昨日は、これまで社会学的な分析を少ししてきた「現代社会と宗教」と題する講座を行って、ほぼ立ちっぱなしの状態だったので、足が棒のようになり、その後はぼんやりすごしてしまった。だいたいいつもぼんやりしているのにさらに拍車がかかった感じで夜を過ごしていた。今日は重い梅雨空で、今週、台風の接近が報じられている。
週末、これまでの作品とは若干の相違を感じながら、戦国時代に到来したキリスト教の姿とそれを受け入れたキリシタンたちやキリシタン大名たち、特にキリシタンとしての黒田官兵衛(高孝・如水)の姿を描いた葉室麟『風渡る』(2008年 講談社 2012年 講談社文庫)を読んだ。激動した戦国時代、信長、秀吉、家康という稀代の傑出した戦国武将と共に生きて、ことに知略の雄とされ、最も優れた軍師とも言われる黒田官兵衛がキリスト教の洗礼を受けたのは、フロイスの『日本史』によれば、1585年(天正12-13年)である。この時、官兵衛は、信長の跡を継いで天下を掌握しようとする秀吉の軍師として活躍していた。
黒田官兵衛がキリシタンとなったのは、通説では、すでにキリシタン大名であった高山右近や蒲生氏郷、堺の豪商の息子であった小西行長の影響によるとされるが、本書では、彼が若い頃からキリシタンの教えに関心をもっていたという設定で話が進められていく。
私見ではあるが、戦国時代に日本に到来したキリスト教が、当時「戦う教会」を標榜していたイエズス会によるものであり、主に植民地主義を推進させていたスペインとポルトガルの宣教師たちによるものであったところに、日本のキリスト教の難しい歴史があるような気がしている。高山右近や蒲生氏郷は優れた武将であると同時に一流の教養人でもあり、黒田官兵衛がこうした教養ある人々に接する中で大きな影響を受けたことは間違いないことであろう。
しかし、本書では黒田官兵衛が若い頃に既にキリスト教に大きく影響を受けたものとして、純粋で高貴な魂をもつジョアン・デ・トルレスという日本人イルマン(修道士)を登場させ(この人物の名はフロイスの『日本史』に記載されているが、詳細は不明で、それを作者が本作のもうひとりの主人公として肉づけして創作)、ジョアンの目から見た当時の日本の社会と宣教師たちや大名たちの姿を描きつつ、キリシタンとしての黒田官兵衛の姿を浮き彫りにしようとするのである。
ジョアンは、青い目と異国風の風貌をもち、ポルトガル語に堪能で、通訳としての働きとともにヴィオラの名手でもあり、純粋な信仰と魂をもち、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』で描いた敬虔な修道士となるアリョーシャを彷彿させるものがある。彼は、後に明らかにされるが九州の雄であり、キリシタン大名であった大友宗麟と異国人との間に生まれた子とされている。その関連で、大友宗麟の生涯や彼の正室であった奈多方の悲しみや苦悩も描かれていく。
物語は、激動する時代の中での人間の悲しみや苦悩というものが盛り込まれ、それが作者らしい視点で綴られていくが、この作品は次のような多くの歴史的仮説で描かれ、それが難点といえば難点になっており、取られている仮説があまり成功してはいないようにも思われる。
1)黒田官兵衛が早くからキリシタンの教えに心を打たれて、キリスト教信仰をもっているように描かれていること。
官兵衛が妻を娶った時に、側室はもたないと語ったことを、キリスト教が伝えた「アモール(愛)」と関連させたり、黒田官兵衛が荒木村重によって地下牢に監禁されたときの苦境を耐え忍んだ力にキリスト教信仰の力があったかのように描かれたりすること。
2)織田信長か、やがて、海洋王国の建設を目指し、ヨーロッパへの侵攻を考えていたこと。
3)「本能寺の変」を秀吉の策略とし、その影に竹中半兵衛とその意を受けた黒田官兵衛の思惑があったことや官兵衛がキリシタンを守ろうとしたこと。
4)秀吉の朝鮮出兵を商人としての利潤から豪商であった小西行長の父が献策したこと。
その他にも、本書で採用されている歴史的仮説はたくさんあり、こうした仮説に基づいて人物像が描かれていくので、どこかしっくりしないところがあるのである。黒田官兵衛その人についても、キリシタンとしてあまりにも純化されすぎている気がしないでもない。
黒田官兵衛は極めて優れた人物であり、知、情、胆において傑出した人物であるし、本書もこれまで描かれなかったようなキリシタン大名としての面を描いて斬新で、葉室麟の文体や文章も素晴らしいのだが、少なくとも私には、彼が描く黒田官兵衛像として物足りなく感じた。もちろん、本書は表題の『風渡る』が示すように、その主題は戦国時代に海を渡ってきたキリスト教とそれに影響を受けた人々の姿を描こうとしているのではあるが。
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