空港上空に雷が発生し、雷雨が激しくて飛行機が飛ばずに、昨夜遅く帰宅した。家の中は、もちろんサウナのような状態で、しばらく空気を入れ換えて冷房したが、なかなか涼しいところまでは行かなかった。8月も終わりだが、暑さがとてつもなく厳しく、湿度も高いので、むっとした空気が肌にまとわりつく。今朝は早くに目を覚まして、植木に水をやり、パソコンを開いて、たまっている仕事を片付け始めた。
外出先で、牧南恭子(まきなみ やすこ)『ひぐらし同心捕物控 てのひらの春』(2009年 学研M文庫)を読んだ。この著者の作品は初めて読むし、著者についての詳細もわからないが、文庫本のカバーによれば、1990年に『爪先』(講談社ノベルズ)で49歳の時に作家デビューされた方のようで、1941年生まれとあるので、安保世代と言えるかもしれない。そのためだろうと推測しているが、満州を舞台にした『帰らざる故国』という著作もあるらしい。ただ、それがどんな内容かはまだ知らない。
『ひぐらし同心捕物控』はシリーズ化されており、本書の他に、『ひぐらし同心捕物控』、『ひぐらし同心捕物控 夫婦ごよみ』、『ひぐらし同心捕物控 夏越のわかれ』の3冊の書名が記されている。
本書は、どこか鷹揚でのんびりとして「蜩(ひぐらし)」と呼ばれているが、頭脳明晰な定町廻り同心、倉田東之進(くらた はるのしん)の活躍を、同心の娘で少し気の強い妻の志満と少し知恵遅れ気味の志満の妹の美野、そして、同心の拝領屋敷に立てている蜩長屋と呼ばれている長屋の住人などの姿を織り交ぜて描き出したもので、取り扱われる事件そのものも、ダイイングメッセージの謎解きや交換殺人の謎解きなどミステリー仕立てとなっている。
使われているミステリーそのものは、格別手の込んだものでも新しいものでもないが、時代小説の中で近代的な発想を要するそうしたミステリーの謎解きが使われるのは珍しい気もする。
第一話「曽根の涙」は、蜩長屋に孫息子と住む口うるさい世話焼きのばあさん「曽根」のところに妹がやってきて、孫息子は実は妹の子であるし、妹の家の跡取りたちが亡くなったために返してほしいとの争いをはじめ、倉田東之進が気になって調べたところ、その孫息子も、真実は妹の子どもではなく、妹がどこからか拐ってきた子どもであることがわかり、曽根が苦労して育ててきたものであることから、妹に因果を含めて説得するという話で、主人公の思いやりや優しさがあふれる作品になっている。
第二話「潮目の海」は、殺された回船問屋の主人が残した地図と針盤がダイイングメッセージであることから、その謎解きをして、殺された回船問屋の主人の妾の子が犯人であることを突き止めるもので、その間に、少し知恵遅れの美野の描く絵が認められて羽子板の絵になるという話や、江戸勤番になって国許から出てきている倉田東之進の兄がこっそり金の無心を妻の志満にしていることがわかり、10両もの大金が必要だといわれるといった主人公の身辺をめぐる展開がある。
第三話「船宿ますや」は、船宿の主人の死体が上がり、非力な船宿の妻が大男である主人をどのようにして殺し、死体を運んだかの謎解きを行うというもので、その間に、兄のために10両の工面をしなければならないことで、東之進と妻の志満の間がギクシャクしたりもする。
第四話「初春の落書」は、大名屋敷の蔵の壁に落書きをする犯人を、現場に残されていた鶏糞から突き止めていくというもので、その間に、兄の借金は自堕落になった次兄のためであることがわかり、正月の集まりをきっかけに次兄が東之進の家の居候として住むことになったり、美野に惚れた羽子板屋の若旦那が結婚を申し込みに来たりのてんやわんやが起こる。東之進は心を配り、気を配りながらも、変わらずに事件の探索に当たっていく。妻の志満は妹の結婚話には頑として反対している。妹の面倒は一生自分が見ると決めていたからである。
第五話「木更津船」は、交換殺人のなぞを現場に残されていた螺鈿の小さな貝殻のかけらから解いていくもので、交換殺人にいたる人間模様が描き出されると同時に、厄介者になりつつあった次兄の節操のなさから長兄の怒りを買って出て行くことになったり、美野に結婚を申し込んだ羽子板屋の若旦那の真意が反対していた志満にもわかり、二人が結婚することになったりする話が語られる。蜩同心と蜩長屋は、こうして変わらずに続いていくのである。
一般に、ミステリーというのはどこかに論理に破れがあって、その破れがほころんで事件の真相が明白になっていくものだが、その論理の破れには、たいてい、どこか無理がある。本書のミステリーも、そうした無理が感じられないでもないが、主人公たちとそれを取り巻く市井の人々の日常やミステリーの謎解きが合わさって、読本としては面白く読むことができた。文章も読みやすい。欲を言えば、もう少しミステリーに複雑な要素があって、情景の描写や行間に余韻があるといいだろうとは思う。よいと思っているのは、五話の作品をまとめる書名が「てのひらの春」とつけられていることで、この作者の作品への思いが、その書名によく表れているように思われたことである。表題の言葉の柔らかさが作品そのものをよく表している。
もう一つ良いと思っているのは、少し知恵が遅れているが気持ちがまっすぐな美野という少女の姿と、それを取り巻く姉や東之進の心配しながらも暖かく包み込むような姿が描かれていることで全体が慰めに満ちているところである。障がいについての気負いがないぶん、あたりまえのようにさらりと描き出されるところがいい。
持っていった書物も読了して、書店で何冊か購入もしたが、それについては明日以降にでも記すことにして、まず、今日は仕事を片付けよう。
2010年8月31日火曜日
2010年8月22日日曜日
山本一力『だいこん』
昨日、テレビの天気予報を見ていたら「猛暑日」という言葉ではなく、「猛烈に暑い日」という言葉が使われていて、なるほど、と感心した。「猛暑」と言われるよりも「猛烈に暑い」と言われた方がどことなくしっくりするような気がしたからである。今年は、本当に暑さが厳しい。
昨夕、山本一力『だいこん』(2005年 光文社)を開いて読み始めたら止まらなくなり、全482ページをとうとう夜が白み始めるころまで読み続けてしまった。ときおり、こういう作品に出会うが、読了して嬉しさが込み上げてくるような感動を覚える作品だった。
『だいこん』は、苦労して江戸の浅草の下町で「だいこん」という屋号の一膳飯屋を営ようになった若い娘「つばき」の半生を情感あふれる巧みな筆力で描き出した作品で、「つばき」が深川で新しい店の開店準備をする時に上納金を取り立てにやってきた地回り(やくざ)と渡り合う場面から始まり、その地回りの親分が昔の「つばき」の知り合いであったことから、そこに至までの自分の人生を回想するという展開になっている。
「つばき」は、腕もよく、仕事一筋ではあるが、酒を飲むと人が変わったようになったり、ふとしたことから博打に手を出し、10両もの借金を作ってさんざん家族に苦労をかけてしまったりする大工の安治と、借金の貧苦に悩まされながらも夫についていく母「みのぶ」の子として生まれ、幼い頃から次女の「さくら」と三女の「かえで」の面倒を見ながら、「しっかり者」の長女として生きてきた。
まだ六歳の子どもに過ぎなかったころ、父親の博打の借金が元で両親がいがみ合い、父親が借金の取り立てで怪我を負わされた時、小さな「さくら」の手を引いて見知らぬ町で肩たたきをして銭をかせごうとして追い出されたりする。健気で、ひたすらまっすぐ生きていく。
小さいころから炊事をしなければならなかったこともあって、九歳の時、火事の炊き出しに出てご飯の炊き方を習い、ご飯を炊いたところ、これが絶妙においしく、そのことから火事の見張り番小屋の賄いとして用いられることになる。働く人の状態や気持ちを見てご飯を炊き、工夫をする「つばき」はそこで母親も雇ってもらい、十七歳になるまで周囲の人たちに可愛がられながら働く。「つばき」が炊いたご飯は天下一品のご飯であった。人柄もきっぷもまっすぐな少女に成長していくのである。
こうして働いたお金を蓄え、彼女は一膳飯屋「だいこん」を始める。彼女が見張り番小屋の賄いを止める時の様子が次のように描かれている。
「長い間、ありがとうございました」
つばきが深々とあたまをさげたとき、男たちはすでに仕事に戻っていた。見送るものもいなかった。
それがつばきには、たまらなく嬉しかった。そんな男たちと仕事ができたことが、つばきの誇りで
もあった。
火の見やぐらの下に、つばきとみのぶが差しかかった。
カアーン。
カアーン。
一点鐘が打たれた。
本来は鎮火を知らせる鐘である。いまはつばきとみのぶに、名残を惜しんで鳴っている。
母と娘が、火の見やぐらにむかって礼をした。長い韻を引いて、半鐘がふたりに応えた。(237ページ)
誰が見ていようと見ていまいと、黙って深々とお辞儀をする。それに男たちが鳴らす半鐘が応える。そういう光景が、つばきと周囲の人々の間に広がっていく。その光景だけで、つばきという少女と周囲の人々の関係が見事にわかる。
つばきの一膳飯屋「だいこん」は、つばきの気の利いた細かな心使いや工夫で繁盛していく。妹の「さくら」と「かえで」、そして母親の「みのぶ」で盛り立てていくのだが、何と言っても「つばき」の店主としての裁量が光る。「だいこん」は、一度は大水で浸水されて「つばき」たち一家は行き場を失うが、そんなことでへこたれない。一時しのぎで宿泊した公事宿屋でも、「つばき」は奉行所の訴訟人たちの弁当を考案し、働き続ける。「つばき」は年頃となり、いっしょに弁当を作っていた公事宿の若旦那と淡い恋心を持つようになるが、自分の商売である一膳飯屋「だいこん」を大切にし、再建を図るために若旦那の申し出を断ったりする。
一家を支える長女として、妹たちのように甘えることができない自分、母親に対しても自分の意見を頑として譲らない自分に悩むこともあり、長女であることや母と成長した娘との関係も「つばき」の心情を通して語られていく。酔うとどうしようもなく、博打から足を洗うこともできない父親だが、大事な時には適切な判断を示し、「つばき」の良い相談相手となっていく父親の姿も描き出される。
こうして、再び「だいこん」は繁盛し、魚河岸からの直接の仕入れのために桃太郎の絵を描いた車を作って評判を呼んだりする。器量も度胸もあり、きっぷもよい「つばき」をやっかむ人間も出てくるが、周囲に助けられながら、「つばき」は思うところを進んで行く。日本橋の大店の主たちとも、その人間味で対応する。「つばき」に新しい事業の展開を申し入れた日本橋の大店の大旦那「菊之助」は「つばき」の人柄を次のように見込む。
「仕事をご一緒にと切り出せば、つばきさんは話を聞く前に断るだろうと、大旦那様はおっしゃいました」
おのれの身の丈にわきまえのあるつばきなら、大店と一緒と言われただけで断るに違いない。断られたら、何があっても頼み込むこと。
もしも話に乗ってくるようであれば、それは身の丈を過信しているものの振る舞いだ。先々では揉め事を起こすに決まっているから、そのときは通り一遍の話をして帰ってくること。
菊之助は、こう番頭に指図していた。(430ページ)
「つばき」は、こうして新しい事業を展開することになるのである。思い切りの良さも、大胆な事業展開も繰り広げられる。彼女は年配者から学ぶ謙遜さもある。新しい事業を任せることにした茶屋の老婆とその友人たちの振る舞いから、人間の本当の奥ゆかしさを学んでいくのである。
おそめは、柳原の土手で小さな茶店を商っていた婆さんである。
