2011年9月30日金曜日

山本周五郎「ちいさこべ」

 今日は少し雲もかかっているが、このところずっと秋らしい穏やかな天気が続き、嬉しい限りである。過ごしやすい天気だと心も穏やかになる。明日から仕事も少し立て込むのだが、穏やかなままで乗り切れればいいと思ったりする。

 先日から読んでいた山本周五郎『ちいさこべ』(1974年 新潮文庫)を昨夜遅く読み終えたので記しておこう。文庫本初版は37年も前に発行されているが、今の時代小説とは異なって文学的にも思想的にも作者の挑戦のようなところがある中編集で、文学がまだ思想を語り得た頃の息吹を感じたりした。

 この『ちいさこべ』には、表題作の他に、「花筵」(1948年)、「ちくしょう谷」(1959年)、「へちまの木」(1966年)の四編が収録され、表題作の「ちいさこべ」は、先に読んだ『山本周五郎中短編秀作選集3 想う』(2006年 小学館)に収録されていたので、ここでは割愛する。

 「花筵」は、恵まれた藩の重職の家庭に育った「お市」という女性の数奇な運命を描いたものである。「お市」は、藩政改革を志す心優しい夫に嫁ぎ、身重となって婚家や夫の愛情を感じながら日々の生活を送っていたが、夫が志した藩政改革が頓挫し、夫の行くへがわからなくなという事態に陥る。彼女は、婚家の義母や義弟とともに藩の捕縛を逃れ、その近郊の農家で筵に花模様などを入れる花筵を工夫して制作したりしていく。だが、洪水に見舞われて、義母を助けるために愛児を失うというつらい経験をしなければならなかった。しかし、どこまでもひたむきに夫を信じ、義母との暮らしを立て直し、夫が残していた藩の重職の不正を記した書物を、彼女が作製した花筵のおかげで藩主とのお目通りがかなうようになり、身を挺して藩主に届け、それによって藩政の風向きが変わり、夫が生きて復帰できることがわかり、信じ続けた夫との再会が果たされていくのである。

 日本の女性の健気でひたむきな姿を描き続けた山本周五郎の『婦道記』の流れの中にある中編であるが、「お市」が洪水で愛児を失う姿が、「山が焼ければ親鳥や逃げる.身ほど可愛いものはない」という人間の自己保身の業のようなものを背負う姿として描かれたり、彼女に想いを寄せる男が登場したりして、「お市」が決して単純に夫を信じ、ひたむきに生きるだけではないことが描き出されている。だが、そういう中でこそ「お市」の夫や義母などの愛情に自己を確立して健気に生きる姿が光っていくのである。

 これは、長編の要素をいくつかもち、ある意味であっさりと流されているところを膨らませればもっと深みのある作品になったのではないかと思ったりした。

 「ちくしょう谷」も、どこまで人は自分に悪を働いた人間をゆるせるのか、人間の救いとは何かという思想の深みに意識的に挑戦した作品で、あまりに主人公が理想的な人間として描かれすぎて、文学作品として成功しているとは言いがたいものがあるが、山本周五郎がこういう作品を書こうとした意図はよくわかるような作品だった。

 若い頃は短気な暴れん坊だった朝田隼人は、江戸での剣術の修行中に、勘定奉行を務めていた兄が果たし合いで殺されるという事件に遭遇し、兄が公金を使い込んでいたという理由で朝田家の家禄が半減され、国元に返されることになる。だが、兄の死には謎が残り、生前の兄から送られてきた書簡で、隼人はその真相を知っている。

 しかし、彼は若い頃の面影が一切消え去り、人と決して争わない温厚な人物となって戻ってきていた。兄は無実のまま殺されていたが、彼は真相を暴露して仇を討つこともせず、優しい深い眼差しで周囲を見るだけである。彼は、力や正義で生きることが人の幸せをもたらさないことを知っている。どこまでのひたすら優しく生きようとする。

 そんな彼が、藩の犯罪者を隔離した「ちくしょう谷」と呼ばれる所があることを知り、その「ちくしょう谷」と呼ばれて隔離され、人々から軽蔑されている人々を何とかしたいと願って「ちくしょう谷」のある山中の木戸番頭として赴くことを願いである。その木戸番には、自らの公金の使い込みを隠蔽しようとして兄を忙殺した男もおり、その男から度々命を狙われるが、隼人は一切争うことも男の罪を暴くこともせずに、ただ「ちくしょう谷」に暮らす人々を何とか教育して、人間らしい暮らしを取り戻させようとしていくのである。「ちくしょう谷」に暮らす人々は、ただ自らの食欲と性欲の欲望のままに生きている人たちであった。

 朝田隼人の努力は、なかなか実らない。特に「ちくしょう谷」の人々の性欲はすさまじく、これを理性で押さえることは不可能に思える。そういう中で、木戸番と城下を結ぶ谷の道が壊れ、その修復作業をすることになる。兄を忙殺した人間は、これを機として隼人の命を狙い、失敗して谷底に落ちようとする。朝田隼人はすべてを知っていながら、自分の命を狙った男を憐れに思い、これを助け、その罪のすべてをゆるしていくのである。

