昨日は春の陽気だったが、今日は朝から雨模様で次第に風雨共に強くなってきた。朝からT大学に出かけていたが、帰りは傘を斜めにさして歩くような状態になった。春の嵐で、この嵐の後に一気に春めくかもしれないとも思う。
さて、高田郁『花散らしの雨 みをつくし料理帖』(2009年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を、前作『八朔の雪』に続いて読んでみた。最初の感想は、前作よりもずいぶんと文章にしろ、構成にしろ、あるいは描写にしろ、優れているという思いだった。『みをつくし料理帖』は長いシリーズものになっているが、本作あたりから、このシリーズが、単なる成功譚を少し越えたものになっているところが感じられた。
主人公「澪」は、災害で両親を亡くした天涯孤独の身であるが、大阪一の料理屋で育てられて料理の腕を磨いていたが、その料理屋も火事で焼け、江戸に出てきて、彼女を育ててくれた料理屋の主人は心労のためになくなるが、女将を母とも慕い、やがて、ふとしたきっかけで、「つる屋」という蕎麦屋で働くことになり、料理の腕を発揮していくことになる。だが、その「つる屋」も、一流料理店「登龍楼」の板長の妬みのために火事で失ってしまう。「澪」は、どこまでも苦労の多い運命に翻弄されて生きる女性であるが、しかし、明るく、健気に、そしてできることを一所懸命にしていこうとする女性である。
本作は、九段坂の下で再建された「つる屋」に店主の種市を助けるために下足番として雇うことになった「ふき」という少女の登場から始まっていく。「ふき」は、両親を亡くし、前の奉公先の煮売り屋が潰れて、路頭に迷う寸前で、口入れ屋を通して雇うことになった十三歳の少女だが、骨惜しみせずによく働く女の子だった。「澪」は、「ふき」の境遇に自分の境遇を重ね合わせて、「ふき」のことを可愛がっていく。
季節は春で、「澪」は、どこにでも芽吹いている蓬や雪の下を使った天ぷらを考案し、これが評判をとっていく。ところが、「登龍楼」でも同じ料理が出されているという。次に「三つ葉」を使った料理も工夫する。だが、これも「登龍楼」で出されているという。「つる屋」の客となった戯作者の清右衛門が「澪」の料理や「つる屋」にそれを手厳しく指摘する。「ふき」の下足番の仕事ぶりが「登龍楼」のものと同じであるところから、「澪」は、「ふき」のことを口入れ屋に聞きに行く。
「ふき」は、煮売り屋で働く料理人の娘で、その煮売り屋は繁盛し、日本橋に店をかまえるまでになったが、人に騙されて莫大な借金を背負わされ、それを返そうと無理を重ねて「ふき」の父親が亡くなり、母親までもが一年もたたないうちに亡くなって、幼い弟と二人残され、父親の借金を返済するまで日本橋の店に奉公することになっていたことがわかっていく。その日本橋の店は「登龍楼」だった。その板長が、弟が奉公できる年齢になったので、「ふき」を「つる屋」に出すように頼まれたのだという。
だが、「澪」は、そのことを心にしまうことにする。自分も大阪で料理屋の女将だった「芳」に愛情をかけてもらって生きることができた。血の繋がりがなくても「幼子を見守り、愛情をかけてくれる存在があれば、きっと生きていける」(57ページ)と、「ふき」に愛情深く接することを決める。「芳」もそれを察知して、「ふき」が「澪」の料理を「登龍楼」に密告していることを伏せて、「澪」が考えた料理は誰でもが思いつくものだから、料理の内容と味で勝負するのが本道であると説くのである。「澪」は、天ぷらに使う油をこれまでの胡麻油から菜種油に変えることを思いつく。「芳」は「ふき」のために前掛けを作ってやったりする。「澪」は蕗ご飯を作ることにする。そして、その手伝いを「ふき」に頼みながら、「蕗には無駄なところがひとつもないのよ。とても偉い野菜だわ」(69ページ)と語ったりする。
「ふき」は、そうした「澪」や「芳」、「つる屋」の人々の温かさに触れ、「登龍楼」の板長の所に行って、これ以上は「澪」の料理を教えられないと言い切る。板長は「ふき」を殴りつけるが、「澪」はその場に駆けつけ、「登龍楼」の主人と真っ向から対決する。「登龍楼」の主の采女宗馬は、奉公人がしたことだからと板長を辞めさせて、「澪」の言い分を閉じさせる。「ふき」の弟の「健坊」はそのまま「登龍楼」で借金返済のために奉公することになり、「澪」は「ふき」を連れて「つる屋」に戻る。
運命に翻弄されて生きなければならない幼い姉弟の心情、それに手を差し伸べる「澪」、その姿が九段下の俎橋の上で描かれる。「春の日差しの溢れる中、飯田川をゆっくりと船が行き交っていた」(79ページ)の一文で、第一話「俎橋から―ほろにが蕗ご飯」が閉じられる。余韻の残る閉じられ方だと思う。
こうして話しが展開され、苦労して作った味醂を商う者との出会(第二話「花散らしの雨―こぼれ梅」)や「澪」が住む長屋の「太一」がはしかを患う話し(第三話「一粒符―なめらか葛饅頭」)、胡瓜にまつわる話し(第四話「銀菊―忍び瓜」)が展開されていく中で、「澪」の幼馴染みで吉原の太夫となっている「あさひ太夫」の病を知って、吉原にまで出かけていったり、「芳」や「太一」の病の手当をしてくれた医者の源斉の縁談話で、相手の娘が、源斎が縁談を断ったのが「澪」のせいだと思って、対抗してくるが、その娘を優しく包んでいくような「澪」の姿が描かれていく。
そして、「澪」が秘かに想いを寄せている「小松原」がようやく再建した「つる屋」に来てくれて、一緒に花火を見ながら、「私の恋は決して相手に悟られてはならない」という健気な決心をしていくというところで終わる。
本作には、一話一話に味と深みが増しているように思えるところが随所にある。どこまでも人間を包み込む、そうした姿が登場人物たちのひとつの姿勢として、それぞれに貫かれているようで、作者の作家としての人間を描く姿勢がこれで固まったのではないかと思えた。表題作よりも第一話や第三話の方が作品としての深みを感じられた。
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