ところがおかねは浅草橋の船宿の大女将だし、おきちは箱崎町の煙草屋の隠居だ。どれほどおそめをひいき目に見ても、おかねとおきちのほうが、育ちの良さでは勝っていた。
それなのにおかねもおきちも、おそめの指図に従っていた。だれがあるじであるのかを、しっかりわきまえているからだ。
それでいて、茶を入れたり、ようかんを切ったりすれば、育ちのほどがくっきりと出た。しかも、ひけらかしたりはしない。
これが本当の奥ゆかしさ。(451ページ)
こうした細かな芸当が随所に記されているのである。だから、描かれる人間が生き生きしている。登場人物たちが、まるでそこに生きているかのように語られていくのである。
そして、「つばき」は魚河岸に出入りし、なにかと「つばき」を手助けしてくれる好青年に恋心を抱きながら、繁盛している「だいこん」の店を整理して、新しく「だいこん」の看板を深川に掛けることになるのである。
この物語は、一膳飯屋を営む娘の成功物語では決してなく、苦労物語である。だからこそ、読むものを惹きつける。決して単なるサクセスストーリーではなく、己の身一つで、才覚と工夫、努力を積み重ねながら、境遇や挫折を乗り越えていかなければならない人間が、それを何とか乗り越えていく物語である。
寛政元年、「つばき」25歳で、この話は終わる。魚河岸に出入りするぼて振りの好青年への思いも胸にしまったまま、深川での新しい「だいこん」の店の普請が進んで行く。深川の鐘の音を聞きながら、「知恵を使い、こころざしを捨てず、ひたむきに汗を流して」暮らしに溶け込んでいこうとする「つばき」の姿で終わる。名作の一つだと思う。
ところで、明日の夕から留守をする。4~5冊の本を抱えては行くが、パソコンはもっていかないので、この「独り読む書の記」も一週間ほど休むことにした。ガタが出始めている身体の修復がすこしできればと思っている。それで、日曜日の夜にこれを記した次第である。
昨夕、山本一力『だいこん』(2005年 光文社)を開いて読み始めたら止まらなくなり、全482ページをとうとう夜が白み始めるころまで読み続けてしまった。ときおり、こういう作品に出会うが、読了して嬉しさが込み上げてくるような感動を覚える作品だった。
『だいこん』は、苦労して江戸の浅草の下町で「だいこん」という屋号の一膳飯屋を営ようになった若い娘「つばき」の半生を情感あふれる巧みな筆力で描き出した作品で、「つばき」が深川で新しい店の開店準備をする時に上納金を取り立てにやってきた地回り(やくざ)と渡り合う場面から始まり、その地回りの親分が昔の「つばき」の知り合いであったことから、そこに至までの自分の人生を回想するという展開になっている。
「つばき」は、腕もよく、仕事一筋ではあるが、酒を飲むと人が変わったようになったり、ふとしたことから博打に手を出し、10両もの借金を作ってさんざん家族に苦労をかけてしまったりする大工の安治と、借金の貧苦に悩まされながらも夫についていく母「みのぶ」の子として生まれ、幼い頃から次女の「さくら」と三女の「かえで」の面倒を見ながら、「しっかり者」の長女として生きてきた。
まだ六歳の子どもに過ぎなかったころ、父親の博打の借金が元で両親がいがみ合い、父親が借金の取り立てで怪我を負わされた時、小さな「さくら」の手を引いて見知らぬ町で肩たたきをして銭をかせごうとして追い出されたりする。健気で、ひたすらまっすぐ生きていく。
小さいころから炊事をしなければならなかったこともあって、九歳の時、火事の炊き出しに出てご飯の炊き方を習い、ご飯を炊いたところ、これが絶妙においしく、そのことから火事の見張り番小屋の賄いとして用いられることになる。働く人の状態や気持ちを見てご飯を炊き、工夫をする「つばき」はそこで母親も雇ってもらい、十七歳になるまで周囲の人たちに可愛がられながら働く。「つばき」が炊いたご飯は天下一品のご飯であった。人柄もきっぷもまっすぐな少女に成長していくのである。
こうして働いたお金を蓄え、彼女は一膳飯屋「だいこん」を始める。彼女が見張り番小屋の賄いを止める時の様子が次のように描かれている。
「長い間、ありがとうございました」
つばきが深々とあたまをさげたとき、男たちはすでに仕事に戻っていた。見送るものもいなかった。
それがつばきには、たまらなく嬉しかった。そんな男たちと仕事ができたことが、つばきの誇りで
もあった。
火の見やぐらの下に、つばきとみのぶが差しかかった。
カアーン。
カアーン。
一点鐘が打たれた。
本来は鎮火を知らせる鐘である。いまはつばきとみのぶに、名残を惜しんで鳴っている。
母と娘が、火の見やぐらにむかって礼をした。長い韻を引いて、半鐘がふたりに応えた。(237ページ)
誰が見ていようと見ていまいと、黙って深々とお辞儀をする。それに男たちが鳴らす半鐘が応える。そういう光景が、つばきと周囲の人々の間に広がっていく。その光景だけで、つばきという少女と周囲の人々の関係が見事にわかる。
つばきの一膳飯屋「だいこん」は、つばきの気の利いた細かな心使いや工夫で繁盛していく。妹の「さくら」と「かえで」、そして母親の「みのぶ」で盛り立てていくのだが、何と言っても「つばき」の店主としての裁量が光る。「だいこん」は、一度は大水で浸水されて「つばき」たち一家は行き場を失うが、そんなことでへこたれない。一時しのぎで宿泊した公事宿屋でも、「つばき」は奉行所の訴訟人たちの弁当を考案し、働き続ける。「つばき」は年頃となり、いっしょに弁当を作っていた公事宿の若旦那と淡い恋心を持つようになるが、自分の商売である一膳飯屋「だいこん」を大切にし、再建を図るために若旦那の申し出を断ったりする。
一家を支える長女として、妹たちのように甘えることができない自分、母親に対しても自分の意見を頑として譲らない自分に悩むこともあり、長女であることや母と成長した娘との関係も「つばき」の心情を通して語られていく。酔うとどうしようもなく、博打から足を洗うこともできない父親だが、大事な時には適切な判断を示し、「つばき」の良い相談相手となっていく父親の姿も描き出される。
こうして、再び「だいこん」は繁盛し、魚河岸からの直接の仕入れのために桃太郎の絵を描いた車を作って評判を呼んだりする。器量も度胸もあり、きっぷもよい「つばき」をやっかむ人間も出てくるが、周囲に助けられながら、「つばき」は思うところを進んで行く。日本橋の大店の主たちとも、その人間味で対応する。「つばき」に新しい事業の展開を申し入れた日本橋の大店の大旦那「菊之助」は「つばき」の人柄を次のように見込む。
「仕事をご一緒にと切り出せば、つばきさんは話を聞く前に断るだろうと、大旦那様はおっしゃいました」
おのれの身の丈にわきまえのあるつばきなら、大店と一緒と言われただけで断るに違いない。断られたら、何があっても頼み込むこと。
もしも話に乗ってくるようであれば、それは身の丈を過信しているものの振る舞いだ。先々では揉め事を起こすに決まっているから、そのときは通り一遍の話をして帰ってくること。
菊之助は、こう番頭に指図していた。(430ページ)
「つばき」は、こうして新しい事業を展開することになるのである。思い切りの良さも、大胆な事業展開も繰り広げられる。彼女は年配者から学ぶ謙遜さもある。新しい事業を任せることにした茶屋の老婆とその友人たちの振る舞いから、人間の本当の奥ゆかしさを学んでいくのである。
おそめは、柳原の土手で小さな茶店を商っていた婆さんである。
ところがおかねは浅草橋の船宿の大女将だし、おきちは箱崎町の煙草屋の隠居だ。どれほどおそめをひいき目に見ても、おかねとおきちのほうが、育ちの良さでは勝っていた。
それなのにおかねもおきちも、おそめの指図に従っていた。だれがあるじであるのかを、しっかりわきまえているからだ。
それでいて、茶を入れたり、ようかんを切ったりすれば、育ちのほどがくっきりと出た。しかも、ひけらかしたりはしない。
これが本当の奥ゆかしさ。(451ページ)
こうした細かな芸当が随所に記されているのである。だから、描かれる人間が生き生きしている。登場人物たちが、まるでそこに生きているかのように語られていくのである。
そして、「つばき」は魚河岸に出入りし、なにかと「つばき」を手助けしてくれる好青年に恋心を抱きながら、繁盛している「だいこん」の店を整理して、新しく「だいこん」の看板を深川に掛けることになるのである。
この物語は、一膳飯屋を営む娘の成功物語では決してなく、苦労物語である。だからこそ、読むものを惹きつける。決して単なるサクセスストーリーではなく、己の身一つで、才覚と工夫、努力を積み重ねながら、境遇や挫折を乗り越えていかなければならない人間が、それを何とか乗り越えていく物語である。
寛政元年、「つばき」25歳で、この話は終わる。魚河岸に出入りするぼて振りの好青年への思いも胸にしまったまま、深川での新しい「だいこん」の店の普請が進んで行く。深川の鐘の音を聞きながら、「知恵を使い、こころざしを捨てず、ひたむきに汗を流して」暮らしに溶け込んでいこうとする「つばき」の姿で終わる。名作の一つだと思う。
ところで、明日の夕から留守をする。4~5冊の本を抱えては行くが、パソコンはもっていかないので、この「独り読む書の記」も一週間ほど休むことにした。ガタが出始めている身体の修復がすこしできればと思っている。それで、日曜日の夜にこれを記した次第である。
2010年8月20日金曜日
佐藤雅美『口は禍の門 町医北村宗哲』
昨日は、予報では久方ぶりの雨と出ていたのだが、結局は降らずに、蒸し暑さだけが漂う日となった。今日も、午前中は少し曇っていたが、暑い日差しが差し始めている。昨日、お隣の「TAYA」という美容室で3ヶ月ぶりに髪を切り、ナジル人ではないが少し弱体化しているのを感じたりした。
佐藤雅美『口は禍の門 町医北村宗哲』(2009年 角川書店)を読んだ。巻末の書物広告によれば、このシリーズでは、先に読んだ『町医 北村宗哲』(2006年)との間に、もう一冊『やる気のない刺客 町医北村宗哲』(2008年)というのが書かれているらしいが、そちらはまだ読んでいない。
これらは、佐藤雅美の作品の中で『啓順凶状旅』(2000年 幻冬舎)以来の一つの流れを作っており、医者であると同時にやくざ(破落戸)の世界にも足を踏み入れている人物が主人公で、江戸時代の医療(漢方や本草学)と公事(訴訟事件)に詳しい著者の知識を駆使して、様々な状況の中でやくざ渡世に身を置かなければならなくなった過去のある人間が、どこまでも市井の町医として幕末の動乱期を生きようとする姿を比較的シリアスに描いたものである。
だから、作品には常に3つの世界が描かれる。一つは、漢方医療の世界で、当時起こり始めていた蘭学医療(西洋医療)との問題で、主人公の北村宗哲は当時の医学会の権威でもあった御典医(江戸幕府-徳川家のお抱え医者)とも関係していることから、医療を巡る政治的な問題や、町医としての市井の中での医療事情などに直接的に関係している。そういう中で、宗哲はどこまでも一介の町医としての姿勢を貫こうとするのである。
二つ目は、当時勃興してきたやくざ渡世に生きる人間同士の抗争に絡む世界で、まさに社会の閉鎖状況が重く垂れ込めた時代の中で、次第に、食べることもできずに増加してきた無宿人の世話をし始めて、町の顔役となり始めていた渡世人の世界の勢力争いに絡む世界である。宗哲の前身の啓順は、竹居の吃安(たけいのどもやす)(1811-1862年)とも関係しており、この時代の侠客としては清水の次郎長が後に出てきて社会事業を行うなどなっていくが、そうした世界が描き出されるのである。
