2010年10月20日水曜日

多田容子『やみとり屋』

 今にも泣き出しそうな雲が覆って、少し肌寒さを感じる。風邪が完全に抜けきらず、体力も気力も衰えたような気がするし、この衰えた状態でこのまま生きていくような気弱な思いがふと横切ったりもするが、多分、一時的な感覚だろう。ある論文の関係で、今朝、ふと、大きな網で世界をすくい取ったようなヘーゲルの歴史と状況の卓越した概念把握のことを考えていたら、「こういうふうに物事を考えながら生きていかなければならない人間の不幸とつまらなさ」という言葉が浮かんできて、いったい自分が何をしたいと望んでいるのか、それがわからないところにわたしの不幸があるなぁ、と思ったりもした。

 というのは、ヘーゲルの哲学とは全く無関係なのだが、昨夜、椎名軽穂という人の少女漫画を原作にした『君に届け』というアニメ・テレビドラマを涙をポロポロこぼしながら感動して見て、そこに描かれているひたむきで素直で真っ直ぐな高校生の姿が目に焼きついて、今の歳になっていたく反省させられ、「自分で納得すれば、自己完結も悪くない」と思ったりしたからである。この作品は、最近、実写映画で上映されているらしいが、このような物語に感動を覚えることができるような人たちがたくさんいるということは、素敵なことに違いない。

 アニメ・ドラマは、先にとても好きになった『のだめカンタービレ』と、この『君に届け』の2作しかしらないが、このDVDもぜひ手に入れたいと思っている。

 それはともかく、月曜日の夜から火曜日にかけて、多田容子『やみとり屋』(2001年 講談社)を読んだ。作者について本のカバーの裏に「1971年、香川県生まれの尼崎市育ち、京都大学経済学部在学中から時代小説を書き始め、・・・2000年3月には『柳影』を刊行、若き剣豪小説作家の誕生と注目される」とあり、武術、それもとりわけ柳生新陰流に詳しく、2009年には『新陰流 サムライ仕事術』(マガジンハウス)という異色の実用書を出されているようである。

 そういう作者の著作傾向からすれば、『やみとり屋』は作者の作品群の中でも異色の作品だろう。愚将軍としても名高い五代将軍徳川綱吉の時代の「生類憐れみの令」が施行された時代に、向島の森でひそかに鳥料理を食べさせる「やみとり屋」を営む潮春之介と吉本万七郎という二人の男を中心に、その店に集う様々な人々の姿を描いたもので、巻末にわざわざ吉本の芸人であるダウンタウンのトークや作品を参考にしたと断られているように、時代小説では珍しく会話、それも大阪弁の会話が中心となり、しかも、主人公の一人称の形式で物語が進められている。

 主人公の「俺」である潮春之助は、複雑な出生で、上方の醤油商の潮屋で育てられ、成長し、百両の金を盗んで家を出て江戸に出てきて、「言部流」という話術を極めた男であり、もうひとりの春之助の相方としての万七郎は、かなりの武術の腕をもつ元侍で、義兄を殺し、敵持ちとして江戸に出てきて春之助と出会い、一緒に「やみとり屋」を始めることになったのである。

 禁令の鳥を食そうとして集まってくるのだから、ここに集まってくるのはいろいろな思惑を抱いている人間たちであり、やがて「やみとり屋」は幕府転覆を企む集まりとして探りを入れられるようになり、そのうち、万七郎を敵とする武士も現れたり、虎の衣を切る目付に出世の道具としてつけ狙われ、これと対決しなければならなくなったり、幕府隠密が登場したりして、てんやわんやの騒動となる。

 そういう騒動を春之介と万七郎の「しゃべり」で切り抜けようとするのである。もちろん、春之助、万七郎のそれぞれの恋も絡んでいる。

 ただ、題材や物語の展開からすれば、あまり意味のない「しゃべり」が先行して、どこかまとまりがないような構成が気にならないことはない。あえて作者がそれを意図しているのかも知れないが、あまりにも盛りだくさんな具蕎麦を煮込みすぎた醤油味で食べさせられているような気がしてしまった。物語そのものは後半に行くに従って引き込まれていく展開をもっているだけに、「しゃべり」ということに重点が置かれ過ぎているような気がするし、「しゃべり」に意味をもたせようとするところに無理があるのかも知れないと思ったりもする。「しゃべり」は「しゃべくり」で、本来、何の意味もないような、他愛もないもので、軽く受け流されることを目的としたものに過ぎない。一つの小説作品として見れば、作者の思い入れが強すぎるような気がするのである。

 もちろん、これだけで作者云々と言えるわけではない。他の作品では違った面もあるだろう。ただ、わたし自身、武術をしないわけではないが、今のわたしにとってはどうも「勝負」を描く剣豪小説というのは触手が動きにくい。この作品の中で描かれる「立ち会い」は本物だとは思っているが。

2010年10月18日月曜日

宮部みゆき『初ものがたり』

 薄雲が秋の陽光を遮っているような、陽がさしかけては曇る日だったが、気温が高からず低からずで、気持ちの良い月曜日となった。風邪は治りかけているのだが、まだ少し咳が残り、テッシュもたくさん使うし、身体的には爽快とは行かない。それでも、まあ、日常は変わりなく流れていく。

