2010年2月22日月曜日

白石一郎『おんな舟 十時半睡事件帖』(1)

 気温が少し上がって晴れ間が見える。昨日、洗濯をしたまま干すのを忘れて都内での会議に出たので、今朝はもう一度洗い直して干したり、いくぶん溜っている疲れもあって、少しゆっくりとコーヒーを入れて早春が感じられ始めている景色を眺めたりしていた。

 19日(金)に記した六道慧『径に由らず』の表題となっている言葉は、『論語』の中の「行くに径に由らず」という言葉から取られたものであることが、237ページに記してあり、「近道や抜け道を行かず、正々堂々と本道を行く」の意であることが記されて、主人公の姿を現すものとなっているが、作品の中での主人公のその描写はともかく、妙にこの言葉が記憶に残った。そして、孔子は「宇宙(天)の大きさと広がりを人間に体現させようとしたのかもしれない」などと思ったりした。『論語』は、儒教的解釈は別にして、人に天の大きさを示してくれる書物のような気がする。

 昨日(21日)の午後行われた都内での会議の往復の電車の中で、白石一郎『おんな舟 十時半睡事件帖』(1997年 講談社 2000年 講談社文庫)を読み始めた。

 奥付によれば、作者の白石一郎は、1931年生まれで、主として海を舞台にした作品を書き、1987年『海狼伝』で直木賞、1992年『戦鬼たちの海』で柴田錬三郎賞、1999年『怒涛のごとく』で吉川英治文学賞などを受賞した作家としての輝かしい実績をもつ人らしい。そして時代小説としての『十時半睡事件帖』もテレビドラマ化されて放映されたようだ。この『おんな舟』も、このシリーズの六作目となっている。

 残念ながら、わたしはこの人の作品にこれまで一度も触れることがなかったし、この作者についても無知であったが、このシリーズの主な舞台が、わたしの郷里でもある福岡と江戸で、主人公の十時半睡(ととき はんすい)は黒田藩(福岡)の総目付(今でいえば検察庁長官)であり、「半分眠って暮らす」という「半睡」という名前が、なんとなく「半眼で生きよう」と思ってきたわたしに面白く感じられて、図書館で目について借りてきた次第である。

 主人公の十時半睡の本名は十時一右衛門で、黒田藩の寺社奉行、郡奉行、勘定奉行、町奉行を歴任した切れ者であるが、出世欲もなく、妻と死別して齢六十を過ぎて隠居の身で、自ら「半分眠って暮らす」という意味で「半睡」と号していた。黒田藩が、彼の進言を入れて「十人目付」という警察・検察制度を敷いた際、適任者がいないために彼がそれを取りまとめる総目付として再任され、様々な事件に「人を生かす」という視座の「大岡裁き」並みの名判断をしていくのである。

 半睡は総目付という重職についているが、目付部屋へは月に二三度しか行かずに、気ままに過ごすことを信条とし、尊大さも堅苦しさもなく、江戸藩邸では、堅苦しい藩邸を避けて気楽な町屋に住んだりするが、持ちこまれる相談事も多く、難事件や珍事件に関わっていくのである。この『おんな舟』で半睡は深川の小名木川に面した所に藩邸から移り住むくだりが描かれているので、前作までの舞台は主として福岡であろう。

 半睡が福岡から江戸に出てくる事情は本作では触れられていないが、福岡で総目付として働いていた半睡は、謹厳実直そのものであった息子が女性関係で不始末を仕出かしたために責任を取って総目付を辞めていたが、江戸藩邸で起こった刃傷沙汰のために江戸藩邸でも十人目付の制度を採用することとなり、筆頭家老に強引に説得されて、江戸の総目付として就任したのである。半睡は、自分に厳しく人にやさしい。

 第一話「突っ風」は、福岡藩主に災厄の兆候があるから厄除けの加持祈祷をさせてくれと申し出た修験者が藩主の生母を使って申し出たため、事柄が政治的判断を必要とすることになり、判断がつきかねた藩の重役たちの依頼で、半睡がそれを解決していくという話である。半睡は盲信に対して客観的・合理的精神をもっている。

 第二話「御船騒動」は、福岡から江戸に向かった藩主の御用船と毛利家の御用船が海難事故を起こし、その責任を問われる事件で、半睡は、その両者も責任を問われることなく済むように事件を処置して行くのである。ここには、「人を生かす」という半睡の見事な姿勢が貫かれている。そのために、負担しなければならないものを負担するという見事な覚悟がこの難題を解決してくことへと繋がっていることが描き出される。

 第三話「小名木川」では、藩主の江戸詰(参勤交代)で江戸へやって来た勤番の若い藩士が無聊を慰めるために行っていた赤坂溜池での釣りに乗じて、彼をたぶらかして江戸藩邸での強盗を計画していた盗人たちが捕えられるという事件で、半睡が風紀の乱れを感じてこれを引き締めるという顛末が描かれている。

 表題作ともなっている第四話「おんな川」は、赤坂溜池近くの中屋敷から深川の小名木川沿いに転居した半睡が、伝馬船を作って藩邸への往復を行おうとして、同じように小名木川を猪牙舟(ちょっきぶね)で自宅と黒江町の小料理屋を往復する女将と知り合い、この女将の奇抜な行動を知らされていく話で、やがて半睡はこの女将の経営する小料理屋を贔屓にするようになっていく。

 昨日はここまでしか読むことができなかったが、面白いシリーズに出会ったと思っている。また、現在は福岡市としてひとつになっているが、わたしの感覚でも、福岡と博多は違うし、歴史的にも、そして街の気風も異なっている。そこには軋轢もある。そのあたりも、前の作品では明瞭に記されているだろうから楽しみである。福岡城(舞鶴城)のある大濠公園の近辺は、本当に懐かしい。

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