 朝田隼人の努力は実らず、かれは「ゆるす人間」として穏やかさを保ちながら生きていくが、「人が何を為したかではなく、何を為そうとしたか」で人を量ろうとする山本周五郎の人間観が集約されていると言ってもいいかもしれない。しかし、それは美しすぎる。

 「ゆるす」ということについて語ることができるとすれば、人は自分に加えられた悪が本当にひどいときには、その悪をゆるすことはできない。ただ、ゆるそうとする精神の努力があるだけであり、その努力が人の精神を高みに引き上げるだけである。

 「ちくしょう谷」という閉鎖され、疎外された世界を背景にして人間の業や罪を描き出す試みは、優れて社会と時代感覚のある試みとなっているが、文学作品として少しもったいない作品になっている気がしないでもない。

 「へちまの木」は、山本周五郎が62歳の時の作品で、急逝する一年前の作品だが、旗本の三男として生まれ、武家の生活から抜け出そうとして、いかがわしい瓦版屋で働きながら、世の中の人々の生態を知っていく青年の話で、「人はすべて迷子ではないか」という青年の実感が込められている作品である。青年は武家の生活が嫌になり、かといって市中で暮らすこともうまくいかず、結局、彷徨していくことになるが、迷子は同時に求める者であり、落ち着き場のないままに放浪するのが人生かも知れないという作者の若干の疲労感が伝わってくるような作品だった。

 山本周五郎の作品には、どの作品でも感じるのだが、作者の実存の反映のようなものがあり、思想的に苦慮しながら作品を生み出していった苦労がにじみ出ている。その意味で、彼の作品は文芸ではなく文学作品と呼べるだろう。彼はとことん優しく、その優しさ故にする苦労をよく知っている作家であるに違いない。

2011年9月28日水曜日

千野隆司『主税助捕物暦 玄武斃し』

 日毎に秋の深まりを感じる日々になっている。日中の爽やかさと朝夕の冷え込みが漸次に訪れ、虫たちの恋の羽音も次第に少なくなってきた。秋桜が風に揺れる様は何とも優しい。

 26-27日と外出の少し気ぜわしい日々だったのだが、ようやく今日から2~3日はいつもの日々に戻り、ゆっくりした気分でパソコンの前に坐ることができるようになった。この間に、千野隆司『主税助捕物暦 玄武斃し』(2010年 双葉文庫)を読んでいたので記しておくことにする。

 これは、このシリーズの八作目の作品で、二作目の『天狗斬り』(2005年 双葉文庫)と四作目の『虎狼舞い』(2007年 双葉文庫)を前に読んで、飛び飛びの読書となったが、浮気をして夫婦関係が破綻しそうになった主人公の北町奉行所定町廻り同心である楓山主税助が、様々な事件の探索をしながら夫婦関係をどのようにして修復していくのかも綴られて味わいのある内容になっていた。本作では、その夫婦関係は修復され、妻とひとり娘との暮らしは平穏を保たれている。

 筆者の筆力と物語の構成力は、書き下ろしとは思えないほどの緻密さがあって、本書でも、「背中にひびを切らす」と言われるほど歩きまわって事件の探索する定町廻り同心である楓山主税助が、さらに事件の核心に迫るために丁寧に一歩ずつ探索していく過程が綿密に記されていく。

 事件は、米問屋の主が何者かによって袈裟懸けに斬り殺されるところから始まり、それを見ていた主税助の手下である冬次の身重の女房が目撃し、続いて同じような手口で旗本の息子が殺され、また別の旗本が狙われていくという連続殺人事件である。

 主税助は、目撃者である冬次の女房を守るため、事件の真相に迫ろうとするが、殺された米問屋の主と次の殺された旗本家の息子や他の旗本家との繋がりがわからず、あれこれと探索を重ねていく。その謎解きの過程が一歩一歩記されていくのである。そして、ようやくにして、彼らが数年前の甲府勤番の折にある不正事件を告発し、その告発された者の子息が犯人で、逆恨みによる殺人だとわかっていく。犯人の子息は、双子で、互いにアリバイを立証したりして巧妙に立ち回るし、剣の腕も相当の凄腕だった。主税助は、緊迫した状況下で、この双子の兄弟と対峙していくのである。

 本書の大まかな筋立ては以上のようなことなのだが、それらが人間の微妙な心情の動きと共に描き出されているので、物語が何とも言えない妙味のあるものとなっている。たとえば、主税助の手下で、事件を目撃した身重の女房を必死で守ろうとする冬次について、次のような一文がある。

 「親兄弟のない天涯孤独の身の上で、ぐれて町の嫌われ者だったときには、しょせん冷たい目でしか見られなかった。いないものとして遇されることなど珍しくもなかった。そういう暮らしと比べれば、(恋女房をもらい、子どもが生まれるという今の暮らしは)天と地ほどの違いがある」(58ページ。括弧内はわたしの解釈)
 
 こういう冬次についての描写があって、冬次がいかに必死で女房を守ろうとしているのか、女房の尻に敷かれながらもそれを喜ぶ冬次の人柄などが十分に伝わるように描かれている。そういう人間に対する視点のようなものが作者の優れたところだろうと思う。

