昨日までの猛暑が嘘のように、一転して雨模様の重い空が広がり気温も上がらない。こういう天気は、昔なら間違いなく冷害を生じただろう。北海道や東北では20度を下回る気温となり、オリンピックが開催されるイギリスでも、今年はまだ寒いと報道されている。
昨日、あざみ野の図書館に行き、文庫本の棚を眺めていて、ふと目についたので借りてきた池端洋介『養子侍ため息日記 さすらい雲』(2006年 学研M文庫)を大変面白く読んだ。作者についての詳細は知らないが、文庫本カバーの著者紹介では、1957年に東京で生まれ、雑誌の編集者や業界紙の記者などをされたあとで執筆活動に入られたらしく、主に書下ろし時代小説を書かれているらしい。茅ヶ崎在住のようだ。
読んだ『養子侍ため息日記 さすらい雲』は、書き下ろし作品とはいえ、かなりうまい筆運びがなされているし、作者が描く主人公像も特徴があって実に生き生きしている。通常の最近の書き下ろし時代小説の主人公の多くが、性格がのんびりしているとか、人から役立たずと見られているとかが記されて、その実、優れた明晰な頭脳と剣の腕を持っているという設定がされていて、その明晰さで主人公の性格として記されていることの実感が薄いのだが、本書では、主人公の姿が言葉ではなく事柄で描かれているのである。だから、主人公の姿がより鮮明に浮かび上がる。
本書の主人公は、越後の里村藩(架空の藩)の平藩士の三男として遇されている加山又右衛門である。加山又右衛門は、父親が行儀見習いにきていた娘に手をつけて産ませた子で、母親は彼を身ごもるとすぐに家を出され、彼は父親の顔も知らずに母の手で育てられていたが、加山家の後を継いだ兄が病弱だったために万一に備えて再び加山家の養子として「貧乏金なし」の部屋住みの生活をしている身分である。しかし、加山家の家族からは歓迎されておらずに冷遇されている。
彼が毎日することといえば、剣術の道場に通うことと近くの川で鮎釣りをして、その鮎の開きを作って売り、小銭を稼いだり、畑仕事をして、作った野菜を漬物にして売ったりすることであるが、その鮎釣りや畑仕事に生きがいを感じているのである。彼が小銭を稼ぐのは、加山家の下僕の老夫婦と一人残してきた老いた母親に仕送りをするためでもあった。実直で朴訥な人物なのである。
その彼が、剣術道場で師範代から三本に二本の勝ちを得て喜んで家路につくところから物語が始まる。その帰路に野犬の群れに襲われている老武士を助ける。だが、彼としては、自分の剣術の腕が野犬に負けないくらいに上がったことを喜び、家では老夫婦に託した鮎の干物が全部売り切れたことを聞いて、顔がぱっと明るくなるようなくらいで、ささやかな喜びを感じたに過ぎなかった。彼の頭の中にあったのは裏山を開梱して畑とし、そこに大根を植えて漬物を作り、売る、ということだけだった。
しかし、そこから彼の日常が少しずつ変わり始める。事の起こりは、他藩の家老の紹介状を持ったある浪人が里村藩に剣術指南の職を求めてきたことことから始まり、藩主の命によって藩主の剣術指南が立ち会ってみるが、その浪人に敗れてしまい、剣術道場の師範代までもが敗れてしまうという事態になってしまうのである。その時に、加山又右衛門に野犬の襲撃から助けられた老武士で、奥祐筆であった老人が加山又右衛門のことを思い出し、浪人との立会に彼を推挙するのである。
そして、藩主の命を受けて、やむなく加山又右衛門は浪人と立会い、かろうじてこれを負かしてしまう。それがかれの運命を変えていくことになるのである。加山又右衛門が勝ったことを喜んだ藩主は、彼をとりたてるが、しかし、それはわずか十五俵一人扶持の小人組に過ぎなかった。小人組というのは、警備や奥女中の供、使い走りの雑事をこなす端役である。又右衛門としては窮屈なお役など御免こうむりたく、鮎釣りや畑仕事をして小銭を稼いだほうがはるかにいいと思っていた。
しかし、藩主の命令は絶対で、又右衛門はやむなく毎日出仕していく日々を送るようになり、同僚たとち小人組の仕事をしていく。そうしているうちに彼と一緒に鮎のひもの造りや畑仕事をしていた加山家の老下僕が病んでしまう。加山家では薬代もださないし、老下僕の病には大金がかかることになり、又右衛門は、そのためにあっさり自分の両刀を質入して、老下僕の薬代を捻出したりするのである。窮屈な思いをしていた自分に何かと世話を焼いてくれた老下僕を見捨てるわけにはいかない。それがその行動をとらせていくのである。彼は老下僕の妻が喜ぶ顔を思い浮かべて満足するのである。しかし、竹光で登城することになり、ばれないかとひやひやして日々を過ごす。彼の「情け深さ」がこうしたことで示され、しかもそれをあっさりとしていく人物として描かれるのである。
