冬型の気圧配置で晴れた寒空が広がっている。今年は例年しなければならない仕事を一週間延ばして、Sさんと会うこと以外は、のんべんだらりとお正月を過ごそうと思い、その通りの日暮らし生活をした。Sさんと会えたことは生涯の喜びで、あとはお雑煮と黒豆を食べ過ぎて体重が3キロも増えてしまった。
そういう中で、西條奈加『烏金』(2007年 光文社)をかなり面白く読んだ。作者については何も知らず、巻末の著者紹介では1964年北海道生まれとあり、それ以外の詳細はわからないし、この本の装幀も、表紙絵の安っぽさもあって、どうかな、と思っていたのだが、内容は豊かだった。
物語は、因業な金貸しの婆である「お吟」のところに、なんらかの思惑をもって「浅吉」という若者が近づき、うまく取り入って転がり込み、日銭を貸すということで「烏金」と呼ばれる金貸しをしながら、借金でどうにもならない旗本御家人や町屋の人々、頼るものが何もなく集団で盗みを働きながら暮らしていた子どもたちなどを、才覚を働かせながら助けていくというものである。その才覚は頭抜けていて面白い。金を稼いで、困窮にあえぐ人を助けるということの壺がきちんと押さえられているのも作品の面白さになっている。
「浅吉」は、「お吟」から金を借りて返せなくなっている八百屋には、安くて新鮮な野菜の仕入れ先と売り先を見つけてやり、借金のために身売りしそうになった娘には、糠漬けが上手なところから、その八百屋で糠漬けを売る道を見つけてやったり、札差しからも借財の多かった旗本には、借金の整理と手内職を考案したり、集団で盗みを働いていた子どもたちには、稲荷寿司の販売という商売の道をつけてやったり、とにかく、いまで言えば、善良で優れたコンサルタントのようなことをして、すべての人の暮らしが成り立つようにしていくのである。
彼は「お吟」の下で金貸しをするのだが、奪うことより与えることで金が廻っていく仕組みを考えていくのである。その彼には可愛がっているカラスの勘三郎がついている。カラスの勘三郎は雛の時に獣に襲われ傷ついていたところを助けられ、その恩を忘れずに彼について来て、浅吉が危機の時には助けに来たりしてくれる。受けた恩を命がけできちんと帰す烏の勘三郎と「浅吉」は、人間の善性の二重性でもあるだろう。
浅吉は甲府の小さな村の庄屋の長男であったが、母親が死んだ後、父親に疎まれていたこともあり、幼馴染みで思いを寄せていた娘が借金のために売られてこともあって、ぐれてヤクザな世界に足を踏み入れていたところ、弟の懇願でヤクザから足を洗い、飢饉に陥っていた村の窮乏を救うために江戸に出てきたのである。その際、豪放磊落な算学師と出会い、算学を学びながら、その師の弟子となり、金貸しである「お吟」のところから村の窮乏を救う資金を調達しようとしていたのである。
人当たりが良く、人情家で頭脳も明晰であるが、ときおり、理不尽なことに対しては元ヤクザの暴れぶりも顔を出す。そういう浅吉であるが、吉原に売られていた幼馴染みの娘が足袋屋に身請けされることになったりして自棄になる中で、彼が生活を立て直してやろうとしていた子どもたちが、幼い子どもにいたずらをしようとした酔漢を痛めつけたために役人に捕らえられたりして、彼は命がけでその子どもを守り、彼も捕らえられてしまうのである。
こうした展開の中で、実は「お吟」が彼の祖母であり、若い頃に父親を生んだ後で商人と出奔し、父親がその母親である「お吟」を恨んでいたことが明らかにされたり、彼が「お吟」のところから金を取ろうとしたのが、村の窮乏対策としての葡萄の苗の買いつけのためだったりすることが明らかにされていく。そして、彼によって子どもたちは守られ、彼は江戸四方所払いを受けるが、それによって村に帰ることになるのである。
江戸時代の算学や烏金という日銭借りで暮らしを立てていた人々、商売の成り立ちなどがしっかり踏まえられているし、カラスの習性も盛り込まれ、平易な文体で、才覚を働かせて命がけで人々を守ろうとする人物が描かれており、ふと、北原亞以子や宇江佐真理、あるいは築山桂といった市井の中でたくましく生きている人々を描くわたしが好む作家を連想させる視点と作風を思い起こさせる作品だった。
主人公を初めとする登場人物たちの真っ直ぐな気持ちが、何よりもいい。
装幀でずいぶん損をしているような本だが、物語は面白い。この作者の作品は、これからまた読みたいと思っている。
2011年12月31日土曜日
安部龍太郎『薩摩燃ゆ』
今日も寒い。大晦日になっても格別普段と変わることがないのだが、世相とかけ離れた脳天気ぶりを発揮する新聞やテレビを横に見ながら、衰えていく体力の中で静かに行く末を考えたりした。想念や思想をじっと抱いたまま片田舎に逼塞することを考え続けているのだが、ふと、アメリカの作家のローラ・インガルス・ワイルダーが『大草原の小さな家』を書いたのが65歳であったことを思い出し、そろそろ壮大で哲学的なファンタジーを書き始めようかと思ったりする。
そんなことを思いながら、安部龍太郎『薩摩燃ゆ』(2004年 小学館)を大変面白く読んだ。作者は、巻末の著者紹介で改めて気づいたのだが、1955年福岡の八女出身で、同窓でもあるので、たぶん、まだ青少年の頃にどこかで直接会ったことがあるかもしれない。しかし、その頃は個人的に思想の季節の中で閉じこもっていたし、化学に没頭していたために、ほとんど何も知らなかった。今回、この作品を読んで、これだけの力量のある作家であることに改めて驚いた次第である。
『薩摩燃ゆ』は、幕末のころに500万両もの借金を抱え、破綻寸前であえいでいた薩摩藩を立て直し、維新の雄藩にまで育て上げた調所笑左衛門廣郷(ずしょ しょうざえもん ひろさと 1776-1849年)の姿を描いたものである。
調所廣郷は、薩摩藩軽格の出で、二十五代藩主であった島津重豪(しげひで)の茶坊主であったが、隠居してもなお厳然とした力をもっていた重豪に才能を見出されて、信頼を受けて重用され、二十六代藩主となった島津斉興(なりおき)の側用人となり、使番や町奉行を歴任した後、家老格となり、やがて家老となって藩の大改革を推進した人物である。彼がいなければ、維新の時の薩摩藩はなく、西郷隆盛も世に出ることはなかったし、明治維新も起きなかったといわれるほどの人物であった。
膨大な借金を抱えていた薩摩藩の中で、重豪に命じられて財政の立て直しに着手するが、行政改革や農政改革を行うと同時に、借金をしていた大阪商人に無利子の250年払いという途方もない策略で対応し、砂糖の専売制を敷いて商品開発を行うと同時に、琉球を通じての密貿易を行い、それらによって、短い年月で500万両の借金から250万両の蓄えのある藩に一変させたのである。本書では、贋金作りにも着手していたことが記されている。彼が画策した密貿易で薩摩藩の財政は立て直され、維新を推進するほどの力をもったが、彼自身は、おそらくその密貿易の責任を取って自死したと思われる。
調所廣郷はこうして藩の財政改革を成し遂げて、藩の重鎮になっていくが、もちろんこれだけの改革を断行するからには、それだけの無理もあり、砂糖の専売制を敷いて生産性を上げて利を得るために、生産地であった大島や徳之島の島民に過酷な状態をもたらしたり、贋金作りの時に出る水銀中毒を引き起こしたり、また、藩内の統制で一向宗徒を弾圧したりしている。本書では、そのあたりの調所廣郷の苦渋の決断が詳細に述べられている。彼が背負った苦悩をこうした姿で述べることが本書の眼目であろう。彼が藩の改革に着手したのは50歳代になってからである。それも驚嘆に値する。
晩年、調所廣郷は、何度も藩主の斉興に隠居を願い出るが許されず、ついには斉興の子の斉彬(なりあきら)と久光との間の争いの中で、すべての責任を取って毒を飲んで死を迎えなければならなかった。
斉彬は、剛胆で英邁であった祖父の重豪に気に入られた秀才の誉れの高い開明派の人物であったが、父親の斉興はそれが気に入らず、妾腹との間に生まれた久光を世継ぎとしたいと思い、それが斉彬と久光の争いになっていくのである。
一般には、調所廣郷は、斉興・久光派に属して藩主斉興の意向を尊重したといわれ、彼が服毒したのも密貿易などの罪が斉興にまで及ぶのを防ぐために責任を取ったのだと言われ、また斉彬の開明策によって藩の財政が再び窮地に陥ることを案じて、斉興・久光側であったと言われているが、本書では、斉彬の人物を見抜き、久光ではなく斉彬を藩主にするためにとった策がまったく裏目に出てしまい、それらすべてを呑み込んで服毒したという理解で後半の話が進められている。
斉興は、剛胆な父親の陰で気の小さなかんしゃく持ちの人物で、本書では斉興の気に入らないことを調所廣郷がしたために、廣郷の長男と長女が忙殺されたのではないかと記され、そのためにも廣郷が斉興・久光側ではなく、真実は斉彬側であったと語られていくのである。
わたしは個人的に斉彬が極めて優れた人物であったと思っているし、維新の時の藩主が久光だったために維新後の日本の歩みが曲がってしまったのではないかとさえ思えることがあるので、薩摩藩の屋台骨となった調所廣郷についてのこの解釈にうなずくところがある。
ともあれ、本書はその調所廣郷の苦労を克明に語りつつ、「前のめりに死ぬ」という薩摩武士としての覚悟をもった人物として見事に描き出している。「何をしたかではなく、どんな覚悟をもっていたかが問われる」(82ページ)のであり、調所廣郷の覚悟が記されていくのである。
改めて、この覚悟を西郷隆盛が引き継いだのだろうと思う。その意味では、調所廣郷によって薩摩武士のよい姿が作られたような気がしないでもない。薩摩武士の多くは嫌われたが、薩摩が戦国からずっと生きのびてきた秘訣もそこにあるような気がするのである。