 土曜の夜から日曜日の夜にかけて、宮部みゆき『初ものがたり』(1995年 PHP研究所)を絶妙な文章表現に感心しながら読んだ。まず、松下幸之助氏が設立したPHP研究所がこうした文芸書を出版していたことをあまり知らなかったので、出版元を見て、へぇ、と思ったりしたが、ハードカバー二段組み228ページの本の体裁は、持ち運びには便利でよかった。

 本書は、本所深川一帯を縄張りとする五十五歳になる中年の岡っ引き「茂七」のミステリー仕立ての捕物帳もので、取り扱われる事件も、巧妙に仕組まれたアリバイ崩し(「お勢殺し」)や浮浪の子どもたちが毒殺される事件(「白魚の目」)の狂気、武家や商人に「畜生腹」と嫌われた双子にまつわる事件(「鰹千両」)、兄弟殺しにまつわる人間の哀れな嫉妬心(太郎柿次郎柿))、お店の婿となった小心な手代の元の恋人の失踪事件(「凍った月」)、大地主が訪ねてきた妾腹の子を「恥」として監禁する事件など、人間の心情の綾が生み出す悲しさを伝えるもので、ミステリーとしてもなかなか凝ったものがある。

 また、全編に流れる「茂七」の思いやりの心情と彼の手下たちの個性、そして屋台の稲荷寿司屋を出す謎の人物や、後半に登場する「霊感少年」への対応など、連作の繋がりがしっかり構成されている。

 物語の内容も面白いが、それ以上に、個人的に、宮部みゆきらしい優れて豊かな表現が随所にあって、それが本当に気に入っている。

 たとえば、狂気のような残虐性をもつ美貌の大店の娘によって引き起こされた浮浪の子どもたちの毒殺事件を取り扱った「白魚の目」では、「二月の末、江戸の町に春の大雪が降った。冬のあいだ、ことのほか雪の多い年のことだったので、誰もそれほど驚かず、また珍しがりもしなかったが、そこここで咲く梅の花にとっては迷惑なことだった」(47ページ)という書き出しがあり、「春の大雪が梅の花にとっては迷惑なことだ」という表現は普通ではできない表現だと感じ入った。

 そして、「手の甲を空に向けて雪片を受け止め、茂七はひょいと思った。降り始めの雪は、雪の子供なのかもしれねぇ。子供ってのは、どこへ行くにも黙って行くってことがねぇから。やーいとか、わーいとか騒ぎながら降り落ちてくる。そうして、あとからゆっくりと大人の雪が追いついてくるーー」と続いて、その豊かな感性のままに、本所深川に増えてきた浮浪の子どもたちの問題へと続いていく。

 やがて、五人の浮浪の子どもが、小さなお稲荷さんの中で、石見銀山(毒)が仕込まれた稲荷寿司を食べて死ぬ。茂七が駆けつけてきたときに、ひとりの子どもにまだ息があった場面が描かれる。

 「『坊ずがんばれ、今お医者の先生がくるからな』
 抱き支えてそう話しかけてやる。子供はそれが聞こえたのか聞こえないのか、口を開いて何か言おうとする。耳をくっつけると、息を吸ったり吐いたりする音にまぎれて、ほんのかすかな声を聞き取ることができた。
 『・・・ごめんしてね、ごめんしてね』
 そう言っていた。
 おそらく、食い物を盗んでつかまりそうになったり、ここにたむろしているところを大人に叱り飛ばされたりするたびに、この子はそう言ってきたのだろう。向かってくる大人を見るたびに、そう言ってきたのだろう。
 目の奥が熱くなりそうなのをこらえて、茂七は静かにその子をゆすってやった。
 『心配するな、誰も怒りゃしねえ。今先生が診てくださるからな』
 子供の目が閉じた。もうゆすぶっても返事をしてくれなかった。口元に耳をつけてみる。息が絶えていた」(56-57ページ)

 「この子らは、きっと仲よく助けあって暮らしていたのだろう。もしも、先に帰ってきた者が、あるいは力の強い者が、よりたくさんの稲荷寿司を食べるというようなことだったら、食べ損ねた子供は命を拾ったはずだ。だが、彼らはそうではなかった。いくつだったか定かではないが、皿の大きさからしてそうたくさんはなかったであろう稲荷寿司を、仲よくわけあって、みんなで揃って食べたのだ。だから、ひとりも残らなかった」(58-59ページ)

 こういう情景が描き出せる作者に、わたしは深く敬服する。作者の情景描写の豊かさは、まだ他にも多くある。

 「凍る月」の書き出しの部分では、「回向院の茂七は、長火鉢の前に腰を据え、ぼんやりと煙草をふかしながら、屋根の上や窓の外で風が鳴る音を聞いていた。こうしていても、凍るように冷たい外気のなかを、風神が大きな竹箒に乗って飛び来り、葉が落ちきって丸裸になった木立の枝をざあざあと鳴らしたり、道行く人たちの頭の上をかすめて首を縮めさせたりしては、また勢いよく空へと駆け昇っていくのが目に見えるような気がしてくる」(147ページ)というのも、木枯らしが吹き荒れている様を見事に表現したものだと思う。「凍る月」は、その木枯らしのような冷たい損得勘定で生きる人間の姿を描いたものである。

