2013年9月18日水曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 天狗殺し』

 台風一過で、昨日から爽やかな秋空が広がっている。一日の寒暖の差が激しくなって、日中は暑いほどの日差しであるが、夜は肌寒くなった。こうして秋が深まっていくのだと、つくづく感じる。

 昨夕、買い物がてらに図書館に行ったら休館日で振られてしまった。調べていけばなんてこともないのだろうが、時折、こうしたことをして、トホホの人生になる。会いたい人には会えず、行きたくないところに行かなければならず、したくないことをしなければならないで、まさに、四苦八苦の八苦がこうして訪れる。

 だが、高橋克彦『完四郎広目手控 天狗殺し』(2000年 集英社 2003年 集英社文庫)を気楽に読んだ。これは、旗本の次男であり、剣の腕もお玉が池の千葉道場の免許皆伝という凄腕で頭脳明晰でありながらも、なぜか竹光を腰に差し、古本屋の「藤由」に居候して、「藤由」の主である藤岡屋由蔵が出す瓦版や広目(広告)などを手がける香治完四郎を名探偵役にして、安政から明治にかけての時代と社会背景を描きながら物語を展開していく、いわば時代推理小説のような作品であるシリーズの第二作目の作品である。

 先に、このシリーズの三作目と四作目である『いじん幽霊』(2003年)『文明怪化』(2007年)を読んでいた。この二作はいずれも明治維新後の時代と社会を背景としていたが、一作目の『完四郎広目手控』と本作は、安政という激動した時代を背景としている。本作では、井伊直弼が老中となり、日米修好通商条約(安政5年 1858年)などが結ばれて、尊王攘夷運動が激しくなっていく辺りが背景とされている。

 このシリーズでは、主人公の他に、先に記した広目屋(広告代理業)を行った藤岡屋由蔵、広目の文章を書く仮名垣魯文(かながき ろぶん)、絵を描く一恵斎芳幾(後の歌川芳幾)が登場するが、これらの人たちは実在の人物で、後に、明治になってから現在の毎日新聞の前身である東京日日新聞を発行した人たちである。その他にも、もちろん作者の手による創作上の人物であるが、特殊な能力を持つ「お映」や完四郎に惚れているしゃきしゃきの柳川芸者の「お新」も登場して、作品に色を添えている。「お映」は、文字通り、断片的であるが未来を映すことができ、「お新」は新しい女性像の代表でもある。本作では、この二人の女性はあまり登場しないが、坂本龍馬と新しい女性として蘭医を目指す「お杳(よう)」が登場する。

 物語は、老中になった井伊直弼が日米修好通商条約を締結した安政5年から始まる。この年は、第13代将軍徳川家定が病弱であったために以前から起こっていた将軍継承問題に対して、井伊直弼が、一橋慶喜(後の徳川慶喜)を推挙していた水戸の徳川斉昭や薩摩の島津斉彬を押し切って、徳川家茂を第14代将軍と定めた。そして、水戸の徳川斉昭への処罰を断行し、初期の頃の尊王攘夷志士たちを弾圧する安政の大獄を始めた年である。世情は騒然とし始め、こういう時代の流れを見極めて、江戸の人々に知らせようと、主人公の香治完四郎は、時代の中心となっている京都へ行くことを藤由に提案し、仮名垣魯文を連れて京都に向かうのである。この京都までの道中を共にするのが土佐に帰る坂本龍馬であり、京都での医者の勉学を目指す「お杳(よう)」である。

 そして、物語は江戸から京都までの東海道五十三次と京都から江戸までの中山道に従って、各地で起こる殺人事件や古い伝説にまつわって引き起こされた事件を香治完四郎が持ち前の頭脳の明晰さと観察眼によって解決していくのである。もっとも物語の多くは、京都での話で、特に尊王攘夷の急先鋒であった長州藩の動きが注目されていく。

 それぞれの事件の謎解きには、伝承や言い伝えを隠れ蓑にして隠蔽されようとする犯罪を、香治完四郎の徹底した合理性と科学的実証を探っていく頭脳が光っていく形で解決されていくが、面白いと思っているのは、武士という身分を捨てて広目屋を目指す完四郎が、武士も町人もないんだという姿勢を一貫させているところで、そういう姿に坂本龍馬が目を見張らされていくという展開になっているところである。

 そして、仮名垣魯文が、『東海道中膝栗毛』を著した十返舎一九を思わせるような人物として描き出されていくところである。物語の最後には、幕末から明治にかけての浮世絵師として知られる河鍋狂斎(河鍋暁斎)が江戸に帰る完四郎と仮名垣魯文の同行者として登場する。

 また、最後の第十一話「白雪火事」では、井伊直弼の側近で国学者あった長野主馬(長野主膳)による急進的な尊王攘夷派であった水戸や長州への弾圧の策略に対して完四郎が立ち向かうという展開になっている。江戸市中に二度の大火を起し、これを水戸や長州のせいにする噂を立てて、彼らを追い込もうとしたのである。

 ちなみに、長野主膳(18151862年)は安政の大獄で捕縛された者たちへの厳罰を主張し、また、水戸藩主であった徳川斉昭らへの厳罰も主張し、水戸藩に「悪謀あり」と過度の進言をしたことで、井伊直弼暗殺の桜田門外の変の引き金を引いたとも言われている。後に彼は井伊直弼暗殺後の彦根藩の跡を継いだ井伊直憲によって、斬首。打ち捨ての刑に処されている。

 物語はこの後、激動した幕末から明治にかけての鳥羽伏見の戦いや上野戦争、戊辰戦争などでの状況下での江戸が舞台となって描かれるつもりではなかったかとも思われるが、これに続く第三作では、時代は既に明治初期になる。だが、名探偵香治完四郎という設定はなかなか面白い。

 本書には、安藤広重の『東海道五十三次』や『京都名所』の浮世絵が絶妙に挿絵として使われ、作者の趣味も生きていて、それも面白い。作者は書画骨董には造詣が深い。粋な趣味人のような気がする。

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