2010年8月9日月曜日

鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 深川袖しぐれ』

 昨夜、久しぶりに雨が降った。樹々が生き返るような気配を感じながら、ただ遅くまで雨をぼんやり眺めていた。書斎のエアコンが故障してしまったので、居間に置いていたノートパソコンを久しぶりに開いて、これを記している。パソコンもしばらく使わないとソフトの更新やセキュリティの設定など、使用するまでの準備にかなり時間がかかってしまう。便利なようだがなかなか手がかかるし、保存しているデーターも多いので、データーの移動も気を使ってしまう。けっこう容量が大きいUSBメモリーでも入りきれなかった。早く書斎のエアコンが修理されて、そのパソコンが使えるようになればいいが、この暑さで、業者への修理の依頼が多く時間がかかるとのこと。やむを得ない。

 昨夜遅くではあるが、鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 深川袖しぐれ』(2005年 双葉文庫)を読み終えた。これはこのシリーズの5作目である。全18作品のうち、2作目の『袖返し』、9作目の『父子凧』、10作目の『孫六の宝』、15作目の『おっかあ』がこれまで読んだ作品で、回向院裏手の通称「はぐれ長屋」と呼ばれる貧乏棟割長屋に住む傘張牢人の華町源九郎を中心にした長屋の住人たちが悪徳商人や悪行を働く人間たちと立ち向かっていく姿を描いたこのシリーズは、登場人物たちの設定のユニークさとその働きの爽快感に満ちたものである。

 本書では、あまりの手の込んだ極悪さと強さのために町方も手を出せないでいた賭場や金貸し、借金の方に娘を奪い取って遊女屋で働かせていた「相撲の五平」と呼ばれる男が相手で、手下や凄腕の牢人を使い、町方を脅したり、殺したり、長屋の住人を脅したりと、力で抑えつけようとする悪の元締めが相手になっている。力をもつものは力で滅びるが、彼の力は圧倒的で、手下を使って探索をする町方を殺して、ほかの町方を脅えさせたり、奉行所の同心や与力に賄賂を贈って圧力をかけたり、長屋の住人たちに怪我を負わせたり、住居を打ち壊したりして、手を引かせようとするのである。

 ことの発端は、長屋の住人である包丁砥の茂次の幼馴染であった娘が父親の博打の借金のかたに連れ去られようとするところに茂次が行き合わせて、これを助けたところから始まる。娘の父親は「相撲の五平」の賭場で借金をさせられ、五平はその手で何人もの娘を自分の遊女屋に強奪しては働かせていたのである。そのことで茂次は五平から狙われるところとなり、娘はいつの間にか五平に連れ去られて監禁されることになった。

 「はぐれ長屋」の住人たちは、茂次の意をくんで娘を助け出すために立ち上がるが、五平の手下や牢人たちから散々な脅しをかけられる。華町源九郎は、町方の手を借りて五平を捕えようとするが、脅された町方も次々と手を引くようになる。だが、五平に苦しめられている深川の料理茶屋や妓楼から資金を出させ、同心を説得し、娘の居場所を探し出して、五平に雇われている牢人たちと対決して、娘を救出し、五平を捕えるのである。

 その過程が、力に屈しなければならない人間の悲哀とともに描かれていく。だが、「はぐれ長屋」の住人たちは、源九郎と結束し、力に対してまっすぐに立ち向かっていくのである。ちなみに表題の「袖しぐれ」というのは、時雨のように涙が袖にかかることをいうらしい。さめざめと泣かざるを得ない人間の悲しみの素敵な表現だと思う。

 この作品で茂次は助け出された娘と結婚し、源九郎には二番目の孫が誕生する。その喜びが結末部分で語られて、日常の救いを語ることによって、「はぐれ長屋」の住人たちの爽快な姿を醸し出すものとなっている。

 世の中には、持っている力を振いたがる人間と、できるなら力など振るわないほうがよいと思っている人間がいる。このシリーズは、そうした両方の人間が対決せざるを得なくなって、力を誇示する人間が結局は滅びていくという主題のもので、本書では、それが対比的によく顕わされている作品だと思う。
もちろん、鳥羽亮の作品らしく、一刀流の使い手である華町源九郎と手錬の牢人たちの対決の様子は細にいっているし、源九郎は50歳前後なので、息を切らしてしまうこともきちんと描かれ、息を切らしながらも対決していく姿勢が物語に妙を添えている。娯楽時代小説としての面白みは十分にあると思う。

 今日は月曜日で、午前中は少し雨模様だったのだが、たまっていた洗濯をし、エアコンの修理業者に修理の依頼をし、少し事務的な仕事を片づけていた。高温で湿度が高いのですぐに汗が滴り落ちる。天気予報では台風が北上しているらしい。

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