「名のみ春」が続いて、気温が低くて寒い。ここでの生活も残すところ2週間ほどとなり、いくばくかの感慨がないわけではないが、予定が詰まってきて、手続きや片づけなどの面倒なことをする間もなく日々が過ぎていく。身一つなのでどうにでもなるが、本の整理だけはしておこうと思ったりもする。
閑話休題。和田竜『小太郎の左腕』(2009年 小学館 2011年 小学館文庫)を大変面白く、また作品としても優れていると思いながら読んだ。『のぼうの城』、『忍びの国』に続く、作者の三作目の作品であるが、一番深みのある作品になっている。
作品の時代背景は戦国時代、それも1556年(弘治2年)で、この年、美濃の斎藤道三が骨肉を争う長良川の戦いで死に、その戦いで織田信長が台頭してくるようになった時代で、本作では、全くの架空の西国の小豪族戸沢家と児玉家の争いが舞台となっている。地方の小豪族は周辺の武士たちの支持による同盟関係で結ばれたもので、後の戦国大名などとは異なった主従関係で結ばれており、その同盟は盟主が無能であったり、家臣となった武士に対して利を呈さなかったりしたら簡単に破られるもので、主従といっても微妙なバランスの上で成り立っていたものであるから、そうした歴史的考証が踏まえられた上で、当時の質実剛健で明朗闊達な武士の姿を中心に据えて物語が展開されている。
本書の主人公として描かれるのは、戸沢家の中でも豪傑であり、政治的陰謀などは全く嫌いな質実剛健の武(もののふ)で、直線的で明朗、文字通り「好漢」である林半右衛門という猛将である。彼は、ほかの者たちからは「功名漁りの半右衛門」と揶揄されるほどの手柄を立てることに奔走していくが、軍略にも優れ、六尺(およそ190㎝ほど)を超す巨体を駆使し、胆力も武力もある勇士である。彼を名武将として育て上げた爺(養育係)の藤田三十郎との互いの思いやりの深い関係も描かれる。三十郎が半右衛門を「ほめあげて育てた」というのもユーモアに富んでいる。
他方、敵対する児玉家にも「好漢」の花房喜兵衛という名将がおり、半右衛門とは好敵手で、互いに認め合い、それだけに戦いの後の事後を託すほどの信頼も深い。そして、深い信頼を持ちながらも好敵手として戦う。二人の軍略と戦いぶり、そして互いに認め合う存在であることが繰り返し描かれている。
こうした人物が織りなすのは「信」である。それが物語として描かれているところに、本書の明るさと深さもある。
また、盟主の後継ぎで才能もないのに権力を振るいたがり、半右衛門に対抗意識を燃やしてことごとく失敗していく戸沢図書という人物も描かれる。その対抗意識の現れとして、半右衛門と相愛の仲といわれた「鈴」という娘を図書は奪うようにして妻にしている。だが、半右衛門は「鈴」をいつまでも想っていたし、「鈴」も半右衛門への想いを変えなかった。この辺りに図書の苦悩もあったことが記されたりもする。
物語は、戸沢家と児玉家の戦闘で、愚かな図書の作戦で半右衛門が負傷し、深手を負った彼を山の猟師が助けるところから展開されていく。彼を助けたのは、要藏という偏屈な老人と十一歳になる小太郎という少年であった。
小太郎は、同世代の子どもたちから「阿呆」呼ばわりされ、仲間のイジメを受けるような少年だが、小太郎はそれを平然と受け止めるような子どもで、怒ることも憎むこともしないで、ただただ「優しさ」を体いっぱいに詰めたような少年だった。だが、小太郎は、なんとかして「人並み」になりたいという願いをもっていた。
小太郎を虐めていた筆頭の玄太という子どもは、戸沢家が催す鉄炮試合で優勝するほどの鉄炮の名人であったし、彼の父親は百姓ではなく武士になることを強く望んでいた。そこに玄太という少年の悲哀もあり、彼が抱えている悲哀も、切なくなるくらいに描かれていく。
そして、鉄炮試合が再び行われ、玄太の腕も見事に披露されるが、自分を助けてくれたお礼に鉄炮試合に出してやるといった半右衛門の言葉を信じて、小太郎も出る。小太郎は、人を疑ったりいぶかしんだりすることを知らない純粋な少年で、土産がいるといわれれば風車を土産に買って半右衛門に差し出すような少年であったが、鉄炮試合に出て、見事に的を外してしまう。しかし、その鉄炮の玉のはずれ方がいつも決まっていることに気づいた半右衛門が左利き用の鉄炮を渡して撃たせてみると、百発百中の天才的能力を発揮したのである。彼は、実は、鉄炮による狙撃に長けた雑賀衆の中でも天才と見なされた雑賀小太郎で、彼を育てていた要藏は、小太郎が無類の優しさを本姓とする少年であり、その鉄炮の腕が権力者によって利用されることを恐れた要藏が、秘かに猟師をしながら暮らしていたことが分かっていくのである。
やがて、農繁期も終わり(多くの兵は農民であったために農繁期にはあまり戦は行われなかった)、いよいよ戸沢家と児玉家が激突するようになる。戸沢家は、圧倒的多数の児玉家の勢力に押され、ついに籠城作戦に出る。半右衛門は、籠城作戦が愚かな作戦であることを知りつつも、戸沢図書の愚策と図書におもねる家臣たちによって、やむなく籠城する。だが、敵の花房喜兵衛も名将で、籠城戦の決め手となる食糧を焼き払い、籠城した戸沢家の兵は辛苦を舐めていく。
そして、見るに見かねた半右衛門は、起死回生のために小太郎の鉄炮の腕を用いて、敵将を狙撃する作戦を立てるのである。純粋で優しさに溢れた小太郎をその気にさせるために、要藏を自らの手で殺し、これは敵がやったことだと小太郎を騙して用い、起死回生を図るのである。小太郎の鉄炮の腕は神業で、戸沢家は児玉家との戦に勝利して領土を守ることができた。だが、半右衛門は小太郎を騙したことに良心の呵責を覚えていく。
そして、小太郎の腕をめぐる争いが展開され、人よりも優れた能力を持つが故に、他者から利用され、また排除されていく小太郎の悲しい運命が小太郎を襲う。その状態をなんとか挽回して、小太郎を自由の身とするために、半右衛門は、ひとり、死地となる戦場に出て行くのである。
優れた作品というものは、いくつものテーマが重層的に織りなされているが、本書も、先述したような「信」ということ、あるいは戦いの悲哀や無意味さ、あるいはまた男女の愛情や友情、思いやり、「人並み以上の者が「人並み」であろうとすることの悲しい運命、黙って重荷を背負っていくことなどがいくつもテーマとして複合している。豪快な人物を主人公に据えて、繊細に描く。それが本書で、思想の深みもあるいい作品だと思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