2013年9月13日金曜日

北原亞以子『消えた人達 爽太捕物帖』

 小笠原の南で台風が発生したそうだが、今日は朝から暑い陽射しが照りつけていた。八月の炎暑ほどのものではないが、夏がまだ頑張っているという感じがする。このところ少し原稿に追われていたのだが、外出も少なく、気分的にはゆっくりしていたら、いつの間にかしなければならないことが山積みしていた。少し片づけるとしよう。

 それはそうと、『独り読む書の記』のブログのデザイン、いろいろ試行錯誤しようとは思っているが、Googleで用意されているテンプレートがどうも今ひとつぴったり来なくて「はあ~」という感じである。テンプレートを使わなければならないというところが、こういう無料のものの欠点だなあ。

 数日前、雨模様の天気が続いた中で、虫の声を聞きながら、今年の3月に帰天された北原亞以子さんの『消えた人達 爽太捕物帖』(1999年 毎日新聞社 2010年 文春文庫)を読んだ。これには『昨日の恋 爽太捕物帖』(1995年 毎日新聞社 1999年 文春文庫)という前作があるが、前作を読まなくても物語の展開がきちんと把握できるようにうまく配慮されている。

 これは江戸の大火(物語では文化3年 1806年とされているから、1200人ほどの死者が出た「文化の大火」であろう)で焼け出された子どもたちの物語で、芝神明町の紅白粉(おしろい)問屋の一人息子だった爽太郎も、九歳の時にこの火事で親も家も失った孤児となり、仲間たちと掏摸やかっぱらいなどをして必死で生き延び、昔、親が親切にしたという鰻屋の十三川(とみかわ)の十兵衛に助けられて居候となり、やがて奉行所同心に見込まれて岡っ引きとなって、十兵衛の娘の「おふく」と結ばれ、火事場を一緒に生き延びた仲間たちとの友情や絆を深めていく。これは、その爽太郎(爽太と名前を改める)を中心にした物語である。

 「おふく」は、その名前のとおり福々しい女性であるが、きっぱりとしたところがあって、ともすれば落ち込みがちな爽太を明るく支えていく女性で、作者がほかの作品でも登場させるような魅力的な人物であるが、そのあたりのくだりは前作の『昨日の恋』で展開されているのだろうと思う。本作では、爽太や「おふく」が中心ではなく、火事の後を爽太と一緒に生き延びた仲間で、気が弱くて真面目で、ざる売りの老人にもらわれ、散々苦労したが、ようやく「おせん」という女房をもらってざる売りの店を出すことができた弥忽吉(やそきち)の出来事が中心になっている。

 相思相愛で仲が良いと思われていた弥忽吉の恋女房の「おせん」が、探さないでくれという置き手紙を残して失踪したのである。

 「おせん」は美貌だが、言いたいことの半分も言わないようなおとなしくてどこか頼りなげで、一所懸命に弥忽吉の世話をするような女性で、とても置き手紙を残して失踪するような女性とは思われなかった。彼女は、彼女は金物屋の娘だったが、やはり、あの文化の大火で家と商売を失い、長屋に移ったが、やがて父親が病み、必死に働いたが追いつかずに、柳原の土手に出て夜鷹をしていた。彼女が16歳の時である。だが、夜鷹には夜鷹の縄張りというのがあり、夜鷹の世話をしている牛太郎(夜鷹の取りまとめをする者をそう呼んだ)の徳松に捕らえられて折檻を受けているところを弥忽吉に助けられたのである。牛太郎の徳松もまた、昔、爽太たちと生き延びた仲間であり、徳松は弥忽吉を知っており、こうして、弥忽吉は「おせん」にとって恩人となった。

 弥忽吉は「おせん」に惚れていたので、やがて二人は夫婦となり、「おせん」は弥忽吉によく仕えた。だが、ふとしたことで女房持ちの武蔵屋栄之助という男と出会い、恋に落ち、駆け落ちしたのである。「おせん」の恋の相手である栄之助もまた、あの大火で孤児となったところを武蔵屋に拾われ、そこの娘と相愛になって婿となった男であった。

 爽太は弥忽吉の頼みで「おせん」を探す過程で、その事実を知っていく。栄之助は、「おせん」と駆け落ちして逃避行をしていくが、途中で自分を養ってくれた恩義を重く感じて「おせん」を捨てて武蔵家に帰る。ひとり残された「おせん」は、しかし、なおも栄之助を慕っていく。だが、栄之助は駆け落ちの無理がたたって病で死んでしまい、裏切られた弥忽吉と栄之助の女房は、「おせん」への復讐を企んでいくのである。そこに武蔵屋の婿のことで武蔵家を脅して金をせしめようとする者たちも登場して絡んでくる。

 爽太は弥忽吉に罪を犯させたくない一心で奔走していく。「おせん」が偽手紙で江戸から上州へ呼び出され、物語も江戸から上州への中山道の旅となる。そして、すべてが明らかになるクライマックスを迎えていくのである。

 物語が、過去と現在を行き来するだけに、少し展開が荒くなっている気もするが、一つの大きな出来事で人生の歯車が狂い、それを受け入れて生きていく者と、受け入れることができないでいる者の姿が、微妙な男女の愛情のもつれとして描かれているだけに、微妙な味わいが残る作品である。それにしても、「おせん」という女性のしたたかさが強烈に残る。作者は「おせん」を決して悪くは書かないが、よくよく考えてみれば、こういう女性に男は騙されやすいような気がしないでもない。

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