そして、三つ目は、町医であることから刃傷沙汰を含む様々な事件と関係し、とくに公事にまつわった事件の顛末が医者としての客観的な視点で述べられていく世界である。そこには、人と人との欲と争いが渦巻いている。
本書では、市中で蘭学医療が流行り初め、江戸幕府が蘭学医療を表医療(江戸城での医療)で禁止し、江戸市中での渡世人の世界でも代替わりが起こり始め、抗争が活発化し、時代がますます混乱期に入っていく時の状況が、それぞれの人物を通して描き出されている。
こういう中で、宗哲は、どこまでも自分の本分を漢方医と定め、どの世界からも一歩身を引いたような客観的な姿勢を保とうと気を使いながら過ごしていく。文体も、心情的な表現がどこにもなくて、枯れたように淡々と事件が述べられていくようで、それでいて人の嘘や飾りが見抜かれていくような、どこか主人公の人間味を感じさせる空気を放っている。
考えてみれば、佐藤雅美の作品には『物書同心居眠り紋蔵』のシリーズでもそうだが、様々な事件に巻き込まれながらも、どこか身を引いた人物を描いた作品が多いような気がする。それは、権威や権力とは無縁ではあるが有能である人間のひとつの身の処し方の知恵でもあるだろう。事件の渦中や狭間の中で客観性を冷静に保つことには意味がある。問題は、その人がどこに価値を見出すかであり、居眠り紋蔵は人の情と家族との絆の中に、北村宗哲は、町医に徹しようとするところに、その姿が描かれているのである。
だから、こういう作品を読むと、翻ってわたし自身がどこに本当に価値を見出そうとしているのかを考えさせられたりもする。
そのことはともかくとして、佐藤雅美が独自の世界をその知識と文体で作っていることに間違いはなく、一つの独自の姿勢をもつ作家ではあるだろうと思う。
佐藤雅美『口は禍の門 町医北村宗哲』(2009年 角川書店)を読んだ。巻末の書物広告によれば、このシリーズでは、先に読んだ『町医 北村宗哲』(2006年)との間に、もう一冊『やる気のない刺客 町医北村宗哲』(2008年)というのが書かれているらしいが、そちらはまだ読んでいない。
これらは、佐藤雅美の作品の中で『啓順凶状旅』(2000年 幻冬舎)以来の一つの流れを作っており、医者であると同時にやくざ(破落戸)の世界にも足を踏み入れている人物が主人公で、江戸時代の医療(漢方や本草学)と公事(訴訟事件)に詳しい著者の知識を駆使して、様々な状況の中でやくざ渡世に身を置かなければならなくなった過去のある人間が、どこまでも市井の町医として幕末の動乱期を生きようとする姿を比較的シリアスに描いたものである。
だから、作品には常に3つの世界が描かれる。一つは、漢方医療の世界で、当時起こり始めていた蘭学医療(西洋医療)との問題で、主人公の北村宗哲は当時の医学会の権威でもあった御典医(江戸幕府-徳川家のお抱え医者)とも関係していることから、医療を巡る政治的な問題や、町医としての市井の中での医療事情などに直接的に関係している。そういう中で、宗哲はどこまでも一介の町医としての姿勢を貫こうとするのである。
二つ目は、当時勃興してきたやくざ渡世に生きる人間同士の抗争に絡む世界で、まさに社会の閉鎖状況が重く垂れ込めた時代の中で、次第に、食べることもできずに増加してきた無宿人の世話をし始めて、町の顔役となり始めていた渡世人の世界の勢力争いに絡む世界である。宗哲の前身の啓順は、竹居の吃安(たけいのどもやす)(1811-1862年)とも関係しており、この時代の侠客としては清水の次郎長が後に出てきて社会事業を行うなどなっていくが、そうした世界が描き出されるのである。
そして、三つ目は、町医であることから刃傷沙汰を含む様々な事件と関係し、とくに公事にまつわった事件の顛末が医者としての客観的な視点で述べられていく世界である。そこには、人と人との欲と争いが渦巻いている。
本書では、市中で蘭学医療が流行り初め、江戸幕府が蘭学医療を表医療(江戸城での医療)で禁止し、江戸市中での渡世人の世界でも代替わりが起こり始め、抗争が活発化し、時代がますます混乱期に入っていく時の状況が、それぞれの人物を通して描き出されている。
こういう中で、宗哲は、どこまでも自分の本分を漢方医と定め、どの世界からも一歩身を引いたような客観的な姿勢を保とうと気を使いながら過ごしていく。文体も、心情的な表現がどこにもなくて、枯れたように淡々と事件が述べられていくようで、それでいて人の嘘や飾りが見抜かれていくような、どこか主人公の人間味を感じさせる空気を放っている。
考えてみれば、佐藤雅美の作品には『物書同心居眠り紋蔵』のシリーズでもそうだが、様々な事件に巻き込まれながらも、どこか身を引いた人物を描いた作品が多いような気がする。それは、権威や権力とは無縁ではあるが有能である人間のひとつの身の処し方の知恵でもあるだろう。事件の渦中や狭間の中で客観性を冷静に保つことには意味がある。問題は、その人がどこに価値を見出すかであり、居眠り紋蔵は人の情と家族との絆の中に、北村宗哲は、町医に徹しようとするところに、その姿が描かれているのである。
だから、こういう作品を読むと、翻ってわたし自身がどこに本当に価値を見出そうとしているのかを考えさせられたりもする。
そのことはともかくとして、佐藤雅美が独自の世界をその知識と文体で作っていることに間違いはなく、一つの独自の姿勢をもつ作家ではあるだろうと思う。
2010年8月17日火曜日
澤田ふじ子『聖護院の仇討 足引き寺閻魔帳』
今年の夏は格別暑い日が続いているが、昨日はまた特別暑く、都内では摂氏38度を越えたところも出た。湿気も多く、夜になっても気温が下がることはなかった。今日も同じような猛暑日になって、朝からうんざりする熱気がこもっている。
それでも、昨日のお昼からようやく書斎のエアコンが機能しはじめ、幾分助かっている。だからといって仕事がはかどるわけでは決してないが。
二日ほどかけて澤田ふじ子『聖護院の仇討 足引き寺閻魔帳』(2000年 徳間書店 2003年 徳間文庫)を読んだ。7話からなる短編連作で、分量も多いわけではないが、なんとなく読み進みづらかったのは、登場人物たちの京都弁の饒舌さになじめなかったし、会話の言葉使いに人物の特徴があまり感じられないような気がしたし、勧善懲悪の物語そのものに、いささかうんざりしていたからかも知れない。
「足引き寺」というのは、京都の町の人々が法では裁けない悪人を懲らしめ(悪人の足を引く)、恨みを晴らしてくれる寺があると信じている寺のことで、いわば「仕事人」とか「仕掛け人」という恨みを晴らす人たちの京都版とでもいうものである。
元々、法で裁けないような苦労や悲しみを背負わされた人の恨みを晴らすという発想は池波正太郎の『仕掛け人梅安』があって、映画化もされていたので、澤田ふじ子の『足引き寺閻魔帳』シリーズ(巻末の作品リストによれば3作出されている)の発想が新しいものでは決してない。
もちろん、登場人物たちは、地蔵寺(足引き寺)の住職の宗徳、幼なじみで西町奉行所同心の蓮根左仲、左仲の手下で羅宇屋(煙管屋)の与惣次、女絵師のお琳、そして紀州犬の「豪」の四人と一匹で、それぞれの過去もあるし、特に紀州犬の活躍が光ったりするし、京都らしい風情もあり、たとえば第四話「闇の坂」で、散々苦労してようやく畳職人と夫婦になったのもつかの間、拐かされて枕絵のモデルとしてもてあそばれていた女性を彼らが助け出した後で、夫に顔向けできないような状態にされて去っていこうとする妻に、畳職人の夫が「わしのところにもどってこなんだら、お前はこれから闇の坂を、ずっと転げ落ちていくことになるねんで」(文庫版 170ページ)と呼びかける人情場面も描かれている。
しかし、悪を懲らしめる正義というものを認めないわたしには、足引き寺の仕事人たちが下す「悪」の判断が、悪は悪ではあるが、どこか必然性を欠くように思えてならなかった。「正義」もまた「欲」の一つの形態に過ぎないと思っているからだろう。恨みを晴らすという思いも、個人的にあまり縁がない。「罪のゆるし」の別次元を考えるからかも知れない。一般的に言っても、現象の正悪の判断というのは、どこか底が浅いもののように思えてならない。だからといって正義を行うことに意味がないとは思っていないが。
それにしても、この作品では男性が饒舌なのに比して女性が寡黙で、あまり女性が描かれないのは何故だろう。作品の内容が、恨みを晴らす「仕事人」の物語であり、それが力業で為されるから、老人や子どもや女性を弱者と見立てて、その弱者を助けるという勢いの中で、男性の姿が描かれるのかも知れないが、澤田ふじ子の作品を読むのはこれが初めてだから、彼女の文学傾向を知らないので、何とも言えないところがある。
京都は全くなじみがないというわけではなく、よく京都に出かけていたが、こうして改めて京都弁を読むと、京都弁には人格の特徴が現れないような仕組みになっているのがわかるような気がする。多種多様な人間が住んだ京都では、人格は隠して、うまく人々とつきあっていく方法が言葉で採られたのかも知れないと思ったりもする。
今日は図書館に出かけたいが、この暑さで躊躇している。食料品の買い出しにも出かけなければならないが、さて、どうしたものだろう。とりあえずは、仕事だろう。
それでも、昨日のお昼からようやく書斎のエアコンが機能しはじめ、幾分助かっている。だからといって仕事がはかどるわけでは決してないが。
二日ほどかけて澤田ふじ子『聖護院の仇討 足引き寺閻魔帳』(2000年 徳間書店 2003年 徳間文庫)を読んだ。7話からなる短編連作で、分量も多いわけではないが、なんとなく読み進みづらかったのは、登場人物たちの京都弁の饒舌さになじめなかったし、会話の言葉使いに人物の特徴があまり感じられないような気がしたし、勧善懲悪の物語そのものに、いささかうんざりしていたからかも知れない。
「足引き寺」というのは、京都の町の人々が法では裁けない悪人を懲らしめ(悪人の足を引く)、恨みを晴らしてくれる寺があると信じている寺のことで、いわば「仕事人」とか「仕掛け人」という恨みを晴らす人たちの京都版とでもいうものである。
元々、法で裁けないような苦労や悲しみを背負わされた人の恨みを晴らすという発想は池波正太郎の『仕掛け人梅安』があって、映画化もされていたので、澤田ふじ子の『足引き寺閻魔帳』シリーズ(巻末の作品リストによれば3作出されている)の発想が新しいものでは決してない。
もちろん、登場人物たちは、地蔵寺(足引き寺)の住職の宗徳、幼なじみで西町奉行所同心の蓮根左仲、左仲の手下で羅宇屋(煙管屋)の与惣次、女絵師のお琳、そして紀州犬の「豪」の四人と一匹で、それぞれの過去もあるし、特に紀州犬の活躍が光ったりするし、京都らしい風情もあり、たとえば第四話「闇の坂」で、散々苦労してようやく畳職人と夫婦になったのもつかの間、拐かされて枕絵のモデルとしてもてあそばれていた女性を彼らが助け出した後で、夫に顔向けできないような状態にされて去っていこうとする妻に、畳職人の夫が「わしのところにもどってこなんだら、お前はこれから闇の坂を、ずっと転げ落ちていくことになるねんで」(文庫版 170ページ)と呼びかける人情場面も描かれている。
しかし、悪を懲らしめる正義というものを認めないわたしには、足引き寺の仕事人たちが下す「悪」の判断が、悪は悪ではあるが、どこか必然性を欠くように思えてならなかった。「正義」もまた「欲」の一つの形態に過ぎないと思っているからだろう。恨みを晴らすという思いも、個人的にあまり縁がない。「罪のゆるし」の別次元を考えるからかも知れない。一般的に言っても、現象の正悪の判断というのは、どこか底が浅いもののように思えてならない。だからといって正義を行うことに意味がないとは思っていないが。