 そして、主税助の生命を賭けた闘いで事件が解決し、冬次の女房が無事に出産の準備に入り、それを主税助や女房、ひとり娘などが祝うところで物語が終結する。主税助とその女房、冬次とその女房の二組の夫婦の姿が中心となり物語が展開されるので、読後感が単なる時代小説以上のものがあるのである。最近の時代小説の捕物帳物、あるいは同心物の良いところが、この作品でも十分にある作品だった。

2011年9月24日土曜日

逢坂剛『道連れ道輔2 伴天連の呪い』

 時折雲がかかって陰ったりするが、お彼岸にふさわしい爽やかな秋晴れの日となった。運動会でもあったのだろう、体操服の幼稚園児が疲れたようにして歩いているのが見えたりする。昨日、先の台風で飛び散った街路樹の銀杏の葉を片づけながら、秋が深まっていくなあ、と感じたりしていた。

 夕方から夜にかけて、逢坂剛『道連れ彦輔2 伴天連の呪い』(2008年 文藝春秋社)を面白く読んでいた。この前に出されている『道連れ彦輔』(2006年 文藝春秋社)を読んでいないので、人の道連れになるという面白い稼業をして糊口を潤している鹿角彦輔(かづのひこすけ)や、友人でお小人目付(御家人などの武家を取り締まる)をし、彦輔に仕事を持ってくる神宮迅一郎とその手下で彦輔と行動を共にする藤八、彦輔の住む裏店の隣に住んで扇のを作り売り歩きながら狂歌に勤しんでいる「勧進かなめ」、また、その狂歌仲間である金貸しの「鞠婆」など、物語を構成している人物たちの背景についての詳細がわかないが、これを読んだだけでも、これらの五人の主要人物たちが、鹿角彦輔を中心にして気のあった遠慮のない仲間であり、特に「勧進かなめ」と彦輔は互いに想いを抱気ながら過ごしていることがよくわかるようになっている。

 本書には「あやかし仁海」、「面割り」、「新富士模様」、「秘名春菊斎」、「使いの女」、「伴天連の呪い」の六話が連絡の形で収録されており、さすがに物語の展開と筆力は相当なもので、娯楽時代小説としての面白さが十分にある。

 第一話の「あやかし仁海」は、妖しげな仏力によって娘たちを虜にしている仁海という人物の手から、彦輔が知恵を使って娘たちを取り戻していく話で、娘たちは自分の意志で仁海のもとにいるので、どうにも取り戻す手段がなかったのだが、彦輔が仏力には神力ということで、徳川家康が神君として祀られている東照宮のお札を使って仁海を打ち負かしていくのである。妖しげな僧である仁海は、娘たちの意志を操り、それによって大金をせしめようと企んでいたのである。

 第二話「面割り」は、本書の中では最も読み応えのある話で、本書の中心人物の一人でもある「勧進かなめ」のこれまでの人生が記されている。事の発端は、東海道蒲原宿で押し込み強盗のひとりを「勧進かなめ」が知っているのではないかということで、火盗改めから確認を依頼されたことにある。蒲原宿で押し込み強盗を働いた三人のうち、二人は既に死亡し、残る一人を知る者が蒲原宿で飯盛女(娼婦)をしていた「かなめ」という女性であることを聞きつけた火盗改めが、ずけずけとそのことを暴露して、彦輔の隣に住んで、彦輔に想いを寄せながら世話をし、これまでの意見の解決にも一役買っていた美貌の「勧進かなめ」に疑わしい人物を確認して欲しいと依頼するのである。

 「勧進かなめ」は扇師だった父親の謝金のために蒲原宿で飯盛女として売られ、押し込み強盗のひとりと寝屋を共にして、その押し込み強盗が逃げる際に女連れの旅人を装う目的で連れ出され、そのときにもらった十両で自由の身となり、江戸に出てきて扇を作って売る仕事をしながら生活をしていたのである。

 鹿角彦輔をはじめ、「かなめ」の周囲にいる者たちはそのことを知るが、過去のことなど問題にせず、「かなめ」のまっすぐな性格やきっぱりとした姿などを大事にし、今の「かなめ」が「かなめ」と言い切って、押し込み強盗を確認に行くという「かなめ」と共に押し込め強盗の犯人と目される人物がいる熊谷まで出かけるのである。

 熊谷宿で、押し込め強盗と目される人物は、問屋場(人馬の継立などをする所で、今でいえば駅)で帳付け(事務)として真面目に働き、周囲からも信頼されていたし、「かなめ」はもしそれが事実でも自分が自由になるきっかけを与えてくれた恩義があるので、知らぬ振りを装うつもりでいた。

 しかし、追い詰められた彼は、ついに本性を現し、人が変わったようになって「かなめ」を人質にとって逃げようとする。彦輔は「かなめ」を助けるために、彼の捕縛に手を貸すのである。

 この物語の主人公たちは、実にさっぱりとして爽やかである。現在は過去の集積であるが、現在の姿が良ければそれでよいし、過去のことはたとえそれば過ちであっても問題とはならないことになる。だから過去を恥じることは少しもない。人にはそれぞれ事情がある。ただそれだけのことである。こういう人間観と人生観に立つ者は、真にあっぱれである。それが見事に著された作品である。

