昨日は台風の暴風圏に見舞われて、すさまじい雨と風が吹き荒れていたが、夜になると虫の声が響き、今日は一転して少し汗ばむくらいの好天となった。このあたりが台風の暴風圏になることはめったにないことだが、「な~に、過ぎてしまえばたいしたことはない」と道路に散乱した街路樹の銀杏の葉や枝、吹き寄せているゴミなどを横目に蒼空を見上げて思う。
昨夕は嵐の中で、いつもと変わらぬように夕食を取りながら、永井義夫『算学奇人伝』(1997年 TBSブリタニカ)を面白く読んでいた。
巻末の略歴によれば、1949年に福岡で生まれ、その後、出版や広報の仕事に携わられて作家活動をはじめられたらしい。本書は1997年の開高健賞の受賞作品で、江戸時代の算学(和算)を題材にして、歴史的事実を巧みに取り入れ、作者が創作した算学にたけた吉井長七という主人公の活躍を描いたものである。時代は江戸後期が設定されているが、本書にはその時代の社会変動の影響などは記されていないので、江戸時代であればいつでも良かったのだろうと思う。
主人公である吉井長七は、江戸近郊の宿場として栄えた千住の青物問屋の長男として生まれたが、江戸見物の時に露天の古本屋で見つけた吉田光由の『塵劫記(じんこうき)』(1627年に出された算学書)と出会い、算学に熱中するようになり、ついには江戸時代の算学者として著名な関孝和の系統に当たる長谷川寛の算学道場に入門したのである。
入門に際し、弟に家督を譲り、跡目問題を起こさないために生涯結婚しないことを近い、江戸の本所で実家から生活費を支給されながら算学三昧の生活を送っていた。言ってみれば、結構な身分なのである。彼自身も世俗のことにはほとんど関心をもたない、いわゆる純粋な学者肌の人間であった。
その吉井長七の下男で、実家から派遣されている治助が、負ければ負けるほど賞金が倍になってもうかるというサイコロ博打にはまっていることを知り、長七は、単純な確率論から、それが巧妙に人を騙す手口であることを見破っていくのである。このサイコロ博打を行っていた人物との算学勝負が本書の一本の筋になっている。
また、実家のある千住に住む文化人である佐加話鯉隠(さかわ りいん-坂川屋鯉隠居、坂川利右衛門、山崎鯉隠居)から、千住の氷川神社にかかっていた算額(和算の問題と解答を額にして掲げて奉納したもので、難問だけで回答もなく、いわば算学の挑戦状のようなものになっていた)が大金の隠し場所を示すものらしいから、それを解いてくれ、との依頼を受けて、千住に赴いてその謎を解き、大金が隠されていた場所を特定したりする。こちらも、ピタゴラスの定理(三平方の定理)を使った数学としては初歩的なものである。
こういう算学者吉井長七の算学を用いた実用的な活躍の顛末が描かれていて、最後には伝記のような今日譚が記されている。もちろん、吉井長七二関する部分は、作者の創作である。
わたしも元々理系であったために、今でも数学や物理学、化学には強い関心があり、江戸時代の和算も相当なものであったと思っていて、ここで取り扱われている確率の問題や三平方の定理は、謎解きと言うほどのものではないが、算学を行う人間の純粋さぶりが著されているのが面白いと思いながら読んでいた。
かつて1970年代に世俗のことに関心を示さずに専門領域の学問に熱中する学者を揶揄して「専門馬鹿」という言葉が使われたりしたが、本当の「専門馬鹿」というのは、人間としても極めて優れていると思っている。そういう人間を描いた本書が、1990年代に著されたこと自体に意味があると思う。ただ、学問一筋に生きようとする人間にも、それなりの人生の悩みが強くあるのだから、欲を言えば、あまり単純化せずに、作品としてもう少し膨らみが欲しいような気がしないでもない。
これを書いているうちに、空がにわかに曇りはじめた。秋の天気はとかく変わりやすい。朝干した洗濯物は取り込むべきかも知れない。
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