2011年9月8日木曜日

宇江佐真理『富子すきすき』

 ようやく昨日から晴れ間が見えるようになり、日中の陽射しはまだ夏の名残が強く残っているが、朝晩には秋の気配さえ感じられるようになり、夜は虫の声が聞こえている。深夜ともなれば、月が冴えてますます秋を感じるようになった。考えてみれば、あと2週間もすれば秋分なのだから、これが普通かもしれない。

 前回の宇江佐真理『通りゃんせ』に続いて、『富子すきすき』(2009年 講談社)を読んだ。これは、「藤太の帯」、「堀留の家」、「富子すきすき」、「おいらの姉さん」、「面影ほろり」、「びんしけん」のそれぞれが独立した六編からなる短編集で、この中では、2003年に『しぐれ舟-時代小説招待席』(廣済堂出版)に収録されている「堀留の家」が、最もわたしの琴線に触れる作品だった。

 一作目の「藤太の帯」は、平安期に近江の三上山の大百足退治の伝説で知られる俵藤太(藤原秀郷-ふじわらのひでさと)の意匠をあしらった珍しい帯が、その帯を手にする娘たちにそれぞれに生きる勇気と力を与えてくれるというもので、因縁話めいた要素を用いながら、商家や武家の娘たちの恋愛や家族、親子の関係などでの葛藤や生き方を柔らかく描いたものである。

 子どもの頃から病がちで病弱だった煙草屋の娘「おゆみ」は、気晴らしの散歩の途中で古着屋に飾られていた俵藤太の百足退治の意匠を凝らした帯が目にとまり、それが俵藤太の子孫に当たる自分を守ってくれるような気がして、買い求める。「おゆみ」は、その後、病を得てなくなってしまうが、まるで死の不安を取り除かれたように安らかに息を引き取るのである。やがて、彼女の手跡指南所で仲良しだった友人たちが形見分けとしてつぎつぎとその帯を手にすることとなる。

 次に帯を手にしたのは、小普請組の貧しい旗本の娘「おふく」だった。「おふく」は思いを寄せている医者の息子が長崎に遊学するということで、自分の思いをあきらめていた。「おふく」の家も俵藤太に繋がる家系だった。父親は「おふく」を妾奉公に出せば小普請組から出でお役が与えられるという出世話をきっぱり断り、「おふく」の幸せだけを願うような潔い男だった。弟は、そういう父親を誇りに思い、ますます精進していくと聞かされる。「おふく」は意を決して、俵藤太の帯を締め、医者の息子の所に行き、二人の結婚が急にまとまっていくことになるのである。

 三度目に藤太の帯を手にしたのは、牢屋同心を父に持つ「おたよ」だった。「おたよ」の家もまた俵藤太の係累に当たる家筋だった。「おたよ」は四人兄妹の末っ子だったが、彼女の父親は彼女の母親が不義を働いて「おたよ」を身ごもったとずっと疑っており、「おたよ」にはつらく当たっていた。三番目の兄の養子先が決まった祝いの夜に、「おたよ」は俵藤太の帯を締めて出たが、それが父親の逆鱗に触れて、父親がずっと疑ってきたことが爆発してしまう。「おたよ」は、締めた帯に手を触れて勇気を出し、この家を出て行くと言いだし、母親も疑われたままではたまらないから自分も出ると言いだし、兄嫁もそんな義父の世話をしたくないから出るといいだし、結局、家族全員が疑いを濃くもった父親の元を出ると言い出す。こうしてすべての膿が出てしまい、家族が再びまとまっていくのである。

 四番目に帯を手にすることになったのは、飾り物屋の娘「おくみ」で、「おくみ」の父親が囲っていた女が身ごもって男の子を産んだために、後目などを巡って両親が離婚するという。そのことでやけになって意欲を失っていたところに、「おたよ」が帯をもってきて、勇気づけ、結局は、両親は離婚するが、その状況を乗り越えていく力となっていくのである。「おくみ」の家も俵藤太に繋がる家系だった。