 第三話「新富士模様」は、当時流行していた富士山信仰を背景にして、新富士として詣でられていたところに行くという武家の妻女の共をして行くことになった彦輔が、藤八、かなめ、鞠婆なども連れて行くことにし、道中を共にするが、武家の妻女の後をつける者があった。それは武家の妻女の夫で、自分の妻が役者と浮気しているのではないかと疑い、悋気を激しくしていたのである。だが、役者と同衾していたのは妻女ではなく、その下女であったという話である。武家の妻女は夫が疑っていた役者ではなく、夫の部下と浮気をしていたというおまけのようなものがついている。

 第四話「秘名春菊斎」は、神宮迅一郎がお小人目付として、ご禁制の春画を春菊斎と名乗る絵師が描き、それが御家人ではないかと疑い、その人物の真相をさぐるように鹿角彦輔に依頼し、藤八や鞠婆とともにそれを探っていく話で、彼らが春菊斎のいると思われる家に踏み込んでみると、そこには御家人と彼を育てた乳母がいて、両方共に自分が春菊斎で、お咎めを受けると言い出すのである。

 第五話「使いの女」は、ある寺まで行くという尾張藩奥女中の使いの女との道行きの仕事を引き受けた彦輔が、その使いのうらに奥女中同士の権力争いが隠されていることを知り、陰湿な企みを打ち砕いていく話である。

 第六話「伴天連の呪い」は、むかしキリシタンが磔にされた所で腕の立つ武士の死体が発見され、額に十字が刻印されていた。「勧進かなめ」と鰻を食べに行く途中でその事件に出くわした彦輔が、お小人目付としてその事件を探索する神宮迅一郎と出会い、その事件の真相を暴いていく話である。

 調べてみると同じように額に十字の刻印を押されて金を取られた事件があり、そこにキリシタンの女性と彼女を利用して金をとろうとした武士がおり、その武士から女性を守るために行き会わせた富永隼人が切ったことがわかっていくのである。富永隼人は鹿角彦輔とも知り合いの用心棒稼業をする武士で、彦輔が彼の命を救ったことがある武士である(このあたりは1冊目に出ているのだろう)。そして、事件に関わっていた女性は自死をして事件が終わるところが結末となっている。

 娯楽時代小説としての要素がふんだんに盛り込まれているし、すっきり読める文章とテンポがあって、しかも、人がきっぱりと生きていく姿が描かれて、過不足なく面白い作品だと思った。「勧進かなめ」が、過去を持つ女性であるが、可愛らしく素晴らしい女性であるところもいい。

2011年9月22日木曜日

永井義夫『算学奇人伝』

 昨日は台風の暴風圏に見舞われて、すさまじい雨と風が吹き荒れていたが、夜になると虫の声が響き、今日は一転して少し汗ばむくらいの好天となった。このあたりが台風の暴風圏になることはめったにないことだが、「な~に、過ぎてしまえばたいしたことはない」と道路に散乱した街路樹の銀杏の葉や枝、吹き寄せているゴミなどを横目に蒼空を見上げて思う。

 昨夕は嵐の中で、いつもと変わらぬように夕食を取りながら、永井義夫『算学奇人伝』(1997年 TBSブリタニカ)を面白く読んでいた。

 巻末の略歴によれば、1949年に福岡で生まれ、その後、出版や広報の仕事に携わられて作家活動をはじめられたらしい。本書は1997年の開高健賞の受賞作品で、江戸時代の算学(和算)を題材にして、歴史的事実を巧みに取り入れ、作者が創作した算学にたけた吉井長七という主人公の活躍を描いたものである。時代は江戸後期が設定されているが、本書にはその時代の社会変動の影響などは記されていないので、江戸時代であればいつでも良かったのだろうと思う。

 主人公である吉井長七は、江戸近郊の宿場として栄えた千住の青物問屋の長男として生まれたが、江戸見物の時に露天の古本屋で見つけた吉田光由の『塵劫記(じんこうき)』(1627年に出された算学書)と出会い、算学に熱中するようになり、ついには江戸時代の算学者として著名な関孝和の系統に当たる長谷川寛の算学道場に入門したのである。

 入門に際し、弟に家督を譲り、跡目問題を起こさないために生涯結婚しないことを近い、江戸の本所で実家から生活費を支給されながら算学三昧の生活を送っていた。言ってみれば、結構な身分なのである。彼自身も世俗のことにはほとんど関心をもたない、いわゆる純粋な学者肌の人間であった。

 その吉井長七の下男で、実家から派遣されている治助が、負ければ負けるほど賞金が倍になってもうかるというサイコロ博打にはまっていることを知り、長七は、単純な確率論から、それが巧妙に人を騙す手口であることを見破っていくのである。このサイコロ博打を行っていた人物との算学勝負が本書の一本の筋になっている。

 また、実家のある千住に住む文化人である佐加話鯉隠(さかわ りいん-坂川屋鯉隠居、坂川利右衛門、山崎鯉隠居)から、千住の氷川神社にかかっていた算額(和算の問題と解答を額にして掲げて奉納したもので、難問だけで回答もなく、いわば算学の挑戦状のようなものになっていた)が大金の隠し場所を示すものらしいから、それを解いてくれ、との依頼を受けて、千住に赴いてその謎を解き、大金が隠されていた場所を特定したりする。こちらも、ピタゴラスの定理(三平方の定理)を使った数学としては初歩的なものである。

