異常なくらい暑い日が続いているが、湿度も高く、どうにもやる気が起きなくて困るなあ、と思いながら日々を過ごしている。夏休みは欧州並みにせめてひと月ぐらいはならないかなあ。働き過ぎてもろくなことにはならないと思いつつも、つい仕事を引き受けて働いてしまう。
ロンドンで始まったオリンピックも、まあ、見るとはなしに見ているが、自分の中では、今ひとつ盛り上がらない。スポーツが別世界になったからかなあ。
そんな思いの中で、懸命に生きている子どもたちの姿を中心に描いた西条奈加『はむ・はたる』(2009年 光文社)を面白く読んだ。
これは以前に大変面白く読んだ『烏金』(2007年 光文社)の続編のような作品で、前作の主人公であった頭脳明晰な人情家の「浅吉」によって助けられた、それぞれに訳が有り頼る者が誰もなくて集団で盗みを働いて生活していた子どもたちの物語である。彼らは、「浅吉」によって稲荷寿司の販売という生活の道を見出し、「浅吉」が江戸所払いとなったあとは、旗本の長谷部家に身元保証人になってもらって、「勝平」という利発な子どもを中心にして自分たちの手で生活をしているのである。
長谷部家は、役料百俵という貧乏御家人で、そこの祖母と妻が手内職に稲荷寿司を作り、それを子どもたちが振り売りしていくというもので、十五人の子どもたちは、雨風で商売に出られないときは、祖母からしつけや礼儀、読み書きなども教えられている。その祖母が凛とした女性で、厳しい躾をするが、その奥には子どもたちに対する深い愛情があり、いざという時にはしっかり子どもたちを守っていくのである。
十五人の子どもたちは、それぞれ三つの長屋に分散して暮らしているが、彼らの中心にいるのは勝平で、彼は、見捨てられたり途方にくれたりしている子どもがいると、これを放っておけずに次々と仲間に入れて、これだけの人数になってしまったのである。子どもたちは勝平には絶対的な信頼を置き、勝平もそれを裏切ることはないし、優れた洞察力と明晰な頭脳で問題を解決していく。勝平はまだ十二歳である。
物語は、その勝平が住む長屋で、親なしとか泥棒とかの悪口を言っていた長治という子どもがいなくなるところから始まる。長治の親や長屋の大人たちは、喧嘩をして勝平たちが長治をどこかにやったのではないかと疑いはじめ、勝平たちは、その疑いを晴らすために長治の行き先を探すのである。
そこへ、長い間諸国を放浪していた長谷部家の次男である「柾(まさき)」がひょっこり帰って来た。柾は、自分が通って慕っていた剣術道場の師範が、師範代によって殺されたために、その仇を討とうと諸国を巡っていたのである。人なつっこい笑顔をする柾は子どもたちも気に入り、絵の腕も達者で、さっそくいなくなった長治の似顔絵を書いて、それをもとに子どもたちは長治の探索をはじめるのである。この柾の仇討ちが本書の複線となって物語が展開されていく。
勝平たちは子どもたちの情報を頼りに、結局、備中の大貫藩の継子問題に絡んで、継子として迎えられる子どもに長治が似ていることから、これを拐かして大貫藩から大金を取ろうとした浪人によって監禁されていることが分かり、みんなで協力して彼を助け出していくことになるのである。それが第一話「あやめ長屋の長治」である。
第二話「猫神さま」は、争いを起こした父親が牢で死に、母親にも捨てられて寺に預けられていたが、さらにそこから江戸にやられて行くあてもなくなっていた時に、勝平たちと出会って仲間になった十二歳の三治という子どもを語り手にして、繭玉問屋に奉公に出されていた少女の盗みの疑いを、勝平たちを中心にした子どもたちが晴らしていくという話である。
少女は、彼女の父親が病気の弟の薬代のために庄屋の金に手をつけてつかまり、一家が散り散りになったところを繭玉問屋の手代の世話で奉公にでることができるようになったのだが、その奉公先の繭玉問屋で崇められていた「猫神さま」という猫の像がなくなって、彼女に疑いがかかり、店を飛び出して濡鼠のようになっていたところを三治が見つけて事情を聞いたのである。