 五番目の瀬戸物屋の娘「おさと」だけは何事も起こらなかった。「おさと」の家は俵藤太と無関係だったからである。そして、最初に古着屋にその帯を売ったのが、彼女たちを結びつけていた手跡指南所の師匠だったのである。

 人は、それぞれの置かれた状況でそれぞれに生きていくしかないのだが、ふとしたことで生きる勇気を与えられることがある。この作品はそういう姿を描いたもので、「藤太の帯」という勇気の源を得て、死を迎え、愛し、辛さを乗り越えようとする人間の姿を描いたものである。

 次の「堀留の家」という作品が、わたしにとっては一番琴線に触れる作品だった。これは、両親に捨てられたり、早くに両親を亡くしたりして苦労する子どもたちを預かって育てていた堀留にある元岡っ引きの夫婦に育てられた男の子と女の子の話である。

 煙管職人をしていた父親が火の不始末で火事を出してしまい、働き場を失って酒に溺れる日々を送り、そのことに愛想を尽かした母親が妹を連れて逃げ、酒代を稼ぐためにしじみ売りなどをさせられていた弥助は、ついに空腹と身体の不調で路上で倒れてしまうが、元岡っ引きの鎮五郎に助けられる。

 そのときの描写がまことに優れていて、
 「そのまま静かに死んでしまえるならどれほどいいだろうと思った。人の足が目の前を通り過ぎて行くのを弥助はぼんやり眺めていた。
 ふわりと身体が宙に浮いた、と思ったのは錯覚で、弥助は鎮五郎に軽々と抱き上げられていた」(83ページ)
 と表され、こういう登場人物の視点や感覚で綴られるところが、小さな子どもの悲しい状況を良く伝えるものとなっている、とわたしは思う。

 弥助が助けられた鎮五郎の家に幼い女の子がいた。「おかな」という子で、父親が女を作って逃げ、居酒屋勤めをしていた母親も新しい男を作ったが、それがひどい男で、なにかをしでかしていなくなり、母親はその男を追って弟と「おかな」を捨てて出て行き、捨てられた「おかな」と弟が鎮五郎に引き取られて育てられていたのである。

 鎮五郎の家にはほかにも何人かの子どもたちが引き取られて育てられていた。それぞれに「親」への思いなどが錯綜していくが、父親が自分を捨てて逃げ去ったことを知った弥助は、一念を発起させて手習いに励み、やがて干鰯問屋に奉公して一人前になっていく。その干鰯問屋に「おかな」も雇われ、「おかな」は明るい働き者で気に入られていた。

 「おかな」は弥助に思いを寄せ、やがて二人の縁談話も起こるが、弥助は「おかな」の想いを知りつつも、妹のようにして育てられてきたし、両親のある家に嫁いで幸せになってもらいと願って、その縁談を断る。

 その日から「おかな」の態度が一変し、「おかな」はやがて金持ちの老人の後添えとなって干鰯問屋に砂をかけるようにして出て行き、やがて、その老人の家の手代といい仲になって、小さな子どもを残して出て行き、行くへがわからなくなるのである。「おかな」は、自分を捨てた母親と同じような道を歩んでいくのである。

 弥助は、苦労を舐めてきた岡場所の遊女を身請けして嫁にし、またその遊女が気立てが良く、夫婦仲は円満で、鎮五郎がなくなった葬儀の時に「おかな」が子どもを捨てて逃げたことを知り、その子どもを引き取って育てていくことにするのである。弥助は、自分を育ててくれた鎮五郎と同じような道を歩んでいくのである。

 この物語には、愛情を得る者と愛情を失う者が交差するし、「おかな」のようにある時から急に人間が変わっていくようになる姿や、「当たり前」だと思っている者はそれを失い、「有り難いことだ」と感謝していく者はそれを得ていく姿が描かれる。読みながら「涙をもって蒔く者は、喜びを持って刈り取る」という言葉を思い出したりした。これは、そういう作品だった。