 こういう算学者吉井長七の算学を用いた実用的な活躍の顛末が描かれていて、最後には伝記のような今日譚が記されている。もちろん、吉井長七二関する部分は、作者の創作である。

 わたしも元々理系であったために、今でも数学や物理学、化学には強い関心があり、江戸時代の和算も相当なものであったと思っていて、ここで取り扱われている確率の問題や三平方の定理は、謎解きと言うほどのものではないが、算学を行う人間の純粋さぶりが著されているのが面白いと思いながら読んでいた。

 かつて1970年代に世俗のことに関心を示さずに専門領域の学問に熱中する学者を揶揄して「専門馬鹿」という言葉が使われたりしたが、本当の「専門馬鹿」というのは、人間としても極めて優れていると思っている。そういう人間を描いた本書が、1990年代に著されたこと自体に意味があると思う。ただ、学問一筋に生きようとする人間にも、それなりの人生の悩みが強くあるのだから、欲を言えば、あまり単純化せずに、作品としてもう少し膨らみが欲しいような気がしないでもない。

 これを書いているうちに、空がにわかに曇りはじめた。秋の天気はとかく変わりやすい。朝干した洗濯物は取り込むべきかも知れない。

2011年9月20日火曜日

片岡麻紗子『祥五郎想い文 孫帰る』

 接近している台風の影響で雨が降り続き、一転して肌寒い日となった。コーヒーが切れてしまったので近くのスーパーまで出かけたが、長袖を着用していても若干の寒ささえ感じる。

 このところ仕事上の細々したことや他の原稿もあって、これを記すことができなかったが、片岡麻紗子『祥五郎想い文 孫帰る』(2007年 徳間文庫)を読んでいたので、記しておくことにした。

 この作品には筆者の紹介のようなものが何も記されていなかったので、ちょっとネットで調べてみようと思ったら、作者本人の「まさの蔵」というブログがあることがわかり、これが作者の人柄がよくわかるブログで、人間味の豊かななかなかの人だと思って、すっと読んでしまった。

 『祥五郎想い文 孫帰る』は、丹波志川藩(作者の創作だろう)の江戸留守居役添所(こういう役職があったのかどうか、わたしは無知)に勤める兄と共に国元を出て江戸で暮らす滝沢祥五郎と、彼が想いを寄せる「香江」を中心にしたそこはかとなく温かい物語で、本書では「源平店の殺し」、「孫帰る」、「稀代の錺(かざ)り師」、「待つ女」の四話が収められている。

 本書は、このシリーズの一作目で、「香江」がなぜ江戸で暮らしているのか、滝沢祥五郎とどういう関係なのかなど、作品に出てくる人物たちの関係と顛末が描かれているが、こうあったら素敵だろうな、と思うような筆使いに作者の息吹のようなものを感じた。

 「香江」は、長い間待って(12年も)、相愛の堀田左門とようやく結婚できたが、結婚してわずか三日後に、左門の元妻で少し精神に異常を来していた女性に襲われ、「香江」を助けようとした左門が殺されてしまう。左門を殺した元妻が藩の上役の娘であったこともあって、かつて左門の小者をしていた治平を頼って江戸に出てきたのである。治平は、武家奉公を辞めた後、江戸で商売をはじめ、絵双紙屋を営みながら家作ももっていた。左門の小者だったときに左門に助けられ、恩義を感じて、自分の家作に「香江」を住まわせて、なにかと助けているのである。

 滝沢祥五郎は兄に主馬と共に「香江」の幼馴染みであり、また、夫だった堀田左門と剣術道場の同門として左門を尊敬していたが、左門の不幸な事件をきっかけにして、兄が江戸留守居役添所勤務を命じられると同時に江戸に出てきて、なにかと「香江」の相談相手になっているのである。祥五郎はずっと「香江」に想いを寄せていたが、「香江」が尊敬していた左門と結婚し、二人の幸せを願っていたところに事件が起こったので、自分の想いを殺しながら、江戸で独りで暮らす「香江」の幸せを願っているのである。

 物語は、「香江」が治平の店を訪ねた帰りにひとりの若い娘が堀の縁で膝を抱えて泣いているのに気づき、仔細を聞いて自分の家に連れて帰って泊めたところから始まっていく。膝を抱えて泣いていた娘は「おあき」といい、母親が男を作って逃げたために、水茶屋に勤めながら義父と暮らしていて、その義父が酒代のために売られるということになり、義父のもとから逃げ出してきていたのである。

 ところが、翌日、「香江」の所を訪れた祥五郎がその話を聞いて、娘と一緒に義父の処へ行ってみると、その義父が何者かに殺されていたのである。そして、「おあき」のために義父殺しの真相を明らかにしようと祥五郎が奔走していくことになる。

 その間に、祥五郎の働きで、「おあき」が想いを寄せる水茶屋の客が、実は「おあき」を騙して売り飛ばそうとしていることがわかったりするし、「おあき」の義父を殺したのが「おあき」の母親の新しい男であったりして、「おあき」は絶望のどん底に落とし込まれるが、「香江」が「おあき」を引き取って一緒に暮らすことにするのである。

