2012年7月6日金曜日

隆慶一郎『隆慶一郎全集19 柳生非情剣』(2)


 このところ蒸し暑い日々が続くようになり、今日も重い梅雨空が広がっている。変わらずに能天気な生活ぶりなのだが、こういう季節は疲れを覚えやすいなあ、と思ったりもする。

さて、隆慶一郎『隆慶一郎全集19 柳生非情剣』の続きであるが、苦労をし、また策謀も重ねて柳生家を再興させた柳生宗矩の次男、柳生友矩についての物語が「柳枝の剣」で語られていく。柳生友矩は、宗矩の側室「お藤」の子で、「お藤」は美貌で柳生宗矩の側室になったと言われるほどの美女であり、友矩はその血を受け継いで、無骨者が多い柳生家の中でも稀に見る眉目秀麗の好男子だったと言われる。

彼は、三代将軍徳川家光の怒りを買って退けられた兄の三厳(十兵衛)の代わりに小姓として勤め、家光の剣の相手をしながら、衆道癖(同性愛)のあった家光と衆道関係になり、その寵愛を一身に受けて加増されていくなど、兵法者としての姿からは遠い存在だった。性格も穏やかだったと言われる。

しかし、本書では、その中で柳生友矩が子どもの頃から兄の十兵衛に打たれ続けることで、打たれても平然と受ける心と己の死を覚悟した生き方を身につけ、相手の攻撃を寸前でひらりとかわしていくしなやかな柳の枝のような技を身につけ、実は十兵衛でさえかなわない相手であったと語るのである。

父親の宗矩は、江戸幕府で初めての大名を監督する総目付の役についたばかりで、諸藩に睨みを利かす立場にあり、自分の子が将軍の寵愛を受ける衆道であることを恥じ、家光と引き離すために彼を病気として柳生の里に引きこもらせ、十兵衛を刺客として送り込んで亡き者にしてしまうことを決心し、友矩は刺客となった十兵衛と対決することになる。そして、友紀は十兵衛の剣を見切っていたが、「そろそろ終わりにしましょう」といって十兵衛に斬られたと語る。

なお、家光はこのことで怒り、柳生宗矩が死去した後で、領地を長男の三厳(十兵衛)と宗冬で分割するように命じて、柳生家を大名から追い落としたと言われる。柳生友矩が27歳の若さで死去したこともあって、友矩に関する記録がほとんど残っておらず、彼がそのような剣技を身につけていたかどうか、あるいは十兵衛に殺されたのかどうかはともかく、柳生家が友矩の死去で家光の怒りを買ったのは事実だろう。

この一度没落しかけた柳生家を再び大名にまでしていったのは、柳生宗矩の三男の宗冬(16131675年)である。この宗冬についての物語が「ぼうふらの剣」で語られていく。表題は、宗冬が晩年に池の中で浮沈するボウフラの動きを見て剣技を悟ったと言われていることからつけられているが、宗冬は兵法者というよりもむしろ政治家だっただろう。彼は四代将軍徳川家綱の剣術兵法指南となっていくが、兄弟の中では天才肌の三厳(十兵衛)などと比べて剣の才能は劣っていたとされる。しかし、家督を兄の三厳(十兵衛)から受け継ぎ、1668年(寛文8年)に加増されて、再び大名となっている。

本書では、兄の三厳(十兵衛)から剣のシゴキを受けて泣き虫だったが、そのおかげで剣術家としての体ができていくようになったと語る。だが、一時は剣の道を捨てようとまで思うようになる。しかし、あるときに、家光の剣の相手として、父親の柳生宗矩と立ち会っている際、ふと宗矩の太刀筋が見えるようになり、自分の木刀がもう少し長かったら父親の宗矩に勝っていたとつぶやいて、宗矩から気絶するほど打たれてしまうことが起こってしまう。そして、父親の怒りを恐れて、そのまま出奔し、柳生家とは縁があった能の金春家の猿楽師喜多(北)七太夫のもとに身を寄せるのである。

柳生家と金春家は、かつてそれぞれの秘伝である「西江水」と「一足一見」を交わした関係で、宗冬は、この金春家で「西江水」の秘技を学ぶのである。「西江水」とは、詳細は分からないが、簡単に言えば「機をよく見て、その機に石火のようにあわせて動く」剣技であろう。それを身につけて、宗冬は柳生家に戻り、その家督を継いだというのである。晩年の宗冬は穏やかな人だたと言われるが、権謀術作が渦巻いた彼の時代の幕閣内でしのぎを削ったことは間違いないであろう。

柳生一族の中でも、何といっても異彩を放ち、天才とまで言われるのは、柳生三厳(十兵衛-16071650年)である。柳生三厳(十兵衛)に関しては、実に多くの小説が書かれているし、伝説や講談話もたくさんある。柳生宗矩の長男として生まれ、幼い頃から優れた剣の資質を発揮して、三代将軍徳川家光の剣の相手をさせられていたが、家光から打たれるのが嫌で、これをこっぴどく打ち返したりしていたために家光の怒りを買い、20歳の時に小田原に身柄預かりとなり、その後諸国を放浪したと言われる。しかし、実際は不明である。

本書では、この三厳(十兵衛)について、彼が剣の境地に達っしていった姿を描いた「柳生の鬼」と、熊本で「心の一方」と呼ばれる一種の不動金縛りの術のような剣を使う二階堂兵法の二階堂大吉との闘いを物語った「心の一方」が収められている。作者は、すでに多くの十兵衛を天才として取り扱った作品があるためか、あまりこの十兵衛には関心がなかったのではないかと思ったりもする。

柳生宗矩の兄で、戦で不具者となりながら父親の柳生石舟斎から新陰流二世を受け継いだ柳生厳勝の姿を描いた「跛行(あしなえ)の剣」は、本書の中でも読み応えのある作品だった。特に、戦場で被弾して腰から下が動けなくなった厳勝が、自らに歩行訓練を貸して、優れた剣技を身につけるようになると同時に、彼が不能者となり、「子が必要なのだ」という身勝手な理由で父親の石舟斎が彼の妻と関係するようになってからの彼の姿など、逃れられない境遇の中で、父親と妻の裏切りを受けつつも毅然として生きていく姿として描かれている。

柳生石舟斎の四男で宗矩の兄である柳生宗章(15661603年)については「逆風の太刀」で描かれる。彼は、柳生家を出て、小早川季秋に仕え、関ヶ原の合戦に参戦するが、小早川季秋が若くして死去して小早川家が改易されると、米子の中村一忠の執政家老横田村詮に乞われて客将となった。横田村詮は、名地政者として著名であった。しかし、藩主の中村一忠がこれを妬み、村詮が城内で謀殺されたことから、横田一族は飯山に籠って中村一忠と対戦するのである。中村一忠は隣国の援助を受けてこれを鎮圧するが、その時に、柳生宗章は義憤から横田一族に味方し、凄まじい働き(一説では吹雪の中で敵兵18名を撫で斬りにしたと言われる)をするが、刀折れて壮絶な戦士を遂げた。この柳生宗章だけは、本書の中で「士」として描かれている。

作者が『柳生非情剣』の中で描き出したのは、やはり、「人でなし」の人間たちであり、それゆえの悲哀と、もがきの姿である。作者が語る「覚者」というのは彼らを歴史に照らしてみると言い過ぎのような気もするが、これもまた極めて面白く読めた一冊だった。本書に収録されているその他のものについては、割愛することにするが、「時代小説の愉しみ」は、作者自身の姿を知る上で大いに楽しんで読めたし、文体も小説とは異なった流れをもち、これはこれで極めて優れたものだった。

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