 この物語の事件の推理そのものにも凝ったものがあるのだが、こうした情景の描写や表現に作品の豊かさを感じさせてくれるのが、宮部みゆきの作品ではないかと思う。そして、こういう豊かさがやがて『孤宿の人』という名作につながっていったのだと思う。

2010年10月15日金曜日

千野隆司『札差市三郎の女房』

 午前中覆っていた雲が薄れ、少し陽が差したりするようになってきた。そんなに重い風邪ではないのだが、なかなか治らずに、昨夜買い物に出たときに雲の上を歩いているような頼りない感じがしたり、今朝もあまりすっきりしない気分を感じ続けたりしていた。寝ているわけにもいかず、次第にたまってきている仕事を少しでも片付けようと思って、朝からパソコンの前に座り続けている。

 昨夜、うつらうつらしながらや夜中に目が覚めたときなどに、千野隆司『札差市三郎の女房』(2000年 角川春樹事務所 2004年 時代小説文庫)を、これはなかなかの傑作だと思いながら読んだ。

 百二十俵蔵前取りで無役の小普請組の貧乏御家人の娘として生まれた主人公の綾乃は、借金のために五千石の旗本板東志摩守の側室となるが、ある雪の夜に、残虐な虐待趣味をもつ板東のもとを逃れ、板東家の者から追われ、斬られる。しかし、偶然通りかかった札差の市三郎と手代によって助けられ、市三郎の家に匿われて傷の手当てを受けるところから物語が始まる。

 綾乃の父は貧しくても清廉潔白な武士で、中西一刀流の剣士でもあり、娘に剣の手ほどきを教えたりしていたが、亡くなってしまい、母も、借金までして看病したがいけなくなり、家を継いだ弟も、ある旗本の息子との喧嘩で惨殺され、家は取り潰されて、綾乃は天涯孤独の身であった。

 札差の市三郎によって助けられた綾乃は、行く当てもなく、彼の好意でしばらく市三郎の家で暮らすことにする。だが、粘着質でしつこい板東志摩守は、どこまでも綾乃を追いかけ、ついに彼女が札差の家にいることに気づいてしまう。そこから、大身で権力を持つ旗本と市井の金融業者である札差の市三郎との闘いが始まる。

 綾乃は自分自身の境遇が札差からの借金によるものであることから、札差という仕事になじめないが、次第にきちんとした商いをする市三郎の姿を知っていくようになる。市三郎もまた綾乃に亡くなった妻の面影を見いだしていく。市三郎は、貧しい少女を影ながら助けたりする心優しい男で、商売においては毅然と筋を通していく誠実な男である。だが、板東家の執拗な嫌がらせが始まり、板東家がしくんだ強盗によって市三郎の家の者が手傷を負ったりして、次第に市三郎は窮地に追いやられていく。そのため綾乃は市三郎の家を出るが、板東の嫌がらせは続いていく。それを知った綾乃は、その板東と闘うために再び札差の家に戻り、二人で不屈の闘いをするのである。こうして、綾乃は市三郎の女房となるのである。

 寛政の改革によって出された「棄損令」によって多大な被害を被っていった江戸の金融業である札差と貧乏御家人として生きなければならなかった下級武士の姿が交差し、権勢を笠に着る人間やそれになびく人間、策略に走る人間、そして、非力ながらもそれに立ち向かう人間、傲慢で弱い者や小さな者を虐げる人間と心優しい人間、武士と町人、そうした姿がひとりひとりの生きた人物像として託されて描き出されているので、小さな、たとえば飲んだくれの父親を持ち脚気の祖母の面倒を見ながら小銭稼ぎをしなければならない十歳の少女「おさき」の姿など涙を誘う。

 そして、闘いの渦中にあるとはいえ、ただ自分の道を誠実に歩み続けようとする市三郎の周囲は、いつも平穏な空気が漂っている。彼は、信頼し、落ち着いて、穏やかなのである。そういう姿がにじみ出るように描かれるので、おそらく作者の理想的な人間像のひとつではあろうが無理がない。

 札差の姿を描いた作品は多くあるし、傲慢で強欲は人間との闘いを描いた作品も山のようにあるが、ひとりの女性、それも狭間で揺れる女性の姿をとおして金融業である札差を見、人間としての闘いを見た時代小説の作品の完成度から言えば、完成度の高い作品であることは間違いない。

 この作者の作品を読むのはこれが初めてだが、なかなかの作品だと思い、文庫本のカバーを見たら、現役の中学校の教員をしながら作品を書かれ、1990年の第12回小説推理新人賞を『夜の道行』で受賞し、第二の藤沢周平と賞賛されたそうで、なるほど、と思った。作品数が少ないが、少し探して読んでみようと思っている。

2010年10月14日木曜日

山本一力『あかね空』

 どんよりとした曇り空が垂れ込めている。月曜日に引いた風邪が本格化し、2日ばかり伏せていた。伏せていたといっても、仕事もあるし、会議もあるので養生というのではなく、気怠さを覚える身体で過ごしていたというだけではある。

