初めから絶妙に展開されている。人は、ただ一人でいいから自分を認めてくれる者があるとまっすぐ生きていける。瓜生新兵衛はそのことを体現する人物なのである。
物語は、榊原采女の父親を殺したのは誰か、坂下藤吾の父親はなぜ自害したのか、そして、夫婦としてふさわしいと言われていた采女と「篠」の関係はどうだったのか、「篠」の最後の願いとは何か、といったような謎を残したままに展開されていく。そして、そこに藩主の交代を巡る権力闘争が深く絡んでいくのである。それとともに、無骨だが正々堂々と真っ直ぐに生きている新兵衛に触れて、若い坂下藤吾が生き方を学んでいくことになるが、そのあたりの展開は、また、次に記すことにする。それにしても、なんと爽やかで涼やかな物語だろうかとつくづく思う。
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