2011年9月3日土曜日

葉室麟『銀漢の賦』


 大型の雨台風がもたらす影響で、高温多湿の妙な天気が続いている。

 今週の前半、福島の原発被災による避難地域や宮城県北部沿岸の被災地を訪ねたので、しばらく留守が続いた。福島では、立ち入り禁止区域にはもちろん入ることができなかったのだが、飯舘村では、すべての商店や郵便局でさえ閉鎖された無人の静けさの中で、ススキとコスモスが風に揺れ、突然生活を止められた哀しさを感じていた。牛舎にも牛は一匹もいず、風光がのどかで美しいだけに何とも言えないやり切れなさを覚えざるを得なかった。また、宮城県北部の沿岸部の小さな漁村は、まだ復興が手つかずで、「爪痕」が克明に残っていた。

 ただ、今回は会津によることができ、城下町の盆地の美しさに感嘆できた。幕末の悲しい歴史が凛とした風情を造っているのだろうと思う。会津はとても素敵なところだ。歴史が感じられる町というのは、やはりいいものだ。

 閑話休題。この2~3日、葉室麟『銀漢の賦』(2007年 文藝春秋社 2010年 文春文庫)をかなりの感慨を持って読んでいた。「銀漢」というのは、夜空にかかる天の川のことであるが、それと同時に、理想と矜持をもって生き抜いていく男たちの生き様を指す言葉として使われている。

 この作者の作品については、同級生で作詞家のT氏が紹介してくれ、数冊の本もいただいていたのだが、北九州出身の作家らしく九州を舞台にした作品が多くあり、特に、秋月を舞台にした『秋月記』を読みたいと思っていた。九州にいたころ、秋月には良く出かけ、静かな山間の城下町は気に入った場所の一つだった。それを読む前に、この作品を手にした次第である。秋月にしろ会津にしろ、軟弱な心に轍を入れてくれるような場所だと思っている。

 この作品は、文庫版の解説で島内景二という人が「硬質のロマンティシズム」という言葉を使って解説しておられるが、解説の内容はともかく、まさにその言葉通りの作品であると思う。2007年の松本清張賞の受賞作品である。それだけに構成と展開は見事だった。

 これは、西国の月ヶ瀬藩という架空の藩で、家老職にまでのぼり、やがては藩主との確執から職を退くことになった松浦将監という人物と、藩の郡方(地方役人)として生きている竹馬の友である日下部源吾、そして同じ少年期の友人で、やがて百姓一揆の首謀者として処罰される十蔵の三人の男たちの生き様を藩政の変転の中で描き出したものである。それが彼らの少年期の交流を交えて描き出されていく。

 松浦将監は、幼い頃に藩政の権力者であった九鬼夕斎によって父親を殺され、家禄を半減されて母親と共にひっそりと暮らしていたが、文武両面での才能を発揮し、次第に藩の役職を上り詰めていく。日下部源吾は、剣と鉄砲の修行を重ねながら、郡方として藩の新田開発のための川の堰作りに妻子を忘れて邁進し、そのために病気の妻を充分看護することなく失っていく。農民である十蔵は、二人との交友の中で、剣の腕を磨いたり、学問に勤しんだりして、農民たちの厚い信頼を得ていく。

 藩の農政はひどく、やがて飢饉が起こったりして、十蔵はついに百姓一揆を指導していくようになり、郡奉行となった松浦将監がこれを鎮圧し、家老職で親の敵でもあった九鬼夕斎を追い落とし、藩の実権を握っていくことになる。将監の母親も九鬼夕斎の陰謀のために自害させられていたのである。だが、そのために十蔵は死ぬことになる。

 日下部源吾は十蔵のために助命嘆願をするが、松浦将監は自分の立場と藩政を考えて聞き入れずに、源吾は将監に絶交を申し出ることになる。彼らが友情で結ばれた二十年後のことである。十蔵は少年のころに松浦将監に書いてもらった蘇軾(そしょく)の「銀漢(天の川)」の詩を大切にし、自分のことで将監に迷惑が及ばないように決然と死を迎えていくのである。友人の死を踏み台にして出世する将監に怒りを覚えて絶交した源吾は、十蔵の妻子を引き取り、世話をしていく。

 それからさらに二十年、死病を抱えた将監と源吾が腹を割って話す機会が訪れ、藩主の幕閣入りの願望に伴う藩の将来を強く危惧した将監の話を聞くことになる。松浦将監は、一命を犠牲にする覚悟で江戸へ出て、藩の安泰を実現したいと言う。日下部源吾は、その将監の願いを叶えるべく、一切を捨て、自分の命を賭して彼の脱藩に手を貸していくのである。三人の深い友情は、それぞれの立場を認め、それぞれを大切にしながらも、深く潜行していたのである。彼らは、まことに「漢(男)」として生きるのである。

 その「漢」としての姿を描くのに、この作品では蘇軾の漢詩が巧みに使われ、先の「銀漢」の詩も、将監が日下部源吾のために死の直前まで書いていた掛け軸の「玲瓏山(れいろうざん)に登る」も見事な使われ方をして、「玲瓏山に登る」の最後の言葉である「有限を持て無窮を趁(お)うこと莫(なか)れ」も、将監の慚愧と生き方を端的に示すものとなっている。彼らの深い友情の中心にあるのは、何事でも飄々としながらも友人のためにはできる限り、生命さえ賭していく日下部源吾にある、とわたしは思う。この作品には、世間をうまく立ち回る源吾の娘の夫も描かれ、作者の人間観の深さを知ることができる。

 この作品には、単に男たちの生き方を示す展開だけでなく、九鬼夕斎との政争に敗れて隠居している松浦兵右衛門の娘で、将監や源吾への思いを抱きながらも藩主の側室とならなければならなかった志乃(将監は志乃の妹の婿養子となり、松浦家を継ぐ)、将監の母親の千鶴と彼女への思いを持っていた将監の叔父、そして、病死した源吾の妻や源吾への思いを寄せる十蔵の娘の蕗など素晴らしい女性たちも登場する。

 特にいいと思っているのは、生命を賭した将監を守るために自らの生命を賭していく日下部源吾が、蕗のことを考えて彼女を逃がそうとするが、蕗はそれを否んで源吾の側にいて、死地に望んでも彼から離れないという愛情である。この愛情によって、すべてが落着し、将監も江戸で事態を収めて死んだ後、荒れ果てた九鬼夕斎の隠居所の留守番となった源吾と結ばれていく最後の下りは、物語の展開が硬質なだけになごませるものがある。

 
 いずれにしろ、この作品は大した構成力と筆力で描かれた作品であると思う。正当な時代小説のおもしろさが存分にあるような気がした。

 今、急に横なぐりの激しい雨が降ったかと思うと、さっとあがり、蒸し暑さだけがむんむんし始めてきた。まったく妙な天気だ。この天気の中、友人のS氏と「自己満足」の大切さを語り合ってきたこともあり、「大いなる自己満足」に向けてまた始めたいと思っている。

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