 山本一力の『だいこん』を読んだあたりで、この作家の2002年度直木賞受賞作である『あかね空』(2001年 文藝春秋社)をじっくり読んでみようと思って読み始めたら、以前に読んでいたことを思い出し、再読の形になった。

 『あかね空』は、貧農の家で生まれ、「穀潰し」として京都の豆腐屋に奉公に出された「永吉」という男が、給金を貯めて江戸に出てきて、深川で豆腐屋をはじめて苦労を重ね、それが軌道に乗っていくまでの親子二代にわたる豆腐屋の成功物語である。しかし、ここには夫婦の問題、父と子、母と娘などの親子の問題、兄弟の問題、周囲の温かい助けが起こってくる状況などが、それぞれの人間の姿で描き出されるので、単なる成功物語ではない。

 「永吉」が作る京風の豆腐は、江戸では受け入れられない。しかし、永吉は心をこめて自分の豆腐を作り続ける。そういう永吉に、やがて彼の妻となる同じ長屋の「おふみ」が手助けをし、本来は商売敵である豆腐のぼて振り(行商)や、同じ豆腐屋をしている老夫妻が影から手助けをし、永代寺に豆腐を収める道が開かれていく。豆腐屋の老夫妻は、若いころに4歳のになる自分の子どもを誘拐され、永吉に我が子の姿を見る思いがしていたのである。その誘拐された子どもも、成長して地回りの親分となり、後で重要な役割を果たしていく筋書きが組まれている。

 だが、彼のことを妬み、彼の店を潰そうとする人間も出てくる。同業の平田屋庄六という豆腐屋があの手この手を使って永吉が営む「京や」を潰そうとし、乗っ取りを企む。
 やがて永吉とおふみとの間に子どもが生まれるが、ふとしたことでその子を傷つけやけどを負わせてしまう。母親のおふみは必死になって看病し、その子栄太郎を大事にすることを願かけて誓う。だが、店も忙しいし、次の子が生まれ、栄太郎にかまってやれなくなった時に、彼女の父親が事故で死んでしまう。その次の娘が生まれた時には彼女の母親が大八車に轢かれて死んでしまうという不幸に見舞われ、彼女は、三人の子どものうち栄太郎一人だけを特別に可愛がる意固地な母親になっていく。

 父親の永吉は、そんな女房を見て、反対に次男と娘を可愛がる。こうして家族がばらばらになっていく。やがて成長した栄太郎は、永吉の「京や」の乗っ取りを企む平田屋庄六の企みで、女と博奕で身を持ち崩していき、「京や」を守る次男と娘との間で確執が耐えなくなる。

 やがて永吉も呆気なく死に、おふみも死ぬ。そのおふみの葬儀のことでも、兄弟妹がもめ、わだかまりができる。そして、葬儀が終わった夜に、「京や」の乗っ取りを企む平田屋庄六が、むかし栄太郎がした借金の証文を手に乗り込んでくる。だが、そこで地回りの親分となっているかつての老夫婦の子どもが、見事に平田屋庄六の上をいく方法で、この一家を助けていくのである。

 地回りの親分となっている傳蔵が最後に言う。「うちらを相手に、銭やら知恵やら力比べをするのは、よした方がいいぜ。堅気衆がおれたちに勝てるたったひとつの道は、身内が固まることよ。崩れるときは、かならず内側から崩れるもんだ。身内のなかが脆けりゃあ、ひとたまりもないぜ」(363ぺーじ)

 こうして一件が落着して、「京や」を継いだ次男の悟郎と彼の妻の「すみ」が八幡宮にお参りしたとき、「八幡様にお参りしたとき、同じことをお願いできる夫婦でいような」と語りかける場面で、物語の幕が閉じられる。

 話の中で、これは成功物語であるから、できすぎと思われるところが多々あるが、人の機敏に触れていく展開がなされて、そういう意味では、こういう「助け」が起こると本当にいいだろうな、と思わせるものになっている。もちろん、現実には、こういう「助け」はほとんど起こらない。

 考えてみるまでもなく、山本一力という作家の作品には、『だいこん』を初めてとしてのこういう成功物語を骨子に据えた物語の展開が多いような気がする。もちろん、それらはただの成功物語ではないが、小説が夢やロマンを表すものでもあるとすれば、こういう一代記のようなものも悪くはない。それが小料理屋であったり豆腐屋であったりするというのもいい。人はそれぞれの場所でそれぞれの仕方で自分の居場所を作らなければならないのだから。

 今日も少し微熱が続いているような気がする。このところ毎年風邪に悩まされるようになってしまった。体力、気力共に衰え始めているのだろう。ただ、微熱のままで一日を過ごすというのも、不快ではあるが悪いことではない。

 このブログを立ち上げてから一年の歳月が過ぎたことに、ふと気づいた。

2010年10月11日月曜日

松井今朝子『家、家にあらず』

 日中は汗ばむくらいの好天に恵まれた秋の一日となった。朝、おそらく近くの学校か幼稚園の運動会の開始を知らせるのだろう花火の音が響いた。土曜日が雨だったので、今日に順延されたのだろうと思う。すべての窓を開け放ち、寝具を干して、掃除をし、ついでに外壁の補修工事で汚れてしまっていた車を洗ったりした。昨日から少しのどの痛みを感じて、その汗でどうやら本格的になったような気もするが、気持ちの良い日だった。