勝平たちは、そのなくなった「猫神さま」を探し出すという約束で、娘の濡れ衣を晴らしていく。結局、その繭玉問屋の幼い病弱な子どもが二十日鼠をひそかに飼い、その二十日鼠が飾ってあった「猫神さま」の耳をかじってしまったために、知恵を使ってうまく隠してしまったことがわかっていく。勝平たちは、誰も傷つけないようにうまく知恵を使って事を処理して、繭玉問屋の主人に少女を疑ったことを謝ってもらって、一件が落着していくのである。
第三話「百両の壺」は、大飢饉でひとりぼっちとなり、吹雪の中で泣いていたところを煙管などの小間物を行商する男に助けられ、育てられているうちに算盤や銭勘定を覚えるようになっていったが、その男が旅の途中で病気にかかり死んでしまったために、江戸の小間物問屋を尋ねることになったが、どうにもそこのお内儀が苦手で、ひとり橋の上でぽつねんとたっていた時に勝平たちに出会って仲間になった「テン」と呼ばれる天平という十一歳の子どもを語り手にして、旗本の詐欺で苦しめられている鰻屋を助けていくという話である。
「天平」という名前も、長谷部家が身元引受人になった時につけてもらった名前であり、彼は真面目で小心であるが、銭勘定ができることから、金貸しの「お吟」(前作の中心人物)の手助けをするようになっていたのである。「テン」は、浅吉(前作の主人公)がやっていたように、ただ金を貸すだけではなく、相手の問題を解決し、それによって借金の返済ができるようにしてやるという方法で人の信用を勝ち得て、ひたすら懸命に働くような善良な子どもである。
その「テン」の下に、九歳になる長谷部家の嫡男の佐一郎が預けられることになる。気の強い佐一郎は、貧乏御家人の父親や放浪する叔父の柾を見て、侍に嫌気がさして商人になると言い出し、長谷部家の「婆さま」からひどくしかられ、商売の辛さを体験させようと「テン」に預けられることになたのである。
ところが、二人が借金の取立てに行った先の鰻屋で、その鰻屋の娘が奉公に出た先の旗本家の家宝の壺を壊してしまい、それが百両もする値打ち物ということで、鰻屋は百両の借金をし、「テン」たちに返済が不可能になっていることが分かる。
その話を聞いた勝平は、それが騙り(詐欺)ではないかと見破り、同じようにして金を取られている人たちがいることを探し出し、柾の手を借りて、これを解決していくのである。そして、この事件をきっかけにして、佐一郎は再び長谷部家に戻ることになるのである。
第四話「子持稲荷」の語り手は十一歳になる「登美」という少女である。登美は、両親とともに田舎から江戸に出てきたが、厄介払いで親類に預けられ、そこから他所に売られる途中で勝平たちに助けられて仲間になった少女である。
その登美が、ふとしたことで大きな仕出し屋の息子の由次郎と出会う。由次郎は、仕出し屋の後添いに来た継母から立派な跡取りにするということで厳しく躾けられ、習い事もたくさんさせられて、それが嫌になってひとりぽつねんと川べりに立っていたのである。登美は、その由次郎を見て声をかけ、さぼって飯を抜かれた由次郎に稲荷寿司を分け与えるのである。
ところが、その仕出し屋のお内儀が何者かに強請られていることがわかる。勝平はお内儀がなぜ強請られているのかを探るために登美の掏摸の腕を使って強請っている男から強請の種となっているものを奪う。それはお内儀が往来で落としてしまったもので、由次郎の両親の名前と臍の緒であった。お内儀は仕出し屋の主人との間に由次郎を設けたが、由次郎の将来のために由次郎を仕出し屋に出し、親子の名乗りをしないできていたのであった。そして、仕出し屋の先妻が亡くなった後で後妻として入ったが、由次郎が甘やかされて育っていたために、懸命になって跡取りとしての躾をしていたのであった。