それにしても、この作品では男性が饒舌なのに比して女性が寡黙で、あまり女性が描かれないのは何故だろう。作品の内容が、恨みを晴らす「仕事人」の物語であり、それが力業で為されるから、老人や子どもや女性を弱者と見立てて、その弱者を助けるという勢いの中で、男性の姿が描かれるのかも知れないが、澤田ふじ子の作品を読むのはこれが初めてだから、彼女の文学傾向を知らないので、何とも言えないところがある。
京都は全くなじみがないというわけではなく、よく京都に出かけていたが、こうして改めて京都弁を読むと、京都弁には人格の特徴が現れないような仕組みになっているのがわかるような気がする。多種多様な人間が住んだ京都では、人格は隠して、うまく人々とつきあっていく方法が言葉で採られたのかも知れないと思ったりもする。
今日は図書館に出かけたいが、この暑さで躊躇している。食料品の買い出しにも出かけなければならないが、さて、どうしたものだろう。とりあえずは、仕事だろう。
2010年8月14日土曜日
杉本章子『火喰鳥 信太郎人情始末帖』
曇って蒸し暑い日になっている。こういう日は怠け心がむくむくと起き上がって何もせずに街をぶらぶらと歩きたいと思ったりする。徒歩圏内にある青葉台駅周辺は、デパートもあるし、大きな本屋もある。スターバックスかドトールでコーヒーをのんびり飲みながら行き交う人を眺めるのもいいだろう。だが、今日は少し仕事がある。書斎のエアコンの修理がまだなので、ちょっとした作業でも汗がにじみ出る。
昨夜、杉本章子『火喰鳥 信太郎人情始末帖』(2006年 文藝春秋社)を読んだ。これは、このシリーズの5作目で、これまでにも『水雷屯』、『狐釣り』、『きずな』を読んできており、大店の総領息子であったが、吉原の水茶屋の女将に惚れたために許嫁を捨て、勘当され、芝居小屋の大札(経理)の手伝いをしながら、明察を働かせて難事件を解決する信太郎という人物を中心にした人間模様を描いた作品で、随所に女性ならではの作者の細やかな設定が施され、人と人とのかかわりの難しさとありがたさがにじみ出ている作品である。
「火喰鳥」というのは、江戸の町をなめるようにして起こっていた火事の形容で、この作品でも、父親が亡くなっていよいよ大店の後を継ぐことを決心した信太郎が、惚れた水茶屋の女将「おぬい」のつてで勤めていた芝居小屋が火事に見舞われ、「おぬい」の伯父で芝居小屋の大札をしていた久右衛門を助けるために火事場に飛び込み失明する。久右衛門は、信太郎と「おぬい」のよき理解者であったが、この火事で焼け死ぬ。
信太郎の失明を知った「おぬい」は、いても立ってもいられなくなるが、結婚に反対する信太郎の母と気の強い姉の抵抗の中で、信太郎に近づくことさえなかなかできない。「おぬい」は、自分が受け入れられないことを知りつつも、亡くなった信太郎の父親の愛情や信太郎への思いを強くして、柔らかく、礼儀正しく、しかし毅然として婚家に向かう。母の代から守ってきた水茶屋を譲り、財産を処分し、嫁として迎え入れられないなら女中として信太郎のそばに行くことを決心するのである。「おぬい」は、信太郎の失明が自分の伯父を助けるためであったという負い目も感じる。
今回の作品では、何かの事件が取り扱われるのではないが、嫁と姑の確執を始め、基本的に「受け入れられない状態」の中での苦闘がよく表わされている。
人間にとって、自分が受け入れられていないということを自覚しなければならないことほど辛いことはない。そこでは、まず、人は自分の孤独や孤立と闘わなければならないし、それを支えるものがそう簡単にはない。「おぬい」は、信太郎への愛情を支えに、その孤軍奮闘を展開しようとするのである。それは、信太郎の友人で御徒目付となった貞五郎の妻となることを決心した芸者の「小つな」も同じで、「他家に入る」という異なった状況に置かれる人間の、自分の存在を確立するための苦闘が展開されるのである。
この作品の中で、信太郎が住んでいた貧乏長屋の人たちの姿が描かれるが、その中で、彼らについて「おぬい」が思うくだりが次のように述べられている。
「たとえはた目には、みじめな長屋暮らしと映ったとしても、万年店で過ごした四年の歳月は信太郎にとって、ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々だったにちがいない。いま、あらためてそう思った」(141ページ)。
はた目に何と見えようと「ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々」が、信太郎と「おぬい」の生活であり、それが本シリーズの中で展開されているのである。
考えるまでもなく、一般に、時代小説の中で描かれる江戸の長屋暮らしは、たいてい、そうした貧しい中での人の情愛を描いたものである。実際には、江戸の裏店にあった貧乏長屋の暮らしは惨めで悲惨で厳しいものだったに違いないし、多くの場合は、貧しさの中で人の心もとがり、とげとげしくぎしぎしときしむようなものだっただろう。大まかに、江戸時代の江戸の人々はいま以上に楽天的ではあったが、決して簡単なものではなかった。
だが、それでも人は生きていた。そういう視点でこの時代の人々を見る現代の作家たちが、そうした情愛を大切に描こうとするのは、思い入れがあるとはいえ、現代人が失いかけている「暮らしの中での人情」の琴線に触れることだからだろうと思う。「ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々」という言葉だけで涙があふれてくる。情けが人を生かしたり殺したりする。
個人的なことを言えば、わたしも、もうとげとげしさやぎしぎしとしたことは心底いやであるし、問題提起という美名での批判の世界でも生きたくない。人間の鋭さなども放棄した。鈍化は、生物学的な貴重な存在手段であって、鈍化していくことは悪いことではないと思っている。日々の暮らしをぽつりぽつりと生きていく。それでいい。
昨夜、杉本章子『火喰鳥 信太郎人情始末帖』(2006年 文藝春秋社)を読んだ。これは、このシリーズの5作目で、これまでにも『水雷屯』、『狐釣り』、『きずな』を読んできており、大店の総領息子であったが、吉原の水茶屋の女将に惚れたために許嫁を捨て、勘当され、芝居小屋の大札(経理)の手伝いをしながら、明察を働かせて難事件を解決する信太郎という人物を中心にした人間模様を描いた作品で、随所に女性ならではの作者の細やかな設定が施され、人と人とのかかわりの難しさとありがたさがにじみ出ている作品である。
「火喰鳥」というのは、江戸の町をなめるようにして起こっていた火事の形容で、この作品でも、父親が亡くなっていよいよ大店の後を継ぐことを決心した信太郎が、惚れた水茶屋の女将「おぬい」のつてで勤めていた芝居小屋が火事に見舞われ、「おぬい」の伯父で芝居小屋の大札をしていた久右衛門を助けるために火事場に飛び込み失明する。久右衛門は、信太郎と「おぬい」のよき理解者であったが、この火事で焼け死ぬ。
信太郎の失明を知った「おぬい」は、いても立ってもいられなくなるが、結婚に反対する信太郎の母と気の強い姉の抵抗の中で、信太郎に近づくことさえなかなかできない。「おぬい」は、自分が受け入れられないことを知りつつも、亡くなった信太郎の父親の愛情や信太郎への思いを強くして、柔らかく、礼儀正しく、しかし毅然として婚家に向かう。母の代から守ってきた水茶屋を譲り、財産を処分し、嫁として迎え入れられないなら女中として信太郎のそばに行くことを決心するのである。「おぬい」は、信太郎の失明が自分の伯父を助けるためであったという負い目も感じる。
今回の作品では、何かの事件が取り扱われるのではないが、嫁と姑の確執を始め、基本的に「受け入れられない状態」の中での苦闘がよく表わされている。
人間にとって、自分が受け入れられていないということを自覚しなければならないことほど辛いことはない。そこでは、まず、人は自分の孤独や孤立と闘わなければならないし、それを支えるものがそう簡単にはない。「おぬい」は、信太郎への愛情を支えに、その孤軍奮闘を展開しようとするのである。それは、信太郎の友人で御徒目付となった貞五郎の妻となることを決心した芸者の「小つな」も同じで、「他家に入る」という異なった状況に置かれる人間の、自分の存在を確立するための苦闘が展開されるのである。
この作品の中で、信太郎が住んでいた貧乏長屋の人たちの姿が描かれるが、その中で、彼らについて「おぬい」が思うくだりが次のように述べられている。
「たとえはた目には、みじめな長屋暮らしと映ったとしても、万年店で過ごした四年の歳月は信太郎にとって、ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々だったにちがいない。いま、あらためてそう思った」(141ページ)。
はた目に何と見えようと「ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々」が、信太郎と「おぬい」の生活であり、それが本シリーズの中で展開されているのである。
考えるまでもなく、一般に、時代小説の中で描かれる江戸の長屋暮らしは、たいてい、そうした貧しい中での人の情愛を描いたものである。実際には、江戸の裏店にあった貧乏長屋の暮らしは惨めで悲惨で厳しいものだったに違いないし、多くの場合は、貧しさの中で人の心もとがり、とげとげしくぎしぎしときしむようなものだっただろう。大まかに、江戸時代の江戸の人々はいま以上に楽天的ではあったが、決して簡単なものではなかった。
だが、それでも人は生きていた。そういう視点でこの時代の人々を見る現代の作家たちが、そうした情愛を大切に描こうとするのは、思い入れがあるとはいえ、現代人が失いかけている「暮らしの中での人情」の琴線に触れることだからだろうと思う。「ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々」という言葉だけで涙があふれてくる。情けが人を生かしたり殺したりする。
個人的なことを言えば、わたしも、もうとげとげしさやぎしぎしとしたことは心底いやであるし、問題提起という美名での批判の世界でも生きたくない。人間の鋭さなども放棄した。鈍化は、生物学的な貴重な存在手段であって、鈍化していくことは悪いことではないと思っている。日々の暮らしをぽつりぽつりと生きていく。それでいい。
2010年8月13日金曜日
諸田玲子『べっぴん あくじゃれ瓢六捕物帳』
日本海を北上していった台風の余波で、朝から曇り空が広がっているが、暑さには変わりがなく、あい変わらず熱中症による死亡記事が新聞紙上に掲載され続けている。秋も立ってはいるのだが、気配はほとんどない。ただ、少し風が吹いているので夕暮れの散策にはいいかもしれない。
昨夜、眠れぬままに諸田玲子『べっぴん あくじゃれ瓢六捕物帳』(2009年 文藝春秋社)を一気に読んでしまった。これは、以前読んだ『あくじゃれ瓢六捕物帳』(2001年)と『こんちき あくじゃれ瓢六捕物帳』(2005年)に続く、シリーズ化された第3作目で、4年に一度の割合でこのシリーズが出されていることになるものの現時点での最新作である。