 土曜日の夜から読み始めた松井今朝子『家、家にあらず』(2005年 集英社)を今日の午後、読み終えた。扉に、世阿弥が記した能の演劇論とも言うべき『風姿花伝』の「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす」の言葉が記され、書名がそこから取られていることがわかるし、本文中、とくに物語の佳境に入るところで、物語の展開に沿った形で、能で描かれる物語が字体を変えて挿入され、しかもそれが物語の秘密を解く鍵ともなっている。もちろん、それが能で描かれる物語だろうというのは、能についての知識のないわたしの推測で、作者の創作ではあるだろう。

 物語は、主人公である同心の娘がある大名家の奥勤めの奉公にあがるところから始まる。母が亡くなり、叔母様といわれる人の口利きで、叔母様が勤める大名家に奉公にあがるのである。彼女の叔母様は、その大名家の奥御用の一切を取り仕切る奥御殿御年寄(総責任者)であるが、彼女は「三之間」と呼ばれる下級女中として勤め始めるのである。女ばかりの世界での互いの確執や妬みが渦巻く。

 そうしているうちに、大名家の下屋敷の女中と芝居役者との心中事件が起こったり、殿様の側女(妾)の自死事件が起こったり、奥御殿でお茶を教える女中が殺されるという事件が起こる。先代藩主の側女同士の確執や現藩主の生母の欲、そうしたことが藩主の跡目争いとの関連で起こっていくのである。主人公はそうした騒動の中でもまれ、成長していく。彼女の叔母様は、総責任者としてすべての事件の裏に藩主の生母の欲があることを見抜いて、これと対決していくが、彼女自身にも隠された秘密があった。

 それは、若いころに藩主の生母らと同じように役者遊びをして子をなしていたことである。そのことが暴かれ、藩主跡目争いの密命を帯びた信頼していた部下に殺されるのである。そして、実は、その奥御殿御年寄が役者との間にできた子どもが、同心の子どもとして育てられた主人公だったのである。

 こういう物語の展開によって、「女、三界に家なし」と言われ、育った家は嫁ぐことで自分の家ではなくなり、嫁いだとしても夫に仕え、舅姑にいびられ、老いては子に従うようにして生きていかなければならない女の幸せとはいったいどこにあるのかという重い問いかけが全体を貫いている。もちろん、それはことさら女ばかりではないだろう。男も三界に家(自分の居場所)がないのであり、人の幸せとはどこにあるのかということでもあるだろう。

 すべての事件が片づき、お家騒動も一段落した後で、主人公が宿下がりで父の元に帰った場面が最後に挿入されている。そこで父親(育ての親であることを知っている)から自分の出生のことや育ててくれた母のことを聞き、奥御殿で御年寄として出世してお家騒動で筋を通して死んだ生みの母のことを思いながら、育ててくれた母は幸せな人だったかも知れないと、主人公は思い返す。

 「死んだ母のように文字通り良人に出会えれば、それが一番幸せな一生なのかもしれなかった」(323ページ)
 「(父は)母の顔色がいいのを見て、陽の当たる場所へ出るよう誘った。縁側から母を地面にそっとおろし、肩を貸して庭の真ん中あたりまで歩かせて、ふたりはそこでしばらく静かに佇んでいた.・・・・・寝まき姿の小柄な母が、背の高い父に安心してもたれかかっていた様子がいまも目に浮かぶ。
母は父がいうように不憫なひとではけっしてない。むしろ母ほど幸せな人はいなかった。色とりどりの秋草が咲き乱れ、血のつながらない親子姉弟がひとつになって暮らしたこの家は、まぎれもなく母が作り上げた家だったのだ」(325ページ)

 奥御殿の女の確執やお家騒動のごたごたの最後に描き出されるこの静かな光景が、それまでの騒動が人をなきものにしたり、蹴落としたりする騒動だっただけに、よけいに、人の幸せとは何かを浮かび上がらせる。家(自分の居場所)は自分で作っていくものに他ならない。どういう居場所を作るのかはその人の責任である。そして、争いの中で作り上げていくものが、あまりに淋しすぎるものであることは間違いない。家は慈しみによってしか確かなものとはならないのである。しかし、そのことの哲学的なことはここでは触れないでおこう。これは哲学書ではなく、面白い小説なのだから。

 この作品には作者が得意とする役者の世界も、もちろん登場するし、役者が重要な役割も果たしていくが、やはり何といっても「人の幸せはどこにあるのか」ということをひとりの若い主人公の姿をとおして真正面から取り上げた意欲的な作品だろうと思う。

 なんだか日暮れがずいぶんと早くなったような気がする。こうして秋が深まっていくのだろう。「人、三界に家なし」だが、今夜は静かに眠りたい。

2010年10月8日金曜日

半村良『獄門首』

 よく晴れた爽やかな秋空が広がり、彼岸花の鮮やかな赤が目に映る。こういう秋空の日は、怠惰の虫が騒いで、何もかにも放り出してどこかに出かけたくなる。9月から始まった外壁の補修工事も今日で終わるとのことで、櫓に覆われた生活も終わって、窓からの視界が広がるのは何とも嬉しいことである。

