2010年2月11日木曜日

佐藤雅美『老博奕打ち 物書同心居眠り紋蔵』(2)

 昨夕遅くに雨が降り、今朝もどんよりした天気が続いている。今朝はゆっくり起きて不協和音の多いJ.S.バッハの「ピアノ協奏曲」などを聞いて過ごした。バロック調の旋律なのだが、ちょっといびつな感じもする。気温が低く寒いので、こういう日は身体に堪えて頸椎も痛むが、読み続けている佐藤雅美『老博奕打ち』が面白くて、ひとりで腹を抱えて笑ったりした。バッハと居眠り紋蔵は合わないが、その取り合わせもなかなかではある。

 『老博奕打ち』の第六話「呪われた小袖」は、ある旗本の内儀が凌辱されて殺され、その際に盗まれた小袖をめぐって、その小袖に関わった者たちが次々と罪に定められ、紋蔵と同心の金吾が真相を探っていくというもので、結局、旗本が自分の妻の殺害を友人の旗本に依頼し、それをごまかすために強盗を装っていたことが判明する。盗品である小袖をさらに盗んだり、売ったりして小利を謀った者たちが次々と発覚して、まるで凌辱されて殺された内儀の怨みが乗り移ったようにして事件が明るみに出ていく筋立てが流れるようでうまい。

 第七話「烈女お久万」は、饅頭屋の若後家が囲った役者の家が、近所の者のやっかみで火事騒動に似せて壊され、それが侠客と火消しの双方の親分のところに持ち込まれ、侠客と火消しが一色触発の状態となり、紋蔵の知恵によって、家の持ち主である饅頭屋の若後家「お久万」を説得して解決するという話で、紋蔵が預かって育てている文吉(第三作『密約』で登場)が子どもながらに度胸の座っていることを買われて侠客の家に出入りし、小博奕をしていることが分かり、紋蔵がそれをやめさせようと侠客と関わることも絡んで展開されている。

 第八話「伝六と鰻切手」は、第七話の事件の解決によって鰻をごちそうされ、鰻切手(鰻の商品券)をもらったが、そこに伝六という就職の保証人になることで手数料をもらった男が、斡旋した奉公人が欠落ち(かけおち)したという問題をもちこみ、この奇妙でずうずうしい男に翻弄されて、欠落ち事件の決着をつけなければならなくなった紋蔵が、家族で鰻を食べに行くことを楽しみにしていたのに、その鰻切手を使わせられる羽目になるというものである。

 およそ人間の事件というものは、人間の「欲」から生まれてくる。「欲」は、生物学的な生存欲求も含めて、その社会の状況や環境、それぞれの関係の中で様々な姿を取るが、人間は決して「無欲な存在」ではありえないので、その機微が『物書同心居眠り紋蔵』の中で描き出されていくのである。作者の佐藤雅美は、その「欲の状態」を生活レベルの状態で時代の社会背景を詳細に検討しながら展開する。そして、主人公の居眠り紋蔵もまたその一人として描き出されているので、単純な善悪の判断がされないところがこの作品を上質なものに仕上げている。こういうところが気に入っているのである。

 今日は、本来なら、近くの人たちから誘われて朝の6時からスキーに行くこともできたのだが、時間もとれないし、あまり気乗りもしなかったので比較的のんきに過ごしている。「家庭論」という1999年に発表した倫理学の論文の整理もしよう。食料品の買い出しにも行かなければ、と思ったりしている。

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