薩摩(鹿児島)は、桜島の噴火によるシラス台地で痩せた土地である。だが、明治維新を起こしたほどの財力を自力で作った土地である。自主独立の気風に富み、美しいところであり、先年、鹿児島を訪れたときに、錦江湾を眺めながら、その美しさにしばらく佇んでしまったことがある。調所廣郷が作った甲突川の石橋も見事であるし、斉彬が残した諸施設もその先見性に驚いたことがある。西郷隆盛の城山での最後も人の世の哀しみをたたえる。そして、本書を読みながら、歴史の影に調所あり、と思った。本書は、そんな感慨も呼び起こしてくれる作品だった。2011年の最後に、こういう人物について少し考えることができて良かったと思っている。
そんなことを思いながら、安部龍太郎『薩摩燃ゆ』(2004年 小学館)を大変面白く読んだ。作者は、巻末の著者紹介で改めて気づいたのだが、1955年福岡の八女出身で、同窓でもあるので、たぶん、まだ青少年の頃にどこかで直接会ったことがあるかもしれない。しかし、その頃は個人的に思想の季節の中で閉じこもっていたし、化学に没頭していたために、ほとんど何も知らなかった。今回、この作品を読んで、これだけの力量のある作家であることに改めて驚いた次第である。
『薩摩燃ゆ』は、幕末のころに500万両もの借金を抱え、破綻寸前であえいでいた薩摩藩を立て直し、維新の雄藩にまで育て上げた調所笑左衛門廣郷(ずしょ しょうざえもん ひろさと 1776-1849年)の姿を描いたものである。
調所廣郷は、薩摩藩軽格の出で、二十五代藩主であった島津重豪(しげひで)の茶坊主であったが、隠居してもなお厳然とした力をもっていた重豪に才能を見出されて、信頼を受けて重用され、二十六代藩主となった島津斉興(なりおき)の側用人となり、使番や町奉行を歴任した後、家老格となり、やがて家老となって藩の大改革を推進した人物である。彼がいなければ、維新の時の薩摩藩はなく、西郷隆盛も世に出ることはなかったし、明治維新も起きなかったといわれるほどの人物であった。
膨大な借金を抱えていた薩摩藩の中で、重豪に命じられて財政の立て直しに着手するが、行政改革や農政改革を行うと同時に、借金をしていた大阪商人に無利子の250年払いという途方もない策略で対応し、砂糖の専売制を敷いて商品開発を行うと同時に、琉球を通じての密貿易を行い、それらによって、短い年月で500万両の借金から250万両の蓄えのある藩に一変させたのである。本書では、贋金作りにも着手していたことが記されている。彼が画策した密貿易で薩摩藩の財政は立て直され、維新を推進するほどの力をもったが、彼自身は、おそらくその密貿易の責任を取って自死したと思われる。
調所廣郷はこうして藩の財政改革を成し遂げて、藩の重鎮になっていくが、もちろんこれだけの改革を断行するからには、それだけの無理もあり、砂糖の専売制を敷いて生産性を上げて利を得るために、生産地であった大島や徳之島の島民に過酷な状態をもたらしたり、贋金作りの時に出る水銀中毒を引き起こしたり、また、藩内の統制で一向宗徒を弾圧したりしている。本書では、そのあたりの調所廣郷の苦渋の決断が詳細に述べられている。彼が背負った苦悩をこうした姿で述べることが本書の眼目であろう。彼が藩の改革に着手したのは50歳代になってからである。それも驚嘆に値する。
晩年、調所廣郷は、何度も藩主の斉興に隠居を願い出るが許されず、ついには斉興の子の斉彬(なりあきら)と久光との間の争いの中で、すべての責任を取って毒を飲んで死を迎えなければならなかった。
斉彬は、剛胆で英邁であった祖父の重豪に気に入られた秀才の誉れの高い開明派の人物であったが、父親の斉興はそれが気に入らず、妾腹との間に生まれた久光を世継ぎとしたいと思い、それが斉彬と久光の争いになっていくのである。
一般には、調所廣郷は、斉興・久光派に属して藩主斉興の意向を尊重したといわれ、彼が服毒したのも密貿易などの罪が斉興にまで及ぶのを防ぐために責任を取ったのだと言われ、また斉彬の開明策によって藩の財政が再び窮地に陥ることを案じて、斉興・久光側であったと言われているが、本書では、斉彬の人物を見抜き、久光ではなく斉彬を藩主にするためにとった策がまったく裏目に出てしまい、それらすべてを呑み込んで服毒したという理解で後半の話が進められている。
斉興は、剛胆な父親の陰で気の小さなかんしゃく持ちの人物で、本書では斉興の気に入らないことを調所廣郷がしたために、廣郷の長男と長女が忙殺されたのではないかと記され、そのためにも廣郷が斉興・久光側ではなく、真実は斉彬側であったと語られていくのである。
わたしは個人的に斉彬が極めて優れた人物であったと思っているし、維新の時の藩主が久光だったために維新後の日本の歩みが曲がってしまったのではないかとさえ思えることがあるので、薩摩藩の屋台骨となった調所廣郷についてのこの解釈にうなずくところがある。
ともあれ、本書はその調所廣郷の苦労を克明に語りつつ、「前のめりに死ぬ」という薩摩武士としての覚悟をもった人物として見事に描き出している。「何をしたかではなく、どんな覚悟をもっていたかが問われる」(82ページ)のであり、調所廣郷の覚悟が記されていくのである。
改めて、この覚悟を西郷隆盛が引き継いだのだろうと思う。その意味では、調所廣郷によって薩摩武士のよい姿が作られたような気がしないでもない。薩摩武士の多くは嫌われたが、薩摩が戦国からずっと生きのびてきた秘訣もそこにあるような気がするのである。
薩摩(鹿児島)は、桜島の噴火によるシラス台地で痩せた土地である。だが、明治維新を起こしたほどの財力を自力で作った土地である。自主独立の気風に富み、美しいところであり、先年、鹿児島を訪れたときに、錦江湾を眺めながら、その美しさにしばらく佇んでしまったことがある。調所廣郷が作った甲突川の石橋も見事であるし、斉彬が残した諸施設もその先見性に驚いたことがある。西郷隆盛の城山での最後も人の世の哀しみをたたえる。そして、本書を読みながら、歴史の影に調所あり、と思った。本書は、そんな感慨も呼び起こしてくれる作品だった。2011年の最後に、こういう人物について少し考えることができて良かったと思っている。
2011年12月29日木曜日
東郷隆『御町見役うずら伝右衛門・町あるき』
冬型の気圧配置が厳しく、北日本は大荒れで太平洋沿岸は晴れた寒い日々が続いている。今日から図書館が休館日になるというので、昨日、仕事を途中で止めてあざみ野の山内図書館に行ってきた。お正月を読書で過ごそうとする人が多いのか、いつもの陪以上の人が書架を眺めていた。本は売れないそうだが、この国の読書人口はまだまだ捨てたものではないと思ったりした。
先に東郷隆『大江戸打壊し 御用盗銀次郎』(2006年 徳間書店)を読んだが、この一冊だけでは何とも言えない気がしていたので、続いて東郷隆『御町見役うずら伝右衛門・町あるき』(2001年 講談社)を読むことにした。
これも『御町見役うずら伝右衛門』(1999年 講談社)という前作があるのだが、尾張徳川という江戸時代の中でも極めて特異な存在を取り扱っているし、特に八代将軍徳川吉宗と尾張の徳川宗春の確執は人間的にもなかなか興味を引くものがあるので、『御用盗銀次郎』よりも面白く読めた。徳川吉宗と尾張の徳川宗春の確執は様々な時代小説の背景としてよく出てくるが、多くは江戸幕府中興の祖ともいわれる八代将軍徳川吉宗の側から尾張徳川家の悪辣さを描き出すもので、尾張徳川家の立場にいる人物を取り上げた作品は意外に少ない。その意味でも着眼が面白いと思った。
この物語には、その徳川将軍家と尾張徳川家の間の確執が背景としてあり、特に尾張徳川家の七代藩主であった徳川宗春による江戸幕府に対する反骨精神の発揮が背景としてあるので、最初にそのことについて少し触れておこう。
尾張徳川家は、徳川将軍家に後継ぎがいないときに将軍位を継ぐ者を輩出するために設置された「御三家」の筆頭で、尾張藩62万石の藩主である。藩祖義直(徳川家康の九男)以来の勤王思想を受け継ぎ、朝廷とも深い関わりを持っており、明治維新の際には倒幕軍である官軍側についている。それは御三家のひとつでもあった水戸徳川家とよく似ており、御三家のうちの二つまでもが勤王思想であったことは興味深い。その点から見ても、尾張徳川家は徳川将軍家と代々思想的な確執があったと言えるかも知れない。
この確執が最も端的に表れたのが、七代将軍の徳川家継が僅か八歳で没したときの将軍位を巡る争いで、尾張藩主六代目の徳川継友と紀州藩藩主となった徳川吉宗が将軍位を巡って争い、結局、徳川吉宗が八代将軍となったのだが、御三家筆頭としての面目がつぶれ、吉宗との間の確執が続いたのである。将軍となった吉宗が御庭番を作り尾張徳川家を見張らせたことはよく知られた事実である。その徳川継友の死についても(三八歳で急死)、吉宗の陰謀説があったりもする。この徳川継友は、「性質短慮でケチ」と言われたが尾張藩の財政を立て直し、やがて「尾張の春」と呼ばれるような繁栄をもたらしている。この継友に子どもがなかったために弟の宗春(通春)が七代藩主となったのである。
八代将軍徳川吉宗と尾張七代藩主徳川宗春はそれまで昵懇の間柄だったのだが、享保の改革が実行され、質素倹約が徹底されて祭りや芝居などが縮小されたり廃止されたりする時、宗春は尾張城下で祭りを奨励し、芝居見物を許可し、自身も派手な衣装を身に纏って、芝居小屋や遊郭などの施設を許可し、江戸幕府の方針とは全く逆の規制緩和政策を採った。宗春は吉宗に対してよりも幕閣に対して否を唱えたっかったのだろうと思う。「行きすぎた倹約はかえって庶民を苦しめることになる」と考え、江戸幕府の倹約経済政策に真っ向から対立する自由経済政策を採ったのである。
そのことで名古屋の街は活気づき、大いに繁栄した。宗春は、斬新な政策をいくつも打ち出し、まれに見る自由思想の持ち主だったのである。たとえば、宗春の治世の間では尾張藩では一人の死刑も行われなかったし、犯罪を処分する政策ではなく、犯罪を起こさない町作りを目指し、藩士による巡回をさせている。心中も、当時は死罪に値するものであったが、心中未遂者に夫婦として生活する許可を与えている。また、市ヶ谷にあった尾張藩上屋敷を江戸庶民に開放したりした。現代の日本政府の増税策に対して名古屋が減税策を打ち出したのは、一つの面白い現象だろう。歴史は繰り返すのかもしれない。