 昨夜、半村良『獄門首』(2002年 光文社)を読んだ。これは1995年12月から1997年3月まで『小説宝石』(光文社)に掲載された作品を2002年3月に半村良が亡くなった後の9月に未完のままにまとめて出されたもので、いわば半村良の遺作とも言える作品であり、巻末に、これも先日亡くなった清水義範の「解説」が掲載されている。清水義範の企業小説というか組織悪を描いた小説は何冊か以前に面白く読んだことがある。

 わたしが半村良の時代小説を読むのは、これで二冊目に過ぎないが、その解説の中で、「『小説の話であって、文学の話じゃないぞ。文学なんてもんには関わる気はねえからな』半村さんはよくそんなことを言った」(371ページ)という半村良との交流の一こまが記されていて、半村良の気骨のようなものが感じられ、なんとなく嬉しくなった。

 『獄門首』は、八代将軍吉宗の時代に、街道筋で盗みを働く、いわゆる道中師の夫婦に生まれた余助という子どもが、幼い頃から両親の強盗殺人の手助けをするように育てられ、その両親が名古屋で起こった強盗殺人者の上前をはねるようなことをして殺され、孤児となり、寺で育てられるが坊主にはならずに、町道場で棒術の鍛錬をし、師範代も打ち負かすようになるが、やがてその町道場からも出て、幕府に恨みを抱く旧北条一氏の生き残りである小机衆の仲間となって、幕府転覆を企む強盗集団の指導的役割を果たしていくようになる物語である。

 物語は、吉宗が幕府の資金として秘蔵していた金銀を徳太郎と名を変えた余助が見事に盗み出し、火盗改めとして進喜太郎が登場して来るところで中断されている。火盗改めは、厚生施設としての寄せ場などを作った長谷川平蔵が池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』で有名だが、進喜太郎も実在の人物で、詳細はよく知らないが、彼が火盗改めの長官になったのは享保10年(1725年)で、時の南町奉行は大岡忠相である。もちろん、この小説でも大岡忠相が登場する。

 余助は、生まれながらに両親の盗みの手伝いを見事に果たす利発な子で、手先も器用であり、人々の受けも良く、どこにいっても、何をしても成功していくが、心底には恐ろしいほどのニヒリズムを内包している。まだ四歳(現代で言えば三歳前だろう)に過ぎないのに、両親の強盗殺人を平然と受け止めていく姿を描いた第一章の終わりに、「そういう育ち方をしたからには、末は親同然の盗っ人で、もしかすると大盗賊の名をうたわれる者になるかも知れないのだ。しかし、盗賊になって名をあげても、末は三尺高い木の上で錆び槍に貫かれ、獄門首を世間の目に曝すことにもなりかねない」(34ページ)とある。

 本書は、その余助が「獄門首」に向かって生きていく姿を描いたものだろうし、『獄門首』という書名からもそういう結末を想像させるものがある。しかし、わたしは個人的に、ニヒリズムを内包する余助が、幕府への恨みをもつ旧北条氏の流れをもつ小机衆をうまく使いながら極悪非道ぶりを発揮していくが、進喜太郎との知恵勝負にも勝って、うまく縛吏の手を逃れる姿を想像する。彼が、縛吏の手は逃れるが、獄門首にかけられるのと同じような無情を感じて朽ち果てるといった結末を思い浮かべる。

 余助は、状況によって自分の名前を変え、器用に役割を果たしていく。幼い頃は「余計者」の余助と盗み働きをして生きている両親に命名されるが、孤児となった寺では利発で手先の器用な正念、棒術の道場では傲慢な師範代を打ち負かす腕前の利八、そして小机衆の営む隠れ娼家では女主人に性戯を仕込まれ、女主人を負かすほどの性戯の達人ともいうべき巳之助、江戸の盗っ人仲間では徳太郎である。彼は何にでもなれる才能を持ち、どこでも生きていけるが、何にでもなれるということは、何者でもないということでもある。彼が内包するニヒリズムと同様、彼は自分というもののない人間である。だから、獄門首という名を残す人間よりも、何者でもない無の人間として朽ち果てるのがふさわしいような気がするのである。

 物語は変化の状況が一変していくにつれ、余助の名前が変わり、それぞれの状況で山場が作られて展開の妙が見事に感じられるようになっている。さあこれから、で終わる未完ではあるが、十分に読み応えがある。通常にいわれるような善人というものが、孤児となった余助を引き取って育てる寺の坊主以外にだれも出てこないのもいい。人間の「欲」の行き着く果ては、性と金だろうが、それを巧みに操っていく姿は、むしろ小気味よさを感じさせるものとして描き出されている。なるほどこれは「小説」であると思ったりもする。

2010年10月5日火曜日

火坂雅志『骨董屋征次郎手控』

 今日は薄く雲が覆ってはいるが、気持ちの良い秋の好日になった。朝からギリシャ語聖書の『使徒言行録』を読んでいて、そこに描かれる情景を思い浮かべたりしていた。昨夕、中学生のSちゃんが来てくれたので、すこしややこしい数学の図形の問題を一緒に考えながら、学問的な基本姿勢としての「観察」と「分析」について話をしたりした。「観察」し、「分析」し、それを「再統合」することは何にでも当てはまる。問題は「観察眼」を養うところから始まるだろう。

