2014年3月20日木曜日

葉室麟『潮鳴り』

 今日は、春雨と言うには少し冷たい雨が降っている。あと5日ほどでここを離れて熊本に転居することになっているため、机の中のガラクタ類を整理したりしていた。学生時代を含めて、これまで生涯に渡って何度も転居したために、必要なものしか残っていないが、それでもかなりのガラクタがたまっている。身一つでもいいがなあ、と思いつつの日々を過ごしている。

 そんな中で、好きな作家のひとりである葉室麟の『潮鳴り』(2013年 祥伝社)を読む。これは、再生の物語である。「落ちた花は二度と咲かない」という繰り返される言葉が象徴するように、それぞれの事情で堕落してぼろぼろになった人たちが、自分の矜持を取り戻して、それを貫きながらそのどん底から立ち直っていく物語であるが、再生のあり方は決して単純ではない。そこが作者らしいところでもあるだろう。

 物語は、『蜩ノ記』(2011年 祥伝社)で作者が創作した豊後羽根藩(うねはん)である。今回描き出される羽根藩そのものは、これといって『蜩ノ記』で描かれたような美しい光景はないが、羽根藩を舞台にした作品が書き続けられて、藤沢周平の「海坂藩」のようになればいいと期待はしている。情景描写の情緒は、作者は本当に豊かである。今回も「潮鳴り」が再生のひとつのリズムのように響いていく。

 物語の中心は、若い頃は俊英を謳われていたが、融通の利かない剛直な性格で、藩に金を出している商家の接待の席でその剛直さを発揮してしまい、そのために上役や同僚と上手くいかず、お役御免となり、家督を父の後妻の子である弟に譲って、放蕩のあげく家族の者ともしっくりいかず、家に帰ることもできなくなり、漁村の漁師小屋で寝起きし、金があれば酒に浸って溺れ、やくざが開く賭場にも出入りし、周囲から「襤褸蔵(ぼろぞう)」と揶揄されている伊吹櫂蔵である。「武士としての矜持を失い、ただ地を這いずりまわって虫のように生きている」(15ページ)。

 もう一人は、その櫂蔵が通う飲み屋の「お芳」である。「お芳」は、足軽の娘であったが、父親が病に倒れて料理屋で働かなければならなくなり、その店で働いているときに若い見栄えの良い藩士に惚れて、つい身を任せてしまったが、何人もの女を慰み者にしていたその藩士に捨てられたことから、遂に身を持ち崩してしまった女性であった。彼女は顔立ちがほどよく整い、気が利いてさばけた女性で、金さえ払えば一夜を共にするような女であったが、だれに対しても心の内側に立ち入らせることはなかった。潮風に吹かれて物憂げな様子をしていると、いつか身投げをするのではないかと危ぶまれるようなところもあった。

 そして、三人目は、もとは江戸の呉服問屋の三井越後屋の大番頭を務めていたが、突然、駆け落ちまでして一緒になった妻と子を捨てて、店を辞めて旅の俳諧師として放浪し、「お芳」の店で櫂蔵と出会った「咲庵」こと佳右衛門である。捨てられた女房は実家に帰ることもできず、同じ三井越後屋の手代として働いていた息子は、父親が突然に店を辞めたために店を辞めさせられ、生活に苦労していると聞いていた。彼もまた忸怩たる想いを抱いて生きていたのである。

 その他にも、上役を恐れ、日々をことなかれ主義で過ごしてしまっている羽根藩の藩士たちが登場する。

 これらの人たちの日常はそれぞれに倦んでいる。だが、櫂蔵の後の家督を継いだ弟が、親の財産を処分したという金の残りをもって櫂蔵を訪ねてくる。弟の新五郎は、藩の物産方から新田開発の奉行並に取り立てられていたが、事情があって金が必要となり、家財を処分したと語り、3両の金を持ってきたのである。物乞い同然に暮らしていた櫂蔵は、その仔細も聞かずに、その金を博打で一晩のうちにすってしまい惨めな気持ちを抱えたまま倦んだ日々を過ごしていた。だが、その弟が切腹したという知らせが届く。ここから事態は一変していくのである。

 櫂蔵は、切腹した弟から何故自死をしなければならなかったのかを記した手紙を受け取り、懸命に生きようとした弟に対して、自分が何もわからずにいたことを嘆き、自分の無力さに打ちのめされて絶望し、海に入って死のうとする。だが、「お芳」がそれと気づいて必死になって止める。そして、弟に代わって新田開発奉行並として出仕するように藩命が下る。その藩命をもってきたのは櫂蔵の上司となる勘定奉行の伊形清左衞門であったが、伊形清左衞門は、かつて「お芳」を弄んで捨てた男だった。

 櫂蔵の義母は、櫂蔵が屋敷に立ち入ることも毛嫌いし、まして切腹した弟の代わりに出仕ることにも、藩の裏の思惑があると言って大反対するが、櫂蔵は、一大決心をして、「お芳」を説得し、「咲庵」を説得して、三人で伊吹家に帰り、弟の切腹の真相を探るのである。