だが、幕府と朝廷側の争いもあったりして、朝廷と密接に関係していた尾張徳川家の宗春のこうした姿勢が質素倹約による緊縮財政政策を採る幕府の威信を揺らがせているという幕閣の批判が強くなったこともあり、幕府と朝廷の争いの中で宗春と尾張藩は政略的に板挟みとなる。それが宗春失脚につながったりして、尾張藩内部でも混乱が生じたりした。
本書は、その宗春が戸山の尾張藩下屋敷の広大な藩邸内に町屋を建設し、居ながらにして江戸の町が楽しめるような工夫を凝らしたことから、その藩邸内の町屋の責任を担わされた「うずら伝右衛門」を主人公にした物語である。
「うずら伝右衛門」は、戸山下屋敷内で飼われていた鶉(ウズラ)の小屋番であったためにこの名を宗春からつけられたものだが、その下屋敷内の町屋が消失する事件が起こり(この辺りがたぶん前作の物語なのだろうと推測される)、その町屋の再建のために御町屋庭園の責任者として御町見役を仰せつかっているのである。身分としては比較的軽いものではあるが、実は、藩主宗春の同腹(母親が同じ)の弟であり、宗春の信任も厚く、密命を帯びて宗春のために働く者でもあるという設定になている。
この「うずら伝右衛門」にぞっこん惚れているのが宗春の別式女の「百合」で、「百合」は別式女の頭で、屋敷内では家老と同等の力を与えられていた。別式女というのは、礼儀作法や武術に優れ、藩主や藩主家族の警護にあたり、剣術指導もした。大名家の家族が住む奥は男子禁制であるため武芸に優れた女性が必要とされ、外出の際などは男装していたといわれる。「百合」は、いわゆる男装の麗人といわれる美貌の持ち主で、剣の腕も優れているのである。
だからそれだけに武骨でもあり、「うずら伝右衛門」に対する恋心も見え見えで、直線的でほほえましくさえある。本書ではあまり登場しないが、もう一人の恋敵である女八卦見の「お幸」との恋の鞘当てもある。物語は、この「うずら伝右衛門」と「百合」が協力して、屋敷内外で起こる出来事に当たっていくという筋であり、第一話「不典にて候」は、藩邸内に駆け込んできた武士を匿うという武家の作法を逆手にとって「百合」に懸想して尾張藩邸にやってきた青年の素朴な心情を「うずら伝右衛門」が見抜いていくという話である。
第二話「小便組の女」は、旗本家の中間で、実は将軍徳川吉宗の御庭番でもある助十となのる折助賭博(旗本家の中間は奉行所の監視が届かない屋敷内で博打場を開いたりしていた)の親方の甚内の博打場で知り合った医者が、女を旗本の妾などに斡旋する仕事をしていることを知り、「うずら伝右衛門」がその医者の下で使われている女を助けていく話である。妾奉公をさせられる女性は、行った先で寝小便をし、それが嫌がられて帰させられることを繰り返し、医者はその斡旋手数料を稼いでいたのである。こういう女性は、いわゆる「小便組」といわれた女性で、ところが行った先の旗本に惚れ、その心情を何とかしたいという姉から「うずら伝右衛門」が相談を受け、姉に彼女の妹を縛りつけている医者と対決する方法を授けるのである。
たわいもないと言えばたわいもない話なのだが、徳川吉宗の御庭番である甚内と尾張徳川宗春に仕える「うずら伝右衛門」は、本来、仇敵なのだが、「うずら伝右衛門」の飾らない鷹揚さに、甚内はいつのまにか「うずら伝右衛門」に助力していくようになるというのが、主人公の人柄を伝えるものになっている。
第三話「川獺」は、江戸では必要だった井戸さらえや堀さらえ、川さらえの仕事に絡む事件で、尾張藩中屋敷にあった池での「川獺うわさ話」に決着をつける話で、第四話「はやり神始末」は、ひとりの男が水練中に事故死したことから、尾張徳川家三代藩主綱誠(つななり)の側室で四代藩主吉通を生んだ「お福の方」と呼ばれた本寿院の秘事が明らかになりそうになるのを防いでいく話である。
「お福の方」と呼ばれた本寿院は、性的奔放さが目にあまった女性で、寺詣と称しては若い僧侶を弄んだり、屋敷内で町人や役者などを呼び込んで乱交を繰り返し、相撲を見てはその汗の匂いがたまらずに屋敷内で相撲取りを囲ったり、医者に自分の秘所を見られればその医者と交わったりして、淫乱極まりない女性だったと言われている。真相は別にして、実際、あまりのことに幕閣でも噂となり、尾張徳川家は彼女の蟄居を命じているが、尾張徳川家の弱点で、その本寿院の秘事の証拠が幕府に知られると幕閣内で弱みを握られることから、「うずら伝右衛門」が密かにその秘事の証拠を探し出していくというものである。
本寿院は自分の欲望の達成のために金を湯水のように使ったが、本寿院の秘事の証拠は本寿院の宝だと思う人間も出てくる。それを宝として守ってきていたのは、茶商の靑山林屋という諸大名家の御用商人で、そこには歴代「猿者」と呼ばれる陰の忍者集団も仕えていた。「うずら伝右衛門」と「百合」はその「猿者」と戦い、鎖鎌を使う男とも戦い、その家に隠されていた本寿院の宝(秘事の証拠)を探し出していくのである。その宝というのが「張り形(男性器を形取った物)」とうのが笑わせる。「張り形」ひとつに何人もの人間の血が流されるのだが、上に立つ物の無思慮は下の者を苦しめる典型でもあるだろう。
第五話「次郎太刀の行方」も、上に立つ物の気ままさが下にいる者を苦しめる話で、こちらは、武芸を奨励し刀剣好きの徳川吉宗が、ふとしたことから関ヶ原の合戦で使われた大太刀の「次郎太刀」のことを聞き、それを見たいと願って調べたところ、尾張徳川家が所蔵していることがわかり、その謁見を願い出るのである。
ところが、あるはずの「次郎太刀」がない。盗まれていたのである。尾張徳川家では大騒ぎとなり、「うずら伝右衛門」が探し出していくというもので、大山詣と絡んで話が展開されている。
本書が描く「うずら伝右衛門」という主人公は、自由闊達でこだわりがなく、だからといって矜持ははずさず、ある面では宗春の自由さや柔軟性を表したような人物として描かれ、敵とも親しくなり、上に媚びず下に厚い人間で、「ウズラ」小屋でウズラの世話をし、まあ、なかなか面白い主人公であるし、美貌の女剣士「百合」のぐいぐい直線的に迫る恋心もそれなりに受けながら過ごしていくというもので、娯楽時代小説の主人公としては面白い人物だと思う。
個人的に徳川宗春という人間には少し関心があって、後の田沼意次の自由経済政策にも影響を与えたが、厳格な規則づくめの江戸武家の中で卓越した人物だっただろうとは思っているので、内容は別にしても、その尾張徳川家を舞台とした本書も好感を持って読んだかも知れない。徳川宗春に関心があるのは、好みというのではなく、経済・社会思想の点でではあるが。
今年もあと数日になり、やり残したことが山ほどあって、たぶん、茫然と懐手して過ぎ行く年を長めそうな気がする。
先に東郷隆『大江戸打壊し 御用盗銀次郎』(2006年 徳間書店)を読んだが、この一冊だけでは何とも言えない気がしていたので、続いて東郷隆『御町見役うずら伝右衛門・町あるき』(2001年 講談社)を読むことにした。
これも『御町見役うずら伝右衛門』(1999年 講談社)という前作があるのだが、尾張徳川という江戸時代の中でも極めて特異な存在を取り扱っているし、特に八代将軍徳川吉宗と尾張の徳川宗春の確執は人間的にもなかなか興味を引くものがあるので、『御用盗銀次郎』よりも面白く読めた。徳川吉宗と尾張の徳川宗春の確執は様々な時代小説の背景としてよく出てくるが、多くは江戸幕府中興の祖ともいわれる八代将軍徳川吉宗の側から尾張徳川家の悪辣さを描き出すもので、尾張徳川家の立場にいる人物を取り上げた作品は意外に少ない。その意味でも着眼が面白いと思った。
この物語には、その徳川将軍家と尾張徳川家の間の確執が背景としてあり、特に尾張徳川家の七代藩主であった徳川宗春による江戸幕府に対する反骨精神の発揮が背景としてあるので、最初にそのことについて少し触れておこう。
尾張徳川家は、徳川将軍家に後継ぎがいないときに将軍位を継ぐ者を輩出するために設置された「御三家」の筆頭で、尾張藩62万石の藩主である。藩祖義直(徳川家康の九男)以来の勤王思想を受け継ぎ、朝廷とも深い関わりを持っており、明治維新の際には倒幕軍である官軍側についている。それは御三家のひとつでもあった水戸徳川家とよく似ており、御三家のうちの二つまでもが勤王思想であったことは興味深い。その点から見ても、尾張徳川家は徳川将軍家と代々思想的な確執があったと言えるかも知れない。
この確執が最も端的に表れたのが、七代将軍の徳川家継が僅か八歳で没したときの将軍位を巡る争いで、尾張藩主六代目の徳川継友と紀州藩藩主となった徳川吉宗が将軍位を巡って争い、結局、徳川吉宗が八代将軍となったのだが、御三家筆頭としての面目がつぶれ、吉宗との間の確執が続いたのである。将軍となった吉宗が御庭番を作り尾張徳川家を見張らせたことはよく知られた事実である。その徳川継友の死についても(三八歳で急死)、吉宗の陰謀説があったりもする。この徳川継友は、「性質短慮でケチ」と言われたが尾張藩の財政を立て直し、やがて「尾張の春」と呼ばれるような繁栄をもたらしている。この継友に子どもがなかったために弟の宗春(通春)が七代藩主となったのである。
八代将軍徳川吉宗と尾張七代藩主徳川宗春はそれまで昵懇の間柄だったのだが、享保の改革が実行され、質素倹約が徹底されて祭りや芝居などが縮小されたり廃止されたりする時、宗春は尾張城下で祭りを奨励し、芝居見物を許可し、自身も派手な衣装を身に纏って、芝居小屋や遊郭などの施設を許可し、江戸幕府の方針とは全く逆の規制緩和政策を採った。宗春は吉宗に対してよりも幕閣に対して否を唱えたっかったのだろうと思う。「行きすぎた倹約はかえって庶民を苦しめることになる」と考え、江戸幕府の倹約経済政策に真っ向から対立する自由経済政策を採ったのである。