だが、彼の両刀が竹光であることを見抜かれる。しかし、幸い、藩主が、又右衛門が貧しくて刀も買えないのだろうと、家宝の刀を与えたことでその話には決着がつく。だがそのこともあって、藩主の覚えがめでたいということから次第に藩内の勢力争いに巻き込まれていくようになるのである。
里村藩では、藩財政を握り、商人と結託して私腹を肥やして藩政をほしいままにしようとする家老の柿崎典膳とこれを正そうとする家老の渡辺主水の争いが起こっていたのである。どちらの陣営も、藩主の覚えもめでたく剣の腕も立つ加山又右衛門を取り込もうとする。柿崎典膳は奥女中頭を使ったり、町一番の美女の誉れの高い「香苗」との婚約を整えたりするし、渡辺主水は彼の上役を使って彼を政争に巻き込もうとするのである。
加山又右衛門としては政争などまっぴら御免で、小人組の役も御免被りたいと思っていた。そこに加山家の後継が誕生することになり、これを幸いにして養子縁組を解消して、お役御免になろうとするが、柿崎典膳は彼を江戸勤番にし、渡辺主水は、大番頭の平木弥太郎の養子となるよう進める。大番頭の平木弥太郎の息子が何者かに殺されたことで平木家を継ぐことが必要で、彼が想いを寄せいていた「香苗」との家格も整うと言うのである。
こうして彼は、念願の「香苗」とも婚約し、平木又右衛門となって藩主の参勤交代に合わせて江戸へ向かうが、江戸でもまた藩政をめぐる争いが熾烈を極め、密偵である「お紋」が彼に近づいて、ついに柿崎典膳が結託している商人の正体がわかっていく。許嫁の「香苗」のことを思いつつも、「お紋」と一夜を共にしたあとで、彼女が密偵であることが分かったり、養父である平木弥太郎が渡辺主水と一計を案じて、自ら浪人したりして、彼の境遇は変わっていく。養家である平木家が改易されたことで「香苗」との婚約も取り消されてしまい、こうして、浪人となった平木弥太郎と又右衛門が裏長屋に居を移したところで終わるが、里村藩には藩主の後継を巡る陰謀が渦巻くようになり、それが今後に展開されていくことになっている。
藩の政権を巡る争いとお家騒動は、お定まりといえばお定まりの展開なのだが、なにせ主人公の茫洋として状況に流され、人に利用されて行くようでいながら、心根は、お役など御免こうむりたく、鮎釣りや畑仕事をしたいという願いをもったまま、しかも、自分の運命を受け入れていく姿が、なんともユーモラスな出来事として描き出されているので、読みながら「面白い」と思えるような作品になっている。何より、主人公に作者が心を入れているのを感じられて、主人公の茫洋さが出来事として描かれるのがいい。これはシリーズ化されているから、このシリースはぜひ楽しみながら読んでみたいと思う。これを書いている間に、激しい雨が降り始めた。
本書の主人公は、越後の里村藩(架空の藩)の平藩士の三男として遇されている加山又右衛門である。加山又右衛門は、父親が行儀見習いにきていた娘に手をつけて産ませた子で、母親は彼を身ごもるとすぐに家を出され、彼は父親の顔も知らずに母の手で育てられていたが、加山家の後を継いだ兄が病弱だったために万一に備えて再び加山家の養子として「貧乏金なし」の部屋住みの生活をしている身分である。しかし、加山家の家族からは歓迎されておらずに冷遇されている。
彼が毎日することといえば、剣術の道場に通うことと近くの川で鮎釣りをして、その鮎の開きを作って売り、小銭を稼いだり、畑仕事をして、作った野菜を漬物にして売ったりすることであるが、その鮎釣りや畑仕事に生きがいを感じているのである。彼が小銭を稼ぐのは、加山家の下僕の老夫婦と一人残してきた老いた母親に仕送りをするためでもあった。実直で朴訥な人物なのである。
その彼が、剣術道場で師範代から三本に二本の勝ちを得て喜んで家路につくところから物語が始まる。その帰路に野犬の群れに襲われている老武士を助ける。だが、彼としては、自分の剣術の腕が野犬に負けないくらいに上がったことを喜び、家では老夫婦に託した鮎の干物が全部売り切れたことを聞いて、顔がぱっと明るくなるようなくらいで、ささやかな喜びを感じたに過ぎなかった。彼の頭の中にあったのは裏山を開梱して畑とし、そこに大根を植えて漬物を作り、売る、ということだけだった。