由次郎はそのことを知るが、勝平は、自分が知っていることを一切明らかにせずに、手習いに励めと由次郎を説得して丸く収めていくのである。強請っていた男は柾によって懲らしめられ、二度と強請らなくなる。そうして、由次郎が登美のために稲荷寿司の中にもうひとつ油で揚げたものを入れる「子持稲荷」を考案して、ほのかな慕情を残しながら話が終わる。
第五話「花童」は、回向院の門前で母親に捨てられていたところを勝平たちに助けられて仲間になった九歳になる「伊根」が語り手となって、医者の妻女の拐かし事件に絡んで拐かされてしまった口がきけない三歳の「花」をみんなで助け出していく話である。
「伊根」は、同じ仲間で役者のような顔をしているハチが好きで、「花」はそのハチの妹である。ハチは幼い頃に陰間茶屋に売られたこともあり、ほとんど口を聞かないが、「花」のことになると命懸けになる。「花」は口が全く聞けないが、実は利発で、難しい字も覚えることができるし、算勘も達者にできる。物覚えも良い。だが、ハチと「花」は実の兄妹ではないと知って、「伊根」は嫉妬を覚えたりする。
そういう中で、「花」がいなくなる。「花」は、実は長谷部柾が敵として描いた浪人を見つけ、その後をつけているうちに、その仇を含む浪人たちがある藩の大名の御典医に雇われ、藩主の外科手術を失敗するように蘭方医を脅す手段として、その蘭方医の内儀を拐かした事件に遭遇してしまい、一緒に監禁されていたのである。勝平たちは町方役人に頼んで二人を救出する。だが、柾が仇と追い続けた浪人はその中にはいなかった。その仇討ちの話が第六話「はむ・はたる」である。
表題作ともなっている第六話「はむ・はたる」は、柾が師と仰いでいた剣術道場の師範を殺し、その財産を奪い取って逃げた「お蘭」という女と師範代に柾が仇討ちをする話である。「お蘭」は、男を騙しては金を取る稀代の悪女で、「はむ・はたる」というのは、「ファム・ファタル」(惑わす女)のことである。その「お蘭」が、ついに病を得て余命幾ばくもない状態にあることを勝平が探り出してきた。
柾は、「お蘭」の正体を知らずに、先妻がなくなった道場主に紹介するような形になってしまい、その後、師範代だけでなく、幾人もの門弟や親類縁者、道場に出入りしている商人までも手玉にとって、道場を売り払って師範代と江戸を逐電し、行く先々でも男を食い物にして生きてきた女だった。その「お蘭」と師範代が見つかったのである。
だが、仇討ちが許されるのは、血縁があれば血縁だけであり、柾には仇討免状がなく、これを討てば単なる人殺しとなるために、勝平は柾にそうなってほしくないと思っていた。おまけに剣の腕の差もあって、柾は師範代に一度も勝ったことがなかった。しかし、柾は師範代に果し合いを望み、肉を切らして骨を断つという仕方でこれに勝つのである。柾は無駄に年月を過ごしたのではなかったのである。そして、見守っていた勝平を人質にして「お蘭」が逃げようとし、勝平を助けるために「お蘭」も斬るのである。だが、「お蘭」は自ら殺されることを望んでいたところがあったのである。
こうして柾は本懐を遂げるが、勝平の機転によって、重罪とはならずに江戸所払いとなる。柾が江戸を離れていくところで本書は終わる。つまり、長谷部柾が登場し、彼が江戸を去るまでが大筋となり物語が展開されている次第である。
しかし、おそらくはそれぞれがそれぞれの人生の主人公という考えで、一話ずつの語り手が変わる構成がとられながら、その大筋が展開されていると思うが、やはり、主人公が多様すぎるきらいがあって若干、一人一人が描ききられていない気がしないでもない。だが、作者の姿勢や文体、人間に対する視点などはどこまでも優しくて、物語としても面白く読めた。この作者の作品はこれからも注目していきたいと思っている。