 第二話「孫帰る」は、「香江」の家に出入りする花売りの老婆が、育てて奉公に出した孫が帰ってくるのを心待ちにしていたところ、その孫が帰ってきた顛末が物語られる。ようやく老婆のもとに帰って来た孫は、やがて本性を現してひどい生態を曝すようになる。だが、その孫は実の孫ではなく、孫が奉公先でなくなったことをいいことに、老婆が貯めているという金目当ての男に過ぎなかった。老婆は孫の死を聞いて愕然とするが、やがて三歳で上方に里子に出したもうひとりの孫が老婆を迎えにやってくるというところで、ハッピーエンドとなる。

 第三話「稀代の錺(かざ)り師」は、流行の高額の簪を作る飾り職人からあずかった簪を失った小間物問屋の手代の少年と雨宿りで一緒になったことから、失った簪の行くへを探る顛末が物語られ、小間物問屋の娘を騙していた性悪男の姿が浮かび上がったり、小間物問屋の主人と娘の関係、あるいは高価で売れるために傲慢になっていた飾り職人の姿が描かれたりして、事件の山と谷が織りなされている。

 第四話「待つ女」は、「香江」が仕立てを依頼した女性が、言い交わした男を十年も待っていることがわかり、その男の行くへを祥五郎が探していくという話である。言い交わした男は、実は、仕立てをする女性の金が目当てで、金をだまし取って惚れた遊女を身請けし、材木問屋の主人におさまっていたことがわかり、しかも自分の過去を知る者を殺して安泰をはかっていくような男だった。祥五郎は、その女性のためにきっぱりと話をつけにいくのである。

 こういう物語の中で、祥五郎ぼ「香江」に対する切ない想いが記され、また、「香江」と暮らすことになった「おあき」の成長などが記されていく。

 読みながら、たとえば、自分が行くところがあり、その行った先でも快く受け入れてくれるような場所をもつ人間というのは、たとえ自分の想いが届かないにしろ、幸せに違いないなどと、たわいもないことを思ったりした。

 書き下ろしのためか、もう少し文章にテンポがあるといいと思ったりしたが、作者の優しさがにじみ出るような作品で、物語の構成も面白いと思った。他の作品もぜひ読んでみたい。

2011年9月15日木曜日

山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』(2)

 蒼空が広がって、日中は真夏並みの暑さだが、朝夕はそこはかとない風に秋の気配を感じ、夜ともなれば虫の声がしきりにする。窓を開け放って、虫たちの恋の羽音を聞いたりすると、「あわれ秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ-男ありて 今日の夕餉にひとりさんまを食ひて 思ひにふけると」いう佐藤春夫の『秋刀魚(さんま)の歌』を思い起こしたり、「秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し」というヴェルレーヌの『落葉』を思い起こしたりする。

 特に、佐藤春夫の『秋刀魚の歌』の終わり、「さんま、さんま、さんま苦いか、塩つぱいか。そが上に熱き涙をしたたらせ さんまを食ふは いづこの里のならひぞや」の言葉を口にすると、泣けて泣けて仕方がなくなる。

 閑話休題。山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』(2006年 小学館)の続きであるが、「鵜(う)」は、謹慎を命じられて江戸から国元へ送られて釣りばかりして日を過ごしている布施半三郎が、ひとけのない岩場で釣りをしていた時に、川で泳いでいる不思議な女性と出会い、彼女への想いを募らせていくが、女性は事情を抱えており、彼との約束をしたまま暴れ馬に蹴られて死んでしまい、半三郎はいつまでの彼女との約束を思って切ない日々を過ごしていくという話である。愛する者を待つことの切なさと、意を決して新しい歩みへ飛び出そうとした時に死んでしまう女性の不運が「愛のすれ違い」という現実に起こりうることの中で描かれている。

 「水たたき」は、お互いに深い愛情を持っている夫婦が、ふとしたことで危機を迎えていくが、それぞれの想いを知り、再び深く結ばれていく話である。料理人の辰造は、同業の料理屋で女中をしていた「おうら」に惚れ、所帯を持った。「おうら」は実に素直で可愛い女性で、「水すまし」のことを水の上でくるくる廻っているから「水まわし」とか、水をならしているようだから「水ならし」とか、「水たたき」とか言って、周囲に笑われても、顔を赤らめてみんなと笑うような、天性の明るさをもった女性だった。辰造は、そんな「おうら」にべた惚れだし、「おうら」も、「うちの人のためなら何でもしてあげたいし、うちの人のためならどんなことだってするわ、ほんとよ」(301ページ)というくらい惚れている。

 辰造は、若い頃に放蕩の限りを尽くし、「死んでしまえば一切がおしまいだ。生きているうちにできるだけの事を経験し、味わい、楽しむのが本当だ」(289ページ)と思い、「おうら」にも浮気ぐらいしてみたらどうだと言ってしまう。