 「観察」と言えば、それは芸術の世界にも当てはまるが、書画骨董の世界はまさに観察眼の世界だろう。わたし自身は書画骨董の世界とは終生無縁であるだろうが、昨夜、火坂雅志『骨董屋征次郞手控』(2001年 実業之日本社)を面白く読んだ。

 火坂雅志という作家は、1956年生まれの現役の作家で、昨年(2009年)、上杉家の名将と言われた直江兼続を描いたNHKのテレビドラマで人気を博した『天地人』の原作者でもある。テレビドラマの方は、オープニングも映像もすばらしくきれいで、俳優も名演だったが、脚本の史実性には少し問題もあり、面白みを増すために現代風にアレンジしたものだった。直江兼続は、上杉家が越後から会津に減封されたり、子どもが次々と亡くなったりして、晩年は少し寂しかったのだが、卓越した人間であったと思っている。戦国武将はどうも、という気がするが、わたしは好きな人間のひとりである。

 『骨董屋征次郞手控』は、金沢の前田家に御買物役(主に藩主の衣服や、調度品、茶器、書画骨董などを売り買いし、管理する役目)を勤めていた父親が、宋代の名筆家として知られる圓悟克勤(えんごこくぐん)の掛け軸の贋作を巧妙な手口でつかまされて、責任を取って自死し、家が取り潰され、幕末の時代の嵐が吹く京都で「遊壺堂」という骨董屋を開いている征次郎の活躍を描いたものである。

 10編からなる連作集だが、いくつかのミステリー仕立てのような仕掛けが施されて、最後の山場を迎えるように組まれているので、一冊の長編としても読むことができる。

 書画骨董というものは、いずれも人間の欲の手垢にまみれた「いわく」つきのものである。作者自身も「あとがき」で「骨董はたんなるモノデハナク、ヒトとモノのあわいに存在しているのではないか」と書いているが、それが売買される時には、売買する人間の「いわく」が渦巻く。『骨董屋征次郎手控』は、その「いわく」を巡っての物語である。

 ある時、征次郎の遊壺堂に、豊臣秀吉に献上されたこともある茶入れの名器の「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」が持ち込まれる。征次郎はしばらくそれを預かったが、持ち主の女性に返して欲しいと言われてもっていったところを牢人に襲われて奪われてしまう。そして、「楢柴肩衝」は京の骨董品売買の闇市に売りに出されるのである。征次郎は、その闇市のメンバーでもある。

 征次郎は、それがなぜ闇市に出たのかを探るうちに、自分を襲った牢人がそれを持ち込んだ女性の愛人であり、牢人はそれを古寺から盗んだが、池田屋騒動に会い、臆病風に吹かれて捨て鉢になっていたことがわかってくる。そして、「楢柴肩衝」は地回りの博徒に渡っていることを知った征次郎は、博徒と掛け合ってそれを取り戻す。それが最初の「楢柴」である。

 第二編「流れ圓悟」は、紀州の白浜に買い出しにでた征次郎が、偶然、父親に贋作をつかませて死に至らせた猪熊玉堂という男を見つけ、猪熊玉堂が白浜でも同じように贋作によって一儲け企んでいたことを阻止するという話で、この猪熊玉堂とは以後も因縁の対決となっていく。

 第三編「女肌」は、征次郎が先斗町の売れっ子芸者「小染」と知り合う話で、「小染」は、実は江戸で父親が「影青」と呼ばれる宋代の青白磁の瓜形水注(みずさし)の贋作を作って落ちぶれてしまったことから、京都の骨董屋にある父が作った贋作を盗んでいたのである。贋作とはいえ、なかなかの品物で、小染の父が精魂を傾けて作ったものだからと、小染の盗みを不問にしていく。こうして、小染は征次郎に惚れ、二人はいい仲になっていくのである。

 第四編「海揚がり」は、征次郎が骨董屋として長い間夢見ていた海からの古船の引き上げに着手して、見事に失敗する話で、征次郎はそのために大きな借金を作ることになる。ここには、骨董で見を持ち崩してしまった人間の姿も描かれ、金欲ではないが美欲に取り憑かれていく骨董の世界の恐ろしさも描かれている。骨董がそうした「欲」の狭間にあることが物語として見事に描かれている。

 第五編「屏風からくり」は、征次郎の幼友達の堀平内が金沢藩の御買物役として京都に来たのに偶然会い、彼の依頼で、岩佐又兵衛が描いた「豊国祭礼図屏風」の出物を調べていくうちに、征次郎の宿敵とも言うべき猪熊玉堂が同じように贋作による詐欺を企んでいることがわかり買い入れを阻止し、猪熊玉堂と対決しようとする。しかし、猪熊玉堂に金で雇われた新撰組の隊士が出てきて、これと争ううちに、習い覚えていた柔術で新撰組の隊士を殺してしまう。新撰組に追われる身となった征次郎は、京都の店をたたんで、かつての骨董屋で骨董の学びを共にした友人のいる長崎へ行くことになるのである。