そのことで名古屋の街は活気づき、大いに繁栄した。宗春は、斬新な政策をいくつも打ち出し、まれに見る自由思想の持ち主だったのである。たとえば、宗春の治世の間では尾張藩では一人の死刑も行われなかったし、犯罪を処分する政策ではなく、犯罪を起こさない町作りを目指し、藩士による巡回をさせている。心中も、当時は死罪に値するものであったが、心中未遂者に夫婦として生活する許可を与えている。また、市ヶ谷にあった尾張藩上屋敷を江戸庶民に開放したりした。現代の日本政府の増税策に対して名古屋が減税策を打ち出したのは、一つの面白い現象だろう。歴史は繰り返すのかもしれない。
だが、幕府と朝廷側の争いもあったりして、朝廷と密接に関係していた尾張徳川家の宗春のこうした姿勢が質素倹約による緊縮財政政策を採る幕府の威信を揺らがせているという幕閣の批判が強くなったこともあり、幕府と朝廷の争いの中で宗春と尾張藩は政略的に板挟みとなる。それが宗春失脚につながったりして、尾張藩内部でも混乱が生じたりした。
本書は、その宗春が戸山の尾張藩下屋敷の広大な藩邸内に町屋を建設し、居ながらにして江戸の町が楽しめるような工夫を凝らしたことから、その藩邸内の町屋の責任を担わされた「うずら伝右衛門」を主人公にした物語である。
「うずら伝右衛門」は、戸山下屋敷内で飼われていた鶉(ウズラ)の小屋番であったためにこの名を宗春からつけられたものだが、その下屋敷内の町屋が消失する事件が起こり(この辺りがたぶん前作の物語なのだろうと推測される)、その町屋の再建のために御町屋庭園の責任者として御町見役を仰せつかっているのである。身分としては比較的軽いものではあるが、実は、藩主宗春の同腹(母親が同じ)の弟であり、宗春の信任も厚く、密命を帯びて宗春のために働く者でもあるという設定になている。
この「うずら伝右衛門」にぞっこん惚れているのが宗春の別式女の「百合」で、「百合」は別式女の頭で、屋敷内では家老と同等の力を与えられていた。別式女というのは、礼儀作法や武術に優れ、藩主や藩主家族の警護にあたり、剣術指導もした。大名家の家族が住む奥は男子禁制であるため武芸に優れた女性が必要とされ、外出の際などは男装していたといわれる。「百合」は、いわゆる男装の麗人といわれる美貌の持ち主で、剣の腕も優れているのである。
だからそれだけに武骨でもあり、「うずら伝右衛門」に対する恋心も見え見えで、直線的でほほえましくさえある。本書ではあまり登場しないが、もう一人の恋敵である女八卦見の「お幸」との恋の鞘当てもある。物語は、この「うずら伝右衛門」と「百合」が協力して、屋敷内外で起こる出来事に当たっていくという筋であり、第一話「不典にて候」は、藩邸内に駆け込んできた武士を匿うという武家の作法を逆手にとって「百合」に懸想して尾張藩邸にやってきた青年の素朴な心情を「うずら伝右衛門」が見抜いていくという話である。
第二話「小便組の女」は、旗本家の中間で、実は将軍徳川吉宗の御庭番でもある助十となのる折助賭博(旗本家の中間は奉行所の監視が届かない屋敷内で博打場を開いたりしていた)の親方の甚内の博打場で知り合った医者が、女を旗本の妾などに斡旋する仕事をしていることを知り、「うずら伝右衛門」がその医者の下で使われている女を助けていく話である。妾奉公をさせられる女性は、行った先で寝小便をし、それが嫌がられて帰させられることを繰り返し、医者はその斡旋手数料を稼いでいたのである。こういう女性は、いわゆる「小便組」といわれた女性で、ところが行った先の旗本に惚れ、その心情を何とかしたいという姉から「うずら伝右衛門」が相談を受け、姉に彼女の妹を縛りつけている医者と対決する方法を授けるのである。
たわいもないと言えばたわいもない話なのだが、徳川吉宗の御庭番である甚内と尾張徳川宗春に仕える「うずら伝右衛門」は、本来、仇敵なのだが、「うずら伝右衛門」の飾らない鷹揚さに、甚内はいつのまにか「うずら伝右衛門」に助力していくようになるというのが、主人公の人柄を伝えるものになっている。
第三話「川獺」は、江戸では必要だった井戸さらえや堀さらえ、川さらえの仕事に絡む事件で、尾張藩中屋敷にあった池での「川獺うわさ話」に決着をつける話で、第四話「はやり神始末」は、ひとりの男が水練中に事故死したことから、尾張徳川家三代藩主綱誠(つななり)の側室で四代藩主吉通を生んだ「お福の方」と呼ばれた本寿院の秘事が明らかになりそうになるのを防いでいく話である。
「お福の方」と呼ばれた本寿院は、性的奔放さが目にあまった女性で、寺詣と称しては若い僧侶を弄んだり、屋敷内で町人や役者などを呼び込んで乱交を繰り返し、相撲を見てはその汗の匂いがたまらずに屋敷内で相撲取りを囲ったり、医者に自分の秘所を見られればその医者と交わったりして、淫乱極まりない女性だったと言われている。真相は別にして、実際、あまりのことに幕閣でも噂となり、尾張徳川家は彼女の蟄居を命じているが、尾張徳川家の弱点で、その本寿院の秘事の証拠が幕府に知られると幕閣内で弱みを握られることから、「うずら伝右衛門」が密かにその秘事の証拠を探し出していくというものである。
本寿院は自分の欲望の達成のために金を湯水のように使ったが、本寿院の秘事の証拠は本寿院の宝だと思う人間も出てくる。それを宝として守ってきていたのは、茶商の靑山林屋という諸大名家の御用商人で、そこには歴代「猿者」と呼ばれる陰の忍者集団も仕えていた。「うずら伝右衛門」と「百合」はその「猿者」と戦い、鎖鎌を使う男とも戦い、その家に隠されていた本寿院の宝(秘事の証拠)を探し出していくのである。その宝というのが「張り形(男性器を形取った物)」とうのが笑わせる。「張り形」ひとつに何人もの人間の血が流されるのだが、上に立つ物の無思慮は下の者を苦しめる典型でもあるだろう。
第五話「次郎太刀の行方」も、上に立つ物の気ままさが下にいる者を苦しめる話で、こちらは、武芸を奨励し刀剣好きの徳川吉宗が、ふとしたことから関ヶ原の合戦で使われた大太刀の「次郎太刀」のことを聞き、それを見たいと願って調べたところ、尾張徳川家が所蔵していることがわかり、その謁見を願い出るのである。
ところが、あるはずの「次郎太刀」がない。盗まれていたのである。尾張徳川家では大騒ぎとなり、「うずら伝右衛門」が探し出していくというもので、大山詣と絡んで話が展開されている。
本書が描く「うずら伝右衛門」という主人公は、自由闊達でこだわりがなく、だからといって矜持ははずさず、ある面では宗春の自由さや柔軟性を表したような人物として描かれ、敵とも親しくなり、上に媚びず下に厚い人間で、「ウズラ」小屋でウズラの世話をし、まあ、なかなか面白い主人公であるし、美貌の女剣士「百合」のぐいぐい直線的に迫る恋心もそれなりに受けながら過ごしていくというもので、娯楽時代小説の主人公としては面白い人物だと思う。
個人的に徳川宗春という人間には少し関心があって、後の田沼意次の自由経済政策にも影響を与えたが、厳格な規則づくめの江戸武家の中で卓越した人物だっただろうとは思っているので、内容は別にしても、その尾張徳川家を舞台とした本書も好感を持って読んだかも知れない。徳川宗春に関心があるのは、好みというのではなく、経済・社会思想の点でではあるが。
今年もあと数日になり、やり残したことが山ほどあって、たぶん、茫然と懐手して過ぎ行く年を長めそうな気がする。
2011年12月27日火曜日
東郷隆『大江戸打壊し 御用盗銀次郎』
いよいよ今年も押し詰まってきたわけで、禍と混乱、悲しみの多かった年も終わろうとしている。過ぎ去る時は、もはや取り返すことができない無限の彼方に去る。こうして年々歳々が繰り返されていく。人はただ日々の暮らしの喜怒哀楽の中で生命の営みを続けるだけだが、その生命の営みが難しい。今年はつくづくそう思う。
十年後に切腹を命じられ、淡々と生きるひとりの男の姿を描いた葉室麟『蜩の記』を読んで見たいと思っているが、まだ手にしていない。彼の作品はわたしの琴線に触れてしまい、今年であった最高の作家だと思っている。しかも、『蜩の記』は、いまのわたしの心境にはぴったりのような気がしている。
そんな中で、いささかハードボイルド時代小説のような東郷隆『大江戸打壊し 御用盗銀次郎』(2006年 徳間書店)を読んだ。この作家について詳細は知らないが、ゲームソフトなどでよく聞く『信長の野望』の原作者のようで、わたしのような感性をもつ人間は、どちらかといえばあまり触手が動かない作家なのだが読んでみることにした。内容のほとんどは創作だろうが、ときおり司馬遼太郎的な記述の仕方もあり、こういう作風もありかな、と思いつつ読み進めた。
この作品はシリーズ物の一つであるが、シリーズの表題となっている「御用盗」というのは、幕末のころに混乱した江戸で市中を荒らし回った浪人たちのことで、薩摩藩による倒幕策のひとつとして強盗や喧嘩騒ぎを起こして江戸市中を混乱に陥れた薩摩浪士隊が結成されたりしている。西郷隆盛がそういう浪士隊を使ったとすれば、それは彼に似合わない姑息な手段だったと言える気がする。浪士隊は、商家を襲う打壊し運動も展開したようである。「御用盗」に関する歴史資料はほとんど残されていないが、薩摩浪士隊は、後に相良総三という人物が率いた「赤報隊」に繋がる。
「赤報隊」は、維新の際に薩長新政府の意を受けて、農村などの支持を得るために「年貢が半減される」ということを各地で触れ回ったが、新政府はそういう財力がどこにもなく、彼らが勝手にやったこととして偽官軍の汚名を着せ、絶滅させた。「赤報隊」の浪士たちは、尊皇攘夷と貧民救済を合わせたような思想集団であった。それはまさに「赤心」であったが、政治力も方策もなく、薩長の権力で握りつぶされてしまった哀れさが残る。幕末から明治維新にかけて、新撰組もそうだが、こういう人々が血を流し続けた。こういう人たちを見ると、権力に踊らされて、利用され、やがて捨てられる武士の哀れさをどこか感じるので、何ともやりきれない。
本書は、その御用盗として混乱する時代の中を生き抜いていく魁銀次郎という凄腕の侍を主人公にして、この銀次郎が江戸市中で起こった打壊しなどに関わっていく物語である。銀次郎は、いわゆる「人斬り」であり、江戸幕府が市中警護のために浪人や旗本の次男・三男を中心にして結成した新徴組(京都の新撰組とも繋がりがあった)にも関わり、やがて、庶民の一揆運動のような様相をもった打壊しや「ええじゃないか騒動」とも関係していく。その中で、「赤報隊」を指導した村上四郎左衛門と名乗っていた相良総三とも関わっていく姿が描き出されている。本書の物語の中心をなすのは、江戸市中での打壊し運動である。