しかし、そこから彼の日常が少しずつ変わり始める。事の起こりは、他藩の家老の紹介状を持ったある浪人が里村藩に剣術指南の職を求めてきたことことから始まり、藩主の命によって藩主の剣術指南が立ち会ってみるが、その浪人に敗れてしまい、剣術道場の師範代までもが敗れてしまうという事態になってしまうのである。その時に、加山又右衛門に野犬の襲撃から助けられた老武士で、奥祐筆であった老人が加山又右衛門のことを思い出し、浪人との立会に彼を推挙するのである。
そして、藩主の命を受けて、やむなく加山又右衛門は浪人と立会い、かろうじてこれを負かしてしまう。それがかれの運命を変えていくことになるのである。加山又右衛門が勝ったことを喜んだ藩主は、彼をとりたてるが、しかし、それはわずか十五俵一人扶持の小人組に過ぎなかった。小人組というのは、警備や奥女中の供、使い走りの雑事をこなす端役である。又右衛門としては窮屈なお役など御免こうむりたく、鮎釣りや畑仕事をして小銭を稼いだほうがはるかにいいと思っていた。
しかし、藩主の命令は絶対で、又右衛門はやむなく毎日出仕していく日々を送るようになり、同僚たとち小人組の仕事をしていく。そうしているうちに彼と一緒に鮎のひもの造りや畑仕事をしていた加山家の老下僕が病んでしまう。加山家では薬代もださないし、老下僕の病には大金がかかることになり、又右衛門は、そのためにあっさり自分の両刀を質入して、老下僕の薬代を捻出したりするのである。窮屈な思いをしていた自分に何かと世話を焼いてくれた老下僕を見捨てるわけにはいかない。それがその行動をとらせていくのである。彼は老下僕の妻が喜ぶ顔を思い浮かべて満足するのである。しかし、竹光で登城することになり、ばれないかとひやひやして日々を過ごす。彼の「情け深さ」がこうしたことで示され、しかもそれをあっさりとしていく人物として描かれるのである。
だが、彼の両刀が竹光であることを見抜かれる。しかし、幸い、藩主が、又右衛門が貧しくて刀も買えないのだろうと、家宝の刀を与えたことでその話には決着がつく。だがそのこともあって、藩主の覚えがめでたいということから次第に藩内の勢力争いに巻き込まれていくようになるのである。
里村藩では、藩財政を握り、商人と結託して私腹を肥やして藩政をほしいままにしようとする家老の柿崎典膳とこれを正そうとする家老の渡辺主水の争いが起こっていたのである。どちらの陣営も、藩主の覚えもめでたく剣の腕も立つ加山又右衛門を取り込もうとする。柿崎典膳は奥女中頭を使ったり、町一番の美女の誉れの高い「香苗」との婚約を整えたりするし、渡辺主水は彼の上役を使って彼を政争に巻き込もうとするのである。
加山又右衛門としては政争などまっぴら御免で、小人組の役も御免被りたいと思っていた。そこに加山家の後継が誕生することになり、これを幸いにして養子縁組を解消して、お役御免になろうとするが、柿崎典膳は彼を江戸勤番にし、渡辺主水は、大番頭の平木弥太郎の養子となるよう進める。大番頭の平木弥太郎の息子が何者かに殺されたことで平木家を継ぐことが必要で、彼が想いを寄せいていた「香苗」との家格も整うと言うのである。
こうして彼は、念願の「香苗」とも婚約し、平木又右衛門となって藩主の参勤交代に合わせて江戸へ向かうが、江戸でもまた藩政をめぐる争いが熾烈を極め、密偵である「お紋」が彼に近づいて、ついに柿崎典膳が結託している商人の正体がわかっていく。許嫁の「香苗」のことを思いつつも、「お紋」と一夜を共にしたあとで、彼女が密偵であることが分かったり、養父である平木弥太郎が渡辺主水と一計を案じて、自ら浪人したりして、彼の境遇は変わっていく。養家である平木家が改易されたことで「香苗」との婚約も取り消されてしまい、こうして、浪人となった平木弥太郎と又右衛門が裏長屋に居を移したところで終わるが、里村藩には藩主の後継を巡る陰謀が渦巻くようになり、それが今後に展開されていくことになっている。
藩の政権を巡る争いとお家騒動は、お定まりといえばお定まりの展開なのだが、なにせ主人公の茫洋として状況に流され、人に利用されて行くようでいながら、心根は、お役など御免こうむりたく、鮎釣りや畑仕事をしたいという願いをもったまま、しかも、自分の運命を受け入れていく姿が、なんともユーモラスな出来事として描き出されているので、読みながら「面白い」と思えるような作品になっている。何より、主人公に作者が心を入れているのを感じられて、主人公の茫洋さが出来事として描かれるのがいい。これはシリーズ化されているから、このシリースはぜひ楽しみながら読んでみたいと思う。これを書いている間に、激しい雨が降り始めた。
0 件のコメント:
コメントを投稿