長崎の古物商「綺羅屋」の息子で、オランダ語の通訳もし、蘭医学、天文学、本草学などの知識もあって、本物と偽物の目利きもなかなかのもので、唐絵目利きをする六兵衛が、悪徳商人と役人が絡む密輸事件に巻き込まれ、それを解決するが、厭になり、長崎を出て江戸へ出てきて、「瓢六」と呼ばれるようになり、賭博の咎で捕縛され入牢する。しかし、その知恵と才覚に惚れ込んだ奉行所の与力と同心によって捕物の手伝いをすることを条件に出獄を許され、同心との信頼と友情を深めながら、与力の依頼でいくつかの難事件を解決していくというのが、このシリーズの大まかな格子である。
瓢六はなかなかの男前で、べた惚れの美貌の自前芸者(自前というのは、借金もなく雇われてもいない独立した芸者ということ)の「お袖」がおり、「お袖」は、江戸前の気風の良さと瓢六への並々ならぬ愛情の深さをもっているが、その分、悋気が激しい女で、雌猫でさえ瓢六に近づくのを嫌うところがあるが、いつも、瓢六を助けていく女性である。
瓢六はお袖の家に転がり込んではいるが、幕政を揶揄したり、権威をかさに着た人間や悪徳武士、商人を懲らしめるような瓦版を仲間と組んで出したりしながら、与力からの事件の探索の依頼を同心と共同しながら行っていく。
今回の事件は、瓦版がお上に睨まれて休止状態となっているために瓢六と瓦版を作っていた貧乏長屋の仲間たちが働いていた一膳飯屋の主である杵蔵にかかわる事件で、杵蔵は、もとは料理人だったが、権威や権力を振う者への反骨精神をもち、米騒動の打ち壊しを影で組織したりする切れ者で、彼の一膳飯屋は悪の世界の入り口ともなっている。杵蔵は、元締め的な存在であり、唯一、瓢六を信じているところがある。瓢六自身が悪行を働くわけでは決してないが、瓢六もまた杵蔵を信頼し、頼りにしている。
ところが、その杵蔵に、まるで婉曲に恨みを晴らすかのような事件が次々と襲ってくる。杵蔵が糸を引いた打ち壊しの最中に、大金の盗難事件が起こり、その事件を知っていた商家の出戻り娘が殺される。瓢六が一緒に瓦版を出して親しくしていた版元が殺され、そこに杵蔵が使っていた包丁が残されていたりする。瓢六はその事件の陰に、杵蔵の過去が関係していることを探り出し、それが、杵蔵が昔惚れていた女房との間にできていた杵蔵の娘の恨みによることを明らかにしていくのである。
杵蔵は、惚れた女房が弟子に手篭めにされたことに腹を立て、身重であることも知らずに追い出し、そこから悪の世界に入って行ったのだが、追い出された女房は、頼りもなく、身を持ち崩して、ついに自分を手篭めにした男の下で過ごして、娘を託して死ぬ。不幸な事件をきっかけにそうなってしまったが、杵蔵も追い出された女房も、互いに惚れあっていたのである。そして、そのことで彼女を手篭めにした男もついに彼女の心を手に入れることができずに、育てている娘にあることないこと吹きこんで杵蔵を悪者に仕立て、娘は杵蔵に深い恨みを抱くようになったのである。
杵蔵は自分に娘がいることを知らずにいたが、そのことを知り、自分を恨んで殺人を犯してしまった娘と心中する。
この大筋の事件の間に、瓢六と信頼を深めていた固物の同心は、瓢六に恋の指南を仰ぎながら、ついに思いを遂げて結ばれるし、瓢六は、自分の怠け心に気がついて、惚れあったお袖とちょっとしたことで喧嘩をしてお袖の家を出ていくが、自分の道を探し始めたりする。お袖はそんな瓢六を深く理解して、瓢六を信じて待ち続けるようになる。お袖は自前の芸者としての誇りと働きよりも瓢六との関係を大事にしていくようになるのである。ほんの些細なことで人が切れてしまい、不幸になることを感じつつも、何が大事かをよく見極めて、お袖も瓢六も互いの愛情と信頼を深めていく姿が描き出されていく。また、瓢六の周りにいる人間たちの信頼関係の深さも描かれていく。お互いにお互いの存在を「ありがたい」と思う気持ちを持って生きている人間の嬉しさがあふれている。人の愛情の深さはそのありがたさの深さである
今回の作品も凝っていて、各章の始まりに杵蔵の娘の独白が少しずつ入り、それが物語全体の構成を引っ張っていく構造がとられている。この作品には、瓢六の鋭い才覚や明察は少し影をひそめ、その分、彼の自分の生き方を模索する姿が描き出されている。何でもすることができるようであるということは、実は何もすることがないということで、才能ある人間の悩みはそこでは深いものがある。そうした姿が瓢六の模索の姿によく表わされているのである。
人の思いやりの姿を描くこのシリーズは、まだ三作しか出されていないが、息の長いシリーズになてほしいと思っている。
昨夜、眠れぬままに諸田玲子『べっぴん あくじゃれ瓢六捕物帳』(2009年 文藝春秋社)を一気に読んでしまった。これは、以前読んだ『あくじゃれ瓢六捕物帳』(2001年)と『こんちき あくじゃれ瓢六捕物帳』(2005年)に続く、シリーズ化された第3作目で、4年に一度の割合でこのシリーズが出されていることになるものの現時点での最新作である。
長崎の古物商「綺羅屋」の息子で、オランダ語の通訳もし、蘭医学、天文学、本草学などの知識もあって、本物と偽物の目利きもなかなかのもので、唐絵目利きをする六兵衛が、悪徳商人と役人が絡む密輸事件に巻き込まれ、それを解決するが、厭になり、長崎を出て江戸へ出てきて、「瓢六」と呼ばれるようになり、賭博の咎で捕縛され入牢する。しかし、その知恵と才覚に惚れ込んだ奉行所の与力と同心によって捕物の手伝いをすることを条件に出獄を許され、同心との信頼と友情を深めながら、与力の依頼でいくつかの難事件を解決していくというのが、このシリーズの大まかな格子である。
瓢六はなかなかの男前で、べた惚れの美貌の自前芸者(自前というのは、借金もなく雇われてもいない独立した芸者ということ)の「お袖」がおり、「お袖」は、江戸前の気風の良さと瓢六への並々ならぬ愛情の深さをもっているが、その分、悋気が激しい女で、雌猫でさえ瓢六に近づくのを嫌うところがあるが、いつも、瓢六を助けていく女性である。
瓢六はお袖の家に転がり込んではいるが、幕政を揶揄したり、権威をかさに着た人間や悪徳武士、商人を懲らしめるような瓦版を仲間と組んで出したりしながら、与力からの事件の探索の依頼を同心と共同しながら行っていく。
今回の事件は、瓦版がお上に睨まれて休止状態となっているために瓢六と瓦版を作っていた貧乏長屋の仲間たちが働いていた一膳飯屋の主である杵蔵にかかわる事件で、杵蔵は、もとは料理人だったが、権威や権力を振う者への反骨精神をもち、米騒動の打ち壊しを影で組織したりする切れ者で、彼の一膳飯屋は悪の世界の入り口ともなっている。杵蔵は、元締め的な存在であり、唯一、瓢六を信じているところがある。瓢六自身が悪行を働くわけでは決してないが、瓢六もまた杵蔵を信頼し、頼りにしている。
ところが、その杵蔵に、まるで婉曲に恨みを晴らすかのような事件が次々と襲ってくる。杵蔵が糸を引いた打ち壊しの最中に、大金の盗難事件が起こり、その事件を知っていた商家の出戻り娘が殺される。瓢六が一緒に瓦版を出して親しくしていた版元が殺され、そこに杵蔵が使っていた包丁が残されていたりする。瓢六はその事件の陰に、杵蔵の過去が関係していることを探り出し、それが、杵蔵が昔惚れていた女房との間にできていた杵蔵の娘の恨みによることを明らかにしていくのである。
杵蔵は、惚れた女房が弟子に手篭めにされたことに腹を立て、身重であることも知らずに追い出し、そこから悪の世界に入って行ったのだが、追い出された女房は、頼りもなく、身を持ち崩して、ついに自分を手篭めにした男の下で過ごして、娘を託して死ぬ。不幸な事件をきっかけにそうなってしまったが、杵蔵も追い出された女房も、互いに惚れあっていたのである。そして、そのことで彼女を手篭めにした男もついに彼女の心を手に入れることができずに、育てている娘にあることないこと吹きこんで杵蔵を悪者に仕立て、娘は杵蔵に深い恨みを抱くようになったのである。
杵蔵は自分に娘がいることを知らずにいたが、そのことを知り、自分を恨んで殺人を犯してしまった娘と心中する。
この大筋の事件の間に、瓢六と信頼を深めていた固物の同心は、瓢六に恋の指南を仰ぎながら、ついに思いを遂げて結ばれるし、瓢六は、自分の怠け心に気がついて、惚れあったお袖とちょっとしたことで喧嘩をしてお袖の家を出ていくが、自分の道を探し始めたりする。お袖はそんな瓢六を深く理解して、瓢六を信じて待ち続けるようになる。お袖は自前の芸者としての誇りと働きよりも瓢六との関係を大事にしていくようになるのである。ほんの些細なことで人が切れてしまい、不幸になることを感じつつも、何が大事かをよく見極めて、お袖も瓢六も互いの愛情と信頼を深めていく姿が描き出されていく。また、瓢六の周りにいる人間たちの信頼関係の深さも描かれていく。お互いにお互いの存在を「ありがたい」と思う気持ちを持って生きている人間の嬉しさがあふれている。人の愛情の深さはそのありがたさの深さである
今回の作品も凝っていて、各章の始まりに杵蔵の娘の独白が少しずつ入り、それが物語全体の構成を引っ張っていく構造がとられている。この作品には、瓢六の鋭い才覚や明察は少し影をひそめ、その分、彼の自分の生き方を模索する姿が描き出されている。何でもすることができるようであるということは、実は何もすることがないということで、才能ある人間の悩みはそこでは深いものがある。そうした姿が瓢六の模索の姿によく表わされているのである。
人の思いやりの姿を描くこのシリーズは、まだ三作しか出されていないが、息の長いシリーズになてほしいと思っている。
2010年8月12日木曜日
半村良『すべて辛抱(上・下)』
北上している台風に沿って雲が広がり、南からの熱風と混じって、高温多湿のじとりとまとわりつく空気に包まれた日となった。水分を切らさないようにしているが、脳はどうもうまく働いてくれないような気がしてならない。
三日間ほどかけて半村良『すべて辛抱(上・下)』(2001年 毎日新聞社)を読んだ。半村良は、名前はよく知っているが実際にはその人の本を手にとって読んだことのない作家の一人だったが、上下巻あわせて710ページにも及ぶ大作となっているこの作品は、貧農の生まれである人間が、11歳で江戸に出てきて、商人として様々な工夫を凝らしながら生きていく50年近くの半生を描いたもので、なかなか面白く、味のある作品だった。
半村良は、1933年に東京で生まれ、いくつかの職業を転々としながら、1962年にSF小説で作家デビューし、「SF伝奇ロマン」と呼ばれるような作品を書き、1975年に『雨やどり』で直木賞を受賞している。現代の自衛隊が時空の裂け目で戦国時代に行くという彼の『戦国自衛隊』は映画にもなっている。
SF小説は、ずっと若い頃、I.アシモフなどの作品をよく読んだし、DVDを借りてきて見る映画は、『スターゲイト』や『ギャラクティカ』といった宇宙を旅するものも多いが、どうも日本のSF小説には科学的根拠が薄いものが多いし、伝奇物と呼ばれるものもリアリティーに欠けることを平気で語っている場合が多いので、ほとんど読む気も起こらなかった。
『すべて辛抱』は、そうした作品ではなく、全く純粋に、文化文政(1804-1829年)から天保(1830-1843)にかけて、江戸幕府の体制が崩壊の兆しを見せ始め、幕末の足音が聞こえ始めた時代に、時代の感覚をもって生き抜いていった人間の生涯を描いたものである。
半村良は2002年3月に68歳余で亡くなっており、この作品が最後の作品といわれ、この作品の主人公を語ることで自分の生涯を語っているともいわれており、それだけに彼の作家としての全力を傾けた作品ではないかと思う。