ただ、これは前作『御用盗銀次郎』(2004年 徳間書店)があるので、そこから読んでいる人には違和感がないかも知れないが、本作だけを読むと、冒頭に、元新徴組隊士の片岡主水というなかなか腕の立つ浪人が登場し、彼と主人公の銀次郎の出会の話が記されているのだが、それ以後にはこの片岡主水が全く登場せずに、冒頭に出てくる片岡主水は何だったのか、という思いが残ってしまった。しかし、内容は無頼の人斬りとして生きていく魁銀次郎の姿と当時の攘夷浪士たちの倒幕運動の展開で、それなりの面白さはある。文章も、内容に合わせてあるのかも知れないが、どこか武骨で、当時の殺伐とした雰囲気が伝わるとはいえ、全体的にニヒルなハードボイルド的である。ただ、どちらかと言えば、今のわたしの心情には合わない気がしながら読み終えた。
「人斬り」は、土佐の岡田以蔵や薩摩の田中新兵衛、中村半次郎(後の桐野利秋)などもそうだが、どこかやるせなさが残る。このうち、桐野利秋だけが明治まで生き残ったが、西南戦争で戦死している。彼らは、ある意味で純朴だったのだが、それだけに力に利用される悲しみを背負っている。
本書の主人公魁銀次郎は、そういう哀しみよりも、むしろ、割り切って自由闊達に生きようとした姿がある人物として描き出され、その意味ではハードボイルド時代小説とでもいうべき作品になっている。
十年後に切腹を命じられ、淡々と生きるひとりの男の姿を描いた葉室麟『蜩の記』を読んで見たいと思っているが、まだ手にしていない。彼の作品はわたしの琴線に触れてしまい、今年であった最高の作家だと思っている。しかも、『蜩の記』は、いまのわたしの心境にはぴったりのような気がしている。
そんな中で、いささかハードボイルド時代小説のような東郷隆『大江戸打壊し 御用盗銀次郎』(2006年 徳間書店)を読んだ。この作家について詳細は知らないが、ゲームソフトなどでよく聞く『信長の野望』の原作者のようで、わたしのような感性をもつ人間は、どちらかといえばあまり触手が動かない作家なのだが読んでみることにした。内容のほとんどは創作だろうが、ときおり司馬遼太郎的な記述の仕方もあり、こういう作風もありかな、と思いつつ読み進めた。
この作品はシリーズ物の一つであるが、シリーズの表題となっている「御用盗」というのは、幕末のころに混乱した江戸で市中を荒らし回った浪人たちのことで、薩摩藩による倒幕策のひとつとして強盗や喧嘩騒ぎを起こして江戸市中を混乱に陥れた薩摩浪士隊が結成されたりしている。西郷隆盛がそういう浪士隊を使ったとすれば、それは彼に似合わない姑息な手段だったと言える気がする。浪士隊は、商家を襲う打壊し運動も展開したようである。「御用盗」に関する歴史資料はほとんど残されていないが、薩摩浪士隊は、後に相良総三という人物が率いた「赤報隊」に繋がる。
「赤報隊」は、維新の際に薩長新政府の意を受けて、農村などの支持を得るために「年貢が半減される」ということを各地で触れ回ったが、新政府はそういう財力がどこにもなく、彼らが勝手にやったこととして偽官軍の汚名を着せ、絶滅させた。「赤報隊」の浪士たちは、尊皇攘夷と貧民救済を合わせたような思想集団であった。それはまさに「赤心」であったが、政治力も方策もなく、薩長の権力で握りつぶされてしまった哀れさが残る。幕末から明治維新にかけて、新撰組もそうだが、こういう人々が血を流し続けた。こういう人たちを見ると、権力に踊らされて、利用され、やがて捨てられる武士の哀れさをどこか感じるので、何ともやりきれない。
本書は、その御用盗として混乱する時代の中を生き抜いていく魁銀次郎という凄腕の侍を主人公にして、この銀次郎が江戸市中で起こった打壊しなどに関わっていく物語である。銀次郎は、いわゆる「人斬り」であり、江戸幕府が市中警護のために浪人や旗本の次男・三男を中心にして結成した新徴組(京都の新撰組とも繋がりがあった)にも関わり、やがて、庶民の一揆運動のような様相をもった打壊しや「ええじゃないか騒動」とも関係していく。その中で、「赤報隊」を指導した村上四郎左衛門と名乗っていた相良総三とも関わっていく姿が描き出されている。本書の物語の中心をなすのは、江戸市中での打壊し運動である。
ただ、これは前作『御用盗銀次郎』(2004年 徳間書店)があるので、そこから読んでいる人には違和感がないかも知れないが、本作だけを読むと、冒頭に、元新徴組隊士の片岡主水というなかなか腕の立つ浪人が登場し、彼と主人公の銀次郎の出会の話が記されているのだが、それ以後にはこの片岡主水が全く登場せずに、冒頭に出てくる片岡主水は何だったのか、という思いが残ってしまった。しかし、内容は無頼の人斬りとして生きていく魁銀次郎の姿と当時の攘夷浪士たちの倒幕運動の展開で、それなりの面白さはある。文章も、内容に合わせてあるのかも知れないが、どこか武骨で、当時の殺伐とした雰囲気が伝わるとはいえ、全体的にニヒルなハードボイルド的である。ただ、どちらかと言えば、今のわたしの心情には合わない気がしながら読み終えた。
「人斬り」は、土佐の岡田以蔵や薩摩の田中新兵衛、中村半次郎(後の桐野利秋)などもそうだが、どこかやるせなさが残る。このうち、桐野利秋だけが明治まで生き残ったが、西南戦争で戦死している。彼らは、ある意味で純朴だったのだが、それだけに力に利用される悲しみを背負っている。
本書の主人公魁銀次郎は、そういう哀しみよりも、むしろ、割り切って自由闊達に生きようとした姿がある人物として描き出され、その意味ではハードボイルド時代小説とでもいうべき作品になっている。
2011年12月23日金曜日
高橋義夫『亡者の鐘 御隠居忍法』
寒波の襲来した冬らしい寒い曇り空が広がっている。昨日は冬至で、これから徐々に日中の時間が長くなっていくのだが、「地球は何もかも乗せて巡るなあ」と思ったりする。静かに時が流れていくのをぼんやり眺めていた。北朝鮮での指導者の死も、行き交う人たちも自分の「実存」にはかすかな意味しかもたらさないので、目くじらを立てて騒動することもなく、再び、ひたすら日常の自己満足に向かっていくのも悪くないと思っている。結局は、自分が満足できるかどうか、それが自己の関心事であってもよい。
そんなことを考えながら夜を過ごし、高橋義夫『亡者の鐘 御隠居忍法』(2006年 中央公論社)を気楽に読んだ。これは、このシリーズの五作品目の作品だが、一話完結の形で記されているので、前作を知らなくても気楽に読めるが、四作目の『御隠居忍法 唐船番』(2002年 実業之日本社)を以前に読んでいた。出版社が変わっているので表題の表記の仕方が変えてあるのだろう。
主人公は、鹿間狸斎という元公儀御庭番の伊賀者で、四十歳の声を聞くとさっさと家督を息子に譲り、隠居して、嫁いだ娘が住む奥州笹野藩(現:山形県米沢市)の五合枡村というところで暮らすようになった人物である。隠居といってもまだ四十歳代で、知力も気力もあり、伊賀者として身につけた探索力と手腕もある。彼が隠居すると同時に、彼の妻は彼の元を去ったが、五合枡村で「おすえ」という手伝いの女性との間に子どももできている。ある意味で羨ましい境遇ではある。
このシリーズは、その鹿間狸斎が関係する人々の事件や元の上司で御庭番を束ねる人物からの依頼などで、隠居の身とはいえ探索する事件に関わっていく話が展開されているのだが、本書では、彼が住む五合枡村の近くの天領であった小板橋郷の奥寺で住持学頭(寺の総責任者)が鐘つき堂の釣り鐘の下敷きになって死に、それ以来、その奥寺の時の鐘が「亡者の鐘」と呼ばれるようになったことから、その噂の真相と住持学頭の死の真相を探っていく話である。
奥寺の住持学頭の死についての探索のために幕府から靑山俊蔵という侍が遣わされることになり、鹿間狸斎に、狸斎の上司であった御庭番頭からの添書をつけての助力の依頼があったことから、狸斎が靑山俊蔵に同行して小板橋郷まで出かけていく所から始まるのである。
死んだ住持学頭の奥寺は、江戸の東叡山が直轄する寺で、東叡山寛永寺が徳川家の菩提寺であり、奥寺での事件は幕府にとっても大きな事件だったのである。派遣されてきた靑山俊蔵は、自分は算学侍だというが、どうも御庭番のひとりらしい。
その靑山俊蔵とともに狸斎は、医者で冬虫夏草を探しているという触れ込みで奥寺まで出かけ、奥寺の住持学頭が鐘の下敷きで死んだのではなく、殺されたことを見抜いていくが、奥寺の村民全部が彼らの探索の邪魔をし、命さえ狙おうとするのである。奥寺の住民全部が外からの介入を阻止しようとしているのである。
そんな中で探索に出た靑山俊蔵も崖から落とされて怪我をしたり、矢を射かけられたりするし、同行した岡っ引きの手下も怪我をしてしまう。だが、鹿間狸斎は探索を続け、この村が昔の「隠れ忍びの里」で、殺された住持学頭が江戸から奥寺の財政改革のためにやってきて、末寺の寺領を取り上げる策に出たために、末寺と村民たちが刺客を放って住持学頭を殺したことを突きとめていくのである。
全体を通してみれば、主人公の鹿間狸斎は、隠居とはいえまだ40代の若さであり、しかも公儀御庭番として鍛え抜かれた技量と知識があり、彼が関わる事件が、人の欲が絡んだ財政問題、あるいはお家騒動であったりするという展開は、まあ、いってみれば気慰めの娯楽小説としての面白さがある。
地方色の豊かさや村の閉鎖性などがよく表されている。村が閉鎖されているだけに人間関係が複雑にならざるを得ず、わたしのようなボヘミアン的志向の強い人間には、その人間関係に縛られている姿が不思議に思えたりする。嫌ならさっさと出て行き、そうして野垂れ死にしても良いと、今のわたしは思っている。物語の本筋とは無関係だが、本書の犯人のひとりが即身仏なる場面が描かれているが、若いころに野ざらしの中で餓死することを考えていたことを、ふと思い出したりした。
