2013年6月24日月曜日

藤本ひとみ『幕末銃姫伝 京の風会津の花』(1)

 梅雨の合間のつかの間の晴れ間という感じで、朝は晴れていたのだが、夕方にかけて重い雲が広がってきた。「今のうちに」と思って、寝具を替えたり、掃除をしたりして、ようやく一段落してこれを記している。仕事も少し溜まっているので、少しがんばってみようかとは思うが、このところわたしの脳みそは停滞したままである。

 先週末から昨日にかけて、藤本ひとみ『幕末銃姫伝 京の風、会津の花』(2010年 中央公論新社 2012年 中公文庫)を感慨深く読んでいた。これは、幕末から明治にかけて悲劇の渦中に落とされた会津藩の山本八重とその兄の山本覚馬を中心に、銃の名手として会津鶴ヶ城の籠城戦を戦い抜き、後に「ハンサムウーマン」と呼ばれ、同志社を設立した新島譲の妻となる山本八重(新島八重)の姿を描いた物語である。ちょうど昨夜、現在NHKの大河ドラマとして放映されている「八重の桜」を見て、いよいよ前半のクライマックスとも言える会津鶴ヶ城での籠城戦が始まろうとするところで、来週は主人公の山本八重役の綾瀬はるかの真迫の演技が展開されるだろう。

 NHkの大河ドラマ「八重の桜」は山本むつみのオリジナル脚本ということであるが、本書は、またそれとは少し異なった人物像が掘り下げられている。

 会津藩砲術師範役の山本権八の娘として生まれた八重は、裁縫も下手で腕力だけが自慢という娘で(米俵を楽々と担ぎ上げたという伝説も残っている)、器量もよくなく、ほかの武家の娘たちのように華やいだところもなく、鈍で気働きができないと陰口を言われたりするような娘だった。彼女自身も、自分が男ではなく女に生まれてきたことを恨めしく思うほどの自己嫌悪をもち、自分の人生に絶望しかけていた。

 そんな頃に、江戸から三年ぶりに敬慕する16歳年上の兄の覚馬が帰ってきた。覚馬は文武に優れて、将来を見込まれて藩の家老らに後押しされて江戸遊学を果たしてきたのである。遊学中に黒船騒動を経験し、佐久間象山に師事し、そこで勝海舟や吉田松陰、橋本左内や後に越後長岡藩の家老として独立路線を取った河井継之助らと親交して、当時の最先端の知識を身につけていた。覚馬は会津武士として真面目で勤勉、真っ直ぐな気質を持つ青年であり、八重もその血筋を受け継いでいたが、八重は、いかんせん、女であった。会津の武家の家風には収まることができない自分を感じて悶々としていたのである。

 だが、その八重に覚馬は、もし学ぶ気があるなら自分が教えると言って新しい道を開いてあげるのである。八重は覚馬の下で、砲や銃、兵法を学んでいくのである。また、時流への眼も開かれていく。だが、その八重を理解するものはいない。唯一、同年輩で競争相手のような因縁があった山川大蔵(後に会津藩家老となる)が八重を好意的に包んでいく。大蔵と八重は、お互いに淡い恋心を抱いていくようになる。

 江戸から帰藩した覚馬は、時流を見極めて藩の軍政改革を提案するが、旧来の武士たることに固着した藩の重臣たちからは退けられるようになっていく。家格を重んじられる会津では彼の意見は取り上げられないが、覚馬は、やはり、会津藩士として礼を重んじる青年であり、忍従の日々を過ごしていく。

 そういう中で、会津藩主の松平容保に京都守護職の命が下される。家老の西郷頼母は藩の財政難からこの命を受けることを反対するが、会津藩の伝統は幕命が絶対であり、容保は京都守護職を引き受け、兵を連れて上京する。山川大蔵も上京するが、その際、家のことを思って他の女性と祝言をあげる。大蔵と八重は互いに心を残したまま、別れていく。

京都は尊王攘夷の狂乱の嵐が吹き荒れており、会津藩は新撰組を用いて市中取締を行ったりしていく。京都守護職の任を全うするために莫大な金がかかり、会津の財政はますます逼迫し、生活が苦しくなっていくが、会津の人々は忍従していく。覚馬もまた藩命によって上京し、そこで再び、幕命によって蟄居を解かれて松代から出てきていた佐久間象山と出会う。だが、彼が師とした佐久間象山が彼の目の前で長州藩士によって暗殺されてしまう。京の町は暗雲が垂れこめたままで、こうして長州藩によって禁門の変(蛤御門の変)が起きる。会津は御所の護衛に駆り出され、覚馬は砲を用いて護衛する。その時の働きが認められて、覚馬は公用方(藩の正式な外交を行う役)に取り立てられるが、逼迫した時局の変動の中で、覚馬は会津の行く末を案じ続ける。

会津は公武合体策を推し進め、藩主の松平容保は孝明天皇の信任も厚く、覚馬もまた公武合体策を進めようとするが、徳川家茂が死去し、続いて孝明天皇が死去して、事態は一変していく。覚馬の苦闘は続くが、そうするうちに失明の危機を迎えるようになっていく。もはや、砲も銃も撃つことができない自分に何ができるだろうかと悩む。だが、覚馬を師と仰ぐような人物も出てきて、彼は教育が自分に残された道だと思うようになっていく。新撰組の斎藤一(後の山口二郎)もそのひとりであった。彼は覚馬によって自分の新しい道が開かれたことを心底覚えていき、やがて、戊辰戦争の時に、覚馬の会津を守るために籠城戦に参加するようになる。

他方、八重は大蔵への恋心を抱いたまま、兄の覚馬を慕って出石藩からやってきて山本家の居候になっていた川崎尚之助と結婚する。尚之助は覚馬の意を組んで会津藩の軍政改革に取り組もうとし、銃の改良にも手がけていた。彼は、本書では、鷹揚に八重を見守るところがあるかと思えば、危機に際してはどこか逃げ腰のあるところの人物として描かれている。

本書については、やはり、内容が豊かなだけに、まだ書き記しておきたいところがあるが、今日は時間もなくなってしまったので、続きは次回に記すことにする。

0 件のコメント:

コメントを投稿