 第六編「胡弓の女」は、その長崎で「らしゃめん」と呼ばれる西洋人の囲い妻である「お絹」という女から大量の古九谷の大皿の買い入れを依頼される。それは、陶工だったお絹の昔の恋人が古九谷の魅力に取り憑かれて各地から盗み集めた物だった。人生に疲れたお絹はその恋人の古九谷を売り払って自分の人生を終わりにしたいと思っていたのである。征次郎はお絹の自害を止めるが、ここから物語は一気に古九谷を巡っての話となる。

 古九谷は、江戸初期のころに僅かな間だけ作成されたもので、以前、金沢に行った時に皿を何枚も見たが、有田(伊万里)の「赤」と古九谷の「青緑」ぐらいしか知らない素人のわたしには古九谷と今の九谷焼との区別はなかなかつかなかった。どちらかと言えば、磁器よりも陶器のほうが好きだ。

 第七編「彦馬の写真」は、その古九谷を巡っての話のはじめで、長崎で偶然に幼友達の坪平内と会い、骨董の望遠鏡のレンズのことで知り合った上野彦馬(この人は、長崎で日本最初の写真館を作った人で、坂本龍馬や高杉晋作らの写真を撮った人として著名である)のところで一緒に写真を撮ったりするが、坪平内は薩摩藩士と交流を持ち不可思議な行動をとっており、やがて何ものかに斬り殺される。その坪平内の役宅から新しい古九谷の皿が出てきたのである。平内の死がこれと関係あるのではないかと察した征次郎は、平内の願いである彼の写真をもって金沢へと向かうのである。

 この中で、坪平内と薩摩藩士が交わす会話の中に「のくち」という言葉が出てくる。この言葉の意味は後に明らかにされるように仕掛けられているのである。

 第八編「翡翠峡」は、金沢で坪平内の妻とあった征次郎が、偶然にも叔父の岩下瀬兵衛と出会い、叔父の元で寄宿して坪平内の死の真相を探ろうとする話で、金沢藩士の次男として生まれた叔父が貧乏しながらも自由気ままに生き、金沢の山奥で釣りに行った時に翡翠を発見し、翡翠の見事な細工物をこしらえているが、翡翠の細工師として生きるのではなく、貧しくとも気ままな武士としての生き方をしている姿が描かれている。道楽は道楽だから面白い、と言い切る叔父には愛する者もいるが、なかなか踏ん切れないでいる。しかし、そういう叔父が征次郎の働きで、武士を止めて愛する者と暮らす道を選んでいくのである。

 第九編「黒壁山」は、征次郎が新しい古九谷の秘密を探ろうと坪平内の妻を再度訪ねたところ、妻が何者かに殺されていた現場に行き会わせるところから始まる。現場にいた征次郎は、自分が疑われることを恐れ、捕縛の手を逃れるが、そこで彼を捕縛の手から助けたのは、彼の宿敵とも言うべき猪熊玉堂であった。玉堂は、実は、幕府のスパイであったのである。その玉堂から秘密は「黒壁山の奥の院」にあると聞かされ、征次郎は秘境ともいうべき黒壁山に向かう。

 その黒壁山で、金沢藩が勤王倒幕の軍資金を作るために、薩摩藩と結託して密貿易のための古九谷を新しく密かに製造していたことがわかる。金沢藩と薩摩藩は、実は昔から薩摩の貿易する薬の売買で繋がりがあり、金沢藩は、若い勤王派の藩主がお家騒動の末に藩主の後を継いで、一気に藩全体が勤王倒幕に傾いた藩であった。長州などでは藩主はお飾りのようなものであったが、勤王派と佐幕派による藩政の争奪合戦は、幕末期ではどこの藩でも起こったことである。

 しかし、古九谷の密造の手段はひどく、秘密を守るために金沢藩は関係した絵師や陶工の皆殺しを計画していたのである。もちろん、この部分は作者の創作であるが、征次郎はその秘密を知り、捕縛されて山牢に閉じ込められる。ここで前に出た「のくち」が九谷焼を示す文字をばらした隠語であったことが明らかにされたりする。こういうのは心憎い演出である。

 第十編「隠れ窯」は、山牢に閉じ込められた征次郎が、叔父の機転で助け出され、友人の平内夫妻が金沢藩の政争で殺されたことなどもあって、九谷焼の密造に関係した絵師や陶工が皆殺しにされることを知って、叔父と協力して彼らを助け出す活劇で、猪熊玉堂のことも含めて、事件の真相がすべて明らかになるのである。

 それからしばらくして大政奉還が起こり、世の中がひっくり返る。もはや新撰組を恐れる必要もない征次郎は京都に戻り、金を工面して、以前のように「遊壺堂」を再会し、政治がどうなろうと世の中がどうなろうと、自分の生き方としての骨董屋を始めていき、小染との結婚なども迷いながら過ごしていくのである。

 以上がここで描かれる物語の概略だが、なかなか味のある作品で、これには続編も出されているから、そちらも読んでみようと思っている。ただ、語り口調が現代口調であるのは少し気になるのだが、文章はよく推敲されていて、うまいなぁ、と思う表現も多々ある。