物語は、農作業の手間賃で細々と暮らしながら、子どもの亥吉と孤児の千造を育てていた女性が、二人の行く末がせいぜい農家の下男ぐらいでしかないことを案じ、荒れ寺に住み着いた僧に手習いをさせ、江戸に出すところから始まる。時は、天明の大飢饉の時であり、知恵を働かせて何とか飢饉による飢えを乗り切った後で、二人ともまだ11歳ではあるが、彼女は二人の子どもを江戸に出す。
亥吉は運良く薬種問屋の下野屋という大店に預けられたが、千造は騙されたような形で、すぐに働き先を出て、無頼や強盗団の一味のような仕事をして行くことになる。亥吉が働く下野屋の若主人は、呉服店や料理屋にまで手広く商売を広げ、何事も真面目でまっすぐに取り組む亥吉は、若主人の信用を得て、呉服店に出向し、そこで新しい染めや洒落ものを考案して才覚を発揮するようになり、次に料理屋を任されるようになる。そこでも、彼の人柄や働きぶりは高い評価を得ていくが、松平定信の時代となり、贅沢が禁じられ、彼の主人であった下野屋の若主人は没落していく。だが、亥吉が働く料理屋は、なんとか何を免れる。そして、幼友達の千造と再び会い、二人は協力して、時代の先端を行く商売を考案しながら時代を乗り切っていくのである。福助人形の考案や浅草の人形焼きの考案と行った具合に、彼らの商売は当たって行くが、あまり儲けすぎると身の破滅になることを知っている庶民感覚の鋭い彼らは、競争相手が現れるとさっさと身を引いて商売替えをしていく。
こうして彼らは、無意識のうちに組織だった分業をいうことを始めたり、時代の先端を行く『時代屋』という道具屋を始めたりして、財をなしてくが、亥吉は昔の主人である下野屋の若主人から蓄えた600両もの金をだまし取られたりする。だが、めげない。また、一から出直そうと思うだけで、そうしたたくましさが彼らを支えていくのである。世の中に人のためになることをしたいという純粋な思いが、彼らの行動力の原理となり、新しい町興しをしたりもする。
やがて、社会の変化に対する感覚の鋭い彼らは、江戸幕府の体制が揺らぎ始めていることを感じ、幕末が近く、薩摩長州軍と幕府軍の戦争が起こることを予測して、財の保全に心を尽くすようになる。そして、ずっと二人三脚のようにして生きてきた千造が労咳(結核)で倒れて死に、亥吉は老後を迎えていくのである。
この作品には、もちろん亥吉の女房との夫婦関係、それもそれまでなかったような共同し、共生していくような夫婦の関係や商業におけるネットワーク作り、組織的な分業や共同作業といった新しい姿が描かれているし、友情や死を迎えることなども見事に描かれている。
下巻169ページに「それにしてもここにひとかたまり集まっていたのは、誇大なことを避けてしまう貧乏人階級の、いつの世にも怪我をせずに生き延びる典型のような者たちだった」という表現があるが、そういう人間の生き様の姿を作者は、一つの激動していく時代に生きた人間の姿として、自身もまた戦後の焼け野原や荒廃を行き、時代と社会が大きく揺れ動いた激動期を生きた人間として、描き出そうとしているのではないかと思う。
巻末に「文字も書けないころから、野宿同然の学問所で成長を遂げ、何泊かして江戸に出て、人込みに紛れ込んで大人の知恵をつけ、商売を覚えて金を稼げるようになり、互いにより掛かり合いながら暮らして・・・それが相棒をなくしてから心細い生き方になり、年を取り始めて今日に至っている」という文章がある。それはまた、戦後を生きぬ亥いてきた人たちの姿でもあっただろう。
真に、人は「すべて辛抱」しながら生きなければならないが、辛抱の中に生きることの深みも意味をすべてあるのであり、辛抱の賜のような人生こそ祝福に値する。小説の主人公たちは、いわば成功者であるが、成功や失敗とかに言うことさえできずに、それとは無縁に生きなければならない人間でも、それは同じであろう。
場面や人物、その設定には、幾分類型的なところもあるような気もするが、言いしれぬ感動を与えてくれる作品である。
三日間ほどかけて半村良『すべて辛抱(上・下)』(2001年 毎日新聞社)を読んだ。半村良は、名前はよく知っているが実際にはその人の本を手にとって読んだことのない作家の一人だったが、上下巻あわせて710ページにも及ぶ大作となっているこの作品は、貧農の生まれである人間が、11歳で江戸に出てきて、商人として様々な工夫を凝らしながら生きていく50年近くの半生を描いたもので、なかなか面白く、味のある作品だった。
半村良は、1933年に東京で生まれ、いくつかの職業を転々としながら、1962年にSF小説で作家デビューし、「SF伝奇ロマン」と呼ばれるような作品を書き、1975年に『雨やどり』で直木賞を受賞している。現代の自衛隊が時空の裂け目で戦国時代に行くという彼の『戦国自衛隊』は映画にもなっている。
SF小説は、ずっと若い頃、I.アシモフなどの作品をよく読んだし、DVDを借りてきて見る映画は、『スターゲイト』や『ギャラクティカ』といった宇宙を旅するものも多いが、どうも日本のSF小説には科学的根拠が薄いものが多いし、伝奇物と呼ばれるものもリアリティーに欠けることを平気で語っている場合が多いので、ほとんど読む気も起こらなかった。
『すべて辛抱』は、そうした作品ではなく、全く純粋に、文化文政(1804-1829年)から天保(1830-1843)にかけて、江戸幕府の体制が崩壊の兆しを見せ始め、幕末の足音が聞こえ始めた時代に、時代の感覚をもって生き抜いていった人間の生涯を描いたものである。
半村良は2002年3月に68歳余で亡くなっており、この作品が最後の作品といわれ、この作品の主人公を語ることで自分の生涯を語っているともいわれており、それだけに彼の作家としての全力を傾けた作品ではないかと思う。
物語は、農作業の手間賃で細々と暮らしながら、子どもの亥吉と孤児の千造を育てていた女性が、二人の行く末がせいぜい農家の下男ぐらいでしかないことを案じ、荒れ寺に住み着いた僧に手習いをさせ、江戸に出すところから始まる。時は、天明の大飢饉の時であり、知恵を働かせて何とか飢饉による飢えを乗り切った後で、二人ともまだ11歳ではあるが、彼女は二人の子どもを江戸に出す。
亥吉は運良く薬種問屋の下野屋という大店に預けられたが、千造は騙されたような形で、すぐに働き先を出て、無頼や強盗団の一味のような仕事をして行くことになる。亥吉が働く下野屋の若主人は、呉服店や料理屋にまで手広く商売を広げ、何事も真面目でまっすぐに取り組む亥吉は、若主人の信用を得て、呉服店に出向し、そこで新しい染めや洒落ものを考案して才覚を発揮するようになり、次に料理屋を任されるようになる。そこでも、彼の人柄や働きぶりは高い評価を得ていくが、松平定信の時代となり、贅沢が禁じられ、彼の主人であった下野屋の若主人は没落していく。だが、亥吉が働く料理屋は、なんとか何を免れる。そして、幼友達の千造と再び会い、二人は協力して、時代の先端を行く商売を考案しながら時代を乗り切っていくのである。福助人形の考案や浅草の人形焼きの考案と行った具合に、彼らの商売は当たって行くが、あまり儲けすぎると身の破滅になることを知っている庶民感覚の鋭い彼らは、競争相手が現れるとさっさと身を引いて商売替えをしていく。
こうして彼らは、無意識のうちに組織だった分業をいうことを始めたり、時代の先端を行く『時代屋』という道具屋を始めたりして、財をなしてくが、亥吉は昔の主人である下野屋の若主人から蓄えた600両もの金をだまし取られたりする。だが、めげない。また、一から出直そうと思うだけで、そうしたたくましさが彼らを支えていくのである。世の中に人のためになることをしたいという純粋な思いが、彼らの行動力の原理となり、新しい町興しをしたりもする。
やがて、社会の変化に対する感覚の鋭い彼らは、江戸幕府の体制が揺らぎ始めていることを感じ、幕末が近く、薩摩長州軍と幕府軍の戦争が起こることを予測して、財の保全に心を尽くすようになる。そして、ずっと二人三脚のようにして生きてきた千造が労咳(結核)で倒れて死に、亥吉は老後を迎えていくのである。
この作品には、もちろん亥吉の女房との夫婦関係、それもそれまでなかったような共同し、共生していくような夫婦の関係や商業におけるネットワーク作り、組織的な分業や共同作業といった新しい姿が描かれているし、友情や死を迎えることなども見事に描かれている。
下巻169ページに「それにしてもここにひとかたまり集まっていたのは、誇大なことを避けてしまう貧乏人階級の、いつの世にも怪我をせずに生き延びる典型のような者たちだった」という表現があるが、そういう人間の生き様の姿を作者は、一つの激動していく時代に生きた人間の姿として、自身もまた戦後の焼け野原や荒廃を行き、時代と社会が大きく揺れ動いた激動期を生きた人間として、描き出そうとしているのではないかと思う。
巻末に「文字も書けないころから、野宿同然の学問所で成長を遂げ、何泊かして江戸に出て、人込みに紛れ込んで大人の知恵をつけ、商売を覚えて金を稼げるようになり、互いにより掛かり合いながら暮らして・・・それが相棒をなくしてから心細い生き方になり、年を取り始めて今日に至っている」という文章がある。それはまた、戦後を生きぬ亥いてきた人たちの姿でもあっただろう。
真に、人は「すべて辛抱」しながら生きなければならないが、辛抱の中に生きることの深みも意味をすべてあるのであり、辛抱の賜のような人生こそ祝福に値する。小説の主人公たちは、いわば成功者であるが、成功や失敗とかに言うことさえできずに、それとは無縁に生きなければならない人間でも、それは同じであろう。
場面や人物、その設定には、幾分類型的なところもあるような気もするが、言いしれぬ感動を与えてくれる作品である。
2010年8月9日月曜日
鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 深川袖しぐれ』
昨夜、久しぶりに雨が降った。樹々が生き返るような気配を感じながら、ただ遅くまで雨をぼんやり眺めていた。書斎のエアコンが故障してしまったので、居間に置いていたノートパソコンを久しぶりに開いて、これを記している。パソコンもしばらく使わないとソフトの更新やセキュリティの設定など、使用するまでの準備にかなり時間がかかってしまう。便利なようだがなかなか手がかかるし、保存しているデーターも多いので、データーの移動も気を使ってしまう。けっこう容量が大きいUSBメモリーでも入りきれなかった。早く書斎のエアコンが修理されて、そのパソコンが使えるようになればいいが、この暑さで、業者への修理の依頼が多く時間がかかるとのこと。やむを得ない。
昨夜遅くではあるが、鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 深川袖しぐれ』(2005年 双葉文庫)を読み終えた。これはこのシリーズの5作目である。全18作品のうち、2作目の『袖返し』、9作目の『父子凧』、10作目の『孫六の宝』、15作目の『おっかあ』がこれまで読んだ作品で、回向院裏手の通称「はぐれ長屋」と呼ばれる貧乏棟割長屋に住む傘張牢人の華町源九郎を中心にした長屋の住人たちが悪徳商人や悪行を働く人間たちと立ち向かっていく姿を描いたこのシリーズは、登場人物たちの設定のユニークさとその働きの爽快感に満ちたものである。
本書では、あまりの手の込んだ極悪さと強さのために町方も手を出せないでいた賭場や金貸し、借金の方に娘を奪い取って遊女屋で働かせていた「相撲の五平」と呼ばれる男が相手で、手下や凄腕の牢人を使い、町方を脅したり、殺したり、長屋の住人を脅したりと、力で抑えつけようとする悪の元締めが相手になっている。力をもつものは力で滅びるが、彼の力は圧倒的で、手下を使って探索をする町方を殺して、ほかの町方を脅えさせたり、奉行所の同心や与力に賄賂を贈って圧力をかけたり、長屋の住人たちに怪我を負わせたり、住居を打ち壊したりして、手を引かせようとするのである。
