2010年2月1日月曜日

諸田玲子『山流し、さればこそ』(2)

 今にも泣きだしそうな雲が広がっている。風も冷たくなってきた。「如月の風は冷たき ひゅるひゅると鳴り渡る」と、以前作った詩の一節を思い起こしたりする。昨夜は、山田洋次監督作品で吉永小百合主演の『母べぇ』がテレビで放映されたので、深い感動を覚えながら見ていた。

 これは野上照代という人の『父へのレクイエム』(1984年 2007年『母べぇ』として中央公論社より出版)を原作としたものだが、1940年(昭和15年)から激化していく日中戦争とそれに続く太平洋戦争の時代に治安維持法で思想犯として逮捕されて獄死していく父(「父べぇ」)を敬愛し、信じていく「野上家」の家族の物語である。

 ドイツ文学者であった父(父べぇ)と母(「母べぇ」)、姉妹の四人家族で平穏に愛情豊かに暮らしていた「野上家」に、ある朝、突然に特高警察が踏み込み、父を思想犯として逮捕していくところから「野上家」の悲しみが始まる。

 父は、獄中でどんなにひどい状態にあっても、静かに、しかし決して自分の信条を曲げずに、劣悪な環境の中で獄死していく。そして、母は、その父を信じ、どんなにひどい仕打ちを受けても、のどから手が出るほどの食べ物をぶら下げられても、過労で倒れることがあっても、凛として、父への愛と信頼を貫いて、深い愛情の中で子どもたちを育てていく。世情が「国賊」と非難し、父の恩師も母の父もそれぞれの立場から非難を浴びせるが、そのような「野上家」を支える人たちもある。

 だが、それらの人たちも、天衣無縫で鼻つまみ者として扱われていた叔父さんは吉野の山の中で死に、叔母さんは広島で原爆にあい、父を敬愛して家族を支えていた教え子も戦死する。そのような中で、黙々と子どもたちを守り育てていく「母べぇ」の姿が描き出されていく。

 昨日はちょうど「時流にあった考え方や方法を取るべきだ」との意見をたくさん聞かなければならなかった日だけに、よけいにその「野上家」の姿に涙をぽろぽろこぼして感情移入してしまった。時代や社会の分析はする。しかし、その時代や社会に合わせる気はさらさらない。人が「悪い」と思っていることよりも、「よい」と思っていることの方がいつも問題だから。戦争が善だと思われ、それが叫ばれ、人々がそれを強要する時代があった。人々が大上段に振りかざして「善」だと主張していることは、「明白な悪」よりも性質が悪い。

 そんなことを考えながら夕食を食べるのも忘れて映画に見入っていたために、一息入れて、簡単な野菜炒めを作って、ビールを飲みながら諸田玲子『山流し、さればこそ』の続きを読んだ。

 家を再興するために出世ばかりを考えていた主人公は、同僚の讒言によって「山流し(左遷)」させられ、そこで甲府勤番の下に置かれていた勝手小普請となるが、上位の勤番衆から質の悪いいやがらせを受ける。勤番衆もまた、やり場のない憤りのようなものを抱いて乱暴狼藉に走っていった者たちで、彼らは甲府の豪商と結託して芝居の面をかぶって強盗を働いていたりした。上役は事なかれ主義で、面倒を起こすことを嫌う。主人公が住むことになった勝手小普請衆の長屋の住人たちも鬱屈した心情を抱いている。

 そういう中で、同じ勝手小普請の中に、学問を積んで子どもたちに教えながら、「学問所」の開設を志して飄々と生きている風変りな「武稜(富田富五郎)」と出会い、次第に、江戸で出世ばかりを考えていた頃には見えなかったものが見えていくようになる。

 そして、「武稜」のもとに出入りしていた娘が、ついに狼藉を働いていた勤番衆からかどわかされる事件となり、主人公はその娘を救出するために、芝居の面をかぶり強盗を働いたり、有力商人を殺したりしていた事件の真相に迫って、武稜や同僚の勝手小普請とともに狼藉を働いていた勤番衆と立ち向かう。

 そういう中で、事件を画策していた艶やかな豪商の後妻(実は武稜の思い人で、かどわかされた娘の母)との出会いと彼女との関係、出世をもくろんでその手先となっていた同じ長屋に住む人間、狼藉を働いていた勤番衆の心情、また主人公と妻との関係、家族の姿などが細やかに描かれていく。

 登場する人物たちのほとんどが上昇志向をもった人間たちだが、主人公の妻や武稜は、それらの人々とは対照的に日々の生きることの大切さや喜びを見出す人々である。主人公の周囲には、そういう二重の人々がいて、それらの中で主人公が自分の生き方を深く見つめていくのである。

 作品の中で、武稜(富田富五郎)は実に魅力的な懐の深い人間として描かれており、主人公の妻、武稜を尊敬してかどわかされた娘、妖艶な豪商の後妻で事件の要となるが自分の子どもを思う気持ちはしっかりと持っている女性など、それぞれの仕方で強い生き方をする女性たちが生き生きと描き出される。ちなみに、富田富五郎は歴史上の人物で、彼が開設した「甲府学問所」は、やがて「徽典館」と呼ばれるようになり、現在の山梨大学へと続いている。物語はその甲府学問所が開設されるくだりを巧みに取り入れながら進められている。

 現代でも、上昇志向を強く持っている人たちや挫折を味わっている人たちは山のようにいる。生きる上で何を一番大切にするべきなのかを、この作品はさりげなく提示している。事件が解決し、江戸への復帰を許されるが、嫌だった甲府の地で武稜の甲府学問所を手伝いながら暮らすことを決意し、やがて、妻が亡くなった後でかどわかしにあった娘と結婚し、年老いた二人が穏やかに、そして温かく過ごすという結末が光る。「老妻の後姿に目を移して、数馬(主人公)は温和な笑みを浮かべた」(文庫版 356ページ)という言葉は、冒頭の「笛吹川を渡ったところで雨がきた」という言葉と対として見ると、この作品の展開と主張がよくわかるような気がする。

 午前中、洗濯をしたのに雨が降り出した。車が水しぶきを上げて疾走していく騒音も激しいが、今、近くにある小学校から下校していく子どもたちの声がにぎやかに聞こえる。コーヒーを入れて、また一仕事しよう。夕方、中学生のSちゃんが来ることになっている。数学の話をしよう。何といっても数学には夢があるから。

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