2011年10月7日金曜日

宇江佐真理『虚ろ舟 泣きの銀次参之章』

 よく晴れた爽やかな秋晴れの日になった。風がそよぎ、戸外に小さなテーブルと椅子をもちだしてコーヒーを飲みながら本を読むには最適だろう。だが、このところ依頼されている本の編集作業や雑誌の原稿の締め切りがあって、ひたすらパソコンの前でタバコとコーヒーに囲まれての作業で時間が過ぎている。ちょっと空しい作業で、なかなか興が乗らないでいる。

 閑話休題。宇江佐真理『なでしこ御用帖』に続いて、彼女の作品である『虚ろ舟 泣きの銀次参之章』(2010年 講談社)を面白く読んでいたので、これを記しておくことにした。これは、死んだ人を見るとその人が果たせなかった様々なことを思い、命をはかなんで、人目もはばからず大泣きしてしまう江戸の岡っ引き「泣きの銀次」を取り扱った作品の三作品目である。

 一作目の『泣きの銀次』(1997年 講談社)と二作目の『晩鐘 続・泣きの銀次』(2007年 講談社)に続く三作目で、銀次の子どもたち、特に適うことがなかった次女の「お次」の恋の顛末が事件がらみで描かれている。

 『虚ろ舟 泣きの銀次参之章』は、銀次の長女「おいち」の嫁入り話から始まる。

 「おいち」が嫁ぐのは、八丁堀の裏茅場町にある薬種屋「武蔵屋」の長男である清兵衛であるが、「武蔵屋」の主であった父が早くになくなり、母親と番頭や手代の助けで店を営んでいた。だが、その手代が金で誘惑されて裏切り、五年前に「武蔵屋」に押し込み強盗が入り、命は取られなかったものの三百両もの大金を奪われ、まだ十六歳だった清兵衛は、その事件で知り合った銀次を頼りにし、「坂本屋」という老舗の小間物屋も営む銀次の家に出入りするようになっていたのである。

 そして、互いに助けあって暮らしていた銀次の家の温かさに触れ、貧乏を明るく辛抱してきた「おいち」と恋仲になり、晴れて結婚に至ったのである。

 ようやく長女を嫁がせた銀次だが、次は次女の「お次」のことが気にかかる。「お次」は、やはり銀次の家に出入りするようになった絵師の天野和平に想いを寄せている。

 天野和平は、津軽藩のお抱え絵師で、藩名によって江戸に出てきて絵の修行に励んでいたが、左足が壊疽になり膝から下を切断し、義足と杖の生活をしている。天野和平と銀次との出会いは、『晩鐘 続・泣きの銀次』で語られているが、左足を失って生きる気力がなくなった和平を支えたのが「お次」であった。和平は月に一度、銀次の家にやってきて夕食を食べて帰るようになっていた。

 和平と「お次」はお互いに想いを寄せていたが、和平は自分の左足がなく苦労をさせることがわかっていたので、「お次」との結婚になかなか踏み切れないでいたのである。そして、「おれは一生、独り身を通す覚悟でいる」と言ってしまう。「お次」は、それに対して何も言わない。そういう仲が続いていくのである。そんな二人に、銀次は「お前ェ達には、一緒になって乗り越えようとする覚悟がねェ」と言い放つ。そして、煮え切らない和平に家への出入り禁止を言い渡すのである。

 そうしているうちに、人形屋の子どもが庭の池で溺れ死ぬという事件が起こり、銀次はその探索に乗り出していくが、その朝、上空で怪しげに光る物体が飛んでいるのを目撃する。今で言えばUFOである。人形屋の事件の方は、銀次が検死にあたった医者に真相を聞き出して、亭主の短気に脅えて暮らしていた若女将が、前妻の子のあまりの我が儘にかっとなって起こした事故が元での事件だとわかったが、UFOの方は市中でも評判となり、「空の唐舟」とか「虚ろ舟」とか呼ばれて、瓦版に出たりして、奉行所から探索を命じられることになる。

 銀次は、瓦版を出している読売屋を訪ねて詳細を聞いているうちに、その読売屋が大店を勘当された息子ばかりが集まって営まれていることを知り、それぞれの勘当を解いてもらい親元で店を継いでいくことができるようにと奔走する。だが、その内の一人が自害するという事件が起こってしまう。そこには、勘当者どうしの軋轢があり、どうしようもない男の金の使い込みがあったのである。その事件が片づいて、銀次は読売屋をしていた忠吉が勘当を解かれて元に戻ることができるようにしていく。

 その事件に関わっている間に、取り返しのつかないことが起こってしまう。絵師の天野和平が津軽藩主に先代の追善供養のために釈迦涅槃図を描くように命じられ、その絵を描くが、銀次に家への出入り禁止を言い渡されて鬱々とした状態を過ごしていた和平が描いたのがすべて「お次」の顔をした女性であったことで、藩主の逆鱗に触れ、和平は藩邸を飛び出して行くへ不明となってしまうのである。

 銀次は和平の行くへを探すが、市中で片足の男が若い娘の後をつけたり、ついには傷つけたりする事件が起こり、和平が描いた、恐怖を感じたときの表情をした女の絵や気味の悪い絵が市中に出回るようになる。銀次は、常道を逸した和平がそれらの犯人ではないかと疑うようになる。和平は無実を主張し、和平の兄などの計らいで津軽の国元に送り返すことにする。別れの挨拶にやってきた和平は、しかし、気が立って、「お次」や銀次の家族にいらだった暴言を吐いたりする。和平は常道を逸しており、銀次は和平を信じることができなくなって、和平は再び出奔する。そして、ついに和平は疑いが晴れないままで自死する。

 和平に想いを寄せていた「お次」は、尼寺へ行くと言い出す。銀次夫婦は止めようとするが、和平のことが忘れられないという「お次」の決心は固い。

 和平が逃げ込んでいた貧乏裏店から腐乱した死体も出てくる。だが、和平がそういうひどいことをする人間だとは思えなかったことや和平が自分は犯人ではないという遺書を残していたことから、再探索を開始し、和平の裏店の近くに住んでいた俄按摩が犯人だとわかっていく。だが、「お次」は、和平の魂の平安を祈りつつ尼僧としての道を歩んでいくのである。

 これは、本当によく考え抜かれた物語構成をもつ作品だと思う。宇江佐真理の文体や会話で織りなされる温かみは言うまでもないが、細かな要素まできちんと描かれているし、銀次の親としての心情もよく表されている。

 それにしても、宇江佐真理が描く岡っ引きの姿は、やはり独特の愛情を持つ人間ばかりである。気っぷのいい深川芸者に惚れ、ひたすら真面目に生きようとする髪結い伊三次、愛する者を守るために切り刻まれて命をかける斬られ権佐、そして、死人を見るたびに大泣きしてしまう感動屋で涙もろい泣きの銀次、いずれも、生活に苦労しながらもひたむきに愛する者のために生きようとする人間である。そして、人生がそう簡単にはうまくいかないことを肌で知っている人間たちである。だから、それぞれの家庭は、問題を抱えていても温かいし、乗り越える力も湧いてくる。読んでいると、愛が苦難を乗り越える力であることがよくわかる作品である。

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