村を守る、あるいは国を守る、家を守るという意識の強烈さはよく知っているが、守るべきものはあまりないと思っているから、そういう意識が下敷きになっている人々に会うと、わたしも閉口してしまう。思想的なことをいえば、この物語は閉鎖性と開放性の戦いの物語のようなものだろう。
そんなことを考えながら夜を過ごし、高橋義夫『亡者の鐘 御隠居忍法』(2006年 中央公論社)を気楽に読んだ。これは、このシリーズの五作品目の作品だが、一話完結の形で記されているので、前作を知らなくても気楽に読めるが、四作目の『御隠居忍法 唐船番』(2002年 実業之日本社)を以前に読んでいた。出版社が変わっているので表題の表記の仕方が変えてあるのだろう。
主人公は、鹿間狸斎という元公儀御庭番の伊賀者で、四十歳の声を聞くとさっさと家督を息子に譲り、隠居して、嫁いだ娘が住む奥州笹野藩(現:山形県米沢市)の五合枡村というところで暮らすようになった人物である。隠居といってもまだ四十歳代で、知力も気力もあり、伊賀者として身につけた探索力と手腕もある。彼が隠居すると同時に、彼の妻は彼の元を去ったが、五合枡村で「おすえ」という手伝いの女性との間に子どももできている。ある意味で羨ましい境遇ではある。
このシリーズは、その鹿間狸斎が関係する人々の事件や元の上司で御庭番を束ねる人物からの依頼などで、隠居の身とはいえ探索する事件に関わっていく話が展開されているのだが、本書では、彼が住む五合枡村の近くの天領であった小板橋郷の奥寺で住持学頭(寺の総責任者)が鐘つき堂の釣り鐘の下敷きになって死に、それ以来、その奥寺の時の鐘が「亡者の鐘」と呼ばれるようになったことから、その噂の真相と住持学頭の死の真相を探っていく話である。
奥寺の住持学頭の死についての探索のために幕府から靑山俊蔵という侍が遣わされることになり、鹿間狸斎に、狸斎の上司であった御庭番頭からの添書をつけての助力の依頼があったことから、狸斎が靑山俊蔵に同行して小板橋郷まで出かけていく所から始まるのである。
死んだ住持学頭の奥寺は、江戸の東叡山が直轄する寺で、東叡山寛永寺が徳川家の菩提寺であり、奥寺での事件は幕府にとっても大きな事件だったのである。派遣されてきた靑山俊蔵は、自分は算学侍だというが、どうも御庭番のひとりらしい。
その靑山俊蔵とともに狸斎は、医者で冬虫夏草を探しているという触れ込みで奥寺まで出かけ、奥寺の住持学頭が鐘の下敷きで死んだのではなく、殺されたことを見抜いていくが、奥寺の村民全部が彼らの探索の邪魔をし、命さえ狙おうとするのである。奥寺の住民全部が外からの介入を阻止しようとしているのである。
そんな中で探索に出た靑山俊蔵も崖から落とされて怪我をしたり、矢を射かけられたりするし、同行した岡っ引きの手下も怪我をしてしまう。だが、鹿間狸斎は探索を続け、この村が昔の「隠れ忍びの里」で、殺された住持学頭が江戸から奥寺の財政改革のためにやってきて、末寺の寺領を取り上げる策に出たために、末寺と村民たちが刺客を放って住持学頭を殺したことを突きとめていくのである。
全体を通してみれば、主人公の鹿間狸斎は、隠居とはいえまだ40代の若さであり、しかも公儀御庭番として鍛え抜かれた技量と知識があり、彼が関わる事件が、人の欲が絡んだ財政問題、あるいはお家騒動であったりするという展開は、まあ、いってみれば気慰めの娯楽小説としての面白さがある。
地方色の豊かさや村の閉鎖性などがよく表されている。村が閉鎖されているだけに人間関係が複雑にならざるを得ず、わたしのようなボヘミアン的志向の強い人間には、その人間関係に縛られている姿が不思議に思えたりする。嫌ならさっさと出て行き、そうして野垂れ死にしても良いと、今のわたしは思っている。物語の本筋とは無関係だが、本書の犯人のひとりが即身仏なる場面が描かれているが、若いころに野ざらしの中で餓死することを考えていたことを、ふと思い出したりした。
村を守る、あるいは国を守る、家を守るという意識の強烈さはよく知っているが、守るべきものはあまりないと思っているから、そういう意識が下敷きになっている人々に会うと、わたしも閉口してしまう。思想的なことをいえば、この物語は閉鎖性と開放性の戦いの物語のようなものだろう。
2011年12月21日水曜日
宮部みゆき『おまえさん 上下』(2)
朝方は雲が覆った冬空が広がっていたが、今の時間になって雲が晴れ、陽がさしている。冬はこんなに寒かったかなと思うほどだが、たぶん、こちらの体調の具合にもよるのだろう寒さが堪える。
今年は、喪中欠礼の葉書がたくさん届き、「しがらみを捨てて、自分の意志を大切にして生きること」の大切さを改めて感じたりしている。少々自己中心的であっても、他者にも優しく「矩を越えなければ」それがいいのではないかと思ったりもする。「変えるべきものは変え、変えることができないものは受け入れ、変えるべきものと変えることができないものを見分けていく」そうして、自分が納得できればそれでいい。自己の範囲をどこまでとるかが問題だが、時間とお金は自己満足のために使おう。偽善はもういい。一休和尚や良寛さん、小林一茶などを思い起こしたりする。
そんなことを考えながら、昨夜、磁器のサラダボールを洗っていたら、不思議に真っ二つに割れてしまった。力を加えたわけでも何かに当てたわけでもなく、自然にパカリと割れた感じで、昔から器がこういう割れ方をするのは不吉のしるしといわれてきたことが頭をよぎり、大切なものが失われたのかも知れないと思ったりした。もちろん、現実には掌を切ったぐらいで何の変化もなかったのだが。
そんな一日が明けて、さて、宮部みゆき『おまえさん』の続きを記すことにした。事件は20年の歳月を経て起こったのである。20年前に犯した罪を背負いながら生きてきた大黒屋の主人と「瓶屋」の新兵衛、久助は、それぞれの人生を歩んでいく。しかし、新兵衛と久助が殺されて不安になった大黒屋の主人が、自らが犯した事件を井筒平四郎らに告白する。だが、事柄はそれだけではなく、「瓶屋」の隣で医家を開いていた医師が死に、まだ喪が明けないうちに医師の妻であった美貌の「佐多枝」が新兵衛の後妻になっていた。そのことで医師の死に疑念がもたれたのである。
新兵衛には、人形のように美しい「史乃」という娘がおり、新兵衛が美貌の「佐多枝」を後妻として迎えたころから、父親に対する疑念もあって親子関係がぎくしゃくしていた。「佐多枝」の夫である医師の死は、酒に酔って溝にはまった全くの事故死だったのだが、娘の「史乃」は、父親が「佐多枝」を自分のものにするために殺したと疑い続けていたのである。「史乃」は、20年前に父親が起こした殺人も知っていた。しかし、医師の死とと久助の死が結びつかないでいた。
こういう事態を打開するのは、やはり、天才弓之助である。弓之助の視点は、天才らしく素直である。弓之助は瓶屋新兵衛が室内で殺され、しかも家で争われた形跡もないことから、手引きをする者がいたに違いないと考え犯人を探り出していくのである。
そして、事故死した隣家の医師にいた男前の弟子が、医師の死と20年前の事件を関連づけ、いわば天誅を下すようなつもりで、久助と新兵衛を「史乃」と共同して殺し、夜鷹は捜査の目を欺くために殺したことを明白にしていくのである。「史乃」と若い男前の弟子は、美男美女で、互いに愛し合っていたのである。だが、井筒平四郎は若い医師の弟子は「佐多枝」に想いがあるのではないかと考えたりする。
同心の間島信之輔は、事件で知り合った「史乃」に惹かれ、恋心を抱き、探索の進展をついもらしてしまう。そして、手が回ったことを知った若い弟子と「史乃」は逃亡するのである。行くへはようとしてつかめなかった。間島信之輔の失敗を間島家にやっかいになっていた大叔父と呼ぶ本宮源右衛門がかぶり、信之輔は鬱々とした日々を過ごしていく。若い間島信之輔は、また、瓶屋に出いるするうちに「佐多枝」にも惹かれていく。
だが、しばらく経って、ふとしたことで犯人の若い弟子と「史乃」の隠れ家がわかり、「史乃」は捕縛されて、若い弟子は追い詰められて水死することで事件が決着するのである。
その間に、間島家を出た本宮源右衛門は、「お徳」の家の2階で学問所を開くことになったり、様々な人間模様が展開され、富くじが当たったばかりに身を滅ぼすことになってしまった男や、その周囲の人々の物語があったり、殺された夜鷹やその友人の話があったりして、実に多彩な展開がされている。ひとりひとりの人物には、ひとりひとりの人生と生活があり、それが描き出されているのだから、これだけの長編になるのもうなずける。「おでこ」の母親がなぜ「おでこ」を捨てたのか、その「おでこ」を気遣う政五郎とお紺の夫婦の姿など感動的であるし、井筒平四郎の物事に拘らないさっぱりとした大きな性格や細君のよさ、天才美少年弓之助の面白さなど、ふんだんに描き出される。登場人物たちに生きた人間の匂いがするのである。
本書で取り扱われる事件そのものは極めて単純である。それは、いってみれば、見栄えの良い美貌の青年にたぶらかされて、正義の仮面をかぶり、生家である生薬屋の乗っ取りが陰にあることも知らずに父親殺しをした娘の事件である。だが、それにまつわるひとりひとりの人間の人生と生活、心情が丁寧に、しかも軽妙な筆使いで展開されていくのである。宮部みゆきは、やはり、うまい作家だと思う。おそらく、今、一番うまい物語作家だろうと思う。これは、細部にわたってそのうまさが光る作品だった。
今年は、喪中欠礼の葉書がたくさん届き、「しがらみを捨てて、自分の意志を大切にして生きること」の大切さを改めて感じたりしている。少々自己中心的であっても、他者にも優しく「矩を越えなければ」それがいいのではないかと思ったりもする。「変えるべきものは変え、変えることができないものは受け入れ、変えるべきものと変えることができないものを見分けていく」そうして、自分が納得できればそれでいい。自己の範囲をどこまでとるかが問題だが、時間とお金は自己満足のために使おう。偽善はもういい。一休和尚や良寛さん、小林一茶などを思い起こしたりする。
