2010年8月20日金曜日

佐藤雅美『口は禍の門 町医北村宗哲』

 昨日は、予報では久方ぶりの雨と出ていたのだが、結局は降らずに、蒸し暑さだけが漂う日となった。今日も、午前中は少し曇っていたが、暑い日差しが差し始めている。昨日、お隣の「TAYA」という美容室で3ヶ月ぶりに髪を切り、ナジル人ではないが少し弱体化しているのを感じたりした。

 佐藤雅美『口は禍の門 町医北村宗哲』(2009年 角川書店)を読んだ。巻末の書物広告によれば、このシリーズでは、先に読んだ『町医 北村宗哲』(2006年)との間に、もう一冊『やる気のない刺客 町医北村宗哲』(2008年)というのが書かれているらしいが、そちらはまだ読んでいない。

 これらは、佐藤雅美の作品の中で『啓順凶状旅』(2000年 幻冬舎)以来の一つの流れを作っており、医者であると同時にやくざ(破落戸)の世界にも足を踏み入れている人物が主人公で、江戸時代の医療(漢方や本草学)と公事(訴訟事件)に詳しい著者の知識を駆使して、様々な状況の中でやくざ渡世に身を置かなければならなくなった過去のある人間が、どこまでも市井の町医として幕末の動乱期を生きようとする姿を比較的シリアスに描いたものである。

 だから、作品には常に3つの世界が描かれる。一つは、漢方医療の世界で、当時起こり始めていた蘭学医療(西洋医療)との問題で、主人公の北村宗哲は当時の医学会の権威でもあった御典医(江戸幕府-徳川家のお抱え医者)とも関係していることから、医療を巡る政治的な問題や、町医としての市井の中での医療事情などに直接的に関係している。そういう中で、宗哲はどこまでも一介の町医としての姿勢を貫こうとするのである。

 二つ目は、当時勃興してきたやくざ渡世に生きる人間同士の抗争に絡む世界で、まさに社会の閉鎖状況が重く垂れ込めた時代の中で、次第に、食べることもできずに増加してきた無宿人の世話をし始めて、町の顔役となり始めていた渡世人の世界の勢力争いに絡む世界である。宗哲の前身の啓順は、竹居の吃安(たけいのどもやす)(1811-1862年)とも関係しており、この時代の侠客としては清水の次郎長が後に出てきて社会事業を行うなどなっていくが、そうした世界が描き出されるのである。

 そして、三つ目は、町医であることから刃傷沙汰を含む様々な事件と関係し、とくに公事にまつわった事件の顛末が医者としての客観的な視点で述べられていく世界である。そこには、人と人との欲と争いが渦巻いている。

 本書では、市中で蘭学医療が流行り初め、江戸幕府が蘭学医療を表医療(江戸城での医療)で禁止し、江戸市中での渡世人の世界でも代替わりが起こり始め、抗争が活発化し、時代がますます混乱期に入っていく時の状況が、それぞれの人物を通して描き出されている。

 こういう中で、宗哲は、どこまでも自分の本分を漢方医と定め、どの世界からも一歩身を引いたような客観的な姿勢を保とうと気を使いながら過ごしていく。文体も、心情的な表現がどこにもなくて、枯れたように淡々と事件が述べられていくようで、それでいて人の嘘や飾りが見抜かれていくような、どこか主人公の人間味を感じさせる空気を放っている。

 考えてみれば、佐藤雅美の作品には『物書同心居眠り紋蔵』のシリーズでもそうだが、様々な事件に巻き込まれながらも、どこか身を引いた人物を描いた作品が多いような気がする。それは、権威や権力とは無縁ではあるが有能である人間のひとつの身の処し方の知恵でもあるだろう。事件の渦中や狭間の中で客観性を冷静に保つことには意味がある。問題は、その人がどこに価値を見出すかであり、居眠り紋蔵は人の情と家族との絆の中に、北村宗哲は、町医に徹しようとするところに、その姿が描かれているのである。

 だから、こういう作品を読むと、翻ってわたし自身がどこに本当に価値を見出そうとしているのかを考えさせられたりもする。
 
 そのことはともかくとして、佐藤雅美が独自の世界をその知識と文体で作っていることに間違いはなく、一つの独自の姿勢をもつ作家ではあるだろうと思う。

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