 三作目で表題ともなっている「富子すきすき」は、表題の軽妙さとは全く異なり、元禄15年(1702年)12月14日に赤穂浪士によって討ち殺された吉良上野介の妻「富子」の視点で、その事件が回想されていくというものである。討ち入った赤穂浪士たちは、ひとり大石内蔵助の命で国元に向かわせられた者を除いて、四十六人が本懐を遂げて切腹させられたが、吉良家は改易となり、後継者であった富子の孫は信州に流罪となって、そこで若干二十一歳で亡くなっている。

 吉良上野介の妻「富子」は、米沢藩の上杉家に養子に出した綱憲に引き取られて、そこで暮らすことになるが、綱憲も心労が重なって四十二歳で亡くなり、富子もその後を追うようにしてなくなっている。

 この作品では、吉良上野介が閨の中で「富子すきすき」といっていた言葉を胸に、事件後の富子の退場からの赤穂浪士討ち入り事件が語られていくのである。浅野内匠頭がなぜ殿中で吉良上野介に斬りかかったのかの真相は、現在でもまだ謎のままだが、浅野内匠頭の逆上や、将軍であった徳川綱吉の逆上など、すべてが「逆上」のなせる業だという作者の視点は、わたしもそうだと思っている。そして、寂静によって起こる事件ではだれ一人いいことはない、とわたしも思う。

 「おいらの姉さん」は、吉原で産み落とされて引き手茶の手代をしている男と花魁の淡い恋物語で、花魁は逆上した侍によって斬り殺されてしまうが、子どもの頃からお互いをかばい合ってつらい境遇を生きてきた男女が最後に血の海の中で見せるせる愛の美しい姿として昇華されていく物語である。

 「面影ほろり」は、木場で育った材木問屋の息子が、母親の病のために父親の妾の所に預けられ、父親の妾であった深川芸者の気っぷの良さと、まだ八歳に過ぎないが、息子が天性にもつ木場の男の男気が巧みに描かれている作品である。

 最後の「びんしけん」は、学問に長じていたが妾腹の子であったために父親の死と共に追い出されて、裏店で手習所をしている侍のところに、大泥棒の娘が預けられいく話で、吉村小左衛門は、旗本であった父親と女中との間にできた子で、学問は優秀であったが、父親の死と共に母親と一緒に追い出されて、手習所をしながら細々と暮らしていた。真面目で人柄も良いが、人相風体がよくなく、嫁の来てはなかった。貧しいが穏やかな暮らしの中で、母親もなくなった。そこに大泥棒で捕縛された父親をもつ二十歳の娘を、教育をきちんと受けさせるために預かって欲しいという依頼を受ける。

 吉村小左衛門は、自分は男のひとり暮らしだから無理だと断るが、ある時、突然娘が訪ねて来て、やむを得ず引き取ることにする。娘は一所懸命に学んだり、近所と親しもうとするが、気性がまっすぐで、そのために諍いが起こったりする。そして、同じ長屋の意地の悪い女房が、娘が泥棒の子だと聞きつけてきて騒動を起こす。吉村小左衛門は、そのとき、娘をかばうことができなかった。娘が吉村小左衛門の嫁になってもいいと思っていたことを後で知り、慚愧の想いを抱いていくのである。

 これらの短編は、表題の「富子すきすき」が歴史的事件の別の面を示す意欲的な作品であったり、「藤太の帯」のような因縁話を題材にしたものであったり、「おいらの姉さん」のような吉原の恋物語であったり、「面影ほろり」のような気っぷのいい江戸っ子気質を描いたり、それぞれの試みも主題も異なっているのだが、宇江佐真理がこれまで書いてきた作品群の一面をそれぞれによく表しているようにも思う。

 何と言ってもこの作者の文体と持っている雰囲気、描き出す世界が、わたしは好きで、読むと嬉しくなるような作品だと思っている。

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