そんなことを考えながら、昨夜、磁器のサラダボールを洗っていたら、不思議に真っ二つに割れてしまった。力を加えたわけでも何かに当てたわけでもなく、自然にパカリと割れた感じで、昔から器がこういう割れ方をするのは不吉のしるしといわれてきたことが頭をよぎり、大切なものが失われたのかも知れないと思ったりした。もちろん、現実には掌を切ったぐらいで何の変化もなかったのだが。
そんな一日が明けて、さて、宮部みゆき『おまえさん』の続きを記すことにした。事件は20年の歳月を経て起こったのである。20年前に犯した罪を背負いながら生きてきた大黒屋の主人と「瓶屋」の新兵衛、久助は、それぞれの人生を歩んでいく。しかし、新兵衛と久助が殺されて不安になった大黒屋の主人が、自らが犯した事件を井筒平四郎らに告白する。だが、事柄はそれだけではなく、「瓶屋」の隣で医家を開いていた医師が死に、まだ喪が明けないうちに医師の妻であった美貌の「佐多枝」が新兵衛の後妻になっていた。そのことで医師の死に疑念がもたれたのである。
新兵衛には、人形のように美しい「史乃」という娘がおり、新兵衛が美貌の「佐多枝」を後妻として迎えたころから、父親に対する疑念もあって親子関係がぎくしゃくしていた。「佐多枝」の夫である医師の死は、酒に酔って溝にはまった全くの事故死だったのだが、娘の「史乃」は、父親が「佐多枝」を自分のものにするために殺したと疑い続けていたのである。「史乃」は、20年前に父親が起こした殺人も知っていた。しかし、医師の死とと久助の死が結びつかないでいた。
こういう事態を打開するのは、やはり、天才弓之助である。弓之助の視点は、天才らしく素直である。弓之助は瓶屋新兵衛が室内で殺され、しかも家で争われた形跡もないことから、手引きをする者がいたに違いないと考え犯人を探り出していくのである。
そして、事故死した隣家の医師にいた男前の弟子が、医師の死と20年前の事件を関連づけ、いわば天誅を下すようなつもりで、久助と新兵衛を「史乃」と共同して殺し、夜鷹は捜査の目を欺くために殺したことを明白にしていくのである。「史乃」と若い男前の弟子は、美男美女で、互いに愛し合っていたのである。だが、井筒平四郎は若い医師の弟子は「佐多枝」に想いがあるのではないかと考えたりする。
同心の間島信之輔は、事件で知り合った「史乃」に惹かれ、恋心を抱き、探索の進展をついもらしてしまう。そして、手が回ったことを知った若い弟子と「史乃」は逃亡するのである。行くへはようとしてつかめなかった。間島信之輔の失敗を間島家にやっかいになっていた大叔父と呼ぶ本宮源右衛門がかぶり、信之輔は鬱々とした日々を過ごしていく。若い間島信之輔は、また、瓶屋に出いるするうちに「佐多枝」にも惹かれていく。
だが、しばらく経って、ふとしたことで犯人の若い弟子と「史乃」の隠れ家がわかり、「史乃」は捕縛されて、若い弟子は追い詰められて水死することで事件が決着するのである。
その間に、間島家を出た本宮源右衛門は、「お徳」の家の2階で学問所を開くことになったり、様々な人間模様が展開され、富くじが当たったばかりに身を滅ぼすことになってしまった男や、その周囲の人々の物語があったり、殺された夜鷹やその友人の話があったりして、実に多彩な展開がされている。ひとりひとりの人物には、ひとりひとりの人生と生活があり、それが描き出されているのだから、これだけの長編になるのもうなずける。「おでこ」の母親がなぜ「おでこ」を捨てたのか、その「おでこ」を気遣う政五郎とお紺の夫婦の姿など感動的であるし、井筒平四郎の物事に拘らないさっぱりとした大きな性格や細君のよさ、天才美少年弓之助の面白さなど、ふんだんに描き出される。登場人物たちに生きた人間の匂いがするのである。
本書で取り扱われる事件そのものは極めて単純である。それは、いってみれば、見栄えの良い美貌の青年にたぶらかされて、正義の仮面をかぶり、生家である生薬屋の乗っ取りが陰にあることも知らずに父親殺しをした娘の事件である。だが、それにまつわるひとりひとりの人間の人生と生活、心情が丁寧に、しかも軽妙な筆使いで展開されていくのである。宮部みゆきは、やはり、うまい作家だと思う。おそらく、今、一番うまい物語作家だろうと思う。これは、細部にわたってそのうまさが光る作品だった。
2011年12月19日月曜日
宮部みゆき『おまえさん 上下』(1)
クリスマス前の一週間となり、年も押し詰まって慌ただしくなっているのだが、だいたい毎年、今頃は気分も呆けたようになっている。年明け早々に締めきりのある原稿にも手をつけずに、いっさいを横に置いてぼんやりと日々を過ごしている。これではいけないと朝から掃除をはじめ、カーテンを洗濯し、寝具を変えたりしていた。
ようやく一段落つき、宮部みゆき『おまえさん 上・下』(2011年 講談社文庫)を楽しみながら読んでいたので記しておくことにする。これは『ぼんくら』(2000年 講談社)、『日暮らし』(2005年 講談社)に続く作品で、どちらかといえばミステリーやSF物よりも時代小説の方がいい作品だと思っている宮部みゆきの久々のまとまった時代小説だから、発売されるとすぐに購入していた。作者の時代小説の最高作品は『孤宿の人』だと思うが、『ぼんくら』、『日暮らし』、『おまえさん』のシリーズの発行年がほぼ5年ごとで、まず、作者の思考力の持続性に脱帽する。しかも、本質的に物語作家であり長編作家である作者の書き下ろす分量は、本書でもかなり厚い上下二巻本で、執筆するエネルギー量にも驚嘆する。長編になる理由は作者の人間観をよく表していると思う。
宮部みゆきの文章や感性も非常に優れているが、この連続した三作品は、何と言っても登場人物がユニークである。
中心となっているのは奉行所臨時廻りの同心である井筒平四郎で、物覚えも悪く、細かなことは考えたくもなく、できるだけ働きたくないと思っているほどの茫洋とした人物だが、内実は、人を罪に定めることが嫌いで、鷹揚で懐が深く、情け深い人物なのである。実際は、繊細な感性と明察力をもっているが、それを決して表に出さないだけである。だから、かなりいいかげんな人間に映る。容貌も風采が上がらず、細い目に頬がこけて顎が長く、無精ひげがぼそぼそと生え、ひょろりとした体格をしている。剣の腕もからっきし駄目で、すぐに腰が引け、ぎっくり腰の持病もあって体力もない。こういう人物が作中の中心人物なのだから、展開が面白くないわけがない。
彼は仕事をしたくないので、ふとした事件で知り合った煮売り屋の「お徳」が営む「おとく屋」に入り浸っている。「お徳」との出会は『ぼんくら』で詳しく述べられている。その「お徳」もまた人情家で、気っぷのいい女性だが、しっかり者であり、井筒平四郎の本当の良さをよく知っている人物である。彼女は平四郎が自分の店でごろごろするのを喜んでいるのである。
彼の細君は、彼とは反対に絶世の美貌の持ち主で、明るく機知に富んでおり、手習い所の師匠をするほどの女性である。二人には子どもがない。その細君の姉が藍玉屋に嫁いでもうけた12歳になる四男の弓之助を養子にしたいと思っている。本書では、その細君の機知ぶりが光り、平四郎が恐れ入る場面も描かれている。
平四郎が可愛がり、養子にしたいと思っている藍玉屋の四男である少年弓之助は、誰もが虜になるほどの完璧な美貌の持ち主で、その美貌故に女難に遭うのではないかと思われるほどの少年であるが、それ以上に天才的な頭脳の持ち主である。天が二物も三物もを与えた少年である。自らも学問に精進し、家でもよく働くしっかり者であるが、好奇心旺盛で、物の道理を見極めたいと思っている。そのため少し風変わりな言動もとったりするが、人々の信任も厚い。ただ、おねしょ癖が治らない少年でもある。そして、叔父である平四郎を助け、難解な事件も筋道を立てて解決することができる才能の持ち主である。平四郎と並んで物語の主人公でもあり、その成長ぶりが巧みな筆致で描き出されていく。
平四郎の人物を見抜き、彼の人柄に惚れて、彼のために働く岡っ引きの政五郎は町の人からも信頼の厚い人情家で、機転が利き、「お紺」という妻があり、その「お紺」も人情家で蕎麦屋を営んでいる。そして、その政五郎とお紺の夫婦が引き取って育て、可愛がっているのが「おでこ」と呼ばれる三太郎で、「おでこ」は、すべての事柄を正しく記憶することができる特異な才能の持ち主なのである。「おでこ」と弓之助は深い友人となって、名コンビを作っている。
「おでこ」の父親は人を殺して牢屋で死に、「おでこ」は「鈍くて他の兄弟の足を引っ張る」という理由で母親からも捨てられたのである。その「おでこ」を周囲の人々は温かく信頼をもって育てている。母親が「おでこ」を捨てたのは事情があったことが本書で明らかにされていくが、どう考えても、「おでこ」の母親の「おきえ」は身勝手な哀れな女性でもある。
その他の周辺人物たちも、平四郎の家に仕える小物である小平次やおかまの髪結いである浅次郎、「お徳」の店で働く二人の少女、政五郎の手下たち、あるいはいくつかの事件に関わり合いのあった人物たちも、それぞれ個性豊かに描き出されて、物語の人間模様が描かれている。
本書では、それらの人物に加えて、新しく同心になった間島信之輔や、彼が大叔父と呼ぶ風変わりな本宮源右衛門という老人が登場し、物語はこの間島信之輔を巡っても展開される。
間島信之輔は若い同心で、十手術をはじめとする腕も立ち、人柄もよく、見所のある立派な青年であり、平四郎に学ぶことが多いと尊敬しているが、醜男で、平四郎はそれをしきりに残念がったりする。そして、この間島信之輔が抱く恋心が思わぬ方向に発展していったりするのである。
本宮源右衛門という老人は、冷飯食いの境遇で親戚中を盥回しにされ、間島家でやっかいになっているのだが、見聞が広く、学問もある老人で、事件の核心を見抜く力もあり、やがては天才少年である弓之助や「おでこ」が師と仰いでいくようになってくのである。
また、本書ではじめて弓之助の兄弟が登場し、長兄の結婚話や三男である淳三郎という気のいいお気楽な青年も登場し、この淳三郎の活躍が記されたりしている。
