2013年6月19日水曜日

葉室麟『この君なくば』

 梅雨前線の南下や台風の接近もあって、どんよりとした蒸し暑い日になっている。窓を少し開ければ、時折強い風がもがり笛のような音を鳴らす。

 「この君なくば、一日もあらじ」という強い愛の姿を幕末の動乱期を背景にして描いた葉室麟『この君なくば』(2012年 朝日新聞出版)を感慨深く読んだ。葉室麟らしく、純化された人の愛情が描かれているだけでなく、実は、時世の判断を誤れば滅亡の危機に瀕する小藩の中でどうすれば筋を曲げずに生き抜いていけるのかを中心にして、時代の波に翻弄される小藩とその人々の側から見たもうひとつの幕末史が展開されている。

 舞台は、幕末を突き動かした薩摩と長州の間に挟まれた九州の日向にある七万石の伍代藩という架空の藩で(読んでいると日向よりも豊後のほうがいいような気がしたが)、その軽格の武士の次男として生まれた楠瀬譲と彼に想いを寄せた二人の女性の生き様が展開されていく。

 主人公のひとりの楠瀬譲は、束脩(授業料)も払えない貧しい家に生まれたが、少年の頃に「此君堂(しくんどう)」と称する私塾で国学を講じていた檜垣鉄齊の庭で鉄齊の講義を聴き続け、それによって入門を許されて学問を収めていく。その真摯な姿は、彼の生涯を通じて変わらず、やがて17歳の時に大阪で緒方洪庵が開いていた蘭学熟である「適熟」で欄学を学び、帰国後は蘭医として召し出されるが、藩主である忠継に信頼されて藩の産業を宰る殖産方として用いられるようになる。

 檜垣鉄齊の娘の栞(しおり)は、少年の楠瀬譲を初めて見た時から次第に譲に想いを寄せていくようになり、父親の鉄齊も、やがては譲と栞を結婚させて自分のあとを継ぐように望み、譲もまた栞に深い想いを寄せていたが、譲は、帰国後に藩主に召し出された時に、やがては藩の重責を担ってもらいたいという藩主の要望で藩の上格の武家の娘と結婚するように命じられてしまう。栞は譲との結婚を諦めるが、その想いは断ち切り難くあった。

 だが、譲の妻は、娘の志穂を産んでまもなく病死してしまい、譲は藩の行く末を案じながら、娘の志穂と母の弥生と暮らしている。そういう譲に妻の妹である五十鈴との婚儀の話も持ち上がっている。五十鈴は、凛としたところのある美貌の魅力的な女性で、五十鈴もまた譲に一途な想いをもっている。

 そんな中で、鉄齊亡き後、「此君堂」で和歌を教えるようになっていた栞のところに、月に一度和歌を習いに譲が通ってくるようになり、栞はそれを密かに待ちわびるような思いでいた。栞と五十鈴のそれぞれの心情が綾をなして描かれていく。

 時は幕末で、勤王か佐幕か、攘夷か開国かで揺れ動く時代であり、藩主の忠継は新進の気性をもつ洋学への関心の深い開国派であったが、藩内には熱烈な尊皇攘夷主義者もあり、京都では開国反対の尊皇攘夷派による天誅騒ぎも起こっていた。江戸幕府の権威は失墜していき、長州藩と薩摩藩の動向が案じられるし、小藩の行く末はあお混迷を深めていく。

 藩主は譲を京に派遣して情勢を見極めさせようとする。情勢はめまぐるしく変わり、やがて禁門の変(蛤御門の変)が起こり、幕府による第一次長州征伐、第二次長州征伐が起こっていく。そんな中で、譲は、貿易をすることで藩を豊かにし、情勢に翻弄されない独立路線を考えるようになり、同じような考えをもつの久留米藩の今井栄(義敬)と親交をもつようになり、今井栄が上海に船の買いつけに出かけるときには(これは史実)同行して、海外事情を見聞する(このあたりは、今井栄の『秋夜の夢談』、『上海雑事』が材料となって描かれている)。久留米藩には熱烈な尊皇攘夷論者であった真木和泉守がおり、当然、彼にも言及されていく。

 その間に、藩主の忠継は、讓がいっそう藩政の重責を担いやすいように五十鈴との婚儀を進めようとするが、讓に「この君なくば」の「君」がいるかと聞いて、讓が栞の名を挙げたことから、五十鈴を傷つけまいと五十鈴を側室として召し出し、やがて五十鈴を正室とする。もちろん、藩主はひと目で五十鈴の凛とした姿が気に入り、五十鈴もまた、讓への想いがかなえられないことを悟ると同時に、藩主の忠継の人柄が気に入ったから、その話を受けたのである。そして、譲と栞は長年温めてきた想いを果たして結婚する。栞と五十鈴は、お互いの存在を強く認め合い、信頼を寄せる関係になっていく。五十鈴も栞も、共に自分の想いと生き方を貫く女性なのである。

 だが、時代と社会は激動し、大政奉還から鳥羽伏見の戦いへと移り、かつて強烈な尊皇攘夷論者であり、強く我執的に栞に言い寄っていた男が、薩長軍より藩政の参与のような形で帰ってきて、譲は、戊辰戦争で薩長軍と戦って敗れた大鳥圭介と親交があったということで捕縛されてしまう。讓は牢の中で榎本武揚と会ったりして、自分の行く末を見定めていくようになっていく。栞は、その間、志穂や弥生と讓の無実を信じて待ち続けるし、五十鈴もまた、新しい凛とした生き方をとっていく。

 そして、やがて讓は恩赦の形で許されて帰国し、栞や家族と共に北海道の開拓使として新しい天と地を求めて旅立とうとするところで終わる。

 本書には栞と五十鈴という魅力的な二人の女性が登場する。この二人は、形は違っても、いずれも己の一途な思いを貫いていこうとする女性で、「世の動きと自らの生き方は、おのずと違いましょう。世の流れに自らの生き方を合わせては、自身の大本を見失うかと存じます」(115ページ)という言葉や、「今より先、この国を動かすのは、藩を離れ身分を離れても、なお、おのが信義の道を行く者たちであろう」という五十鈴の言葉によく表されているような女性である。

 「此君堂」の由来である『晋書』王徽之伝の「此の君」が竹を表すことが記されているが、竹のようにしなやかで、しかし、しっかりと根を張り、サワサワと爽やかな風の音をさせる人間たちの姿が描かれていく。幕末の違った視点もあって、なるほどあの時期の小藩が置かれた立場はこういうものかもしれないと思うところもあり、様々な観点で味わいのある作品だった。

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