ことの発端は、長屋の住人である包丁砥の茂次の幼馴染であった娘が父親の博打の借金のかたに連れ去られようとするところに茂次が行き合わせて、これを助けたところから始まる。娘の父親は「相撲の五平」の賭場で借金をさせられ、五平はその手で何人もの娘を自分の遊女屋に強奪しては働かせていたのである。そのことで茂次は五平から狙われるところとなり、娘はいつの間にか五平に連れ去られて監禁されることになった。
「はぐれ長屋」の住人たちは、茂次の意をくんで娘を助け出すために立ち上がるが、五平の手下や牢人たちから散々な脅しをかけられる。華町源九郎は、町方の手を借りて五平を捕えようとするが、脅された町方も次々と手を引くようになる。だが、五平に苦しめられている深川の料理茶屋や妓楼から資金を出させ、同心を説得し、娘の居場所を探し出して、五平に雇われている牢人たちと対決して、娘を救出し、五平を捕えるのである。
その過程が、力に屈しなければならない人間の悲哀とともに描かれていく。だが、「はぐれ長屋」の住人たちは、源九郎と結束し、力に対してまっすぐに立ち向かっていくのである。ちなみに表題の「袖しぐれ」というのは、時雨のように涙が袖にかかることをいうらしい。さめざめと泣かざるを得ない人間の悲しみの素敵な表現だと思う。
この作品で茂次は助け出された娘と結婚し、源九郎には二番目の孫が誕生する。その喜びが結末部分で語られて、日常の救いを語ることによって、「はぐれ長屋」の住人たちの爽快な姿を醸し出すものとなっている。
世の中には、持っている力を振いたがる人間と、できるなら力など振るわないほうがよいと思っている人間がいる。このシリーズは、そうした両方の人間が対決せざるを得なくなって、力を誇示する人間が結局は滅びていくという主題のもので、本書では、それが対比的によく顕わされている作品だと思う。
もちろん、鳥羽亮の作品らしく、一刀流の使い手である華町源九郎と手錬の牢人たちの対決の様子は細にいっているし、源九郎は50歳前後なので、息を切らしてしまうこともきちんと描かれ、息を切らしながらも対決していく姿勢が物語に妙を添えている。娯楽時代小説としての面白みは十分にあると思う。
今日は月曜日で、午前中は少し雨模様だったのだが、たまっていた洗濯をし、エアコンの修理業者に修理の依頼をし、少し事務的な仕事を片づけていた。高温で湿度が高いのですぐに汗が滴り落ちる。天気予報では台風が北上しているらしい。
昨夜遅くではあるが、鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 深川袖しぐれ』(2005年 双葉文庫)を読み終えた。これはこのシリーズの5作目である。全18作品のうち、2作目の『袖返し』、9作目の『父子凧』、10作目の『孫六の宝』、15作目の『おっかあ』がこれまで読んだ作品で、回向院裏手の通称「はぐれ長屋」と呼ばれる貧乏棟割長屋に住む傘張牢人の華町源九郎を中心にした長屋の住人たちが悪徳商人や悪行を働く人間たちと立ち向かっていく姿を描いたこのシリーズは、登場人物たちの設定のユニークさとその働きの爽快感に満ちたものである。
本書では、あまりの手の込んだ極悪さと強さのために町方も手を出せないでいた賭場や金貸し、借金の方に娘を奪い取って遊女屋で働かせていた「相撲の五平」と呼ばれる男が相手で、手下や凄腕の牢人を使い、町方を脅したり、殺したり、長屋の住人を脅したりと、力で抑えつけようとする悪の元締めが相手になっている。力をもつものは力で滅びるが、彼の力は圧倒的で、手下を使って探索をする町方を殺して、ほかの町方を脅えさせたり、奉行所の同心や与力に賄賂を贈って圧力をかけたり、長屋の住人たちに怪我を負わせたり、住居を打ち壊したりして、手を引かせようとするのである。
ことの発端は、長屋の住人である包丁砥の茂次の幼馴染であった娘が父親の博打の借金のかたに連れ去られようとするところに茂次が行き合わせて、これを助けたところから始まる。娘の父親は「相撲の五平」の賭場で借金をさせられ、五平はその手で何人もの娘を自分の遊女屋に強奪しては働かせていたのである。そのことで茂次は五平から狙われるところとなり、娘はいつの間にか五平に連れ去られて監禁されることになった。
「はぐれ長屋」の住人たちは、茂次の意をくんで娘を助け出すために立ち上がるが、五平の手下や牢人たちから散々な脅しをかけられる。華町源九郎は、町方の手を借りて五平を捕えようとするが、脅された町方も次々と手を引くようになる。だが、五平に苦しめられている深川の料理茶屋や妓楼から資金を出させ、同心を説得し、娘の居場所を探し出して、五平に雇われている牢人たちと対決して、娘を救出し、五平を捕えるのである。
その過程が、力に屈しなければならない人間の悲哀とともに描かれていく。だが、「はぐれ長屋」の住人たちは、源九郎と結束し、力に対してまっすぐに立ち向かっていくのである。ちなみに表題の「袖しぐれ」というのは、時雨のように涙が袖にかかることをいうらしい。さめざめと泣かざるを得ない人間の悲しみの素敵な表現だと思う。
この作品で茂次は助け出された娘と結婚し、源九郎には二番目の孫が誕生する。その喜びが結末部分で語られて、日常の救いを語ることによって、「はぐれ長屋」の住人たちの爽快な姿を醸し出すものとなっている。
世の中には、持っている力を振いたがる人間と、できるなら力など振るわないほうがよいと思っている人間がいる。このシリーズは、そうした両方の人間が対決せざるを得なくなって、力を誇示する人間が結局は滅びていくという主題のもので、本書では、それが対比的によく顕わされている作品だと思う。
もちろん、鳥羽亮の作品らしく、一刀流の使い手である華町源九郎と手錬の牢人たちの対決の様子は細にいっているし、源九郎は50歳前後なので、息を切らしてしまうこともきちんと描かれ、息を切らしながらも対決していく姿勢が物語に妙を添えている。娯楽時代小説としての面白みは十分にあると思う。
今日は月曜日で、午前中は少し雨模様だったのだが、たまっていた洗濯をし、エアコンの修理業者に修理の依頼をし、少し事務的な仕事を片づけていた。高温で湿度が高いのですぐに汗が滴り落ちる。天気予報では台風が北上しているらしい。
2010年8月4日水曜日
多岐川恭『江戸三尺の空』
積乱雲が立ち上り、強い日差しがうだるような熱気を孕んで降り注いでいる。炎天というより炎地という方がいいかもしれない。
月曜日(2日)の夜から多岐川恭『江戸三尺の空』(1968年 東京文芸社 1998年新潮文庫)を読んでいた。文庫版で573ページもの長編であるが、登場人物のほとんどすべては、いわゆる「悪人」である。「悪人」というより、自己の欲望だけに忠実に生きている人間たちで、利が一致すれば共同するが対立すれば躊躇なく裏切り、徹底した個人主義者たちである。
主人公の音次は、強盗殺人の罪で獄門に処され、刑場に引き回される途中で縄抜けをして逃亡する。自分を裏切った元の仲間を殺すためである。彼の逃亡に金で手を貸した牢医者も小悪人で、人の弱みを見つけては強請を働くし、その情婦でもあった「おりゅう」は、自分の美貌を徹底的に利用して金や利になる男であれば誰とでも寝て、手玉にとり、平然と世渡りをしている女であり、彼女の情夫のひとりであり牢医者や「おりゅう」や寺を利用しての盗品の売買や妾の斡旋(男に女を、女に男をあてがう)などの悪事の元締め的存在で、城の茶坊主は、地位を利用してずる賢く裏で悪徳を働き人物である。
こうした悪の渦巻く世界の中で、音次と微妙な関係を持ちながら翻弄されていくぐれた大店の若旦那や女たち、悪の元締めの茶坊主と関係する武家が登場するし、利のためには悪事に手を染め、大店の乗っ取りなどを企む悪徳岡っ引きも登場してくる。彼らはリアリストであり、冷徹である。
他方、もうひとりの主人公で、音次の縄抜けの責めで自害したと思われる牢役人の息子の角之助が登場し、父の無念を晴らすために音次を捕らえるために奔走する。彼は貧乏牢役人の後を継がずに、父の意志を受けて商家に養子に出て、そこで許嫁もいたが、父の自害の真相を探るために岡っ引きの手下となって悪事の世界に入り、音次の行くへを探索するのである。
物語は、この角之助と音次の対決を中心に進んで行くが、音次の方が一枚も二枚も上手であり、また、人生と人間の機知に富んでいる。だから、決して一筋縄ではいかない。しかし、音次は自分を追う角之助が自分の弟に似ていることなどもあって、彼を殺さずに逃がしてしまうところもある。音次は悪を悪とも思わぬ割り切ったドライな人間だが、なぜか人を惹きつける魅力を持っている。
結局、悪はすべて滅び、音次は角之助に捕らえられるが、角之助は音次を追う途中で、角之助の父親が、実は音次が縄抜けしたからではなく、腐敗した牢役人の不正に端を発する事件で自害したという裏の裏がわかったりする。
本書は、こうした展開が実に見事な物語構成の中で語られていく。善悪というものが存在するのではなく、多々人の欲望と利の追求、保身といったものが存在するのであり、本書が勧善懲悪とは無縁のところで人間を描いているところがいい。多岐川恭が描く世界は、悪にしても悪の理想のような所があるが、物語作品としては絶妙なおもしろさをもっている。
月曜日(2日)の夜から多岐川恭『江戸三尺の空』(1968年 東京文芸社 1998年新潮文庫)を読んでいた。文庫版で573ページもの長編であるが、登場人物のほとんどすべては、いわゆる「悪人」である。「悪人」というより、自己の欲望だけに忠実に生きている人間たちで、利が一致すれば共同するが対立すれば躊躇なく裏切り、徹底した個人主義者たちである。
主人公の音次は、強盗殺人の罪で獄門に処され、刑場に引き回される途中で縄抜けをして逃亡する。自分を裏切った元の仲間を殺すためである。彼の逃亡に金で手を貸した牢医者も小悪人で、人の弱みを見つけては強請を働くし、その情婦でもあった「おりゅう」は、自分の美貌を徹底的に利用して金や利になる男であれば誰とでも寝て、手玉にとり、平然と世渡りをしている女であり、彼女の情夫のひとりであり牢医者や「おりゅう」や寺を利用しての盗品の売買や妾の斡旋(男に女を、女に男をあてがう)などの悪事の元締め的存在で、城の茶坊主は、地位を利用してずる賢く裏で悪徳を働き人物である。
こうした悪の渦巻く世界の中で、音次と微妙な関係を持ちながら翻弄されていくぐれた大店の若旦那や女たち、悪の元締めの茶坊主と関係する武家が登場するし、利のためには悪事に手を染め、大店の乗っ取りなどを企む悪徳岡っ引きも登場してくる。彼らはリアリストであり、冷徹である。
他方、もうひとりの主人公で、音次の縄抜けの責めで自害したと思われる牢役人の息子の角之助が登場し、父の無念を晴らすために音次を捕らえるために奔走する。彼は貧乏牢役人の後を継がずに、父の意志を受けて商家に養子に出て、そこで許嫁もいたが、父の自害の真相を探るために岡っ引きの手下となって悪事の世界に入り、音次の行くへを探索するのである。
物語は、この角之助と音次の対決を中心に進んで行くが、音次の方が一枚も二枚も上手であり、また、人生と人間の機知に富んでいる。だから、決して一筋縄ではいかない。しかし、音次は自分を追う角之助が自分の弟に似ていることなどもあって、彼を殺さずに逃がしてしまうところもある。音次は悪を悪とも思わぬ割り切ったドライな人間だが、なぜか人を惹きつける魅力を持っている。