こういう多彩な人物たちの中で、本書で中心となっている事件は、「お徳」の家の近くの橋の上で一人の風采の上がらない男が斬り殺され、ついで同じ手口で「瓶屋」という薬屋の主人が殺され、また、夜鷹が殺されるという事件である。これらの手口が同じだと見抜いたのは間島信之輔の大叔父の本宮源右衛門で、井筒平四郎、間島信之輔、そして岡っ引きの政五郎が、それらの事件の探索を開始するのである。
最初の二つの事件の関連がなく、橋の上で殺された男の身元がなかなかわからなかったし、次に殺された「瓶屋」の主人との関連もない。「瓶屋」の主人が殺された理由もわからない。だが、殺された人の姿がいつまでも橋の上に残っていたことから、なにかの薬を飲んでいて血が固まってしまったことを本宮源右衛門と弓之助が気づき、それが、かつて「ざく」と呼ばれる調剤師だったことがわかっていくのである。そして、次に殺された「瓶屋」という薬屋の主人との関係が次第に明らかになるのである。それは、20年前に、大黒屋という生薬屋で、橋の上で殺された男と「瓶屋」の主人が、同じように「ざく(調剤師)」として働いていたことであった。
この二人が殺された理由が20年前に遡って調べられていく。20年前、今の大黒屋の主人である藤右衛門と瓶屋の新兵衛、そして橋の上で殺された久助は、共に大黒屋の奉公人で、その店にいた傲慢な「ざく(調剤師)」に怒り、また彼が新しい薬を作り出したことを知り、彼を湯屋で殺してしまっていたのである。「瓶屋」新兵衛は、その薬を使って独立したいと思っていた。そして、殺された「ざく」が新しく作ったかゆみ止めの薬が「瓶屋」で売り出されて評判を取っていた。今度の事件はその意趣返しではないかと思われたのである。
そこで、湯屋で殺された「ざく」の係累が探し出されていくが、そこに同じ手口で夜鷹が殺され、また、殺された「ざく」が女房にしたいと思っていた女とその腹に宿っていた子どもも死んでいることがわかり、事件は再び謎に包まれていくのである。
だが、この袋小路に陥ってしまった事件の謎を弓之助が見事に解き明かす。そして、物語は新たな展開へと進んで行く。この辺りのことからは、今日は、少し、しなければならないことが残っているから、また次に書くことにしたい。
ようやく一段落つき、宮部みゆき『おまえさん 上・下』(2011年 講談社文庫)を楽しみながら読んでいたので記しておくことにする。これは『ぼんくら』(2000年 講談社)、『日暮らし』(2005年 講談社)に続く作品で、どちらかといえばミステリーやSF物よりも時代小説の方がいい作品だと思っている宮部みゆきの久々のまとまった時代小説だから、発売されるとすぐに購入していた。作者の時代小説の最高作品は『孤宿の人』だと思うが、『ぼんくら』、『日暮らし』、『おまえさん』のシリーズの発行年がほぼ5年ごとで、まず、作者の思考力の持続性に脱帽する。しかも、本質的に物語作家であり長編作家である作者の書き下ろす分量は、本書でもかなり厚い上下二巻本で、執筆するエネルギー量にも驚嘆する。長編になる理由は作者の人間観をよく表していると思う。
宮部みゆきの文章や感性も非常に優れているが、この連続した三作品は、何と言っても登場人物がユニークである。
中心となっているのは奉行所臨時廻りの同心である井筒平四郎で、物覚えも悪く、細かなことは考えたくもなく、できるだけ働きたくないと思っているほどの茫洋とした人物だが、内実は、人を罪に定めることが嫌いで、鷹揚で懐が深く、情け深い人物なのである。実際は、繊細な感性と明察力をもっているが、それを決して表に出さないだけである。だから、かなりいいかげんな人間に映る。容貌も風采が上がらず、細い目に頬がこけて顎が長く、無精ひげがぼそぼそと生え、ひょろりとした体格をしている。剣の腕もからっきし駄目で、すぐに腰が引け、ぎっくり腰の持病もあって体力もない。こういう人物が作中の中心人物なのだから、展開が面白くないわけがない。
彼は仕事をしたくないので、ふとした事件で知り合った煮売り屋の「お徳」が営む「おとく屋」に入り浸っている。「お徳」との出会は『ぼんくら』で詳しく述べられている。その「お徳」もまた人情家で、気っぷのいい女性だが、しっかり者であり、井筒平四郎の本当の良さをよく知っている人物である。彼女は平四郎が自分の店でごろごろするのを喜んでいるのである。
彼の細君は、彼とは反対に絶世の美貌の持ち主で、明るく機知に富んでおり、手習い所の師匠をするほどの女性である。二人には子どもがない。その細君の姉が藍玉屋に嫁いでもうけた12歳になる四男の弓之助を養子にしたいと思っている。本書では、その細君の機知ぶりが光り、平四郎が恐れ入る場面も描かれている。
平四郎が可愛がり、養子にしたいと思っている藍玉屋の四男である少年弓之助は、誰もが虜になるほどの完璧な美貌の持ち主で、その美貌故に女難に遭うのではないかと思われるほどの少年であるが、それ以上に天才的な頭脳の持ち主である。天が二物も三物もを与えた少年である。自らも学問に精進し、家でもよく働くしっかり者であるが、好奇心旺盛で、物の道理を見極めたいと思っている。そのため少し風変わりな言動もとったりするが、人々の信任も厚い。ただ、おねしょ癖が治らない少年でもある。そして、叔父である平四郎を助け、難解な事件も筋道を立てて解決することができる才能の持ち主である。平四郎と並んで物語の主人公でもあり、その成長ぶりが巧みな筆致で描き出されていく。
平四郎の人物を見抜き、彼の人柄に惚れて、彼のために働く岡っ引きの政五郎は町の人からも信頼の厚い人情家で、機転が利き、「お紺」という妻があり、その「お紺」も人情家で蕎麦屋を営んでいる。そして、その政五郎とお紺の夫婦が引き取って育て、可愛がっているのが「おでこ」と呼ばれる三太郎で、「おでこ」は、すべての事柄を正しく記憶することができる特異な才能の持ち主なのである。「おでこ」と弓之助は深い友人となって、名コンビを作っている。
「おでこ」の父親は人を殺して牢屋で死に、「おでこ」は「鈍くて他の兄弟の足を引っ張る」という理由で母親からも捨てられたのである。その「おでこ」を周囲の人々は温かく信頼をもって育てている。母親が「おでこ」を捨てたのは事情があったことが本書で明らかにされていくが、どう考えても、「おでこ」の母親の「おきえ」は身勝手な哀れな女性でもある。
その他の周辺人物たちも、平四郎の家に仕える小物である小平次やおかまの髪結いである浅次郎、「お徳」の店で働く二人の少女、政五郎の手下たち、あるいはいくつかの事件に関わり合いのあった人物たちも、それぞれ個性豊かに描き出されて、物語の人間模様が描かれている。
本書では、それらの人物に加えて、新しく同心になった間島信之輔や、彼が大叔父と呼ぶ風変わりな本宮源右衛門という老人が登場し、物語はこの間島信之輔を巡っても展開される。
間島信之輔は若い同心で、十手術をはじめとする腕も立ち、人柄もよく、見所のある立派な青年であり、平四郎に学ぶことが多いと尊敬しているが、醜男で、平四郎はそれをしきりに残念がったりする。そして、この間島信之輔が抱く恋心が思わぬ方向に発展していったりするのである。
本宮源右衛門という老人は、冷飯食いの境遇で親戚中を盥回しにされ、間島家でやっかいになっているのだが、見聞が広く、学問もある老人で、事件の核心を見抜く力もあり、やがては天才少年である弓之助や「おでこ」が師と仰いでいくようになってくのである。
また、本書ではじめて弓之助の兄弟が登場し、長兄の結婚話や三男である淳三郎という気のいいお気楽な青年も登場し、この淳三郎の活躍が記されたりしている。
こういう多彩な人物たちの中で、本書で中心となっている事件は、「お徳」の家の近くの橋の上で一人の風采の上がらない男が斬り殺され、ついで同じ手口で「瓶屋」という薬屋の主人が殺され、また、夜鷹が殺されるという事件である。これらの手口が同じだと見抜いたのは間島信之輔の大叔父の本宮源右衛門で、井筒平四郎、間島信之輔、そして岡っ引きの政五郎が、それらの事件の探索を開始するのである。
最初の二つの事件の関連がなく、橋の上で殺された男の身元がなかなかわからなかったし、次に殺された「瓶屋」の主人との関連もない。「瓶屋」の主人が殺された理由もわからない。だが、殺された人の姿がいつまでも橋の上に残っていたことから、なにかの薬を飲んでいて血が固まってしまったことを本宮源右衛門と弓之助が気づき、それが、かつて「ざく」と呼ばれる調剤師だったことがわかっていくのである。そして、次に殺された「瓶屋」という薬屋の主人との関係が次第に明らかになるのである。それは、20年前に、大黒屋という生薬屋で、橋の上で殺された男と「瓶屋」の主人が、同じように「ざく(調剤師)」として働いていたことであった。
この二人が殺された理由が20年前に遡って調べられていく。20年前、今の大黒屋の主人である藤右衛門と瓶屋の新兵衛、そして橋の上で殺された久助は、共に大黒屋の奉公人で、その店にいた傲慢な「ざく(調剤師)」に怒り、また彼が新しい薬を作り出したことを知り、彼を湯屋で殺してしまっていたのである。「瓶屋」新兵衛は、その薬を使って独立したいと思っていた。そして、殺された「ざく」が新しく作ったかゆみ止めの薬が「瓶屋」で売り出されて評判を取っていた。今度の事件はその意趣返しではないかと思われたのである。
そこで、湯屋で殺された「ざく」の係累が探し出されていくが、そこに同じ手口で夜鷹が殺され、また、殺された「ざく」が女房にしたいと思っていた女とその腹に宿っていた子どもも死んでいることがわかり、事件は再び謎に包まれていくのである。
だが、この袋小路に陥ってしまった事件の謎を弓之助が見事に解き明かす。そして、物語は新たな展開へと進んで行く。この辺りのことからは、今日は、少し、しなければならないことが残っているから、また次に書くことにしたい。
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