2010年8月2日月曜日

出久根達郎『世直し大明神 おんな飛脚人』

 曇り空が広がり、高温多湿で、蒸し暑い空気が肌にべっとりとまとわりつくようで、不快指数がピークに達している。昨日も同じような感じで一日湿度の高い日だった。エアコンを稼働させている室内とべっとりする室外の差が大きくて、外に出ると汗が滴り落ちる。

 今朝の朝日新聞の「Globe」という特集記事の中に、ニューヨーク在住の宮家あゆみという人の最近のニューヨークでのベストセラーの紹介があり、その第一位になっているJustin Halpern という人の「Sh*t My Dad Says」という書物が紹介されているの興味を引かれた。「Sh*t」というのはわざと「*」が使われているが、「クソ」という口語で「親父のクソのような言葉」というほどの意味の書名で、頑固だが人生の機知に富んだ父親の発言をまとめたものらしい。父親は医学研究者であるとのこと。

 たとえば、初めて幼稚園に行った日に父親が言った言葉が、「つらかっただと?もし幼稚園ごときで大変なら、お前の残りの人生に悪い知らせがあるぜ」といた具合である。小学校の個人面談では「あの女教師はお前を好きじゃなそうだから、俺もあいつが嫌いだよ。お前はいろいろ悪さをしたんだろうが、クソくらえだ。お前はいい子だ。バカ女のことは放っておけ」と言ったという。

 辛辣で、爽快で、面白い。これがニューヨーカーの中でベストセラーであるということは、人々のフラストレーションが相当たまっていて、どこか爽快で軽妙にすぱっと人生と社会を斬っていくような気分を求めているということだろうと思ったりした。日本でも丸善か紀伊国屋あたりで売りに出されるだろうから読んでみようと思っている。

 閑話休題。土曜日と日曜日に、出久根達郎『世直し大明神 おんな飛脚人』(2004年 講談社)を読んだ。この作者の作品は、前に一冊だけ『御書物同心日記』というのを読み、読みやすいし面白いが、どこか少し物足りなさを感じたりしていたが、これは掛け値なしに面白い。本のカバーの裏に、『おんな飛脚人』はNHKの金曜時代劇で『人情とどけます 江戸・娘飛脚』と題されて放映されたとあるが、納得である。

 江戸の町飛脚屋の「十六屋」(十六夜-いざよい-をひっかけたもの)で唯一の女飛脚人として働く「まどか」という娘を主人公にして、江戸で起こっている様々な出来事に関わることを市井の人々の視点から物語として語られたもので、同じ飛脚人をしている御家人の次男の清太郎との淡い恋心もあって、飛脚屋で働く者たちの友情や、主人夫婦との温かい交情、そして、飛脚屋だけに多くの情報が真っ先に集まるという設定で、江戸市中の大事件の顛末などが語られていく。

 『世直し大明神』は、現歴でいえば1855年11月11日に起こった「安政の大地震」が取り上げられ、大被害にあった江戸の様子や不穏な社会状況が背景として詳細に描かれ、本書では特に、その前の1837年の「大塩平八郎の乱」に関連しての江戸での「大塩党」と名乗る残党や、それを利用して芥収集と埋め立てで資財を肥やそうとする人間たちに、素朴でまっすぐで思いやりに飛んだ「十六屋」の飛脚人たちが立ち向かっていく姿が描かれている。

 主人公「まどか」の父は、元水戸藩士で、『大日本史』の編纂に力を尽くしていた書物探索方同心で、大塩平八郎が出した書簡に彼がもっていた書物のことで名前が記されていたために改易され、竹細工を作って生活をしていたが、その書物が幕府に対する反社会的な傾向の強いものであったことから、地震で明るみに出されることを恐れ、また、その書物が金になると思っていた者たちから狙われたりするのである。そのくだりも、なかなか妙にいっている。大事件の影で翻弄されるが、不満も嘆きもせずに、事件の解決に向けて、江戸に出てきて娘の「まどか」と共に事件の解決に尽力する。

 作者自身が古書店を営んでいるので、古書に関する知識が駆使され、1703-1762年に生きて共産制的農本主義や無政府主義的思想を展開した医者の安藤昌益の思想を弟子が記した『確龍堂先生言行録』という書物が、事件の引き金となっていると設定されており、もちろん安藤昌益は実在の人物であるが『確龍堂先生言行録』という書物は作者の創作であろう。その内容が少し紹介されているが、それも作者の創作で、むしろ福沢諭吉の思想に近いものとなっている。書名は創作であるが、決して根拠のない創作ではなく、安藤昌益の弟子で八戸藩主の側医であった人に「神山仙確」という人がいたから、その名前からとられたものだろう。本書の中での書物の発見も「まどか」の父が東北に貴重本を探しに行った時であるとされている。こういうきちんとした歴史的知識はさすがである。

 とはいえ、本書ではそういうことが語られるのではなく、背景としてきちんと収められていて、主人公を初めとする飛脚人たちの気持ちのいい仕事ぶりや爽やかで他の人のことを思う心情が物語の全編を貫いていて、安政の地震で焼けてしまった寺の花梨の木と銀杏の木が、半分焼け落ちても新しい芽を出す姿に、地震で頽廃した町や人々の復興していく姿が示されるのである。

 自然の生命力はいつでも人間を癒し、立ち直らせる力を持っている。特に、日本人はそうした自然の生命力から多くのことを学んできた。主人を亡くした「十六屋」の女将さんと「まどか」は、その若木を見て「ほろほろと涙をこぼす」。

 このシリーズの一作目である『おんな飛脚人』をぜひ読みたいと思っている。そこには「まどか」や清太郎が飛脚人となっていくいきさつが記されているだろう。

 それにしても、今日も暑い。

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