結局、悪はすべて滅び、音次は角之助に捕らえられるが、角之助は音次を追う途中で、角之助の父親が、実は音次が縄抜けしたからではなく、腐敗した牢役人の不正に端を発する事件で自害したという裏の裏がわかったりする。
本書は、こうした展開が実に見事な物語構成の中で語られていく。善悪というものが存在するのではなく、多々人の欲望と利の追求、保身といったものが存在するのであり、本書が勧善懲悪とは無縁のところで人間を描いているところがいい。多岐川恭が描く世界は、悪にしても悪の理想のような所があるが、物語作品としては絶妙なおもしろさをもっている。
2010年8月2日月曜日
出久根達郎『世直し大明神 おんな飛脚人』
曇り空が広がり、高温多湿で、蒸し暑い空気が肌にべっとりとまとわりつくようで、不快指数がピークに達している。昨日も同じような感じで一日湿度の高い日だった。エアコンを稼働させている室内とべっとりする室外の差が大きくて、外に出ると汗が滴り落ちる。
今朝の朝日新聞の「Globe」という特集記事の中に、ニューヨーク在住の宮家あゆみという人の最近のニューヨークでのベストセラーの紹介があり、その第一位になっているJustin Halpern という人の「Sh*t My Dad Says」という書物が紹介されているの興味を引かれた。「Sh*t」というのはわざと「*」が使われているが、「クソ」という口語で「親父のクソのような言葉」というほどの意味の書名で、頑固だが人生の機知に富んだ父親の発言をまとめたものらしい。父親は医学研究者であるとのこと。
たとえば、初めて幼稚園に行った日に父親が言った言葉が、「つらかっただと?もし幼稚園ごときで大変なら、お前の残りの人生に悪い知らせがあるぜ」といた具合である。小学校の個人面談では「あの女教師はお前を好きじゃなそうだから、俺もあいつが嫌いだよ。お前はいろいろ悪さをしたんだろうが、クソくらえだ。お前はいい子だ。バカ女のことは放っておけ」と言ったという。
辛辣で、爽快で、面白い。これがニューヨーカーの中でベストセラーであるということは、人々のフラストレーションが相当たまっていて、どこか爽快で軽妙にすぱっと人生と社会を斬っていくような気分を求めているということだろうと思ったりした。日本でも丸善か紀伊国屋あたりで売りに出されるだろうから読んでみようと思っている。
閑話休題。土曜日と日曜日に、出久根達郎『世直し大明神 おんな飛脚人』(2004年 講談社)を読んだ。この作者の作品は、前に一冊だけ『御書物同心日記』というのを読み、読みやすいし面白いが、どこか少し物足りなさを感じたりしていたが、これは掛け値なしに面白い。本のカバーの裏に、『おんな飛脚人』はNHKの金曜時代劇で『人情とどけます 江戸・娘飛脚』と題されて放映されたとあるが、納得である。
江戸の町飛脚屋の「十六屋」(十六夜-いざよい-をひっかけたもの)で唯一の女飛脚人として働く「まどか」という娘を主人公にして、江戸で起こっている様々な出来事に関わることを市井の人々の視点から物語として語られたもので、同じ飛脚人をしている御家人の次男の清太郎との淡い恋心もあって、飛脚屋で働く者たちの友情や、主人夫婦との温かい交情、そして、飛脚屋だけに多くの情報が真っ先に集まるという設定で、江戸市中の大事件の顛末などが語られていく。
『世直し大明神』は、現歴でいえば1855年11月11日に起こった「安政の大地震」が取り上げられ、大被害にあった江戸の様子や不穏な社会状況が背景として詳細に描かれ、本書では特に、その前の1837年の「大塩平八郎の乱」に関連しての江戸での「大塩党」と名乗る残党や、それを利用して芥収集と埋め立てで資財を肥やそうとする人間たちに、素朴でまっすぐで思いやりに飛んだ「十六屋」の飛脚人たちが立ち向かっていく姿が描かれている。
主人公「まどか」の父は、元水戸藩士で、『大日本史』の編纂に力を尽くしていた書物探索方同心で、大塩平八郎が出した書簡に彼がもっていた書物のことで名前が記されていたために改易され、竹細工を作って生活をしていたが、その書物が幕府に対する反社会的な傾向の強いものであったことから、地震で明るみに出されることを恐れ、また、その書物が金になると思っていた者たちから狙われたりするのである。そのくだりも、なかなか妙にいっている。大事件の影で翻弄されるが、不満も嘆きもせずに、事件の解決に向けて、江戸に出てきて娘の「まどか」と共に事件の解決に尽力する。
作者自身が古書店を営んでいるので、古書に関する知識が駆使され、1703-1762年に生きて共産制的農本主義や無政府主義的思想を展開した医者の安藤昌益の思想を弟子が記した『確龍堂先生言行録』という書物が、事件の引き金となっていると設定されており、もちろん安藤昌益は実在の人物であるが『確龍堂先生言行録』という書物は作者の創作であろう。その内容が少し紹介されているが、それも作者の創作で、むしろ福沢諭吉の思想に近いものとなっている。書名は創作であるが、決して根拠のない創作ではなく、安藤昌益の弟子で八戸藩主の側医であった人に「神山仙確」という人がいたから、その名前からとられたものだろう。本書の中での書物の発見も「まどか」の父が東北に貴重本を探しに行った時であるとされている。こういうきちんとした歴史的知識はさすがである。
とはいえ、本書ではそういうことが語られるのではなく、背景としてきちんと収められていて、主人公を初めとする飛脚人たちの気持ちのいい仕事ぶりや爽やかで他の人のことを思う心情が物語の全編を貫いていて、安政の地震で焼けてしまった寺の花梨の木と銀杏の木が、半分焼け落ちても新しい芽を出す姿に、地震で頽廃した町や人々の復興していく姿が示されるのである。
自然の生命力はいつでも人間を癒し、立ち直らせる力を持っている。特に、日本人はそうした自然の生命力から多くのことを学んできた。主人を亡くした「十六屋」の女将さんと「まどか」は、その若木を見て「ほろほろと涙をこぼす」。
このシリーズの一作目である『おんな飛脚人』をぜひ読みたいと思っている。そこには「まどか」や清太郎が飛脚人となっていくいきさつが記されているだろう。
それにしても、今日も暑い。
今朝の朝日新聞の「Globe」という特集記事の中に、ニューヨーク在住の宮家あゆみという人の最近のニューヨークでのベストセラーの紹介があり、その第一位になっているJustin Halpern という人の「Sh*t My Dad Says」という書物が紹介されているの興味を引かれた。「Sh*t」というのはわざと「*」が使われているが、「クソ」という口語で「親父のクソのような言葉」というほどの意味の書名で、頑固だが人生の機知に富んだ父親の発言をまとめたものらしい。父親は医学研究者であるとのこと。
たとえば、初めて幼稚園に行った日に父親が言った言葉が、「つらかっただと?もし幼稚園ごときで大変なら、お前の残りの人生に悪い知らせがあるぜ」といた具合である。小学校の個人面談では「あの女教師はお前を好きじゃなそうだから、俺もあいつが嫌いだよ。お前はいろいろ悪さをしたんだろうが、クソくらえだ。お前はいい子だ。バカ女のことは放っておけ」と言ったという。
辛辣で、爽快で、面白い。これがニューヨーカーの中でベストセラーであるということは、人々のフラストレーションが相当たまっていて、どこか爽快で軽妙にすぱっと人生と社会を斬っていくような気分を求めているということだろうと思ったりした。日本でも丸善か紀伊国屋あたりで売りに出されるだろうから読んでみようと思っている。
閑話休題。土曜日と日曜日に、出久根達郎『世直し大明神 おんな飛脚人』(2004年 講談社)を読んだ。この作者の作品は、前に一冊だけ『御書物同心日記』というのを読み、読みやすいし面白いが、どこか少し物足りなさを感じたりしていたが、これは掛け値なしに面白い。本のカバーの裏に、『おんな飛脚人』はNHKの金曜時代劇で『人情とどけます 江戸・娘飛脚』と題されて放映されたとあるが、納得である。
江戸の町飛脚屋の「十六屋」(十六夜-いざよい-をひっかけたもの)で唯一の女飛脚人として働く「まどか」という娘を主人公にして、江戸で起こっている様々な出来事に関わることを市井の人々の視点から物語として語られたもので、同じ飛脚人をしている御家人の次男の清太郎との淡い恋心もあって、飛脚屋で働く者たちの友情や、主人夫婦との温かい交情、そして、飛脚屋だけに多くの情報が真っ先に集まるという設定で、江戸市中の大事件の顛末などが語られていく。
『世直し大明神』は、現歴でいえば1855年11月11日に起こった「安政の大地震」が取り上げられ、大被害にあった江戸の様子や不穏な社会状況が背景として詳細に描かれ、本書では特に、その前の1837年の「大塩平八郎の乱」に関連しての江戸での「大塩党」と名乗る残党や、それを利用して芥収集と埋め立てで資財を肥やそうとする人間たちに、素朴でまっすぐで思いやりに飛んだ「十六屋」の飛脚人たちが立ち向かっていく姿が描かれている。
主人公「まどか」の父は、元水戸藩士で、『大日本史』の編纂に力を尽くしていた書物探索方同心で、大塩平八郎が出した書簡に彼がもっていた書物のことで名前が記されていたために改易され、竹細工を作って生活をしていたが、その書物が幕府に対する反社会的な傾向の強いものであったことから、地震で明るみに出されることを恐れ、また、その書物が金になると思っていた者たちから狙われたりするのである。そのくだりも、なかなか妙にいっている。大事件の影で翻弄されるが、不満も嘆きもせずに、事件の解決に向けて、江戸に出てきて娘の「まどか」と共に事件の解決に尽力する。
作者自身が古書店を営んでいるので、古書に関する知識が駆使され、1703-1762年に生きて共産制的農本主義や無政府主義的思想を展開した医者の安藤昌益の思想を弟子が記した『確龍堂先生言行録』という書物が、事件の引き金となっていると設定されており、もちろん安藤昌益は実在の人物であるが『確龍堂先生言行録』という書物は作者の創作であろう。その内容が少し紹介されているが、それも作者の創作で、むしろ福沢諭吉の思想に近いものとなっている。書名は創作であるが、決して根拠のない創作ではなく、安藤昌益の弟子で八戸藩主の側医であった人に「神山仙確」という人がいたから、その名前からとられたものだろう。本書の中での書物の発見も「まどか」の父が東北に貴重本を探しに行った時であるとされている。こういうきちんとした歴史的知識はさすがである。
とはいえ、本書ではそういうことが語られるのではなく、背景としてきちんと収められていて、主人公を初めとする飛脚人たちの気持ちのいい仕事ぶりや爽やかで他の人のことを思う心情が物語の全編を貫いていて、安政の地震で焼けてしまった寺の花梨の木と銀杏の木が、半分焼け落ちても新しい芽を出す姿に、地震で頽廃した町や人々の復興していく姿が示されるのである。
自然の生命力はいつでも人間を癒し、立ち直らせる力を持っている。特に、日本人はそうした自然の生命力から多くのことを学んできた。主人を亡くした「十六屋」の女将さんと「まどか」は、その若木を見て「ほろほろと涙をこぼす」。
このシリーズの一作目である『おんな飛脚人』をぜひ読みたいと思っている。そこには「まどか」や清太郎が飛脚人となっていくいきさつが記されているだろう。
それにしても、今日も暑い。
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