このところパソコンの設定や新しいソフトの習熟などで妙に時間をとってしまい、なかなかこれをまとめる時間がなかったのだが、一区切りつけて、これを記している。最近のパソコンは急激に使いやすくはなっているが、これを一から自分で設定しようとするとなかなかややこしい。技術だからある程度の専門用語の使用はやむを得ないとしても、それを多用したがる人もいるし、日本語がめちゃくちゃで、単なる略記に過ぎないのだが、途中で、「ん?この言葉は何を意味しているのだ」と思ったりする。
それはともかく、2013年の第10回本屋大賞になった百田尚樹『海賊と呼ばれた男』(2012年 講談社)を面白く読んだ。これは世界の企業の中でも独自の社風をもつ出光興産の創業者であった出光佐三(1885-1951年)の生涯と彼の経営哲学を非常に率直に、また、感動的に描き出した作品である。
ここで記してきている歴史・時代小説ではないが、市ヶ尾に住まれているNさんが、「面白いですよ」と貸してくださったもので、読み進めていくうちに、「ああ、これは出光興産の話だ」とわかり、出光佐三という人の「すごさ」のようなものを改めて感じた。
個人的に、まだ化学の学生だった頃、出光興産の徳山製油所と石油コンビナートを見学したことがあり、その頃は出光佐三のことをほとんど知らずにいたが、出勤簿なし、定年なし、労働組合なし、という社是にすごく感動したことを覚えている。出光興産が徳山と瀬戸内海沿岸地方を形成してきたことを、もう少しじっくり考えてみればよかったと今になって思うが、その頃はまだ青二才で、どこかに企業の一員になってしまうことに抵抗があって、無知のままに過ごしてしまったことを残念に思う。
改めて、この本で出光佐三という人の姿を知り、もちろん、たくさん考えさせられることがあった。その意味でも、これはいい本だと思う。この本の大まかな展開は出光興産の社史に沿って展開されているように思うが、描き方がストレートであるだけに感動も大きい。
本書は、第二次世界大戦後、一面の焼け野原となった東京で、財産も仕事も、その一切を失い、海外に派遣していた社員を抱えたまま、60歳になった出光佐三が再出発をしようとする場面から始まる。本書の中では、出光興産は国岡商店、出光佐三は国岡鐵造(てつぞう)となっているが、記されているのは史実である。
国岡鐵造(出光佐三)は、戦後に多くの企業が仕事もなく壊滅状態であった中で業務の縮小や社員の解雇、あるいはアメリカ資本の導入を行っていく姿をよそに、1000名あまりの社員のひとりの首を切ることもなく、あらゆる困難な仕事を引き受け、財産を処分して社員を守りつつける決断をする。「社員は家族」、それが国岡商店(出光興産)の柱であることを強く打ち出すのである。
こういうエピソードが残されている。出光興産の社員であった青年が徴兵され、やがて敗戦で復員してきたが、気力を失い、郷里に引きこもっていた時に、もはや働く気もなく、出光興産に辞職願を提出しようとした。しかし、その時に彼の父親が烈火の如く怒って、「お前が兵隊に行っている6年間、出光さんは給料を送り続けてくれたんだ。それが辞めるとは何事か。すぐ、出光さんに奉公しろ。6年間、ただで働いて、それから帰ってこい。」彼は、そのことを聞いて思い直し、焼け野原となっていた東京へ出て、出光を支えていく人間のひとりになっていく。
こういう企業が他にあっただろうかと思う。人間を「義務-権利」で位置づけ、功利を追求し、合理的な判断をする組織の中で、私財をはたいて人を養い、育み、その人間の人生そのものを尊重し続ける。出光佐三という人はそれを徹底させた人である。「人間を尊重し、これを優先させる」ということを具体的に実践した。
出光佐三(本書の国岡鐵造)が生きた時代は、明治、大正、昭和の時代であり、第一次世界大戦、第二次世界大戦、オイルショックといった社会が根底から覆る激動の時代である。彼は、その中をひとりの人間として、また、企業人として、決して筋を曲げることなく生き抜いていくのである。
本書は、やがて、1953年(昭和28年)に、イギリスから独立しようとしていたイランから石油を直接輸入するという、いわゆる「日章丸事件」と呼ばれる出光興産が果たした快挙を中心に展開されていくが、出光佐三が残したエピソードや経営哲学がありのままに描かれている。
出光佐三は、1981年に95歳で人生の旅路を終えるが、生涯を「一店主」として自分を位置づけた人であった。本書で、戦後からずっと出光佐三の片腕として働き、三代目の社長となった東雲忠司(おそらく天坊照彦氏のことだろうと思う)が「世の人々は国岡鐵造を一代で財をなした大立者と見倣すが、それは違う。店主の生涯はむしろ行者の一生だった。その生き方は修行に励む禅僧に似ている」(下巻 357ページ)と思うところが描かれている。そこにある「修行者としての生涯」、それが本書で作者が描きたかった生涯だろうと思う。
本書には、生き方の感動が感動を呼び、それが事業の発展につながっていくという場面がたくさん出てくる。出光佐三の姿に信頼を寄せて多額の出資をする銀行家、資本家、そして官僚、そういう「心がわかる人間」が実に率直に描かれるのである。
出光興産自体は、今日では2006年に株式を上場し、出勤簿やタイムカードも導入されているが、会社の基本方針は出光佐三の方針をきちんと踏襲したものになっている。
この作品は、戦中戦後、とくに戦後の日本の経済や社会とそうした中での石油産業の姿などがきちんと記されて、その中で「魂を持って、心がわかる人間たち」が描かれ、「筋を曲げない」ということの苦闘が描かれて現代の人間のあり方に鉄槌を下ろすようなところがあり、「人とはこう生きることができる」ということ示している点で感動的な作品となっている。
それにしても、出光佐三という人は、人との出会いをもたらすような何かをもっていたひとだとつくづく思う。
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