 辰造が言うことは何でもしてあげたいと思っている「おうら」は、辰造が何度もそのことを言うので、辰造の弟子の徳次郎のところにいくが、どうしてもできない。「おうら」はその日から帰ってこず、辰造は、「おうら」が徳次郎とできて出奔したと思い込み、自分が馬鹿なことをしでかしたと気も狂わんばかりになって、人とのつきあいも絶って気難しい料理人としての日々を2年あまり続けていくのである。

 だが、彼が唯一気安くつきあうようになった浪人の勧めで、徳次郎のもとを尋ね、「おうら」が浮気などせずに行くへ不明になっていることを知り、行くへを探す。「おうら」は、徳次郎の処へ行った後で、自分を恥じて川に身を投げ、助けられたが病んで2年余の月日を叔母のところで伏せっていたのである。辰造は病床の「おうら」を迎えにいく。その描写が絶妙で、「おうら」という女性を真に素晴らしく描き出すものになっているので、以下に記しておこう。

 「『叔母さん』という声が唐紙の向こうで聞こえた。「―誰か来ているの」
 いせ(叔母さん)は『ああ』とあいまいに答えた。
 辰造はいせを押しのけるようにしてあがり、そっちへいって唐紙をあけた。家具らしい物もなく、四隅になにかつくねたままの、うす暗い、病人臭い六帖の壁よりに、薄い継ぎはぎだらけの蒲団を掛けて、おうらが仰向けに寝ていた。・・・・・・
 『あら、あんただったの』とおうらは微笑しながら云った、『あたしいま、誰かしらなあって思っていたのよ』
 『おうら』と辰造の喉で声がつかえた。
 『とんまなことしちゃったの』とおうらは云った、
 『自分でもあいそがつきたわ、どうしてこんななんでしょ、―でも叱らないでね、あたし大川で、水たたき飲んじゃったのよ』
 辰造は『おうら』と云いながら、乱暴に枕元へ坐った。
 するとおうらが手を伸ばし、彼はそれを両手でつかんだ。
 『水たたきって云うと、叔母さんは笑うのよ、違うんですって』と云いながら、おうらは急に寝返って、辰造の手へ顔を押しつけて泣きだした、『でも、水たたきでいいんだわねぇ、あんた』
 『そうだ』と辰造が喉で云った、『そうだよ』
 おうらは身をふるわせて泣き、爪のくいこむほど強く、辰造の手を握りしめた。
 ―堪忍しろおうら、と辰造は心の中で云った。そしてうちへ帰ろう。」(305-306ページ)

 この一場面に、山本周五郎が描く人間の美しさがすべてあるような気がする。描写と心情の描き方が絶妙で、生きているのが嬉しくなってくるような物語である。

 こういう「おうら」のような最も愛すべき女性の姿は、この選集の2巻目『惑う』に収められている「おたふく」、「妹の縁談」、「湯治」の三連作に登場する天真爛漫な「おしず」という女性でも描かれ、数多くの女性像の中で、わたしが最も気に入っている女性像である。わたしにとってもであるが、山本周五郎にとっても、こういう「おうら」や「おしず」のような女性は宝物のような存在だったに違いないとさえ思う。

 「将監さまの細道」は、岡場所の娼婦に身を落としながらも、どうしようもない男と離れることができない女性の姿を描いたもので、人の愛情の悲しい性(さが)が描き出されている。

 「枡落とし」も、人の愛情の悲しい性(さが)に縛られる女性が描き出されるが、こちらは娘と相愛になった職人によって助けられていく話が展開されている。「枡おとし」は、1967年の作品で山本周五郎の最後の短編である。この年の2月に、山本周五郎は仕事場で死去している。

 小学館から出されているこの選集は、この5巻で終わり、巻末に略年譜が収められて、山本周五郎の全作品が年代ごとに一覧として載せられており、多くの作品を残したことが一瞥できるようになっている。

 この選集は、作者の息吹のようなものが感じられる編集となっており、個人的に、この時期にこういう選集で改めて山本周五郎の作品を読んだことに特別の感慨がある。昔、もうずいぶん前に、論理ではなく情で生きようと決め、薄い情ばかりで今日に至っているが、人の温かさを直接的に描く山本周五郎の作品は、見る人には見え、わかる人にはわかるということを深く味わわせてくれるものだった。

2011年9月13日火曜日

山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』(1)

 昨日は仲秋の名月で、冴え冴えとした妖しく美しい月が東の空で輝くのを眺めながら、いろいろなことを考えたりした。まことに「月見る月」だった。満月の下でゆっくりと時を過ごす。それはわたしにとっては至福の時間である。

 さて、山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集 4 結ぶ』は、夏の間に読んだのだが、ここに記すことができずに図書館に返却したので、ここに収められていた書名だけを記しておくことにして、『山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』(2006年 小学館)を読んでいるので、そのことについて記しておきたい。

 『山本周五郎中短編秀作選集4 結ぶ』に収められていたのは、「初霜」、「むかしも今も」、「おれの女房」、「寒橋」、「夕霞の中」、「秋の駕籠」、「凌霄花(のうぜんかずら)」、「四日のあやめ」、「かあちゃん」、「並木河岸」、「おさん」、「ひとごろし」で、いずれも懸命に生きていこうとする人々を描いた作品だった。