 弟は、藩の財政救済と藩政改革、新田開発のために、天領で大名貸しを行う日田の豪商の「日田金」をやっとの思いで借りることができていたが、金は江戸に運ばれて、江戸屋敷の出費のために使われてしまった。新田の開発ができなければ借金を返すことができず、しかも「日田金」は公金だから、返済ができなければ切腹せざるをえず、初めから謝金を踏み倒すための切腹役として自分が使われたと手紙に記していた。櫂蔵は、その弟がしようとしていたことをし、弟の無念を晴らすために、あらゆる侮蔑を耐え忍んでいくことを決心していくのである。

 しかし、一度落ちた花が再び咲く道は厳しい。櫂蔵から妻にと望まれた「お芳」も、自分は汚れた女であると自覚しているし、櫂蔵の義母からも、汚れた女として蔑まれる。「お芳」は、自分は女中として櫂蔵の側でその行く末を見守りたいと申し出て、下働きを懸命にしていくのである。

 やがて、弟の自死の真相が次第に明らかになっていく。弟が藩内で生産されていた明礬(みょうばん)のために日田金を借りていたことを知るし、その弟を慕いながらも遊女になっていく娘の「さと」のことも聞いていく。弟は、心底、貧しい者や困窮にあえぐ者に手を差し伸べようとしていたことがわかっていく。そして、無為に事なかれ主義で暮らし、最初は櫂蔵に辛く当たっていた新田開発奉行所の同心たちも、再び櫂蔵を中心にしてまとまっていく。日田金の着服には、藩の御用商人である博多の豪商と藩主の吉原通いの借金、そして、勘定奉行の伊形清左衞門の画策が絡んでいたのである。

 こうして、それぞれの再生の道が始まっていく。櫂蔵は、生き恥をさらしても弟がなそうとしていたことを成し遂げる決心をし、「生きる」ということを背負って藩を利用して私腹を肥やしていた悪徳商人と戦い、櫂蔵に頼まれて藩の金の出入りを調べていた「咲庵」は、捨ててしまった息子が恨みをもって訪ねて来たときに、自分の過ちを悔い、親子の関係が回復していくし、「お芳」もまた、その陰日向のない働きぶりや自分を偽らない生き方が次第に櫂蔵の義母の染子の心を溶かしていく。染子は、ようやく「お芳」を認め、事柄の裏には藩主の乱費があったことを知って、以前に奥女中をしていた関係から藩主の母親に処遇を依頼したりする。「二度目に咲く花は、苦しみや悲しみを乗り越えた分だけ、きっと美しい。」櫂蔵はそう思うのである。

 だが、櫂蔵の真相への肉薄を辞めさせようとした伊形清左衞門は、櫂蔵の弱点である「お芳」を騙し、「お芳」を手籠めにしようとする。しかし、清左衞門に襲われる前に、「お芳」は、櫂蔵にも染子にも迷惑をかけないために、自ら命を立つ。しかし、清左衞門の悪もそこまでだった。

 櫂蔵は、日田の豪商や郡代官の信用を得て、すべてを明らかにして、弟が詰め腹を切らされて秘匿されていた「日田金」を取り戻し、すべてを明らかにして、藩を利用して私腹を肥やそうとしていた博多の悪徳商人は金繰りがつかなくなって崩れおれ、藩主は隠居して交代させられた。そして、勘定奉行となった櫂蔵は、弟がなそうとした明礬を使った藩財政の改革に取り組んでいく。「お芳」は櫂蔵の心の中で彼女の二度目の花を咲かせたのである。

 この物語の中で、具体的な再生を果たすことができなかった女性が、あと一人登場する。それは櫂蔵の弟に秘かに想いを寄せていた村の娘の「さと」で、彼女は家族の身を救うために博多の遊女に売られていく。櫂蔵や彼女に想いを寄せる櫂蔵の若い部下が、なんとか彼女を遊女の身から救い出そうとするが、自らそれを否む。そして、自分が櫂蔵の弟に想いを寄せていたということを胸に刻んで、苦界を生きていこうとするのである。それもまた、自分で自分の状況を変えることができない人間の再生かもしれないとは思うが。

 この物語は、人間の再生という非常に大きなテーマを取り扱い、その姿が極めてはっきりした形で描かれているが、清冽さとか覚悟という点では、それが直説法で書かれているだけに薄い気がする。藩主と商人の傲慢さや悪徳ぶりとそれを暴いていく展開は面白く読めるが、作者がこれまで示してきた人間の深みということでは主人公やその弟が信用をかち取っていく過程に若干の甘さを感じた。どうしようもない境遇の中を、歯を食いしばりながら矜持をもって生きていき、一筋に愛を貫くような壮烈さが今ひとつ伝わらない気がした。そういうことは間接的に描くことで初めて意味をもつからである。物語の筋があまりに直線的で、一読者として、作者には本当に深みのある作品を書いてもらいたいという思いがあるからかもしれない。それでも、これは優れた佳作であることに変わりはない。

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