2012年1月17日火曜日

永井義男『将軍と木乃伊 江戸国学者・山崎美成の謎解き帳』

土曜の夜から月曜にかけて、E氏、T氏、Y・T氏と今年度の研究テーマを検討するために箱根に行ってきた。冬の箱根は寒いが、仙石原の宿の湯が素晴らしく、ゆったりと宿の湯につかりながら、日本の現代史思想家をしぼりながら10年かけて検証するというE氏の話を聞いたりしていた。わたしは、今年はF.ニーチェについて話をすることにした。ニーチェの思想はいくつかの大きな問題があるが、彼の異常なほどの集中力は考慮に値する。

 それはともかく、永井義男『将軍と木乃伊 江戸国学者・山崎美成の謎解き帳』(1999年 祥伝社)をかなり忍耐しながら読んだ。読むのに忍耐したのは、主人公として取り上げられている江戸時代の国学者であった山崎美成(やまざき よししげ)にほとんど魅力を感じていなかったからである。

 山崎美成(1796-1856年)という人は、「好問堂北峰」という号も使っているが、江戸の富裕層が住んでいたと言われる下谷長者町の薬種屋であった「長崎屋」の子として生まれ、稼業を継いだのだが、国学者であった小山田与清などに国学を学び、文政から天保にかけて作家の曲亭馬琴や柳亭種彦、古物の収集と考証をしていた屋代弘賢らと交わって江戸風俗などの考証をし、あまりに行きすぎて稼業を傾けて破綻した人である。

 自意識が強く、見栄っ張りで、国学の師であった小山田与清ともうまくいかず、流行作家となっていた馬琴ともつまらないことで論争し、ただ相手を論駁することに喜びを感じたり、人から一目置かれることだけを目指したりした人で、人間的には狭量だった人である。学問としてきちんとしたものというよりは雑学の知識だけで、ただ流行の中で浮沈した人生を生きた人のような気がしていた。

 こういう狭量な学者をわたしも山ほど見てきたが、こういう人物を、いわば探偵役として、精力剤として珍重された「黒焼(動物などを真っ黒に焼いて薬剤とした)」に関わる、しかも木乃伊(ミイラ)の黒焼きに関わる事件の謎を解こうというのだから、わたしの個人的な好みからいえば、読んでいくのに忍耐がいるのは当然のことだった。

 事件は、「オットセイ将軍」とも言われた徳川家斉の精力維持のために中野石翁などの奸臣などへの献上として死亡した男女の性器の黒焼を回春剤として作っていたというもので、なんとも馬鹿馬鹿しい話である。頽廃した風潮の中で頽廃した人物たちが登場し、物語が展開される。

 江戸時代の文人たちの勉強量というのは、決して生半可なものではなく、想像を絶するくらいに多大なものがあり、その考証も綿密に行われたものが多いのだが、個人的に、本居宣長を別にして、そうした国学にもあまり関心がないし、まして山崎美成には狭量な人物という印象しかなく、しかも家斉の回春や木乃伊(ミイラ)についての関心などほとんどない中で、まあ、こういう人物もいたし、そんなことを考える人間もいただろうぐらいで、読み進めてしまった。

 ただし、巻末に参考文献が多数上がっているように、歴史的な考証や時代風潮に関する考証は、かなり精密に為されている。その点からいえば、この時代の文人たちや知識人たちの姿を知る上ではかなりの内容となっている。永井義男は、綿密な歴史資料を考証していく作家のひとりだが、わたし自身も数学についての関心もあって『算学奇人伝』は面白かった。ただ、この作家が何を大事にしているのかがわかりにくい作家のひとりのような気がしている。

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