 『山本周五郎中短編秀作選集5 発つ』に収められているのは、「野分」、「契りきぬ」、「はたし状」、「雨あがる」、「よじょう」、「四人囃し」、「扇野」、「三十ふり袖」、「鵜(う)」、「水たたき」、「将監さまの細みち」、「枡落し」の十二編である。

 「野分」は、出羽国新庄藩の大名の妾腹の子として生まれた又三郎が料理茶屋で働く「お紋」とその老いた祖父と知り合い、跡目相続の争いに巻き込まれながらも、侍を捨てて「お紋」と暮らそうとする話で、やむを得ずに後目を継がざるを得なくなる状況の変化で、「お紋」との別れや「お紋」の祖父の思い、「お紋」の一筋に又三郎を慕う想いなどが描かれた作品である。

 「契りきぬ」は、家族を失って娼婦とならざるを得なくなった女性が、堅物の北原精之助を落とせば自由の身になれるという賭けに乗って、策略を巡らせて精之助に近づき、精之助の家にうまく潜り込んでいくが、次第に本気で惹かれていき、精之助の大きく包みこんでいくような愛に触れ、苦悶の中で過ごしていく姿を描いたものである。精之助はすべてを知って女性を包みこんで愛していこうとするが、自分の心の醜さを知った女性は精之助のもとを去る。結末は決してハッピーエンドではないが、精之助の一筋の大きな愛とそれに応えるために彼のもとを去ることを決心した女性の思いが綴られていく。

 「はたし状」は、自分の婚約者が突然婚約を破棄して親友のもとに嫁いでしまった男の苦悩と親友との友情を描いたもので、そこには、親切ごかしに近づいてくる別の友人の画策があったのであり、その画策をようやく知りことができて新しい出発をするまでの姿を描いたものである。

 この三編は、人間のあまりに「純」な思いが描かれているために、いくぶん人間についての青さが残る作品であるが、たとえば、「野分」の中で、「お紋」の老いた父親の話を聞いた又三郎が「老人の一生はごく平凡な、どこにでもある汗と貧苦と、涙と失意とで綴られたものだった、息子夫婦に先立たれ、孫娘と二人で稼いでいる事実だけでも察しはつく、それにも拘わらず、又三郎はそこにしみじみとした味わいを感じた、善良で勤勉で謙遜で、いつも足ることを知って、与えられるものだけを取り、腰を低くして世を渡る人たち、貧しければ貧しいほど実直で、義理、人情を唯一の宝にもたのみにもしている人たち、・・・又三郎はそれが羨ましいほど充実したものにみえ、本当に活きたじんせいのように思えた」(12-13ページ)と思うところは、そのまま、作家としての山本周五郎の、自分が書くべきものとしての決意そのものだろう。山本周五郎は、どこまでもそういう人たちの姿を描こうとした作家である。この作品が敗戦後すぐの1946年の作品であることを考えれば、戦後の新しい出発を山本周五郎はそういう決意ではじめたような気がするのである。

 「雨あがる」は、言うまでもなく傑作で、人生の夢が破れても人々を喜ばせようとした夫とそれを支える妻の深い愛情と理解をまるで絵画のようにしみじみと描き出した作品である。これについては、別のところで記したし、記憶に深く残る作品でもあるので、ここでは詳細を割愛する。

 「よじょう」は、熊本で生涯の最後を送った宮本武蔵に、無謀にも彼の腕を試そうとして殺されてしまった父親をもつ料理人のどうしようもない息子が、兄に叱責されて物乞いとなり、それが周囲に親の仇討ち行為として誤解され、武蔵を遠くに見ながら生活していく話である。偶然の誤解の中で生きることを余儀なくされた男のおかしみと悲哀が描かれている。

 「四人囃子し」は、子どもの頃から出来が良くて評判も良かった平吉とは反対に、どうしようもないと思われていた男が、その平吉を苦しめるために彼が愛した「おたみ」を奪い取り、さらに平吉が「おたみ」を励ますために書いた手紙をネタに平吉を強請ろうとするが、どうしようもないと思われて育った男の悲しみを知る女性によって、新しい人生の歩みをはじめていく物語で、頽廃した雰囲気の中で、やけになっている男と彼を立ち直らせていこうとする女の情が描かれた作品である。

 「扇野」は、江戸からふすま絵を描くためにやってきた絵師と彼に思いを寄せる女性との愛情を描いたもので、恋の切なさに身を焦がしていく二人の姿が、極めて印象的に描かれた作品である。愛の姿は様々だが、恋に身を焦がす女性とそっと見守ろうとする二人の女性の愛の姿が、何とも言えない情景を醸し出している作品だった。

 「三十ふり袖」は、病気の母親を抱えて貧しさのためにやむを得ずに妾となった女性が、自分を妾とした男が、実はまだ結婚もしたことがなく、女性を正式な妻としたいと願っているという男の誠実な愛に触れていくという話である。自分を卑下する女性の複雑な思いと、それを包む男の愛は、ちょうど「北風と太陽」の話のような展開になっている。

 「鵜」以下の作品については、また次に記しておくことにする。何気なく読んでいても、後から考えてみれば、深い味わいをもつ作品、それが山本周五郎の作品のような気がしている。今日もよく晴れていて、日中は暑いくらいで、洗濯日和となった。